ひびき


背中越しに響くこの音が、その響きが、とても好きだと思うから。
私は真っ暗闇かもしれないその先に、進んでいけそうな気がするんだ。


でかけよう、といったら、フラウは心底めんどくさそうな顔をして私を見返した。つい一週間ほど前に掃除をした
ばかりだというのに、もうガラクタやら衣類やらにまみれたその部屋の真ん中で間の抜けたあくびをしながら、
たたき起こされた眠り姫はけげんに首をかしげる。

「でかけるって、どこまでえ?」
「ど、どこまでだっていい」
「ロンドン?クリスのお見舞い?車を出せばいいの?それならもう少し寝かせてよ」
「ち、ちがうっ」

何もこんな朝っぱらからたたき起こさなくていいじゃない、と言わんばかりに寝台に上がりなおして横になる。けれど
寝相の悪いフラウはどうせ起きる頃には転がり落ちていることを私はようく知っている。

「…ちがうんだっ」

多分一つ目の否定は届かなくて、だから私は必死になってもう一度否定を重ねる。クリスのお見舞いに行きたい。
そういったらたぶん、フラウは何も言わずにキーをポケットに滑り込ませて私を妹のところへ連れて行ってくれるの
だろう。でも、ちがうんだ。私の目的は今日は妹ではなくて。

「なにがちがうのさぁ」
「う、運転は私がするっ」
「……はあ?」

毛布の下から、問い返す声が聞こえた刹那。がばっと起き上がって、寝癖で頭がぼさぼさのフラウが目を丸くして私を
見る。なんだ、すぐ起きられるじゃないか。それなら今度からそう言って起こそうかな。…なんて思ったけど、そんな
回りくどい方法が私にあっているとは到底思えない。

「なにいってんの、トゥルーデ。頭でも打った?」
「打ってない!」
「っていうか、トゥルーデに運転なんて無理だから。絶対駄目だから!」
「い、いちおう運転はできるじゃないか……」
「未だにまともにエンジンもかけられない機械オンチがなにいってんのさ!とにかく、トゥルーデが運転するのは
絶対だめだからね!!どこに行きたいんだか知らないけど、それなら私が連れてってあげるから」

まるで母親のように言い放って、がさごそと衣類の山に手を突っ込んで、そしてあっというまに身支度を整えて
しまう。そして私の肩に手を置いて真剣な顔で繰り返すのだ。

「うんてんは、だめです!」





足に力を込める。大地を踏みしめるように進んでゆく。滑らかに滑ってゆく景色。変わらない空の色。ぬけるような
青い空と、白い雲。

「あーほらほら、見てよトゥルーデ!!海がきらきらしてるよ!!」

後ろに座って私の腰に手を回してしがみついているフラウが、はしゃいだ声を上げている。見てみて、というから
そちらを見ようとしたら、「よそ見しないの!」となぜか文句を言われてしまった。理不尽だ、と思いながらも、彼女と
過ごしていくことはそんな理不尽なことばかりだからもう、いとも容易く許してしまえる自分がいる。

ペダルがギシギシと、不恰好な音を鳴らしている。体をしびれさせるエンジンの音も、煙るガソリンの匂いもない。
割ってゆく風は海風で、潮の香りが鼻一杯に広がるのだ。

「運転って、自転車かー。車とかバイクだと思っちゃった。心配させないでよね!」
「…それは、フラウが聞いてくれなかっただけだ!」
「ごめんごめんってばー。だってトゥルーデってば、車の運転本当に危なっかしいんだもん。」
「……ストライカーと違って自分の思い通りに動いてくれないから…ああいうのは性に会わない」
「あはは、いえてる。トゥルーデには似合わないんだから、このエーリカちゃんにまかせときなさい!」

ラフな私服は背中越しのフラウの体温をいつもより確かに伝えてくれている気がする。もしかしたらこの胸の鼓動
さえ聞こえてしまっているのではないかと思う。
といた髪の毛が風になびいてゆく。柔らかい髪、くすぐったいよ。フラウが笑うから、私もなぜか口許が綻んで
しまう。

「♪、♪、♪~」

まだ午前中だって言うのにフラウはご機嫌で、朝かみ殺していたあくびはいつの間にか鼻歌に変わって私の体に
響いていくのだった。レコードに吹き込むためのものではない気楽な歌声は調子はずれで、お世辞にも上手いとは
言えない。けれど私はそれを聞いているだけで気持ちが高まって、拍手喝さいを送りたい気持ちになってしまって
いるんだ。少し高めの、元気だけれど柔らかい声。この声だ、この響きなんだ。私の一番好きな音は。

