cocktail
夜も更け、月明かりに照らされる基地は、束の間の静寂に包まれていた。
トゥルーデはそっと部屋から出ると、なるべく音がしないようじわりじわりと扉を閉め、厨房を目指した。
喉が渇いたのだ。何か、軽く飲むものが欲しい。
食堂を抜け厨房に近寄る。明かりが点けられ、誰かが厨房の中に居る。
誰何すると、リーネがおずおずと顔を見せた。
「あ、バルクホルン大尉」
「リーネか。こんな時間に何をしている」
「すいません。すぐ戻ります」
ほのかに漂う香り。それがウイスキーと蜂蜜のものである事をトゥルーデはすぐに理解した。
同時に、リーネが何をしていたのか察しを付け、穏やかに声を掛けた。
「どうした、眠れないのか?」
「はい」
トゥルーデはリーネの居る厨房へと足を踏み入れた。
リーネは何かを作ろうとしていたらしく、調理台の上にマグカップ、酒、蜂蜜の瓶、湯の入ったケトルが置かれている。
ブリタニアのウイスキーと蜂蜜の瓶を手に取り、トゥルーデは意外な顔をして見せた。
「しかしリーネがウイスキーとは、珍しいな。この品々……カクテルか?」
「カクテルと言う程でも無いんですけど、ちょっとした飲み物を作ろうかと思って」
「そうか」
「宜しかったらバルクホルン大尉も如何ですか?」
「ウイスキーに蜂蜜か。よし、どんなものか教えて貰おう」
「はい、喜んで」
リーネは用意してあったマグカップにウイスキーを少量入れ、蜂蜜を垂らした。
そこに沸騰させた後少し冷ました湯をゆっくり注ぎ、かき混ぜていく。
ウイスキーの香ばしさと蜂蜜のまろやかな匂いが混ざり合い、ふんわりとした湯気が辺りに漂う。
「これで出来あがりです。簡単でしょう? 『ホット・ウイスキー・トゥディ』と言うんですよ」
「ほう。温かい飲み物なんだな」
「はい。ブリタニアでは昔からよくこうして飲んでいるんですよ。甘味は蜂蜜じゃなくて砂糖でも良いし、
香り付けにハーブやシナモン、柑橘類等を入れても良いんですけど、今日は簡単に蜂蜜だけです」
「なるほど」
「今のは作り方の試しなので、バルクホルン大尉の分、これからお作りしますね。バルクホルン大尉は、
ウイスキー濃いめが良いですか?」
「いや、今リーネが作ったものでいい。それを貰おう。寝る間際にあんまりきついアルコールもな」
「分かりました。どうぞ」
マグカップを渡されるトゥルーデ。口元に運ぶ。湯気のアルコール分に少しむせると、リーネはくすっと笑った。
「大丈夫ですか?」
「コツを覚えれば問題無い」
トゥルーデは一口二口飲んでみて感じた。
とても甘く、優しい。まるでカラメルソースの様な……。
以前、他のブリタニアのウィッチがやっていた乱暴な飲み方とは違う、と。
そう感想を口にすると、リーネは微笑んだ。
「これ、私のお姉ちゃんから教わったんです。『眠れない時はこうすると良い』って。
蜂蜜入りのミルクティーもそうですけど」
お姉ちゃん、と言う言葉に一瞬肩をぴくりとさせたトゥルーデだが、努めて冷静を装いリーネの話を聞いた。
「なるほど。リーネのお姉さん、か」
「はい」
「良いお姉さんを持ったな」
リーネは照れ隠しか、片手で頬を押さえ、はにかんだ。
トゥルーデはマグカップを両手で持ち、琥珀色の液体をじっと見つめた。
「確かに、これは良いかもな。身体が温まるし、喉にも良い」
ぽつりと漏らすトゥルーデ。厨房に幾つか置いてある小さな腰掛けに軽く座った。
リーネはそんなトゥルーデを見て、自分の分のホット・ウイスキー・トゥディを作ると、トゥルーデの横に腰掛けた。
「あの、バルクホルン大尉」
「ん? どうしたリーネ」
