時間を結ぶ雨の音


 今日は朝から雨だった。夕方になると雷も落ち始めて、流石に雷の鳴っている中飛ぶのはあまりに危険すぎるために訓練も中止。書類処理やら
なにやらで時間をつぶすことになったが、それも長々と続くものではない。こんなにジメジメした中では紙も湿気を吸ってふやけていて、すぐに紙が
起伏してしまう。そのためほとんどの人は二~三時間もやれば疲れてしまい、そして飽きてそれを放棄してしまった。かくしてミーティングルームには
人が集まり始め、気がつけば全員がそこで談笑しているのだった。

「それにしても降るなぁ……雷止まないし」
「うう、怖いよ芳佳ちゃんー……」

 外を見て気だるそうにする芳佳と、怖い怖いと震えるリネット。そんな二人を微笑ましく見る美緒と、そしてそれとは別に複雑な表情を浮かべる
ゲルトルート。隣に座るエーリカもあまり落ち着かない様子で、しきりに外を心配していた。それもそのはず、エーリカは今日はカールスラントの
原隊に定期報告のために飛んでいかなければならないのだ。輸送機で飛んでいく予定だったが、この雷では輸送機も出せたものではない。恐らく
サーニャに先導してもらって雲上を飛ぶことになるのだろうが……補給のために立ち寄るロマーニャの空軍基地は晴れているとのことなので、
そこで輸送機を出してもらえるのがまだせめてもの救いか。本来はそんなところに補給になんて立ち寄らないはずだったのだが、いかんせん原隊が
ノイエ・カールスラントに疎開して戦力の建て直しを図っている真っ最中だ。そんなところまで自力で飛べるはずが無いので、手近なところでタクシーを
拾わないことにはどうしようもない。
 しかしエーリカには、それとは別の心配事もあった。

「私のことは心配するな、まあ……なんとかするさ」
「トゥルーデがそうやって言うときほど心配なのにそろそろ気づいてくんないかなぁ……トゥルーデいっつも無理しかしないんだから」
「確かに人に頼るのは情けないと思うことは今でもあるがな、それでも頼らなければしょうがないこともある」

 ゲルトルートが少し遠い目で見るのは、故郷カールスラントの街。今はネウロイに占領され、瘴気に汚染された人の住めない地だ。加えて言うなら、
彼女の目に映っている光景は今より数年前である。こうして雷雨が降る日はいつも、その光景が脳裏に浮かんで離れなくなってしまう。まるで一種の
呪いかのようで、さながら雷雨が昔と現在とを繋ぐ架け橋になっているかのようだった。……もし本当にそうであれば、昔と繋がっているのだから
今すぐにでも飛んでいってもう一度防衛戦をやり直したいところだ。それができれば、どんなに良いことか。この基地に戻って来れば補給はいくらでも
あるし、風呂に食事に暖かい寝床。そして身を案じてくれる仲間と親友たち、これ以上何を望むことがあろうか。もしかしたら、これ以上何かを望む
ことは天罰にさえ値するのではないか。そう思えてしまうほど―――あの日々は、ひどいものだった。

「トゥルーデ」
「ん」
「また顔に影が落ちてる」
「あ、ああ……すまない」

 そしてあの頃の生活が今でも痛いほど沁みついていて、故にこうした雷雨でふと昔を思い出すと悲観的思考が止まらなくなる。夜は特に、雷には
止んでもらわないとゲルトルートにとっては死活問題であった。
 あの頃は、本当に死ぬか生きるかだった。この先もきっと、あれほど荒んだ生活をすることは無いだろう。ゲルトルートは長いため息と共に、もう
考えることを打ち切ろうと腕を組んで背もたれに深く背を預けた。目を瞑ると意識は少しずつ沈んでいって、そして浮かぶ光景はやはり変わらなかった。

 - - - - -

「ハルトマン、そちらはいいか」
「うん、なんとか」
「……何か、食物が欲しいところだな」

 森の奥でひそひそと話すゲルトルートとエーリカ。その後ろには百にも手が届きそうなほどの兵たちが居て、寝床と食事を探している。ウィッチ隊が
主な戦力だが、最近は戦力としてカウントできる人数も日に日に減っていっていた。当然だろう、自分たちよりも部下たちに食事を優先させていたら
体力が続かないのも道理である。かくして一人、また一人とウィッチ隊から脱落していった者が増えていき、部下と同じくお荷物となって皆の足を
引っ張っていく。しかしそれを責めるような人間など誰一人おらず、それどころかただでさえ食料の調達が困難であるというのに脱落者にもまた部下と
等しく食料を分け与えていた。
 そうしているうち、ウィッチは数えるのが片手で足りてしまうほど減少した。ゲルトルートとエーリカも、まだ『支える立場』に居る人間だ。とは
いえ、ここ数日まともな食事を取っていない。雨や池の水で水分は摂取するよう心がけているが、雨はともかくほかの水は臭いわ泥だらけだわで、
飲んでも飲まなくても体に多大な悪影響を与えるのは大して変わらなかった。それでも水分を摂取しなければ生きていけないため止むを得ず飲んでいる
わけだが……恐らく今頃、二人の体内は寄生虫や微生物で溢れ返っていることだろう。そのうち胃の中で虫が孵化するかもしれないとゲルトルートが
冗談めかして言うと、エーリカは冗談ですまないからやめてくれと切実に言った。

「何を言っているんだ。今とソレと、大して変わらんだろう」
「やめてよトゥルーデ、まだ私たちは人間だよ?」
「だから何を言っているんだ。たとえ腹の中で虫を飼ってても人は人だろう。まあその場合、私たちが餌になるが」
「トゥルーデっ!」

