相対するもの


 ―――雨が、降っている。


 どこか、さみしさをはらんで。




 ―――――雨が、降っている。




 ミーティングルームの窓から、外をぼんやりと眺める。こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。誰か話し相手が
いてくれればそれもだいぶ緩和できるのだが、あいにくこんなときの話し相手にいつもの相棒の相手は少々骨が折れる。どちらかというと、相棒の
方が疲れてしまう。いつものように朗らかに、適当に雑談をしていればいいだけなのだが……自分のことをよく知っているが故に、余計な心配ばかり
してくれて。ありがたいのはありがたいのだが、そうやってまるで腫れ物を触るかのように扱われるよりはいつもどおりのほうがよっぽどいい。
 そんなことをぼんやりと考えながら。ゲルトルートはすーっと、漆黒の海に意識を持っていかれそうになる。

「―――っと、まずいまずい……」

 言っているそばから、『思いもよらないこと』になりかけて少々焦る。正確には予測や警戒ができることなので思いもよらないとは言えないが、
実際は『起こってしまった後』の結果が読めない。そういう意味では、結果的に思いもよらないことに発展しかねないと言える。
 そんな、どうでもいいことを一人ぼんやり考えて。そしていつしか、無意識のうちに再び漆黒に意識が沈んでいく。今度はゲルトルートも気づいて
いないようで、徐々に意識が薄れると共に前のめりになっていき、まるで深い眠りに誘われるように―――

「こんなところで居眠りたぁ、カールスラント軍人の名折れかい?」
「っ、!!」

 背後から唐突に声をかけられ、ゲルトルートははっとした。がばっと起き上がって、勢いよく振り向く。そこには少し驚いた表情を浮かべた、
あのお気楽なシャーロットの姿があった。……お気楽、か。

「……助かった。ありがとう」
「は? あたしなんかした?」
「まあ、な。こっちの話だ、そう気にかけるな」

 あまりにゲルトルートが深刻に言うので、シャーロットもそれ以上は突っ込まない。


 ―――もう少しで、あとちょっとで。危ないところだった。


 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。


 誰か話し相手がいてくれるのは、とてもありがたいこと。

「暇か?」
「んぁ、まーね。ちょっくら小腹が空いたんでキッチンでなんか作ろうかと思って」

 それで明かりがついてるから通りがかってみれば、と。シャーロットはゲルトルートのことが気になってか、ゲルトルートの座る椅子の背もたれに
両肘で寄りかかった。それはほんのわずかばかりゲルトルートの肩に触れて、そこから伝わるぬくもりがゲルトルートの体と心を温める。いつもは
足蹴にしているかの如き扱いで互いに互いをいじりあって、それで関係を保っているのだが……今日はどうにも、そんな気が起こらない。シャーロットに
してみれば素直なゲルトルートというのも新鮮で面白みがあるだろうが、ぼんやりと遠くを見つめるような深刻な表情を見せる相手を弄ぶ気には
ならないようだ。
 しばらく沈黙が続いて、それから。

「……なんだか疲れたな」
「なんかあったのか?」
「いや。ただ、外を眺めることに疲れただけさ」

 意味深な言葉。自分でも、よくわからないことを言ったと思う。もし普段の日常会話でこんなことをつぶやいたら、散々シャーロットにおもちゃに
されるだろう。しかし流石のシャーロットも、大真面目にこんなことを言う人に対してはそんな気も起こらないらしい。少し気を使わせてしまって
いるようだが、彼女は彼女なりに自分のためになるようにと選んでいるのだろう。確かに冗談を言い合う気にもならないので、この距離感はありがた
かった。なにせエーリカやミーナは、こういうときいつも心配ばかりでろくな会話にならないから。
 ……再び沈黙。しかしそうしているのにも本当に疲れて-どちらかというと気疲れの意味が強いが-、ずっとここにいるのもなんだからと席を立った。

