1は勘定に入れません あるいは、消えたシマシマ柄ズボンの謎
カタカタと窓がきしむ音がする。
突然降り出した雨は見る間に強まり、電気の灯されていない部屋は薄暗いものに変じていた。
その場に立ちすくむ各々の顔には、憂いとも憔悴ともとれる表情が浮かんでいる。
だがそれは空模様のせいばかりではなく、彼女たちに降りかかったある事件のためだ。
それはとても奇妙な事件であった。
放置されたドライアイスのごとく、消えてしまったのだ。音もたてずに、忽然と。
本来それがあるべきはずの場所には、痛ましい空白が残されるばかりである。
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
その答えを求めるのは底知れぬ深淵を臨むようなものだ。
疑念は暗闇にいもしない鬼を見出だすという。
とすれば、これはまさに鬼の所業であった。
しかし結論から言えば、彼女たちの中に犯人はいない。
では、その鬼とはいったい何者なのだろう――?
「本当に見つからないの?」
もう何度となくなされた質問をまた、芳佳は繰り返す。
ルッキーニはそれにただ力なくうなずき、その事実を肯定する。
「おおかた、脱ぎ散らかしてどこかにやってしまったんでしょう。そうに決まってますわ」
ペリーヌは皮肉を言ってのけるものの、その口ぶりにどこかいつものキレがなかった。
「そんなわけないじゃん。ペリーヌじゃあるまいし」
「なっ……! それを言うならわたくしではなく、ハルトマン中尉ではありませんの!」
「え、私? 今度は違うよ」
エーリカは、ほら、とすそをたくし上げてみせる。
それはたしかに彼女のものである、薄緑色をしたローレグであった。
「ハルトマンじゃないとすると誰だ? あたしも違うし」
次いでシャーリーもたくしあげた。薄紫のローレグである。
「わたくしも違いますわ」
「私も違うナ」
「わたしも」
「私もです」
「私も違います」
バラエティー豊かな白のローレグ×4に、濃紺の旧スク水っぽいの。
なんて可愛いおし……あ、いや、げふんげふん。
「………………」
その場にいるルッキーニを除く全員が、履いているのはたしかに自分の所有物であることを主張する。
ルッキーニはただ、それを当惑顔で眺めているばかりだ。
そんな彼女の下半身はむき出しで、衆目にあらわにさらされている。
ないのだ。
ズボンが。あの水色と白のシマシマが。
「ひくちっ!」
と、ルッキーニはくしゃみをした。
下半身を冷やしたのだろう、ぷるぷるとあらわになったお尻を震わせる。
「ルッキーニちゃん、可哀想……」
「うん……」
リーネのつぶやきに芳佳はこくりとうなずいた。
「しょうがないな――ほら」
シャーリーは自分のズボンをもぞもぞと脱ぐと、それをルッキーニへと差し出した。
「でも、それじゃあシャーリーが」
「いいってことよ。このままじゃ、あたしの可愛いルッキーニが風邪を引いてしまう」
「シャ、シャーリー……」
感激するルッキーニは、飛び込むようにシャーリーに抱きついた。
「おいおい。履いてからにしろって」
そんなルッキーニの頭を、シャーリーはよしよしと撫でてやり、
「しかし弱ったなぁ。いい加減、返してくれないとあたしが風邪引いちゃうし……」
そしてひとりごちた。
「――ちょっと待ってください。なんですの、『返して』って」
「まるで誰かが持っていったみたいな言い方するナヨ」
「あっ、ごめんごめん。つい口が滑った」
悪びれるふうなどないが平謝りするシャーリー。
しかし、こう考えが及ぶことは必然であった。