 ははは、と薄っぺらな笑みを浮かべるゲルトルート。基地に居た頃は立派でしゃきっとしていた制服も、今は泥にまみれてぼろぼろだ。最早軍人と
呼べるのかさえわからないような様子で、髪も凛としたあの美しさはどこへやら。今そこにあるのはぼさぼさで痛みきった、まるで節があるかのように
カクカクと曲がった『何か』だけだった。撤退戦とは言うものの、実際は単なるサバイバル生活だ。日に日にネウロイの数は増して行き、そして
行き着く先の目的地はすでにもぬけの殻。どこまで下がり続ければ味方の部隊に合流できるのかわからぬまま、部隊はひたすらに後退するしか
なかった。
 そして今夜もまた、今どこかさえわからないジャングルの中で休息の時を迎えることになる。安眠も出来ぬ状況下で寝不足気味の一行だったが、
寝ようと思っても寝られないから寝不足が加速する。一刻も早くこんなサバイバル生活から抜け出さなくては、寝不足が解消することはない。
そうわかってはいるのだが、しかしそれが出来れば苦労もしないのだ。

「それじゃおやすみ、トゥルーデ」
「ああ、おやすみ。明日起きたら虫になっていなければ良いな」
「やめてってば!!」

 - - - - -

 カッ。何かが光った気がして、ゲルトルートは目を見開く。数秒してから遠くで低く轟く音が聞こえて、ああ雷が落ちたのかと認識した。辺りを
見渡すとすでに誰の姿もなく、皆もう自分の部屋に戻ったことを確認する。ふと見下ろした服はとても綺麗に整っていて、匂いを嗅いでも洗濯した
ときの洗剤の香料の良い香りと、そして今日かいた若干の汗の臭いしかしない。あの泥臭さやら泥水やらはどこへ消えたのか、同じ服を着ている
はずなのに今は新品同様といっても過言ではない美しさだ。実際のところはそんなこと全くないのだが、つい先ほどまで夢の中で見ていた、記憶の中と
同じ着れないほど汚れてもまだ着ていたときと見比べれば雲泥の差だった。
 一度両腕を高く上げて体を伸ばし、そして思い切り力を抜く。気だるさが多少はましになった気がして、このまま座っていても仕方ないと席を
立った。すると後ろから誰かが駆けてくる音がしてなんだろうと振り向くと、そこには元気な一人の少女の姿。思わずゲルトルートも頬が緩んで
しまう。

「バルクホルンさーん、ハルトマンさんもう出ますよー」
「む、そうか。わざわざすまんな」

 相棒の出張を見送らないのは、相棒としてどうだろう。ゲルトルートは芳佳の頭を軽くなでてやると、早足にハンガーへと向かった。芳佳はまだ
ほかにすることがあるのか、とてとてとそのまま駆けていってしまう。相変わらず外は大雨で、分厚い雲と夕方と両方が相まって建物内は大分暗く
なりつつあった。まだ窓があるところは比較的明るさが残っているが、窓のない奥まったところや階段の陰などはすでに真っ暗だ。そんな所を
通るのは少々気が引けるが、それでももうすぐエーリカが離陸する。その場に立ち会えないのは個人的に許せないので、多少のことは気にせず
進むことにした。
 ―――しかし、こういうとき得てしてタイミングは悪いものである。大きく外が光り、轟音が轟く。

「ひっ……」

 一瞬肩を震わせ、怯えてしまう。あの光が視界に入るといつも、必ず脳裏にはかつての仲間たちの笑顔がフラッシュバックする。今でも原隊で
元気にやっているはずなのだが、撤退戦のときの悲劇的な状況の中で絶望したかのような顔を浮かべていた仲間たち―――それを忘れることは、
決して出来ない。歩を止めてしまっている自分に気づき、あわてて歩き出す。だが、ハンガーに最も近い弾薬などの資材置き場の階段は窓がない。
電気もつけていないため、ほぼ真っ暗に近かった。足元を照らす非常口の明かりだけが、唯一の光だ。だから余計に、何かあると身をすくませて
しまう。
 ―――今度は基地の避雷針に落ちたのか、何かが爆発して弾け飛ぶような爆音とも言うべき轟音が基地中に轟く。

「ひぃあっ……!」

 暗い場所で、大きな雷鳴。トラウマとは恐ろしいものだ。子供の頃は、雷が鳴ると外が勝手にぴかぴかと光って楽しいものだったというのに。今では
光るたび、鳴るたびに身も心も震えて恐怖に支配されてしまう。あの、悲壮な撤退戦の日々――それがゲルトルートの全てを、真っ黒に塗りつぶして
しまっていた。
 ……あまりに突然訪れた爆音で、思わずしゃがみこんでしまう。それは防衛本能にも近い反射的な動きだった。

「……あの、大丈夫ですか?」
「ッ!?」

 突如上からかけられた声。まるでコーンが弾けるように驚き飛びのくゲルトルートの視界に映ったのは、上から心配そうに見下ろす芳佳の姿だった。

「あ、ご、ごめんなさい、驚かせちゃって」
「いい、いや、大丈夫……だと思う、多分」

 いまいち自信がない。しかし恥ずかしいところを見られてしまい、少し頬が赤くなる。それをまぎれさせようと、ハンガーへと急ごうと一歩を
踏み出す。

 ―――が、おそらくまた同じところに落ちた。先ほどと同じく爆発して弾け飛ぶような爆音が響いて、また先ほどと同じく身が竦み……しかし、
ここが階段だったのがいけなかった。先ほどはまだ踊り場だったから良かったものの、足場の悪い階段で急激な動きをしてしまったためにバランスを
崩してしまう。更にそれで何とか体勢を立て直そうとした結果足が滑ってしまい、立て直すことは不可能になっていた。……ああ、私は雷に驚いて
階段から転げ落ちるのか。あまりに無様なそれを想像して、もうなんだかどうでもよくなってきてしまう。エーリカの見送りが出来ないからって、
それがなんだ。階段すらまともに下りれないような人間に、何が出来ようか。そんな自虐心さえ生まれて――しかし、体は不意に何かに支えられて
落下を停止する。なんだろうと思って目をやると、そこには先ほどより輪をかけて心配そうに見つめる芳佳の顔。

