ジプソフィラの笑う初夏
買い物に行こうよ!と、言い出したのはキャサリンで。ビューリングとウルスラは半ばそれに引き
ずられるようにして街に繰り出したのだった。智子たちは相変わらずベッドの中でもぞもぞとして
いたため、置いていくことにして。
ふんふん、ふん。
ご機嫌なキャサリンの鼻歌が、いまだネウロイの侵攻の痕の色濃く残るスラッセンの街に陽気に解け
ていく。ネウロイの猛撃は続いているものの、一度は撃退し、街を奪還したということが励みと
なっているのだろう。キャサリンの鼻歌は街の風景には似つかわしくはなかったけれども、それでも
その雰囲気にはまろやかに溶け込んでゆくのだった。
「おい、」
6月って言ってもスオムスは寒いねー!そんなことを言いながらウルスラを抱え込んでいるキャサ
リンに、その1歩後ろを行くビューリングはようやっと語りかける。街についてからかれこれ2時間は
経っている。ウィンドウショッピングなど趣味ではないビューリングにとっては、目的も分からず
こうして時間を浪費することはそろそろ我慢の限界だった。いや、ウィンドウショッピングが目的
と最初から言っておいてくれればもう少しは我慢のしようもあったかもしれない。もっとも、そう
言われた時点で自分が出かけることを却下していたのは間違いないのだけれど。
長かった冬を乗り越え、春を迎え、夏の兆しを見せ始めたスオムスの空はそれを誇るようにひたすら
青い。人々の顔もひたすら明るく、夏の訪れを心から喜んでいるようだ。
そして、そんな楽しそうな雰囲気に流されやすい、陽気な人間──キャサリンもまた、街の雰囲気に
当てられたかのように非常に楽しそうな顔をして顔をほころばせているのだった。要するにとても、
無駄なほどにテンションが高い。
「おい、キャサリン!」
一度言っても全く聞こえていないようだったから、もう一度、今度は語気を荒くして語りかける。
このような陽気な雰囲気もビューリングの性には合わなかった。別に暗い顔をしていろと辺りに呼び
かけたいわけではないけれども、それならば自分は傍観者となって隅で我関せずとタバコをふかして
いたいと考える性質なのだ、ビューリングは。
「なにさー、ビューリングー」
「もう街についてから2時間たっているじゃないか。そろそろその"買い物"とやらを済ませて基地
に帰ろうとか思わないのか」
「えー。ビューリングはホント、のりが悪いねー。」
「…お前がよすぎるだけだ、キャサリン」
これまで、半年以上共に過ごした月日は伊達ではない。ビューリングの予想通り、彼女はビューリングが
何を言っても気に留める気配すらなくけらけら笑うばかりだった。ウルスラもそう思うねー?腕の中
のウルスラにそう語りかけて、無言で一蹴されてもやはり楽しげにしている。
「でもまーいいじゃない。今日はこんなに晴れてて、風が気持ちよくて──こんなに、素敵な日
だからー。こんな日に好きな人のことを考えて、楽しい気分になれるのはとても素敵なことね!」
「はあ?何を言っているんだ?」
「あ、ほらほら!あれなんかいいんじゃないかー?」
好きな人のことを、考える。だから、楽しい気分になれる。それはいいとして、「今日は素敵な日だか
ら」。どうしてそれに繋がるのか。自由の国からやってきたこのリベリアンの考えていることは普段
から全くわからない。「あなたって相当の変わり者よね」と、数少ない友人から飽きるくらいにかの
ような評価を戴いているビューリングでさえもそう思うのだ。
(あいつがいたら、どんな風に言うんだろうな)
ふと、そんなことを考える。今はもう喪ってしまった、唯一無二の親友。いや、親友と思い込んで
いるのはこちらだけで、あちらはそんなことを考えてはいなかったのかもしれないけれど。それでも
馴れ合いの苦手なビューリングにとっては散々手合わせをして、撃墜スコアを競い合った彼女こそ、
自分のことを誰よりも理解してくれていた存在だと、今でもそう信じてやまない。懐かしさのあまり
美化された思い出といってしまえばそれまでだと、ビューリング自身だって分かっているけれど。
それでも、もしも、彼女がここにいたなら。
あの陽気なリベリアンを、寡黙な読書娘を、臆病なひばりを、爛れた扶桑とロマーニャ娘たちを、
なんと言うだろう。そんな面子で構成された部隊の一員として戦っている、ビューリングを。
触れるのさえためらって、向き合うことなど恐ろしくて。償うためには死しかないのだとそう思って
いたその記憶に、こうして「いま」を重ね合わせることができる。ばかばかしい。そんなこともう
叶わない。そう内心で思いながらも考えてしまう。こう陽気に当てられてしまったと考えればそれ
までだけれど、そんな自分にビューリングは驚きを隠せなかった。
(変わったといっていいのかな、私も。なあ、お前はどう思う──?)
