さようなら美緒
「扶桑国海軍少佐、坂本美緒。その方に切腹を申し渡す」
軍法会議の席上、マロニー大将は厳かに処罰を言い渡した。
その瞬間、同席していた美緒の上官、ミーナ少佐は叫びそうになり、思わず口元を両手で覆った。
命令無視の末、部隊の半数を失う結果を招いたとあれば、無事に済むとは思ってもいなかった。
だが、美緒ほど有能な士官なれば、命は許されるかもという一縷の望みを捨ててはいなかったのだ。
しかも、損害は甚大とは言え、戦略目標はクリアして作戦自体は成功しているのである。
仮に美緒が司令部の命令に従っていたとして、アレだけの戦果を上げられたかどうかは疑わしい。
トゥルーデやシャーリーたちが未帰還となったことは確かに痛い。
しかし、ミーナにとって美緒は掛け替えのない盟友──否、自分の体の一部とも言える大切な存在なのだ。
「異議あり」
ミーナは席を蹴って立ち上がった。
「こんな、弁護人もなく、上告もない軍法会議は無効です。統合作戦本部による再審を請求します」
マロニー大将がミーナを一瞥する。
「黙れ。この軍法会議における少佐の発言権はない」
大将は煩わしそうに吐き捨てた。
「いえっ、黙りません。人権を無視した問答無用の私刑など、ネウロイの遣り方と同じではないですか」
ミーナは相手の階級などお構いなしに、殺意を込めた視線で大将を貫く。
絶対に美緒を死なせるわけにはいかない。
どうしてもと言うのなら、まず自分から殺せと言わんばかりの気勢であった。
美緒がいないこの世になど、何の未練もあるものか。
「少佐、発言の根拠を示したまえ。いったい君はどういう権限に基づいて発言しているのかね?」
マロニー大将はミーナの必死さを嘲笑うように、手続きを事務的に処理していく。
「権限? 美緒は私の部下です。部下の処遇を決めるのに、法的根拠など必要ありません」
「いい加減にしたまえ。我々は何よりも規律を重んじねばならない軍人なのだ」
大将は溜息をつき、ウンザリしたようにかぶりを振った。
「軍人だからこそ、人としての心を──」
「黙らんかぁっ」
マロニー大将は立ち上がると、両手で机を殴りつけながら怒鳴った。
思いもしなかった激しさに、ミーナは呆然と立ちつくす。
会議室が水を打ったように静まりかえった。
皆が落ち着くのを待って、マロニー大将が重々しく口を開く。
「坂本少佐、改めて切腹を申し渡す」
ミーナはいよいよとばかり、ガーターベルトに吊していた手榴弾をまさぐる。
どうせ美緒が死刑になるのならこの場で共にと、覚悟の上で持ち込んでいたMkⅡ手榴弾である。
これで大将たちを脅して、美緒と逃げるのもいいかも知れない。
誰も追ってこれない2人だけの国を目指して。
覚悟を決めたミーナは、もう一度愛する美緒の顔を見ようと視線を上げた。
そして──信じられないものを目の当たりにした。
なんと美緒は微笑んでいるではないか。
それも天使のような、何とも言えない柔らかな表情を浮かべて。
「ありがたき、しあわせ」
きちんと正座していた美緒は、両手をつくとマロニー大将に向かってお辞儀した。
小さく頷いたマロニー大将の両目に涙が溜まっている。
2人の顔を見比べるうち、ミーナは気が変になってきた。
どうして死罪を言い渡すマロニー大将が泣き、言い渡された美緒が微笑んでいるのか。
解らない、何一つとして解らない。
「切腹は本日午後2時ちょうどより行う」
マロニー大将はそう言うと、踵を返して会議室を出ていく。
「お待ち下さい、大将っ」
大将に追いすがろうとしたミーナが、衛兵によって取り押さえられた。
その日の正午、自室に軟禁されていた美緒の元に、ペリーヌ中尉が訪れた。
