If.<イフ> -ジ・アナザー・ストーリーズ-CASE 05:"THE BEAUTIFUL VOICES"


 今日も小さなホールに、美しい歌声が響く。人々はその声に魅せられ、しかし彼女が当初魅せられていたものはもう遠く離れてしまっている。かつては
憧れたものも、今は遠くかすんで見えない。それ故か、美しいはずの歌声は多くにまで響かず、その声に魅せられた人はほんの一握りでしかない。それでも
彼女はその先に希望があると信じて、ただひたすらに歌い続ける。運命の悪戯に、助けられながら。


 CASE 05:"THE BEAUTIFUL VOICES"
 ―――空に憧れる歌姫と、空から道を違えた運命。その運命が、導く先とは――。




「お疲れ様です」
「ええ……流石に今日は疲れたわね」

 青いドレスを片付け、私服に戻った女性が一人。傍らには、まだ幼い少女の姿も見える。二人は公演を終えて控え室に戻ってきたところで、今ようやく
着替えが終わって一息ついたところである。だがこの後は別の小地下劇場で公演が入っており、忙しさは抜けそうにない。

「でも、ミーナさんもだいぶ板についてきましたね」
「全然そんなことないわ。せめて、あなたのお姉さんだけでも見に来てくれるぐらいにはならないと……」
「うーん、お姉ちゃんは難しいと思いますけど……根っからのカールスラント軍人ですから」

 ――ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。かつてはウィッチに志願したものの、適性がなかったため軍に入ることができなかった女性。今でも空への
憧れは消えていないが、しかし飛べない少女に世界は用はない。止む無く趣味であった歌の道へ進むことにしたが、あくまで趣味でしかなかった程度の
ものだ。それを武器に戦えるわけもなく、こうして細々と日の目を浴びぬ地下の小劇場を点々とする日々を送っている。幸い、知り合いが紹介して
くれた『マネージャー』がついてくれているおかげで、何とか浪人はせずにすんではいるが……稼ぎはすべて生活費で、高望みなど何もできない。
衣装も数着を使いまわしていくしかなく、その数着も自分で買ったものではなく譲り受けたものだ。二人で暮らしていくには、この生活はいささか
厳しすぎる。それでもミーナはこれ以外に生き方を知らず、かつ付き合ってくれているマネージャーもまだ続けられるのに諦めたくないとミーナの
背中を押してくれているのだ。姉が軍人でウィッチとして空を守っている身で、その姉に何度も怒られて、それでも彼女はミーナから離れない。そんな
彼女を裏切ることもできず、ミーナはただ歌い続けるしかなかった。

「……ごめんなさいね、クリスさん。あなたまで振り回してしまって」
「だから振り回されてなんていませんってば。お姉ちゃんのことは、勝手にお姉ちゃんが怒ってるだけですから」
「でも、お姉さんは『あのバルクホルン大尉』でしょう? せっかくの稼ぎを私のためにだなんて、怒られても当然よ」
「いいんです。私が好きでやってることですから」

 ……クリスも、当然姉が稼いできた金を惜しげもなく赤の他人に注ぎ込むのは少々気が引ける。だがまだ学生である身、自分で稼げるような立場
ではない。姉の負担を減らしたいために働きたいのは山々なのだが、ウィッチの適性もない彼女に自立は不可能だった。二人共が仕事をしていれば
まだなんとかなるものだが、クリスは働けないのだ。最近は姉からの風当たりも強く、ミーナは直接会ったことはないもののクリスを通して散々な
状況を聞いている。徐々にクリスの小遣いも減らされつつあり、このままではクリスも続くかわからない。

「まあ、成り行きしだいです。ほら、幸い今週はお仕事いっぱい入ってますから、がんばりますよ」
「……ええ。ありがとう」

 いつかは、『姉』も見に来てくれるぐらいに。今はまだ小さいけれど、いつかはきっと―――。そんな淡くはかない夢を抱きながら、二人はただ
目の前の道を歩み続けるのだった。

 - - - - -

 三日後、一通りの公演を終えた二人はいつも通り家で慎ましく夕食をとっていた。個人には誰にも知らせていない小さな家で、格安な家賃の代償に
ぼろぼろな一室。加えて夕食もかろうじて主食と副菜がある程度で、とても『ディナー』と呼べるほどの代物ではない。それでも二人はその生活に
ある程度の充実感は覚えているようで、苦労はあれど苦痛ではなかった。
 ……だがそれも、今日で終わりを告げることとなる。

「ああ、そうそう、来週の仕事なんですけど」
「ええ、どうなってるかしら」
「はい、さっきようやく一件取れまして―――」

 二人が次週の公演について話し合っているとき、それは唐突に訪れた。


 ドンドンドンドン―――!


 激しくドアの叩かれる音。とても普通の来客とは思えず、その音だけですべてが敵意に満ちていることが容易に理解できた。実のところこれまでも
何度かこういったことはあったため、ミーナもクリスも半ば慣れっこではあった。だが今回は妙にクリスがよそよそしいため、ミーナはいつもと違う
何かを感じ取っていた。しかし今のミーナにできることもなく、マネージャーであるクリスが出て行くのを見守る。
 ……そしてクリスが扉を開けたとき。このときばかりは、ミーナも目を丸くせざるを得なかった。

「……貴様がディートリンデ・ヴィルケか」
「――――あなたは……!」
「……紹介が遅れた。カールスラント空軍JG52第2飛行隊指令、現在は第501統合戦闘航空団所属、ゲルトルート・バルクホルン大尉……、
クリスの姉だ」

 荒々しい物言いでそう口にする女性。二つに結った髪が特徴的で、いかにも質実剛健といった風情だ。凛として、かつ大胆。しかし今の空気に
それを称える余裕など一切なく、それどころかそのゲルトルートが面を顰めてミーナを睨み付けているとなれば、言いたいことなどおおよそ的が
絞れる。クリスは何をしにきたのだと姉と瓜二つの表情を浮かべ、ゲルトルートはお前は煩い、ひっこんでいろと妹をぞんざいに押しのける。
ずかずかと家の中に入ってくると、ミーナの正面に見下すように仁王立ちし―――次に部屋を見回す。

「ふん、ずいぶんと薄汚い部屋だな」
「……お金が、ありませんので……」
「それで私の金を、クリスを通して吸い上げているわけか」

 棘しかない言葉の数々。漏れ聞く噂ではとんでもない堅物だと聞いていたが、これは堅物とかそれ以前の問題かもしれない。まあ、自分が稼いだ
金が見ず知らずの人間の下へ消えていくともなれば、誰でもこうなるものではあるのかもしれないが――――。ミーナは少々気迫に押されながら、
なんとかゲルトルートに精一杯の返答をした。できる限り倹約し、極力クリス……ひいてはゲルトルートの金には手をつけないようにしていること。
それでもどうしても手を出さなくてはならなくなってしまうので、せめて仕事には全力で挑んでいること。そしていつも、クリスに頭を下げていること。
だがそんな言葉をつらつらと連ねても、ゲルトルートには通じない。当たり前といえば、当たり前であった。