「あの……その、何かトラウマでも?」
「え?」
「いや、普通じゃない怯え方してるので、雷に関係してなにかあったのかなって……その、怖がってる人を笑っちゃだめだと思うから」

 芳佳も顔を赤くして、聞いても居ないことをべらべらと喋りだす。しかしおかげで大分心が温かくなって、落ち着きを取り戻した。なんでもないと
言うと肩を借りて立ち上がり、礼を一言言う。それから急ぐとろくなことがないからとゆっくり向かうことにした。芳佳から聞けばゲルトルートが
着くまでエーリカは待ってるとのことだったので、あわてる必要は別になかったのかと胸をなでおろす。エーリカはエーリカなりに心配してくれて
いるらしい。

「まあ、あるといえばあるんだがな」
「え……あ、ああ……はい」
「今は話すときじゃない」

 いずれ、機会があったら話す。そう言って芳佳の頭を撫でてやると、それで大丈夫ですかと逆に心配されてしまった。もしも駄目だったらその時は
頼らせてもらおう。そう言うと、芳佳も満足したように笑って頷く。エースは二番機や他部隊のことを気にかけねばならない、それはつまりきっと
他人のことを気にかけられる人はエースへの道も開けているとも言えるのだろう。そう思うと、芳佳の将来が楽しみで仕方がなかった。そしてもう
一度、また同じ場所に落ちたのか先ほどと同じ爆音が轟く―――。だが芳佳がすぐ横に居てくれるから、怖くはない。今度は臆することもなく、
笑って歩いていられた。鳴った瞬間芳佳がばっと身構えたが、微笑してありがとうと返してやる。――大丈夫、私には隣に立って支えてくれる人が
どんな時でも居てくれるから。
 かくして格納庫に着くと、ストライカーを嵌めたまま駐機台に座り込んでいるエーリカを見つけた。

「エーリカ、すまない、遅くなった」
「あ、トゥルーデ! 大丈夫だった?」
「途中からはな」

 くい、と顎で芳佳のことを指すと、なるほどとエーリカも納得した。もう他の人は一通り見送りの言葉はかけてくれたようで、後はゲルトルート
だけのようだ。ただ、雷が数回連続で落ちたため離陸を断念していたのも正直なところであり、ゲルトルートを待つには丁度いいとも言える状況では
あった。

「なんか言っとくことある?」
「んー、そうだな……じゃあ、『雷が怖くならないまじない』を頼もうか」
「へ……あ、あー。そゆことね、なるほど」

 エーリカは納得したように笑って頷く。外を見ると雷は落ち着きを見せたようで、雨量も先の連続の落雷時に比べれば幾分か少なくなっていた。
飛ぶなら今のうちに飛んだほうが良いだろう。サーニャはすでに上空で待機しており、雲の中でも安全に飛べるルートを調査してくれている。
それじゃあと立ち上がるエーリカと抱き合って、顔の高さで軽く拳を当てた。

「気をつけてな。行ってこい」
「うん、それじゃ行ってきます」

 駐機台のロックを外し、自衛用のMG42を手に取るとエーリカは加速していく。一度だけ振り向いて、手を振るゲルトルートに手を振って応え、
そしてそれきり特に振り向くこともなく飛び上がっていった。

「……さ、行きますか」
「そうだな。ああ、礼を言う、ありがとう」

 へ、と素っ頓狂な声を上げる芳佳だが、ゲルトルートはそれ以上何も言わずただ歩きながら頭を撫でるだけだった。そしてそのまま立ち去ろうと
して……あわてて芳佳が、後を追ってくる。横に並ぶと、今のお礼はなんのお礼ですかと問うてきた。いろいろあるんだと言うと、いろいろって
何ですかとまた言い返される。適当にあしらいながら歩いていると、時間的にエーリカがもう雲の上にでて安全圏に到達したであろう頃に再び
雷が鳴り始めた。あまりにタイミングが良すぎるので、この時ばかりはゲルトルートも神でも居るのかと空を見上げながらぼんやり思った。
きっとエーリカを守ってくれたのだろう。くす、と小さく笑って、信じてもいない存在に感謝する。エーリカが見れば、信じてないなら意味ない
でしょと突っ込んでくるのだろう。そして今の雷も、横に芳佳が居てくれたおかげで竦むこともなかった。実は先ほどの礼は芳佳に着いてきてもらう
ためのちょっとした小細工だったのだが、上手くいったようで何よりだ。ある意味で、「先に礼を言った」とも言える。ふうと一息つくと、じっと空を
見上げていたゲルトルートにあわせてか芳佳も空を見上げているのに気づく。

「ハルトマンさん、もう大丈夫でしょうか」
「あいつならとっくに大丈夫だろう。Bf109に加えてあいつの固有魔法だ、上昇力を考えれば今頃雲の上で踊っていてもおかしくはない」
「あははっ、ハルトマンさんならほんとにやりそうです」

