我レ、速度ヲ求メタリ


「フラウは……まだか」

 東京の一角、安いマンションの一部屋で、荷物と靴を放り投げる疲れきった少女の姿があった。少女というよりは女性と呼んだほうが
相応しいほどの体格であったが、年齢的にはまだ女性と呼ぶには早かろう。

「はぁ……今日も散々だった……」

 普段の彼女ではありえない、服を肌蹴させてベッドに倒れこむというラフな行動をとる。いつもは規律にうるさいはずの彼女だが、
それさえも忘れるほど今日は悲惨な一日であった。どちらかといえば、今日も、だ。

 ゲルトルートとエーリカは現在、長期休暇中。ひょんなことから知り合ったとある女性の案内で、まったく別の世界へ旅行に
来ていた。あまりに進みすぎたテクノロジーの故に説明を受けてもまったく理解できなかったが、とりあえず危険性はないらしい。
現在彼女がいるのは扶桑ではなく日本。そして一九四四年ではなく二〇〇九年である。ここのところこの地で今何をしているかといえば、
活動資金を貯めるためのアルバイトなんかをしていたりする。もともと勤勉かつ真面目で規律に則った生活をしていた彼女にとって、
仕事そのものはさほど苦になるものではない。しかし何より厳しいのはその勤務環境というか、要は周りの人間との付き合い方である。
まだ五〇一は冗談で済んでいたからよかった。だが今のバイト先は本気で嫌がろうとも平然と悪戯を続けてきたりと、半ばセクハラか
パワハラにさえなりつつある状況だ。正直もう辞めてしまいたいが、あのエーリカもバイトで稼いでいることを考えると、自分の我侭の
ひとつやふたつは我慢するべきだろう。

「はあ……不幸だ……」

 情けない呟きが、部屋に小さく響いた。蛇足だが、勿論右手に幻想を打ち消す力はない。



 そんな彼女に、ある転機が訪れる。それはある日の朝のことだった。

「んなっ!?」
「のわっ!?」

 ――街中で偶然居合わせた顔見知り。こんな街に顔見知りなどいないゲルトルートで顔を知っている相手といえば、凡そ十一人程度に
限られる。いや、カールスラントに居た頃のことを含めればもっといるのだが-今アフリカの最前線で、自分をも超えるエースとして
活躍している元同僚、或いは夜間哨戒任務でサーニャばりの活躍を見せている元同僚など-、少なくともこんな場所に来る物好きなど
そうそう居ない。そして物好きといえば、その中でもさらに数人に限られる。更に、進歩したテクノロジー目当てに来る奴といえば――、
たった一人に絞られてしまうだろう。

「なぜ貴様がここにいる!」
「あちゃー、こんなところでバッタリ会っちゃうなんてねー」
「あちゃー、じゃないっ!」
「いいだろ、別にー? あんたに迷惑かけてるわけでもなーいしー」

 赤橙色の長い髪が特徴的な、飄々とした女。髪よりもインパクトのある胸に関しては言及しないでおこう。

「で、なぜここにいるんだ」
「いやほら、こんだけ科学進んでるとスピードも段違いだろ?」
「あのなぁ……」
「本当は空がよかったんだけど、さすがに戦闘機は乗れないからさ。仕方ないから車にしようかなーって」
「お前、金あるのか」
「大丈夫。ちゃんと中継地点でこっちのレートで両替してもらったからたんまりある」

 言うなり、懐から通帳を取り出してみせるシャーロット。既に銀行口座を作ってあるあたり、流石はスピードマニアといったところか。
その速さで、既に通帳の残金は悲しいことになっている。いや、現在の景気情勢はおろか普通に考えて大金持ちの域を出ていないのは
相変わらずだが。

「……お前……それでどうするつもりだ……」
「ふふん、そうだなあ、今日の夜、十一時頃に渋谷に来いよ」
「はぁ?」

 まったく訳が分からない。だがあいにくその時間はバイトが明けて少なくとも六時間は経っているので、行こうと思えば行けてしまう
わけで。シャーロットからの更なるお誘いも加わって、結局エーリカと二人そろって渋谷まで出かける羽目になってしまった。世界とは
分からないものである。

「んじゃ、必ず来いよー。面白いモン見せてやるからさー!」
「はいはい、分かったよ……それじゃあ、私はもう行くからな」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 かくして二十三時。渋谷駅に降り立ったゲルトルートとエーリカは、徒歩でやってきたシャーロットに連れられて近くの立体駐車場まで
やってきていた。

「……な、なんだこれは!?」
「うわすっご! なにこれ!」
「あっはは、面白いだろー!?」

 階段を上りきって扉を開けたその途端、駐車場内に溢れかえる熱気とすさまじい爆音の数々に二人は圧倒される。そこに並んでいたのは、
ド派手としか言い様がないほどにチューンナップされた車、車、車、車。某エボリューションⅧや某Z、某FDなどその車種は多岐に渡る。
チューンの内容も実に様々で、ネオンやスピナーホイール、ゴツいリアスポイラーは勿論カーボンパーツからワイドボディ加工までされている
車まで並んでいた。あたりに立ち込めるのはゴムの焼け焦げた臭いとそこから湧き上がる煙、そして排気。

「あたしはまだまだ初心者でチューンなんか手が出せないからさ、ほかの人に頼んで少しだけいじってもらったんだ。ほらあれ」
「いや、あれでも十分すぎるだろ」
「車検通んの? アレ」

 シャーロットが指差した先には、リアウィングスポイラーとフロントスポイラーが取り付けられ、スモークフィルムがすべての窓に
貼り付けられた某Zが停まっていた。エンジンもかけられているようで、心臓に響く重低音を轟かせている。

「マフラーだけは自腹なんだ」
「って、ほかのパーツは他人持ちかよ!?」
「レースで勝ったら返すんだ」
「か、勝てるの!?」
「任せとけって」

 ごく普通の私服で来たためにひどく浮いているゲルトルートとエーリカだったが、大人しく観戦用のモニタが並べられた方へと立ち去って
いく。対してドライバー達の熱は更にヒートアップしているようで、かのシャーロットもその輪に入って相当イカれた顔をしている。二人は
顔を見合わせて、そして同時にため息をつく。