「知ったことか。要は私の稼ぎを分捕っているわけだ、その事実は変わらん」
「……それは、そうですが……」
「もうやめてよお姉ちゃんってば、別に――
「お前は黙っていろといったはずだ」

 ……クリスと会った当初は、家ではずいぶんと温厚で優しく、軍では凛々しく最強のエースとして、それぞれ多くの人に愛される姉であったと聞いて
いた。だが今のゲルトルートはそこから遠く離れ、汚物が付着したかのごとくミーナを見下し、果てはクリスにまで矛先を向けるほど。それもこれも、
元はといえばミーナがクリスを通してゲルトルートの金を使い込んでいるのが原因であるのは否定できない事実だった。先ほどからゲルトルートが言う
一つ一つの言葉は、口は悪いもののすべて本当のことであるため言い返すことができない。
 ゲルトルートはため息をひとつついて、手近にあったビニル袋を拾い上げる。

「……まあいい。貴様なんざにくれてやる金なんざありはしないが、クリスにやった金だ。クリスがどう使おうとある程度は関係のない話ではある」

 それを適当に放りやると、ゲルトルートはポケットから何か小さな封筒を取り出した。適当にそれを投げて、そしてきれいに机の上に着地し―――、
きびすを返して玄関へ向き直る。

「だが、度が過ぎるようであればこちらとしても手を打たざるを得ない。調子に乗るのは大概にしておけ」

 それだけ言って、ついでに台所にひとつ転がっていた綺麗な芋を手に取ると、そのまま玄関へと歩いていく。

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! それ大事な食料!」
「散々貢いでやっているんだ、少しは見返りがあってもいいだろう?」
「で、でも―――
「それじゃあそういうことでな。精々頑張ることだ」

 最後は険しかった表情を若干崩し、どこか遠くを見るような目をしながら去っていく。ミーナは妙にそれが引っかかりつつも、消えた今週残り分の
食料とその分手元に現れた一つの封筒を交互に見やった。しばし悩んだ後、封筒の封を丁寧に切る。

「まったく! お姉ちゃんってば、何しに来たのよ!」
「まあ……私が悪いんだもの。仕方ないわ」
「そんなことないですよ! ちょっとぐらい応援してくれたっていいじゃんか、もうお姉ちゃんなんか知らないっ」

 クリスもどうやら怒り心頭のようで、これ以上ミーナと会話する気もなくなったのかさっさと空になった皿をまとめると流しへと放り込んだ。クリスが
片付けはやってくれるようなので、ミーナはゲルトルートから受け取った封筒の中身を確かめることにした。

 ……中身は一枚の便箋と、そしてもうひとつの少々膨らんだ小さな封筒だった。ミーナは首をかしげながら手紙を開く。そこには、ゲルトルートが
手書きで書いた文章がつらつらと書かれていた。





 ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ殿。クリスが世話になっているようで、まずは世話をしてくれていることを感謝する。大事な妹ではあるが、
無事に育ってくれているのはありがたいことだ。その点については、素直に礼を言う。

 歌を目指しているということだが、基地はおろか街でも貴殿の名は耳にしない。果たして本当に大丈夫かと不安でしかないが、まだ生きている
ようで何よりだ。クリスはまだ実家に戻ってくればどうとでもなるが、貴殿はこの先行く場所もないはずだろう。無理はすることなく、自分の
できる範囲でやるようにしてくれ。

 本音を言えば、クリスにはあまりこんな経験はさせたくない。もっと普通の生活を送ってほしいと思う。だが本人が望みそれを楽しいと思うの
ならば、私に止めることはできない。もし成功してくれれば、それがそのまま普段の生活に反映するのだからなおさらだ。それでも今のままの
生活が続くのは、姉として正直見ていられない。だから、今しばらくはあれの前では厳しい態度を取ろうと思う。いい思いをさせてやりたいのは
山々だが、それが結果的に甘やかすだけに終わっては仕方がないからな。貴殿には迷惑をかけると思うが、そこはひとつ、資金提供をしている分
大目に見てやってくれ。

 いつか貴殿がメディアに取り上げられ、私たちの基地にも情報が届くようになるのを心待ちにしている。貴殿が望んだ空は、きっと私たちが
守り抜いて見せるから、貴殿は今は空を忘れて歌い続けてほしい。世界に平和が戻るまでには貴殿が表舞台で活躍していることを祈る。もし
そうなれば、きっと私たちもそろって見に行くよ。

 追記。
 今の生活のままでは苦しいだろう。だからといってクリスの小遣いを増やすわけにもいかないので、気持ち程度ではあるが少々同封しておいた。
このぐらいしか私に手伝えることはないが、同じカールスラント出身の者同士、仲良くやっていこう。毎月なんとか顔を出せるようにはしようと
思っているので、騒がしくなると思うがよろしく頼む。もし迷惑なようであればすぐに言ってくれ。それでは、健闘を祈る。






