橙色の時間


   この時期らしい暖かな夕暮れに、バルクホルンは一人、滑走路の端に腰掛けていた。
   西から吹く風を受け止めて、両足を互い違いにぷらぷらさせながら気持ち良さそうに目を閉じている。
   別に、何の目的もなくただ黄昏たくてここに、という訳ではなかった。
   無骨なように見えて意外とロマンチックさを忘れない性格のバルクホルンであったが、今日は単にここで人と会う約束をしていたのであった。
   しかし、それでも目の前に広がる穏やかな海の様子はバルクホルンの心を無条件に凪いだものにするには十分であり、現に彼女は柔らかみのある女性らしい表情を呈していた。
  「あいつも良い時に呼んでくれたな……」
   のびをしながら、満足そうにバルクホルンはそうつぶやく。
   『あいつ』とはバルクホルンをここへ呼び出した人間の事であり、すなわち彼女の同僚であるリベリオン人、シャーロット・E・イェーガーの事だ。
   まさしくカールスラント軍人のステロタイプだと言いたくなる程に規律と実利とを重んじるバルクホルンにとって、シャーロットのような自由気ままなリベリオン人は本来最も反りの合わない相手であるのだろうが(実際そうであったのだが、と言った方が正確かもしれない)、同じ目的を持って戦っていく内にどういう訳か互いに歩み寄り、今ではやんごとなき間柄を築くに至っていた。
   シャーロットを待つ間、バルクホルンは静かな波間を照らして沈み行く太陽を見ていた。
   それは冗談のように鮮やかなオレンジ色に滲んでおり、いつかに妹と食べた地中海産の甘酸っぱい果物をバルクホルンに自然と思い起こさせる。
   美味しいねえと目を細める妹を更に喜ばせたくて、地中海に分布する気候が示す夏季における特徴をつらつら語ってしまった事もだ。
   ――柑橘類はね、そんな乾燥に強いんだぞ、クリス。
   妹も口では「へえ」と言っていたが、明らかにそんな事よりオレンジだ、というスタンスをとっていた事にはさすがのバルクホルンも気付いてた。
   全て話終わった後に、だが。
   そうして少ししょんぼりしながら、妹の為にもう一つオレンジを剥いたのだった。
   苦笑するバルクホルンは、ついこの前の事を続けて思い出す。
  「……明日は、雨かな」
   ――綺麗な夕焼けは、次の日に雨が降る前兆なんですよ。
   ずいぶん宮藤は得意気に言っていたな、とバルクホルンは顔をゆるませた。
   風呂場で、素っ裸のまま胸をはる宮藤は実に可愛いものだった。
   ――バルクホルンさん、知ってましたか、だから夕焼けの綺麗だった晩には雨が入ってこないようにしっかり窓やら閉めてくださいね。
  「……はいはい、分かった分かった」
   こうなると、どきっとするまでに妹に似た少女は、なんだか自分にも似ている気すらしてきた。
   何となく、前後にばたつかせている両足を、もっと勢いよく振り回したくなる。
   そんな折だった。
  「なあ……」
   右斜め後方、少し高めの位置からだ。
  「さっきから大丈夫かい、あんた?」
   目を遣れば、約束の相手、シャーロット。
   カーキ色のリベリオン陸軍の制服を引っかけるように着た彼女は、何やら載ったトレーを両手で支えていた。
  「……問題ない」
   バルクホルンは精一杯取り繕ってみせた。
   取り繕ってみせたのだが、
  「なーにが、問題ない、だよ。キラーンってか、格好つけちゃって」
   けっ、といやらしい目付きでからかってくるシャーロットを前に、バルクホルンはもう真っ赤になっていた。
   シャーロットはヘラヘラとした表情をそのままに、おもむろに脇に腰を下ろし、持っていたトレーの上のものをバルクホルンに見せる。
  「ほりゃ。ハンバーガーにコークはいかがですか、ああお客様、当店ではペリーヌのぺったんこフライは取り扱っておりませんのでセットはあたしになりまーす、ってね」
   シャーロットは軽食を作ってきていたのだった。
   ミートパテは熱々で、トロリと溶け出したチーズの香りが食欲をフルスロットルで挑発してくる。
   午後の訓練を終えた後の、いわば少し重めのおやつ、と言った所だろう。
  「…………」
   バルクホルンはまだ何かを言いたげな目でシャーロットを見つめていたが、仕方のない奴だ、と言ってハンバーガーに手を伸ばした。

