12人の揉まれる女


 評決の時が、始まろうとしている。

 現在、この会議室にいるのは、12人の陪審員だけ――いや、正しくは私がいるので13人だけだ。
 もちろんのこと、すべて女性である。
 縦に長い長方形のテーブルを囲むように12人の女たちがそれぞれの席に座っている。
 扉の側の端には1番陪審員、その左手、窓側にあたる席から2番から6番の陪審員が並び、
 7番は1番の反対側となるテーブルの端、折り返して8番から12番が壁側の席となる。
 番号順にぐるりと一周というわけだ。
 部屋には鍵こそかけられてはいないものの、外に出ることは禁じられている。
 評決が下るまでは外に出られないという決まりらしい。
 そのため、部屋の向こうにはトイレなんかもあったりする。
 なにせ場合によっては数時間にも及ぶ話し合いになることもあるのだから。
 ――とはいえ、今回はすぐに終わりそうだ。
 何日にも及んだ裁判のあとで、ただでさえみんな疲れ切っているのだ。
 さっさと済ませて帰りたい――
 不謹慎ながらも、そういう考えが頭の隅にでもある人がちらほらといるように思える。
 かくいう私も、実はその1人だったりするのだけれど。
 それよりも私には、ずっと重大な使命があった。
 彼女のことを、姉のように見守るという使命が。
 話し合いが長引くことも考えられたので、彼女の健康上の心配が考慮されて、
 私は特別に付き添いを許可していただいたんだけれど。
 どうやらそれも杞憂に終わりそうね……。
 陪審員のみなさんからは離れた席で、私はほっと胸を撫で下ろすのだった。

 裁判官の判決は“有罪”。
 これから12人の陪審員たちは、その判決が妥当であるか否かの評決をしていかなければならない。
 ――とは言うものの、話し合わずとも各々のあいだで、すでに結論は出ているように私には思える。
 “揉む”ことはあっても“揉める”ことはなさそうだ。
 私は手持ちぶさたに資料に目を通しながら、評決のはじまり、そして終わりを待っていた。

 と、そんな私の視界の隅に、ちらちらと揺れるものが映った。
 彼女だった。私に向けて小さく手を振っている。
 本日は6番陪審員を任されている、まだまだあどけなさの残る少女。
 年のわりにしっかりしているようでいて、実はけしてそんなことはないことを私は知っている。
 初めてだもの。いろいろと戸惑うこともあるだろうけど、でも、大丈夫――
 だってあんなにいっぱい、予習してきたんだから。2人で。私と一緒に。2人きりで。
 だから、ぜんぜん慌てることなんてないわ。
 それに私もついてるもの。後ろから見守っているから。テレパシー送ってるから。
 だからね、しっかりするのよ、クリスちゃん。
 私はグッとガッツポーズをして、手を振る彼女に応えた。
 まるで授業参観にでも来ているみたい――
 ふと、そんなことを思う。
 これじゃあなんだか、本当にお姉さんになったみたいね――
 そんな考えが浮かんできて、ついつい顔がほころんでしまうのだった。そういうプレイも悪くない。

「――さて。それでは事件についてもう一度、確認してみましょう」
 そう切り出したのは陪審員長を務める、1番陪審員のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケさん。
 なんでも1番陪審員にはそういう役割があるようだ。専門外の私には、詳しいことはよくわからないけれど。
 ストライクウィッチーズの隊長さんをしているというだけあって、そういう役割には手慣れているらしい。
 その姿は堂々としていて、発せられる言葉もはきはきしている。
 束の間の和やかな雰囲気だった私たちも、再び気持ちを切り替えて、じっとそれに耳を傾けた。
「事件は強姦事件です。これは第一級犯罪にあたります」
 ミーナさんの声が、凛と部屋に響く。
 一拍の間を置き、そして言葉を次いだ。

「被告――宮藤芳佳さんはおっぱいを揉みました」

 そう、宮藤さんはおっぱいを揉んだのだ。
 しかも、それはただのおっぱいではない。
 これは新たな世界大戦の引き金になるかもしれない、そういうおっぱいだった。

「ネウロイのおっぱいです」

 ざわ……ざわ……と、あたりから声が聞こえてくる(もう周知のことのはずなのだけれど)。
 この場にいる多くの人と違って、私は被告である宮藤さんとは面識がない。
 けれど、それがどういうことを意味するのかは、私にもわかる。
 ネウロイといえば人類の敵。
 異形の名を持つ彼ら(彼女ら?)との戦いが我々に残した爪痕は今なお深い。
 ――しかし、である。
 そのネウロイが捕虜であったとすればどうだろう?
 もしも、その捕虜であるはずのおっぱいを揉んでしまったら?
 そんなことあるはずがない……私だってその事件を聞かされた時はわが耳を疑い、そう思った。
 だが、あったのだ。
 悲しいことに、事件は起こってしまった。

 一般に捕虜の扱いは戦争法で規定されており、虐待なんてもってのほかなのだ。
 そしてそのなかには性的虐待も含まれる。
 嫌がる相手のおっぱいを無理矢理にでも揉みしだいた……なんてことがあれば、それは戦争犯罪である。
 今回の場合、B級に該当するとかしないとか。C級だったかもしれない。
 どっちだったかしら? 
 たしかA、B、Cというのはランクではなく、犯した罪の種類によって分けられてたはずだけど……。
 まあ、どっちでもいいか。
 たしかに私も、クリスちゃんと一緒に勉強はしたけれど――
 こんなに勉強したのは看護婦免許の国家資格を取ったとき以来というくらい勉強したけれど――
 でもだからって、一夜漬けに毛ほど足した程度の勉強で、法律がわかるわけはない。
 当たり前だ。もしそんな人ばかりだったら、世の中は弁護士であふれかえってしまうだろう。
 いっぱしのしがない看護婦である私が、そうであるわけもないし。
 こればっかりは仕方ないのだ。うん、仕方ない。
 ぶっちゃけた話、法律なんてちんぷんかんぷん(そもそも私は理系だし)。 
 だから、これまでのところにいろいろおかしなところはあるだろうけど、それはご容赦いただきたい。
 それより今大切なのは、自分に与えられた役割をきっちりとまっとうすることなのだ。きっとそのはず。

 ――とにかくだ。
 今回のことでネウロイもかんかんに怒っている。
 つい先月にガリアが解放されたばかりだというのに。
 これはもはや、知らぬ存ぜぬですませられる問題ではない。
 そんなことしてしまったら、たちまち外交問題に発展してしまう。
 あるいは第三次大戦……なんてこともあり得るのだ。
 まったく、宮藤さんときたら。なんてことをしてくれたんだろうか。

「裁判官の判決は有罪でした。
 私たちは陪審員はこれから、その判決が妥当であるか否か、評決することになります。
 ――その前に改めて、評決に入る前にもう一度確認しておきたいことが二つあります」
 そんなこと思い返している間にも、ミーナさんの話は淡々と進んでいく。
「一つ。被告は有罪になると……」
 とはいえ、それらはすべてここ数日の裁判で聞き飽きたことばかりだ。
 陪審員というのはこんなに面倒くさいものなのね(私は違うのだけれど)。
「有罪になると……」
 ミーナさんの話を、私は腕組みしながらぼんやりと聞いていた。
 そして、あくびが出そうになるのをなんとかかみ殺した、その時だった。
「有ざ……」
 ぶわっ。
 と、突然、ミーナさんの目から涙があふれ出てくる。
 ミーナさんは大粒の涙をなんとかぬぐい、話を先へと進めようとするけれど、
 それはもはや、ただの嗚咽にしかならなかった。
「ごめんなさい」
 とだけ短く、なんとか言って、ミーナさんの声はそこで呑みこまれてしまった。
 ミーナさんはテーブルの上から2、3枚、ティッシュを抜き取ると、ぷーん、と鼻をかんだ。
 そして改めて、

「それと、もう一つ。これは評決の決定に関することです」

 あら? 話をすっとばしてしまってる。
 ――いや、わざとだったのだろう。口に出してしまうのもはばかられただろうから。
 だってもし宮藤さんの有罪が確定してしまったら……
 ぶわっ。
 と、いきなり私の目からぼろぼろと涙がこぼれてきた。
 ああっ、なにをやっているの、私は。しっかりしなさい。
 でも、涙が出ちゃう。女の子だもん。
 だって宮藤さんの有罪が確定してしまったら……
 ぶわっ。
 と、また大粒の涙があふれてきた。
 私はポケットティッシュを2、3枚抜き取って、ぷーん、と鼻をかんだ。
 そして心に強く、思い直すことにした。
 だって、罪は罪だし仕方ないわよね。
 ブリタニアは法治国家だし。オール・ハイール・ブリターニア!
 ――と、ここまでの思考5秒くらい。

「すなわち、評決には全員の一致が必要です」

 ああ、これならわかるわ。
 このあたりのことはばっちりと予習をしてきているので、その成果が試される時だ。
 つまりこれは多数決ではないということだ。
 そうではなくて、12人全員の意見を一致させることで初めて、評決が決定する。
 そのため、その決定がいずれであるにせよ、票数は必ず12対0の形を取ることとなる。
 全会一致というやつだ。
 たぶん、こういう説明であってる。おそらく。