「……不幸だ」

 - - - - -

「まずはファーストグループ、準備いいな!」

 沸きあがる歓声。並んだ四台の車が、一斉にバーンアウトで煙を上げる。その中に、先ほどシャーロットが自慢げに話していたZの姿も
あった。

 ルールは単純明快。五階層になっているこの立体駐車場で、まず一階まで降り、その次に最上階まで上り、最後に現在位置の三階の
コントロールラインを通過。これを二周走り、最初に帰ってきた者が最下位から、二番目に帰ってきた者が第三位から金を頂くというものだ。
ちなみに金額は優勝十万、二位五万。つまり最下位になったら十万も支払わなければならないわけだ。さもなくば愛車がスクラップになる
弱肉強食の世界。

「……あいつ、大丈夫か」
「さあねえ……でもシャーリーのことだし、大丈夫じゃない?」
「随分と楽観的なんだな」

 ついに一人の女性が、四台の前方に歩み出る。そしてちょうど中央、どの車からも見える場所に立ち、その両手を高く掲げる!

「始まる」
「耳塞いどこうよ」

 アクセルを全開に踏み、バーンアウトの煙が更に激しく立ち込める。タイヤが見る見るうちに蒸発していき、そしてついに両手が、
勢い良く振り下ろされた!

 次の瞬間、鼓膜をぶち抜いて余りあるほどの爆音が四つ同時に轟く。ゲルトルートとエーリカは両耳を塞ぐが、それでも耳が痛くなる。
白煙を上げながら三台の車が走り出し、最初のターンを曲がっていく―― 一台だけ、他より早く飛び出した!

「シャーリーだ!」
「行け、飛ばせ!」

 他の三台がスリップしながら発進したのに対し、シャーロットだけはきれいにグリップして加速した。その分頭ひとつ先行し、華麗に
ドリフトを決めて最初のくだりへ飛び込んでゆく!

「決めていけ!」
「後ろきてる、ぶつからないかな」

 一瞬でくだりを駆け抜け、再びテールを振って二階の駐車場内へ飛び込んでいく。柱を避けるようにコントロールしつつグリップを
取り戻し、少し加速したところでまたドリフト。一階へ向かう坂へと針路を取っていく。ハンドル捌きはとても素人とは思えず、だが
スピードコントロールがいまいちできていない―――後続車が、徐々に近づいてくる!

「オーバースピードだ」
「ドリフトのロスが大きいね」

 グリップ時のスピードが速い分、ドリフトに入ると旋回半径が大きくなる。すべる距離が長くなれば当然それだけ速度も死んでいく。
一階へ飛び込んだシャーロットの車体は、再び大きい弧を描いてテールを滑らせる――やはりだ、後ろとの差が詰まる!

「次はのぼり、がんばれシャーリー!」
「更にスピードコントロールが重要になってくるぞ」

 一瞬グリップさせ、再びドリフトで今度は上りへと飛び込み二階を目指す――徐々にタイヤが薄くなる! 登りではオーバースピードに
なると平坦になった際に浮いてしまいグリップを失う、シャーロットの車は……適正よりわずかに速い!

「コントロール、いけるか!?」

 瞬間、ほんのわずかにシャーロットの車のテールランプが光る。目に見えるかどうかのごく微量、フロントが沈み込む。――そして
一度の瞬きの後、Zのテールは滑り出す!

 トップスピードを殺さぬまま、大きく弧を描く車体。ベクトルと車体との相違角を小さく取り、スピードを殺さずに曲がる。だが
そのままの旋回半径では壁が近すぎる、もっと半径を小さくする必要がある!

「左に切れ!」
「だめだよ、今きったらコントロールを失っちゃう」

 壁が見る見る近づき――、しかし車は安定を取り戻す。続いてテールランプを赤く光らせた後に左へターンし、再び上り口を目指して
加速する。

「カウンター当ててドリフトやめたね」
「だが壁と平行になってしまってはロスも大きい」

 加速していくシャーロットのZだが、もう一台、某GT-Rが平行して真横についた。それも次の上り口の、イン側だ。ルール上、入れ違いに
なると危険だからということで二つあるスロープのうち片方は下り専用、片方は上り専用としている。両方使えれば左右に並んでも差は
無いが、この状況ではインをつくのは厳しい。

「かぶせれるか」
「いや、退くでしょ」

 眼前に迫る旋回のポイント、GT-Rは思い切りテールを振ってスロープへ飛び込む! シャーロットはそれに巻き込まれないよう少し
右にずれて間隔をあけ――そして軽いブレーキングの後、ドリフトせずにしっかりグリップさせて頭を突っ込んだ!

「抑えられたッ」
「やっぱり……でも後ろと間隔がある、ていうか来るよ!」
「おっと、そうだった!」

 どんどん大きくなる爆音。目の前の壁が明るく照らされ、そしてついにスロープから二台の車が姿を現す! 豪快に白煙を上げて
飛び込むGT-Rと、冷静にグリップでインを突こうとするZ。二台の間に目には見えない火花が散り、そしてGT-Rが絶妙のタイミングで
グリップを取り戻す! 完全にZにかぶせる形を取り、頭を抑えられてしまう!

「シャーリー、いけええええええ!!」
「他なんか構うな、とにかく吹っ飛ばせ!!」

 気がつけば二人も、他に負けず劣らず大声を上げている。その声は果たしてシャーロットには届いたか否か、二台は再び登りスロープへ
飛び込んでいく!

「突っ込めええええ!!!!」
「いっけええー!!!!」

 白煙の奥へ、二台の車は消えていく。果たして、シャーロットは頭を抑えたか――?

 - - - - -




「最後、いけ、いけ、いけ!」
「飛ばせ! 押していけ! 来い、こい、こい、来い!!!」

 ラストの下りスロープ。既に駐車場の中央では数人の女性がチェッカーフラッグを握って待ち構えている。もう勝敗は決したも同然、
それでもドライバー達は火花を散らす。
 GT-RとZ、二台は最後までもつれ合う。この下りのスロープ、その立ち上がりですべてが決まる!!

「押し込め!!!!」
「行って!!!」

 二人が声を上げた。そして目の前に、爆音を轟き上げる二台が―――!

