サフィズムの舷窓~Un as


 北欧スオムスの朝は寒い。首もとから忍び込んできた冷たい空気にぶるぶる。
 昨日一日、哨戒任務にあたっていた疲れがまだ抜けない。
「…もこ、智子! いい加減に起きて」
 どこか聞きえおぼえのある声が澱んだ意識に働きかける。続いて、ゆさゆさと肩を揺すられた。
 せっかく気持ちよく休んでいたのにと心の中で舌打ち。
「なによ……今日は第一中隊の担当じゃない」
「第一中隊? わけのわからないこと言ってないで、ほら早く!」
「う、さぶっ! ちょっと、なにするのよ武……子?」
 温かな毛布を引っぺがされて憤り、いきりたって飛び起き、眼前に立つ少女をみとめてぽかんとする。扶桑陸軍の精鋭として激戦地帯であるカールスラントへ派遣された親友がどうしてここに。
「なんでカウハバ基地に武子がいるの? まさか部隊が壊滅したとかっ?!」
 考えうる最悪の事態に蒼ざめる。
 手近にある袖を掴んでぐいぐい引っ張ると、呆れたような顔をした武子が溜め息。
「寝ぼけているのね。そろそろ現実に戻ってきてよ。私たちは学生でしょう」
「学生? ってことは……ここ、士官学校??」
 脳裏に教練を受けていた学び舎がよみがえる。そういえばこんな簡素な部屋のつくりだった。同時期に任官候補となった武子とは互いに良きライバルとして切磋琢磨の日々である。
 すると、スオムスでの華麗な活躍は今朝の夢だったのだろうか。
「そうよ。ここは各国の良家子女が集うH.B.ポーラスター、あなたは航空学科に在籍する穴拭智子さんね」
 小馬鹿にしたような説明に腹を立てる余裕もなかった。
「ポーラス…? そ、そうだっけ??」
 そんなハイカラな名称だったかと記憶に混乱をきたす。だが、柳眉をさかだてる親友に再度確認する勇気もない。
「さ、早く着替えて。ハッキネン学長に呼ばれているんだからね、あなた」
「ハッキネン司令?」
「ハッキネン学長! 今回はなにをやらかしたの? まさかまた子猫関係のトラブルじゃないでしょうね?」
 こちらの反応を窺うようにそう聞いてくる。
 制服一式をベッドに広げていた私は、目だけそちらにやって生返事。
「私、動物は飼ってないわよ。武子だってそれは知ってるでしょ」
「知っているわよ。年上以外は来るもの拒まずで、私以外に5人だものね。状況に流されるまま全員と関係を持っておいて白々しい」
 武子はそう言って、ぷいっと顔を背ける。
 さすがに察しがついた。親友と思っていた人物はただの親友ではなく、せつない声でこちらの不貞を責めている。身におぼえなどさっぱりないが、武子は下世話な冗談を好む性格ではない。
「ご、5人…いや6人。すごいわね」
「他人事みたいに言わないで。あなたが風紀を乱しているのよ。まさに通り名どおりね」
 冷めた仕草で熱く見られて目が泳ぐ。異様な緊張感に、じっとりと嫌な汗。きちんと着込まれた制服の腰で扶桑の守り刀が存在感を放っている。下手なことを口走ればあれでサクッと刺されそうだ。
 ここは一時撤退すべきと制服を抱えて立ち上がる。そして洗面所の扉を開けて中へ。
「私の通り名ってあれよね? 扶桑海の」
「レズの皇女様」
 足がもつれて、ガラガラガッシャーン!
 置いてあった洗濯籠をぶちまけ、色とりどりの衣類やらなにやらに埋もれる。
「……すごい、通り名、ね」
 ダメージが大きすぎて立ち上がれない。その通り名を往来で連呼されたら素で死ねるだろう。
「ちなみにあとの5人って……誰?」
 力ない声で恐る恐る確認した。
 学内に複数いるという子猫の正体を知るのが怖い。
「私たちと同級のキャサリンとウルスラ、下級生のエルマとジュゼッピーナにアホネン」
「ちょっと、なによその面子はっ?! キャサリンとアホネンは私より年上でしょう!」
 からかっているのかと憤慨する。
 年上以外は来るもの拒まず、ついさっきそう言ったではないか。
「欧州の人は実年齢より大人びて見えるものよ」
「そうかしら?! そんな問題なのかしらっ?!」
 真顔で返され、内容を処理しきれなくて懊悩する。
 手近にあった籠を引き寄せて額をガツンガツン、その痛々しい音が簡素な部屋に響いていた。


