ひまわり


 少しずつ遠ざかっていく。
 ペリーヌさんが501に転属されて少しして、わたしも新しい転属先が決まった。
 もちろん同じ501になんてことはなく、行き先はアフリカだった。
 手紙が届くのにいったいどれくらい日数がかかるのだろう……?
 最初に頭にやってきたのはそんな疑問だった。
 アフリカ――あの人と同じブリタニアでも、祖国ガリアでもない、縁もゆかりもない土地。
 わたしにはそれこそ地の果てにさえ思えた。
 どうしてアフリカなんだろう?
 これが今のままであれば、たとえ部隊は違っていても、ペリーヌさんと同じブリタニアの空で、
 一緒に戦っているんだと思うことができた。
 それはただの気分、気の持ちようでしかないけれど。
 でもそう思うことでやっと、頼りない平静をわたしはたもつことができるのだった。
 本当だったらアフリカへなんて行きたくなかった。
 けれど行きたくないなんて、そんなのただのわがままでしかない。
 もちろん一度くだされた命が覆るなんてあるはずもなく、わたしは黙ってそれに従うしかない。

 ペリーヌさんに手紙出そうかなと思ったけれど、できなかった。
 アフリカからちゃんと届くかも心もとなくて、だったら今のうちに書いておこうと思ったのに。
 何度も書こうとしたけれど、なんて書いていいのかわからなかった。
 ようやくいざ書き出してみると、今度はペンが止まらなくなってしまう。
 吐き出すように文字をつづった。便箋に何枚も。
 心細いです。本当はいきたくなんてありません。ペリーヌさんに会いたいです――
 不安で不安で、身が引き裂かれてしまいそうで、それを全部ぶちまけるかのように。
 そんなのはただの泣き言、甘えだ。
 こんな手紙、あの人になんて見せられるはずがない。
 会いたいですなんて言って、ペリーヌさんを困らせるだけだ。
 たとえ会ったとしても、だからどうだというんだろう。なにが変わるわけでないのに。
 じゃあどうして、わたしは会いたいなんて思ってしまったんだろう?
 どんな顔したらいいかなんてわからなのに、じゃあわたしはなにを期待しているのだろう。
 ペリーヌさんに会ってしまったら、わたしはまた泣いてしまう。だだをこねてしまうかもしれない。
 そしてペリーヌさんはさらに困った顔をして、呆れて、わたしのことを嫌ってしまう。
 ぞっとするほど怖かった。
 いや、もっと怖いのは、はたして本当に会ってくれるかだった。
 別にわたしとあの人はそんな気安い間柄でもない。
 憧憬、思慕。それは一方通行の想い。
 それを自覚すると胸がざわめきたってくる。この感じ、わたしの苦手なあれに似ている。
 そのたびにわたしは心の宝石箱からあの言葉を取り出してくる。

『アメリー、あなたは足手まといなんかじゃないわ』

 とても穏やかな、やさしい声だった。
 かつて501へ行ってしまうペリーヌさんが、わたしにかけてくれた言葉。

『頑張っているじゃない』

 ほんのちょっとだけど、ペリーヌさんに認めてもらえた。
 飛び上がって天に昇れるほど、とってもとってもとってもとっても嬉しかった。
 これはわたしにとって生涯の宝物だ。
 ちゃんと頑張っていれば、わたしとあの人はたしかにつながっていると思えるから。
 けれど、こうも思う。
 頑張って、頑張って、じゃあその先にいったいなにがあるというのだろう?
 どんなに追いかけても、懸命にジャンプしても、けして届かないものがあることをわたしは知っている。
 大きくって、まぶしくって、そう――まるで太陽みたい。
 あんなに大きく見えるのに、じゃあどうしてわたしの手には届かないのだろう?
 いつか聞いたことのある、鳥の翼を蝋で背中にくっつけて飛んだ男の話を思い出す。
 言いつけを守らず高く飛んだがために、太陽の熱で蝋が溶かされ、翼はもがれて海へと墜ちていく。

 また、心のどこかがざわざわする。時折それが声になってささやいてくる。
 あの人はわたしのこと、忘れたりしてないだろうか――
 それはわたしにとって何度目となる死刑宣告だ。
 思えばいつもそうだった。
 家族も、祖国も、本当ならわたしにあったはずのものは、わたしの前から消えていく。
 残されるのはただひとりぼっちのわたしだけ。
 声を枯らして泣き叫んでも、それが届くことはない。

 考えこんでいると急速に目頭が熱くなってきて、大粒の涙をわたしはこぼした。
 書きかけの便箋を濡らしてしまい、あわてて拭おうとしたせいでインクの瓶をこぼしてしまった。
 なにやってるんだろう。こんなみっともない手紙、ペリーヌさんに見せられるはずがない。
 どうしてわたしっていつもこうなんだ。
 ぐずで、のろまで、意気地無しで、どうしようもなく泣き虫。