 ――GT-Rのヘッドライトが最初に現れる。白煙を引き連れたそれはきれいな弧を地面に描く。その白煙の奥に、Zのヘッドライトが輝く。
グリップさせてインを狙うZ。これまで通りドリフトで狙うGT-R。旋回を終えた時点で、二台は並走。GT-Rがグリップを取り戻し、加速する。

 ――勝敗は決した。

「イイィィィィィィィィィィィイイイヤハアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!!」

 チェッカーフラッグを受け、盛大にドリフトを決めながら雄たけびを上げるGT-Rのドライバー。スピードを殺さずきれいにドリフトを
決めたことで、ブレーキングでインを突いたシャーロットを最後の最後で圧倒した。ギリギリの攻防ではあったが、テールを滑らせることに
おいて練り上げてきただけのことはあるらしい。次いでシャーロットがチェッカーを受け、GT-Rの手前に停まるよう同じく華麗なドリフトを
決めて見せた。
 二人のドライバーが車から降り、互いに握手を交し合う。

「シャーリー!」
「いや、凄い迫力だった!」
「あっはは、そう言って貰えるとうれしいよ」

 シャーロットの下へ駆け寄る二人。ちょうどそのタイミングで三位が入ってきて、ドリフトを決める気力も無く素直にブレーキで停止した。

「最後は残念だった」
「まああたしの技量じゃしょうがないさ。あんた、いい腕してるね」
「お前さんこそ、良く走るじゃないか」
「そうかい? そりゃどーも」
「はー、すっごいね! めちゃかっこよかったよ!」

 談笑しているうちに最下位がフィニッシュ。降りてきたドライバーは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「そんじゃ、ごっつぁんねー」
「畜生、なんでこんなアマに負けるんだ……」
「そんな泣き言言ってるから、だよ! んじゃ、どうもねー」

 あれだけ飛ばしたにも関わらず疲れた表情を見せないシャーロットは、今日はリアシートもつけてきたからとゲルトルートとエーリカを
乗せて帰路に着くのだった。

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「もう一グループあったよね?」
「向こうの集団はさながらレーシングカーだったな」
「あっちはまだまだ、今日あたしに勝ったあいつでもドン尻だろうね」

 帰りの車の中で、三人は雑談に興じる。シャーロットはつい最近この車を入手して以来、こうして集会に参加しては稼いでいるらしい。
今のところ今日含めて五回参加し、黒星は一回。残りはすべて白星だが、白星とは言っても今日のような入賞のみだ。優勝はまだ一度も
しておらず、優勝するためにチューンする費用を稼いでいる最中らしい。

「良くこんなモノに手を出すな……私は到底やる気にならんよ」
「やっぱり速い物には惹かれちゃうんだ。本当はもっとスピードを出したいんだけど、アンダーグラウンドはまだまだ先だね」
「アンダーグラウンド?」
「アブないレースのことだよ」

 これまでシャーロットが参加してきたイベントはすべて、土地所有者がスポーツコンパクト車を保有するために開催している集会だ。
つまりは私有地かつ所有者の許可を得た集会。そのため例え無免許の人間が走行しようとも、私有地であるが故に違法性は無い。どれだけ
ドリフトを決めようと、どれだけ路面を傷つけようと、所有者が許可しているのだから合法である。
 だが、スピナーホイールやネオンを装着し、ド派手なカラーリングを施していたもうひとつのグループは別物だ。あちらは公道レースも
行う非合法な人間ばかりで、事実、今日のレースも比較的交通量の少ない公道を選んでコースとしている。即ち公道を爆走するコースであり、
当然そんなものが認可されているわけも無いので違法行為になる。そうした違法なレースを行う世界のことをアンダーグラウンドと呼び、
警察には目の敵にされているんだとか。

「まだ日本だから大人しくていい方だよ」
「……どっちが」
「勿論警察が」
「はあ……こいつ、本気で頭のネジが狂ってる……」
「否定はしないね」

 楽しそうに笑うシャーロット。いずれはそうしたアンダーグラウンドの世界にも首を突っ込むつもりで居るらしい。流石にいくらなんでも、
元は別の世界の住人とはいえ軍人が逮捕されるのはすばらしく問題があるだろう。逮捕というよりは違法行為か。だが今説得を試みた所で
応じるわけも無い。

「てか公道でそんなスピード出したら、普通に事故るんじゃないの?」
「下手糞はね」
「お前はどうなんだ」
「あたしはまだまだ下手糞な部類さ。でもいつかちゃんと事故らないように走って見せるよ」
「走るな! 貴様は軍人だろうが!」
「こっちの軍人じゃないから大丈夫だって」

 他人の迷惑を考えない、最低の人種。ゲルトルートが忌み嫌う人種であり、それなのに親友であるが故に嫌いとすっぱり切り捨てることも
できない厄介な相手。
 ……これは随分と、面倒なことに触れてしまったかもしれない。ゲルトルートは内心、やはりこんな奴の誘いになんか乗るべきではなかったと
激しく後悔していた。

「……不幸だ……」

 奇しくもそれは、エーリカとシンクロする。

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 数日後。


「というわけで思いついたんだ」
「何が『というわけで』なのさ」

 某ゲーム機『遊ぶ駅』の二代目で某アンダーグラウンドの車道をプレイしながら、ゲルトルートが閃いたように突如口を開いた。ポテチを
食みつつスオムスいらん子中隊の二巻を読みふけっていたエーリカだったが、流石に顔を上げてゲルトルートのほうを見やる。画面では、
ゴテゴテに改造されたハマーが反対車線を爆走していた。

「あいつを打ち負かし続ければアンダーグラウンドに出るのはやめるんじゃないかと」
「はぁ?」
「いやだからだな、公道レースはある程度以上技量と速度が必要なんだろう? なら、それを認めさせないためにずっと負かし続ければ
「言いたいことはじゅーぶんにわかったよ、うん。誰がそれをやるのさ?」

 つまりは勝ち続けさせると調子に乗って公道に出てしまうから、だったら負け続けさせれば公道には出ないのではないかという考え。しかし、
今二人の身の回りでシャーロットを負かし続けることのできる人間など、果たして居るものだろうか。そんなコネは少なくとも二人には
ないし、コネを作ろうにもどうやって探せばいいのかも知るわけが無い。
 とエーリカがそんなことに思いをめぐらせていると、ゲルトルートが再び口を開いた。