「……小腹が空いたんだろう?」
「まーにー」
「もし材料とやる気が余っていたらもう一人前頼む」
「あいあい。付き合ってくれんだろ?」

 そうじゃなければ、そんなことを頼みはしない。微笑しながらそう溢して、まったく自分らしくないと思った。シャーロットは『付き合ってくれる』と
言っていたが、正確には違う。それはおそらく、シャーロットにもわかっているだろう。
 ……シャーロットに付き合うんじゃない。シャーロットに、付き合って『もらう』のだ。

 二人はミーティングルームの電気を消して、暗い廊下の中を食堂へ進む。だが雨の降りしきる音が窓越しに聞こえて、窓は雨が伝って。あまり
心地のよくない音と空気に、ゲルトルートの心はまた震えだす。……いつからだったか、こんなにも雨の夜が疎ましくなったのは。ゲルトルートは
何も言わないままで、そっとシャーロットの袖を握った。今は、近くにいてもらうだけでは少々不安だ。人肌が恋しい。

「へえ、甘えん坊なカタブツね」
「……知っているか? 硬いものは内側のやわらかいものを守るために硬いんだ」
「おー、上手いこと言ったねぇ」

 我ながら、よく言ったものだと思う。素直に肯定するのはなんとなく気が引けたので、回りくどい言い方をしてみたが。シャーロットも納得したか、
一度ゲルトルートの手を離してから今度は直に手と手を握りあった。少し気恥ずかしい思いもあったが、それよりも手の暖かさのほうが勝ったので
気にしないことにする。

 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。

 手をつないでくれる人がいるなんて、どんなに心強いことだろうか。

 - - - - -

 やがて食堂に着いた二人は明かりをつけて厨房へ入る。別にシャーロットが一人で作るのでゲルトルートは普通に待っていればいいのだが、こういう
陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。一人で待っているのは嫌だった。シャーロットも文句は言わないので、邪魔にならないところに
腰掛けてシャーロットのほうを眺めることにする。

 ……見ていると、意外というと失礼だがシャーロットは料理の腕前が悪くなかった。肉を取り出してささっと下ごしらえをして、フライパンを暖めて
いる間に調味料を準備して。作業の同時進行による効率化が上手くて、二人分でも一人分と大して変わらない時間で作ってしまう勢いだ。流石に機械
いじりをしているだけあって、手先は器用らしい。そんな器用さがあればな、とぼやきたくもなってしまう。

「いいなあ、お前は」
「は?」
「……いや、器用だなぁと思っただけさ」

 なんだかとてつもなく不思議な顔をされたので、素直に思ったことだけ言って会話をきった。なんだろう、何か変なことでも言っただろうか。
そんなつもりは微細もなかったのだが。まあ、シャーロットも文句は言わないので、別に問題ないだろう。それからもじっとシャーロットの作業を
見ていたが、やはりうらやましいと思える器用さだった。
 しばらくも待たないうちに、簡単なサンドウィッチが出来上がった。どちらかというとハンバーガーに近いが、パンやはさまれた中身的にはサンド
ウィッチだ。

「ほら、あんたの分」
「悪いな、ありがとう」
「本当はバーガーがよかったんだけどな、あいにくあたしはあそこまで薄くハンバーグを焼けないんだ」

 お前にも苦手があるのか、とゲルトルートが不思議そうにたずねる。逆にシャーロットには、お前が人を羨むなんて意外だと言われてしまった。
まあ確かに、普段から苦手や不得手、不得意がないようにと心がけてはいる。……苦手も不得手も不得意もどれも同義だったか、まあいい。ともあれ
どんな状況になろうとも苦労しないようにといろいろ考えてはいるが、やはり手先の器用さだけはどうにもならない。戦闘ではそこそこ器用なことも
できているかなと多少満足する点も無くはないが、それも多大な訓練の上にようやく成り立った努力の成果。シャーロットなんかは、たった数回の
練習でそれらしくなってしまいそうだ。そういえば、宮藤の左ひねりこみにも随分と驚かされたものである。

「……うまい」
「そうかい、そいつはよかった」
「もしよかったら、今度教えてくれないか」

 思わず、そう言ってしまう。純粋に美味しかったし、器用なシャーロットの真似をしてみたいと思ったから。だがシャーロットは驚いたような顔で
ゲルトルートを見やって、一言。