抜けるように青い空の向こうに、その空から落とされて死んだあの親友がいるはずはなかったけれど。
もしも天国というものが存在して、それが天上にあるのなら、彼女とビューリングとを阻む雲は今
頭上にない。
普段は戦闘のしやすさ以外にどうとも感じない空の色が、その空が青いことが、ひどくありがたく
思えた。思わず口を吊り上げる。きっと相当緩んだ顔をしている。なにそれ、へんな顔。笑いなれて
いない自分のひくついた笑顔を見て以前そう笑った親友の声が聞こえてくるようで、「うるさいな」と
一つ悪態づいて、ビューリングはウルスラを押してどこかの雑貨屋に入ったキャサリンを追うことに
した。
*
「で、買ったのはそのかわいくないぬいぐるみか。」
「可愛くないって言うのはいいすぎよー。きっと喜ぶって、ねえ?」
「確定はない。けれど、恐らく。」
本を引っつかむ暇もなくキャサリンに街へ引きずられたからだろう、先ほどまで心許なさ気にして
いたウルスラの腕の中には、その腕にちょうど抱くことが出来るサイズのぬいぐるみが抱きしめられ
ている。猫とペンギンを足してあわせて、うっかり可愛さを引いてしまったとしか思えない奇怪な
ぬいぐるみはお世辞にも「かわいい」とは言いがたい。ご丁寧にもリボンまで括りつけられていて、
ビューリングは更にこの「買い物」の目的が分からなくなっていた。これを買うことで一体どこの
誰が、どうして喜ぶというのか。反応を見るに、ウルスラにも事情は伝わっているらしい。
「なあ、もう用事は済んだろう。早く帰らないか──」
相変わらず楽しげにきょろきょろとしているキャサリンであるが、時計を見ればそろそろ戻らなけれ
ばいけない時間だ。なぜなら、エルマが泣くから。心配性の元隊長は、門限破りを怒る代わりに抱き
ついて無事でよかったとおいおい泣く。まさか小さな子供でもあるまいし、と毎回思うのだが、毎度
のごとくそれをされてはビューリングとしても後味が悪く、原隊時代散々重ねては悪びれなど全く
感じなかったそれをスオムスに来てからは控えるようにしていた。怒られたり営倉行きになるのは
慣れっこだけれども、泣いて心配する人間などビューリングの短い生涯でもあの泣き虫なひばりぐらい
しかいない。
「あ、見つけた!いくよー、ビューリング!!」
「……お前は少しぐらい、人の話を聞いたらどうなんだ…?」
が、もちろんそんなビューリングの内心はおろか、呼びかけさえキャサリンは聞いていない。お目当
ての店をようやっと見つけた喜びにまたウルスラを振り回さんほどにはしゃいで駆け出していく。
けれどもどうしてか、そうして振り回される度に口が緩む自分も否定できなくて、ビューリングは
再びため息をついてそのあとを追うことにする。
「ビューリング!おそいね!」
「……花屋か」
「当たり前ね!お祝い事に花は欠かせないものね!!」
包まれたのはみずみずしい香り。ネウロイの侵攻によって一度焦土と化したはずのこの街で、こんな
にもたくさんの草花を見かけることが出来るのはこのような店ぐらいだろう。花か。もう一度ビュー
リングは呟く。赤、黄色、オレンジ。華やかな彩りは先ほどまで青い空ばかりを見ていたビューリング
にとっては目に痛いとさえ感じてしまう。
「花束が欲しいの!おひとつ下さいなー!」
「誕生祝い。」
キャサリンとウルスラがそんなやり取りを店主としている間も、ビューリングはどうしても落ち着か
ずに視線をめぐらせるばかりだった。けれど、たんじょういわい。しばらくして彼女らのそのやり