「知り合いなんていないからな。私たちでなんとかするしかなかろう」
「……はあああぁぁ? どしたの? 頭おかしくなった?」
「私たちの身内の問題は私たちで解決するべきだ」
「解決できる問題とできない問題、むしろ私たちが解決してもいい問題としちゃいけない問題ってモンがあるでしょ」
「いや、でもこれは何とかしないと危な
「いい? これは私たちが首を突っ込んでいい問題かな?」
「いやだってもう半分突っ込んでるようなも
「私たちはまだ手も足も汚してません! 他の人に頼めばいいでしょ!」
「でも他の人って言ったって、私たちは誰も知らな
「シャーリーのツテとかじゃだめなの?」
「あいつのことを取り込もうとしてる連中かもしれな
「疑ってかかるのはよくない! というかまず先にそっちを試してからでしょ!」
「ま、まあ、そういうならそれでもいいんだがな、うん……でも他の人に迷惑をかけ
「トゥルーデはちったぁ人に迷惑かけることを覚えなさい! あ、でも十分迷惑かけられてるか」
「お前に言われる筋合いは無い!」
「んー? なんのことかなー」

 かくしてゲルトルートの足りない脳で考えた結果はじき出された回答はエーリカの前にあえなく撃沈したのであった。

 それからエーリカは東京においてもシャーロットとつるむようになり、そのツテから少しずつ周りのドライバーとも交友を深めるように
なった。そして少しずつ周りのドライバーに相談を持ち掛けるようにもなったものの、しかし。

「だああ! なんて物分りの悪い連中!」
「お前にそれを言われるのも随分と癪だろうけどな……」
「皆してシャーリーと一緒に公道走りたいっていうんだよ!? うちの大事な友達をどーするつもりだっての!」
「相手が誘拐犯かと思わせるような台詞だな」
「もし事故ったらどうしてくれるんだろ! これで逮捕とかなったらどうするつもり!」
「そもそも自業自得といえば自業自得だがな……」
「他の連中なんて当てにならないよ! トゥルーデ、もう私たちでやろうよ!」
「お前、それ否定してたんじゃなかったのか……」
「よーし、そうと決まればまずは車を買うことから! トゥルーデの貯金いっぱいあったからそれ使えばそれなりの車は買えるでしょ」
「しかも私持ちなのかよ」
「んじゃちょっとディーラー行って来る」
「待っちょ」

 ガッ。

 エーリカの肩をがっしりと掴むゲルトルート。確かに今は昼間であり、二人ともバイトは休み。特に祝日とかでもないので、ディーラーに
行けば普通に車は売っているはずだ。
 が、しかし。

「……私に拒否権は無いのか?」
「え? だってこのプランノリノリだったじゃん」
「せめて財布ぐらいは割り勘にしないか」
「え? だってこのプランノリノリだったじゃん」
「いやな、その、お前も同意というかむしろ現状ではお前のほうがノリノリなのに私の金だけというのはおかしくないか?」
「え? だってこのプランノリノリだったじゃん」
「……そりゃあ提案者であるのは確かだが、なあ……?」
「え? だってこのプランノリノ
「いい加減コピペをやめんか!」
「コピペじゃないもん! 全部手打ちだもん!」
「知ったことか! いいから貴様も金を出せ!」
「えー、だってジュースとかお菓子とかでだいぶ消えたよー?」
「まだ大元の口座に腐るほどあるだろうが! どうせ貴様もそんな大金を使う機会など無いんだ、ならば貴様も払え!」
「うう、ひどいよー」

 結局ゲルトルートの提案で、ゲルトルートの口座で引き落とせる分はすべてゲルトルートの口座で引き落とし、それで足りないようなら
エーリカの口座からも引き落とすことに。そして最終的にかかった金額を割り勘し、残金の整理をする方針に決まった。ただ、芳佳でさえ
半月分の給料でご飯四千杯分(一日三杯プラスおかず諸々で大目に見て一日十杯分と計算しても四百日は食っていける計算)だった。それが
数年の勤務に加え大尉という階級、更に撃墜スコアも世界トップレベルとあれば、金額は馬鹿みたいに膨れ上がっているはずだ。それを
今まで妹の治療費にしか使ってこなかったゲルトルートの資産は、いったいどれほどの物か想像さえつかないほどである。それだけあれば、
フルチューンしてもまだもう二台ぐらいは買えそうな気さえしてくるというものだ。

「んじゃ、とりあえず行きますか」
「ああ。ところで」
「うん?」
「レースに出るのはいいが、運転はどうするんだ?」
「トゥルーデがシャーリーに教わればいいでしょ」
「うむ、そうか。いっぺん死んで来い。うん」
「うわ、ひど」

 - - - - -

 それから幾週間か、エーリカもシャーロットに会うことはなくなっていた。元々運転のできないゲルトルートを、運転どころかレースに
勝てるほどの腕に扱きあげなくてはならないのだ。先の『知り合い作り』からできた走り屋の友人たちにも頼み込んで、とにかく毎日ひたすら
スパルタで教育している。その成果も徐々に現れ始め、公道は交通法規はともかく走るだけなら当たり前に走れるようになった。加えて最近は
スピードの制御にも慣れ始め、少しずつではあるがレースに馴染みつつもある。
 練習漬けの毎日だったが、そろそろ疲れも溜まってきているはず。そんなエーリカの気遣いもあって、今日は練習は休みだった。バイトと
並行して練習を続けてきていたのだから、ここのところ顔にまで疲労の色が出始めているのも無理はなかろう。そして気がつけば二十三時、
あの立体駐車場にやってきていたのだった。

「相変わらずすごい熱気だねー」
「……なんというか、私たちも他人事じゃなくなってきてるがな……」

 会場を見渡して、あのZがいないことに気がつく。もしかして今日はシャーロットは来ていないのだろうか、と思ってもっとよく見てみる。
すると――

「あれ!? 二人じゃん、久しぶりぃー!」
「シャーリー! その車どったの?」
「へっへへ、かっこいいだろ! 稼いだ金でやっちゃってさ!」
「なっ、お前これ、前のあの車か?!」
「そうだよ、もしかして別の車かと思ったかい?」

 確かにそこに、Zはあった。淡いパープルのネオンライトに漆黒と赤のボディ、カーボン製のボンネットにイカしたエキゾースト。ライトも紅く
輝いており、あちこちにパーツメーカーのステッカーが貼られている。そして何より、ドアに貼り付けられたバイナルが強いインパクトを
放っていた。