 ―――思わず涙がぽろぽろと零れ落ちる。結局、あの人は噂となんら変わらぬ人だったのだ。それから急いで封筒の中の小さな封筒を開いて、
そして『気持ち程度』に唖然とする。クリスにばれないようにすぐに隠したが、それはとても気持ち程度と呼べるほどの物ではなかった。
現在の生活で言えばおおよそ半年は仕事をせずとも暮らせるほど――一般大衆と同じ生活をしても、一月はまるまる仕事なしで持つような
額だ。それが気持ち程度だなんて、逆に馬鹿にしているのかと疑いさえ出てくるほどである。去り際に残した遠い目はこういう理由だったのかと
深く納得する。
 相変わらず零れ落ちる涙を拭いつつ、しかし家計はすべてクリスが受け持っているがゆえにこれをうまく使う方法が思い浮かばずうーんと悩む。
使い道ならいくらでもあるのだが、ゲルトルートの思いを尊重するならばこれはクリスにはばれてはいけないものだ。だがだからといって何かを
購入すれば、クリスには一発でばれてしまう。果てさて、どうしたものか。ともあれ今すぐどうにかできるものではなかったため、今日のところは
さっとしまって自分のかばんの中に放り込んでおいた。
 明日と明後日は仕事が入っていない。わざわざブリタニアからカールスラントまで出向いてくれた礼に、何かお返しを用意しなくては。その足で
帰りに適当な食材を買って、クリスには途中でもらったとでも言い訳をしておくか。ミーナはそんなことをぼんやりと考えながら、風呂の準備をした。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 翌日、ミーナははるばるブリタニアまでやってきていた。列車など久々に使うのでだいぶ勝手を忘れてしまっていたが、何とか乗り継いで、
今は古城が聳え立つ島を眼前に見ている。―――第501統合戦闘航空団、ストライクウィッチーズ基地だ。その脇には、小さなザワークラウトの
瓶が抱えられている。ミーナにできる精一杯のお返しは、国の伝統料理を用意するぐらいしかなかった。それでもきっとあの人なら喜んでくれる
だろうと、なんとかここまでやってきたのだ。ついでにクリスに見つからないように金を使う方法も考えようという算段である。ただひとつ問題は、
ブリタニア語があまり満足には話せないことか。ひとまずゲルトルート・バルクホルン大尉の知り合いであることを伝えられる程度には覚えた
ものの、日常会話ができるかといわれれば程遠い。
 かくしてぼうっと外を眺めているうちに、ついに古城が目と鼻の先にまでやってきた。ミーナは目的地に着いたことを確認して下車すると、改札を
抜けて基地へと歩き出す。そのときふとプロペラエンジンの音が遠く聞こえて見上げると、そこには二人の魔女が飛んでいるのが見えた。履いている
ストライカーを見ると、どうやら一人はブリタニア、一人は扶桑の出身のようだ。ブリタニア出身の魔女のほうは飛行自体はかなり技量があるように
見えるが、扶桑の魔女のほうはさらに飛びぬけて異常なまでの技術を身につけているように見える。基地の柱と柱の間を抜けたり、木と木の間を
抜けたり、果ては会話している人の間をすり抜けるほどだ。言わせる人に言わせれば協調性がないのだろうが、ミーナにはあまりにも眩しすぎた。
そうして空を見上げながら歩いているうちに、気がつくと正門にたどり着いていた。一度心を落ち着かせようとして―――しかしそれよりも早く、
守衛の人が歩み寄ってきてしまう。緊張で頭が真っ白になったりしなければいいのだが……なんとかコミュニケーションが取れるといいのだが。
ミーナは心配しながら、気を引き締めた。

「どういったご用件で?」
「バルクホルン大尉に、御用がありまして、参りました」
「大尉とはどういったご関係で?」
「えー……と、し、知り合いです」

 うまく言葉が出てこない上に、漠然とした関係でしかないことを今更になって公開する。『知り合い』と言って対応してもらえるなら、今頃
各国のウィッチのファンが正門前に殺到しているはずだ。はあとため息をひとつつくと、守衛は柔軟に対応してくれた。

「あなたの名前は?」
「はい、私はミーナ・ディートリンデ・ヴィルケといいます」
「確認を取りますので、少々お待ちください」

 守衛は戻っていくと、壁に据え付けられた電話で基地の内部と連絡を取り始めた。どうやら直接ゲルトルートに確認を取ってくれるようで、
なんだか申し訳ない気分になってしまう。しばらく待っていると守衛は顔を綻ばせたうえで電話を切り、管理棟の中の人間に指示を出した上で
戻ってきた。

「確認が取れましたので入場を許可します。大尉が出迎えにあがりますので、入ってすぐにあるベンチに腰掛けてお待ちください」
「は、はい、ありがとうございます」

 ほとんど聞き取れなかったが、許可が下りたこととベンチに座れと言うことは理解できた。あいにくミーナには、誰が迎えに来るかは理解
できていない。かくして難関を乗り越えるとミーナは基地の中へと足を踏み入れ、そして綺麗に手入れされた庭に声を上げる。それはさながら宮殿の
庭で、まるで空軍基地の敷地内とは思えない。少なくともカールスラントの空軍基地はこんなに美しくはなく、もっと堅い機能性だけの場所だった。
手近なところにあったベンチに座り、周囲を改めてぐるりと見渡す。綺麗な花がいくつも咲いていて、広がっている草の上に寝転ぶことができれば
どんなに気持ちがいいものかと思う。こんな場所に住んでみたかったとぼんやりと思いながら待っていると、しばらくして足音が聞こえてきた。ふと
建物の入り口のほうを見ると、見慣れない小学生高学年か中学生程度のツインテールの女の子が立っているのが見えた。前に何かで見たことが
あったが、いったいなんだっただろうか。悩んでいるうちに、その子はミーナを見つけてとてとてと走りよってくる。しまった、言葉が通じない。

「こんにちはー!」
「こ、こんにちは」

 辛うじて返事をすると、その片言のブリタニア語にぴんときた少女はえへんと胸を張った上で、簡単に自己紹介をした。

「あたし、フランチェスカ・ルッキーニ! よろしくね!」
「え、ええ、よろしく……?」

 簡単な言葉で話してくれるので理解しやすくていいのだが、その妙なハイテンションに疑問を抱かざるを得ない。さっと差し出された右手を
同じく右手で握り返すと、にひひと満面の笑みを浮かべた上で何かに気づいたように出入り口に目を向ける。ミーナも釣られてそちらを見ると、
そこには一人の女性があわてたように走ってきたのが見えた。

「あ、きたきた! へっへーん、こっちだよーっ!」

 大声でルッキーニが叫ぶと、その女性は即座に向き直り――驚いた顔を浮かべてから、大急ぎで走ってきた。建物から出て日の光で照らされた
ところでようやくわかったが――――それはゲルトルート・バルクホルン大尉であった。

「貴様! 無礼はしていないだろうな!」
「しらなーい! えっへへーん!」
「後で覚えていろおおぉぉぉぉ!!!!」

 楽しそうにするルッキーニと、顔を真っ赤にして怒鳴るゲルトルート。あの真面目なゲルトルートがこんなになっているとは知らず、ミーナは
驚きのあまり口をあけたままふさがらなくなってしまう。何度かぱちぱちと瞬きをして、そして目の前で肩で息をしながらとまったゲルトルートを
見つめてしまう。

「ああ、もう……すまない、少々取り乱してしまった……」
「い、いえ……意外です」
「い、意外……あ、ああ、そういうことか……」

 どうやら相当走りまわったようで、ぜえぜえと大分息が荒くなっていた。ミーナのところに走ったと言うよりは、あのルッキーニと言う子に何か
されたようだ。しばらくして呼吸が落ち着いてから、ゲルトルートは身なりを整えて改めてミーナに向き直った。

「……第501統合戦闘航空団、ストライクウィッチーズにようこそ」
「急に来てしまってすみません、あの、よかったら食べてください」

 早速瓶を差し出すミーナ。ゲルトルートはそれを丁重に受け取ると、とりあえず中にお通しすると言ってミーティングルームへと案内してくれた。
ゲルトルートは、ミーナと話すときだけはカールスラント語で話してくれる。ブリタニア語が不自由なミーナにはとてもありがたいことだったが、
逆に気を使わせてしまって申し訳ない思いもあった。しばらく世間話をしながら歩いているとピアノの旋律が聞こえてきて、やがて少々広い部屋に
たどり着いた。
 ―――着くなり、いきなりクラッカーが派手にならされて驚いてしまう。

