スオムス1946 ピアノのある喫茶店の風景 晩夏のハミング
サーニャと、ついでに宮藤の誕生日から数日の後。
8月もそろそろ終わり、それはスオムスの短い夏の終わり。
カレリアの空気はいつの間にか秋のそれに変わって、夜などは肌寒いほどになる。
今日の昼間は忙しかった。
夏が終われば、秋なんて一瞬で過ぎ去って長い長い冬が訪れる。
そうなれば深い雪に閉ざされて復興作業も何も全て中断して、春の雪解けを待たなきゃいけない。
だから、みんな急ぐ。
急ぐから、こんな辺鄙な所にある喫茶店が繁盛する。
そんな喫茶ハカリスティの、本日の営業は終了だ。
「ありがとうございましたー」「ありがとうございました」
最後のお客さんを二人で見送って、人心地つく。
今日は忙しかったなー。
こんな日に限って……、
「今日、ニパさんいないのちょっときつかったね」
サーニャがちょっと疲れた、それでいて満足げな表情で呟く。
そうなのだ、サーニャの言葉通りニパの奴は今日は別の用事でお休みだったんだ。
「でもさ、二人で頑張れたな」
「うん」
わたしの言葉に嬉しそうに頷くサーニャ。
何だか誕生日からこっち絶好調って感じなんだよな。サーニャが笑顔だとわたしも嬉しいから、だから二人とも絶好調。
きっと今だったらどんなネウロイが現われても二人で手を取り合えば倒せちゃうぞ。
「サウナ、用意してくるね」
「あ、それだったらわたしが」
「じゃあ水浴び場のお掃除するね」
ちょっとした作業の取り合い譲り合いもいつもの事。
そうやってお互い声を掛け合うという行為自体が楽しい。
ニコニコしながらちゃちゃっとサウナの準備を終わらせてサーニャの様子を見に行くと、掃除の方ももう終わったみたいだった。
空はだいぶ暗くなってる。
そろそろこの時間のサウナにも明かりが必要かな。
「ニパさんいないの、久しぶりだね」
二人、脱衣所で服を脱ぎながら呟くサーニャ。
「ああ、そうだな」
相槌を打ってからついうっかり二人きりと意識してしまい、何だか緊張する。
そういえばそうなのだ。
最近ずっとニパがいたんだ。
それでアイツが何かと色んなことに絡んだりまぜっかえしたりするせいで、ここでサーニャと二人で住んでるんだって事を何となく忘れがちになってたんだよな。
それを、今意識してしまった。
意識したついでにこの前の誕生日に久しぶりにあったせいで、宮藤の言葉を思い出してしまう。
『サーニャちゃんって肌白いよねー』
そうなんだよな。
凄く、白い。
わたしもこっちの人間だから白くはあるんだけど、ほら、サーニャの場合は日に焼けてもいないせいで白さが際立つんだよな。
うん、こうして見ると本当に白い。
特にサウナのときは髪をアップにしてタオルでまとめてるせいで普段お目にかかれない首筋からうなじにかけてのラインが……こう……。
「どうしたの? エイラ」
無意識に「そんな目」で見ながらサウナの熱気の中に心の絵を描いているうちに、気がつくとエメラルドグリーンの瞳が目の前にあった。
「うわわわっ! ななななんでもないぞっ! なにもみてないぞっ!」
思わずお尻を30cmくらいスライドさせ、手をバタバタさせてやましい事は無いとアピール。
「ふふ、変なエイラ」
よし、笑顔で流してくれたからきっと大丈夫。
サーニャは優しいし心が広いからわたしのちょっとした奇行くらいは軽くスルーしてくれるもんな。
「ねぇ、エイラ。そういえば、伸ばし伸ばしになっていた日課、あったよね……」
ひどく真面目で、それでいて緊張した中に微かな恥じらいを含んだ表情。
「え? 日課?」
「うん、その、初日に失敗しちゃって、そのあとはニパさんも一緒だったから何となくやりにくくて、その……『ニッカがいて日課ができない』とか……あはは、は……はは…………ごめんなさい」
えと、サーニャが面白い事を言った気がする。
扶桑語も交えたハイレベルな奴だ。
「い、いや、謝る事は無いと思うぞ、うん。今のはなかなかハイレベルだった、と思う。面白かったぞ」
「いいのエイラ。緊張して思わず言っちゃっただけだから、その……恥ずかしい。……冗談って難しいね」
フォローというかなんというか、まぁきっとアレだ。
わたし的には難しいがきっと扶桑でなら通用すると思う。
多分宮藤とか坂本少佐辺りには受けを取れそうな気がするな。多分。