「では、評決を取る方法だけれど――
 話し合ってから決めてもいいし、なんだったら最初に決を取ってもいいんですって」
 ミーナさんは場の様子をぐるり一瞥し、
「――もうそっちの方がよさそうね」
 と、やれやれという感じに結論を下した。
 その裁量は妥当かつ賢明かつ素晴らしいものであったと思う。
 形式的なこういう場に慣れている人ばかりでもないのだ。
 私としても非常にありがたかった。早く家に帰ってポテチをつまみにビールが飲みたいし。

「それでは、決を取りましょう」
 ミーナさんの言葉に、これまでだらけにだらけていた他の陪審員たちの顔も一気に引き締まった。
 やれやれ。やっと自分たちの出番か。前振り長すぎだろ。
 そんなことを思っていたのかもしれない。たしかに長くなりすぎたから。
 まあとにかくそんなわけで、ようやく決を取ることになった。

「ギューティーよ」
 と、即答する1番陪審員のミーナさん。
 つい先ほど人前で涙を見せたとは思えない凛々しさだった。
 その毅然とした姿には、私もなんだか惚れぼれとしてしまう。

「……ギューティー……です」
 と、2番陪審員のリネット・ビショップさん。
 背後にどす黒いオーラが顕在化しているようで、正直あまり目を向けたくない状況だ。
 彼女と宮藤さんの仲だもの。それがこんな事件を起こしたとあっては、そうなるのも仕方ない。

「ギューティーだっ!」
 と、強く言い切ったのは3番陪審員の坂本美緒さん。
 なんでも宮藤さんがこの道に入ったきっかけは彼女にあるらしく、
 それだけに、その胸中にはかなり複雑な思いを抱えているに違いない。

「ギューティーダナ」
 と、4番陪審員のエイラ・イルマタル・ユーティライネンさん。
 飄々としていて、この状況をなんだか面白がっているようでもあった。
 アイツならいつかやると思ってタヨ、とでも言いたげな表情を浮かべている。

「それじゃあ私も。ギューティー」
 と、5番陪審員のエーリカ・ハルトマンさん(彼女とは私も面識がある)。
 言い終わるなり、大あくび。
 そうしてべとーとテーブルに身を投げ出し、だらだら。

「ギューティーですわね」
 と、6番――ではなく、7番陪審員のペリーヌ・クロステルマンさん。
 なっ、なんてことかしら。てっきり番号順に言っていくものかとばかり……。
 ここは6番陪審員の、つまりクリスちゃんの発言機会だったはずなのに。
 まだここまでクリスちゃんは1回もセリフがないのに。
 なのに、なんてことをしやがるの、この貧乳メガネ!
 これって絶対いじめ……いや、そうだったわ。そういえばこのクソメガネはツンデレだったのだ。
 つまりこれはツンツン状態発動中ってこと?
 ――いいえ、それこそまずいわ。
 クリスちゃんが私以外の人とフラグを立てるなんてそれこそ許せたことではない。
 胸ぐらにつかみかかってぶん殴ってやりたい場面だけど――でもそんなことをしてしまうわけにもいかない。
 まかりなりにも私は看護婦。バイオレンスな方向はNGなのだ。
 ここは我慢よ、我慢。クリスちゃんはきっと大丈夫だから。
 落ち着けっ、落ち着くのよ、私…………………………よし、もう大丈夫。

「ギューティー、です」
 と、9番陪審員のサーニャ・V・リトヴャクさん。
 あくびをかみ殺して、なんとかといった喋り方だった。
 早く終わらせてエイラの部屋のベッドで寝たい――とでも考えているのかもしれない。

「ギューティーだわ」
 と、10番陪審員の穴吹智子さん。
 扶桑で屈指のウィッチであり、特に同性からの人気が高いことで知られている。
 彼女の扶桑人形は宮藤さんも所持していたという。

「ギューティーだよ」
 と、11番陪審員のフランチェスカ・ルッキーニさん。
 どこかご機嫌ナナメといった風だけれど、その理由は私にはよくわからない。
 ただ単に、退屈な話し合いに飽き飽きしているだけかもしれない。

「……ギューティー」
 と、わざわざ遠く扶桑から駆けつけてきた、12番陪審員の山川美千子さん。
 この中で宮藤さんと一番つき合いの長いのは彼女だ。宮藤さんとは幼なじみであり、はとこでもある。
 向かいに座るリーネさんと同様、どす黒いオーラをまとっていて、やはり見れたものではない。

「ギューティーです」
 と、少しの間を置いて、6番陪審員のクリスちゃん。
 よかった。アクシデントにも対応して、しっかり言えたわ。その姿は堂々としてて、惚れ直しそうだった。
 絶賛入院中の身でありながら、わざわざこんなところまでやって来たのだ。私と一緒に。2人きりで。

 ――ともかくそうしたわけで、これで全員の意見が出揃ったわけだ。
 各々のうちうちにさまざまな思いを抱えながらも、全員一致でguitly(有罪)。
 私はそっと胸を撫で下した。
 終わってしまうと案外あっけないものね。
 緊張の息が切れると、ふぁあ、と大きなあくびが出てしまった。
 さて、それじゃあさっそく帰りましょうと、私は椅子から腰を上げようとして――
 数秒間、硬直した。
 恥ずかしいことをしてしまった。すぐさま座り直す。
 だって誰一人として、立ち上がるそぶりすら見せないのだから。
 なにか私、おかしかったかしら……?
 じぃっと場の空気を確認してみると、彼女たちの視線は一点へと集まっていた。
 私のお義姉さんへと。
 じゃなかった、クリスちゃんのお姉さんである、8番陪審員のゲルトルートさんへと。
 ゲルトルートさんはむすっと口元を閉じ、眉間に皺をよせ、深くなにかを考え込んでいるようだった。
 彼女がどうかしたのかしら? 私は記憶をまさぐってみた。
 きっとこれまでのことで、なにか見落としがあったはず――
 ああ、そうだった。ゲルトルートさんはまだなにもしゃべっていなかったのだ。
 ――でも、どうして?
 そうか。クソメガネに順番を飛ばされてしまったクリスちゃんを気づかって、待ってたのね。
 自分の順番を飛ばされてまで。それでも。
 なんという姉妹愛だろうか。くやしいけど、ちょっと妬けてしまう。
 でもそういうことなら、もう発言しても大丈夫だろう。
 私を含めた12人は、固唾を呑んでゲルトルートさんの言葉を待った。
 そしてようやく――ゲルトルートさんは、バンッ、と平手でテーブルを叩きつけ、声を大にして言った。

「ノット・ギューティー!!!!」

 そんなわけで今度こそ、12人の意見はまとまった。
 私は再び椅子から立ち上がり、帰る準備を始めることにした。
 でも、テーブルを叩きつけるなんてなんなんだろう。そういうの、よくないと思う。
 病室でもうるさくするし……クリスちゃんは大好きだけど、お義姉さんはちょっと苦手。
 そもそもなぜテーブルを叩く必要があるのか。
 もしかして格好つけてるつもりなのかしら。全然そんなことないのに。
 それに、そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるってば。
 そう、ノット・ギューティーって……
「えっ!?」
 思わず私は声をあげてしまった。
 しかし、その声はただちにかき消されてしまった。
 ざわ……ざわ……と部屋中が喧噪に満ちあふれる。みなが一様、今の私とおんなじ状況だった。
 が、それら喧噪をすべてはねのけて、

「どういうつもりだっ、バルクホルン!?」

 ぞくっ。
 と、肌寒さが全身を走った。会議室の気温が一気に下がったような錯覚を覚える、そういう声だった。
 声の主は坂本さんだった。
 眉をこれでもかとつり上げ、ギラリ、と見つめた物の穴があくんじゃないかというほど、
 その左目でゲルトルートさんを睨みつける。
 蛇であり、虎であり、獣の目だった。
 機嫌を斜めにしている。それどころか、縦? じゃなくて横? とにかく、機嫌が90度は曲がっている。
 鬼気迫るものさえ感じる、恐ろしさだった。もし私がそんな彼女と対面したら、間違いなく漏らすだろう。
 ――が、ゲルトルートさんはひるんだ様子など微塵も見せず、
「ノット・ギューティーと言ったまでです。坂本少佐」
 と、声を落ち着け淡々と答えた。
「だから、それはどういうことだと訊いている」
「ノット・ギューティー。扶桑語では『無罪』、カールスラント語では――」
「そんなことを私は言っているのではないっ!!」
「まあまあ。落ち着いて、坂本少佐」
 と、ミーナさんが対峙する2人にの間に割って入った。流石だった。肝が据わっている。
「とりあえず、バルクホルン大尉の話を……あっ、なにをしてるの、エーリカ。まだ終わってないのよ」
 え? 私はエーリカさんの席に目をやった。
 が、席はあいており、エーリカさんの姿はない。
 エーリカさんはいつの間にか扉のところまで移動していたのだった。
「えっ? だってもう決まりでしょ、11対1で」
 と、不思議そうに言うエーリカさん。
「そうじゃないの。12人が意見を同じにするまで、終わりにはならないのよ」
 ミーナさんの言ったとおりだ。
 陪審員の評決は全会一致を原則としている。
 11対1では評決は成立せず、全員が意見をあわせるまで評議が終わることはないのだ――それこそ永久に。
「そうだっけ?」
 エーリカさんは首をかしげ、めんどくさそうにとぼとぼとまた自分の席まで戻っていった。
「………………」
 水を差されてしまった坂本さんは、じぃっと腕組みをして、無言。
 機嫌は今なお治まってはいないままだけれど、怒らせると怖いし……私はこっそり安堵した。