『ようこそいらっしゃいました!』

 一斉に繰り出される、カールスラント語での出迎えの言葉。ミーナはあっけにとられて、その場にいる十人の魔女たちをぐるぐると見渡してしまう。
そして、ゲルトルートが苦笑しながら振り返って言う。

「好意的な客が個人的に来るのは随分と久しぶりなんでな。フラウの奴が盛大に出迎えようと言い出して、たった数分間でこれだ」

 肩をすくめて見せるゲルトルート。ミーナにはフラウというのが誰かわからなかったが、どうやらゲルトルートに確認の連絡が入ってからミーナが
到着するまでのこのわずかな間にここまで準備してくれたらしい。掲げられた横断幕には、ようこそストライクウィッチーズへ、と丁寧な
カールスラント語で書かれていた。一文字一文字をくっきりと書き分けているところを見ると、これは別の国の人が書いたらしい。確かにぐるりと
見渡すと、その大半はそれぞれが違う国籍だった。そのうちミーナが知っているのは、ゲルトルートとエーリカのカールスラント組、それと先ほど
挨拶を交わしたルッキーニの三人だけである。……そういえば、何かの雑誌でエーリカのことをフラウと呼んでいたのを思い出す。そうか、これの
準備をしてくれたのはエーリカだったか。それにルッキーニもどこかで見たことあると思ったが、なるほどウィッチであればどこかで見たことがある
のも自然である。

「まあ、基地にいる間は私が通訳するから、言葉に関しては心配しないでくれ」
「ありがとうございます、助かります」
「……それと、ミーナも私も同い年だ。敬語はよしてくれ」

 苦笑気味にそう言うゲルトルートは、家に来たときは百八十度違う好意的な姿。あれはやはり、クリスのためを思っての『仮面』だったのだろうか。
ミーナはありがとうと一言言って、勧められたとおりソファに腰掛けた。それから先ほど空を飛んでいた二人のウィッチがどこかへと走り去っていき、
残った面子がミーナにこれまでの経緯を是非教えてくれと詰め寄ってくる。ミーナは圧倒されながら、ゲルトルートを仲介しながらも今までの経験談と
今の生活についてそれぞれ説明を始めた。
 話の途中で、出て行った二人が戻ってきて料理を持ってきてくれた。そこには先ほどミーナが持ってきたザワークラウトもあって、それを皆に食べて
もらうと言うのはやはり少々気恥ずかしかった。それからも食事や飲み物をとりつつ、気楽に話を進めていく。周りの皆は真っ直ぐに聞いてくれて、
自分の身の上話をするのもこれまた少々気恥ずかしい。
 さした経験もないので、一通り話し終えても数十分も経たなかった。それでも皆は拍手してくれて、拍手ついでに一曲歌ってくれとまで言われて
しまう。言い出したのはエーリカで、そんな急に言ったら失礼だとゲルトルートが窘める。しかしミーナはゲルトルートの肩を控えめに叩いて言った。

「お礼には足りないと思うけれど、それでいいなら歌っても」
「……いいのか?」
「むしろ是非歌わせてほしいわ」

 この数分間で大分仲良くなった二人は簡単に意思疎通を取ると、ミーナは私服で恥ずかしながらと断った上で皆の前に立った。ずっとピアノに座って
いた銀髪の少女が改めてピアノに向き直り、そしてミーナが一礼すると全員が拍手する。そこで大人しく流れるピアノの旋律、演奏されている曲は――
『リリー・マルレーン』、ミーナの十八番だ。慣れた様子で、いつも通りに歌う。言葉こそ違えど、その心は誰にでも伝わるはずだ。それが音楽の、
ミーナが取り付かれる魅力なのだから――。

『兵舎の大きな門の前 街灯が立っていた―――』

 ミーナの歌声が、ミーティングルームに響く。それは一瞬にして全員を虜にして、微動だにさせない。

『そこに立とう―― 愛しの リリー・マルレーン―――』

 聴くものの心にまで透き通る、真っ直ぐな声。ただのミーティングルームが、まるでホールのようだ。歌うミーナは私服だが、ここにいる十人の
ウィッチの目には真っ赤なドレスにさえ見える。徐々に傾く陽の中、夕焼けに照らされるミーティングルーム―――そこで一人立つミーナは、とても
美しかった。

『渦巻く霧の中 夜更けに僕は戻る―――』

 そして曲は、終わりを迎え――

『リリー・マルレーン……』



 ピアノの音が鳴り終わるか否か、といったタイミングで全員から拍手が贈られる。つい先ほどまでピアノを演奏していたあの銀色の髪の少女も、
同じく頬を染めて拍手をしていた。ホールで歌って拍手されたことは何度もあったが、ここまで心のこもった拍手をしてもらったことは今まであった
だろうか。
 あちこちから歓声が聞こえて、特に先ほど飛んでいた扶桑の少女は一番喜んでくれている。照れ隠しに微笑んでいると、もう一人の扶桑の魔女が
声をかけてくる。彼女は見たことがあった、名前は確か――

「いい歌だった。ありがとう」
「いえ、そんな……ええっと、坂本美緒……さん、でしたか?」
「おお、覚えてもらえているとは光栄だ」

 流暢なカールスラント語で話す美緒に、どことなく惹かれる。携えた扶桑刀の柄と鞘が鮮やかに夕日を照り返し、それが士官征服と相まってとても
美しかった。艶のある黒い髪が、どこかカリスマ性を感じさせる。

「ウィッチの適正は無いんだったか?」
「ええ、残念ながら……私も本当はウィッチになりたかったのですが」
「はっはっは、お前に戦は似合わんな。ドレスを着て歌を歌っているほうがよっぽどそれらしい」

 あまりに絶賛されてしまって、逆に萎縮してしまう。それと同時に、今まで味わったことの無い満足感にとらわれ、もし歌うのなら事務的にこなすの
では無くこうして喜ばれる歌を歌いたいと改めて感じさせられた。―――もしかして、今まで売れなかった理由はこのあたりにあったのだろうか。
そのあたりの認識が歌う態度に出ていれば、売れない歌手から抜け出すことは不可能だ。もしかしたら、そうなのかもしれない。
 相変わらず周りに集まる魔女たち。ゲルトルート曰く、コンサートには是非行かせてくれと言っているらしい。機会があったら、こちらからお願い
したいほどである。

 かくしてミーナは充実した時間を過ごし、気がつくと陽は隠れ始めるのだった。

 - - - - -

「……ええ、ええ。ごめんなさいね」
『そんな、気にしないでください。マネージャーも私が好きでやってることですから』
「そう言ってくれると助かるわ。それじゃあ、よろしくね」
『はいはーい、了解しましたー。あさってには間に合うように帰ってきてくださいねー』

