Crystallite


きっと、はじめから気づいてた。私は自分の中にあるこの感情に。
目の前の少女と、はじめて出逢った時。今ではもう遥か遠い、あの時から。


私は今でも、目の前の現実を夢と思いたくなることがある。
小さな顔と、規則正しい吐息。毛布の下でゆっくりと上下する薄い胸。
あれからどれくらいの時が経ったのか。でも、ここはなにも変わらない。
いや、変わらないというのは多分間違っているのだと思う。
変化は毎日その顔を出す太陽のように、移ろいゆく季節のように、ゆっくりとあって。
ただ、その速度があまりにゆっくりだから、私にはそうと思えなかった。
目の前に眠る一人の少女。首元できれいに揃えられた栗色の髪が印象的な。
少女の名前は――――。



          『Crystallite』


ゲルトルート・バルクホルンといえば、カールスラントが誇るエースであり、
その年にくらべれば幾分幼さも残る美貌の麗しい、世界最高のウィッチの一人だ。
それは私たちがまだ初等部に通っている頃から、すでにそうだったから。
あの東部の小さな街に住む少女たちでバルクホルンの名を知らない者はおらず、
それは私も例外ではなかった。だから、私の通う学校に、
クラスに転入してきたその少女に私たちの誰もが驚きを隠せなかった。

「クリスティアーネ・バルクホルンといいます。よろしくお願いします」

その声に重なるようにクラス中から上がる歓声。
でも……、その中に私は加わってはいなかった。
つまり、私は声もでないくらいその少女に見入っていて。
それは、たまたま空いていた隣の席に彼女が居場所を確保した時まで、そうだったと思う。

「よろしくね!」

はじけるような声と笑顔に息をのむ。
私は少し顔をそらせながら、少女に無言で次の授業で使うテキストを差し出していた。


月の下でこそ、その魅力は輝きを強める。私にはそんな風に思えてならない。
もっとも、彼女は太陽の元でも、月の下でも。同じように眠り続けているだけなのだから。
朝になれば、なにもなかったように声をかけてくるような、そんな雰囲気で。
彼女の身になにがあったのか、私は知らない。戦火のさなか、
ネウロイの無差別な襲撃が起こした悲劇の一つに数えられるのだという、ただ、それだけ。
彼女が移ってきた病院がここだったのは、ほんの偶然だったのだろうか。
不思議な、運命めいたものを心の中でぼんやりと感じながら、
私は、彼女の担当になることを迷うことなく申し出たのだった。


「クリス、一緒に帰ろう!」
「うん!」

いつもの寮への帰り道。その距離を並んで歩くことは、
いつの間にか、当たり前のような私たちの日課になっていた。
夢や、恋や、なんでもないような日常や。そんなことを話しながら。
多分、お互いに知ったのはそんな中だったのだろうと思う。
私とクリスが、ともに看護師を目指してるんだということ。
それまでだって、私たちは一番の友達で。
それが分かってからは、友達の枠を抜け出して、他に変えることの出来ない親友になった。
誰よりも彼女のそばにいることが、まるで当然のように思えるくらいに。

「昨日でおねえちゃん、100機撃墜したって!」

突然こっちを振り向いたクリスが、弾んだ声でそう言った。
“おねえちゃん”のことを話すその表情は、嬉しさと心配と、
そしてほんの少しの寂しさが入り混じった、特別のもので、
その表情を見るたびに、私は心に小さくチクッと針が刺すような気持ちになる。
彼女のおねえちゃん――ゲルトルート・バルクホルンは彼女の誇りであり、
自慢であり、彼女にとっての特別、を形作るほぼ全てと言ってよかった。
仲間に囲まれ、はにかんだ笑顔を見せるエースの写真には、私だってどきっとする位で。
だから、彼女がそうであることなんて、なにも不思議じゃないはずだった。

それならば。
これは、私の中にあるこの感情は、いったいなんだというのだろう?


陽の落ちかけた病室に、時計の針の音だけが静かに響く。
各国からの負傷者がひっきりなしに移送されてくるこの病院で、
慌ただしさと喧騒が常にやむことのない中で、ここだけは時が止まったかのようだった。
まぶたに掛かるほどに伸びた栗色の前髪を切り揃え、補液剤をとりかえて、
終わると私は少女の、クリスの瞳をのぞき込む。
いつもと……昨日や一昨日やそれ以前と同じ、閉じられたままの瞳を。
そのまぶたに指でそっと触れ、なぞる。なにかを確かめるように、そっと。
ぼんやりした頭でふと見遣った彼女の頬に、一粒の雫がこぼれ落ちていた。


「んーとね、ピンシャーかな?」
「え、そうかなあ……、私そんなスマートじゃないよ。運動も苦手だし」
「じゃあ……ダックス」
「……もしかして、私がミニチュアだとでもいいたいの?」


同い年の私たちより、ひとまわりも小柄な彼女の身体。
しかし、私はそれが出逢ったあの頃からそうだったのか、思い出せずにいた。
私には彼女を誰かと比べる対象なんて、持ってはいなかったから。
彼女の止まったままの時間があまりにも長過ぎて、そう思うようになったのかもしれない。