「……あんた、酔ってる?」
「は?」
「いや、なんか……だって教えるって、あんた肉焼くぐらいできるだろ?」

 ――――シャーロットに言われて気づいた。そういえば、肉をこの程度に焼くぐらいならいつでもやれることか。見たところ、確かにいくつかの
調味料を合わせて上手く味付けしているようだったが……味でなんとなく使った調味料ぐらいはわかる。それに無理にこれと同じものを作る必要は
無いし、自分の作りやすいように作ればそれでいい気もする。加えて、サンドウィッチなんてはさみたいものをパンではさんでおしまいなのだ。
教えられるほどの料理ではない。

「……酔ってはいないんだがな。というか、酒飲めないしな」
「それもそう……あれ? でも前ワイン飲んでなかったか?」
「そうだったか」

 なんだか、記憶が微妙にあいまい――――?


 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。

 誰か安心できる人が側にいると、警戒がなくなる分予想外に『進行』してしまうことが時々ある。

「……そうだな、今日の私は少々おかしいかもしれない」
「ま、いつものことだけどな」
「そうかもしれないな……え? ちょっと待て、それどういう意味だよ」

 一度思わず納得してしまったが、よくよく考えてみればどう考えても失礼なことじゃないか。なんてことを言うんだ、こいつは。ゲルトルートは
気づくなり半ば条件反射的に聞き返して、それでようやくシャーロットもいつもどおりの笑みを浮かべる。なんだか少し安心した。

「あっはは、やっぱりあんたはそうじゃなくっちゃな」
「そうかあ? まあ、なんでもいいんだがな。しかし、雨やまないなあ」

 食べながら机にぐでー、と伏して伸びる。右手にサンドウィッチを握ったままで、食べるときは肘から先だけ動かして口元に運ぶ。どこかの堅物が
いれば、行儀が悪いと怒られてしまいそうなものだ。

「おい」
「んー?」

 シャーロットが何か、信じられないような様子で声をかけてきたので何事かと振り返る。いや、何事かと振り返るというほど緊張感のあるものでは
なかったが。どうしたのー、と友人に聞き返すような感じだ。そうすると、シャーロットは少し怪訝そうな顔で覗き込んでくる。いったいなんだと
言うのだろうか、どうも今日のシャーロットは心配性で様子が変だ。

「……行儀、悪いぞ」
「お前なあ……カールスラント軍人じゃあるまいし、たまにはこうしたい気分にだってなるものだぞ?」
「あんたはカールスラント軍人だろうが」

 少し、シャーロットの語調が強くなる。そんなに怒らなくてもいいだろうに、まるでどこぞの堅物のようじゃないか。うん? あれ、堅物とは
いったい誰のことだっただろうか。

 そんなことを考えていると、シャーロットの手が肩に乗せられていることに気づく。

「なあ、バルクホルン、お前大丈夫か? 熱でもあるんじゃないの?」
「熱? はは、まさか。馬鹿は風邪を引かないとはよく言ったものでな、あいにく馬鹿な私は風邪とは無縁だよ」
「ついこの間風邪でダウンしてなかったか」
「きっと気のせいだ、はは」

 なんだかいろいろとどうでもよくなって、シャーロットに笑いを返してやる。だが、シャーロットはえらくまじめな様子で見つめ返してくる。
どうも何かをひどく心配しているようだったが、そんなに心配することがあっただろうか。考えても考えても、出てこない。まあ、出てこないものを
どれだけ考えても仕方が無いか。考えることを放棄して、また伏したままでサンドウィッチを口に運んだ。ああ、美味しい。次料理する時は少々
がんばってこの味を目指してみよう。
 そんなことを考えていると、シャーロットが不意にきいてきた。

「……あんた、ゲルトルート・バルクホルンだよな?」
「はあ? 何言ってるんだ、それ以外に誰がいる」
「だよなぁ……いつもとおかしくないか?」
「だからさっきも言っただろう、たまにはこうしたい気分にだってなるもんさ」

 ……そうぼやいてから、ふいと視界を外へ向ける。相変わらず雨は強く降って、窓に打ち付ける。

 ――――あれ。なんだろう、急に眠気が。視界がぼやけて、うーん?