取りを反芻して、ふと心に引っかかったその言葉にはっとする。
「……ちょっとまて、誕生祝いだと?」
「今更なに言ってるのさ、ビューリング」
「誰だ?」
「だれだ、って…」
そんなの決まってる、とばかりにキャサリンがその名前を告げようとしたそのときちょうど、店主が
キャサリンに花の束を差し出した。色とりどりの花を並べた、豪華な花束。このような感じでいかが
でしょうか。問われて「うーむ」と唸りながら、ビューリングのほうを見もせずにその答えをあっさ
りと告げてしまう。
「エルマ中尉ね。今日はエルマ中尉の誕生日なのよー。」
ウルスラ、どうおもうね?どうやらキャサリンの気には召さないらしい。困ったように尋ねられて、
ウルスラも珍しく関心を持った表情でそれを見つめている。その傍らでビューリングは多少衝撃を
受けていた。知らなかった、と言えばそれまでだけれども、知ろうともしていなかった、自分に対して。
──ビューリング!~~~~のプレゼントを買いに行くね!!ほら早く、用意!!
そうだ、出かけるそのときに、そう言えばキャサリンはそんなことを口にしていなかったか。おそ
らくそれは「エルマ中尉の誕生日」と言っていたのだろう。どうせいつもの気まぐれだろうと考えて、
どうとも思わなかったのは自分のほうだ。記憶を起こしてみればウルスラだって、特に嫌がりもせず
について来ていた気がする。それはウルスラにとっても、出かけるに足る充分な理由があったという
ことで。
今日はこんなにも天気のよい、「素敵な日」で。そんな日にキャサリンは、ウルスラは、エルマのこと
を考えて陽気になっていたのだろう。大切な仲間の生まれた日だから。彼女のことを想って、喜ぶ顔
を想像して。
(ばかだな、私は)
もしもそれを当初から知っていたなら、もっともっと楽しい気分で、共に彼女を喜ばせるための算段
に参加できたと思うのに。ビューリングの「楽しい気分」など他人の「ふつう」と大差ないのだ
けれども、それでも「なんで自分が付き合わなければいけないんだ」と考えながらキャサリンたちの
あとを無意味についてまわることなどしなかった……と、思う。
すぐにゆがめられて、涙の浮かぶその顔が綻ぶ姿を想像する。単純明快で素直な思考回路をした彼女
が何をされれば喜ぶのか、実はビューリングだってよく知っている。
「……そんな花束渡されたら、エルマは逆に困るんじゃないか」
「あー、ビューリングもそう思うかー?実はわたしもそうおもってたねー」
先ほどビューリングが見て頭を痛くしていた、色とりどりの花の用いられた豪華な花束。これでは
どう考えても、エルマのほうが気圧されてしまう。そう、エルマにはもっとはかなげで、小さくて、
悪く言えば目立たない、そんな花が──
「…店主。」
「はい、なんでしょうか」
「他のやつは要らないから、これ。この花で花束を作ってくれ。それでいい」
「は、はあ?この花、ですか…?でもふつう、この花はメインで使われるような花では…」
「それが、いい」
「はあ。そう申されるのであれば、この花でしたら、花びらの大きなタイプもございますのでそちら
とあわせて花束をお作り致しますが…よろしいのですか?」
「いいんだ。なあ?」
「うん、それでいいね。白くて小さくて──ふふ、確かにエルマ中尉みたいな花ね!!」
視線で尋ねると、こくり、と頷くウルスラ。店主のみが怪訝な顔をする中、満場一致でそれは可決
された。
*
「ううううううううう!!!み、みなさあん、どごいっでだんでずがあああああ!!!」
