なきむし


 その頃わたしはどうしようもない泣き虫だった。
 朝となく、夜となく、人目もはばからず泣いてばかりいた。
 人間の体の3分の2は水分だと言うけれど、いったいわたしはそのどれだけ分を1日に流しているのだろう。
 きっと誰にも負けないに違いない。自信がある。こんな自信、あったって仕方がないのだけど。
 離れて暮らす家族のことを思い、迫り来るネウロイの脅威を思い、
 今は亡き人たちを思い、今も苦しんでいる人たちを思い、
 涙を流す理由には事欠かなかった。
 どれだけ流しても涙は枯れ尽きることはなく、次の日になればまた泣いていた。
 わたしにとって水分を摂取するというのは、それを涙に変えることなのだった。

 きれいな泣き方なんて出来なかった。
 ぼろぼろと涙をこぼし、ぐっしょりと顔中を濡らし、声を殺すなんて出来ずに、わんわんと泣き叫ぶ。
 滝のような、大雨のような、そういう泣き方だ。

 こんな自分、本当は好きじゃない。
 泣き虫は卒業したかった。
 ぐっとこらえて、平静でいるよう努めて、感情を押し殺して――
 軍人としての威厳だとか、ウィッチとしての使命だとか、ガリア人としての矜恃だとか、
 そういうものを無理矢理にでも自分に言い聞かせて――
 そうやって、なんとか泣かないようにして。
 それでもやっぱりわたしは泣いていた。

 ペリーヌさんはそんなわたしとは大違いだった。
 彼女が泣いているところを、わたしは見たことがない。
 どうして、ペリーヌさんはは泣かないのだろう?
 そのことがずっと不思議だった。
 悲しいことや辛いことがないはずないのに。
 きっとそれを悲しいとか辛いって、ちゃんと感じてるはずなのに。
 彼女の境遇を知っている。分かち合ってきた悲しみもある。
 それでも、わたしなら間違いなく泣いてしまうことを、ペリーヌさんは泣いたりなんかしない。
 どうして――?
 それはきっと、彼女は涙腺のない人だから。わりと本気でそう思っていた。
 だから、泣くなんてことはしない。
 だって彼女は誇り高いガリア貴族なのだから、そんな幼稚な行為とは無縁なんだ。
 そういうふうにわたしは思っていた。

 どうしてわたしたちはこんなに違うんだろう。
 そう思うと、なんだか自分がまた嫌になる。けれどそう思わずにはいられなかった。
 もっとも、わたしたちが違うのは、このことだけではないのだけれど。
 むしろ、全然違う。
 わたしとペリーヌさんが同じなのは、生まれた国と年齢くらいなものだ。
 階級も身分もウィッチとしての素質も違う。
 わたしの目に、彼女はどこまでも気高く、まぶしい。
 だからこのことだって当然のことなのかもしれない。
 それでも――
 あきらめてしまいたくはない。
 わたしだって少しは近づきたい。
 わたしもペリーヌさんのようになりたい。
 だから懸命に泣かないようにして、それでもやっぱりわたしは泣いていた。
 本当にどうしようもない泣き虫。
 そういう自分も、やっぱり好きじゃない。

 そうした日々の続いたある日のことだった。
 501統合戦闘航空団というこの間できた部隊に、わたしたちの部隊から1人、招聘されることになった。
 選ばれたのはペリーヌさんだった。
 妥当な人選だと思う。部隊のみんなも納得していた。
 ペリーヌさんならわたしたちの代表として、しっかり務めを果たしてくれるだろう。
 だから、胸を張って送り出せる。みんながそう思っていた。
 わたしだってそう思う。
 そう思おうとした。
 だけどそれは出来なかった。
 ペリーヌさんが行ってしまう。
 それは別に珍しいことではなく、悲しいことでもないのかもしれないけれど、
 わたしには耐えられない悲しみだった。
 ぐらぐらと揺らいだ。自分にあるものが全部、崩れていってしまうようだった。
 だってわたしたちは、一緒のチームなのだから。
 だからいつも一緒なのは当然のことと思っていた。
 チームのみんなで、祖国ガリアの奪還を誓い合った。
 だからずっと一緒なんだとそう思っていたかった。
 最近ではペリーヌさんの僚機として飛ぶようになって、少しは役に立てるようになってきたと思う。
 それなのに――
 わかっている。これはただの、わたしのわがままだ。
 行かないで、なんて言えるわけない。
 言ってどうなるものでもない。
 そんなの、一方的にわたしの気持ちを押しつけているだけだ。
 だからわたしは、なにも出来ない――