「これ……悪魔?」
「なんでも、対象を結界でごく狭いスペースに押し込んでから壁もすり抜けて相手を翻弄しつつ鋏で八つ裂きにしちゃうんだとさ」
「下らんな……そんなものが実際にいるなら見てみたいものだ」
「ちなみにデス・シザーズって言うらしいぞ」

 内容はどうあれ、鋏を持った闘牛の頭蓋骨のシルエットは見るものすべてに恐怖を与える。閉鎖された空間内で相手をスタボロにする、
それは立体駐車場やサーキットと言った限られたスペースで相手をブッ千切る走り屋のこととも言えるだろう。そのつもりでシャーロットは
このデザインを選んだらしく、その頭蓋骨の纏った黒いカーテンは速度の故か強く靡いている。

「あともうちょっとチューンしたいところがあってね、まだまだ資金が足りないんだけど、そこを弄ったらついに公道デビューさ」
「オイオイ、本気かよ」
「ったり前だろー? 公道に出るのが走り屋として最初の一歩だよ!」
「ああ、そう……」
「なんだよ二人とも、ノリ悪いなぁ! ま、とりあえず今日はいつも通りここのレースだからさ、見てってくれよな!」

 ニカ、と輝く歯を見せて笑うシャーロット。全く暢気なものである。二人は苦笑しつつもその場を離れ、シャーロットの参加する第二
グループのレースを見届けた。いつの間に成長したか、今では大差をつけて一位を掻っ攫っていくようになり、参加者からは大喰らいと
呼ばれているらしい。
 ――自分たちは、これを相手にしなくてはならない。エーリカとゲルトルートは、ほんの少しだけ怖気づくのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 シャーロットの走りを見て以来、ゲルトルートの練習はさらに熾烈を極めるようになった。無論それはゲルトルートから言い出したことで、
故に『友人』達も容赦をすることは無い。エーリカも生活面でそれをサポートするようになり、ゲルトルート自身も文字通り死ぬ気で練習に
励むようになった。時折危険な運転で友人から強く咎められることも多いが、危険な運転はそれだけ腕の上達も早い。

 日々、彼らの持つ広大な駐車場には、いびつな弧が描かれ、白い煙が上がる。心臓に響く爆音が、今はまだ我侭だ。もっと速く走らせてくれ、
もっと格好よく曲がらせてくれ。もっともっと、遠くへ行かせてくれ。もっともっと、危なく走らせてくれ。エンジンをかけるたびに、二人は
車に強く訴えられている気がしてならなかった。時折ゲルトルートは車を撫でつつ、一人つぶやく。もう少しだけ、待ってくれ。そうしたら
もっと上手くなって、きっとお前を速く、格好よく、遠くまで走らせてやれるから。

 ある日、『友人』との模擬戦をやったことがあった。駐車場にパイロンを並べてどちらのタイムが早かったかを競う、いわゆるジムカーナ。
相手が大分手加減をしたとはいえ、その日初めてゲルトルートは白星を獲得。エーリカと抱き合って喜んで、二人きりながらも部屋で盛大に
パーティを催した。

 その後も順調に腕は上がり、ついにはシャーロットとは別の駐車場レースに出場するにまで至った。こちらは六台同時出走で、賞金形態は
シャーロットが参加するレースと同じく一位十万の二位五万、資金源は最下位とブービー。ゲルトルートはここで初出場二位という輝かしいと
呼んでも差し支えないデビューを果たし、それでもその結果に甘んじることなく練習を続けた。シャーロットにばれてしまうと元も子もない
ため、いつもレースに出場するときはそれなりの格好で参加した。

 ――数日後。やがて練習場で、ついに『友人』達全員に対して白星を挙げる。相手のミスや路面状況など様々な面でゲルトルートに有利な
状況だった場合が多かったが、それでも勝ちは勝ち。ついにこの練習場を卒業し、シャーロットの参加するあの立体駐車場のレースに参加する
運びとなった。

「……皆には本当に感謝しているよ。ありがとう」
「水臭えこと言うなって、これからはお互いライバルだ。よろしくな」
「ああ、よろしく」

 一人一人と握手を交わして、そして今日貼り付けたバイナルを眺める。

「いいセンスしてんじゃん」
「選んだのはエーリカだよ」
「えっへへー、あんがとー」

 気がつけば、ゲルトルートの乗る車も随分と派手になったものだ。シャーロットに負けず劣らず、中身のチューニングから外見まですべてが
純正からごっそり変わっている。もう五○一に戻らなくてはいけない日が近づきつつあるが、なんだかんだでこの車も持って戻ってしまいそうだ。
それほどに二人はこの車に入れ込んでいる。二人の中ではこの一台は、親友と呼ぶに相応しかった。

「そろそろシャーリーの嬢ちゃんを引き止めるのも限界だ。実力見せてやんな!」
「ああ、やらせてもらおう!」

 ゲルトルートは今日、日ごろレースに参加するときの格好で来ていた。いつもは練習するときは私服なのだが、今日に限ってはレースに直行
する格好だ。
 ――少しずつ。時が、満ち始めつつあった。

 - - - - -

 ゲルトルートが練習会場を出てから数分。そんなことを知る由も無いシャーロットたちの集まる立体駐車場に、一台の見覚えの無い車が乱入した。

「うおっつ!? なんだあれ!?」
「フォオオウ、すっげえ! イカすじゃねえか!」

 ――グレーの迷彩塗装が施され、ワイドボディ化に各種エアロ、ネオンやカーボンボンネットの加工が施された某エボリューションⅧ。そして
両ドアには、大剣をその背に、拳銃をその手に握った悪魔狩人のバイナル。傍らには、英語で『悪魔も泣き出す』と描かれていた。この中では一番
チューンされていると言っても過言ではないほどの威圧感で、エキゾーストから漏れ出す爆音はさながらピースメーカーだ。

「オイオイ、勘弁してくれよ」

 満面の笑みで言い放つシャーロット。言葉とは裏腹の楽しそうな表情。真っ黒なスモークにフルフェイスのヘルメットでドライバーの顔は
見えないが、シャーロットには相手の顔が見えているか同化など関係なかった。それだけ改造されたエボリューションがそこにいる、ただ
それだけで動機は十分だ。

