そういう人
新人さんが入隊する。
夕食の食卓はその話題で持ちきりだった。
といってもその反応はさまざまで、歓迎ムード一色というわけでもない。
なんだかずっとピリピリしている人も、積極的に会話に入ってこようとはしない人もいる。
でもやっぱり、それは興味の裏返しらしく、みんながそれぞれいつもとは違う。
強い風が吹く前の、凪の状態。
誰もがどこか、そわそわして見える。
私の時もこんなだったのかな――私はぼんやり、そんなことを考えていた。
坂本少佐が扶桑までいってスカウトしてきた11人目の隊員さん。
まだ出会わぬ新しい仲間の到着を、そうして私たちは待っていた。
「で、どうなんダ? おっきかったのカ?」
「遠かったしわかんない」
食い入るように訊いてくるエイラさんに、ルッキーニちゃんはふるふると首を横に振る。
ちぇっ、とエイラさんは舌打ちして、
「ま、今度は負けないけどナ」
と、うりゃうりゃといった具合に空気をわしづかみ。
「べーだ。あたしだって負けないんだかんね」
ルッキーニちゃんも対抗して、うりゃうりゃと空気をわしづかみ。さらに頬ずり。
ああ……おんなじだ。私にしたのとおんなじことをするつもりなんだ。
「………………」
そうして白熱していく二人を眺めていると、同じくそうする人が一人。
サーニャちゃんだ。
冷ややかな視線を向けられていることに、はたしてエイラさんは気づいて……いないんだろうな。
「ごちそうさま」
ペリーヌさんはそう言って口をぬぐうと、さっさと立ち上がった。
さっきからどうも機嫌が悪いらしい。
もしかしてお口に合わなかったのかな。でも残さずちゃんと食べてくれてるし……。
ペリーヌさんは始終話しかけづらいオーラを放っていて、いっそう私には訊けそうになかった。
「どこ行くの?」
と、それにかまわず訊ねたのはシャーリーさんだ。
「まもなく少佐がお帰りになる時間ですので」
そっけなくペリーヌさんは答えると、行ってしまった。お出迎えに行ったのかな。
シャーリーさんはやれやれと肩をすくめ、
「おい堅物。お前も少しは話しに加われよ」
「私は別に……」
「またまたぁ、興味あるくせに」
「ここは最前線だ。即戦力だけが必要とされている」
バルクホルンさんはむすっとしてそれだけ言い返す。
「げ、つまんねーヤツ」
シャーリーさんは言って捨てると、すぐに話題を変えてしまった。
最前線。即戦力。
その何気なく言われた言葉が私にのしかかってくる。重く、深く。
でもそれは、全部本当のことだ。
自分の不甲斐なさにいらだちがつのってくる。
一向になにも役に立てなくて、初戦果なんてまだまだ。
私より年下のルッキーニちゃんやサーニャちゃんだって、ちゃんと部隊の役に立ってるというのに。
なのに、私ときたら……
それはとても申し訳のないことだ。
申し訳ない。
そんなこと口に出してもなんにもならないってわかっているのに。
ごめんなさい、ごめんなさい……
頭のなかで、そう繰り返される。
その言葉が取り憑いたように、一向に離れていってはくれない。
「どうかした?」
その声に、私ははっと我に帰った。
ハルトマン中尉だった。
私に話しかけてるんだとわかるまで、しばらくかかった。
まだほとんど、会話らしい会話をしたことがない。だから話しかけてられるなんて思ってもなかった。
どんな人かあ……考えをめぐらせて、
「すごい人だと思います」
と私は答えていた。
すごい人。それは素直な感想だった。
バルクホルン大尉たちが駆けつけるまで、その人は坂本少佐と二人でネウロイと戦っていたんだという。
きっとすごい魔法が使えたりするんだろう。
そんな人が入ってくれるなら、私たちにとってとてもありがたいことだ。
でも――
もし、本当にすごくできる人だったら?
私のなかのいけない部分が、そう訊いてくる。
すごくできる人だったら、そうしたら私はどうなっちゃうんだろう?