「絶対にいつものあんたじゃない、どこかおかしいよ」
「おかしいって、ひどいなぁお前は」
「……おい、バルクホルン? どうしたんだよ」
「なにがー?」
「目、虚ろだぞ……?」

 目が虚ろって、私は病人かって。問いたくなったけど、面倒だからやめた。ふあ、とあくびをして、そういえば口の中にまだ噛んでいるサンド
ウィッチが残っているんだったと思い出す。きっとあの堅物が見たら、みっともないからやめろと頬をはたくぐらいの勢いで言ってくるんだろう。
まあ、それはそれで楽しいからいいんだけど。……で、堅物って誰だっけ。

 ―――というか、先ほどから視界がかすんで仕方が無い。なんだか、ここがどこにいるのかも、隣にいるのが誰なのかもわからなくなってくる。
そういえば、私は誰だっけ?

「おい、バルクホルン? バルクホルンっ!?」
「んー――……なんだよー……」
「なんだよ、じゃない! どうしたんだよ、ふらふらじゃないか!」
「ふらーふらー……こら、ふらふらとか言って私で遊ぶなぁ」

 あー、シャーロットのやつがまた体を揺さぶってやがる。まったく、人が眠くて反撃できないからと調子に乗りやがって。こうなったら、腹に
一発でもグーの手を入れてやったほうがいいだろうか。でも、あいにく前が見えないのでできない。まあ、眠気に身を任せてもいいかな。
……なんだか、だめだってどこかで聞こえる気がするけど……夜に寝ちゃいけない理由なんてないだろう。

「……眠たいから私は寝るぞー」
「ちょっと待て、おい、バルクホルンってよ?!」
「うー……」


 ……眠る直前、なんだかほんの一瞬だけ、意識が覚醒した。それはごく短い時間で、意識しなければわからないほどだったけれど。一瞬私は、
考え事をした。






 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。

 実はもう起こってしまっていたことに気づけないから、こういう陰鬱な夜は嫌いだ。



 雨、あがらないな。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「ん」

 ぱちくり、ぱちくり。

 目を覚まして、ぐるりと辺りを見渡す。どうやらここは……食堂?

「目、覚めたか」
「……お?」
「大丈夫か?」
「……多分、だいじょぶ」

 体の調子に変なところもないし、意識もはっきりしてる。よし、問題なし。今日も張り切って頑張るかな! ……あれ、外真っ暗だ。

「……外、暗い」
「まだお前が寝てから十分も経ってないぞ」
「えー。今までずっと夢見てたから、もう何日も寝てた気分」
「……まあいい、わかったから医務室行こう。な?」

 随分とシャーリーが心配そうに覗き込んでくる。どうしたんだろう、何か私おかしなところでもあるのかな? そんなはずないよな、うん。

「なんで? 大丈夫だよ、別に怪我もしてないし」
「いいや、今のお前に安心できる要素なんて欠片も無い」
「ひどいじゃないか、私だって一人でできるよ」
「いいから行くぞ。ほら」

 シャーリーが、手を差し出してくる。もう、こんな意固地なシャーリーは初めてだ。断りたかったけど、断ると後がどうなるか怖いからやめた。
しぶしぶ手をとって、シャーリーの後についていく。電気を消して、廊下に出る。ああ、真っ暗で雨がざばざばだ。こういう陰鬱な夜は、思いも
よらないことが起こりそうで怖い。シャーリーの手をぐっと握って、後をついていく。なんか、今の私って小動物みたいかな?