 二人で談笑しながら、廊下を歩いていく。それきり雷は鳴ることはなく、それからは平穏な時間が過ぎていくのだった。

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 今日の天気は雷雨だった。朝からずっとで、ストライカーと武器を装着して仲間を庇いながら戦い続けているゲルトルートとエーリカを始めとする
戦闘隊は注意して飛ばなければならなかった。何しろストライカーも武器も金属だ、ただでさえ雷は空気という絶縁体をぶち抜いて降ってくる電気だと
言うのに、そこに導体が存在していればそこに落ちてくるのは間違いない。そのため常にシールドを展開して飛行せねばならず、ネウロイとの戦闘に
突入した場合はシールドなしで戦闘しなければならないことになる。それ故、現在はシールド無しでも戦えるゲルトルートとエーリカ以外は全員地面に
降ろして撤退中だ。

「ネウロイ、来ないと良いね」
「ああ、そうだな……しかし腹が減った」
「鳥でも捕まえる?」
「居ればな」

 実は雨は少しだけうれしい思いもあった。水分補給の観点で言えば水がいくらでも手に入るし、服や体の汚れもある程度落とせる。良い副作用とも
言うべきだろうか。風邪を引きやすかったりと体調管理が難しい上、濡れた服はそう簡単に乾かないなど、文字通りの副作用も当然あるわけだが。
しかしこの撤退自体に快適性など全く求めていない現状、服が乾かないことよりは水分が手に入ることのほうがよっぽど重要だった。体の汚れが
落とせるというのも、老廃物を排出する穴を洗浄できることから少しでも体の状態を良く維持できることにつながる。そして何より、その瞬間は
気分がリフレッシュできるというのが気持ち良いのだ。後が気持ち悪くとも、その時は気分が良い。どうせ服が濡れていようが地面がぬかるんで
いようが過酷であることに変わりはないので、だったらまだ少しでも気持ちの良いほうがいい。ただ今日は雷を伴っているのが厄介だ。上手く使う
ことが出来ればネウロイに直撃させることも不可能ではないが、そのためにはネウロイをより上空に近づける必要がある。それはつまり自分たちが
上空にひきつけなくてはならないことを意味し、その間に落雷があればひきつけている人間に降り注ぐのは必至だ。そんなリスクの高いことは出来ない
上、もしネウロイの下に隠れていたとしても落雷の間隔を攻撃を防ぎながら待つのはあまりに体力を使いすぎる。飛行魔法によって消費する魔力や
体力は尋常ではないのだ、加えて防御をずっと展開し続けるなどこの過酷なサバイバル生活の中でできるものか。これが、帰れば暖かい食事とベッドが
あるなら話は別だが。

「あーあー……いつになったら終わるんだろうね、撤退戦」
「この辺りはもうほとんどがネウロイの支配地域だからな、撤退戦というよりただのサバイバルだが、当分終わらんだろう」
「どう思う?」

 エーリカが振った話は、今後の撤退の方針だ。次の目標地点である拠点を占拠して防衛陣地を築くか、そのまま撤退を続けるか。前者は雨風を凌ぐ
場所は十分に確保することが出来るが、食料の調達が安定しない。それに他の各所でもひたすら撤退と疎開が進んでいる現状で、こんな敵の支配下の
基地にまで救援に来てくれる部隊などあるわけがないだろう。そこに留まるということはそれを待たなくてはならなくなるため、事実上そこで死を
迎えるしかないといっても過言ではない。あるいはどこか別の部隊で救援に来る余裕があるところがあればいいのだが、少なくともカールスラントで
そんな部隊があるとは思えない。この辺りで近い国というとオラーシャかオストマルクだが、オラーシャ空軍の援軍はおそらく見込めないだろう。
オラーシャも進み行くネウロイの侵攻で手一杯のはずだ。オストマルクも陥落は時間の問題である。全てはカールスラントを守りきれなかった自分達の
責任――そう思ってしまうのも、仕方のないところである。支援が見込めないからといって撤退を続けても、徒歩よりネウロイの侵攻のほうが速い
なんて言うまでもない。ネウロイの手から逃れられず死に行くのが関の山だ。

「ていうかさ、いい加減もう撤退戦って呼ぶのやめない? はぐれてから相当経つんだしさ」
「はぐれる? 何を言っている、これが上層部の命令だ。違うか」
「……そうだけどさ」

 東部戦線で基地の防衛に当たっていたゲルトルート達は、次々と陥落していく各所の基地の状況を受けて撤退を命令される。このまま行けば基地が
最前線になるのは分かりきっていたが、この頃のゲルトルートやエーリカ達にはたった数人で最前線を支えることなど不可能だった。いや、今でも
不可能だろう。それほどまでに当時のネウロイの侵攻は凄まじく、食い止められるものではなかった。そんなところに絶対数の少ないウィッチを投入
して浪費するほどの余裕は、世界には残っていなかった。戦闘で疲弊させてしまうよりは、先に撤退させて別部隊と合流させたほうが現実的だ。
かくして撤退を開始したJG52だったが、撤退して合流する予定だった地点の基地は予想以上に速すぎたネウロイの侵攻により既に陥落していた。
それどころかそこを拠点に更なる侵攻を企てていたネウロイと鉢合わせしてしまい、激戦が展開されてしまう。結局、早めに撤退を開始したつもりが
結果は変わらなかったのだ。多くの仲間を失い、その犠牲の上に今自分達が生きている。そしてその自分達でさえ、無事に生きてどこか生還できるか
わからない。……いや、一体何を以って生還とするのか、それすらわからない。とにかく、上層部から最後に命令されたのは『撤退せよ』だ。その
命令に従い、今彼女達は撤退を続けている。そして死と懸命に戦っているから、『撤退戦』だ。

