私が孵るそのときに


おいしいよ。
国柄なのだと口を尖らせていた、コーヒー好きのあのひとの言葉が、ほわんと胸に響いていく。にこ、
と微笑んだその顔があまりにも歳相応の、かわいらしいそれだったものだから、私はつい顔を逸らし
てしまった。

おいしいよ。
もしかしたら、なんていうのはきっと自惚れでしかないけれど、それでもやっぱり、うれしくて。
視線を戻したらあの人は相変わらずぼんやりとしていたけれど、でも、この視線に気取られないぶん
それはいいことなのかもしれないと思う。

羨望、嫉妬、憧憬、思慕。

心の中で色々な感情が渦巻いてまるで、ポットの中の紅茶葉のように舞ってゆく。じゅうぶんに蒸ら
したその後は、一体どんな色に色づくのだろう。あか?あお?みどり?私にはまだわからない。だって
彼女の才能を妬む気持ちも、羨む気持ちも、憧れる気持ちも、けれども先ほどのように無邪気に笑う
様をなんとなく微笑ましく思う気持ちも、全部私ひとりの胸の中にある感情なのだ。


彼女を目の前にすると、つい視線を落としてしまう自分がいた。それは無意識のうちにそうしていた
ものだったから、きっと誰にたしなめられても治すことなんて出来るはず無くて。

光の加減で金色にも銀色にも見える、不思議な光沢を持った長い髪も、ミステリアスな深さを持った
すみれ色の瞳も、透き通るように白い肌も。何もかも直視できないくらいに輝いていた。年の差は
なくて、正確には数ヶ月でしかないのにどうしてなのだろう。彼女はいつだって大人びた笑みを浮かべ
て、悠然とそこにいた。悪戯をするその素振りだって、ルッキーニちゃんのするそれとは一線を画
した何かがあって。同じ年のころのウィッチは彼女と私のほかにペリーヌさんがいたけれども、その
三人並べてもやはり彼女はあるとあらゆる部分でぬきんでいた。実力も、精神力も、経験も、ずっと。

スコアから見たら、もっと上の階級でもいいはずらしいけどな。
なんて冗談めかして笑っていたあのひと。「でもまあ、面倒なことは嫌だから今のままでもいいかな
って。」なんて付け足すものだから、「中身が伴わないからですわ」とペリーヌさんにやっかみ半分の
文句を言われていたっけ。それでもやっぱり彼女はハハハ、と笑うばかりで、私はそこに彼女の
エースとしての余裕を見たような気がした。私だったらきっと、そんな風に笑うことなんて出来ない
と思ったから。

(一応少尉ってことになってるけど、私士官教育うけてねーし。だからあんま尊敬とかしなくていい
かんなー。細かいことはわたしにもわかんねーから)

自分の才能を傘にせず、むしろその傘をこちらにも差し出すくらいの体で彼女はすっと歩み寄って
きた。一人きりの下士官だった私をきっと、彼女は彼女なりに慮ってくれたのだろう。そんなこと
分かってた。彼女がどれだけ私を心配してくれているかなんて、ちゃんと知っていた。自分よりも
上の階級の人たちに私がしかられたりしないように立ち回ったり、私がつまずきそうになったら偶然
そこに通りかかったような顔で手を伸べてくれたり。
それら一つ一つの優しさに気がつくことが出来ないほど私はもう子供じゃなかった。でも、それと
同じくらい、それを上の立場の者から受ける労わりとしてはいありがとうございます、と割り切って、
作り物の笑顔ででも受け止めることが出来るほど、大人にもなれていなかった。

「んー…ふあああああ」

二人きりの待機室で、エイラさんはあくびをかみ殺している。おおかたきっと、昨日もサーニャ
ちゃんの夜間哨戒に付き合って夜更かしをしたのだろう。この基地に配属されてから、約1ヶ月ほど。
このエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉という人が、ナイトウィッチであるサーニャ・V・
リトヴャク中尉に非常に心を砕いていること。そしてそのあまり時として自分のシフトを無視して
彼女の夜間哨戒に付き添うことはもはや“よくあること”として私の中ですっかり「普通」となって
しまっていた。

サーニャちゃんが優秀なナイトウィッチだということは、誰の目から見ても明らかで。私も一度だけ、
夜間哨戒の訓練と称して彼女との哨戒に付き合ったことがあるけれども、慣れた様子で敵の存在を
察知し、異常があれば即座に基地に伝えるその様は年下ながら見事、といわざるを得なかった。
私に出来ることなんて何ひとつなくて、けれどそこまで悔しくもなかった。だって、それは彼女の
特殊能力だからこそなせる業で、その分野の能力を持たない私にはもともとどうこうできる代物で
はなかったから。暗闇の中での視界には限界がある。視覚に頼るところの強い私にはナイトウィッチ
はそもそも向いていない。

