Love Love Nightmare ジュゼッピーナ編
煙草が全て無くなった。基地に備蓄されていたコーヒー豆も、全て使ってしまった。
いや、煙草に関しては語弊がある。全て、所持していた。二カートン分くらいはあるだろうか。ポケットのどれもが膨れあがっていて、重い。
「こんなに要らなかったか……」
整備士達の分も拝借したものであるから、実は結構"黒い"煙草だった。
そして、右手側には巨大な魔法瓶が三本立ち並んでいる。1ガロンはあるはずだ。キャサリンなら1.2ガロンねー! と反論されそうではある。悪いがお国柄なんだ。
「ふ、ふふふ……」
断続的で不敵な笑声が皆が寝静まった部屋に流れた。蝋燭で淡く照らされた私の顔はさぞ怪しく、不気味だろう。凶悪でもあるか。
ランプでは他に迷惑がかかる。図太い蝋燭を選んだのは正解だと思った。火を見ていても飽きることはないだろうし、一石二鳥か。
どうしても眠く、私が負けそうになったなら、その熱く滾るマグマのような刺激を自ら享受すれば良いだけだ。
マゾい。ひどくマゾい戦いじゃないか、ふふははは……!!
木製の、司令部に設置されているような一人用の仕事机の前、背凭れの高い同じく木製の椅子に、私はかけていた。
――三時間ほど前から。
馬鹿らしいと思われるだろうが、これはもはや戦争だ。人間の三大欲求である睡眠欲。最強と思われるネウロイに、私は単機決戦を挑んでいるのだ。
「獏も、眠らなければ餌を食べられないだろう……はは」
ここ数日の寝不足もあり、深夜に至ってもはや私は理性を保てていない。独り言の度に奇人のような笑い声が口から出て、気が触れたように頭を振り回す。髪が乱れるのも気にせずにカップからコーヒーを胃に流し込み続ける。
ブラックの明らかな飲み過ぎで胃が荒れ、吐き気がひどい。だが、耐えるのみだ。こんなもの、現実の戦場に比べれば負傷でも撃墜でもないのだから。
首まである背凭れの固い木の角に、後頭部を打ち付けた。
衝撃で自身共々転倒しそうになってしまったが、持ち直した。
微かに焦ったおかげでネウロイの襲撃を一時的に抑え込んだようだった。
「ひひ……ざまあみろ、狼と言われた私が、負けるわけ…………」
ゴン。
「ぃ」
机に額が激突していた。なにこれねむい。ダメだ。強すぎる。なんだこいつ。
ならば、最終手段しかあるまい?
幻覚のように私を応援してくれている観客に向かって手を振り、目線を机上に立つソレに向けた。
燭台に固定され、煌々と熱エネルギーを発し続けている、立派な……。
「あぁ……イけそうだ…………」
頂上のカルデラ湖には、今にも流れ出しそうなほど逼迫している蝋がある。手の震えで数滴が流れ落ちたが、まだ寒気の厳しいスオムスでは持つ手に到達する前に固まってしまった。
「……私に、その熱いのを……一杯注いでくれ…………ふふ」
左手を机に、蝋燭をその上で傾けていく。
新鮮な卵の黄身が裂け中身が広がるように蝋が溢れ、私の前腕に掛かった。
ほんの一瞬、肉の焼けるような音がしたかと思うと、痛覚が過敏に反応し、悲鳴にも似た声が口をついて出てきた。
「んっはぁっ!!」
白い蝋燭だ。高温の蝋は刺激が予想より強かった。
瞬時に固まった蝋だが、それが張り付いた部分からは未だに刺激が送られているようだ。しばらくその熱さに身を震わせて、天井を仰いで、耐えた。目尻には涙が溜っていた。
「っく、は……はあ…………」
軽い火傷を負ったような疼痛があったが、爪で蝋を剥ぎ取って、小さな暖炉に焼べ入れた。
「……も一回…………」
自分にもどういう心境でそう思ったのか分からない。ネウロイは抑え込んだのにも関わらず、まるで極上の食事を目の前にした時に伸びるフォークのように、右手が傾いでいった。