 基地の電話を借りて、カールスラントの我が家に電話する。なんだかんだで時間が遅くなってしまい、今日は基地に泊り込むことになったのだ。
基地に来ていることはクリスには秘密にしておき、単に『用事で』とだけ伝えてある。そのほうが、ゲルトルートの気遣いも生きてくるだろう。
明日の朝、車でゲルトルートに送ってもらう手はずになっている。着替えもゲルトルートに貸してもらえるとのことで、本当に頭が上がらない。
寝床も相部屋でどうだと言われたが、流石にそこまで面倒を見てもらうのは気が引けたのでミーティングルームのソファにしてもらった。実のところ、
ミーティングルームのソファでも家の布団で寝るよりはるかに寝心地がいいのだ。家にある布団はもう綿もぼろぼろで、敷布団のはずなのに毛布は
おろかただの布切れと化している。それでも地べたにそのまま寝るよりはまだ遥かに寝やすいので使っているが、新調したいのが正直なところだ。
それに比べれば、ふかふかのソファなんてミーナからしてみれば贅沢なベッドである。
 風呂でもなんだかんだと良くしてもらって、今日一日は本当に皆に頭が上がらない日となった。今後売れることがあったら、皆に礼をしよう。
そう心に誓って、今はもう寝る準備を整えてある。

「じゃあ、今日はありがとう。本当に助かったわ」
「いや、いいんだ。クリスを預かってもらってるし、何しろ私も頑張ってほしいからな」
「なんだか気恥ずかしいわね」

 ゲルトルートとミーナは軽く二・三、言葉を交わしてからそれぞれ自分の寝床へと向かった。今日はどうも、ぐっすり眠れそうである。ソファには
借りたタオルケットがきちんとかけてあって、いろいろと疲れたミーナはほかに何かするでもなくすぐにソファに横になった。タオルケットも
ふわふわで、もう手放したくないほどである。ふかふかのソファにふわふわのタオルケット、文句なし―――ミーナはものの数分で、すぐに眠りに
落ちたのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「っ!?」



 ――――ウゥ――――ン……




 耳を劈くほどの大音量とともに、警報が基地中に轟き渡る。敵接近、緊急出撃の報―――基地中に次々と電気が付き、格納庫方面から爆音と怒声が
響く。

「け、警報っ!?」

 ――緊急事態。今まで経験したことの無い、緊張した、張り詰めた空気に囚われる。ドタドタとあちこちから駆け回る足音が響く中、廊下の先で
見知った顔を見つける。

「ミーナっ!」
「大尉、これは一体――
「ネウロイが出た。私も出撃するが、カールスラント方面だ。しかもお前の家も危険地域に指定されている」
「そん――
「すぐにクリスに連絡を入れて状況を聞け。今陸軍が救援に向かっているはずだから、そこに名前を言って乗せてもらうように連絡を入れろ。向こうの
軍には連絡を入れてあるから、回収してもらえればここへ来る手はずになっている。以上を手短に正確に伝えろ、いいな」

 マシンガンのように早口でまとめるゲルトルートだったが、ミーナも急ぎの連絡を受けることには慣れている。ひとまずすべてを把握すると、
震える手足を必死で押さえながら何とかうなずいた。
 それからゲルトルートが差し出したのは、星の刻印がされた小さなインカム。

「もし何か緊急の事態があったらこれで連絡を入れろ。ウィッチ全員と管制塔に連絡が入る」
「わ、わかったわ」
「お前は非戦闘員だ、命令あるまでここから動くな。いいな」

 ゲルトルートが念を押して、ミーナがまた力なくうなずく。ひとまず必要事項を伝え終わったらしくゲルトルートが去ろうとする間際、インカム
越しに怒声が聞こえた。この声は、あの扶桑の小さいほうの魔女だ。よくわからないが、どうやらゲルトルートを呼び出す連絡らしい。ということは、
あの子が実質の指揮官なのだろうか。やはり昨日見たあの機動飛行は、その技術の表れか―――。
 ミーナは息を整えると、震える手で電話機の番号をまわしていく。そしてつながることを祈って、かたかたと震える受話器を顔に近づけ――。

『はいっ、こちらは――
「クリスさんっ!?」
『ミーナさんっ!』

 良かった、通じた。ミーナはほっと一息ついてから、ゲルトルートに伝えるように言われたことを一つずつ伝えていく。

「いい? 今カールスラント軍が救援に回っているらしいから、外に出て陸軍の人に乗せてもらって。名前を言えば、ストライクウィッチーズの
基地まで案内してもらえるはずよ」
『で、でもっ――
「ここは安全だわ、ほかの何よりも避難を優先して。命が無ければどうしようもないわ」
『―――わ、わかりました』

 それから街の状況を聞くと、すでにネウロイが視認可能圏内まで接近しているらしく、街は完全にパニック状態らしい。第一級警戒態勢が敷かれて
おり、街中で対空砲が行き交っている。クリスに一刻も早く街から脱出することを念押しして、ミーナは電話を切った。それからは手持ち無沙汰に
なって、窓から外を見上げる。その先には、赤と緑の航空灯が小さくいくつも見えた。あの中のひとつに、ゲルトルートがいる。

(……お願い。皆、無事で帰ってきて……)


 ―――そう願うのが、今のミーナにできる精一杯のことだった。


 - - - - -



「目標発見……砲撃が始まってるぞ!」
「間に合わなかったか……全員、交戦を許可します! 各機散開、敵を撃墜します!」
『了解!』

 芳佳の指示で全機が散開し、ネウロイに対して全方位から攻撃を仕掛ける。まずはサーニャのフリーガーハマーが火を噴いてネウロイの目を晦まし、
その隙にゲルトルートとエーリカが攻撃を仕掛ける。煙が晴れる前にさらに立て続けに美緒が降下し、刀をその表面に突き立て――――来る!!

「ッ!」

 シールドを展開し、攻撃をガード。これ以上の攻撃は不可能だ、一旦退く! そこに入れ違いにエイラが降下し、表面ぎりぎりで敵の攻撃を回避
しつつ抉るように弾を叩き込んでいく!! ネウロイが悲鳴を上げうなり、その隙に再びゲルトルートとエーリカが反転、後方から攻撃を仕掛ける!
激しく放たれる熱線、それを右に左によけつつできるだけ直線的に飛び狙いをはずさない! コア付近の表皮にかなりのダメージを与え、しかし
それでもまだコアは露出しない―――まずい、来る! ネウロイの下を潜り抜けたゲルトルートめがけ、熱線が降り注ぐ!! 間一髪で回避し、
しかし熱線は地上にまで及びそこにあった家々を次々に飲み込んでいく!!