「ん?」
「どうした?」

 突如、エーリカがなにかに気づいたように首をかしげる。それは普段から情報収集のためにやっていた、エーリカの固有魔法を使って風を自分達の
方へと流し込んで音を収集する『探知』の成果だった。どこからか何かの音がすると言うエーリカと、どこにもそんな様子は見られないゲルトルート。
だが確かにエーリカの流す風からは、何かの音が聞こえていた。銃撃音とも落下音とも取れぬ音だが、断続的に続いているところを考えると落下音とは
捉えにくい。音は右前方、方位で言えば南西からしていた。

「みんなはここに居て、場所がわからなくならないように狼煙を上げておいて。何かあったら呼んでね、すぐに来るから」
「絶対に勝手な行動はしないこと。但し攻め込まれた場合は、大きく離れないよう自分の位置に常に注意をしながら応戦せよ」

 エーリカとゲルトルートが指示を出して、そして音のするほうへと向かっていく。相変わらずの雷雨で、視界は悪かった。

 進んでいくと、だんだん音がはっきりしてくる。……ひとつは間違いなく銃撃の音だ。つまり人の居る証。しかし銃撃ということは戦闘であることは
間違いない、楽観できる要素はひとつもない。加えて、落下音のように聞こえていたどすどすという音は歩行の音だ。つまり―――大型陸戦ネウロイが
接近している証拠。割と近い位置に居るようで、このままではJG52が食われるのも時間の問題だ。ならばさっさと応戦して撃破したほうが、後々楽な
はず。そもそも撃破できるかどうかは不明だが、やれるだけはやってみなくては。

「見えた! あれだ!」
「……確認した!」

 前方にうっすらと見えるのは、木々を追い抜く高さを持つ脚部。本体はそこから少し下がったところについているらしい。おそらく大型のみならず
小型も居るはずだ、厳しい戦いになるかもしれない。二人はぐっと気を引き締め、そして高度を下げて木々の間をすり抜けて飛ぶ。すると前方に見えて
きたのは――――パンターを装着した陸戦ウィッチたちと、ティーガー戦車の群れ!

「まだ持ちこたえてるぞ!」
「ハルトマン、交戦準備だ! 共に戦うぞ!」
「了解!」

 ゲルトルートとエーリカは安全装置を解除し、エンジンの調子を確かめる。シールドを展開しながら飛行してきたが、どうやら敵のほうが大型だ。
低空を飛んでいる限りは落雷の心配はない。シールドを解除すると、高度に絶対注意のゲルトルートの合図があってから二人は散開――大型ネウロイの
前方に布陣する小型陸戦ネウロイへと、鉛玉を叩き込んでいく!!

「な!?」
「どこから!? 一体誰が!!」

 戦場で、誰かの驚く声がする。ゲルトルートが、インカムに向けて吼える!

「こちらJG52第二飛行隊、ゲルトルート・バルクホルン中尉だ! 聞こえるか!」
「っ、こちらは第一戦車中隊隊長! あのバルクホルン中尉か! 援軍に感謝する!」

 ―――第一戦車中隊? 一体どの戦闘団の中隊だ、訊ねようとして先に答えが返ってくる。

「撤退のさなかに合流した部隊です、なので正式な部隊ではありません!」
「なるほど―――第二飛行隊長よりJG52部隊へ、聞け!」

 ……今、JG52で残っている部隊なんて、自分達の第二飛行隊以外に存在し得ない。それはこの目で見て知っている。だがそれでも、奮起する心を
更に奮い立たせるためには、こう呼ぶしかなかった。新たな仲間を得て、喜ばない者がどこにいようか!

「本部隊へ陸上警備隊を配備する! 第一戦車中隊、転進だ! 北北東距離60マイル!」
「了解! 各員続けー!」

 味方部隊の待機場所へと敵を誘導する。まだ部下達も武器は持っている、戦うだけならできるはずだ! 指示を出すだけ出すと、ゲルトルートも
エーリカと共に戦闘へ集中する。前方の小型ネウロイ群のうち半数はどうやらこちらを狙っているようだ、これは都合がいい――もっとだ、もっと
引き付けられる!

「エーリカ、小型ネウロイを全部引き付けろ! 陸戦隊を大型ネウロイに集中させるんだ!」
「了解!」

 ゲルトルートとエーリカ、二丁のMG42が火を噴く! 小型ネウロイが次から次へと銃弾を浴び、砲口が二人のウィッチを狙い、しかし直撃を
与えることなく―――逆に的確にコアを狙う銃弾に、成すすべもなく脚を折られていく!
 群れに対しても一撃離脱で対応する。連中の左方から侵入して小型ネウロイに一通り攻撃を浴びせると右方へ去っていき、今度は右方から同様に
左方へ。そうして繰り返しているうち、小型ネウロイの九割の狙いをこちらへ向けることに成功する。よし、後は仲間のほうへ針路を向けながら応戦
すれば問題ない。ゲルトルートはぐっと再びMG42を力強く握り締め、そして一段と高度を下げて接近する!