「おっし、始めるぞ! いい勝負ができそうだ!」
「おうよ! オラ、さっさとかかれ!」
「ヒョォォォオオウ! 最高だぜ!」

 突如現れた参加者を前に、全員のテンションは最高潮に上がった。

 そして並んだのは、シャーロットのZにエボリューションⅧ、性能だけで言えばこの中で最速を誇る某R35と、そして某社のFTO。いずれも
セッティング・チューン共に最高レベルである。車の性能で言えばR35のトップがほぼ確定、残り三台がどれだけR35に喰らいつけるかと言う
ところだ。ルールは今までどおりのため、シャーロットが賞金を獲得できるかはいかに他車を押さえ込むかにかかっている。
 各車がバーンアウトで煙を上げ、ボンネットからはパージバルブからの煙が噴出す。やがて一人の女性が歩み出て、その両手を高く掲げる!

 ――負けないからな。 ――勝ってやる。

 二人のドライバーが、心中で小さくつぶやいた。


 ―――掲げられた両手が、勢い良く振り下ろされる!!

「ブッ飛ばせえええ!!」
「ブチ抜いちまいなァ!!!」
「『大喰らい』を喰らっちまえ!!」

 バーンアウトで暖められたタイヤが、地面を捕らえて離さない!

 全車が一斉にスタートし、最初のスロープへと飛び込んでいく。ポジション的に一番有利だったシャーロットがまずトップで飛び込み、下りを
加速。そして下りきった地点で、得意のドリフトでファーストコーナーを切り抜け―――乗った速度で、イン側の空きをものともしない!

「ハッハァ、追いつけるモンなら追いついてみな!」

 端からR35に抜かれるのは予想済み。現在のシャーロットのライバルは、R35を除く三台だ。……今まで通り、全部喰らい尽くしてやる!

 再び華麗なドリフトで下りスロープへ飛び込んでいくシャーロット。一見無駄の無い動作。だが、後方から僅かずつ影が忍び寄ってくる。ミラーに
写るR35の姿、抜くならさっさと抜いてくれ。シャーロットはラインを崩さない程度にインをあけるよう、一階のスロープを下りきった地点で
きれいなドリフトを―――

「なッ!?」

 後方から詰め寄る影、それは一台ではなかった。華麗にインを突くR35、そのすぐ背後にぴたりとついてZを抜き去る、エボリューションの姿!
まさかここで抜かれるなんて。シャーロットはナイトロを微量吹かして速度を上げると、ドリフトを強制停止させてグリップさせる。それと同時に
ブレーキング、前に加重を移してドリフトでスロープへ食い込む!
 ナイトロを吹かせただけあり、抜き去ったエボリューションのすぐ背後につく。もし公道レースであればスリップストリームで悠々と抜き去る
ところだが、狭い駐車場ゆえにスリップストリームなど皆無だ。

「くそっ、調子になんか乗らせねえぞ!」

 二階へ舞い戻る車。しかしエボリューションも絶妙のタイミングでナイトロを吹かし、上手く速度差をつけることができない。特にシャーロットは
一台を追い抜くほどの速度を上げなければならないのに対し、エボリューションは抜かせさえしなければ問題ない。ナイトロの消費量も速度効率も、
まるで違った!

「抜けない……なんでっ……!」

 これまでシャーロットが、他のドライバーにしてきたこと。それを、ただエボリューションのドライバーもやっているだけのことであった。
後方は意気込んで抜きにかからなければ抜けないのに対し、これだけ狭い会場ではスロープから上がる時点でインを突けていなければ追い抜きに
かかることはできない。インが空いてしまうという技術上の欠点をナイトロで補っていたシャーロットには、この状況はあまりに厳しい!

「オラァァ!! 吹っ飛ばせええええ!!」
「いいぞ! 大喰らいを泣かせてやれ!」
「オイオイ大喰らい、俺からあんだけ毟り取っといて勝てねえなんて抜かすなよ!!」

「誰が……誰が負けるかよォォ!!」

 ――シャーロットがアクセルを踏み込み、ぐっと加速。その慣性を乗せたままスロープに飛び込み……ドリフトながら、きれいなアウトイン
アウトを決めてのぼりへ駆け込む! その一瞬、エボリューションとの差は数センチにまで縮まり、そして四階にたどり着いた時点でインを
辛うじて押さえ込む――いける!
 だがエボリューションのほうが反応は速かった。いや、違う――スローイン・ファーストアウトを、忠実に守っただけだった。

「なんでだ!?」

 ただでさえ回転数が低い時のトルクが細いスポコンなのに、ターボ付なんてピーキーなエボリューションとあれば通常は走れたものではない。
それでも公道レースならまだスピードで勝負できるが、こんなトルクがモノを言うレースで遅れを取るなんて。……そこでふと気がつく。

「……そうか!」

 極限までトルクチューンがなされた上にナイトロの効果。最高速をまるっきり全て捨てて、トルクに全ての配分を振っている。つまり高速域では
全く伸びない。
 ―――ドリフトをナイトロで強制停止させて加速すれば、直線区間で抜きにかかれる!

「やってやる!」

 最上階、一番見晴らしが利く場所。だがその分スペースは一番狭く、抜きにかかれる場所ではない。シャーロットは執拗にエボリューションの
背後を狙い、ぴたりと後方につけることだけを意識する。もっとも広いのは三階で、そこが一番のパッシングポイント。逆に言えば、あと二回しか
ない三階を逃せば勝機は無くなる!

「見てろよ、そのツラを泣き顔に変えてやるからな!」

 下りスロープでもイン側に首を突っ込み、相手のコーナリングをスムーズにさせない。イン側を抑えられると、アウトに振る分のスペースを
消すためアウトを押さえ込む。R35は随分と先に行ってしまったようだが、シャーロットの敵は目の前のエボリューション、ただ一台だけだ!
 二度のターンの後、再び三階へのスロープへ飛び込む。二度しかないチャンスのうち一発目、何が何でもここで決めてしまいたい――いや、
決めるんだ!

「いっけえええええええええ!!!!」

 無理矢理インに首を突っ込み、ねじ込むようにインを切り開く。接触を恐れたエボリューションはたまらずアウトへ逃げ込み、そして
シャーロットは盛大にドリフトをかます――テールを振るためにスペースが削られ、エボリューションが完全に後退する、してやった!