 身仕度や送別のパーティーで、逃げるように日は過ぎていった。
 騒々しいのは嫌いじゃない。余計なことを考えなくて済むのはありがたかったから。
 手紙は結局、なくしてしまって出せなかった。
 捨てる手間が省けたと思えば、それでよかったのかもしれない。

 そして出発の当日。
 部隊のみんなが見送りに来てくれた。皮肉なことに天気はいい。
 元気で。またな。しっかりやれよ。
 仲間たちから口々に言葉をかけられる。
 わたしはせいいっぱいおじぎをしてそれに答えた。
 今までありがとうございました。いってきます。さようなら。
 じんわりと涙が浮かんでくる。やがて声を出してわたしは泣き出した。
 からかわれたり意地悪を言われることもあるけれど、みんなのことが好きだった。
 おいおい、涙はちゃんと取っておけよ。中隊長は言った。

 出港を告げる汽笛が鳴った。
 まだいいんじゃないかと引き止められたけど、わたしは断った。別れがつらくなるから。
 振り返ることはなかった。名残惜しむようにわたしは船へと歩みを進めていって。
 声が、した。

「アメリー!!」

 叫び声。わたしの名前を呼んでいる。
 振り返らずとも誰だかわかった。
 間違えるなんてあるはずがない。あなたを思わない日はなかったから。
「ペ……クロステルマン少尉!」
 自分の目を疑った。夢でも見てるのかと思った。
 一番会いたい人。その人がこっちに、わたしの元へと走ってくる。
 ペリーヌさんは肩で息をして、
「今は中尉ですわ。それに――言ったでしょう、ペリーヌって呼んでって」
「わっ忘れてなんていません! その……ペリーヌさん。えっとえっとえっと……」
 ごめんなさい。違う。
 会いたかったです。そういうことじゃなくて。
 どうしてあなたが――
「ノーブレス・オブリージュですわ。こんなもの送られてきたんじゃ、来ないわけにはいかないでしょ」
 そう言ってペリーヌさんはそれを掲げてみせた。
 わたしの書いた、でも出せなかった手紙。
 部屋の整理でなくしたと思ってたのに、じゃあどうして今、ペリーヌさんの手にそれがあるんだろう。
 中隊長や他のみんながペリーヌさんの後ろでニヤリと笑ったのが見えた。
 涙はちゃんと取っておけよ。中隊長の言葉を思い出した。
 わたしは悟った。この人たちときたら、最後の最後になんてことしてくれたんだろう。
 見られたくなんてなかったのに。
 情けない。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
 いたたまれなくて、こんなところにずっといたらわたし、死んでしまいそうになる。
「あの……」
 声が震えてうまく出てくれない。
 あふれそうなほど言いたいことがあったはずなのに、わたしはすっかり言葉をなくしてしまっていた。
 ペリーヌさんはそんなわたしを見かねて、眉を下げる。
 こんな顔をさせたかったんじゃないのに。
 ――じゃあどうして、会いたいなんて思ったんだろう。
 わたし、ひき止めて欲しかったの?
「あなた、少し背が伸びたんじゃなくて」
 間を持て余したペリーヌさんは言った。
「そ、そうでしょうか――ペリーヌさんはお変わりないようでなによりです」
「どういう意味かしらね」
 と、ペリーヌさんは苦い顔をして笑った。
 それにつられてわたしも笑った。みんなも笑った。

「あのう。前にペリーヌさんが501に行った時のこと覚えてますか」
「ええ」
「その時、わたしに言ってくれたことは」
「ちゃんと覚えてましてよ」
「足手まといじゃないって、頑張ってるって……本当にそう思いますか?」
「ええ。だから頑張ってらっしゃい」
 重たい雲の向こうから光が差した気がした。
 その言葉だけで、わたしの心にたちまち雨は止んでしまった。
 わたしってばどこまで単純なんだろう。なんだって頑張れそうな気がしてしまう。
 ようやくわかった。どうしてペリーヌさんに会いたいって思ったのか。
 引き止めて欲しかったのではない。わたしはずっと背中を押して欲しかったんだ。
 言って欲しかった言葉は“いくな”じゃない。
 そうじゃなくて“いってらっしゃい”だ。

 汽笛がまた鳴った。
「あの……ペリーヌさん。最後にひとつだけ、お願いしてもいいですか……?」
「なにかしら?」
「ぎゅって……してもらってもいいですか?」
 ひゅーひゅーとみんなが囃し立ててきた。
 ペリーヌさんは一度大きくため息をつくと、
「しょうがありませんわね」
 やれやれと両手を広げてくれた。
 わたしは沈みこませるようにそっと、その人に身をあずけた。
 ああ、やっぱり。思った通りだ。
 あったかくて、やわらかくて、いい匂いがする。
 ひだまりみたい――

 あなたはいつだってわたしの目にまぶしい。
 ならばわたしはひまわりであろう。
 向き合うように見上げて咲くひまわりに。
 それがどんな場所であろうと、まっすぐ背伸びして、あなたの光を全身に浴びる。


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