バルクホルンの敬語講座


「甘い!」
怒号と共に執務室のテーブルに叩きつけられた拳が室内の空気を振るわせる。
「でも、そんなに気にすることでもないんじゃないかしら? あなただって、いままで何も言わなかったじゃない」
「確かにいままではそうだった。悪く言えば寄せ集めの部隊だ。言葉遣いや階級を気にし
ての生活は何かと不便だという、お前や坂本少佐の意見にも概ね同意する。しかしだ! 今は状況が違う!」
そう言って、机を固めた拳で幾度も叩き、壊されるんじゃないかと、ミーナも思わずいらない心配をする。
「宮藤が軍人としての自覚を持ってきた中、あいつのせいで目上の者への礼儀、言葉遣いを忘れたらどうする!」
結局宮藤さんに落ち着くのね、とミーナはバルクホルンに聞こえないような小さなため息をする。
「敬語を忘れ、上官への礼儀を忘れた宮藤を想像してみろ。初々しさ、甲斐甲斐しさが無くなってしまうではないか!」
まぁ、確かにバルクホルンの言うことにもわずかながらに一理あるかもしれないと、ミーナは思う。
敬語を使用せずに話かけてくる宮藤には、どこか違和感を覚える。
「・・・で、どうする気なの?」
「決まっている! エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉。あいつの礼儀も何もない
言葉遣いを矯正する! 腐ったリンゴを増やさぬためには、元を正さねばなるまい!」
そこまで悪く言わなくてもいいんじゃないかしら、とミーナは心の中でつぶやいた。
「でも、言うことを聞くかしら?」
「なぁ~に、大丈夫だろう」
その根拠は何? そう言おうかと思ったが口をつぐんだ。
「で、ミーナは賛成なのか?」
「まぁ、本人が了承するのなら。部隊長としてエイラさんの言葉遣いを強制的に直させるような指示はしないけれど」
「それだけ言ってもらえれば大丈夫だ! 後はこちらに任せておけ!」
そう言って胸をドン! と叩く。
「じゃあ、私はもう行く。済まなかったな、デスクワークの邪魔をして」
「別に構わないわ。その・・・頑張ってね」
「ああ!」そう言い残して、バルクホルンは部屋を出ていく。
エイラについて重要な相談がある。そう言って、意気込んで部屋を訪れたバルクホルンの背中を見つめながら、
「本当ならあなたも私には敬語を使うべきじゃないの?」
苦笑いを浮かべながらそう呟くミーナだったが、しばらくは事態を静観してみることにした。


「・・・というわけだ、ミーナからの許可も出た以上、お前の言葉遣いを改めさせてもらう」
「え~リアルな話?」
食堂のテーブルの上でタロットを広げていたエイラは、肩ごしにバルクホルンの話を聞い
ていたが、その内容に椅子ごと身体を反転し、抗議の目をバルクホルンに向けた。
「別にいいじゃないか、どんな言葉を使ったって」
「なんだ、そんなに嫌なのか?」
「だいいち、めんどくさいし」
エイラはそう言ってそっぽを向く。
「ほう」
突然バルクホルンは指をポキリと鳴らした。その乾いた音は、部屋中に響き、エイラの顔
はその音に思わず引きつった。そして、バルクホルンの顔を改めてジット見据える。
「ぼ、暴力で従わせる気か? そ、そんなのには、応じないぞ・・・」
「まさか、私がそんなことをするわけないだろう」
そうは言うものの、エイラの狼狽した表情は治らない。
「そ、そうだ。よく考えたら、ハルトマン中尉だって、上官のはずの大尉に敬語を使って
ないじゃないか。それに、大尉だって、上官のはずの隊長に対して敬語を使って無いダロ?
 それなのに、私にだけ言葉遣いを改めろってのはないんじゃないかなぁ~?」
「ふむ・・・確かにその通りだ」
「だろ?」
「ついつい付き合いが長いせいで、そういったことに対して無頓着になっていたかもな、
以後改めよう。それでだ、明日から早速、私の部屋で言葉遣いの教練を行いたいと思う」
バルクホルンの変わらない態度に、エイラは思わず舌打ちをした。バルクホルンはその音を聞き漏らさず、
「なんだ、不満か」
とすごみをかけた声を出す。
「いや、別に」
「では、明日の8時に、私の・・・」
バルクホルンの口からは事細かな説明が流れたが、それがエイラの耳に流れ込むことは無
かった。エイラの頭の中は、バルクホルンからの提案をどう切り抜けるかの対策を思案す
ることで一杯となった。そして、一つの妙案が浮かび、エイラの唇は三日月のような弧を描いた。
「なぁ、大尉」
「どうした、質問か?」
「家族だと、普通は敬語を使わないよな?」
「まぁ、確かにそういう家庭が多いだろうが、それがどうした?」
「私、これから大尉の事お姉ちゃんって呼ぶよ。それだったら、別に敬語なんて使わなく
ていいだろ? ねっ、お姉ちゃん!」
エイラは最後の「お姉ちゃん」に自分が込められるだけの可愛さを思いっきり詰め込んだ。
エイラの思惑では、バルクホルンは自分の言葉に赤面し、話はここで途切れてしまうかと思った。
しかし、エイラの考えに反し、バルクホルンは顔を赤らめるどころか、冷めた目付きをエイラ
に向けた。そして、肩を上下させながら大きくため息をつくと、
「お前はそういえば、私が狼狽するとでも思っていたのか?」
「えっ! あ・・・いや・・・」
見下すようなバルクホルンの視線にエイラの方が思わず戸惑う。
「浅はかだな。私が、そう言われれば何でもウヤムヤにしてしまうような人間だと思って
いたのか? バカバカしい」
「いや、そんなつもり・・・」
「だったんだろう?」
バルクホルンからの言葉にエイラは縮こまる。
「・・・うん」
その姿を見て、バルクホルンはまたため息をついた。
「まったく、私も、お前みたいに不遜で、何事も適当な妹は別に必要ない」
バルクホルンは腰に手を当てながらそう吐き捨てるが、自分の本来の目的を思い出すと、
「・・・まぁいい、じゃあ明日の8時。朝食の後から教練だからな、遅れるなよ」
そう言い残してその場を立ち去った。どこかしょんぼりとしたエイラを残して。