 H.B.ポーラスターとは公海を気ままに移動する帆船、日常生活に必要な設備全てを内包する学園都市である。
 乗員乗客、教員生徒、はてはペットにいたるまで全て女性で構成されており男性は皆無。各国の富豪がこぞって愛娘を送り込もうとするほどそのガードは固い。
「はぁ……悪夢だわ」
 通路にて独りごちる。額には大きな絆創膏。
 寝起きのぼんやり感もとれて、自分自身のことを段々と思い出してきた。ソノ気のある同性に行く先々で想いを寄せられ、流されやすい性格のせいで学内に複雑な多角関係を築いている。同年や年下には禄に抵抗できず押し倒されてしまうのに、どういうわけだか年上は受け付けないという特異なセクシャリティをもつ。
「ったく、広すぎるのよ、ここ。出てくるまでに時間くっちゃったし、これは確実に叱責されるわね」
 叱責どころか厳しい処分もありうる。
 世界国家からの独立を保障されているポーラスターの学長を一時間以上も待たせるなんてありえない。
「大体あいつらが押しかけてこなければ、こんなことには……」
 迷路のような廊下を早足で歩みながら独りごちる。
 あのあと普段の生活態度について武子にガミガミと小言を落とされまくり、部屋の掃除にやってきたメイド姿のキャサリンが片っ端から家具を破壊し、うるさくて本が読めないとマルキ・ド・サドを手にしたウルスラが苦情をいれにきて、事態を面白がるだけのジュゼッピーナが勝者予想の賭場をひらき、蚊のなくような声でなにやら言うエルマにイラッとして聞き返しては泣かれ、そんなあなたに気持ちが楽になる薬を用意したわとアホネンが怪しげな液体を強引に口移し。
 ようやく正気に戻ったときには、悩ましげな表情の皆が周りに伏していた。なにがあったのか思い出せないし、思い出さないほうがいいだろう。
「さて、と―――――ハッキネン学長! 穴拭智子、参りました」
 重厚な扉の前でビシッときおつけ。そのまま反応を待つ。
「どうぞ。入ってください」
「はい、失礼いたします」
 許しを得て室内へ進む。海原を一望できる艦橋にて操舵舵を握る女性、ポーラスターの航路はこの人物が決めている。
 やはりここはイニシアチブをとるべく先手を打つべし。
「お呼びとうかがいました。遅くなって申し訳ありません、ハッキネン学長」
「いいえ、あなたにしては早いほうです」
 微動だにしない背中から温度のない声が淡々。これが雪女と揶揄される所以である。
 嫌味くらいは言われるだろうと身構えていたので肩透かしをくらう。
「あの……それで学長、今回の御用件とは?」
 船の操舵を自動航行に切り替えたハッキネンがゆっくりと振り向く。洒落っ気のない眼鏡が冷たく光った。
 なんだか嫌な予感がして背筋はぞくぞく。
「あなたの周りでは色事の騒動が絶えないようですね」
「うっ……や、やっぱり、そっち関係ですか」
 がっくりと両肩を落とす。そうではないかと思っていたが、公の場での晒し上げはきつい。清く正しく美しくを美徳とする扶桑撫子として恥ずべき呼び出し理由だ。
 しかし、僅かに首を振ったハッキネンが話を続ける。
「そのこと事態はなんら問題にあたりません。学問・信教・表現・嗜好、ここポーラスターでは一切の自由が保証されています。学園側は余程の事がないかぎりトラブルに介入しない、それはよろしいでしょうか?」
「はあ、おっしゃるとおりで」
 褒められた関係ではない自分達が放置されているのは、ポーラスター独自の規範にのっとってのもの。
 出身国が違えば常識もいろいろ、それは一方的な見地ではかれるものではない。人種のるつぼとかす船内での禁止事項は一つだけ。それは他人を害しないこと。
「えっと、それでは私はいったい」
「一件の被害届を受理しました。とても深刻な内容です。それについて、なにか思い当たることは?」
「いえ、特になにも」
 探るようにじっと見つめられて戸惑う。
 被害とくれば加害。本当に心当たりなどないが、知らぬ間に誰かを傷つけてしまったのだろうか。
「いたいけな新入生を手篭めにしたあなたに退学処分がくだったわけですが」
「…………は?」
 なんですと、と耳に手を当てる。
 今、とんでもないことを言われた気がする。
「被害を訴えている少女が存在します。あなたに篭絡された、と」
 ハッキネンは1ミリたりとも表情を動かさずそう説明する。
「ちょ、ちょっと待ってください! 流されるまま関係を持ったことは多々あれ、嫌がる相手に無理やりだなんてありえません! 大体誰なんですか、その被害を訴えている新入生って?」
 身の潔白を示そうとして、言わなくてもいいことまで申告してしまう。だが、そんな不名誉な罪状で退学させられては末代までの恥。御家取り潰し、一家離散、村八分は確実だ。
 こちらをじっと見つめて思案していたハッキネンが口を開く。
「被害届をだしたのは扶桑海軍士官の御令嬢、迫水ハ……お待ちなさい。刀に手をかけてどこへ?」
「おかまいなく。諸悪の根源を葬り去ってくるだけですので」
「つまり、あなたは罪状認否すると?」
「 当たり前です、あのちびっこ変態海軍に襲われまくっているのは私の方なんですから。あんまり毎晩くるから出入り禁止にしたあげくがこの有様―――とにかく、ハルカをとっ捕まえて詰め腹切らせてやります。では、急ぎますのでこれにて」
 顔の筋肉に力を入れて、にっこり。
 学長に敬意を払って一礼すると、噴き出してくるドス黒いオーラを背負って一歩を踏み出した。