「ハッハァ!!」

 ドリフトを最小限に抑え、ナイトロを思い切り吹かせる!! 三階のギャラリーの目の前を、限界まで加速する!!

「イーヤハァァァ!!!」
「いいぞ、やっちまえ!!」
「オラ新人、あんなのに負けんじゃねぇぞ!!」
「新人、抜き返せ!!」

 シャーロットを応援する人間と、エボリューションを応援する人間。二つの歓声が飛び交い、それらがシャーロットの聴覚を刺激する。
――こんなところで、新入りなんかに白星を挙げるわけにはいかねえんだよ!!

「次、決めるぞ!」

 二階へ降りるターン、ここを失敗すると抜き返される。綺麗に決めろ――今だ、行け!!

 いつもどおり前に重心をかけ、テールを滑らせる。美しいまでの白煙を上げ、Zはぴったりスロープへ突入し――それでも白煙が止まらない!
スロープを大きく弧を描いて抜けると、ドリフトを維持したまま二階へ突入! スロープで体勢を崩すことなくスライドさせ続け、そして
二階もナイトロを全開に吹かせる!!
 加速Gでシートに押し付けられ、それでもブレーキだけは怠らない。再びドリフトをかまし、今度は一階へ下るスロープへ……綺麗に決める!

 かなりの好タイムで駆け抜けるZ。走っているうち、徐々に前方にテールランプが見えてくる。R35――もしかして、狙えるかもしれない。
やってやろうじゃないか、新型だろうと関係ない、全部喰らい尽くしてやるのが自分のスタイルだ! シャーロットは前方にターゲットを
絞り、そこへ向けてひたすらに加速する。ドリフトのペースも上げ、さらにドリフト明けをナイトロで補う。ナイトロの容量はまだまだ
十分、この調子ならレースを終えた後に余る位だ。だったらいっそ、使い切ってしまったほうがいいだろう!

「待ってろ35、ぶっ飛ばしてやるからな!」

 再び上りスロープへ飛び込むZ。二階もドリフトで飛び込み、ナイトロで加速。三階へのスロープに今まで通り突入し、そして三階へ――
ここで、一気に間を詰めてやる!

 ―――だが一瞬。背後が真っ白に輝いて、本能で危険を感じたシャーロットはアウト側へハンドルを振る。刹那、後方から強烈に何かを
吹かせる音が轟いて、そしてドリフトをかまして三階へ入るシャーロットのZの目の前――大きく開いたイン側を、再びエボリューションⅧが
駆け抜けていく!

「まずッ――!?」

 後方を見ていなかったのが悪かった。エボリューションⅧは常にそのトルクを生かしてシャーロットのすぐ真後ろにつけていたというのに。
利用されるだけ利用されて、このまま負けるなんて。――そんなこと、許してたまるものか!

「っざけんなあぁぁぁ!!!」

 ナイトロを全開に吹きつけ、エボリューションの後を追う。だがこのタイミングではもう遅い、すぐにブレーキングのタイミングがやってくる。
無理だ、シャーロットはブレーキを踏む。今まで通りテールを滑らせ、しかしエボリューションはシャーロットと同じ走法で前を詰める!
ラインは綺麗でトルクも強い、立ち上がりはナイトロで加速。大きな欠点を無理矢理ごまかしていた走り方では、到底太刀打ちなどできなかった。

「そんな……嘘だろ……!?」

 ――エボリューションは、次第にR35に吸い込まれていく。勝負は、全く読めなくなった。

 - - - - -

「最後の下りだ!」
「くるぞ、どっちが前だ!?」
「来い、来い! いいモンみせてくれ!」

 最上階まで駆け上がった車たちが、最後に三階へ帰ってくる。そして先頭は既にスロープへ突入しており、最後のターンを決めればこれで――!

 輝くライトが飛び込んでくる。それは青く輝き、ギャラリー達を染め上げる。白煙を上げる華麗なドリフト、鈍く光を照り返すカーボン。その
姿は紛れも無い、八代目・エボリューション。

「っしゃああああ!!!!」
「来たぜ来た来たキタアアァァァ!!!」
「ラストだ、行け! ブッ千切れ!!」

 最後の最後に、ドリフトなんてお構いなしでナイトロをかますエボリューション。まるで何かに弾かれるように加速した車は、すぐ後ろに
ぴたりとつけたR35との差を、それでも徐々に縮められ―――だが!

「フィニイイイイイィィィッシュ!!!」
「Yeeeeeeeeeaaaaaaaaaaaaaahhhh!!!」
「ニューヒーローの誕生だ! イーヤハー!!」

 コントロールライン。チェッカーフラッグを振るう二人の女性の間をすり抜けた時点で、エボリューションが半分ほどリードしていた。

 ――R35を打ち負かした、最速のエース。今までの大喰らいを、大差をつけてブッ千切った英雄。奴には敵わないとさえ言われていたトップをも
追い抜いた実力は、未だかつて無いものだった。
 半歩遅れて、シャーロットのZが三階へ舞い戻ってくる。ここへ来て、数週間ぶりの黒星。シャーロットは信じられないといった表情で
チェッカーを受けると、早々に車を停止させる。あせった様子で車から降りると、一目散に――あのエボリューションⅧの元へ駆けた。

「あんた、いったい何者だ!」
「……」
「どうやったらあんなに速く走れるんだ!?」

 元々エボリューション系列はラリーを想定して作られた車であり、ハイパワー故に低回転域では特に伸びが悪いのが特徴だ。速く走る
には高い回転数を維持しなければならないず、一度回転数が落ちると再び上げるのにはタイムラグが発生してしまう。故にアクセルワークが
他の車よりさらに細かくなり、いわばピーキーな車になっている。地面がグラベルであればまだしも、完全ドライのアスファルトでは
早々簡単に扱えるものではないはず。それが振り返ってみればどうだ、周りを圧倒して堂々の優勝である。ある意味で納得が行かないのも、
当然のことといえるだろう。

「あんたすげえな! まさか抜かれるなんて思わなかったぜ、いやあ、いいレースだった!」

 R35から降りてきたドライバーが、エボリューションのドライバーに握手を求める。ウィンドウをあけて手を出しただけだったが、
それでも握手に応じる意はみせている。それぞれ手を取り合って、互いの健闘を称えた。

