きみがおとなになるまえに


君が大人になるまえに、伝えておきたい言葉がある。
けどそれを伝えるのがはたして正しいのか、わたしはまだ図りかねているんだ。

陽だまりの眠り姫は今日もすやすや、すやすや。とても穏やかな眠りに就いていて、その和やかな
光景にわたしはつい口許を緩ませてしまうのが常だった。だって気まぐれなお姫さまはきっと、目を
覚ましたらそんなわたしをみて小さくてけれども良く動く口を鋭く尖らせるのだろう。だからこれは、
この子が目を覚ますまで許された魔法の時間。

目を少し離すだけですぐにどこかへと消えてしまうお転婆なアリスを、探すわたしは時計などもって
いないただのさみしがり。これみよがしに穴の中に飛び込んでみても彼女が追ってきてくれるはずも
ないから、しかたなしに自分から会いに行く。かろうじてあくせくすることに思いとどまって、余裕
を貼りつけて基地中を放浪するのだ。そんな彼女との追いかけっこは宝探しにも似ている。だって
ほら、見つけ出したその瞬間から、喜びが胸に満ち溢れるのだから。いつも近くにいる気がするのに、
彼女はさっぱりつかめない。そうしてわたしは心の扉が開かれて、そのたびにいつも新しいことに気づ
かされて、奇妙な気持ちで相対するはめになる。

今日の彼女は陽だまりに丸くなっていたから、わたしも苦もなくその傍らにゆくことができた。危ない
ところに眠っていたらつい声を掛けてしまっていたかも知れないから、これはとても好都合だ。

つい手を伸ばして額をなでる。くすぐったそうに身をよじらせる姿さえいとおしい。こんなに子供で、
無防備なこの子はいつのまにかすっかりとすれてしまったわたしの心にまるで彼女の愛用するブラン
ケットのような柔らかな肌ざわりで肉薄する。ささくれた心はそんな柔らかさにさえ多少の痛みを
もたらすけれど、知らず知らずのうちに包み込まれている感覚は一度味わうと抜け出せない。つまり
は、幸福ってやつで。

まーま。呟くのは母親への呼びかけ。いまここにはいない、けれども彼女の焦がれてやまない、
そんな絶対のひと。はあ、とどうしてかため息をつく。なんでかな、そんなかたちで求められるの
だって、かつては充分に幸福だったはずなのに。なぜだか最近は、心にコトリと小石が落ちたかの
ような感覚に陥るのだった。

んん、という声とともに、褐色の強い肌色の手が額の上にあるわたしの手のところにのびた。ちい
さなちいさな手のひらが、おおきめなわたしのそれを包み込む。見守って"あげて"いるのはわたし
のほうなのに、なぜか安心してしまう。わたしのほうがきっと、よっぽど救われているのだ。

ねえ、ねえ、ねえ、ねえ。
伝えたい気持ちがとうとうと溢れ出てきて止まらない。できることならいますぐに、君が子供でいる
うちに、全てを伝えたくてたまらない。だって君が大人になって、今よりずっと高い視点で世界を
見つめる日がきたら。きっとすぐ近くで小さくなっている寂しがりのうさぎなんて目に入らなく
なってしまうだろう。アリスは大人になってもなお、うさぎを追ったりするだろうか。文学なんて
カケラも興味なかったわたしは、その物語の結末さえ知らない。でもきっと、わたしのアリスは
それをしてくれないと思うんだ。してくれない、なんていうのは彼女に失礼かな。だってわたしは
その子のそんなところだって、愛しく思っているんだから。

ねえ、大人になったって、きっとわたしを見つめていてよ。もしかしてわたしを追い越して、わたし
が見上げるまでになってしまっても、どうかわたしを見つけてよ。しゃかりきになって走っていた
わたしの視界に、不意に表れた気まぐれな眠り姫。きみの存在でどれだけわたしがたくさんの価値
あるものに気づけたか、きっと君は理解さえ出来ない。そんな君の爛漫さにだって、ほら、顔が
緩んでしまうわたしがいる。

恭しく手をとって、まごついた手取りで口許にやる。唇でその手の甲の温かさを感じたら、なんだか
ひどく泣きたくなった。早く大きくなれるといいね。でもどうかすぐには大人にならないで。相反
する気持ちで胸が一杯だ。どうしたらいいのかわからないんだ。早く目を覚ましてそんな悩み全部
吹き飛ばして欲しい。けど穏やかで健やかな眠りを、阻みたくはない。ああ、やっぱりむずかしい。

「ん…しゃありぃ…?」

そんな風に思考ばかりをぐるぐる回していたら、少し掠れた声色で、そんな音が耳に届いた。ぴくり、
と耳を震わせて、慌てて繕いの笑みを浮かべる。

ああ、おはようルッキーニ。起こしちゃった?ごめんよ?

寝ぼけた様子で起き上がって、傍らに座っていたわたしの膝の上に上がり込んで、胸にぼふりと顔を
うずめるルッキーニ。わたしの考えてることなんて何にも知らない、甘えきったその立振る舞いに
ホッとすると同時にいつも惑わされている。
伝えたい、伝えたいと思っていた気持ちが霧散して、慈しみと仮染めの親心ばかりにすりかわった。
やっぱり伝えるのには早すぎるのだと、頭が警鐘を鳴らすから。

「しゃーりー、あかちゃんみたい。」

心持ち、うなだれているていでいたわたしに、ふと降りかかる優しい言葉と陽光が遮られる感覚。
反射的に頭をあげると、わたしよりもちいさな彼女の顔が、見上げるくらいの位置にあった。いつの
まに、とうろたえる暇もなく額に温かくて柔らかい感触。うええ?つい間抜けな声を出してしまった。
そうしている間にほほ、目じり。感触がそこかしこに増えていって余韻を残しては去ってゆく。

「ないてもいいよ。」

耳をくすぐる甘いことば。わたしを甘やかすそのひびき。
あれ?どうして?いつのまにか涙が流れてる。ぺろり、と小さく舌を出して、彼女の唇が私の涙を
優しく拭ってゆくのだ。

「だいすきだよ、しゃーりー。ずっと、ずっと。」

ねえ、大人になってしまっても、きっとわたしを好きでいて。わたし、きみがすきなんだ。

いつも喉まででかかって、言えないでいるその言葉。こんなにもわたしがためらっている言葉なのに、
なんで君はそんなたやすく答えばかりをくれるだろう。君がまだ、こどもだから?

尋ねる代わりにぎゅうとだきしめたら、ころころと笑うかと思われたのに黙りこくられてしまった。
もしかしたらそれが、幼くて大人びた彼女の答えなのかもしれなかった。



コメントを書く・見る

戻る

ストライクウィッチーズ 百合SSまとめ