「きゃああああっ!!!」

 目の前で砂煙がもうもうと立ち上り、家が爆発していく。真上を高速で何かが飛びぬけていったが、それを確認する余裕も無い。クリスはただ
恐怖に震えながら、燃え盛る街の中を逃げ回っていた。
 陸軍の兵員輸送車が、見つからない。大半の人々はすでに輸送車に乗せられて救助されたようだが、肝心のクリスは皮肉にもミーナと連絡を取って
いた間に輸送車を逃してしまったのだ。おかげで、先ほどからあちこちを走り回っているものの兵員輸送車が見つからない。そうこうしているうちに
ネウロイはどんどん近づき、もうすぐクリスの真上にやってきてしまう。魔力の無いクリスにとって、瘴気は猛毒だ。そろそろ逃げなくては間に
合わないのだが―――逃げられない。
 近くに対空車両を見つけ、震える足でそちらへ駆けていく。すると一人の兵士がこちらに気づき、怒鳴りながらやってきた。

「何をやっているんだ! 早く逃げろ、とっとと行くんだ!!」
「く、車がみつからなくて……!」
「とにかく早く逃げるんだ!」
「違うんです、ウィッチーズ基地に運んでもらえるって聞いて……!」

 クリスがそう言った瞬間、兵士の顔色が一変した。驚愕の後、無線に向かって吼える。加えて周囲にも怒号を上げたが、しかし周りで救助に
当たれる者など誰一人いない。男は一度舌打ちをしてからもう一度無線に叫び、そしてクリスに向き直った。

「あんた、バルクホルン大尉の妹さんだな?」
「はい、そうですっ……」
「しばらく待ってればトラックが来るはずだ。そいつに乗り込んで―――
『危ない、逃げろ! 避退だ! 退避、退避ーっ!!!』


 男が言い終わる前に、誰かの叫び声がした。ふと見上げれば、二人の目線の先にはネウロイ、その方向は赤く輝き―――

「くそッ!!!」

 男は思い切り足を振り上げるとそれをブン回し、クリスの腹部に対して勢いを殺すことなく真っ直ぐに叩き込む!!!

「悪い、許せ!」
「きゃあああああっ!!?」

 ――クリスの体は兵士の体重を乗せた回し蹴りにより地面を離れて勢い良く後方へ吹き飛び、そして―――直後、熱線が先ほどまでクリスのいた
場所をなぎ払っていく!!

 強大な熱が周囲を覆い、そして連続する爆発がクリスの体をさらに吹き飛ばす! 地面を転げまわり、あちこちを打ちながらもクリスはなんとか
意識を保つ。地面に落ちたときに強かに打ち付けた背中、そして回し蹴りの直撃を受けた腹部。さらに転がりながら打った肩やひざやありとあらゆる
場所が痛む中、上半身を何とか起こして先ほどの兵士のいた場所を見ると―――真っ赤に燃え盛る対空戦車の残骸と、そして巨大なクレーター……
そこに人の生気は感じられない。

「い、う、うそ、いや、いやああああああっ……!」

 頭を抱えて、全身をがたがたと振るわせる。先ほどまで生きていた人が、今この瞬間はもうこの世界にいない。すべてが恐ろしくなって、クリスは
完全に身動きが取れなくなった。もはや生気も感じられず、この中で死んでいくんだとどこかで悟り、そして死にたくない死にたくないと全身で
悲鳴を上げる。

 ―――だがネウロイは無常だった。クリスの姿を見つけるなり、再び砲口にエネルギーを収束させる。





「くそ、またか―――クリス、どこなんだ…………っ!?」

 芳佳に一言言って要救助者、つまりクリスの捜索をしていたゲルトルートだったが、先ほど着弾したあたりに一人の人影を見つける。それは今
ネウロイがチャージしている砲口の向きから偶然見つけたものだったが、それは紛うことなくクリスであった。しかしネウロイの砲口はもう十分と
いえるまでにエネルギーを溜めている、発射までもう数秒も無い、自分が降下して間に合うかどうか――――いや、間に合わせるんだ!!!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――ッ!!!!」


 ストライカーがアフターファイアを放ち、真っ直ぐ一直線に降下していく!! ネウロイの砲口はさらに真っ赤に輝き、そしてついに熱線を
解き放つ!! それはクリスに向かって真っ直ぐ伸び、しかしゲルトルートもまたクリスに向かって急降下―――どちらが先についても、まったく
おかしくない!
 眼前に迫る熱線、クリスも気づいて見上げ、そして目の前を覆う真っ赤なレーザーに目を丸くし――――刹那、巨大な爆発が発生する!!

「うあッ――――っ!」

 悲鳴を上げることもできず、クリスは勢い良く弾き飛ばされるように後方に吹き飛び、そして先ほどとは比にならない勢いで壁に直撃する。
背中から当たったのがまだ救いだったが、数秒間意識を失ってしまう。それから再び目を開けて、体中に走る激痛に苦悶する。もだえながらふと
頭を上げると―――

「お、おねえ……ちゃんっ……」
「くっ――、待っていろ、すぐに助けるッ……!!」

 真っ直ぐに墜落するような形で着地した関係上、無理な姿勢でシールドを展開する羽目になり、ゲルトルート自身もじりじりと押されつつあった。
そしてクリスの転がる壁際まで追い詰められ、しかしクリスをつぶさないように必死に壁に手を着く。だがネウロイの攻撃は止むどころか激しさを
増し、これ以上はもう持たないと思われ―――

『ふんッ!』

 ―――上空で、青い炎が揺らめいた気がした。刹那、熱線は一瞬にして消えてなくなり、ゲルトルートの腕がふっと軽くなる。上空では芳佳が
美緒から借りた刀を抜き去り、鎌鼬を放っていた。そこに纏う青い炎は、芳佳の魔力の現れである。

「ふう、私も助けられてしまったな……待たせたなクリス、加えて少々格好悪いところを見せてしまったが」
「おねえちゃんっ!」

 体中が痛むのも忘れ、ただ安堵の一身でゲルトルートに抱きつくクリス。ゲルトルートもクリスの頭を一撫でして、そしてしっかりと抱きかかえて
大空へと飛び上がる。その背後には強大なネウロイ、しかし仲間がいてくれるから怖くは無い。

「要救助者を確保した。直ちに基地へ帰投する、援護を」
『了解!』

 景気のいい返事が、ゲルトルートのインカム越しに返ってくる。クリスは心底安心したように笑みを浮かべ、そして―――。

「……大丈夫だったか?」
「うん……ありがとう」

 ゲルトルートが優しく微笑んで、クリスもちょっと恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

「でも来てくれるなんて思わなかった」
「な、なんでだ?」
「だっておねえちゃん、私のこと嫌いでしょ?」
「は?」

 しばらくゲルトルートは悩むそぶりを見せて、それからああと納得したように声を上げた。

「……嫌いだったら、あんなことしないさ」
「じゃあどうしてあんなこと言うの? ミーナさんも困ってるのに、どうして――
「心配なんだ。お前のことが」
「心配?」

 クリスが怪訝そうにたずねるのに対して、ゲルトルートはクリスの頭を撫でながら返事をする。

「ちゃんとやっていけるのか、心配で仕方が無い。だから本当はあんな生活、やめてほしいんだ。気が気でないからな」
「……お小遣い減らしてるのもそれが理由?」
「そうしたら少しはやめる気になってくれるかと思ってな……どうやら逆効果だったようだが」

