無題
今朝は曇り空で光が少ない。ベッドに落ちたエイラの髪はすこし硬質な月の輝き。
髪を一房とって、カーテン越しに注がれるわずかな光にさらしてみる。
今度は明るく柔らかい太陽の輝き。さらさらとわたしの手からこぼれるときは、一本一本がそれぞれに光を受けて、まるで星の輝き。
早朝、とはもう言えない時間。きっとみんなが食堂に集まっているころ。
エイラの髪をこうして触れるのはこの時間だけ。エイラが眠り、わたしが起きている、この短い時間だけ。
夜間哨戒から戻ってエイラの隣で眠ったわたしが目覚める前に、エイラはきちんと定められた起床の時刻に目覚めて、わたしの名前を呼んで、髪を梳く。
起きろよ、朝だぞ。
言葉は乱暴なくせに、エイラの声は子守唄みたいに静かで、エイラの手はお母様みたいに優しいから。
そんなんじゃ起きられないわ。
わたしは薄く目覚めたかけた意識で、ぼんやりそう思いながら、エイラにすり寄って抱きしめて、もっと深く眠るのだ。
そのあとのエイラは見たことがないけれど、きっとわたしを抱きしめ返すことも引き離すこともできないで、ううう、とか唸ったあとにまた眠っているんだと思う。
事実、エイラの腕は不自然な位置に放られている。いつも。
この日もわたしが目を覚ますと、目の前のエイラは寝にくそうな体制、片方の腕はベッドの上、もう片方は横向きになった身体の上にあった。ちょうどクロールの息継ぎのときみたいな格好だ。
そのくせ穏やかに眠っているものだから、すこしおかしい。
初めてエイラの髪に触れた日も、変な格好で眠っていた。
エイラが眠り、わたしが起きているという状況はなかなかないことだ。エイラはわたしといるとき、いつも気を張っているから。
わたしはなんだか嬉しい気持ちで、無防備な寝顔-あらためて、エイラがとても端正な顔立ちをしていると認識した-を見つめた。
かわいいな、きれいだな。
そう思う傍らで、どうして抱きしめてくれないのよと不満な気持ちもあって、わたしの視線に気づかず眠りこけるさまが憎らしくて、閉じられた瞼が寂しくて、とにかくいろんな感情がわっと生まれたのを、覚えている。
鼻をつついてみた。
エイラはむにゅ、とかうりゅ、とか呻いたけれど、起きる気配はない。
次はどこにしようか。目がいったのはきらきら光る髪だった。
起きているときはきっと触らせてもらえない。触らせて、なんて言ったら、エイラは真っ赤になって逃げ出してしまうだろう。
そっと、いつもエイラがしてくれるみたいに梳いてみた。ぴくっと動くから起こしてしまったかと思ったけれど、身じろぎしただけだった。
さっきより穏やかな顔をしている気がする。気持ちいいと思ってくれたのかな、わたしと同じように。だとしたら嬉しいな。
今度は一房とって、光にかざして、ぱらぱらと少しずつ離す。
さらさら流れる銀色が、月にも太陽にも星にもなると知ったのはそのときだ。
きれいな髪。
エイラの髪は不思議だ。
わたしのそれと同じ『銀』と称されることが多いけれど、柔らかな黄色に見えたり、透き通る白に見えたり、わたしの青色かかった鈍いそれとは比べ物にならないくらい、たくさんの輝きを秘めている。
わたしは息をついた。
ああ。エイラの髪が月で、太陽で、星ならば、瞳は空に違いないわ。
まだまどろみのなかにいたわたしは、自分のたとえにすっかり得心した。わたしにとって、エイラはうつくしくて、いとおしいもののかたまりであるから。
うう。
エイラの鼻がひくりと動き、瞼がきゅっとより強く閉じられる。
これがエイラの目覚めの兆候だと知っているのは、たぶんきっと、エイラのお母様とわたしだけだ。
エイラがゆっくりと目覚める。この時間の終わり。
わたしは空色の瞳を待ちわびながら、この時間が過ぎ去るのも惜しいと思っている。
矛盾。ジレンマ。だけど決して苦しみなど与えない、なんてしあわせな悩み。
ゆっくり開かれる空色がわたしを捉える前に、一房の輝きに唇を寄せた。
「おはよう、エイラ」
(だいすきよ)
わたしの秘密の、朝のひととき。