その気持ちを足に集中させて、ペダルを踏みしめて前へ前へと進んでゆく。力を込めればこめるほど前に進める
感覚。それはストライカーを駆っているときの感覚にとてもとてもよく似ている。得物の代わりにハンドルを握り締めて、
通信機の代わりに生身の人がすぐ後ろから語りかけてくれる。不思議に胸を衝く高揚感も、少しだけ去来する恐怖心も、
とてもとてもよく似ている。似ているけれども、全然違う。

なだらかな畑と畑の間の道を進んでいって、小さな街を通り抜ける。どこまでもどこまでも進んでいけそうな感覚に
なる。フラウがご機嫌に挨拶をして手を振るものだから、通り過ぎる人みんなが微笑ましげに顔を上げて手を振り
返してくれるのだ。

「なあ、フラウ──」

ふと思い立って少し振り向いたら、きらきら輝くくらいのフラウの笑顔。ん、と気がついて笑みを返されて心臓の
鼓動が早くなる。なあに、トゥルーデ。甘えたようなフラウの声。

「──いや、なんでもない」
「えー。なにそれ!!ちゃんと言ってよ!っていうかちゃんと前見て運転して!危ないでしょ!」
「わかった、わかったよ」

しあわせだな。
ふと、そう思う。少し前までの私には戦って、ネウロイを倒すこと以外は何もなかったから、休みの日なんて空虚で
しかなかった。生きてる感覚がなくて、だから休暇をとろうとも思わなかった。フラウの部屋が散らかりすぎたその
ときだけはため息をついて、一日かけて掃除をしてやったりしたっけ。
一向に目を覚ます気配の無い妹を目の前にするのは自分の侵した罪を見せ付けられているかのようで辛かった
から、基地から出る気にもなれなかった。こんな風に誰かとちょっと遠くへ「おでかけ」なんて、考え付きもしなかった
んだ。

でも、今は違う。確かにしあわせがここにあって、その事実を受け入れて笑むことの出来る自分がいる。ずっと
ずっと探し続けてて、見つからずにふさぎこんでいた探し物だったけれど。

「♪、♪~♪」

楽しげにまた、フラウが歌いだす。そんなもの、ポケットに最初から入ってたんだよ。トゥルーデが気付かなかった
だけなんだよ。呑気で平和な彼女の声は、そんなことを教えてくれている気がするのだ。

なあフラウ、今こうして二人で自転車に乗って、風を切って道を縫っている私たちを見て、誰が「がんばってネウ
ロイを倒してね」というだろう。軍服さえ身につけないで、髪も下ろして、ただ二人ではしゃぐ16歳と18歳の女の子。
気がついたら戦火の中にいた私たちは何が普通なのかさえもう分からないけれど、でも、ねえ、しあわせだとおもわ
ないか?

「ねえ、トゥルーデも歌おうよ!」
「えー、恥ずかしいじゃないか」
「なにそれ!私だけを見世物にする気だなー!」

空が青くて、雲が白くて、背中から君の声がして。そんなありきたりかもしれないことを、「しあわせ」だと思える。
そんな自分が嬉しいのか、それともまた別の感情からなのか、涙がふとこぼれた。戦いの中で出会って、血なま
ぐさい中をみんなで生き抜いてきた。たまにそんな時代の奔流に飲み込まれそうになって、そして私は一度自分を
見失ってしまったけれど。

「わかった、歌う、歌うから」
「ようし、それでいいのです。あ、でも歌うのに真剣になっちゃ駄目だよ?トゥルーデってすぐおろそかになるから
ねー。安全運転安全運転!」
「分かってる、分かってるよ」

些細なことで喧嘩して、でもすぐ仲直りして、多分そうやって深まってきた私たちだ。気付かないうちにだけれど、
そうして絆されていって、今があるんだ。
(しあわせなんてね、きっとそこらじゅうに一杯落ちてるんだよ)
フラウと一緒に歌うことでまた、そう教えられるから。だから欲張らなくてもいいと思える。だって気が付けばポケット
にはいってたり、手の中に零れ落ちていたりする。しあわせなんてそんなものだから。

ねえ、そろそろ帰ろうか。
そう笑うフラウの手の中には、道端に咲いていた綺麗な花がある。赤い赤い綺麗な花はミーナの髪の色と一緒で、
きっととてもよく似合うねと二人で話して笑ったものだ。その笑顔の綺麗さに、なんだかまた胸衝かれて少し切なく
なって、泣きたくなっている私がいる。忘れていた感情がいっぱいになって、胸からこぼれ出てきているかのよう。

またペダル踏みしめて、ほの赤くなった空を眺めて。戻ったらまた戦いの毎日が待っているけれど。
きっとそんな日々の中にも、ポケットにしあわせがはいってたりするんだ。ねえフラウ、そうだろう?

朝とは違う少し違う寂しげな歌を背中越しに聴きながら、私はもし今ここが真っ暗闇に包まれたとしても、その先に
進んでいけるような気がした。


おわり


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