ポットに紅茶葉を入れて、しばらく蒸らす。ほのかに漂う芳しい香りが、心を落ち着かせてくれる。
あまり得意ではない、むしろ苦手な部類である人と二人きりにされて、一つの部屋で過ごしている
この緊張が、ほんの少しだけ和らいでいくよう。

「…あの、そのっ」
「……んー?」

私よりほんのすこし年上のその人は、私にとって抜け目のないくらい「完璧」な存在であるような
気がしていた。余りある実力と、だからこそにじみ出る心の余裕。すべての言動は表目を開いて、
彼女の趣味としているタロットカードで言えばとてもいい意味のカードを正位置で開いたかのような。
開いても開いても逆位置か、もしくは悪いカードでしかない私とは、大違い。

だから話しかけづらかった。近寄りがたかった。
近寄れば近寄るほど、そこまで違いのないはずの私と彼女との差が歴然となるような気がして。恐
らく足りないのは私の努力ばかりで、経験ばかりで。何をやっても上手く行かない私のうえを、
ひょいと飛び越えていくように飛ぶあの人の軌跡は私を追い込んでやまなかったのだ。

「お、お紅茶、いかがですか……?」

紅茶は一杯分入れるよりもずっと、茶葉もお茶も倍にして、二杯分入れたほうがずっと美味しい。
お母さんに、おばあちゃんに、幼い頃から叩き込まれた、美味しい紅茶の淹れかた。お姉ちゃんは
そういったことへの興味がからっきしだったから、おばあちゃんたちの情熱は私に向いた。模型の
飛行機を作ってははしゃいで空を飛ばしていたおねえちゃんと違って私はそういったことが大好き
だったから、何の苦も無くそれは私の一部として身について。

だから。そう、だから。

茶こしで蒸らした茶葉をこしながら、別のポットに赤く色づいたそれを注ぎなおして。そうして再び、
二つのティーカップにそれぞれ注ぎながら、そんなことを口走ってしまったのだ。一杯よりも、
二杯分。一人よりも、二人分。それは教え込まれたものだから、私の感情とは一切関係ない。眠た
そうな顔をしながらもサボったりなんかしないでこうして一緒にいてくれている、そんな彼女に対
するいたわりの気持ちというわけでも、ない。

だって、羨望も、嫉妬も、憧憬も、思慕も。
全部私の中で一緒くたの感情で、どうやっても一つに決められないのだもの。だから私はいつだって、
彼女にどう相対すればいのかわからなくなる。

テーブルを挟んで向かい合ったその向こうで、エイラさんが少しだけ目を丸くしたのを感じた。ソー
サーにカップを置いて押し出したまま視線を再び落としてしまったから、彼女の感情の機微を知る
手段を、私はうっかり失ってしまう。視界の端にある肩の階級章がどうしてかひどく眩しい。彼女
には軽すぎるその役職の証。私にとってはまだまだ遠い、その高みへの道のり。こんなに近くにいる
のに、やっぱり私と彼女との間には確かに隔たりがある。

けどたぶん、それを深めようと必死になっているのは、私ばかりなのだろうということもわかっている。

カタリ、という音がしたので、エイラさんが紅茶を取り上げたのだろうと思った。特に何の気もない
行動だったはずなのにどうしてか胸がどきどきする。ごくん。飲み下す微かなその響きにさえも、
びくりと反応してしまう自分がいる。見返りなんて求めていなかったはずなのに、どうしてか気に
なって仕方がないのだ。
ほう、というため息と共にカップをソーサーに置く音。沈黙ばかりが流れて、いたたまれない気持ち
ばかりが心の中に淀んでいく。どうして私ばっかりが気にしているんだろう。いつもそう。怯える
のも怖がるのも憧れるのも妬むのも私ばかりで、彼女はけろりとした顔で笑って、それでサーニャ
ちゃんの方を見ているばかり。
こらえきれなくなってつい、顔を上げる。どうしてだかすぐに目が合って、慌てて逸らそうとした
その瞬間にその唇が小さく開いて音が漏れた。

「…おいしい。」

わたし、紅茶を美味しいと思ったの、初めてだ。ほうけたような声音でそんなことを呟かれるもの
だから、私の視線はすっかりと射止められてしまう。スオムスってさ、みんなコーヒーなんだよな。
そうして少し口を尖らせる彼女は、そう言えば今までのお茶の時間にも一人頑としてコーヒーを所望
していたような気がする。

