Geehrt meine Freundin
滑走路の輪郭を描くようにどこか儚く点る誘導灯。
白い吐息が夜の帳に溶けていく。
「いってきます、エイラ」
「いってらっしゃい、サーニャ」
肌の寒さか心の熱か、少しぎこちない言動のエイラに送り出され、今日もサーニャの夜間哨
戒任務は始まる。魔力で包まれた身体に寒気の影響はなく、いつもと同じように始まる自分の
役目。
だが、その日はひとつだけ、いつもと違う目的があった。
それは、彼女と、もう一人の少女だけが。
同じ周波数で繋がるふたりだけが知っている。
◇
ハイデマリーは、今宵も夜間哨戒の任務を全うしていた。
己の能力を駆使して闇を駆け、時には束の間の平和を脅かす黒き敵を迎え撃つ。
とはいえ、それも毎日のことではない。今夜は月が一際美しく輝き、星も負けじと空に煌く。
眼下には静かな大地と、そこに生きる人の光。
天地のどちらからも生命の脈動が伝わるような、不思議な感覚をハイデマリーは覚えていた。
魔導エンジンの駆動音と、大気と魔力フィールドが擦れる音がどこか優しく耳に届く。ハイ
デマリーはその音が少し恋しくなって、レーダー魔導針の魔力を調節、周波数を合わせた。
どこか有機的にさざめくノイズの向こうに、透明なピアノの音をとらえた。どの国のラジオ
なのかはわからないが、この夜にぴったりだ。
ノイズで薄く遮られた先にある抒情的なピアノの旋律。ハイデマリーはその苦くも優しい音
の世界にしばらく浸った。
そして、チューニングをそのラジオから外した時のこと。
その声は、ノイズの奥からはっきりと、わたしを呼んだ。
◇
ドーバー海峡上空。
レーダー魔導針でラジオのピアノのメロディを流し、心を落ち着けるサーニャの姿があった。
それは無謀ともいえる話であり、同時に恥ずかしがりやであるサーニャにはいささかハード
ルの高い話であった。
失敗すれば自分が恥をかくだけでなく、同じ隊の仲間たちにも迷惑を掛ける可能性もある。
それでも、彼女は送りたかった。
海を隔てた国で戦う、同じ夜空を駆けるともだちに。
その決意が、サーニャの背を押した。
魔力を調整して、周波数を合わせる。
別の誰かに声を聞かれてもいい。届かなかったことに後悔するより、ずっといい。
隊の仲間と通信する時と同じように、わたしの声が届くように。
あの時と同じように、流星バーストによる電離層があるとは限らない。
それでも、祈るように。
この夜の向こうへ。
――届いて。
「こちら、ブリタニア連邦所属、連合軍第五〇一統合戦闘航空団、サーニャ・V・リトヴャク中
尉です……」
〈……ハイデマリー・W・シュナウファー大尉、応答願います……〉
それは突然の通信だった。
周波数に乗って響いたのは、細く、涼やかで、そしてまっすぐな少女の声。
ハイデマリーは、彼女を知っている。
自分より若いのに、自分と同じくナイトウィッチとしてブリタニアで戦っているオラーシャ
のウィッチ。
以前の任務の際、偶然にも彼女と通信し、言葉を交わし、QSLカードも交換した。あれから
も文通という形で交流は続いているが、まさかまた声を聞けるとは思っていなかった。
「サーニャ、さん……?」
大気の向こうで、彼女が息をのむ気配がして。
〈ハイデマリーさん……よかった、繋がった……!〉
その言葉からは、安堵と喜びが滲んでいた。
「驚きました。またこうしてお話ができるなんて……」
〈わたしも、すごく嬉しいです……〉
どれだけ任務をこなしても、夜に独りで翔ぶ寂しさは不意に訪れる――今の自分のように。
そんな時に、通信で言葉を交わしてくれるありがたさ、あたたかさが、とても沁みた。
〈今日は、ハイデマリーさんにどうしても伝えたいことがあって……〉
「そうなんですか?」
ハイデマリーの知る限り、サーニャは控えめでおとなしい性格の子だ。そんな子が『どうし
ても』と言うぐらいなのだから、よほど重要な用件に違いない。
「まさか、何かあったんですか? 非常事態ですか!?」
我を忘れて問いかけると、彼女は慌ててそれを否定した。
失態を晒したことを恥じていると、再び落ち着いたサーニャの声が届いた。
〈ハイデマリーさん……〉
「は、はい」
〈お誕生日、おめでとうございます〉
「……え……?」
素っ頓狂な声がわたしの口からこぼれた。
〈……今日、ハイデマリーさんのお誕生日ですよね。以前お話したときに聞いて……〉
現在、日付は変わって二月十六日――そうだ、私の誕生日だ。
「……今の今まで、忘れて、いました……」
そう言うと、微かなサーニャの笑い声が返ってきた。
つい、軽口で答えてしまう。
「それなら、手紙を書いてくれれば……」
〈はじめはそうしようとしたんですけど、なんだか、もどかしくなって〉
周波数の向こうの声は恥ずかしそうにそう言った。
〈直接、伝えた方がいいかなって……〉
彼女はそう簡単に言ったけれど、実際はなかなか難儀なことだ。
魔導波が届く距離、わずかな環境変動による誤差、無関係の第三者に繋がる可能性。
下手な通信で彼女自身の危険を招くことにもなりかねない。
それなのに、彼女はこの方法を選んだ。無謀ともいえるこの方法を。
「……サーニャさん」
今日、ハイデマリーは新たな面を知った。
彼女は、サーニャ・V・リトヴャク中尉は、
控えめでおとなしい性格だけど、
とても優しくて、ちょっと頑固なところがある。
そんな、とても可愛い女の子なのだ、と。
「ありがとう」
嬉しかった。
本当に嬉しかったのに。
〈……あの、誕生日プレゼント、といってはなんですけど〉
これ以上に、わたしを嬉しがらせてくれるの、貴女は?
サーニャの誕生日プレゼントは、歌だった。
ハイデマリーは彼女が歌やピアノが得意であることを知っている。いつか聴いてみたいとい
う気持ちは少なからずあったが、こんな機会に恵まれるとは思いもしなかった。
サーニャは歌うまで少し恥ずかしがっていたが、いざ紡いだ歌声に惑いはなかった。
細くまっすぐで温かい、ささやくような歌声に、ハイデマリーは陶然となって耳を傾けた。
――まるで、天使が歌っているみたい。
ハイデマリーは歌声に包まれながら、遠い空に流星が滑っていくのを見ていた。
それは、異国のともだちの歌。
同じ周波数で繋がる、愛の歌。
◇
夢のような時間はあまりにも早く過ぎ去る。
彼女との通信は終わり、もうあの周波数は繋がらなかった。
空の向こうに新たな朝が見える。
その光と、あの歌を、この胸に。
もう独りで翔ぶ寂しさはなかった。
この同じ空に、わたしの愛する友が、仲間が共にあるのだから。
ハイデマリーは晴れやかな表情で任務を終え、基地へと帰還した。
そこで彼女は仲間たちに祝福を受け、こらえきれずに流した嬉し涙は基地中の人間を驚嘆さ
せるのだが、それはまた別の話。
Ende.