 が、今度は他の人たちがゲルトルートさんに欝憤をぶちまける番だった。
「オイ、なにやってんダヨ」と、エイラさん。
「むー。もう終わるとこだったのにー」と、ルッキーニさん。
「まったく。ヘソ曲がりはどこにでもいるものですわね」と、貧乳メガネ……じゃなかった、ペリーヌさん。
 他の人とて、口には出さずとも同じようなことを思っているようだった。
 そもそもゲルトルートさんを除いた11人はギューティーと言っているのだ。
 それをたった1人の異なる意見のせいで、話し合いを続けなければならないなんて……。
「ねぇ、トゥルーデ。ギューティーに代えて」と、エーリカさん。
「できない」
「だってそれじゃ、いつまでも帰れないじゃん」
「かまわない」
「えーっ!? なんで!? 帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい!!」
 じたばたとだだをこね出すエーリカさん。
 しかし、ゲルトルートさんが態度を改めるようなそぶりはない。
「あー、もう。落ち着きなさい、ハルトマン」
 と、ミーナさんはたしなめると、今度はゲルトルートさんに向き直って、
「理由を聞かせてくれないかしら? なぜそうもノット・ギューティーを主張するのか」
「ああ。いいだろう」
 ゲルトルートさんは肘をテーブルにつけ、口元を手で隠しながらぼそぼそとしゃべり始めた。
「勘違いしないでもらいたいが、私は別に、宮藤可愛さにノット・ギューティーと言っているわけではない」
「だったらなんだと言うんだっ!?」と、激昂する坂本さん。
「まあまあ。落ち着いて。話を聞きましょう」
 と、すかさずミーナさんは止めに入った。
 場が一旦静まりかえるのを待ってから、ゲルトルートさんは発言を再開した。

「ただ私は、どうしてもこの判決に納得できないんだ。
 陪審員席で裁判を見ていると、頭の中にいくつも疑問がわき出てきて、
 なのに誰一人として、そのことを気にも留めようとしていない。
 弁護士は一体なにをやっている? なぜ異議を唱えない?
 そんな苛立ちにさいなまれながらも黙って聞いていれば、
 私のそうした疑問には一切触れもせず、とうとう裁判は終わってしまった。有罪判決でだ。
 まだ冤罪の可能性だって残されているんだ――なのに、なんだ?
 その可能性を探りもせずに、ギューティーと決めつけていいのか?
 もしこのまま有罪が確定してしまえば、宮藤は……宮藤はっ……」
 ぶわっ。
 と、ゲルトルートさんの両の目から滝のように涙があふれ出した。
「すっ、すまない……」
 ゲルトルートさんはテーブルの上の箱から2、3枚、ティッシュを抜き取ると、ぷーん、と鼻をかんだ。
 そして一度深呼吸をして気持ちを整え直すと、また話を続けた。

「この評議にしたってそうだ。なぜなんの話し合いもせずに、お前たちはギューティーと言えるんだ?」
「だってギューティーじゃん」
 と、エーリカさんは口を挟んだ。
「だ・か・ら、私は、どうしてそう言えるのかがわからないんだ」
「私はトゥルーデがわかんないよ」
 むー、とほっぺたをふくらませるエーリカさん。
「だからわかりあえるまで話し合おうと――」

「その必要はないっ!!」

 と、突然のがなり声。今まで静観していた坂本さんが、とうとう業を煮やしたのだ。
「一体なにを話し合う必要があるというんだ?」
 ギラリ、と坂本さんはバルクホルンさんをその眼光で見据える。
「そーそー! バルクホルンが話し出すといっつも長くなるんだから!」
 と、ルッキーニさんも坂本さんに賛同する。
「長くなったっていいだろう? 人一人の人生がかかってるんだ!」
「えーっ、だからって長いのはやだー」と、エーリカさん。
「あたしもやだー。帰りたい、帰りたいっ」と、ルッキーニさん。

 わいわいがやがや……わいわいがやがや……。

「静かになさい!」
 パンッ!
 と、両の手のひらを叩き、ミーナさんは全員に睨みをきかせた。
「もうやめて! 話を聞いてればなんだっていうの? 私だっていい加減、辟易してるのよ」
「そうだ、みんな。ミーナの言うとおり、ゆっくり私の話を――」
「いいえ、トゥルーデ。私はあなたに言っているのよ」
「えっ……!?」
「なんなの、さっきから。あなたってばいっつもそうよ。ワンマンプレーに走ってばかり……」
 ねちねちした口調で小言を言い始めるミーナさんに、ゲルトルートさんはうなだれ、時には謝りながらも、
「――だって疑問があるんだ。気になるだろう? それをみんなで話し合おう」
 とか、まだ反論しやがる。
「疑問なんて帰ってからゆっくり考えればいーじゃん」
 と、またしても口を挟むエーリカさん。
「それじゃ遅いんだ、ハルトマン! だいたい貴様、さっきから特に態度が悪いぞ」
「そんなことないしー」
 とは言うものの、エーリカさんはテーブルの上にべとーと胸をつけている。
「……ああ、そうだったな。お前の態度は最初っから最悪だったな」
「そんなことないー」
「どこがだ?」
 と言うと、ゲルトルートさんは深々とため息をついてから、 
「――では、ハルトマン。『それじゃあ』ってなんだ、『それじゃあ』って」
「なにそれ?」
「言っただろう、決を取る時に。『それじゃあ私も』って。貴様、それでも陪審員かっ!」
「私、そんなこと言ったっけ?」
 ハルトマンさんはうーんと首をかしげるも、すぐさま、
「じゃあもう、ノット・ギューティーでいいや。そしたら帰っていい?」
「そういう問題じゃない! ただ帰りたがってるから、みんなと意見をあわせただけじゃ――」
 バァァァンッ!
 と、テーブルに平手打ちするミーナさん。
 どういう叩き方をしたらそんな音が出るんだろう? なんだか怖かった。
「ほら、あんまり2人で話しこまないの。あなたたちっていつもそうよね、私をのけ者にして……。
 私を誘ってくれずにに2人で遊びに行ったことがあったし、他にも……」
 ミーナさんは延々と愚痴を再開。
 ゲルトルートさんとエーリカさんはそろってごめんなさいするも、なおもミーナさんねちねちねちねち――

「…………あの、ちょっといいですか?」

 と、そんなカオスの中、ぴしっと手を挙げての発言が割って入った。
 クリスちゃんだった。
「私、考えたんですけど……」
「あら、なにかしら、クリスちゃん?」
 と、正気を取り戻したミーナさんは訊ねた。
「クリス! お前もよく考えた末、ノット・ギューティーに意見を代えるのか! 流石、私の妹だ!」
 ゲルトルートさんは飛び上りそうな反応をするも、
「ううん、お姉ちゃん。それはないよ」
 というあっさりした返事に、いっそみじめなほどうなだれた。いい気味だった。
「じゃあトイレか? だったらこの部屋の奥に――」
「どうしてそうなるの? 怒るよ、お姉ちゃん」
 一瞬むっとするも、クリスちゃんはすぐ気を取り直し、みんなに向けて言った。
「――そうじゃなくて、話し合いの方法を思いついたんです」
「話し合う必要はないと私は言ったはずだが?」
 と、坂本さんは喰ってかかった。あの瞳が、今度はクリスちゃんへと向けられる。
 それでもクリスちゃんはひるんだ様子は一切見せず、
「でもこのままでは、それこそ永遠に評議は終わりません」
 ってはっきりと反論(惚れ直した)。

「お姉ちゃんは意見を代えるつもりはないんだよね?」
 と、クリスちゃんはゲルトルートさんにそう問いかけた。
「ああ、当然だ」
「その理由は、疑問があって解明されてないからということでいい?」
「そうだ。それが晴れない以上は――」
 クリスちゃんはその答えに満足そうにうなずくと、その場の全員に向けて言った。

「ということはです。その疑問をお姉ちゃん……ゲルトルートさんが挙げて、
 それをみんなで反論していけばいいんじゃないでしょうか」

「それはいいアイデアね」
 と、ぱん、と手のひらを合わせながらミーナさん。
 それを見てクリスちゃんはほっと一息つくと、次は坂本さんに、
「坂本さんもそれでいいですか?」
「……ああ。どうせ大した疑問でもないだろうしな」
 と、不満そうではあるけれど、了承。
 それに他のみんなもそれに続いて、その意見が取り入れられることになった。

「――というわけで、お姉ちゃん。その疑問ってなあに?」
 クリスちゃんが問いかけると、ゲルトルートさんはぱくぱくと口をあけた。
 その額に光るものが見えたのは、私の見間違いだろうか?
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
「い、いや、なんでもない」
 ゲルトルートさんはゴホン、と一度咳をすると、
「……そもそもこの事件は現行犯じゃなくてだな……
 ……ただ、いろんな状況を照らし合わせると、たまたま宮藤が怪しいというだけで……」
「うんうん――それで疑問っていうのは?」
「あっ、ああ…………これは疑問というより……問いかけといった方がいいかもしれないな……」
「どうした、バルクホルン? 歯切れが悪いぞ?」と、喰ってかかった坂本さん。
「……その、つまり……不明瞭な点がいくつもあるんだ……」
「不明瞭とはなんだ!? 証拠も証人もそろってるんだぞ!?」
「落ち着いて聞いてください、坂本少佐。ほら、えっと、たとえば……」
「たとえば、なんだ?」
「たったったったとえば…………そう、あの証拠! ほら、あの猿ぐつわに使われた、あれだ!」