「でも、リーネの紅茶、おいしいよ。」

憮然とした表情から再び、にこ、と微笑んだその顔。寝不足だというのもあるのだろうか、いつも
よりもずっと緩んだその顔から、普段は余り表に出さない感情が綻んできているかのような。年相応、
いやそれ以上に幼い雰囲気さえまとった無邪気な表情。そこでようやっと硬直から解けた私はばっと
顔を逸らしてしまう。顔が、熱い。どうしようもなく火照っている。

「そんな、普通に淹れてるだけ、です」
「…ん」

その言葉はもしかしたらお世辞でしかなくて、紅茶を淹れるのがとても好きな私のために吐いただけ
だったのかもしれない。それは自惚れでしかないけれど、やっぱりうれしい。本心からの言葉だと
したら、もっともっと。

おかわり、ちょうだい?
ぼんやりとしていたらそんなことを言われて、気がついたら彼女のカップがすっかりと空いている
のを見て取る。慌てて次の紅茶の準備を始めたら「んなあわてんなよ」と笑われた。謝るほどのこと
でもないのかもしれないけれど口がつい「ごめんなさい」と紡ぐ。

「…あのさ、リーネ」
「…はい」
「つらいなら、いつでも、こいよ?」

二杯目の紅茶を彼女のカップに注ぎ込んでいたら、ぽつりとエイラさんが呟いた。顔を上げてそちら
を見たら、頭をかきながらそんな言葉を掛けられる。
私がなにを辛いとおもっているのか。エイラさんのところに来たら、なにがあるのか。そんな類の
説明を待ちわびていたけれどそれは与えられず、紅茶を注ぎ終えた私はつい、言葉を失って視線を
落としてしまう。エイラさんを目の前にすると出てしまう、いつもの癖。だってそんな風にしてすぐ
に、何気なくこぼす言葉の一つでも彼女は私を救おうとするから。だから私はいたたまれなくなって
しまうのだ。

「…でも、私は」

応えたのはそれきり。次の言葉が続かなくて、ごまかすように紅茶を彼女のほうへ押す。
ねえ、あなたは気がついていないでしょう。そんなにしてもらわなくたって、私はあなたにすでに色々
なものを貰っていること。同い年として、先輩として、仲間として。私に与えられるすべてを、
エイラさん、あなたはもう私に差し出してくれている。

あと一歩、足りないのは私の勇気。エイラさんだけじゃない、この部隊のみんなが私に注いでくれて
いる気遣いを、受け止めるだけの勇気。

ネウロイの来襲を告げるサイレンは一向に鳴り響いてくれない。それは時として基地中に轟音を響
かせて私の胸をつんざくから普段は全く期待なんてしていないのだけれど、今、この場をどうにか
するためになら私はそれが来て欲しいと願ってやまなかった。

予知するまでも無い。私は彼女のところに行くことは無いだろう。すでに抱えているものがあるのに
余裕ぶって、まだ抱えられるよと手を伸ばす彼女がやっぱり少しだけ憎い。そんなことをしていたら、
今あなたの部屋で眠っている子が拗ねますよ、なんていってもエイラさんは首を傾げるだけなのだろ
うけれども。

「私、お菓子作りも得意なんですよ、エイラさん」
「あー…そうなの?」
「そうですよー。お茶の時間のお菓子だって、手作りなんですから!」
「そうなのか。うん、あれもうまいな」

わざと強引に話題を変えたら、少し寂しそうな顔をした後にくくくと笑ってくれる。その優しさに
甘えきることが出来たらどんなに楽だろうかと思ったけれど、それは私のプライドが許さないだろう
と思う。

ねえいつか、私が一人前にネウロイを倒すことが出来たなら。
そうしたらまた、とっておきの紅茶と、美味しい美味しいお菓子を、あなたに振舞うから。

それまではどうか、渦巻くこの嫉妬だとか羨望だとか言う気持ちを許してください。あなたに頼る
わけには行かないと、意地を張ることを許してください。憧憬や思慕と一緒くたになって、あなたを
まっすぐ見ることも出来ないけれど。それも、どうか許してください。まだまだ卵の私を温めてくれ
ていること、きちんと気付いているから。

いつの日になるかはわからない、今ではまだ途方も無いそれだけれど。
この殻を懸命にノックし続けよう。そして、いつかは。

紅茶嫌いのその人が三杯目を所望する言葉をききながら、私は強く心に誓った。


おわり


関連:1078

コメントを書く・見る

戻る

ストライクウィッチーズ 百合SSまとめ