  「またまたあ。仕方のない奴はあんたでしょ、全くもー」
   ハハッ、とあくまでも引っ掛かりのない笑い声と共にシャーロットは片手に持ったコーラ入りのグラスを傾けていく。
  「一人でぶつぶつと、危ないったらないね。どうせ、可愛い可愛い妹さんの事でも考えてたんだろ? ……待てよ、それとも宮藤か?」
   バルクホルンは目の前の極めて察しの良いリベリオン人を海に突き落としたくなった。
   ミーナには、こいつがヒャッホーと叫んで突然自ら飛び込んだと言えばバレないのではないか。
  「ここっこ根拠もないのにいきなり何を言う。お前という奴はいつもいつも……」
   あてもないまま口を開いたバルクホルンに対し、シャーロットはどうしようもないものを見るかのごとき憐れみすら漂う目を向けていた。
   その目が意外に辛く、バルクホルンはぷいと海の方を向いてハンバーガーにかぶりついた。
  「……あんたってさ、本当に……いや、やっぱり良い」
  「……私も良い」
   めちゃくちゃに小さくなったバルクホルンをいじくりまわすのは気が引けたのか、シャーロットもコーラグラスを置いて、ハンバーガーを口に運びだした。
   何となく会話が途切れ、並んだ二人は遠くの海鳥の声を聞きながらむしゃむしゃとシャーロットお手製のおやつを飲み込んでいく。
   以前にもシャーロットのハンバーガーを食べた事があり、バルクホルンの中では秘密裏にお気に入りメニューとして位置付けられていたのだが、今回のミートパテに絡んだソースはいつものものとどこか違うように感じられた。
   マヨネーズがベースになっているのは分かるのだが、バルクホルンにはそこに何が混ぜられているのか分からなかった。
   サンドされている玉ねぎやトマトにもよく合っており、これだとジャガイモにつけて食べるだけで美味しいかもしれない。
  「これって……?」
  「……ん? あによ?」
   口をもごもごさせながらの、シャーロットの気の抜けた返事。
  「ハンバーガーのソースだよ。マヨネーズだよな……あとは何を混ぜた?」
   バルクホルンの質問に、シャーロットは待ってましたとばかり嬉しそうな顔をする。
   グラスを掴んで、コーラで口の中のものを流し込んでから、
  「これうまいでしょ? あたしもびっくりしたねー」
   心底幸せそうにシャーロットは語り出した。
  「いやね、発見したのはルッキーニなんだ。よせって言ったのに、この前あいつが調味料の新境地開拓とかで色んなものをミックスさせまくっててさ。
   チョコソースにケチャップとか、クレイジーな組み合わせばっかりだったんだけど、その中で奇跡的に合うのがあったんだよ。……何か分かる?」
  「分からないから聞いてるんじゃないか。……しかし、ルッキーニ少尉は仕方ないな。食べ物で遊ぶなど……」
  「ああ、それは大丈夫。あたしがその後、駄目だぞーって言っといたからさ。
   ……それでね、もう面倒だから答え言っちゃうけど、宮藤の持ってきてたショウユ、ほらソイソースだよ、あれなんだ。あれとマヨネーズを混ぜたらめちゃくちゃ旨かったという訳」
  「ほう」
  「宮藤も感激してたぞー。扶桑のお母さんに手紙で教えよう、とか言っちゃってさ」
   シャーロットも、マヨネーズのこってり一辺倒の味の中に締まりが生まれたと興奮して、ルッキーニをくしゃくしゃに撫で回してしまったらしい。
   そしてそのまま宮藤に頼んでスティック状の人参を用意してもらい、ばか騒ぎしながらソイ・マヨネーズソースを味わい尽くしたという事だった。
   要は、ルッキーニのイタズラの中で偶然見付かった新技術を、シャーロットが早速ハンバーガーに応用したのだ。
  「ふむ……。なるほどなるほど、覚えておこうか」
   バルクホルンはまじまじとハンバーガーを見つめて、茹でジャガイモとソイ・マヨネーズソースの親和性について思いを馳せた。