「少佐。マロニー大将の計らいで、私が介錯人を仰せつかりました」
ペリーヌは威儀を正してペコリと一礼した。
「そうか、よろしく頼む。ペリーヌならなんの心配もいらないな」
美緒は微笑んで頷くと、形見に愛用の軍刀を差し出した。
ペリーヌは両手を上げ、恭しい動作で拝領する。
「部隊のことは任せたぞ。お前は責任感が強すぎるから、もう少し部下を信じて一人で全部背負い込まぬようにな」
美緒の最後の教訓を、ペリーヌは一言一句聞き逃さぬよう神妙な面持ちで聞いた。
「お任せ下さい。少佐の教えは、命に替えても後輩たちに引き継ぎますわ」
ペリーヌがそう言った時、荒々しくドアが開かれた。
衛兵を振りきってミーナが入ってくる。
そしてペリーヌが持った扶桑刀を見ると、血相を変えて食って掛かった。
「ペリーヌ、あなたそのサムライソード使って、美緒を殺すつもりなの? あなた、平気なのっ?」
ミーナになじられてもペリーヌは気にもしなかった。
かえって憐れみを含んだ視線で隊長を見詰めただけである。
「なんなの、その目は? この人殺しぃっ」
ペリーヌに掴みかかろうとしたミーナは、衛兵に取り押さえられてその場に押し倒される。
素早く鎮静剤が打たれ、ようやくミーナは大人しくなった。
「手間を掛けさせて済まないな。夕方までゆっくり休ませてやってくれ」
美緒は衛兵に労いの言葉を掛ける。
ミーナと入れ違いに、昼食を持った兵卒たちがやって来た。
ウィッチ見習いの少女たちである。
まだ10歳を超えたばかりの少女たちは、実習の一環として各部隊の下働きを命じられているのだ。
「ランチは遠慮しておこう。見苦しくならないようにしたいから」
美緒は食事の準備を始めた少女たちに言った。
途端に少女たちが泣き出しそうになる。
事情を知らない彼女たちは、憧れの少佐のお世話ができることを素直に喜んでいたのであった。
「い、いや。やっぱり頼もうか」
空気を察して美緒は言い直した。
士官たる少佐のランチは豪勢である。
テーブルの上は様々な料理の皿で一杯になった。
「一人でこんなに食べられないな。よし、みんなで食べよう。ペリーヌ、お前も付き合え」
美緒の一言で昼食会が始まった。
本来なら止めさせるべき立場の衛兵は、用事を思い出したとかで詰め所へと戻っていった。
「これは美味そうだ。私はスープを貰おうかな」
美緒はなるたけ固形物を口に入れぬよう、薄目のコンソメスープを口に運ぶ。
「あたしたちもお手伝いしたんです」
少女たちは少し自慢げに胸を張ってみせた。
「ネウロイと戦うのって、こわくないですか?」
楽しい昼食会は、やがて質問会の様相を呈してくる。
「戦うのが怖くないという奴は愚か者だ。死ぬかもしれないのだから、怖いのが当たり前だ」
美緒はできるだけ深刻にならないように口調を選んで話す。
「けど、自分では戦えない市民の命が奪われるのは、自分が死ぬことより怖い。だから怖くても戦う勇気が湧いてくるんだ」
少女たちは目をキラキラさせて少佐の話に聞き入っている。
「少佐は扶桑の人なのに、どうしてブリタニアを守ってくれるのですか?」
「扶桑もブリタニアには色々と世話になってるからな。それに世界が危ない時に、扶桑もブリタニアもあるまい」
あっはっはっ、と少佐のいつもの笑い声が戻ってくる。
「あたしたちも少佐みたいな立派なウィッチになれるかなあ」
少女の一人がふと漏らした。
「なれるさ。なって貰わないと困る」
その時だけ、美緒は遠くを見るような目をした。
それを見たペリーヌは顔を背け、そっと目頭をハンカチで拭った。
楽しい時間は早く過ぎ去るもので、最後の会食はアッと言う間に終わった。
「少佐。私はそろそろ……」