「……お前、寝る前は何してた?」
「何してたっけなぁ……エーリカと、お話してた気がする」

 確か、おぼろげに覚えているのは短い金髪。それからはずっと夢を見ていたからあまり覚えていないけれど、そんなような記憶がある。夢も
この基地の中の夢を見るあたり、私はやっぱりこの基地のことが好きなんだって思った。

「……そういえば勢いで来ちゃったけどさ」
「うん?」
「医務室って何時までだっけ」
「さあ。少なくともこの時間はやってないんじゃない?」

 と、思うけど。そう言うとシャーリーは肩を落として、どうしようかと頭を振った。うーん、そんなに困ってるんだろうか? まあ、私には
関係の無いことだけれど。しかし夜の雨の廊下は、やっぱり怖い。なんでって、こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖いから。
具体的にどうって聞かれると困るんだけど、こう……私が私で無くなる感じ? 暗闇にすーって吸い込まれると、気づいたら別人になってそうで
怖い。そういえば、前エーリカと話していたときもそれで眠っちゃったんだっけ。結局おきてみたら大丈夫だったけれど。しかし、もし一日以上
寝過ごしたりなんてことが無ければ最高の気分だ。なんでって、このまま起きていられれば堅物の小うるさい説教を聞かなくてすむから。うーんと、
堅物って言うのは……って、何言ってるんだろう私。あれは夢の中の話だった。

「夢の中に、すっごい堅物がいてさ」
「ゆ、夢?」

 いきなり話し出した私に、シャーリーは驚いたように振り返った。それが面白くってくすくす笑って、話を続ける。

「なんかこう、『カールスラント軍人たるもの、一に規律、二に規律、三に規律!』とか言ってて」
「……それ、いつものあんただろ?」
「は? いや、私そんなこと言ったことないでしょ」

 何言い出すんだろ、変なシャーリー。それとも、シャーリーも同じ夢見たりしてたんだろうか。それはそれで、ちょっと運命的で面白いかも
しれない。ま、ありえないけどね。

 それからシャーリーはますます悩んじゃって、どうすればいいのかわからない風だった。けど、なんかに気づいたらしくてまた私の手を握って
歩き始めた。暗い廊下は嫌いだから、どこかいけるんだったらどこでもいい。私はシャーリーに連れられて歩いていくと、なんとなくその道筋に
見覚えがあるのに気づいた。
 もしかして。

「エーリカ?」
「うおっ、流石だな……気づかれちゃったか」
「ふ、楽勝さ」

 得意げに笑ってみせる。エーリカはいつも、寝る前に笑い話して楽しいから好きだ。やっぱり持つべきは、ああいう明るくて朗らかな親友だな。
最近つくづく思う。
 しばらく歩いてエーリカの部屋に着くと、シャーリーはノックもせずに戸をあけた。するとなんと、珍しくあのエーリカが起きてた。……あれ、
この時間に起きてるのはそういえばいつものことだっけ。だめだ、夢見てた時間が長すぎる気がしてなんとなく夢と現実が入れ替わってる気がする。

「ノックぐらいしてよー……って」
「エーリカ、あんたならこれについて何か知ってるだろ?」
「やあ」

 シャーリーがエーリカにちょっと言葉を荒げたように尋ねたけど、人のことを『これ』扱いはちょっと頂けないなぁ。ということで無視してみた。
エーリカは頭に手を当てて、やれやれといった雰囲気。あれ、私なにかしたかな?

「……後は任せて。ごめんね、お休み、シャーリー」
「よくわからんけど……要はさっさと出てってさっさと寝ろってことだな?」
「理解が早い人は好きだね」

 エーリカとシャーリーが話してるけど、私に入れる話しじゃない。ちょっと面白くないけど、まあ仕方ないか。少ししてシャーリーがおやすみって
出て行って、私も手を振って送った。それからエーリカに振り返って、笑いかけた。エーリカは困ったように笑って、一言。