 ええっと、そんなものあったかしら?
 私は手元の資料をめくってみた。
 猿ぐつわ、猿ぐつわっと……ああ、これのことね。
 犯人がネウロイにあえぎ声を出させないために噛ませたという猿ぐつわ。
 その布はブリタニアでは珍しいものが使われていて――

「扶桑手ぬぐいがどうしたと言うんだ?」
 ガーン! 坂本さんに先に言われてしまった。
「その扶桑手ぬぐいがおかしいと言うんです。なぜそれで、宮藤が犯人となってしまうのか」
「ここはブリタニアだ。扶桑手ぬぐいなど、そうそうあるものではない」
「だからってなぜそれで宮藤なんですか? 扶桑人だから扶桑手ぬぐいだとでも?
 扶桑手ぬぐいを根拠だとするなら、犯人の可能性は宮藤だけでなく、別に坂本少佐でも穴吹――」
「ちょっとっ! なんでそこで私の名前が出てくるのよ!?」
 と、突然話を振られてたじろぐ穴吹さん。
「そんなことあるわけないでしょう!? 私がネウロイのおっぱいを揉んだとでも?」
「そうは言っていないから、落ち着いて。これはあくまで可能性の問題として――」
「可能性? それがなんだって言うのよ!? 私にあるわけないでしょう!?」
「あるわけない、か――それじゃあ、1つ聞かせてくれますか?」
「な、なによ……?」
 改まったゲルトルートさんに対して、穴吹さんは身をかまえて訊き返した。
「あなたは扶桑手ぬぐいを持ってますか?」
 声を静めて、ゲルトルートさんはそう問いかけた。
「……持ってるけど」
 と、穴吹さんは言いにくそうに、それでもちゃんと答えた。
 ニヤリ、とゲルトルートさんは口元を上げて微笑む。
 それを見て、穴吹さんはたちどころに顔を真っ赤にして、

「手ぬぐい1枚持ってるだけで犯人にされなきゃならないのよ!」

 と、声高に叫んだ。
 しかし、ゲルトルートさんはその笑みを崩すことなく、
「そう、それだ! 私はその一言が聞きたかったんだ!」
 そう言って手を打って、そしてそう続けた。

「それは宮藤も同じ気持ちなんだ。たかだか手ぬぐい1枚であらぬ嫌疑をかけられたなんて」

 おーっ!
 と、場に歓声がわき上った――が、しかし、
「くだらん」
 と、ただ一言、坂本さんは吐いて捨てた。
「くだらない? なにがですか、坂本少佐?
 犯行に扶桑手ぬぐいが使われたことを根拠とするなら、それすなわち宮藤だという必然性はない。
 あるいはもしかしたら、そこの山川美千子だった可能性だってある」
「なにを言い出すんだ、お前は!?」
「坂本少佐は黙っててください――どうなんだ? お前は扶桑手ぬぐいを持っているか?」
 ゲルトルートさんの問いかけに、山川さんは力なくこくんとうなずいた。
「というわけです。つまり、犯人は山か――」
「バカを言うな! そんな可能性、あるわけないだろうっ!?」
 坂本さんは憤慨して、机越しにゲルトルートさんへと身を乗り出した。
「どうしてそんなことが言えるんです? 可能性が0%だとでも?」
「0%だ!」
「1%もないと? ……ゼロコンマ数%の可能性も? …………0.00001%くらいも?」
「当たり前だろう!」
「なぜそうやすやすと断言するのかっ!?」
「山川さんはこの裁判のためにわざわざブリタニアまで来たんだっ!!」
「それがどうしたって言うんだ!?」
「わからんのか!? 事件当時は扶桑にいたんだ!! それでどうやってブリタニアでおっぱいを揉めるんだ!?」

「…………………………」

 それまで必死に反論を続けていたゲルトルートさんが、言葉をなくしてしまった。
 坂本さんはそれを見て満足そうに、ふん、と鼻を鳴らした。
 当の山川さんはといえば、押し黙ったままだ。どす黒いオーラを背後にたたえて。
「まったく貴様ときたら――宮藤をかばいだてするくせに、その友人にはまるで犯人扱いか。
 おい、なにか言い返したらどうだ? こんなヤツに愚弄されたままでいいのか」
 と、坂本さんが山川さんに話を振ったところ、
「……友人じゃなくて許嫁です」
「そ、そうか。それはすまなかった」
 あっさりと謝罪する坂本さんだった。

「くそう……ライバル1人蹴落とせるチャンスだったのに……欲張りすぎた……」
 ゲルトルートさんが口の中でぼそぼそとなにかを喋っているけれど、よく聞き取れなかった。
「なにかトリックを使ったんだ、きっとなにか……」
 なんだか深く考えこんでいるようだけれど、それがどういうものであるかは私には汲み取れない。
 ――というか、もういい加減にしてくれないだろうか。
 2人ほどで盛り上がるのはいいけど、他のみんなのことを少しは考えたらどうなのかしら?
 やっぱりゲルトルートさんは苦手だわ。
 みんな早く帰りたいのに。椅子に座りっぱなしでお尻も痛いし。
 そんな私の気持ちを代弁者するように、
「なあ、もういいだろう? お前の疑問とやらは晴れたんだから」
 坂本さんはそう、言ってのけた。
「ではお前も、ギューティーに意見を代えるんだな?」
「そっ、それは……」
「ん、どうした? そういう約束だっただろう?」
「まっ、待って! まだ疑問は完全には晴れていない。最後に一つだけいいですか?」
 手のひらを出して坂本さんにストップをかけるゲルトルートさん。
 ここまで見苦しいと、もはや見苦しいオブ・ジ・イヤーだわ。
「最後だというならかまわないが」
 と、しぶしぶながら、坂本さんは了解した。
「では訊ねます――坂本少佐、あなたは扶桑手ぬぐいを持ってますか?」
「なにをまた。それがどうしたというんだ、お前は?」
「訊いているのはこっちです。どうなんですか? 所持しているのか、そうでないのか」
 執拗なゲルトルートさんの追及に、坂本さんは一瞬息を呑み、そしてぼそぼそと、
「…………ている」
「聞こない。はっきりと」

「……持っているが、それがどうした」

 と、ばつが悪そうに口にする坂本さん。
 形勢逆転、今度はゲルトルートさんがニヤリと笑みを浮かべる番だった。
「なっ、なにがおかしいっ!?」
「わかってしまったんですよ、この事件の真相が」
「真相だと? だから宮藤が犯人なのだろう?」
「いいや、違う。そもそも最初からおかしいと思ってたんだ。
 坂本少佐、あなたの言動のその一部始終を思い返してみればぷんぷん匂う。
 一体なんの恨みがあって、そこまで宮藤をギューティーだと断言するんです?」
「それは私が宮藤を――」
「こうは考えられませんか? 濡れ衣を着せるつもりだった、と」
「濡れ衣だと……? どういう意味だ?」
「しらばっくれるのはやめたらどうです? 私にはすべてわかってるんだ。つまり――」
 びしっ!
 と、ゲルトルートさんは人差し指でその人を指差した。

「真犯人は坂本少佐、あなただったんだ!!!!」

「はっはっはっはっは!」
 と、坂本さんは天井を仰いで高笑い。
 清々しいまでの明朗快活な笑い声――が、それもすぐさま豹変、
「言いたいことはそれだけか?」
 静かで冷たい、けれどそれゆえにどこまでも通っていくような声だった。
 さっきまでの威勢はどこへやら、ゲルトルートさんはすっかり居すくまってしまって、
「ええ……まあ……」
 と、渋りながらもなんとかそれにうなずいた。

 ええと、これってどういう状況?
 被告は宮藤さん。罪状は捕虜(ネウロイ)に対する強姦。
 それで裁判官の判決は“有罪”で、11人の陪審員たちはそれに賛同。
 が、そんな中でゲルトルートさんただ1人が、ああだこうだと難癖をつけて無罪を主張。
 そればかりか「実は真犯人は坂本少佐だったんだ!」とか言い出す始末――と、ここまで前回のあらすじ。

「最後ではなく最期だったわけだな」
 坂本さんはゆっくりと椅子から腰を上げた。その手には扶桑刀が握られている。
「そ、それはどういう……」
「長い付き合いだったな、バルクホルン――もとい、バルクホルン中佐」
「にっ、二階級特進っ!?」
 一瞬だった。坂本さんはテーブルの上を、対面するゲルトルートさんとの間合いを詰める。
 抜刀、そして大上段に振りかぶる。
 舞いでも舞っているかのような、流れる動きで。
 ああっ、ゲルトルートさん、あなたのことは忘れないわ。アーメン。
 ――が、それが振り下ろされることはなかった。
「やめてください、坂本少佐っ!」
「そうダ! 落ち着けヨ!」
 隣の席だったリーネさんとエイラさんが、寸でのところで坂本さんを羽交い絞めにしたのだ。
 私はそっと胸を撫で下した(私、看護婦だけど、血とかバイオレンスなのって苦手なのよね)。
 けれど、抗う坂本さんは2人がかりでも止められず、じりじりと刀を握られた腕は下がっていく。
「気持ちはわかるけれど、美緒落ち着いて。気持ちはわかるけれど」
 と、そこにミーナさんも横から加勢、止めに入る。
「放せっ! 放せっ!」
 が、坂本さんの乱心は3人でも完全に抑えることはかなわない。
 では4人、さらに5人……と増えていって、ついには10人がかりで坂本さんを抑えつけにかかる。
 テーブルの上でひしめき合う女たち11人。
 くんずほぐれつの、押し合いへしあい。おしくらまんじゅうでも見ているかのよう。
 ――っと。のほほんと観戦している場合じゃないわ。私も参加しなきゃ。
 私はよっこらせとテーブルに片足をかけると、

 どんがらがっしゃん!