「うおりゃああぁぁぁぁー!!!」

 小型ネウロイの、本体と地面との僅かな隙間……本体下部に砲塔の設置されているネウロイの、あえて射程圏内に飛び込んでいく。すばやい動きに
対応できない陸戦形に対してならではの戦法だが、下方の装甲は薄い! ゲルトルートは懐に飛び込むと、上方に対して銃を乱射する!! 敵の腹に
直撃していく銃弾の群れ、そして剥ぎ取られた装甲の隙間から見えるコアにまで無数の弾が容赦なく降り注ぎ―――! 次々と小型ネウロイが爆散
していき、周囲は開けていく。更に、エーリカの固有魔法――シュトルムによって、小型ネウロイは次々に大空に巻き上げられていく!
 無様に腹を晒す小型ネウロイ群、そこへゲルトルートの容赦ない射撃が叩き込まれる! 次々と空から降り注いでゆくネウロイの破片、消えてゆく
ネウロイたち。戦況は有利になりつつあり、久々に勝利の味を味わえる気がしてきた。

「陸戦隊、大型の調子はどうだ!」
「コアの場所がわからん! くそ、このままじゃ踏み潰されちまう!」
「移動速度を優先しろ! 移動先に私の部隊が待機している、合流を急ぐんだ!」
「了解した!」

 残り小型ネウロイの数は五両。それを殲滅すれば、大型ネウロイとの戦闘だ―――そしてここで、上空に不穏な空気を感じ取る。そうか、今なら……!

「エーリカ! そいつらを天高く吹っ飛ばせ!!」
「わかった!」

 シュトルムがいっそう強く働き、そして小型ネウロイ群が大空へと空高く舞い上がっていく―――次の瞬間! 強烈な雷鳴と共に大空が真っ白に輝き、
大空に舞い上がったネウロイたちに容赦なく降り注ぐ!! 一瞬にして五両のネウロイは残骸と化し、爆散。これには地上からも歓声が上がり、あとは
大型一両のみとなった。しかしこの大型がなかなかに厄介だ、航空型よりもはるかに装甲が分厚くゲルトルートやエーリカの攻撃でも通るかわからない。
やはり、陸戦隊の重火力を叩き込んでもらわなくては難しそうだ。

「進行しつつ攻撃を! 私達が攻撃を引き付ける、その間に少しでも装甲を剥ぐんだ!」
「了解した!」
「エーリカ! 往くぞ!」
「おう!」

 上空に向けてシールドを展開し、天高く舞い上がる! 上空から大型ネウロイを捉え、そして――再び引き金を、壊れんばかりに思い切り引く!!
雨のように降り注ぐ銃弾、着弾するたびに散る破片、そして表面に浮かび上がる赤い砲口! ゲルトルートとエーリカはシールドを一旦解除し、
真下に向けて展開し直し―――砲撃が来る!
 航空型と、砲口自体の見た目は同じ。だがその重さは、はるかに陸戦型のほうが強かった。

「くそ! 腕が持っていかれる!」
「いつまで続くんだ、これじゃ雷に耐えられない!」

 航空型の全砲門集中攻撃程の威力はあろうかという重い攻撃が、たった一つの砲口から放たれている。陸戦型の恐ろしさを身にしみて実感し、しかし
それを味わっている余裕は今はないはずだ! だが今は耐えるしかない、ここで力を抜けば即座に死ぬ!! 震える手、軋む腕、骨が悲鳴を上げる――
そして突如、手にかかっていた負荷が消える!

「終わった……!?」
「違う、陸戦隊だ!」

 陸戦隊が次々と主砲を叩き込み、大型ネウロイを怯ませている。なるほど、怯んだせいで攻撃が続行できなくなったということか。だがこのまま
陸戦隊を狙わせるわけにはいかない、機動性の低い陸上部隊を狙い撃ちさせては絶対にならない! 二人はシールドを改めて展開して再び降下すると、
ネウロイの表面にへばりつくようにぎりぎりのところへ侵入。そのまま表面に、ゼロ距離で射撃を開始する!!

「コアだ! コアを探せ!」
「私裏みてくる!」
「頼んだぞ!」

 エーリカがぐるりと回って裏側を同様に攻撃し、ゲルトルートは表への攻撃を続行する。コアがある場所は装甲がどうしても薄くなるはずだ、手応えで
わかるはず――どこだ、どこにある!
 撃ち続けていると脚に砲口が出現し、機関砲のようにレーザーを連射して……シールドを展開しなおそうとした刹那、脚が突然爆発を始める! 何事
かと見やると、また陸戦隊が援護射撃をしてくれていた。そうだ、仲間が、共に戦ってくれる仲間が居る! ゲルトルートは自らの奥に秘めていた闘志を
爆発させると、ネウロイの中へ掘り進むように銃口をネウロイへとぶち込んでいく!!

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」

 ネウロイの装甲が掘り進められ、大穴が開き、それでもゲルトルートは止まることなく侵攻し―――そして見つける、コアへと伸びる結晶体!
ここだ、コアはここにある! MG42が悲鳴を上げるが、こんなところでへばってなど居られない、ゲルトルートは引き金を戻すことなく撃ち続け、
ついにコアを露にした!

「コアだ! コアを発見したぞ!」

 だがここでMG42は力尽きる。バレルが完全にオーバーヒートし、弾によって内部が削り取られて完全にお釈迦になっていた。……肝心なときに、
使い物にならない! 一瞬の射撃停止、しかしゲルトルートはMG42の熱々のバレルをぐっと握り締め、手が火傷するのにも構わずコアに対してそれを
思い切り―――怪力を上乗せして叩き降ろす!!!