まぁでも言った事を後悔して沈み込みつつあるっぽいサーニャをフォローするのもわたしの役目だ。
「別に無理をする事は無いんだぞ。サーニャにはサーニャのやり方があるだろ。そうだ、所で日課って何だっけ?」
そしてさりげなく話題の方向も修正する。完璧だな、わたし。
「え……、それは、あの……お互いに、お互いの、その…………を、…………で、おおきくするって……」
しかしサーニャはさっき以上に何だかいいにくそうな様子。というか、小さくて聞き取れないほどの声で喋るサーニャは久しぶりに見た気がするな。
「どうしたんだよサーニャ。今は二人きりだから、恥ずかしがる事ないぞ。だからもっと大きな声で言ってくれよ」
「う、うん」
すうっと深呼吸してから、一言。
「お互いにっ、おっぱいをもみ合って……大きくしましょ!」
ゑ?
「え、ええと……ゴメンサーニャ。どうやら聞き間違えたみたいだからもう一度……」
言ってくれないかと言葉を続ける事はできなかった。
だってサーニャはその白かった顔を真っ赤して目線をそらして、恥ずかしい、とか呟いているんだ。
そうだよ、サーニャは本気なんだ。
元はといえばわたしの行動が不甲斐ないばっかりにすることになった日課で、その日課をこなせなくなった原因だってわたしにあるわけだから、ここは私がリードするしかないだろ!
わたしだっていつまでもヘタレじゃないんだからな。
「サーニャ!」
「は、はいっ」
「一つ提案があるんだ」
「うん」
「ホラ、この間はさ、緊張してのぼせちゃったじゃないか」
「う、うんそうだよね。ニパさんが様子見に来てくれなかったら、危なかったかも」
「だろ。だからとりあえず、それはサウナを出てからにしよう」
「そ、そうね……それじゃあ」
頷いて立ち上がり、私に向けて手を伸ばすサーニャ。
それはお姫様抱っこのサインだから、私も立ち上がってすっと右手をその手に回す。
サーニャは右手で、私は左手で互いに自分の身を覆っていたタオルを取り、床へと落す。
互いに髪をまとめるタオル以外は生まれたままの姿。
サーニャの伸ばされた手は私の首へと大きく回され、その羽のように軽い身体を一旦私の右腕でへと預ける。
刹那の体重移動の中で左手を太ももの下から回し、膝下で固定してから持ち上げる。
この瞬間二人の日課であるお姫様抱っこが完成する。
大分慣れはしたんだけれど、ニパのからかいの声がないと却って抱き上げたサーニャの存在感を意識しすぎてしまって緊張する。
身体が密着してるから、ドキドキが隠せない。
どれくらい隠せないって……そりゃあサーニャのドキドキが伝わってくるくらいに隠せてないんだ。
でも、二人ともドキドキなら多分、きっと、大丈夫。
ぱしゃ。
小さな水音を立てて、半ば露天の水浴び場、その水の中へと足を踏み入れる。
ひんやりした外の空気に包まれていても、その大気を受けて少し冷たい水にもこの身体のほてりが収まらない。
だから、少しでも身体を冷やす為に、冷静になるために、わたしを冷静じゃなくさせるサーニャをお姫様抱っこしたままその水の中へと歩を進める。
「ひゃ」
わたしが腰をかがめると、サーニャは足先とお尻から水面へと降りる事になる。
その一瞬の冷えた感触に可愛らしい声を上げながら少しだけ顔をしかめるサーニャ。
「大丈夫か?」
「うん」
お互いの言葉まで含めていつものやり取りだ。
ここで、やる。
この水の中ならきっと前みたいな失敗なんてしない。きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、椅子代わりになっている水の中の石へと腰を降ろし、サーニャの身体をわたしの右へとおろす。
「こ、ここでさ、少し身体を冷やしてからならきっと大丈夫だと思うんだ」
「う、うん、そうだね、エイラ」
ぎごち無い会話。
うう、大丈夫だとか言いながら全然大丈夫じゃないぞ。
「え、えと、前は背中からやろうとしてうまくいかなくて、正面からお互い同時に……って所で完全にのぼせちゃったんだよね」
「そ、そうだな」
わたしも丁度考えてた事を、サーニャが口にする。
ううううう、何だかさらにドキドキが加速した気がするぞ。
「どう……する?」
サ、サーニャがわたしの言葉を求めてる。サーニャもきっと緊張してるから年長者であるわたしに答を求めてるんだよな。うん、きっとそうだ。
保護者として責任ある回答をしなくてはっ!