 送別のパーティーにも、わたしは顔を出せなかった。
 ペリーヌさんの顔を見ただけで、わたしは泣いてしまうだろうから。
 そんなところ、彼女には見せたくはない。
 自分の部屋に鍵をかけて閉じこもって、ベッドにうつ伏せに寝ころんで泣き、
 刻々と迫る別れの時を、そうやってわたしは無為に過ごした。
 心配して部屋の前まで来てくれた仲間の声も、わたしには届かなかった。
 あいつも寂しそうにしてるから、最後くらい会ってやったらどうだ。
 壁越しにそう言われた。
 ……本当にそうだろうか?
 ペリーヌさんはわたしのことなんて、なんとも思ってないかもしれない。
 いや、たぶん、そう。
 そう思うと、見送りなんて出来なかった。
 会ってしまえば、最後の最後まで、わたしは泣いてしまうだろう。
 なのに、ペリーヌさんは泣くことはないのだろう。
 それがくやしかった。

 ペリーヌさんはもう行ってしまっただろうか――
 行ってしまったんだろう。だって、もう出発の時間はとっくに過ぎている。
 ぼやけた時計の針を確認し、わたしはまた泣きたくなった。
 とうとう最後まで顔を合わせることは出来なかった。
 部屋の中は、しんと静かだ。
 わたしは泣き疲れて、おなかが空いてしまった。こういう時でも、空くものは空く。
 眠りに落ちるには、意識ははっきりしすぎている。
 食堂に行こう。そう思って、ベッドから重たい体をなんとか起こし、おぼつかない足取りでドアに向かった。
 ドアを開ける。部屋の中にため込んでいた空気とは違う空気が流れ込んでくる。
 わたしは部屋を一歩踏み出し――
「ずいぶん待たせてくれますのね」
 と、声がした。
 わたしは振り返った。でも見なくても、誰かはわかった。その声を忘れるはずない。
 バタン、とドアが閉じる。
 壁にもたれかかったペリーヌさんはその全身を表し、そして言った。
「ひさしぶり」

 行ってしまったんじゃなかったんですか……
 なのに、どうしてここにいるんですか……
「どうじで……?」
 声がうまく出てくれない。カッコわるい。
 泣くな、泣くな、泣くな、泣くな。
 強く思った。
 泣いちゃいけない。泣いちゃいけないんだ。
 なのに、みるみる視界がにじんでいく。
 どうしようもない。止まらない。泣かないなんて、できない。
「ちょっと忘れ物を取りに戻っただけですわ。今から行くところよ」
 ペリーヌさんはそう言うと、わたしに背を向け歩き出そうとする。
 わたしは彼女の手首をぐっと掴んでいた。
 えっと、えっと、えっと……
 いってらっしゃい。元気で。気をつけて。
 言わなければならない言葉があるはずなのに、口からそれが出てきてくれない。
「行がないで」
 その代わりに、嗚咽まじりにそう言ってしまった。

「そういうわけにもいかなくってね」
 ペリーヌさんは振り返り、手首に巻きつくわたしの指を一本一本ほどいていく。
 見苦しい。なんてこと言ってしまったんだろう。やっぱり会わない方がよかった。
 逃げ出したい気分だった。でも――
「ほら、いつまでも泣かないの」
 ペリーヌさんはそう言うと、行ってしまうのではなく、わたしの方へと一歩歩みより、
 わたしの頭の後ろに手を回すと、そっとわたしの顔を胸元に抱き抱えてくれた。
 その柔らかさも、ぬくもりも、わたしの体はたしかに覚えている。
 いつもそうしてくれたように、最後までわたしのことを慰めてくれる。
 もう、どうだっていい――
 わたしはその胸の中でまた泣いた。