「まったく、なんで出てきちゃうかなぁ」
「なにが?」
「君がだよ。トゥルーデの中が居心地いいなら、ずっと中にいればいいのに」
「……何の話?」

 さっぱり話が見えない。私の中が居心地いいって、よくわかんない。どういうことなんだろう、エーリカは何が言いたいんだろう。

「……こういう陰鬱な夜は――

『思いもよらないことが起こりそうで怖い。』


 エーリカが言い出すから、とっさに言葉をかぶせてしまう。しかし……何度これを経験しても、エーリカには敵わないとつくづく思う。


「―――――おやすみ、えーりか」
「うん、おやすみ」

 ……私が、眠りにつく。しばらく目を閉じて気分が静まるのを待って―――。



「……ふう。おはよう、エーリカ」
「何がはやいもんか」
「お前に言われるとは心外……と言いたい所だが、あいにく言えないな」

 ゲルトルートが苦笑気味につぶやく。と同時にため息をついて、エーリカに深く頭を下げた。

「……すまない。また手を煩わせた」
「いいんだけどさ。一体なんなんだろうね」
「私には分かるんだが、どうもなんと説明すれば回りが理解できるか分からないんだ」

 ―――簡潔に言えば、二重人格。しかし、まったくその通りかといわれれば少し違う。ゲルトルートの中にはゲルトルートがいて、十八歳の体で
十八歳の精神のゲルトルートの中に、十八歳の体で十四~五歳のゲルトルートがいる。そう、どちらもゲルトルート・バルクホルンであることに
変わりは無いのだ。そして好奇心旺盛な十四~五歳のゲルトルートは、何をしでかすか分からないやんちゃ娘。これは幼少期からずっと付き合って
きたもので、物心をついたときにはすでに自分より三、四歳ほど下の自分が自分の中にいた。それも子供のころはまだ特に問題は無かったのだが、
クリスの一件があってからたまに現実に出てきてしまうようになってしまった。恐らくクリスを一時的とはいえ失った今のこの現状をなんとか
補おうと体が防衛本能にも似た何かを異常に動作させてしまって、内側にいる自分と外側にいる自分を入れ替えてしまうのだろう。今まで内側の
自分とは夢の中でしか会ったことが無いが-夢の中というのは自分自身の内側そのものなので、ある意味そこに内側の自分が出てくるのは当たり前
と言える-、いつか現実でも内側の自分が今の『外側の自分』に気づいてしまうこともあるのだろうか。ゲルトルートはどこか拭い去れない不安を
感じつつ、大きくため息をつく。

「夢と現実の区別がつかない、とでも言うのだろうか」
「さーねぇ。精神的なことは科学では解明できないし、分からんトコだねー」
「……あまり不安定なときに入れ替わった要因の下へいくのは良くないが」

 ゲルトルートは気だるそうに立ち上がると、エーリカの部屋を後にしようとする。一人で大丈夫かとたずねるエーリカに対して、なんとか
頑張ってみると告げるゲルトルート。もしまた起こったら、また頼むと一言残して。ゲルトルートは再び、暗闇の廊下へ繰り出した。

 ……とはいっても、やはり雨の降りしきる廊下は怖い。ゲルトルートは何か恐怖から逃げるように、軽く走ってシャーロットの部屋へと急いだ。
走れば基地内は思ったほど広くないもので、数分程度でシャーロットの部屋にたどり着く。だが逆に走って数分かかる距離で、道中見かけなかった。
恐らくシャーロットは歩いているはずなので、部屋に戻るとしたら今の間に会っているはずだ。ということはここには戻っていないことになる
ので、間違いなく厨房の後片付けだろう。
 ……結局あまりシャーロットに付き合ってもらった意味は無かったが、まあ余計な手間もかけさせた詫びに手伝いに行こう。ゲルトルートは
再び、夜の廊下を走った。


 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。

 二度と起こってほしくないと思う反面、本当はちょっとだけ、『心を塞いでいない自分』に会ってみたいという思いもあった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やあ」
「あ……」
「いや、すまん、そんな顔をしないでくれ。今は大丈夫だから」

 苦笑しながら、人差し指で頬をぽりぽりと掻く。手を煩わせた詫びにと洗いものを手伝うと、ようやくいつも通りである自分のことを認めてか
シャーロットは深いため息と共に納得した。

「んで? さっきのは一体全体どういうことなんだよ」
「説明する前にひとつ頼みがある」
「なんだよ」

 気だるそうに、近くの椅子に座って半ば睨むようにこちらを見上げるシャーロット。ゲルトルートも正直やりづらくはあったが、まああんな迷惑を
かけてしまっては仕方が無いだろう。いつの間にか洗い物を放棄してゲルトルートに丸投げしたことも、今は怒るに怒れなかった。ともあれ、
説明する前にこれだけは何とか手を打っておかなくてはならない。
 ゲルトルートはシャーロットに、なるだけ自然に言った。

