ピアノと瞳
今日はシャーリーが非番で町に出掛けているので、私は寂しかった。
やることがないと言えば、それは大嘘だ。
芳佳やリーネと一緒に、坂本少佐やバルクホルン大尉の訓練だって受けられる。
それにペリーヌやエイラをからかったっていいのに、そんな気分にはなれなかった。
赤信号、みんなで渡ればこわくないという扶桑の諺。
つまるところ、シャーリーが居なければ楽しくないし、つまらないのだ。
ハンガーへ行ってみたり、秘密基地へ行ったりして時間を潰した。
そして昼食を食べても、私はずっとつまらないままだった。
ミーティングルームのソファーに横になっているとサーニャがこつこつと歩いて来た。
「ねぇサーニャ、エイラはどうしたの?」
「訓練で、芳佳ちゃん達と飛ぶんだって」
サーニャもひとりらしい。
「ね、ね、つまんないから、ピアノ弾いてよー」
「えっ、えっと、いいけど、あんまり期待しないでね」
そう言って、目を優しく瞑りピアノを弾いていく。
ゆったりとした時間がミーティングに流れ、寂しい気持ちを溶かしていく。
床に寝転がったり、ピアノの上に乗ったりしながらサーニャの優しい曲を聴く。
弾き終えるとサーニャは感想を求めてくる。
「どう、だった?」
「うん、えっとね、最初の方は、うにゃーうにゃにゃーって感じで、そこからね、ウガーってなって、ふにゃふにゃってなるの」
「そっ、そう……。聴いてくれて、ありがとう」
そう言うとサーニャは立ち上がろうとする。
「あっ、まって、まってよ、ねぇ、まだ弾いてよー」
サーニャ困った様な、優しい目を私に向ける。少し時間がたってから、サーニャは私に頼んだ。
「じゃあ、これから私が一曲ずつ弾くから、ルッキーニちゃんは感想を私に言ってくれる?」
私は笑顔でそれに答えた。
一曲ずつ私は思ったままの感想をサーニャにぶつける。
そのたびサーニャは、今度はこう弾こうかな、こうゆうのはどう、と言いながら微笑む。
どの曲もサーニャが弾けば、サーニャの曲になった。
そろそろサーニャは、次にどんな曲を弾こうか迷いはじめた様だ。
私は思い切ってリクエストしてみた。自分の故郷の曲を。
「ねぇ、今度はわたしからリクエストしていい?」
「ええ、いいわよ」
「じゃあ、サンタ・ルチア弾いてくれる?」
サーニャは頷き、手を鍵盤に乗せイントロを弾き始めた。
Sul mare luccica, l'astro d'argento
Placida e` l'onda prospero il vento
スー マーレ ルチカ ラストロゥラ ドレジェント
プラチーダエ ロンダ プロスペェロ イヴェント
Venite all'agile barchetta mia
Santa Lucia! Santa Lucia!
ヴェーニーテ ア ラージネ バルケッタ ミーヤ
サンタール チーヤ サンタ―ル チーヤ
私はピアノと一緒に歌った。
まだ自分が幼い頃、音楽の授業で耳が痛くなるまで聴いて、歌わされた歌。
音程なんてどうでもよかった。
元気に歌った。笑われた。
でも誰よりも好きだった曲。
恥ずかしい。私の歌を聴いているのはサーニャだけ、いつも騒いでみんなにちょっかいだしてるのに。
心臓は言うことをきかない。
そして、最後のフレーズを歌い上げた。
「ルッキーニちゃん、上手」
「そっそんなこと、ないよ、全然下手だよ、てきとうだよ」
私照れながらがそう言うとサーニャは、
「私は聴いてて、とっても温かい気持ちになれたわ」
私のお父様がよく言っていたの、音楽にしろ芸術にしろ恥ずかしくても堂々としなさいと。
音楽も芸術も自分の心をそのまま相手に見せるでしょ、今のルッキーニちゃんはとってもあなたらしかったわ。
だから私はルッキーニちゃんの歌、もっと聴きたいし、好きだよ。
「これからも、私のピアノ聴いてくれる? 音楽の話が出来るの、ルッキーニちゃんだけだから。ミーナ中佐には私、話しかけにくくて、だから、ね?」
サーニャはそう私に言う。断るはずない。
私は、自分と同じ緑色の瞳に今日一番の笑顔を向ける。
寂しかった気持ちは、もうすっかりなくなった。
「いいよ!」
私の声が響く。