「食らえええぇぇぇ!!!」



 ―――コアが弾け飛び、ネウロイが白く輝く。そして主砲が赤く発光し、死に際の一発が伸び―――最後、爆散して散っていく白い破片の隙間から、
第一戦車中隊を丸呑みするように伸びていく砲撃が見えて―――――



「ッ!!!!」


 轟音。それと共に目が覚めた。

 - - - - -

 ひどく汗をかいていて、そして体中ががたがたと震えている。歯がかちかちと音を鳴らし、焦点が合わない。思わず足を体にぴったりと寄せ、
頭を抱えてベッドの上にうずくまる。だが再び落ちる雷鳴、体が大きくビクンと跳ねて声にならない悲鳴が漏れる。

「っーーーー!!」

 瞳孔が開き、体の震えが止まらない。喉がからからに渇いて口の中に涎が溜まり、開いた唇からだらだらと垂れ流れる。

 ―――怖い。いや怖くない。怖いなんて言葉で表現できるものじゃない。

 周りが見えなくなる。心が熱くなって、ただ正面しか見えなくなる。何かから逃れたくなって、そこしか見えなくなる。

 ―――突出しすぎだ! ―――調子に乗るな、少尉! ―――助けて! 中尉、助けてっ! ―――近づきすぎだ、バルクホルン!

 周りが見えなくなったとき、大事なものを失う。それに気づいたときには既に遅い。―――今は?


「!?」


 突如視界が開け、そして第六感が警報を鳴らす。いつもいつも、周りが見えなくなったときは何かを失っている。今度こそ、今度こそ守るんだ!

 ―――おねえちゃんっ!


 ……目がカッと開かれて、雷がひときわ大きく轟いた。体が再び大きく跳ねて反応し、しかし――――それで、大分落ち着きを取り戻した。


「……はぁ…………」

 何も危険はない。ここは自分の部屋で、そして今は就寝時間を遥かに過ぎた真夜中。エーリカかとも一瞬思ったが、今頃雷とは縁のない場所に
居るはずだ。暖かいベッドで眠れるこの場所で、失うものなどあるだろうか。答えはすぐに出てくる、イエスだ。

「……危なかったな」

 ――自分を、失いかけた。

 あと少しで理性を完全に焼かれるところだった。夢にうなされて雷に怯えて、それで正気でなくなるというのもなんとも情けない話ではあるが……、
もし落ち着くのにもう少し時間を要していたら、自分は狂っていたかもしれない。何かに怯えてそれから逃げようとして、狂人のように悲鳴を上げて
のた打ち回って――先ほどの自分を見返して、半分そうなりかけていたのを自覚して寒気に震える。危ない、冗談抜きにそうなるところだった。
 ……今まで、あまりに多くのものを目の前で失いすぎた。だからだろうか。雷からあの撤退戦の日を思い出して、そこから更に別の記憶に連鎖して。
だからこんなに、雷が怖いのか。

「――駄目だ」

 一人では寝られない。もしまた一人で寝たら、今度こそ正常な世界に戻ってこられないかもしれない。それは勘弁願いたいところだ。止む無く
適当に服を着ると、枕を片手に静かに部屋を出た。さて、誰のところに行こうか……気心知れた者が一番いいが、誰か一人に頼りすぎると今日のように
たまに困ってしまう。ならば今のうちに新しく開拓しておいたほうがいいだろうか。ゲルトルートは結論を出すと、ある人の下へと向かった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ―――こんこん。

 何の音だろう。

 ―――こんこん。

 ああ、もう、ただでさえ寝苦しいのに。

『……寝ているか』

 当たり前だ。この時間に寝ていなかったらどうするのか。

 ―――とす、とす、とす。

 歩み寄ってくる音だろうか。これが夢なのか現実なのかわからないが、いずれにしてもただでさえ雷と湿気で寝苦しい夜だというのにこんな苛々する
ことはやめてほしかった。

 ―――すすっ。

 何かの擦れる音だ。だが何が擦れる音かまではわからない。

 ―――とす、とす、とす、とす。

 今度は音が小さくなっていく。帰るつもりなのだろうか。……もし現実だったら、それはそれで申し訳ない。いや、寝たいのだから寝ていればいいの
だが、あいにくそれで割り切れるほど器用な心は持ち合わせていなかった。

「んぅ……」

 夢なら夢で、一度起きてしまってさっぱり消したほうが寝直すにも楽だ。現実なら、話を聞けばいい。ともあれ上半身を起こして目をこすると、少し
ずつ焦点が合い――――入り口に誰か立っているのが見える。誰かまでは見えないが、どうも幽霊とかそういう風情でもなさそうだ。うーん、と目を
凝らそうとすると、雷が遠くに落ちて一瞬白く光った。それで誰か理解する、なるほど分からなかったのはそういうことか。

「はれ……バルクホルンさん、ですか?」
「ぬっ……あ、あはは、気づかれてしまったか」
「うーっ、どうしたんですか、こんな夜遅く……もう一時じゃないですか」

 髪を下ろして、簡素な服を着て背を向けていたゲルトルート。背格好は言われてみれば確かにゲルトルートだが、髪を下ろしたところを見たことが
なかった上に服装が今まで見たことなかったものだから分からなかったのだ。誰なのかが分かったのだから、目的を聞き出さなくては。

「すまんな、起こしてしまって」
「いえ、いいんですけど……でもなんで私の部屋に?」
「いやほら、その……今日、いろいろあったから」

 言いづらそうに、枕を抱きながらもごもごと喋るゲルトルート。なんかあったっけと記憶を手繰り寄せると、ああなるほどと確かに納得した。

 階段で雷に怯えて震えていたり、トラウマが何かあるのかと訊ねたのに対してあいまいな返事を返したり。――芳佳は大体、ゲルトルートが何を
言いたいのかを理解して、気づかれないようこっそりベッドの隅へと移動した。

「えと、それでなんで私の部屋に……」
「その、だな……こういう夜は、一人じゃ寝れないんだ……」

 顔を真っ赤にしながらうつむくゲルトルート。流石にちょっと意地悪しすぎたかとぽりぽりと頬をかき、フォローに入ることにする。このまま放って
おいたら、ああそうさどうせ私は雷が怖くて一人じゃ寝れないんだ、とか騒ぎ立てそうで怖い。