「もし、私にまたさっきみたいな兆候が現れたら、こう言ってくれ」



 ――――こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。



 それから一通り説明して、しかしやはりエーリカに言ったときと同じく上手い説明ができない。どうしようかと悩んだが、しかしルッキーニで多少
そういう『上手く伝えられない説明』には慣れていたのかシャーロットはゲルトルートの言いたいことを理解したようだった。それにほっと胸を
なでおろして、ゲルトルートはまた頭を下げる。今日は本当に、迷惑をかけてすまなかったと。シャーロットは原理というか理由さえ分かれば
納得したようで、気にするなと手をひらひらと振っていた。それがゲルトルートにはありがたくて、微笑を返す。

「……しかしまあ、時間も時間だからなぁ。そろそろあたしゃ寝るぞー」
「ああ、今日はありがとう。助かったよ」
「何言ってんだ、ほら行くぞ」

 え。思わず聞き返してしまったが、一人で部屋に帰すのは不安だからとシャーロットが手を差し出してくれた。なんだか今日は、これを見る
回数がやけに多い気がする。そう、さっきもシャーロットがこうしてくれて、その手を握って暖かかったんだっけか。渋々だったけれど、結局
楽しかった気がするからいいかと納得さえしてしまう。
 すっと立ち上がって、その手をぎゅっと握る。ちょっとした悪戯心からだったが、それにもシャーロットは過敏に反応した。思ったよりも
反応が良くて、面白い。

「だーっ、そういう悪ふざけはやめろ! 『昨日の今日』よりも性質が悪い!」
「昨日の今日? なんだそりゃ」
「……お前なぁ……え? まさか」

 なんだ、シャーロットがまたなんだか怪訝そうな顔をして覗き込んでくる。一体なんだというのやら、今日はシャーロットに変な顔をされて
ばかりだ。さっきだって、いきなり医務室に行こうと言い出したり、そのくせ医務室は何時までだっけと聞き返したり。本当は、シャーロットの
方が危なかったりするんじゃなかろうか。
 と思って、素直に聞いてみることにした。

「なあ、さっきの医務室の一件といい、お前今日大丈夫か?」
「それはこっちの台詞―――――待て、なんで今のあんたが医務室の件を知ってる」
「は? いや、私は私だろう、それ以上でもそれ以下でもなかろうが」

 ……一体何が言いたいんだ、こいつは。だがシャーロットはやっぱり怪訝そうにしていて、そしてしばらく見詰め合う形になって首をかしげる。
私がそうしたのに対して、シャーロットは何かひらめいたのかそれとも決心したのか、一度目を閉じてからゆっくりと開いて、そして私に向かって
言った。


「こういう陰鬱な夜は?」




 ――――はっとする。だが、そうか。ならば……

「思いもよらないことが……なんだっけ?   起こりそうで怖い、だ    あ、そっか」



 ・・・・・・。



「それ、自作自演ってやつか?」
「馬鹿な。少々思いついたんでやってみたんだ。ただひとつ欠点に気づいてしまってな、この状況だと今の私がマシンガンの如く喋り続けないと
もう一人のほうが喋りだす     もう一人って私のことー?」
「ああもう、ややこしいんだよ! かたっぽだけにしろ!」

 ―――架け橋となるキーワードを、あえて言わない。あれは、『両方が同時に同じことを言う』から初めて架け橋として成立するのだ。そう、
内側のゲルトルートも、普段のゲルトルートも、こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖いのだ。だから、それを同じひとつの
体で共有しあうことで架け橋になる。架け橋がかかっている間はどちらのゲルトルートも表に出ることができ、そして言い終わると片方だけしか
表に出ることができない。ただ、普段のゲルトルートが先ほどのエーリカの時のように『起きて』いる場合は、自分の思いはいくらでも操れるので
内側のゲルトルートも何とでもできる。今までも、そうやって内側のゲルトルートを寝かしつけることを繰り返してきた。