 テーブルは倒壊し、大音声をたてた。
 これは別に、私1人の体重がどうとかそういうことでは決してない。
 片側に重量がよりすぎてしまったせいで、テーブルの脚がボキリと折れてしまったのだ。
 そうして、重なり合う12人の女体。即席醜い人間ピラミッド。
 その最底辺は坂本さんだ。床に強く打ちつけたのだろう、額からはどばどばと血を流している。
 ――だがしかし、激昂はなおも治まらない。
 かぶさる人々をはねのけ、引きはがし、坂本さんは一歩また一歩とゲルトルートさんの元へと歩みよっていく。
 まさに鬼。そうとしか形容しようがない。私、いま、初めて鬼神というのを見た。
 たかだか11人がかりなんて意味はなさなかった。1人また1人と力尽き、脱落していく。
 かたやゲルトルートさんはと言えば、すっかり気おされてしまっている。
 メドゥーサに対面したかのよう、石になり、逃げるどころか椅子から立ち上がることさえできそうにない。
 ああっ、もうおしまいね……
 私はすっかり諦めてしまっていた。
 というか、腕が痛い。なんでこんなことしてるのか、わけがわからない。
 いや、他のみんなだってそう……いやいや、まだ1人いた。
 クリスちゃんだ。
 ただ1人、か細い腕で、それでも懸命に、ずるずると坂本さんに引きずられていく。
「やめてください! こんなのだけど、私のたった1人のお姉ちゃんなんです! こんなのだけど!」
 ああ。そうよね、クリスちゃん。たった1人の肉親なんだものね。
 諦めたらそこで姉妹終了なんだもの。私もこんなところであ……
 ――あっ!
 いや、ちょっと待って。
 身寄りを亡くして傷心のクリスちゃん→そこに颯爽と現れる私→(以下自主規制)。
 あれ? これって私にとってもしかしてチャンス?
 あれあれ? これって完全犯罪じゃないのかしら?
 私はこっそりと力をゆるめた。
 いけいけ、坂本さん! やっちゃって! ハラキリよ、ハラキリ!
 キラリと白刃が光る。ゲルトルートさんの脳天めがけて、光は1本の鋭い線となった。

 ………………ばたっ。

 後に残されたのは人の倒れる音だけだ。
 ゲルトルートさん――ではなく、坂本さんの。
 頭を強く打ちつけ、盛況に血を飛ばし、そんな状態での大立ち回りがたたったのだ。
 剣先はゲルトルートさんの額あと数ミリというところを通過したものの、傷を負わせることは至らなかった。
 その代わりにパラパラと、前髪が散って落ちていたた。
 よか……いや、惜しかった。
 喧噪が一転して、場は清閑なものに変わった。
 ゲルトルートさんのぽかんと開いた口がなにかを言おうとするものの、すでにそれは声を失くしている。
 ほのかにアンモニア臭がした。

 評議が再開するまでに少しの時間を要した。
 坂本さんの手当てやら場の片づけやら……本当であればこんなこととっくに終わっていたはずなのに。
 そもそもゲルトルートさんがただ1人、ノット・ギューティーだなんて言い出さなければ……。
 昏倒した坂本さんは、私が介抱することになった。
 手があいてるからとかそういう理由で(暇そうだったから?)。
 幸い、坂本さんの命に別状はないものの、未だに目は覚ましていない。
 ああっ、どうしてこんなことになってしまったのかしら――?
 私は眠れる坂本さんを膝枕しながら、うつらうつらしていた。

「それでトゥルーデ、あなた一体どうするつもり?」
 陪審員長のミーナさんは問いかけた。
「なにがだ?」
 と、しれっと返すゲルトルートさん(あんなことをしでかした後だというのに)。
「わかっているでしょ? あなた1人がノット・ギューティーなんて言ったせいで、みんな大迷惑してるのよ。
 そのせいでいつまで経っても評議は終わらないし、挙句の果てには美緒を犯人扱い……」
「そうですわ! 坂本少佐がそのようなこと、なさるはずがありませんでしょう」
「そ、それは私が悪かったと思っている」
 ゲルトルートさんは母親に叱られる子供のように、しゅんと顔をうつむかせる。
「だったら、わかっているわよね?」
 ね? と語尾でミーナさんは首をかしげてみせた。
「でも――」
「『でも』じゃないわ」
「けれども――」
「『けれども』じゃないの」
「だがしかし――」
「『だがしかし』でもないの! どうしてそこまで宮藤さんの無罪を主張するの? 意味がわからないわ」
「だから言っているだろう、ミーナ。いいや、他のみんなも聞いてくれ。
 言おうとしていることはわかっている。私にギューティーと言えということだろう?
 でも待ってほしい――それで本当にいいのだろうか? おいそれと意見を変えてしまっても。
 さっきのことか? たしかにさっきはとんだ早合点でみんなにも迷惑をかけた。心から反省している。
 だがしかし! 
 私の疑問はまだ晴れていないのに、なぜ意見を変えねばならんのだ?
 まだろくに話し合いもしてないのに、なぜギューティーと言わなければならない?
 判決に対して議論を交わし合い、その妥当性を判断する、それが私たち陪審員12人の役割ではないのか?
 それがみんなしてなんだ? ここで私がギューティーと言ってしまったら宮藤はどうなる?
 そんな私に暴力に屈せとでも?」
「ええ」
 うなずいた。今、ミーナさんがうなずいた。
 むむむ、と表情を曇らせるゲルトルートさん。

「証拠はあがっている。証人も2人いる。動機もある。アリバイはない。これ以上なにが必要だと言うの?」
「それら1つ1つを丹念に検証していけば、なにかわかることがあるかもしれないだろう?」
「それもー裁判でやったじゃん」
「だが、ルッキーニ。裁判が間違っていた可能性だってあるだろう?」
「間違い? そんなの、私やトゥルーデが話をしてわかることでもないでしょ」
「本当にそうなのか、ハルトマン? ではなぜ私たちは裁判の後にこうして集められたんだ?」
「しんないよー」
 うー、とうなだれ机につっ伏すエーリカさん。すーすーと、すぐに寝息をたて出した。
「起きろ、ハルトマン!」
 ゲルトルートさんは大声を出すものの、ハルトマンさんの起きる様子はない。
 諦めたようにゲルトルートさんは1つため息をつくと、他のみんなに向かって語り出した。
「仮に有能な検事の技量を1000万パワーとしよう。対して私のような一般人は100万パワーといったところだろう。
 たしかに私1人ができることなど1000万パワーに比べれば微力なものに思える。
 だが幸運なことに、私は1人ではない。
 ――扶桑のことわざに、『三人寄れば文殊の知恵』というものがあるそうだ。
 平凡な人でも3人が協力すればよい知恵が出るという意味らしい。
 すなわち! 100万パワーが×3で300万パワー!
 そのうえ! 陪審員はその4倍の12人だから、300万×4でなんと1200万パワー!!」
「その計算式はどうなんダ?」
「つまりだ。12人の陪審員は1人の法律家にも勝る存在なんだ!」
「はいはい、演説はそこまでにしてね。それで、結局なにが言いたいの?」
「そもそも地球温暖化の原因がCO2の増加だなんて――」
「おんだんか? しーおーつう?」
「なに言ってんの、トゥルーデ?」
「まったく意味がわかりませんわ」
「すまない。私はどうも口下手で困る」
 そう言うとゲルトルートさんは席から立ち上がり、わざとらしくゴホンと咳をして、
「つまり、私は常識を疑えと言っているんだ」
 カッコつけだろうか、なぜかうろうろと席のまわりを歩き出した。

「裁判は終始、偏見に満ちあふれたものだった。
 被告の不利になる証言や証拠をあげつらう検事――さも宮藤以外に犯人なんて考えられないという口振りでだ。
 貴様ら陪審員にしてもそうだ。被告の有罪を疑おうとせず、思い込み、決めつけきっている。
 さもそれが“常識”だとでも言わんばかりに。
 ――だから私は、もう一度繰り返す。
 常識を、疑うんだ。
 疑うんだ、常識を。
 本当にそうだろうか? なにか他の考え方はないだろうか? そう問いかけてみるんだ。
 そう、たとえば――
 さきほど議題に挙がった扶桑手ぬぐいにしてもそうだ。これはたしか……ええと、なんだ……」
「猿ぐつわとして被害者の口を覆っていたものです。第一発見者の証言もあります」 
「ありがとう、クリス。そう、その扶桑手ぬぐいについてだが――
 たしかに検事の言うことにも一理ある。こういった柄の手ぬぐいはブリアニアでは珍しいものだ。
 しかし、だ。
 扶桑手ぬぐいが使われたから犯人は扶桑人に違いない――そう考えるのはあまりに安直すぎやしないか。
 これは扶桑というキーワードが共通するだけの本来なら別々の事柄を、
 無意識に関連づけて考えてしまうという、見えざるすり込みではなかっただろうか」
 一体どのへんが口下手なのか。
 よくもまあこうべらべらと舌が回るものだと感心してしまった。