「大丈夫ですよ。辛い過去を笑ったりなんて、そんな失礼なことしませんから」
「……すまない。ありがとう」
「どうぞ」

 ぽふぽふ、と空けたスペースを軽く叩く。ゲルトルートはおずおずと寄ってきて、枕をベッドの上に置いた。妙にぎこちない動きだったが、まあ
慣れない人のベッドに入るのは気が引けるのだろう。少しもどかしくなった芳佳は掛け布団の端をそっとめくり、ゲルトルートに横になるよう促す。
それを見てようやく座り、上品に足を先においてから頭を降ろしていく。……うむ、見るからに緊張している様子だ。まるでペリーヌのような動き
だった。見ているこっちが恥ずかしい。ともあれ横になってくれたので、自分も横になってさっさと掛け布団をかけてしまう。ここまで来ると互いに
気が楽になるものだ。

「こういう夜は、良くエーリカに頼んでるんだ」
「ああなるほど、それでですか」
「すまないな……うう、エーリカとは慣れてるから良いんだが、宮藤とは初めてだから慣れんなぁ……」
「でもそういうことでしたら協力しますよ。遠慮しないでください」

 そのためには、なぜ雷雨に過剰なまでに反応するのか、一体どんなトラウマがあるのか――それを聞かなくては。芳佳が問うと、ゲルトルートは
目を細めて話し始めた。その矢先に雷がひとつまた落ちたが、同じベッドの中に入っているからかゲルトルートも心底安心しているようで特に反応は
しなかった。

 - - - - -

 先ほど見た夢……記憶の話をして、芳佳も納得した様子だった。撤退戦の中のあの日、結局第一中隊は壊滅と呼ぶに相応しい状況に陥った。
残ったのはパンターを装備するウィッチ二名と、砲塔を失って操縦手だけとなったティーガー戦車一両のみ。それ以外はほとんど、あの重すぎる
一撃によって焼き払われた。目の前で人間が跡形もなく焼かれた瞬間。ゲルトルートもエーリカも、正気を保っていられる状況ではなかった。
さらに二人の精神を悪化させたのは、『それがすべて』でなかったことだ。両足を焼かれ出血多量で意識を失いかけているウィッチや、破片を頭に
浴びて意識が朦朧としている兵士。まだ生きているがいずれ死ぬ人たちが数人、そこら辺りに転がっていたのだ。そして叫ぶ、助けてくれ。
ゲルトルートに手を伸ばす人たち、しかし助ける手立てを持たないゲルトルート。エーリカも生き残ったウィッチや兵士もまったく同じだった。
生きている人がいるのに、適切な処置を施せばまだ助かる人がいるのに。適切な処置の方法がわからず、必要な資材がそろっておらず、助けることが
できない。……気が狂うには十分すぎる様相だった。一通り落ち着きを取り戻した頃には、先ほどまで助けを求めていた人たちは全員が動かなく
なり、中には確実に死が確認できる人もいた。一応生き残ったウィッチと兵士は本隊に合流させたものの、状況が改善するわけではない。強いて
言うならば、その交戦によって味方に位置が伝わったことは良いことだったかもしれない。間もなく訪れた救助部隊に助けられ、一行はようやく
撤退戦を終え、ベッドとシャワーのある建物へ入ることができたのだった。

「……長い撤退戦でな。それに限らず、多くの仲間が途中で倒れ、犠牲になった」
「戦争……なんですよね」
「ああ。相手が人ではないだけで、紛うことなき戦争だ」

 まだ、私利私欲がないだけ良いのかも知れない。だが感情も持たないであろう無機質な敵が相手であれば、逆に慈悲も情けも何もあろうものか。
人間同士の戦争であれば、例えばゲルトルートがもし人を相手にすることがあれば。空中戦であれば、撃墜した敵機のパイロットが確実に脱出
できるよう猶予を与えてやりたいとは思っている。敵戦力を削ぐことは重要なことだが、殺さなくて済む命を殺す必要はない。しかし、ネウロイに
そんなことを考える知能はないらしい。
 はあ、と大きなため息をつく。今でもこびり付いて離れない記憶は、血生臭い戦いなどほとんどないこの場所においてもしきりに思い出されて
しまう。雨は、嫌いだ。
 ――そんなことを考えていると、不意に左手が温かくなった。徐々に染みて、体中がほかほかと暖かくなる感覚。何だろうと思って手に力を
入れてみると、柔らかな感触。……ああ、そうか。

「……あたたかいな」
「いきなりですみません、でも……なんだか、辛そうでした」
「そう見えてしまったか? すまないな」

 穏やかに笑うゲルトルート。そこに先ほどまでの緊張した様子はなく、落ち着きのあるいつもの彼女の姿であった。芳佳が握ってくれた左手が、
その一番の理由だろう。

「……ありがとう。今日はどうやら、ぐっすり眠れそうだ」
「それならなによりです」

 それじゃあ、おやすみなさい。

 今度こそ、ゲルトルートは静かな眠りについた。雷雨の降りしきる中であったが、その夜のゲルトルートの夢は母親や妹と笑いながら暮らす
楽しかった過去であった。


 ――起きた時にもその暖かさが残っているように感じられて、妙な安心感に安堵の息を吐く。目を開けてみれば、まるで自分を守るように優しく
抱いてくれている芳佳の姿があった。





 ……まったく、私のほうが歳も階級も上だというのに。礼を言わなければならないことが、またひとつ増えたらしい。


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