ペリーヌが席を立ち、予定の時間が迫ったことを告げた。
「ああ、後で会おう。楽しかったよ」
美緒が右手を差し出し、ペリーヌがそれを握り返す。
万感のこもった目と目が交差する。
永遠とも思える刻が流れ、やがてどちらからともなく手を放した。
そして敬礼を交わすと、互いに背を向けて別れた。
一人になると、美緒は制服を脱いだ。
自室備え付けの簡易シャワーを使って身を清める。
真新しいタオルを使ってしずくを拭い去る。
腹部にきつくサラシを巻き付け、白装束に着替える。
組み紐を用いていつもより高い位置で髪を結う。
準備を整えた美緒は絨毯の上に正座し、ゆっくり大きく深呼吸してみる。
心に乱れなく、自分でも驚くほど落ち着いていた。
残された僅かな時間を使って瞑想に入る。
直ぐに明鏡止水の極致に達することができた。
そうしているうちに介添人が美緒を呼びに来た。
切腹場所として通されたのは、思い出深い作戦室である。
中央に4畳の畳が敷かれ、上座の逆さ屏風の前には既にマロニー大将が鎮座していた。
その左右には本部の将校や501の僚友たちの顔がある。
声を出す者などおらず、全員が静かに黙礼した。
美緒は答礼してから畳に上がり、置かれた三方の前へと進む。
その三方には細身の短刀が載せられていた。
三方の前に着座した美緒は、正面の大将に向かってお辞儀する。
「何か言い残したことはないかね」
大将が重々しく尋ねる。
首をゆっくりと左右に振った美緒だったが、思い直したように口を開いた。
「もろともに あはれと思へ 山桜」
美緒が発した辞世の句に、マロニー大将はすかさず下の句を付けた。
「花よりほかに 知る人もなし」
即座に意味を解した美緒がニッコリと、花が咲いたような笑顔を見せた。
マロニー大将はやはり黙ったまま小さく頷く。
正式な軍法会議に掛けられれば、美緒は間違いなく銃殺刑だったろう。
大将は全てを理解した上で、美緒に武人として最後の名誉を与えてくれたのである。
マロニー大将もまた武人であった。
士は己を知る者のために死ぬ。
もはや美緒の胸中に一抹の不安もなかった。
「ペリーヌ・クロステルマン中尉。命により介錯つかまつる」
扶桑刀をひっさげてペリーヌが畳に上がった。
そのままゆっくり美緒の左後ろへと進む。
ギラギラした刃身を水でしめてから八双に構える。
「では……」
美緒は短刀を取り上げると、刃に奉書紙を巻き付けていく。
空になった三方は後ろに回し、尻の支えとする。
全ての準備が整った。
「……いざ」
腹を貫いた刃身は最初氷のように冷たく、そして時を置くほどに熱くなってきた。
「むっ……むぅっ……むぅぅぅ……」
美緒の顔が苦悶に歪み、脂汗がポタポタと落ちる。
思ったより短刀の切れ味が悪く、服直筋がなかなか切り裂けない。
「中尉っ」
見かねたマロニー大将がペリーヌを促す。
しかしペリーヌは涙を湛えた目で大将を睨み返し、キッパリと拒絶の意思を示す。
今刀を振り下ろせば美緒は苦痛から救われるだろうが、彼女の魂は救われなくなる。
「頑張って、少佐。頑張って下さい」
ペリーヌにできることは、心中で美緒を励ますことだけであった。
「こ、こんなもの……バルクホルンたちの苦しみに比べれば……」
美緒は歯を食いしばって腹を真一文字にかっ切る。
続いてみぞおちに刺した短刀を、臍の辺りまで引き下ろす。
見事やりきったと思うや、美緒はガクリと首を折った。
その刹那。
「少佐ぁっ、いきまぁーす」
裂帛の気合いと共にペリーヌが扶桑刀を振り下ろす。
「寒いな……こんなことなら取って置きのコートをミーナにあげるんだった……」
それが坂本美緒が20年の歴史で残した最後の意識であった。