今度は、一カ所ではなく、手首から肘にかけて連続して垂らした。
「んん―――――! かはっ!!」
心なしか、頬が熱い。おかしいな、さっきまで寒かったのに……。両足もあまり寒くないからもう擦り合せる必要も、無いのだが……、何かむずむずして結局もじもじとしてしまう。
「熱い……。すごいよ…………」
恍惚とした目線を火に焼べた。その火が何だか魅力的に揺れたので、私はまた逆らえない何かに突き動かされ、頭を左手で可能な限り引き寄せ、右側の首筋を顕わにした。
髪につかないように払う。視線の外のことだ、服にも気を付けなければ。
「くぅううううん!!」
腕に垂らしたことで蝋は少なくなっていたため、残る有りっ丈を首に流した。
体中が打ち震え、あまりの"快感"に蝋燭を取り落としそうになった。
「はあ……はあ、はぁ……」
湖が涸れてしまったことにひどく落ち込んだ私は直ちに左手に張り付いた蝋を落して、溶けるのを待った。
途中で首筋の蝋も投入したので、初期値と謙遜無い量へと戻った。
さあ、第二ラウンドを始めよう。そう思って右手を動かしたのと同時。
ぱし、と何者かに蝋燭を取り上げられた。
「なっ」
振り向こうとした私の頭を強引に押し返し、その誰かは私の首筋に溜っていた全てを流した。
「―――――ッ!!」
もう声にならなかった。電流でも受けたかのように飛び上がり、椅子から転落し、床に臥すことしかできない。
「ぁ……ぐ――ぅ」
痙攣する体を早く持ち直そうと暴れるのだが、どうも力が入らない。真っ白の思考の隅の方に微かに割り込んだある事実。両足の間、まるで粗相をしてしまったかのように、濡れそぼっている、触感。
力が全く入らなかった。正真正銘初めてのいい知れない感覚を、正体不明の誰かに与えられた事実が、恐怖を煽った。
蝋燭の火は消されたらしく、暗闇では私にこんなことをした人物を判別出来なかった。
何とか仰向けになった途端、それを見計らったかのごとく人物は私の上にのしかかってきた。
「く、くるな……!」
無言で、振り回す両手を制された。マウントポジションではないが、腹部に相手の重量を感じる。
そこで私は何故か、出てきた名前を口に出してしまった。
「と……ともこっ……!?」
「違うわ。貴方に言わせれば、パスタよ」
え……?
パスタ……。ジュゼッピーナ准尉……どうして。
相手の正体が知れて、体の力が良い意味で抜けた頃、ジュゼッピーナはマッチで再び蝋燭に火をともし、机の燭台に戻した。橙色の明かりに照らされて、彼女の褐色の肌、顔が確認出来た。
「少し強引だったけど、話がしたいのよ」
「はなし……?」
惚けたように見えたのか、ジュゼッピーナは短く溜息を吐き出した後に言い放った。
「私が、貴方を助けてあげる」
「ウルスラみたいなことを言うんだな……」
「ええ。きっと彼女も私と同じ気持ちで同じ事を言ったんだと思うわよ?」
「……」
ぴしゃりと言われ、言葉を失った。
「私が今から、貴方のしている勘違いを全て正してあげるわ」
「け、結構だ……!」
「本当に?」
「それは……」
「……ここに来る前は、孤独な狼だったと聞いてるわ。そんなんじゃ、恋なんて浮ついたことも一切考えていなかったでしょう?
もしかして、恋なんて軟弱な、とか考えてる? だとしたら馬鹿よあなた」
「……」
当たっていた。揶揄されてお前は扶桑のナデシコみたいだな、と言われることもあった。当時は聞き流したが、今になって、思い出した。
「潔癖症にも程があるわ。それに、かつて自分の顔をまじまじと見たことがある? 自身の体の機微を察知出来るほど、そういう観察眼を鍛えてはいないでしょう?