もじもじしているリーネを見、トゥルーデは言った。
「別に怒ったりしないから、言ってみろ」
「あの……バルクホルン大尉、少し変わりましたね」
「変わった? 私が、か?」
「私が隊に入った頃は、多分私が同じ事していたら『任務に差し障る行為は慎め』と怒ったでしょう?」
「ん? ああ……」
何か思い当たるフシがあるのか、トゥルーデは天井を見、苦笑いした。
「まあ、なんだ。……堅苦しい事は無しだ、リーネ。今くらいは階級無しで良い」
「分かりました、バルクホルンさん」
「それでいい、リーネ」
「ところで、バルクホルンさんはどうしてここに?」
「ちょっと喉が渇いた。そのついでにな」
「そうですか。……ハルトマン中尉は」
「あいつは、一度深い眠りに入るとなかなか起きなくてな。もっとも、今日は一日訓練だの任務だの大変だったから
起こすのも気の毒だと思って、部屋に寝かせたままだ」
「そうですか」
「リーネこそ、何故一人なんだ? 宮藤はどうした」
「芳佳ちゃんも、今日は色々有って、疲れてぐっすりなんです」
「そうか。確かに、無理に起こすのは良くない。ヘンに寝不足にでもなられたら、翌日の任務に差し障る」
「ですよね」
微笑むリーネ。
「しかし、温かいウイスキーか。カールスラントにも温かいビールが有るが、これは甘くて良いな」
「蜂蜜、お好きなんですか?」
「いや、凄い好きと言う訳ではないぞ。どちらかと言えば好き、な程度だ」
「そうですか」
「蜂蜜は……。いや、何でもない」
先日エーリカと蜂蜜を使って“とある事”をしたのを思い出し、ぷいと横を向く。
「栄養満点で、身体に良いんですよ?」
リーネが笑って言う。
「まあ、な」
これ以上何か言われたら、と思ったトゥルーデは、話題を変えようとリーネを見た。
「そう言えば、お前も随分と変わったな、リーネ」
「わ、私がですか? 例えばどんなところが?」
「一時期は随分と自信を無くして落ち込んでいたが、今では立派な……隊のエーススナイパーじゃないか」
「そんな、とんでもない」
「超遠距離からの狙撃は、流石の私でも無理だ。リーネには敵わん」
「そんな事言ったら、バルクホルンさんの撃墜スコア……」
「撃墜数か……まあ、それはそれだ。人にはそれぞれ得意分野が有る。
自分の得意な部分を伸ばしているリーネは頑張っている。私が言いたいのはそう言う事だ」
「ありがとうございます。でも、これも……」
「これも、宮藤のお陰か?」
「よ、芳佳ちゃん……はい」
遠慮しがちにリーネは答えた。頬が紅い。
「芳佳ちゃんのお陰で、私、一歩前に進めたと思うんです。そして今では一番大切な……その」
言いかけて顔を真っ赤にするリーネを見て、トゥルーデはふっと笑った。
「確かに、あいつが来てからリーネだけでなく隊の雰囲気が変わったのは事実だ。
まあ、無茶や突拍子も無い事をしでかす時も有るが……」
「芳佳ちゃん、バルクホルンさんを治療したんですよね?」
「ん? ああ。確かに、あいつには戦場で助けて貰った事がある」
「その時から、バルクホルンさんも変わったと思います」
「私も、か。まあ、色々有ったな」
ちょっと前の事を思い出し、ウイスキーを一口含む。
「ハルトマン中尉も、マイペースに見えるけどすっごくバルクホルンさんの事、大切にしてるんだなって」
突然のリーネの発言に、トゥルーデはむせた。
「エーリカがどうした」
「いえ。すみません」
「まあ、良いんだ。あいつは……」
左手の指輪をそっと撫でるトゥルーデ。
「大切な、家族みたいなものだ。それ以上かもな」
それだけ言うと、マグカップを呷った。
「リーネも、何か困った事が有ったら遠慮なく私を頼ると良い。姉だと思って」