 とはいえ、場の反応はどうにもにぶいものだった。
「でも、それだけで宮藤さんを犯人でないと言い張る根拠にはならないわ」
「それだけとはなんだ、ミーナ!」
「でも、あなたさっき言ったわよね? 扶桑手ぬぐいはブリタニアでは珍しい。それは認めるって」
「ああ……しかし、根拠たりえないことは証明してみせただろう。
 宮藤でなくたって、扶桑手ぬぐいくらい、扶桑人なら誰もがもっていると」
「ええ、一応ね……」
「宮藤かもしれない。その可能性は認める。しかし、真犯人が坂本少佐である可能性も――」
「まだ美緒を犯人呼ばわりするつもり? とことん命知らずね」
 声は穏やかさを保っているものの、ミーナさんの額にはピキピキと青筋が走っている。

「あの、ちょっといいですか」
 と、一方的な一触即発の空気の中、クリスちゃんはそう言いながら手を挙げて、
「この場合の争点は、誰が犯人かということではなく、宮藤さんが犯人かどうかということだと思うんですが」
「ええ、そういえばそうだったわね」
「なにを言っているんだ、クリス? 罪をかぶせた憎き犯人を――」
「ここは陪審員による評決の場。そういうのはいらないのよ、お姉ちゃん」
「そ、そういうものなのか?」
「うん。だからもう――これはみなさんも――誰が犯人かと言うのはやめにしませんか。
 そうじゃなくて、宮藤さんが本当に犯行を犯したのか、その検証をすべきだと思うんです」
「そうした方がよさそうね」
 しばらく間をおいてから、ミーナさんは了承した。
 その他の人からの反応は薄い。長話にぐったりしてきているのだ。

「わかってくれると思っていた。じゃあ、クリス。宮藤の無罪は証明できるか?」
「無理だと思う」
 ゲルトルートさんの問いかけに、クリスちゃんはふるふると首を横に振った。
「な、なぜだ!?」
 バタンッ、と音を立ててゲルトルートさんは椅子から立ち上がった。
「たしかに、その扶桑手ぬぐいが宮藤さんの物であったとは証明できないけど、
 でも、宮藤さんのものだと考えた根拠が他にあったこと、裁判で言われてたよね」
「なんだ?」
 と訊き返すゲルトルートさん。どうやら本当にわからないらしい。

「宮藤さんは事件の前後に、持っている扶桑手ぬぐいをなくしているんだよ」

 私は手元の資料をぱらぱらと確認してみた。
 たしかにそこには、宮藤さん当人が「手ぬぐいをなくした」と証言していることが記述されている。
「それがどうしたんだ? 持ち物をなくしたのは困ったことだが」
「思い出して、お姉ちゃん。第一発見者の証言の中に、こうあったよね?
 『ネウロイの口には扶桑手ぬぐいが猿ぐつわされていた』って」
「ああ」
「事件の前後に宮藤さんは扶桑手ぬぐいをなくし、それと同じ扶桑手ぬぐいは事件現場で猿ぐつわに使われた」
「そういうことです、穴拭さん」
「マヌケなことに、現場から回収し忘れたんですわね」
「ねぇ、お姉ちゃん。このことについてどう思う?」

「………………偶然だ」

「ぐーぜんなわけないじゃん!!」
 バンバンバンバン、ルッキーニさんはテーブルを叩きだした。
「宮藤はなくしたと言っているんだ。だったらそのとおりなんだろう」
「オイ、犯人の証言をマに受けるつもりカヨ? バカも休み休み言えヨナ」
「じゃああれだ。宮藤の部屋からこっそり手ぬぐいを盗み出した何者かが、宮藤に罪をなすりつけようと――」
「だからお姉ちゃん。真犯人捜しはしなくていいんだって」
「いや、しかし……」
「トゥルーデ。どうして素直に宮藤さんがやったって認めないの?」
「だって現場で見つかった扶桑手ぬぐいには、宮藤の名前は書いてなかったんだろう?」
「そんな、たかだか名前くらいで」
「いや、それだけじゃないっ!」
「な、なんですの?」
「名札シールだって貼られていなかった!」
「お姉ちゃん、それって別に変わってないよ」
「そもそも扶桑手ぬぐいってつるつるしてるし、使っていたら濡れるものよ。シールなんて貼るわけないわ」
 口を開けば批判の雨あられ。
 ゲルトルートさんはだんだんと涙目になっていった。

「仕方ないな。これだけは出したくなかったが――」
 ゲルトルートさんはそう言うと、上着のポケットに手をつっこんだ。
「名前が書かれていないからといって、本人のものでないとは言えない。そう言いたいんだろう?」
「ええ、そうよ」と、ミーナさんはうなずいた。
「では訊くが、逆に名前さえ書かれていれば、それは本人のものであると考えていいのか?」
「まあ、それはそうでしょうね」
「だからってそれがどうしたんダヨ? オマエ、宮藤のなくしたとかいう手ぬぐい、持ってるのカ?」
 エイラさんは椅子の背もたれにもたれかかりながら、そう言う。
 すると、ゲルトルートさんは不敵に微笑んだ。
「持ってるのカ?」
 身を乗り出し、同じ言葉を訊ねかけるエイラさん。
 ゲルトルートさんは汚い笑みを浮かべながら、
「事件現場で発見された扶桑手ぬぐいには、宮藤の名前は書かれていなかった。
 とはいえ、他の状況から考えて、それをお前たちはそれを宮藤のものだと考えた。そうだったな?」
「ああ、そうダナ」
「しかしだ。もしそれとは別に、宮藤の名前の書かれた手ぬぐいがあるとしたらどうだ」
「そ、それは……」

 ばんっ!

 ゲルトルートさんはポケットから抜き出した手をテーブルに叩きつけた。
 机の上に広がる布きれ。遠目だけれど、その独特の模様はたしかに扶桑手ぬぐいだ。
 エイラさんは目を丸くしてその手ぬぐいを凝視する。
 他のみなさんも、それを取り囲むように群がって、いくつもいくつも驚きの声をあげる。
「どうしたんダ、コレ?」
「拾ったんだ。たしか、事件現場の近くでだったか」
「どうしてそんな大事なものを、今まで出さなかったの、お姉ちゃん?」
「切り札は最後の最後まで取っておくものだろう」
 そういうものなのだろうか?
 まあともかく、私もそれを拝むべく、よっこらせと立ちあがろうとした。
 と、その時だった。
 寝言だろう、膝枕している坂本さんの声が聞こえたのだ。
 この騒がしさの中だし、声は小さなものだったので、私以外は聞き取れなかっただろう。
 けれどたしかに、寝言で坂本さんはそうささやいたのだ。
 ミヤフジ、と。

 私も、問題の扶桑手ぬぐいとやらを拝見してみた。
 たしかにそこには、油性マジックで『官藤芳佳』と書かれていた。
 これは宮藤さんがなくしたという、その手ぬぐいとみて間違いはなさそうだ。
 ――――いや、ちょっと待って。
 私はブリタニア生まれの、扶桑語にちんぷんかんぷんなのだ。
 たしか漢字という文字だっただろうか、私の目にそれは、文字というより模様に見える。
「これって本当に宮藤さんの名前が書いてあるんですか? 読めなくって」
 私はとりあえず、手近にいたルッキーニさんに訊いてみた。
「わかんない」
 が、ルッキーニさんは首をぶんぶんと横に振るう。
「そんな。驚いていたのに」
「だってみんなが驚いてたからそうなのかなーって。
 ――どうなの、エイラ? これって芳佳の名前が書いてある?」
「エッ!? いや、その……」
「ねー、どーなの、どーなの」
「………………ゴメン。私にもわからない」
 エイラさんはぺこりと頭を下げた。
「じゃあどうして驚いたりしますの? まったく、まぎらわしい」
「だ、だって。バルクホルン大尉があんなふうに出してくるもんだからサ。つい……」
「みんな待って。ここにはちゃんと扶桑人もいるじゃない――どうなのかしら、穴拭さん?」
「どうって言われても」
 穴吹さんはマジックを手に取ると、部屋の前にあるホワイトボードに一文字一文字書いていく。
 手ぬぐいと同じ漢字が、そこに並んでいった。
「間違いないんじゃない。もっとも私には、宮藤さん本人の字なのかはわからないけど」
 穴吹さんはまた元いた場所まで戻ってくると、また手ぬぐいに目をやった。
 ――すると、
「あら?」
 食い入るように穴吹さんは、手ぬぐいに書かれた文字を見つめた。
「どっ、どうかしたのカ?」