最近の貴方、周りから見ればひどい病気なんじゃないかと思うほどやつれてるのよ。気付いてた?」
ポケットのハンドミラーを思い起こした。確かに……クマが濃くなっているとは思っていたが。そんなに、ひどいことになっているのか? 私には分からなかった。
「なんでそんなことまで言われなきゃならないんだ……!」
「じゃあ逆に聞くけれど、さっき咄嗟に智子中尉の名前が出たわよね。どう説明するの? ……気付いちゃったのよね、智子中尉の魅力に」
「そんなことは……!」
言い返せない自分に、愧赧(きたん)した。
果たして、理由はそれだけだろうか。
「何度も言うけど、貴方が気付いていないだけ。社交性に問題がある貴方には到底分からなかったでしょうけど。
……例えばキャサリン。急に貴方に対して積極的なコミュニケーションを取るようになった理由は、貴方に元気が無いと見抜いていたからよ」
彼女らしいわね、とジュゼッピーナは私の上から声を続けた。
「例えばウルスラ。彼女はあらん限り、自分が読破してきた本の知識で、貴方を楽にしてあげようとしてたじゃない。彼女、そういう偏見とか無いからね。……まあ、少し強引だったかも知れないけれど」
何も、言い返せない。口は開くのだが、声が、出なかった。
ジュゼッピーナの言い分は全く正しい。私は違う解釈ばかりしていた。誰も彼も変態なのだと決めつけて強引に断ってきた。その意志とは裏腹に夜には夢で乱された。
「逆に、私からすれば解決法が見えたから、彼女には感謝したいわね」
独白のような声の意味を咄嗟に理解しかねて、首を傾げてしまう。その無言の内にジュゼッピーナは追い打ちをかけるように言葉を紡いだ。
「そして、エルマ中尉。彼女、雪女に相談するほどあなたのことを考えて、心配していたのよ。貴方はこれっぽっちも知らないでしょうけど」
「……」
痛みでなく、感情による涙が、瞳に溜るのが分かった。歯を強く噛んで、悔やむ。
どうして気付かなかったのか。皆には、感謝をしてもし足りないではないか……。
「分かった? 貴方が、皆に心配をかけていたこと。そしてその原因は、まさしく、人を好きになるという感情。だけどあなたは、その感情にまだ気付いていない。抑えきれていない。素直になれていない」
ジュゼッピーナは遠慮せずに、私を諭すかのように、説教を続けた。
「女として、女を好きになるのは悪い事じゃないわ。それを、あなたに教えてあげるわ。……智子中尉以外は手を出さないつもりだったけれど、今夜だけは特別よ」
「え……?」
「一肌脱いであげるってことよ。ウルスラから聞いた話だと、貴方は智子中尉と同じく、ひどく流されやすいマゾっ子みたいだから、私に、全て任せてみなさいな」
服の留め具が手際よく外されて、いきなり肌が寒気に触れた。
「寒い? 少し経てば熱くて仕方が無くなるわよ」
「……?」
「さっき私が蝋を垂らしたとき、頭の中は真っ白で、全身が痙攣しつつも力が入らなかった?」
こくこく、と涙目で大人しく頷くと、彼女は顔を近づけて、耳元で囁いた。
「それが絶頂、っていうのよ。今の貴方を満足させるには、何回"撃墜"すればいいのかしら」
「あれが……ぜっ…………」
言えなかった。赤面して、どうしようもない羞恥の心が言葉を止めた。
ジュゼッピーナは舐めた指を衒わせて、私に見せつけた。
「まあ……こうする必要は無いかも知れないけれどね」
下腹部をまさぐる手で何かを感じたのか、彼女は笑った。
ズボンが下げられて、濡れそぼった肌はひどく冷気に晒される。……かと思いきや。
「ぇ、……寒くない……?」
「でしょうね。イったばかりだとしばらくこっちの熱は冷めないわよ」
言い終わると、くちゅ、とした感触があり、それと同時に、私の体は仰け反って、口からは情けない悲鳴が漏れたのだった。
「欲求不満もココまで来ると、最高の媚薬ね」
長い夜が始まる、と直感した。
――
翌朝私は、ジュゼッピーナにマフラーを引っ張られながら、廊下を強引に連れて行かれていた。
昨夜のジュゼッピーナが垂らした蝋燭で火傷が判明したため、これを巻きなさいと言われ巻いていたものだが、こんな、リードみたいな使い方をしなくても――!
色は薄いピンクで、私には合わないし!
「心配しなくても良いわよ似合ってるから。ほら、早くしないと朝食に皆が起きてくるわよ」
「な、何……どこに連れて行く気だ!」
「作戦会議よ。事情は把握したから」
昨夜の光景が蘇る。何度も何度も。繰り返した。……私は、彼女のおかげで一皮剥けたわけだった。
そんな中彼女が最後に私にした質問。
『誰のことが好きなの?』
一瞬だけジュゼッピーナ、と答えそうになった私が怖い。良いように調教されてしまっていたようだが、何とか私ははにかみながら智子、と答えたのだった。
というか、今の状況を誰かが見れば、完全な主従関係が出来ているように思うだろう。私はもはや犬なのかもしれなかった。
「実際、私とハルカはまだどっちも智子中尉の気持ちはゲット出来てないのよ。分かるわよね?」
頷く。
「だから、もし仮にあなたが智子中尉に告白してOKされたら私達はもう手を出せない。これも分かるわよね?」
「うん」と頷く。
頭を撫でられて、そこはかとなく良い気分になってしまった。
「わ、私は犬じゃないぞ……」
「そう?」
「……」
何故だ、何故言い返せない……!