「は、はい」
「お前には頼もしい実の姉が居るのは承知している。でもここ501は、皆家族みたいなものだ。ミーナもそう言ってる。
だから……」
「あの、バルクホルンさん」
「ん?」
「ちょっと顔、近いです」
「何っ?」
ふと気付くと、リーネの肩を抱き寄せていた。
ほのかに漂うリーネの香り。エーリカのそれとは違った、甘い芳香が微かにトゥルーデの鼻をくすぐる。
「あ、いやその、そんなつもりじゃなかったんだ。ただ……」
「ただ、何ですか?」
上目遣いに見つめるリーネ。思わぬ仕草を目の前数センチで見たトゥルーデはごくりと唾を飲み込んだ。
エーリカのそれとは違い、物凄い“物量”でトゥルーデを押しつける胸の膨らみ。流石隊で一二を争うだけ有る。
宮藤が夢中になるのも無理はないと、微妙に飛びかけている理性で考えを巡らせる。
何か言いかけて、もう一度唾を飲み込むトゥルーデ。
「リーネ」
「はい」
「さっきのウイスキー、その……」
「バルクホルンさん」
「どうした?」
「見られてます。二人に」
「んっ!?」
トゥルーデが振り向いた先には、いつ来ていたのか、シャツ一枚のエーリカ、寝間着姿の芳佳が
呆然とこちらを見ていた。
「トゥルーデ」
「リーネちゃん……」
トゥルーデは仰天の余り混乱したのか、リーネを抱き寄せたままエーリカに弁解した。
「ちっ違うんだっ! エーリカ話を聞け! 私はただリーネにウイスキーをだな!」
「そ、そうなの芳佳ちゃん! ちょっとしたアクシデントで」
「アクシデントでキスとかしそうになるんだ。へぇ~」
「リーネちゃん……ああ、私のリーネちゃんが」
「待て! 話を聞けと言うに!」
「芳佳ちゃん待って! 私芳佳ちゃんだけだから!」
一騒ぎ収まり、食堂で改まってホット・ウイスキー・トゥディを飲む四人。
「温かいカクテルか~。面白いね」
「甘くて美味しい」
「だろ? って私が作った訳じゃないが。ブリタニアではよく飲むものだそうだ」
「何かに味似てる気しない? お菓子っぽい何か」
「蜂蜜入れてますからね」
「リーネ、まだ蜂蜜有る? 有ったら一瓶頂戴」
「エーリカ、まさかまた……」
「楽しいから良いじゃん。後始末も二人でゆっくり、じっくりできるよ、トゥルーデ」
「うう……」
エーリカに言われ、思い出して顔を赤くするトゥルーデ。
「また作ってね、リーネちゃん」
「ごめんね芳佳ちゃん。起こしたら可哀相と思って」
「良いの。たまたま起きただけだし」
「またまた。ミヤフジ、おろおろして探しに来たくせに」
「それはハルトマンさんだって……」
「へぇ~」
「な、何ですかハルトマンさん、その笑みは」
「やめないかエーリカ。皆困ってるだろう」
「私が困った事はおいてけぼり?」
「……すまん」
「ま、夜に美味しいの飲めて楽しかったよ。ありがとね、リーネ。じゃあこれ連れて帰るから」
「私は『これ』扱いか」
「今夜位はそうしても良いと思うよ」
「エーリカ、悪かったから。勘弁してくれ」
腕を引かれ、エーリカと共に部屋に戻るトゥルーデ。
二人を見送ったリーネは、皆が使ったマグカップを片付けた。
「リーネちゃん、私達も戻ろう? カップは明日洗えば良いよ」
「そうだね」
「やっぱりみんなでお喋りとか、楽しいよね。……リーネちゃん、どうかした?」
先程、間近に迫ったトゥルーデの唇が妙に艶の有った事を不意に思い出し……思わず俯くリーネ。
「お姉、ちゃん」
「へっ? バルクホルンさんが? リーネちゃん?」
「ううん、何でもないの、大丈夫だから、芳佳ちゃん」
取り繕って笑うリーネ。芳佳はきょとんとした顔でリーネを眺めた。
end