どこにもないのだ。脱衣場をはじめ、ハンガーも、食堂も、ミーティングルームも。
基地中のありとあらゆる部屋をひっくり返しても、あのシマシマの1本の線さえ見つけられないのだから。
とすれば、もはや考えられるのは、誰かが持っているということだけ。
そう、この中の誰かが。
「こんな時に限ってミーナ中佐や坂本少佐がいないなんて……」
ふと、サーニャの口から出た言葉が、場に波紋を落とす。
8人がみな、一様にそうした気持ちを抱いているのが見てとれた。
「あたしだってこんなこと言いたくないけどさ」
きまりが悪そうに、シャーリーは口を開いた。
「いるんだろ? この中に犯人……」
と、雷鳴があった。
「「きゃっ!!」」
芳佳とリーネは互いを抱きしめ、ぶるぶると震えあった。
「きゃあ!」
「うわっ!?」
サーニャはすがりつくようにエイラに抱きつき、むしろそのことにエイラはあわてふためき、たじろいだ。
「ひいっ…………な、なんでもありませんわ!」
ペリーヌは近くにいたエーリカにとっさに抱きつこうとするものの、すんでのところで自制し、
「――ま、別にいいけど」
エーリカは持て余した手を後ろ手に組んだ。
場が落ち着きを取り戻すまでにしばらくの時間を要した。
「でだ。この中の誰かが持って行ったとしか考えられないんだけど」
シャーリーの言葉が冷たく響いた。
みなは一向に肯定も否定も示さないものの、そのことが事態の重さを表していた。
「私は、この部隊にそんな人がいるなんて思いたくないです」
芳佳が言うと、今度は互いに重くうなずきあった。
「でも、芳佳ちゃん。ついうっかり持ってたことに気づいてないだけかもしれないし」
「う、うん。そうだよね――あのう、誰か持ってたりしませんか?」
「ちょっと、宮藤さん。あなた疑うつもりですの」
「そ、そんなつもりじゃ……。ただ、わざとじゃないけど、なぜかってこともあるかもしれないし」
「……まったく、しょうがありませんわね」
やれやれと了承するペリーヌ。みなもそれに賛同した。
そして全員、自分の衣服を探りだした。
ポケットに入れたのをすっかり忘れてないか、間違ってズボンを二重に履いてしまってないか――
しかし当然ながら、消失したシマシマズボンが再び現れることはなかった。
「出てきませんわね」
「まさかこんなに長期化するなんてな」
「ねぇ、返してよ。あたしのズボン」
むー、とルッキーニは頬っぺたを膨らませて睨みをきかせる。
「そうだよ。返してやりなよ――ほら、宮藤」
エーリカは芳佳のおしりをぽんっと叩いた。
「えっ!? 私じゃありません!」
「わかってるって。じゃなくて、宮藤が言いなよ。犯人はお前だって」
「……いや、こういうことはエイラさんの役割なんじゃ」
「え? 私!?」
「そうですよ。ほら、いつもみたく得意のタロットでズバーンと」
「いや、でもサ……」
「なんですか?」
「占うまでもないっていうカ……」
「ならなおさらじゃないですか。きっとあの人ですよ」
「じゃあオマエが言えヨ」
「みんなエイラさんのカッコイイところが見たいんですよ。ね、サーニャちゃん?」
「そうよ。エイラ、頑張って」
「サ、サーニャがそんなに言うならしょうがないナ」
エイラはぽりぽりと指で頬を掻いた。
面倒くさそうにタロットカードを取り出し、テーブルに並べていく。
あー、とか、うー、とうなり声をあげて、時間をかけてタロットをめくる。
視線は落ち着きなく、ちらちらと目配せをしてくる。
そして、ようやく覚悟を決めたように、エイラは言った。
「犯人は………………ズボンの妖精ダナ」
は?