 そう苦笑するゲルトルートの顔に、昨日のような面影はまったく見当たらない。クリスも、ゲルトルートが本気で心配してくれているのをなんとなく
感じ取って―――一息つく。

「……そうだったんだ」
「まあ、気づかれないようにはしようとは思っていたがな。変に感づかれると、それも良くない」
「……ごめん」
「気にするな」

 軽く、ゲルトルートがクリスの額に口づけする。クリスは目を見開いて、頬を真っ赤に染めて、そしてうつむく。それからしばらく静かになって、
しかし少ししてからクリスが思い出したように声を上げた。

「そうだっ、ミーナさんはっ―――
「大丈夫だ」
「え?」
「……大丈夫だ。ミーナは無事だよ」

 そう語るゲルトルート。やがて見えてきた基地の滑走路には、心配そうに見上げるミーナの姿があった。

「―――あれ?」
「まったく、部屋から出るなと言ったはずなんだがな……仕方の無い奴だ」
「……え? どうして……え? え?」
「まあ、詳しいことは後回しだ」



 ゲルトルートはそのまま着陸し、ミーナに一言苦言を言ってから三人そろって中へと戻っていった。丁度そのタイミングで敵機撃墜の報を受け、
民間の死亡者数ゼロという朗報を受ける。軍人は何十人と命を落としてしまい、それはあいにくの訃報となったが……きっと彼らも、市民が一人も
死ななかったと聞けば喜んでくれるだろう。そう語るゲルトルートの表情は、どこか穏やかだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ふう……」
「あら、トゥルーデ、おかえりなさい」
「ああ、ただいま……って、その名前どこから
「はーい! わたしでーっす!」

 ゲルトルートが一通りデブリーフィングを終えてミーティングルームに戻ってくると、和気藹々と話しているクリスとミーナ、エーリカの姿が
あった。疲れきった表情で帰ってきたゲルトルートだったが、三人の和やかなムードをみて一息ついたようだ。ソファに腰掛けると、積んであった
洗いたてのティーカップをひとつとって紅茶を注ぐ。

「ああ、そうだ、陸軍連中に連絡を入れないとな……」
「どったの?」
「いや、クリスの件で少し協力を依頼していたんだ。感謝のひとつでもしなければ」

 そう言って立ち上がるゲルトルートに、それなら、とミーナが手を上げた。礼になるかは分からないが、これも何かの縁だから―――。あいにく、
ここには引っ張り役のエーリカがいる。あれよあれよと話は大きくなり、いつの間にかサーニャがピアノの前に座っているのだった。そう、もし
なんなら陸軍の人たちに労いの意味を込めて歌を一曲と思ったのだ。なんだかんだでゲルトルートも賛成だったようで、シャーロット達がいそいそと
通信機材を運び込む。それをカールスラント陸軍の周波数帯域に合わせ、そしてサーニャの魔法でそれを増幅してやる。ミーナがマイクの前に立ち、
スタンバイが一通り整ったところでゲルトルートが電話を入れた。

「……ああ、もしもし、第501統合戦闘―――まったく、所属と名前ぐらい最後まで言わせろ、というかそれが常識だろうが。そうだよ、私だ」

 早速、漫才のようなやりとりを始めるゲルトルート。堅物と言われているところからは想像のできなかった光景だが、この基地に来て大分性格が
変わったとエーリカからも聞いた。きっとこれも、そのひとつなのだろう。後ろではサーニャが、自分の十八番なのか適当に一曲弾いている。昨日
聞いたのだが、サーニャが子供のころに父親に作ってもらった曲なのだそうだ。詩は無いが、落ち着いてしっとりした曲調が聴いていて心地いい。
そこでふと思いついたミーナは、エーリカを呼んで通訳を頼むと、サーニャにこの曲を流そうと提案した。詩は無いが、ハミングで歌えばそれなりに
雰囲気は出るはずだ。サーニャは快く承諾し、シャーロットは親指をつきたてて了承のサインを出している。ミーナは再びマイクの前に立って、
『サーニャのうた』に耳を傾ける。曲の流れは大体把握したので、分からないところは適当にアレンジしてしまえばいいだろう。曲自体は大分
単純なので、おそらく問題は無いだろうが。

「それでだな、まあ礼になるかは分からないが、お前たちの生活に潤いを与えてやろうと歌をプレゼントしてやろうかと思ってな」

 ゲルトルートがちらちらとミーナのほうを見てコンタクトを取っているが、ミーナは問題ないとゲルトルートにサインを出す。ゲルトルートも何度か
うなずいて、電話の向こうに話をつける。

「そういうことだ。基地全体に無線を開いておけ、将来大物になる歌姫の美声が聞けるぞ」

 にんまりと笑みを浮かべるゲルトルート。びくんと肩を震わせたミーナは、口ぱくで『ハードルあげないで』とゲルトルートに伝えるが、当の本人は
肩をすくめて知らない振りだ。ミーナとしては気が気でないが、だからといってこういうときに肩を張ってしまっても仕方が無い。もう一度深呼吸して、
歌う準備を整える。
 少ししてゲルトルートが電話を切り、シャーロットのほうへ行って無線機の調整を始めた。エーリカが耳元で、現在の状況について説明する。

「向こうから準備完了の連絡が来たら演奏開始。いい?」
「わかったわ、ありがとう」

 その為に受信する準備中、とのこと。ミーナはサーニャのピアノの旋律にもう一度耳を傾け、最後にもう一度曲を確認する。そして一通り確認して、
サーニャのピアノが終わったころ――――丁度そのタイミングで、ゲルトルートがはめていたヘッドフォンからもごもごと声が聞こえた。それから
ゲルトルートとシャーロットが手短に打ち合わせをした後、ゲルトルートがサーニャとミーナに簡単に説明する。

「あいつが左手を挙げたら準備完了、それに対して準備ができていたらお前たちも左手を挙げてくれ。そうしたらマイクの音量を入れるから、音が
入る状態になった時点であいつが手のサインを変える。そうしたら演奏開始だ、いいな?」

 サーニャとミーナ、それぞれブリタニア語とカールスラント語で説明して、そして二人とも深くうなずく。シャーロットの方をじっと見つめて、
そして――――ついに、シャーロットが左手を挙げる。ミーナとサーニャは一度目を合わせてから、互いに同じタイミングで左手を挙げる。準備は
万端、後は全力で歌うだけである。
 やがてシャーロットが別のつまみを回して、ピアノのところとミーナの前におかれたマイクの音量を上げ―――そしてシャーロットの左手が、
親指を突き立てる!