そうした考えに囚われながらも、私は喋り続けていた。ついさっき聞いた話をそのまま繰り返して。
喋っていないと間が持たない。共に無言の時間には、とても耐えられそうになかったから。
でもその声が、だんだんとくぐもっていく。
ちゃんと喋らないと。そう思っても、声がうまく出てくれない。
「じゃなくって――」
ハルトマン中尉に遮られる。私は内心、ほっとした。
「じゃあさ、リーネはどんな人だったらいいと思う?」
そう訊かれた。予想ではなくて、希望ってことなんだろうか。
そんなふうには考えてみなかった。そんな余裕、なかったから。
「やさしい人……だったらいいな」
自然とそう、私の口から出てきた。
やさしい人。それでとっても仲良しになって。
いっしょになっておしゃべりをしたり、遊んだり、お料理をしたりして。
そんな人だったら、きっとすごく楽しいんだろうな。本当にそんな人だったらいいな。
そんなことを考えていると、ハルトマン中尉はなんだか嬉しそうに私の顔を覗きこんでくる。
「どうか、しました?」
おそるおそる訊いてみると、ううん、なんでも、とはぐらかされてしまった。
「ねぇ、リーネ。うまく言えないけどさ」
ハルトマン中尉はそう前置きをして、
「なんかまわりがまっくらでさ、わけわかんなくって、もうイヤだーってなってもね、
でもそういう時にさ、ふらっと出会えちゃったりするもんだから。
そういうの全部ナシにしてくれるような、そういう人に」
「そういう人?」
「うん、そういう人。そういう人にはきっと出会える。そういうものだから」
そう言うハルトマン中尉のまなざしの先には、私の姿はない。
別の人のことを見ている。ハルトマン中尉にとっての、そういう人を。
ハルトマン中尉の瞳にはあの人はどんなふうに映っているんだろう?
ふいに、私たちは目と目が合った。
「――ごめん。やっぱうまく言えない」
ハルトマン中尉は照れくさそうに笑ってから、そう言った。
「これから来る子がさ、リーネにとってそういう人だったらいいね」
「ではそろそろ行きましょう」
ミーナ中佐のその一言で、私たちは席から腰を上げた。
そうしてみんな、ぞろぞろと食堂を後にしていく。
私もそれに続こうとしていたところ、
「リーネさん、ちょっといいかしら」
と、ミーナ中佐に呼び止められた。
みんながどんどん行ってしまうなか、私はその場で立ち止まった。
なんだろう……?
「これからやって来る新人がね、あなたと同じで14歳だっていうの」
と言われたので、私は、15ですと訂正した。
「そうだったかしら?」
「はい。このあいだ……」
答えながら、私は顔をうつむけていた。
言ってくれればよかったのに。ミーナ中佐の目が、そう言っているようだったから。
だって訊かれなかったからと、頭のなかでそう言い訳して――ううん、それだけじゃない。
言えなかったのはたぶん、こんなままの私が年を取ってしまうことが、なんだかすごく嫌だったから。
それは、ただその場で足踏みを続けているようで。
そのことを否応なく自覚してしまいそうで。
そうやって無為に毎日をすり減らしていくことが、どうしようもなく怖かったから。
「じゃあリーネさんがお姉さんになるのね」
ミーナ中佐はあまり気にしたそぶりもなく、そう言った。
たしかに私が1つ年上だけど、そういうことになるんだろうか。
「リーネさん。あなたがこの基地に来た日のこと覚えてる?」
「はい……」
「どんな気持ちだったかしら?」
「不安でした。とっても」
そしてそれは、今でも完全にぬぐえてはいない。
そうね、とミーナ中佐はうなずいて、
「今から来る子も同じように思ってると思うの。――じゃあ行きましょうか」
言い終えるとミーナ中佐は背中を向けて、そうして歩き出す。
私はその背に向かって言った。はい、と力強く。
そうして私も歩き出した。
不思議だった。なんだか今は、わくわくしている。
大丈夫。だから、できる気がする。
これから私は、とびきりの笑顔でその人のことを出迎えよう。
――それは私が芳佳ちゃんと出会う、その少し前の話。
今ではそれから、もう十年が過ぎようとしている。
世界は目まぐるしく変わった。
私個人にとっても、部隊が解散したり、ガリアの復興のお手伝いをしたり……
他にもいろいろなことがあったけれど、それでもなんとかやってこれた。
辛いことも、投げ出してしまいたくなることも、たしかにあった。
でもそのたびに芳佳ちゃんがいっしょにいてくれて、いない時でも芳佳ちゃんのことを思うことで、
そうやって私は前へと進んでいける。
暗い気持ちなんて全部ナシにしてくれるような、そういう人。
ハルトマン中尉の言おうとしていたこと、今の私ならたしかに理解できる。
「リーネちゃん、起きてる?」
どうしたんだろう? こんな夜中に。
同じベッドの傍らで眠る私に、芳佳ちゃんは耳元でささやきかけてくる。
「うん、起きてるよ」
「あのね、一番に言いたくって」
芳佳ちゃんは私へと顔を近づけてくる。そうして、おでことおでこをぶつけ合った。
「お誕生日おめでとう」
うん、と私はうなずいて、ありがとう、と言った。
――ねぇ、芳佳ちゃん。
ゆっくりでも、小さな足取りでも、その一歩一歩をたしかに踏みしめて、
そうやってこれからも、二人並んで、手と手を取って、いっしょに歩いていけたらいいね。
私は芳佳ちゃんの手を取り、指をからめた。
電気を消しているのなんて関係ない。視界にはもう、その人しか入ってこない。
いつまでもずっとずっと大好きな芳佳ちゃん。
私にとっての、そういう人――