「かわりないですか……。ありがとうございます」

少し落胆した声。いつもそうだとしても、その影はやはり寂しげに見えた。
彼女――ゲルトルートは妹の手をもう一度ぎゅっと握ると、そっと胸の所にそれを戻す。
先の見えない不安を拭うように、目を閉じて首を横に振って。
そして彼女は私に向き直ると、よろしくお願いします、と小さな声で言った。

「……わかりました」

右手にぐっと力を込めたまま、私はそうとだけ答える。
流れる深い沈黙。それは彼女が部屋を後にしてからも、解けることはなかった。

「クリス、いつになったら目覚めるんだろうね……」
「……エーリカ。どうなんだろう、私には、わからないよ」

私の隣にいた少女、エーリカ・ハルトマンがそう言うと、視線をどこともなく彷徨わせる。
そして私の言葉を聞きながら彼女は窓の外を見遣り、ぽつりとつぶやいた。

「それで、いいの?」

それが自分に向けられた問いかけだと、私は一瞬気づけなかった。
ぐっと押し黙る私に、彼女は大きくため息をつく。

「……世界はいつも、見ている者に残酷なんだね」

エーリカはそう言うと、泣きそうな――彼女にはひどく珍しい表情で部屋を後にする。
そしてまた、重たい沈黙だけがこの病室を覆っていった。


カールスラントが戦火に包まれ、私たちもこの国を出なくてはいけなくなっていた。
その頃には学校の授業はとっくに休業状態になっていたけど、
私たちはいつもと同じ時間を守るかのように、あえて学校へと足を運ぶようにしていた。
いつもと同じ……いや、とっくに同じではなくなっていたのかもしれないけれど、
それはきっと、最後になるだろう帰り道だった。
クリスの様子はそれまでの日とかわらなかったけれど、先に疎開が決まっている私は、
目に焼き付けるようにじっとクリスの横顔を見つめていた。
切り出された水晶の欠片のように光を返すその横顔を。

「もう、会えなくなるのかな……」

その言葉に私が天を仰ぐように見上げると、
薄灰掛かった空を、飛行脚をまとった戦乙女たちが駆け抜けていった。
あの中には、彼女の姉もいたのだろうか。
そして、彼女らの中にはもう戻ってくることのない者もいるのだろうか。
そう思うと、言いようのない焦燥感に襲われる。
私も……少なくとも彼女と、クリスとこうやって並んで歩く明日はないのだから。

「でも、私は――――んっ!?」

ぶつけるように重ねた口唇。強引に、壁に彼女の身体を押し付ける。
どうしてそんな衝動的なことをしているのか、自分にだって理解出来ない。
ただ、その触れ合う部分の柔らかさと熱に、私は何も考えられなくなっていて。
だから、私は彼女のその表情の意味も分からなかった。いや、本当は――――。

「ごめん、なさい。私」
「……びっくり、した、けど」

ゆっくりと口唇を離した私に、クリスはそう言って、困ったような表情のまま俯く。
私の中にずっとあっただろうその感情は、結局ただ彼女を傷つけるものでしかなかったのか。
私はもう、ひどく後悔していた。
彼女の方を見ることなんてできるわけもなく、
埃とエンジン音ばかりが吹き抜けていくその場所で、私はただ立ち尽くすしかなかった。
彼女の次の言葉を聞いた、その後も。

「また、会えるかな?」

不意に見たその笑顔が悲しいほどに綺麗だったことを、私は今でも忘れていない。


当直に入った夜の間、私は何度もこの病室を訪れる。
それは決していいことであるはずはなかったけれど、そうせずにはいられなかった。
月明かりに照らされるクリスの顔を見て、私はあの時のことを思い出す。
今でも二人の心から消えるはずのない、あのことを。
あれは私が望んでそうしたことだったのか。
きっと、他にあるはずもないけれど、私にそれを確かめる術はなかった。
あったのは、過ちだったとしか言えないそのことを、ただ、繰り返すことだけ。
すべらせるようにそっと頬に触れ、何も言わない彼女の口唇に自分のそれを重ねる。
感じる熱はあの時となにも変わらないのに、どうして彼女は目を覚まさないのだろう。
あるいは、彼女が目を覚ますことはもうないのだろうか。

もし、そうなら。私は永遠に誰よりも彼女のそばにいられるのだろうか――――。

そんなことを考える自分が怖くて、私はすぐに月と彼女に背を向けるしかなかった。


きっと、はじめから気づいてた。私は自分の中にあるこの感情に。
目の前の少女と、はじめて出逢った時。今ではもう遥か遠い、あの時から。

月明かりに照らされるクリスの顔を見ると、私はあの時のことを思い出す。
目の前の少女と、はじめて出逢った時。
あの時に見た、瞳の色を。目の前にあるそれと変わることないその色を。

    ―――――――!

「わ、たし…?」
「……クリス、気づい……」

透き通ったその瞳が確かに私を見つめていて、
そのことが彼女が目覚めたことを間違いのない現実なんだと伝えているような気がした。

「おはよう……クリス。今はまだ夜だけど」
「……おはよう」

小さな声と一緒に、懐かしい、私にとってなにより特別な笑顔が映る。
私は少し顔をそらせながら、彼女の笑顔を見続けていた。視界の片隅に輝く月。

私は今、この時に感謝する。

次の朝がくるその時までは、私は誰より目覚めた彼女の近くにいることができるのだから。

                                  fin


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