 サーニャがミーナのほうを向いて、そして頭を小さく縦に振って拍をとっている。口でわん、つー、すりー、ふぉー、と四拍ずつとって、そして
それを四回繰り返したとき、サーニャの手が大きく動き、ミーナが大きく息を吸い込んで――――


『Uh――― UhhhUh―――』


 サーニャのピアノとミーナの声が同時に入り、美しい旋律を奏でる。それはその場に居た全員、更にカールスラント陸軍の隊員たちの心の中にも
するりと入っていき、全員がその虜になっていく。

『Uh-h――― Uh-h-Uh―――』

 ミーナのハミングは流石と言うべきかとても綺麗で、透き通るようだった。遠くへ伸びる歌声はマイクを通さずともウィッチーズ基地の窓の外まで
聞こえ、そしてしなやかな指で奏でるピアノの旋律は繊細に人の心を掻き分け、その奥へと入り込んでいく。
 二つの音は綺麗にマッチして、そして。

『Uh――Uh――Uh――――――』

 短い三分が終わって、無線の向こうと基地中から大きな拍手が起こる。その拍手の中、立て続けにサーニャは昼間も弾いた旋律を奏で、ミーナも
それにあわせて―――。

 再び、基地にリリー・マルレーンが響く。おそらくカールスラント陸軍のあの辺りの駐屯地では全域に流れているはずなので、もしかしたら基地に
避難した市民の人たちにも聞こえているかもしれない。しかしそれも気にせず、ミーナは堂々とマイクに向かって歌声を響かせた。

『兵舎は焼けて陸は落ちた 戦いの空はまだ続く――』

 物悲しげな詩と、それに負けない強い歌声。そしてそれを持ち上げる、サーニャの力強いピアノ。寸分の互いも無く一致したそれは、一流の歌手も
裸足で逃げ出すほどの繊細かつ大胆さを誇っていた。

『静かな大地の底から 君の唇が僕を呼ぶ――』

 ミーナの歌声は再び基地の一行を癒し、そして歌は静かに終わりを迎え―――この基地では三度目の、拍手喝さいが起こる。そしてシャーロットが
いきなり何かに驚いたようにヘッドフォンをはずして、マイクを切ってからミーナに何か言った。慌ててゲルトルートが通訳すると、無線の向こうの
連中がカールスラント語で何かわめきたてているとか。ミーナは一度ヘッドフォンを借りてはめてみると、最高だのもう一度歌ってくれだのうちの
基地にも来てくれだの、一般市民までもが大騒ぎしていた。

「……どうだ?」
「皆、すごい喜んでくれているわ……」

 まさか、自分の歌で皆がここまで喜んでくれるだなんて。思いもしなくて、おかげでつい涙がこぼれてしまう。ゲルトルートがそっと肩に手を置いて
微笑して、ミーナもくすりと笑う。それからサーニャのところに行って、拙いブリタニア語でありがとうと感謝を述べた。サーニャは頬を赤くしながら、
ミーナが差し出した右手を小さく握り返す。

 そしてウィッチーズの長い一日は終わりを迎え、次の朝へと静かに向かうのだった―――。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「ふあ……あ……」

 ミーナが目を覚ますと、向かいのソファで寝ていたはずのクリスの姿は無く、代わりに丁寧にたたまれたタオルケットが一枚そこにあった。煤だらけの
荷物は置かれていたので、まだ帰っては居ないのだろう。朝食の準備でもしに行ったのだろうかと思いつつ、夜明けの空を窓を開けて見上げる。綺麗に
輝く太陽、そこにプロペラのエンジン音が重なる。音のするほうを見ると、朝早くから訓練している人影が見えた。……やはり、ここは空軍基地なんだ。
そんな当たり前のことをぼんやりと認識して、そして後ろから声がかけられたことに気づく。

「どうだ、眠れたか?」
「ええ、お陰様で。……おはよう、トゥルーデ」
「ああ。おはよう、ミーナ」

 まるで基地の一員になったかのような、安堵感。ミーナは今日帰るのがなんだか億劫になってきて、それでも昨日は特別に泊めてもらえただけであり
普段はこんなことありえないのだ。どうしても帰らなくてはいけないことに、少し残念な思いが沸く。

「いい歌と思い出をありがとう」
「そんな、こちらこそありがとうだわ。援助までしてもらって」
「勘違いするな、あれは援助じゃない。一人のファンとして、公演の代金を支払っただけさ」

 そう微笑しながら言うゲルトルートに、ミーナも微笑を返す。でもあれは代金としては高すぎだ、と言い返すと、ウィッチーズ基地の隊員分に
カールスラント陸軍の隊員分、と言い返される。それにしては少ないと逆に冗談めかして言うと、ならもっと払おうか、と意地悪く返されてしまう。
そんな言い合いがおかしくて次第に笑いがこみ上げてきて、二人ともくすくすと笑う。

「ああ、本当に楽しかった。ありがとう、またいつでも来るといい」
「ええ、何かあったらまたお邪魔させてもらうわ」
「次からは顔パスで入れるようにしておくよ」

 二人の静かな朝は、やがてクリスが食事の準備ができたことを伝えにきたことから少しずつ騒がしくなっていく。それは、どこか今後が明るい兆しの
ようにも思えた―――。






 数年後。ネウロイの脅威も去って、カールスラントの街が復興して。ある五百人収容の文化小劇場に、一人の女性が立っていた。赤いドレスを身に
纏い、セミロングの赤髪を靡かせ、しなやかに壇上に立つ女性。舞台袖ではマネージャーの少女が満足げに笑みを浮かべ、そして客席の最前列には
招待客として十人の魔女と大勢の軍人がやってきていた。軍人とは言っても、全員私服なので知っている人にしか軍人とは分からない。他の客席は
すべて一般客で満席で、外には漏れた声だけでも聞こうと大勢の人が詰め掛けている。

「……しかし、ミーナも随分と大物になったものだな」
「ホントだねぇー。やっぱ私たちのおかげ?」
「そんなわけあるか。ミーナの実力だろう」
「だよねー。トゥルーデにそんな器用なことできないもんねー」
「なっ、貴様、どういうつもりだっ」
「やいやーい」

 最前列で、隣にすら聞こえない声でひそひそと話す二人。公演が終わってから、ミーナに軽く説教されたのはまた別の話。


「でもフラウ、あなたには感謝してるわ。本当にありがとう」
「え? なんで?」
「あなたが最初にあの歓迎会を催してくれたから、今の私があるのよ」
「またまたー、褒めても何も出ないぞー?」
「そんなのじゃないわ、本当に感謝しているのよ」
「そう? へへー、照れるなぁー。じゃあその分の代金きっちり払ってもら
「アホなこと言ってないでさっさと行くぞ」
「うえー、トゥルーデひっぱんないで、ぐるじいいいいい……」
「それじゃあミーナ、また会おう。今日もいいステージだったよ」
「ありがとう。機会があったらこっちからも遊びに行くわ」
「いつでも来るといい」



 ―――ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。今では世界でこよなく愛される、世界一のクラシック歌手である。



fin.



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