「いやー、ごめんねー。ちょっと買い物に…」
「トモコ中尉も他のみんなもキャサリン少尉たちがどこに出かけたかおじえてくれないじ…!!」
カウハバ基地に帰りついた頃には、すっかりと空が赤く染まっていた。北欧のこの国のしかも昼の
長いこの時期であるから、相当遅い時間だ。もちろん、門限などとっくに過ぎている。
予想通り、エルマは基地の入り口でビューリングたちの帰りを待っていた。そして帰ってくるなり
三人をぎゅうと抱きしめてこの有様。だから早く帰ろうといったろう、とキャサリンに視線で呼び
かけるも、にこにこと楽しそうなキャサリンには当然のごとく伝わっていない。
「わ、わだじ、みなざんが帰ってこなかったらどうじようかと…!!!」
「あ、トモコトモコ!おーい、帰ってきたねー!!」
「話をきいてくだざい~~~!!!」
まあまあ、と明るくエルマの肩を叩いて、出迎えに現れた智子たちにキャサリンは手を振る。
「遅いわよ。待ちくたびれちゃったじゃない」
「あははー、ごめーん」
「じゃ、はじめましょうかー!」
「そうねー!準備は万端かー?」
「当たり前でしょ!どれだけ待たせたと思ってんのよ!」
そのやり取りを聞いて、キャサリンが智子たちを連れて行かなかったのも、考えがあってのこと
だったのだとビューリングはようやっと気がついた。ほとほと自分の鈍さに嫌気が指して、一つ
ため息をついて頭をかく。
照れくささを隠すように、一人きょとんと首をかしげているエルマの頭に手を伸ばしてかき回した。
なんだか悔しい気持ちになって、皆が恐らくは言うタイミングをはかっているその言葉を一足先に
口にしてしまう。
「誕生日おめでとう、エルマ」
白くて小さい、無数の花で作られた花束を差し出して、そう言ってやる。それはふつう、もっと
大きな花を誇って束の中で自己主張をする、そんな花々の引き立て役にしか使われないような花だけ
れども。
それでもその花がいつも自分たちを見守ってくれていることを、心配してくれていることを、ビュー
リングたちは知っていた。臆病に小さな花しか咲かせなくとも、その優しさを数え切れないくらいに
振りまいてくれる。だから、彼女を想うだけで、その笑顔を想像するだけで嬉しくて。
「あ、あれ、そう言えば今日、私──」
「ああああああああああああ!!!ちょっと!!!抜け駆けはずるいね、ビューリング!!」
「…さいあく」
「ちょっと何いいとこ取りしてんのよビューリング!」
白い肌を真っ赤に染めて、エルマはゆっくりと花束を受け取った。どうやらこの心配性のひばりは、
すっかりと自分の誕生日を失念してしまっていたらしい。
「もー!!基地の入り口でーこんなことしててもしかたないじゃないですかー!中に入ってお祝いー
しましょー!わたしートモコ中尉のために腕によりをかけてパスタ作ったんですからー!」
「わわわ、私だってがんばりましたよ!みそしるとか!智子中尉、楽しみにしててくださいね!!」
「じゃーいこうかー!ほら、エルマ!!」
キャサリンがまた、放心状態でいたエルマの手を強引に引いて基地の中に引っ張りこんでいく。わわ
わわあ!!お約束の通りに転びそうになったそこを、すかさずウルスラが支えて。大騒ぎしながら
先を行く面々。第一中隊の人間がどこにも見当たらないところを見ると、彼女らも食堂かどこかで
エルマを待ち構えているのだろうか。
ふ、と息をついて、ビューリングは本日三度めとなる、騒がしいその背中を追うことにした。
了