「これ、宮藤の『宮』が違っているわよ」

 驚嘆の声が沸く中、穴吹さんはもう一度マジックを手に取ると、ホワイトボードに面と向かった。
「いい? 『宮』という字はこれ」
 と、さきほど書いた宮の字をぐるぐる囲むと、
「でも、よく見て。そこに書かれているのは『官』になってる」
 その右に『官』と書いてみせた。
 私は手ぬぐいにあるその1文字を、注意深く確認した。
 たしかに。そこに書かれているのは、『宮』じゃなくて『官』だった。
「その2つって違う字なのカ?」
「ええ。字づらは似ているけど、ぜんぜん別の字よ。これじゃ『みやふじ』じゃなくって『つかさふじ』ね」
「どういうことかしら、それって」
「まっ、間違えたんじゃないのか?」
「そんなことがありえますの? いくら豆狸と言っても、自分の名前を書き間違えるなんて」
「とても考えがたいことね」
 穴吹さんはそう結論を下すと、
「どうでもいいけど、私もよく名前の漢字を間違えられるのよね。『穴拭』なのに『穴吹』って」
 ひとりごちる穴吹さん――じゃなかった穴拭さん。すいませんでした。

「どうかしたの?」
 と、この騒ぎでようやく目を覚ましたエーリカさんが、私に訊ねかけてきた。
 実はかくかくしかじかなんです。
 私は彼女が寝ている間にあったことを説明した。
「ねぇ、それちょっと貸して」
 と、エーリカさんは手ぬぐいを手に取ると、書かれた文字をしげしげと確認し、言った。
「なあんだ。これ、トゥルーデの字じゃん」

 …………………………。

「わ、私はただ『宮藤の名前が書いてある』って言っただけで、『宮藤が書いたものだ』と言ったわけじゃ……。
 私が書いたとかそういうことをなんだそのちょっと言い忘れてしまっただけで……」
 苦しい。あまりにも見苦しすぎた。
 たしか偽証罪は立派な犯罪行為にあたったはずだ。というか、こんな人が本当に陪審員でいいのだろうか。
「だが、待ってくれ! 事件現場で拾った。これは本当だ」
 この期に及んで、まだそんな戯言を信じろというのかしら。
「これは宮藤のものだ。間違いない。間違いないんだ」
「なんであなたにそんなことがわかるの?」
「芳佳の匂いがするんだよ! 私にはわかるんだよ!」
 鼻息荒くのたまうゲルトルートさんに、その場に全員が絶句する中、

「そこまでにしたらどうだ」

 と、私の背後から声がした。
 坂本さんだ。どうやら無事に目を覚ましたらしい。
「すべてではないが、話は聞かせてもらった」
 ゆっくりと体を持ち上げる坂本さん。その手には扶桑刀が握られている。
 ゲルトルートさんの顔面が急速に色を失っていく。
 が、そんな2人の間に、臆することなくクリスちゃんは割って入った。
「待ってください! バイオレンスなのはいけません!」
「そうだ。クリスの言うとおり――」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
 いつになく棘々しいクリスちゃんの言葉に、ゲルトルートさんはしゅんとした。
 クリスちゃんは坂本さんに向き直り、
「たしかにお姉ちゃんはいけないことをしました。というより、犯罪です。
 でもだからと言って、殺生はいけません! それだって犯罪じゃないですか!」
「だが、こいつが生き続けているかぎり、話し合いは永久に終わらないんだぞ!?」
「そんなことはありません! ――そうだよね、お姉ちゃん?」
「えっ!?」
「だって今から、お姉ちゃんがギューティーと言いますから。それで評決はおしまいです」
「いや、私はそんなことは一言も」
「お姉ちゃん、言って。ギューティーって」
「だが、そうすると宮藤は……」
「言って!」
「…………」
 押し黙って考え込むゲルトルートさん。
 その間にも坂本さんの無言の威圧は続いている。
 そればかりか他のみんなからも。まさに四面楚歌の針の筵。
 しばらくの間があった。
 ゲルトルートさんはようやく、観念して口を開いた。

「ギューティー―――――――――――――――――――――――――――――――――とはまだ言えない」

「お姉ちゃんっ!!」
「違う! これは別に、言うつもりがないとかではなくて……」
「いい加減にしろ、バルクホルン。だったらなんだと言うんだ!?」
 坂本さんは刀の鍔に指をかけた。
「今までの話し合いで、意見をノット・ギューティーに替えた人がいるかもしれない。
 それが1人でもいれば、仮に私がギューティーと言っても、評決は決まらない。そうだろう?」
「トゥルーデ。私たち別に、話し合いが続いて欲しいわけじゃないし」
「だいたい、そんなヤツがいるわけないダロ」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。こればかりは訊いてみないとわからない。
 私は、1人でもノット・ギューティーと言う人間がいることに賭けてみたい」
「どうしますか、陪審員長のミーナさん」
「そうね……まあ、挙手なら10秒もあれば終わるし」
「待ってくれ、ミーナ。話し合いに積極的に参加していた人ばかりではない。ここは無記名投票にしないか?」
「うえーっ、めんどーい」
「もし誰もいなければ、それで本当に終わりだ。頼む、このとおりだ」
「紙の無駄だ」
「再生紙を使って、古紙のリサイクルにちゃんと出します。紙の無駄にだけはしません」
 ゲルトルートさんはみんなに深々と頭を下げた。
 チッ、と坂本さんは舌打ちして、
「論法がグダグダじゃないか!」
「ちゃんと論理的です!」
「言う気ありまして?」
「次は絶対言う!」
「その言葉、信じていいんダナ?」
「次は絶対言う!」
「トゥールーデ!(大合唱)」
 そんなわけで、2回目の採決が無記名投票で行われることとなった。

「書きながらでかまわないから、私の話を聞いてくれないか」
 ゲルトルートさんはそう切り出した。
 11人が席に着き、各々に紙とペンが配られている。
「先月のウォーロックの一件のことだ。私はずっと、悔いていたんだ。
 あの時、私は宮藤のことを信じてやれなかった――
 宮藤の言うことに耳を傾けてさえいれば、あのヒゲのたくらみなんてもっと早くに叩きのめせていたのに。
 たしかにネウロイのおっぱいを揉んだのは宮藤だと思う。限りなくクロに近いグレーだ。
 ――だが、たとえ1%でも無実の可能性があるなら、私はそれを信じてやりたい。
 いいや、私だけじゃない。お前たちにも宮藤のことを信じてやって欲しい。
 それがチーム、いいや家族というものだろう?」
「今になって泣き落としなんて、ずいぶん姑息なことをしますのね」
 と、ペリーヌさん。言葉とはうらはらに、ペンを走らす手はどこかぎこちない。
「私がお姉ちゃんで、芳佳が妹だろう? 芳佳だけじゃない。私とってはお前たち全員が妹だ。
 ――あ、ミーナは年上だから違うな」
「喧嘩売ってるの、トゥルーデ」
「すまん、脱線した――リーネ、本当にこれでいいのか? お前と宮藤はあんなに仲が良かったのに」
「……はい」
「大切な親友じゃないか」
「……親友じゃなくて婚約者です」
「そ、そうか。それはすまなかった。――だが、だったらなおさら、宮藤のことを信じてやるべきだ」
「芳佳ちゃんのことだから信じられないんです!」
「違う。宮藤は犯人じゃない」
「バルクホルンさんになにがわかるって言うんですか!? 芳佳ちゃんのことを一番理解してるのは私なのに!」
 リーネさんは音を立てて椅子から立ち上がった。
 すごい剣幕。その目には涙を浮かべている。ゲルトルートさんはそれに気おされて後ずさった。
 ――が、

「異議ありっ!」

 声が上がった。山川さんだ。
「芳佳ちゃんのことを一番理解しているのは、あなたじゃなくてこの私です!」
 山川さんが音を立てて椅子から立ち上がる。
 リーネさんと山川さん。テーブルの対面に位置し、対峙する2人。
「そんなことない! 私が一番だもん!」
「ううん、違う! だって芳佳ちゃんと私は 幼 な じ み なんだから!」
「くっ……!」
 山川さんの言葉のオーラに、思わずリーネさんはのけぞった。
「はやく訂正して! 芳佳ちゃんの一番の理解者は私、山川美千子、みっちゃんだって!」
「違うもん! 私だもん!」
「あなた、知りあってたかだか数ヶ月ぽっちのぽっと出じゃない!」
「ぽ、ぽっと出っ……!?」
 リーネさんが後ろに飛んだ。いや、飛ばされた? どうやら気にしていたらしい。
「ようやく自分の分際がわかったみたい」
「た、たしかに、芳佳ちゃんとの付き合いはあなたの方が長いのかもしれない――」
「じゃあ訂正してよ! はやく!」
「でもっ!! 思い出は量じゃなくて質なんじゃないの!?」
「なっ、なにを言っているの……?」
「私と芳佳ちゃんは、何度も同じ死線をくぐり抜けてきた仲だもん! 結ばれた強い絆だもん!」
「くっ……!」
 リーネさんの言葉のオーラに、思わず山川さんはのけぞった。
「分際がわかったのはあなたの方だったみたいだね」
「そ、そんなはずない……!」
「だいたい、あなたってそもそも、ウィッチじゃなくてただの脇キャラだし!」
「わ、脇キャラ……!?」
 山川さんが後ろに飛んだ。いや、飛ばされた? どうやら気にしていたらしい。
 こんな感じで、2人の言葉と言葉、ノーガードの殴り合いはしばらく続き、
 やがてそれはなぜだかクイズバトルへと発展した。
 すっかり蚊帳の外となっていたゲルトルートさんは、いつの間にかどこかに消えていた。