「み、見詰め合ってると変に緊張してしまわないか?」
うぐ、どもった上にはじめの「み」が裏返った……。
「そ、そうね、緊張しちゃう」
「だろ、でも、公平にはやりたいから……お互いに向かい合って、目を閉じてするって言うのでどうだろ?」
「う、うん……じゃあ、そうしましょ」
「おう」
お互いに同意し、向かい合って立つ。
「…………」
「…………」
見詰め合う事暫く……やがてどちらとも無く目線を逸らし、
「ま、まだちょっと冷却が足りないかもしれない」
「そ、そうよね、もうちょっと身体を冷やしてからじゃないと……まだ、熱過ぎるよね」
そんな事を呟いて一度肩まで水に浸かり、やや間を置いてから一旦水に潜って、顔を水につけたままちょっと浮いてみる。
ちらりとサーニャの方を見ると椅子代わりにしてる水の中の石の上で膝を抱えた姿勢で顔の下半分を水面に沈め、わたしを見ていた。
視線の一致したタイミングが余りにもピッタリだったんで何だか気恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまう。
暫くの間そのままでいて、ちょっと呼吸が苦しくなった所で今度は姿勢を仰向けにして浮かぶ。
瞳を閉じて、大きく深呼吸。
心を静かにしたくて、ぼんやりと空を眺めた。
綺麗な空だった。
西の空はまだ明るくて、でも東の空には仄かに星が瞬いて、藍と紫からオレンジと赤の微妙なグラデーションを描いたまま静止する空。
なんとなく、サーニャの感謝のピアノが聞こえた気がした。
それは幻聴じゃなくて、空を見上げたサーニャの奏でるハミングだった。
綺麗な空だよな。
そう言葉にしようと思って、やめた。だって、サーニャのうたを邪魔したくなかったから。
代わりに、海月のように浮かんだままサーニャを見た。
また、視線が合った。
今度は逸らさずに、微笑む事ができた。
サーニャも微笑んだ。
もうそれで十分だった。
わたしが口に出来なかった言葉も、それで通じてるって思えた。
視線を、もう一度空へ。
身体が冷えてドキドキも収まったけど、もう暫くこうしていたくて、ただ、サーニャのハミングへと耳を傾けながら空を見つめていた。
「くしゅん」
そんな幸せな時間を中断させたのはサーニャのくしゃみだった。
「わ、大丈夫か? サー……に、へ、へ、へっくし!」
「え、エイラこそ大丈夫? くしゅん」
「ううっ、身体冷やしすぎたかな?」
「そ、そうかも……」
くしゃみを繰り返し、鼻を啜りながら提案。
「と、とりあえず一旦サウナにもどろっか?」
「うん、そうしましょ」
…………。
だが、とき既に遅し。
すっかり身体を冷やしてしまった結果、結局そのまま二人して仲良く夏風邪で寝込んじゃって、次の日に元気良く登場したニパを困惑させ、助っ人を呼んで喫茶ハカリスティを回す事になるんだけど、それはまた別のお話。
ちなみに日課に関しては、なんかそのままうやむやに……。