くぅ……。屈辱にも程があった。
心とは裏腹にそっぽを向くだけで手を払い除けることもしない私。
「ま、失敗しても成功しても私が智子中尉を好きなのは変わらないから、精々奪われないように頑張ってね」
「成功するかどうかは……私次第というわけだろ?」
「そうね」
突如不安に駆られた私に、声が掛けられる。
「私はともかく、扶桑海軍のあの子は絶対に諦めないでしょうね。ふふふ」
ああ、ハルカは強敵であり宿敵となるのか……。先が暗い。
とりあえず、と続けるジュゼッピーナ。
「貴方が一度告白するまではハルカを食い止めておくわ。それも早い内にしないと、私がストライキするかも」
「分かった……」
驚くことに、昨晩は淫夢を見なかった。
代わりに見た夢は、智子と一緒に空を飛ぶ夢だ。手を繋いで、二人で踊るように空を駆け、協力した攻撃でネウロイを撃破。とても甘く心地よい夢だった。
「それにしても……、七回、だったかしら?」
「え?」
突然の話題転換について行けずに反射的に聞き返してしまった。
「昨夜」
「へ!? し、知るか! そんなこと!!」
「八回? それとも私が数え切れなかっただけでもっともっと高みに登ってた? んん?」
顎先を指で撫でられて、不覚にも背筋が震え、反射的に目が閉じて、ピンと直立し固まってしまった。
「? ……おすわり」
「はい」
咄嗟に片膝ついて姿勢を低く取る。中々の反応速度だっただろう? と自信に満ちた視線をジュゼッピーナに見上げる形で送って、気付いた。
「ぅああ……なんてことだ…………」
激しい自己嫌悪だった。幾ら何でも今のは無い。先程の姿勢から流れるように両膝を床に。両手で顔を覆って泣きたくなった。
「流石に私から見てもテンション高いわね……」
「うぅ……」
「ま、元気が出たようで、私も嬉しいけど。もう、大丈夫よね?」
「ん、ああ。……その、ありがとう」
短くお礼を告げると、ジュゼッピーナはそっぽを向いて照れ臭そうに、いいのよ、とだけ言った。
「ちなみに……、昨晩は……十…………二回……だ」
「え、そんなに?」
「ああ……数えられたのは、それだけ……。もしかしたら……もっと、かも」
ああいう行為は疲れるものだと思っていたが、不思議なことに今の私は活力に満ちているようだ。本当に、ごっそりと憑き物が落ちたらしい。
「この恩は、返せるかどうか、分からない」
「いいわよ別に。仲良く出来ればそれで結構だわ」
「本当に……?」
心配になって、少し下から訊ねた。
「え、ええ」
何故か動揺しているらしく頬が赤いジュゼッピーナは、目尻を吊り上げて、乱暴に言い放った。
「とにかく! 今日中には智子中尉に告白してみて。でないとストライキするから!」
「分かった」
廊下の向こうが騒がしくなったのを聞き取ったので、短く答えた。
「ハルカのことは気にしなくて良いから、智子中尉を呼び出すなり自由にね」
「ああ」
「それじゃ、In bocca al lupo!」
「……ロマーニャ語は分からん…………」
「頑張って、ってことよ」
肩を叩かれ、私は歩き出した。
ネウロイに洗脳され、一時期は敵だったジュゼッピーナ。だが本来の彼女は、陽気でロマーニャ人らしい性格で、隊の全員をしっかりと観察していた。
私に関しては沈黙を守りつつ、私のせいで隊全体の雰囲気が落ち込んでしまって崩壊するその直前に、彼女は動いたというわけだ。
私とは反対方向に廊下を去った彼女を確認して、私は呟いた。
「やはり、この隊じゃないとダメだな」
昨夜、子守歌のように聞かされた、雑学。
ウィッチ達の関係の結束が、文字通り強い部隊は、この大戦時代の中、多くの戦果を上げつつ、戦死者があまり出ないのだという。
"愛する者"が外部にいるか内部にいるかの違いだけなのだが、そこには大きな差異があるのだという。
"愛する者を守ろうとするからこそ強いのだ"、と。
お互いがお互いをカバーし、二人が二人を想い合って戦うからこそ、最高の連携と最大の防衛、攻撃が可能なのだということ。
そういう意味では、アホネンの部隊もかなり強いということになる。
なら、自分達もそういう部隊に、なれるのだろうか……。
少なくとも、私はこの後どうなろうと、智子だけは護る。それはジュゼッピーナも、あのハルカも同じだろう。
いや、初めて私を認めてくれた部隊全員のため、戦い抜いてみせる。絶対に、失うわけにはいかない仲間だから。