「はいはい、2人とも。そこまでにして」
 手のひらを叩きながら、ミーナさんはたしなめた。
「でもミーナ中佐、『クイズ私の芳佳ちゃん』は次がアタックチャンスといういいところなので」
「いい、リーネさん。これから開票をするから、続きは評決のあとにしてね」
「でも……」
「私はかまいません。別に魔が差されても、今のリードが逆転されるわけありませんから」
「くっ……!」
「私、なにかお手伝いしますね」
「ありがとう山川さん。それじゃあ、ホワイトボードをおねがいできるかしら」
「はい、任せてください」
「それでは票を私の席に集めて」
 ミーナさんの元に、手渡しで折りたたまれた紙が集まっていく。
「では、これより開票作業を始めます」
「ねーねー、ミーナ。私、もう帰っちゃっていい?」
「ええ。帰り支度が済んだ人から部屋を出て行ってかまわないわ」
「やりぃ」
 エーリカさんはブーンと一目散にドアへ向かって駆け出した。
「待て、ハルトマン! まだ開票は終わっていないだろう」
 と、いつの間にやらまた姿を現したゲルトルートさん。一体どこへ行っていたのだろう?
「でも、ミーナは帰っていいって言ったよ?」
「ダメだったらダメだ。席に戻れ」
 ゲルトルートさんはエーリカさんの席を指差す。
 ぶーぶー文句をたれながらもエーリカさんは自分の席に戻っていった。
「ミーナ、お前もなにをやっているんだ。まかりなりにも陪審員長だろう?」
「別に問題ないでしょう。ノット・ギューティーなんて誰もいないし」
「そんなこと、票を確かめてみるまでわからないだろう」
「じゃあ、さっさと席についたらどう? あなたがいなかったせいで、壁側の列は票の回収が止まっているのよ」
「……ああ、そうする」

 ゲルトルートさんも席に着き、票もすべて集まると、ミーナさんは1枚目を開いて読みあげた。
「ギューティー」
 その言葉に、山川さんはホワイトボードに1本横線を引いた。
「ギューティー、ギューティー、ギューティー……」
 黙々と票を開いては、読みあげていくミーナさん。
 それにあわせて山川さんはホワイトボードに正の字を書いていく。
 1本、2本と、着実にギューティーに線が増えていった。
 ゲルトルートさんは持て余すように交差させた自分の指を、ただじっと見つめるばかりだ。
 正の字が2つできあがり、あと2票となった時、
「………………」
 テンポよく続いていたミーナさんの声がぱたりと止んだ。
「どうかしたのか、ミーナ?」
 ゲルトルートさんが問いかけると、ミーナさんは不機嫌さを隠すことなく、そう口にした。

「ノット・ギューティー」

 ざわ……ざわ……と場から声が沸きあがった。
「誰だ、こんなことをしたヤツは!?」
 坂本さんががなり声をあげ、キッと他の陪審員たちを一瞥した。
「わっ、わたくしではありませんわ!」
 と、真っ先にペリーヌさんが自身の無実を主張する。
「それでは無記名した意味がないでしょう――ともかく、賭けは私の勝ちだったようだ、坂本少佐」
 にやにやにやにや、ゲルトルートさんは憎たらしい笑みを浮かべている。
「こんなことが認められるかっ!」
「いいえ。約束通り、話し合いは続けさせてもらう」
 バチバチと火花を交える坂本さんとゲルトルートさん。
 今回に限っては、自分の優勢を確信するゲルトルートさんは強気だった。
 ――と、そこへ。
「あの、ちょっといいですか? おかしなことに気づいたんですけど」
 と、ちゃんと挙手して発言するクリスちゃん。
 その声にゲルトルートさんはびくっと体を震わせた。
「ど、どうしたクリス? 今、大事な話をしている最中で……」
「いや、詳しく聞きたいな。どうかしたのか?」
「ホワイトボードを見てください。ギューティーが10票とありますよね。
 それで――まだ書かれてませんけど――ノット・ギューティーに先ほど1票入った」
 今現在は11票目。これで間違いはありませんよね?」
「ああ、それで間違いない。それで、それがどうかしたか?」
「でも、まだ開票されてない票が1票あるんです」
 みなは一斉にミーナさんの方に目を向けた。
 そこにはたしかに、まだ開かれていない票が1票残っている。

「つまり、1票多いんです」

 ざわ……ざわ……と、また場から声が沸きあがった。
「これは陪審員12人のうち、姉を除く11人で行うものだったはずです。なのに、ここには12票ある」
 次の瞬間、みなの視線が今度はゲルトルートさんに集まった。
「くずして書かれてあるから気づかなかったけど、そういえばこれ、トゥルーデの字ね」
「そういえば先ほど1人だけ姿が見えませんでしたわね」
「いないと思ってたら、そんなことしてたの、トゥルーデ?」
「いや、これは、その……」
「言い訳無用」
 坂本さんが刀を手にした。
 もはや誰一人止める者はいないだろう。というか、みんな捕獲する側にまわった。
「まっ、待ってくれ」
 じたばたと逃げ場をさすらうゲルトルートさんは部屋の前まで行くと、
「そうだ。まだ開いてない票がある。それを見てからでも遅くない。もしかしたら――」
「そんなこと、あるわけないダロ」
 ゲルトルートさんは震える手でなんとかといった感じに、折りたたまれた紙を開く。
 そして、読みあげた。

「――――――――――ノット・ギューティー」

 読みあげた当人が、間違いなく一番驚いていた。
 あんぐり口をあけて、見開かれた目はまばたきすることなく紙面をとらえて放さない。
 どの反面、場はしらけにしらけきっていた。
 ああ、またかと。
「ノット・ギューティーだ! ノット・ギューティーと書かれているぞ!」
 問題の紙とやらを私たちに向けて振りかざすゲルトルートさん。まったく、とんだ演技派だわ。
 たしかにそこには、可愛らしい字でノット・ギューティーと書かれているけれど。
 ――でも、だからどうしたと言うのだろう?
 今さら、狼少年の言うことを誰が信じられると言うのか。
「こっそり1枚抜き取って、代わりに自分の書いといたのを混ぜたんでしょ」
「ルッキーニ、違う! 私は断じてそんなことしていない!」
「じゃあ誰が書いたって言うんダヨ!? オマエ以外にいるわけないダロ!」
「今度の今度こそ、本当に私じゃないんだ!」
「トゥルーデ、もう観念しなさい。あなた、見苦しいわよ」
「辞世の句を詠むがいい」
 坂本さんは刀を鞘から抜き、上段に構えた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
 ゲルトルートさん目がけ刀が振り下ろされんとする――その直前、

「待ってください」

 と、一体もう何度目だ、仲裁の声が入った。
 サーニャさんだった。てっきり寝ているのかとばかり思っていたんだけど。
「やめてくれないでしょうか、坂本少佐。お願いします」
「なんのつもりだ、サーニャ!?」
 坂本さんにギロリ睨みつけると、サーニャさんはびくっと体を震わせた。
「落ち着いてくれヨ、少佐。斬るのはサーニャの話を聞いてからでもいいダロ?」
 そんな2人の間にエイラさんは入って、坂本さんをなだめると、
「なあ、サーニャ。なんでこんなヤツかばうんダヨ?」
「だってそれは、バルクホルンさんの書いたものじゃないんです」
「そんなはずないじゃないカ。アイツ以外に誰がいるって言うんダヨ?」
「それ書いたの、わたしです」
「………………」
 エイラさんは絶句した。
「どうしてそんなことをした?」
 坂本さんが問いかけると、サーニャさんは少し間を置いてから、意を決して言った。

「わたし、セリフが全くなかったんです」

 みんなはすっかり押し黙ってしまった。
 その沈黙が、サーニャさんに次の言葉をうながす。
「わたしはに別に――バルクホルンさんみたいに――
 芳佳ちゃんがノット・ギューティーだという確信があるわけじゃありません。
 というより、間違いなくギューティーだと思います。
 でも、自分がなにも会話に参加しないまま、評決が終わってしまうことが、嫌だったんです。
 本当にごめんなさい。わたしはただ……」
「ただ、なんだ?」
「ただもっと、みんなとおしゃべりがしたかったんです」

 しばらくの間があり、そして――
「いいだろう」
 フン、と坂本さんは鼻息を鳴らすと、刀を鞘におさめたのだった。

「それならさっさと続けようよ」
「なにをおっしゃいますの、ハルトマン中尉。さっきまであんなに帰りたがってたじゃありませんの?」
「そうだっけ?」
 真っ先に着席するエーリカさん。ペリーヌさんもやれやれとそれに続いた。

「どうやらクイズの続きはもう少し先みたいね」
 リーネさんは山川さんに語りかけた。

「言ってくれればよかったのに。あたしもサーニャとお話ししたかったし」
「ありがとう、ルッキーニちゃん」
「わ、私だっておんなじダゾ!」
 ぞろぞろと自分の席に戻っていく一同。

「さあ、それでは評議を再開しましょうか」
 ミーナさんの言葉に、みなは声を出してうなずき答えた。

 ただ1人、ゲルトルートさんは已然その場につっ立ったまま、
「なんだか、私とはえらく反応が違いすぎないか……?」
 と、ぼそりつぶやいた。
 それはまず間違いないと思う。

 まあそうしたわけで、10対2の延長戦が始まろうとしていた――


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