   ハンバーガーを食べ終わり、バルクホルンはコーラを片手にシャーロットとの世間話に花を咲かせていた。
  「あはは、あの人らしいや」
  「だろう? エーリカは本当にだらしがないんだ」
   今はバルクホルンの同僚、エーリカ・ハルトマンのズボラさについてが主な話題だった。
  「んー。でも、あたしも結構だらしないかもなー。……これじゃ、あんたに嫌われちゃうかな」
  「何だ、自覚はあったのか」
  「うわっ、ひどいなー。陰湿エースのバルクホルンだ」
  「馬鹿を言うな」
   はた目には意味のない下らないやり取りにしか見えないが、下らないからこそ当人たちにとってはかげがえのない時間となるのだろう。
   ネウロイとの、手探りに近い戦闘の中ではよりそう感じられるのかもしれない。
   バルクホルンが細めた目をふとシャーロットの方へ遣れば、シャーロットはどういう訳か少しうつ向き加減になっていた。
  「……どうした?」
   唐突過ぎるその様子に、バルクホルンの声にも不安の色が混じる。
  「いや……大丈夫。……ちょっとね」
  「そうか……。差し支えがなければで良いが、どうだ、言ってみろ」
   どこまでも面倒を見たがるバルクホルンの姉気質に、シャーロットは困ったような笑いを浮かべながら、
  「……ハルトマンが、羨ましいなって」
   抱えた膝に頬を乗せて呟いた。
  「……何故だ?」
  「そりゃあ、ねえ? ……ちょっとねえ」
  「はっきりせんか。全く……」
   差し支えが云々と言っておきながら、丸っきり強制である。
   バルクホルンは無意識の内にシャーロットを急かす言葉を口にしてしまっていた。
  「……分かったよ。……ハルトマンはさ、この戦いが終わっても……あんたと一緒に居られるだろ?」
  「……まあな」
  「……でも……あたしは違う」
  「…………」
  「あたしはリベリオンだ。……それで、あんたはこのままカールスラント奪還へ……。間には大西洋と、国がいくつあるんだろ……」
  「お前……」
   バルクホルンは息を飲む。
  「やめてよ。そんな目で見ないで……お願い……」
   手をひらひらさせたと思ったら、子どもっぽい、幼い事を言ってしまったとシャーロットは恥じたのだろうか、バルクホルンと反対の方向に顔を向けてしまった。
   鼻をすする音が聞こえ、バルクホルンは、目の前の、自分より少し背の高い、しかし自分より歳の若い少女――そう、確かにまだ『少女』なのだ――の体が急に小さく見えるような感覚を覚えた。
  「おい……」
  「……なに」
   トレーを押し退け、シャーロットのすぐ隣に腰を動かす。
  「シャーロット……」
  「……なにさ」
   左腕をシャーロットの肩に回し、バルクホルンはまるであやすようにして、
  「……だからか?」
  「…………」 
  「だから今日、呼んだのか……?」
  「……そだよ」
   こいつは、もう。

  「……ほら、こっちを向け」
   バルクホルンは今、随分と柔らかな表情を呈している。
   ある種のものは、無条件で人の心を凪いだものにするからだ。
   おもむろにバルクホルンの方を向いたシャーロットだが、目だけは決まりが悪そうにそっぽを漂っている。
   何という事だ。
   バルクホルンはこれを世間では何と呼ぶ状況なのかを知っていた。
  「……可愛い奴め」
   バルクホルンは両頬を手で包み込み、有無を言わさぬようにして自分のおでことシャーロットのおでこを重ね合わせた。
  「あっ」
   突然に視界の全てをバルクホルンで埋め尽くされたシャーロットは、戸惑いを隠せるはずもなく、うわあうわあと慌てふためいた。
  「大丈夫」
  「……だって」
  「私も、お前と一緒が良いんだ」
  「……そんな事言ってもさ」
  「もう、」
   バルクホルンはもどかしくて、シャーロットの唇を塞いでしまった。
   両手は頬でいっぱいなのだから、何で塞いだかは言うまでもない。
  「んあっ……むっ、あぁっ……んむうっ……」
   いつまでも離れたくないよと言った人の口の中に、バルクホルンは自分のモノをねじ込んで、届く所は全て撫で上げた。
   シャーロットもいつの間にかバルクホルンの背中に腕を回してしがみついていた。
   目を閉じ、必死に吸い付き、まるで赤ん坊のように。
   息苦しくなって離れても、酸素を取り入れればすぐにまた絡み合う。
   もう止まらなかった。
   夕陽も沈み切り、二人を見ている者は何処にもない。
  「嫌だよ……あんたと離れたくないよ……」
   シャーロットは涙さえ浮かべていた。
  「こんなに近くに居るじゃないか」
  「やだよお……」
   暗中模索の対ネウロイ戦でも、勝利を重ねていく度に『終わり』を意識してしまうのは無理からぬ事であった。
   しかし、欧州奪還の端緒となるガリアの解放は世界的にも待望されている事。
   到底己の都合でどうこう出来るものなんかでは無い。
   自分同様に器用とは言えないこの少女に出来る事といえば、一生懸命戦って、一生懸命我慢して、一所懸命むつかる事だけなのかもしれないな、とバルクホルンは思った。
   しだれかかってくるシャーロットの目尻を、バルクホルンは軍服の袖でぬぐってやった。
  「……全く……手のかかる」
  「うう……ばかあ……」
   ばかばかばかと繰り返すシャーロットの頭をいつくしむように撫でまわす。   
   胸の中で肩を震わせるシャーロットは、どこまでもしなやかに思えた。
   そうっと見上げた空にはぽっかり月が浮かび、その横に、寄り添うようにして一つの星影が観て取れた。
 
   
   

   基地に戻ったのはしばらく後で、夜中には、枕を抱えたシャーロットがバルクホルンの私室に入る姿が見られたのだった。





                                     終わり


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