次の日、バルクホルンによる言葉遣いの教練は、定刻通りにつつがなく行われた。
「では、これで失礼します」
そう言って自分の部屋を出て行くエイラの背を見送りながら、昨日強く言った事が功を奏
した事を悦に浸る一方、少々無理強いがすぎるのかもしれなのかという不安がバルクホル
ンの頭をよぎった。

そして、また次の日が訪れた。
食堂に行くために廊下を歩きながら、バルクホルンの頭の中では、昨日のエイラの姿が思
い浮かばれた。真面目に教練を受けるエイラの姿は、これまで見てきた飄々とした姿と
照らし合わせるとある意味では異質であった。その、どこかしょげた姿が脳内に焼き付き、
自分の行動が正しいのだというバルクホルンの考えをいくらかぶれさせるのである。
「いやいや、これもあいつのため、そして部隊のためのことだ」
と自分自身を納得させるためにバルクホルンはそうつぶやいた。
「おはよう、宮藤、リーネ」
食堂に訪れたバルクホルンは、朝食の準備をしていた二人の背に声をかける。
「あっ、おはようございます」
そう言って振り向いた二人であったが、二人は互いに相手にへと視線を泳がす。
何か言いにくいことを秘めているようであった。
その表情を見て、バルクホルンは、
「どうした? 私の顔に何か付いてでもいるのか?」
そう二人に尋ねた。
「いえ、違います・・・その・・・バ、バルクホルンお姉ちゃん」
「・・・は?」
リーネからの突然の言葉にバルクホルンは目を丸くした。


「どうしたんだ、リーネ、いきなり」
恥ずかしそうにして目を伏せるリーネに代わりに、宮藤がバルクホルンの質問に答える。
「えっと、今日からバルクホルさんのことをそう呼ぼうって・・・あっ! えと・・・バ、バルクホルンお姉ちゃん」
その人懐っこさを感じる声の響きとわずかに頬が赤らんだ満面の笑みに、バルクホルンの顔は思わず紅潮する。
「だ、誰が、お、お姉ちゃんだ」
そう言って腕を組むが、その声にはどこか浮ついた、喜びをひた隠しにしたものがある。
「だいたい、どうして急に・・・」
「バルクホルンお姉~ちゃ~ん」
「うわっ! な、なんだルッキーニ」
突如腰に巻き付いてきたルッキーニにバルクホルンは再び戸惑う。
「これからは~たっぷり甘えるからね~」
「なっ、だから・・・」
「トゥルーデ姉さま~」
「バルクホルン姉さん」
その言葉とともに左右から、エーリカとシャーリーが抱きついてくる。
「なっ! なんで貴様らまで」
「本当は寂しかったんだね~誰でもいいから姉さまって呼ばれたかったんでしょ?」
「安心してくれ、これからはみんなで姉さんって呼んであげるからな、なぁ妹エーリカ」
「そうだね、シャーリー姉さまっ!」
「だ、黙れ黙れ、いつ私がそんな事を言った!」
三人を振りほどきながら、バルクホルンは叫ぶ。
「あらあら、朝っぱらから騒がしいですわよ、お姉さまがた」
ペリーヌは、口元に手を当てながら横を過ぎていく、
「特に、バルクホルンお姉さま」
からかいのたっぷり込もった言葉とともに。
「ぐ・・・おい、誰がこんなことをやりはじめた!」
バルクホルンは三人の顔を見回すが、ニヤニヤした顔を見せるばかりで、何もしゃべろう
とはしない。この三人では埒があかないと、バルクホルンはズカズカと宮藤の元へと歩み寄る。
「おい、宮藤。誰が、こんなことをしだした?」
「え! それは・・・」
宮藤は答えをはぐらかしたが、バルクホルンの頭には、既に一人の名前が浮かんでいた。
「エイラだな、こんなことを言い出したのは?」
「・・・はい」
バルクホルンの詰問に宮藤は弱々しく首を縦にふった。その言葉にバルクホルンは、キッ
と食堂内を見回すが、どこにもエイラの姿はない。
(だいたいおかしいと思ったんだ! あいつがこんな簡単に人の言う事を聞くなんて!!)
バルクホルンはわずかにでもエイラの元気の無い姿に気をかけたことがバカバカしくなってくる。
「おいっ! エイラはどこだ!」
そう言って周りを見回すが、ニヤけた顔ばかりで返事はない。
「おはよう、みんな。なんだか、楽しそうね」
ミーナは、坂本少佐と共に食堂に姿を見せた。
「おいっミーナ! エイラがどこにいるか知らないか?」
「あら、ごめんなさい。わからないわ、トゥルーデお姉さん」
「ミーナまで・・・もういい、自分で探す」
何かを諦めた表情で、バルクホルンはミーナの横を通って、食堂を出ていく。その姿を横目に追いかけながら、
「いいのか?」
「何が?」
「お前の能力ならすぐにエイラの姿を見つけられるだろ?」
坂本少佐の問いかけにミーナは答えずに微笑を返すばかりだった。
「まぁ、いいんじゃない? でも、残念ね」
「何がだ?」
「だって、あなたは参加できないじゃない、でしょ美緒お姉さま?」
「・・・くだらん」
そう言って、ふぅと息をつく坂本少佐を見てミーナはフフとまた笑いをもらした。