「でもさー、私が起きるときっていっつも雨降ってるんだよねぇ……どうしてだろ?」
「そりゃあ、『架け橋』になるキーワードの思いが強くなるからだろ?」
「なんだ、お前もだいぶ分かってきてるじゃないか」
「目の前で二人一役をまざまざと見せ付けられればな……いいからさっさとしてくれ、あたしの体がもたん」

 苦笑して、すまないと一言。そういうことだから、今は引っ込んでいろとゲルトルートが口に出して言うと、『内側のゲルトルート』もどうやら
納得したようだった。

「ね、次はいつ出てきていいの?」


 ……本当は、二度と出てきてほしくない。


 でも。ちょっとだけなら、自分が一緒にいて監督できる状況なら。……いいかな、とも思う。だって。

 こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖いから。そんな思いを共有しあえる友達がいてくれるのは、とってもうれしくて、
とっても心強くて、そしてきっと、とっても楽しいから。

「……そうだな。私とお前と、二人きりのときだけ。いいか?    えー、シャーリーやエーリカとも遊びたいよー」

 シャーロットは、うんざりしながらも静かに『二人』のやり取りを見守っていた。

「二人が許可すればな。だが勝手に出てこられては、私よりほかの人に迷惑になるだろう? それは少々まずい」

 ゲルトルートが諭して、『内側のゲルトルート』が渋々納得して。それを繰り返すうち、シャーロットも痺れを切らしたか小さなため息と共に
会話に一つだけ首を突っ込んだ。

「……ったく、しゃーないな。バルクホルンがちゃんと見ている時だったらあたしも相手してやるよ」
「ほんと! ありがとー!」

 ……はしゃいでいる、ゲルトルート・バルクホルンの姿。それはきっと、とてもこの上ないほどに秀逸なものなのだろう。だから、あまり他所の
者には見せたくない。信頼できる、大切な『家族』にだけ―――見せるとしたら、それぐらいしか相手はいないだろう。

「……良かったな     うん! お姉ちゃんもありがとう!      ……私のことを姉と呼ぶのは、クリスだけだと思っていたが」
「なんか見てると面白いなぁ。ま、これ以上はもう勘弁だけど」
「はは、すまないな。それじゃあそういうことだ、今日はもう寝るぞ    はーい、それじゃおやすみなさーい」



 ……少しの沈黙が続いて、『内側』が眠ったことを確認する。ゲルトルートも小さく息を吐いて、そしてまたシャーロットに頭を下げた。

「すまんな。なかなか、制御がきかなくて」
「でも今後は大丈夫だろ? お前も器用なやつだな、多重人格みたいなモンなのに狙ってそれを制御するなんて」
「お前の手先には及ばんさ、シャーリー」

 今まで呼ぶことの無かった愛称で呼んでみせる。一瞬シャーロットも肩をびくんと震わせたが、今度は間違いなくゲルトルート・バルクホルンの
行動だ。シャーロットもはいはいと手をひらひらさせながら、自室へと戻っていった。今はもう大丈夫だろうと、今度は手を取らずにゲルトルートと
分かれて帰っていく。
 ゲルトルートも手を振って、ありがとうと一言。そしてシャーロットが廊下の向こうへ消えていったのを確認すると、未だ雨の降りしきる外を見て
つぶやいた。


「……こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い―――な」
「そだね。でも、今も怖い?」
「いいや。お前が居てくれれば、きっと怖くない」
「えへへ、ありがと。けど何時までも頼ってちゃだめだよ、私はクリスが目覚めるまでの代役でしかないんだから」
「―――前向きに善処するよ」



 『ゲルトルート』は談笑しながら、自分の部屋へと帰り着く。そしてベッドに入ると、恐れから一転して穏やかな笑みを浮かべて空を見上げた。


 魔法の言葉を、告げるために。それは夢と現実とを繋ぐ、不思議な不思議な魔法の言葉。一人で居るのが怖くても、怖さを和らげる不思議な力。


 おやすみの挨拶をしてから、二人の『ゲルトルート』姉妹は小さくつぶやいた。








 ――――こういう陰鬱な夜は、思いもよらないことが起こりそうで怖い。



 一人になったゲルトルートは、しかし安堵の笑みを浮かべて眠りについた。




 ――fin.


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