と、いくつもの声が重なった。
何を言っているんだ、という顔をみな、エイラに向けた。
「えっとほら、リーネ。ブリタニアにいるんダロ? 枕元に置いといた歯を金貨に変える妖精」
「トゥーズフェアリーですか?」
「そう、ソレ! そのトゥーズフェアリーの親戚みたいのが現れて、ルッキーニのズボンを持ってったんダ!」
声高にエイラは叫んだ。
対照的に、うーん、となんとも微妙な反応を面々はする。
「な、なんダヨ!?」
「まあ、エイラさんがそう言うなら……」
「それで、どうすればいいの、エイラ?」
「みんなでソイツにお願いしてみるんダ。ルッキーニのズボンが返ってきますように、って」
そういうこととなった。
全員が隣同士で手をつなぎあい、輪になる。
「あと、その間はくれぐれも目を開けるナヨ」
最後にエイラは言い加えると、みんなはうなずいた。
『ズボンの妖精さん、ズボンの妖精さん。どうかルッキーニちゃんのズボンを返してください』
8人は声を合わせて、歌うように願い事を口に出した。
言い交わしたとおり、目を開けている人は誰もいない。
――が。
やはりシマシマ柄ズボンが返ってくることはなかった。
こうして事件は迷宮入りとなったのだった。
ルッキーニ当人にとってはなんとも悲しい結末となってしまったが、こればかりはやむを得ない。
大丈夫、大切にするから。
他のみんなにしても、このことはやがて忘却の彼方と消えることだろう。
「ダメだったな」
「いつまでもなにしてるんですか」
「今、こっそり返すチャンスだったじゃん。バカなの?」
「私の苦労をムダにすんなヨナ」
「こんなに待っても返さないなんて……」
「ねー、もう言っちゃわない? 犯人はお前だー、って」
「しょうがないけど、それしかないと思う」
「ええ。もうそれしかありませんわね」
「………………」
どういうことだ? 事件は終わったのではなかったか?
「なんだ? 反対もいるのか?」
「じゃあ多数決すればいいじゃん。賛成のひとー!」
エーリカは言うと、勢いよく手をあげた。
それに釣られるように、みんなはぞろぞろと挙手していく。
「じゃあ、反対のひとー!」
挙手はなかった。
賛成は8、反対は0。
犯人探しの続行が決まってしまった。
8人は一様に顔を見あわせた。
黙ったままで、確認するようにうなずきあう。
間隙があった。それは祈りにも似た時間だった。
ごくり。
と、誰かが固唾を呑む音が聞こえた。
そして8人はすぅと手をあげ、その者を指差した。
その差し示す方向はけして交差することなく、ある一点へと収束した。
――すなわち、私に。
「………………」
私はぶんぶんと首を横に振った。
違う。私じゃない。
いったいどこに隠したと言うんだ?
ポケットは空だ。履いてもいない。
人を疑うなんてこと、しちゃいけないだろう。持っているが。
なのに、なんだと言うんだ、お前たちは?(やっぱりさっき反対に挙手するべきだった)。
「トゥルーデってば、ずっと顔色悪かったし」
「汗をダラダラかいてましたわ」
「さっきから一言も喋りませんし」
「口が異様に膨らんでました」
16の瞳が私に降りそそぐ。
銃弾よりも、ネウロイのビームよりも痛い視線が。
耐えきれず、私はきびすを返して逃げ出した。
が、その先には両手を広げてとうせんぼをするペリーヌ。
方向転換――するとそこにはエーリカとエイラが待ち受けている。
さらに反対側からはサーニャとリーネが回りこむ。なんだこの連携は。
「捕まえましたっ!」
たまゆらの立ちすくみが仇となった。
後ろから忍び寄っていた芳佳にとらえられ、胸を揉みしだかれた。
さらに覆い被さるように、何重にも包囲網が私の体を拘束する。
「返してよ、あたしのズボンッ!」
ルッキーニの手は私の口にねじこまれた。
そして再び日の目を見る、水色と白のストライプ。
終わった。なにもかもが終わってしまったのだ。
「おい、ド変態。なにか申し開きはあるか?」
シャーリーは私の胸ぐらを掴むと、ドスのきいた声でそう言ってくる。
だってしょうがないだろう? 鼻先に近づけてくんかくんかしていたら、急に人が来ちゃうんだから。
だからとっさに隠したのだ。口の中に。
ごめんなさいとか、魔が差したとか、つい出来心でとか、弁明の言葉が頭を駆け巡った。
私は言った。
「これはズボンの妖精が……」
「そんなモンいるわけないダロ!」
エイラのやけくそ気味の叫びが、むなしくむなしく部屋に響いたのだった。