「くそっ、どこに行ったんだエイラの奴は」
基地中を探してみたものの、エイラの姿はどこにも見当たらず、時間ばかりが虚しく過ぎ
ていく。ふと、後方から足音がし、バルクホルンはそちらに視線を移す。しかし、そこに
いたのはエイラではなく、サーニャであった。サーニャが起きてくるということは、やは
り捜索にだいぶ時間がかかっているようである。
「あの・・・おはようございます・・・えと・・・バルクホルンお姉さま」
その言葉にバルクホルンはまた肩を落としながら、額に手をやる。
「それはもういい、ところでエイラの居場所を知らないか?」
サーニャは首を小さく横に動かす。
「本当だな?」
「・・・はい」
バルクホルンはサーニャを疑わしげな瞳で見つめ続けたが、
「なら、いいが」
そう言うと、再びエイラの捜索を開始し始めた。
サーニャはバルクホルンが視界から姿を消したことを確認すると、ある部屋にへと向かっ
た。もしかしたら、バルクホルンが後を付てきているかもしれないと思い、魔導針でバル
クホルンの姿を探したが、いた位置はだいぶ遠かった。部屋には鍵が掛かっておらず、す
んなりと開いた。
その部屋、バルクホルンの部屋には、部屋の主のベッドの上で、図々しくタロットを広げ
ているエイラの姿があった。
「あぁ、サーニャか、何にもないけど、入ってくれよ」
「・・・お邪魔します」
サーニャは今もどこかでエイラを探すバルクホルンに対してそうつぶやいた。
「なんでこんな所にいるの? 私は・・・魔導針でいる場所がわかったけど」
「もちろん、大尉から逃げるためだよ。案外こういう場所の方が見つからないんだ」
エイラは自慢げにそれを話す。
「で、どうだ、大尉の様子は? 慌ててただろう?」
「うん・・・とっても」
「へへっ、やっぱりなぁ、うまくいった」
ニヤけるエイラは、口元はお決まりの形を作る。
「でも・・・こんなことでエイラの教練がなくなるなんて、甘いんじゃないの?」
サーニャは心配した瞳をエイラに向ける。
「大丈夫、大尉が私の教練を辞めるまで、みんなに大尉の事をお姉ちゃんって呼ばせ続けるから」
「・・・上手く行くかしら」
サーニャはエイラこの作戦が上手くいくようには到底思えなかった。
しかし、サーニャの心配に反しこの作戦は功を奏し、バルクホルンによるエイラの言葉遣
いに対する教練は中止となったのである。
「そもそも、あいつが素直に人の言う事を聞くと思った自分が間違いだった」
夜間哨戒のために飛び立とうとしたサーニャはバルクホルンのそんな声を感じ取った。
サーニャは正しい言葉遣いをするエイラを想像してみる。
「おはようございます、サーニャ中尉」
それはやっぱり似合わなかった。
(でも・・・エイラの言う事を素直に聞いていた部隊のみんなもみんなね)
バルクホルンのことをお姉ちゃんと呼び続けたみんなを思い出し、サーニャはクスクスと笑いをもらした。

Fin


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