「ビューリング、いるわねっ?! ハルカを捕まえるのを手伝って! 私を嵌めようとした報いを受けさせてやるわ」
 振りぬいた刀をカチャンと鞘におさめる。
 ただよう濃いコーヒーの香り。風通しの良くなった部屋の奥に、しかめっ面を発見する。
「おい、トモコ……お前はどうして毎度毎度、ドアを切り捨てて入ってくる?」
「あなたがいつでも鍵を掛けてるせいよ」
「面倒事のたび駆け込んでくるな。いい迷惑だ」
 そう言って、ビューリングは鼻を鳴らす。
 入学以来一度も授業に出たことがなく、カフェインとアルコールとニコチンばかり摂取している彼女は学内でも有名な変わり者だ。本格的なドリップコーヒーを目当てに入り浸るうち、自然とつるむことが多くなった。
「仕方ないじゃないの。私の周りで一番頼りになるのって、あなただし」
「どうせまた痴情のもつれだろ。身から出た錆だな」
「皮肉はいらないから、こういう時くらい素直に年下の頼みを聞きなさいよ! 」
 腹の立つ言い方で図星をさされ、逆上する。
 協調性皆無の捻くれ者のくせに、どうしてこう観察眼だけはめっぽう優れているのか。
「望んで先に産まれたわけじゃない。人の気も知らないで、まったく」
「は? どういう意味―――あっ、話し込んでいる時間なんてなかったのよ! 他の子たちにも声かけといて、それじゃ!」
 憂いのある横顔が気にかかったが、今は先を急ぐ身。
 ピッと片手をあげて踵を返すと、ターゲットの潜んでいそうな場所に向かって爆走を開始した。


XXX


「…ハル、カ、どこに隠れ……出て、なさ……ハル」
「きゃ~ん、うそうそっ私の名前をこんなにも?! 毎夜の御奉仕の成果がついに! 神様、仏様、お釈迦様―――この迫水ハルカ、今日という日を一生忘れません。さあ愛しのハルカはここですよ、起きてくださ~い! はい、お目覚めのちゅぐえ?!」
「捕まえた……」
 もう離さないわと、にっこり。
 恥ずべき濡れ衣をきせてくれたうえ、さんざん煮え湯を飲まされた。この落とし前はしっかりつけなくては。
「あの、喉をこんなふうに掴むのは正直危ないのではないかと」
「ねえハルカ……この辱めをどうしてくれるの?」
 静かに立ち上がり、鶏をしめるみたいにぶらんと吊り下げる。
 これほど穏やかに尋ねているというのに、目の前の顔はみる間に蒼ざめていく。
「な、なんのことでしょうか智子中尉??」
「もういやね。智子先輩でしょう、ハルカ」
 おかしな呼び方に、ころころと笑う。
 この状況で白をきれるとは大した度胸だ。だが追求の手を緩めるつもりはさらさらない。
「で、毎夜の御奉仕がどうですって? 私に詳しく教えてくれないかしら?」
「え、えっとですね、それは―――ちぇいっ!」
 くびきを外し、直後に脱兎。本当に往生際の悪いこと。
「鬼ごっこの続きかしら? うふふふ、仕方ないわねぇ、あとちょっとだけ付き合ってあけるわ」
 両手を組んで関節をパキパキ、首を左右にコキコキ。
 吸ってはいての深呼吸を行ったのち、元に戻らない顔の筋肉をそのままに駆け出した。


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