「なにも、死にに行くわけじゃないんだから」
「はい……」
「あなたこそ、わたくしがいなくて大丈夫?」
「大丈夫……です……たぶん」
 そう答えると、ペリーヌさんは苦笑した。

 ひとしきり泣き終えると、ペリーヌさんはわたしの肩に手をやり、突き放した。
 泣きすぎて、目が痛い。まぶたがうまく開かない。
 なんとか瞳を見開こうとして――わたしはそれに、目を奪われた。
 ペリーヌさんの頬に、一筋の滴がつたっている。
「どうかしたの?」
「だっで……」
 どうして気づかなかったんだろう。そういえば会った時からそうだったのに。
 顔を赤く染めて、目も真っ赤で、ペリーヌさんだって泣いていたのだ。
「ペリーヌさんが、泣いてる」
「見ればわかるでしょ?」
「どうして?」
「そんなの、悲しいからに決まってるでしょう」
 その言葉に、とん、とわたしの胸につかえていたものが抜け落ちた。
 そうだ。なにも特別な人ではなかったんだ。
 悲しい時は泣く。わたしと同じ。そんなの当たり前のことだった。
 もしかしたら、わたしたちにそんなに違いはないのかもしれない。
 日常の隙間に時折見せる悲しそうな顔を、わたしはたしかに見ていたはずなのに。
 なのにどうして気づかなかったんだろう。
 ペリーヌさんの頬につたうそれは、年相応の、わたしと同い年の、そういう涙で。
「わたし、見たことない」
「ええ。だって、あなたがわたくしの代わりにいつも泣いてしまうんですもの」
 ペリーヌさんは微笑むと、さらにそう付け加えた。
「だったら、わたくしまで泣くわけにはいきませんものね」

「手紙、書きます。ペリーヌさんも書いてくれますか?」
「返事くらい、書くに決まってるでしょう」
「電話もします。声を聞かせてくれますか?」
「あんまり長電話はしませんけど」
「休みの日には会いに行ってもいいですか?」
「そんなに頻繁に来るんじゃなくってよ」
「ペリーヌさんも会いに来てくれますか?」
「暇で暇でどうしようもなかったらね」
 なんてこと言うんだろう。
 その言葉の一つ一つが、わたしにはあたたかかった。

 せめて見送りは玄関まで。
 そう言うと、ペリーヌさんは手をつないでくれた。
 半歩前をペリーヌさんは歩く。どんな顔をしているのか、わたしからは見えない。
 迎えの車に乗り込むと、ペリーヌさんは、またね、と言った。
 それじゃあ、また、とわたしは返した。
 そうして、ペリーヌさんは行ってしまった。
 小さく小さくなっていくペリーヌさんを乗せた自動車を、わたしはいつまでも見送っていた。

 そして、今のわたしもやっぱり泣き虫で、ことあるごとに泣いてばかりいる。
 でも、それでいいと思う。
 別に泣き虫でもいい。
 ペリーヌさんが泣けない分を、代わりにわたしが泣いてあげている。そう思うことにする。
 だけど、泣くのはわたし一人だけでいい。ペリーヌさんを泣かせたくはない。
 だったら、ペリーヌさんが泣いてしまうことのないように、
 せめて自分のことくらい、ちゃんと出来るようになろう。
 だからわたしは、強くなりたい、と思った。
 こんなことをペリーヌさんに言うと、なにを言っているのかしらと呆れられてしまうのだろうけれど、
 でもたしかに、わたしはそう思ったのだった。
 強くなりたい、と。
 あなたのことを守れるくらいに。

 きっと次にペリーヌさんに会った時、やっぱりわたしは泣いてしまうだろう。
 そうしてまた、彼女を困らせてしまうだろう。
 でも、また慰めてもらえるなら、それもいいかもしれない。
 だったら、わたしは泣いたっていい。
 だってそれは嬉し涙なのだから、それでいい。


コメントを書く・見る

戻る

ストライクウィッチーズ 百合SSまとめ