「残念だったな大喰らい、黒星は本当に久しぶりじゃないか?」
「くっそ……まさか……だあああ、考えてもしょうがない! ホラ、これでいいだろ?」

 小難しいことが嫌いなシャーロットには、もう考えるより受け入れるほか無いという結論に至った。まだ納得はできないが、どうやら
相手もあまり話したがっていないらしい。それを無理矢理口を開かせようとしても、栓の無い話だ。さっさと財布から五万を出すと、R35の
ドライバーにそれを渡す。

「ごっつぁんね」
「あーもーとっとと行けよ! くそ、帰ってバルクホルンたちに愚痴ってやる!」

 シャーロットが毒づく。それに呆れたか、はたまた単にレースが終わったからか。エボリューションのドライバーは最下位のFTOの
ドライバーから十万を受け取って、早々に帰宅した。シャーロットも、家に帰るより先にゲルトルートとエーリカの住まいへと向かった。

 - - - - -

「聞いてくれよ!」
「だからいきなり何の用だ」
「愚痴だよ愚痴! 今日初めて来た奴がかなり凄い奴で!」
「はいはい、お茶飲んでまずは落ち着いてねー」

 突然押しかけてきたシャーロットに戸惑いながら、ゲルトルートとエーリカはとりあえず迎える。まるで酔っ払いのような勢いだったが、
一応酒は入っていない。
 エーリカが紅茶を淹れて飲ませ、ゲルトルートが肩を揉み、叩いてマッサージ。数分間そうしていると大分シャーロットも落ち着きを
取り戻したらしい。ふうと息を吐いて、エーリカが出してくれたスナック菓子をつまみながらようやく口を開いた。

「そうそう、でさあ。今日いきなり新しい奴が飛び入り参加してきてさ」
「ほう? どんな奴なんだ?」
「エボⅧ、って言って判るか?」
「あー、あれね」
「わからんことはない」
「それをフルチューンって言ってもいいぐらいにチューンしててさ」

 それでもシャーロットの車には敵わないはずだった。チューニングは完璧でも、スピードを生かせる公道レースならまだしもオンロードでの
駐車場という限られたスペースでのレースではそう簡単に勝てるものではない。そんな車で、性能的には一番速いはずの車さえも追い抜いて
一位になってしまった。随分久しぶりの黒星にシャーロットも動揺を隠せず、その為に家に帰るより先にこの場所へ来たわけだ。

「へえー……どんなドライバーだったの?」
「それがよくわかんなくってさ。レーサージャケットにフルフェイスはめてたから顔が見えないんだ」
「そんなに知られたくないのか、そいつは」
「みたいだねぇ」

 テレビでは、爆走するスポコンカーたちがレースしている映画が流れている。おとり捜査として紛れ込んだ主人公が、他のライバルたちと
競い合っているようだ。公道をふっ飛ばすその姿は、車に憧れる人ならば誰しもが食い入るほど激しく、そして美しい。シャーロットも
いずれその場に出たいのだろうが、しかし映画の中ではクラッシュシーンも相当過激なことになっている。公道を百キロ以上、場合によっては
二百キロ以上で飛ばしているのだから当たり前だ。上手く着地できなければ、最悪は即死。だが着地できるかどうかは衝突したときの体勢
次第であり、もっと言えば衝突時に即死することも珍しくなかろう。逆に言えば、それだけの速度が出ている状態で衝突して生きているほうが
珍しい。それだけ危険な行為故に、出来ればゲルトルートとエーリカはそんなことに首を突っ込んではほしくなかった。

「いいなぁ、私も公道走りてえよー」
「危ないからやめておけ、というかお前には無理だろ」
「『アイツ』に負けたからなあ、ちょっと自信無くしちゃった。でもいつか走ってやる」
「ていうか思うんだけど、これって純粋にああいう改造楽しみたい人たちからしたらいい迷惑だよね」

 エーリカがぼそりとつぶやいたのに、二人は完全沈黙。エーリカも二言目を発することなく、しばらく映画の音のみが部屋に流れた。

 スポーツコンパクトとしての改造そのものは違法行為にはならない。車検に合格するように注意してチューニングされた車も多く、一部
力を入れすぎて車検に通らないほどのものもあるが、それも通常は公道を暴走したりはしない。シャーロットが集っているような、いわゆる
『暴走族』がスポーツコンパクトに手を出し始めただけ。改造を楽しみたい人とは本来は一線を画しているべきなのだが、スポーツコンパクトの
ルックスに惹かれた暴走族が真似をしだしたのがいけなかった。おかげで今では、改造車と暴走族がイコールで結び付けられてしまうケースも
少なくなくなってきている。

「いい加減人に迷惑をかけるのはやめたらどうだ」
「う……そう言われるとちょっと重いな」
「まあ、今はまだ私有地だからいいけどさ。公道はマズいんじゃないかな」
「そりゃあ、そうだけど……ううーん」

 どうやらシャーロットも少しは良心があるらしく、いくらスピードやスリルを求めるとは言っても他の人の迷惑となるとちょっと考えるようだ。
見たところそれは今生まれたものでもないらしく、前々から疑問には思っていたらしい。今はまだそのつもりはないらしいので、ゲルトルートの
『そんなに速度を求めるならサーキットに行け』という言葉を最後にこの話題は終わりとなった。
 結局シャーロットはその日、ゲルトルートとエーリカの部屋に泊まりこんだのだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――心配事は、得てして現実になるものだ。


「フォウ! ついに来たな!」
「おう! 一発やってやるよ!」
「でも初めてなんだろ? 死ぬんじゃねえぞ!」
「任せとけって、こう見えてホントはちょっとスゴい仕事してんだからさ!」

 ……あの駐車場に、再び四台の車が並ぶ。一番右端には、見慣れたZの姿。そしてそれらの車は、駐車場から『外』へ向けてスタンバイ
されていた。

 シャーロットはその後も場内レースではエボリューションⅧに圧倒されっぱなしだった。何度も挑まれ、その度に二位か三位に落ちている。
だがこの中で『奴』に勝てた人間が居ないことを考えると、たとえ勝てなくとも公道に出るには十分な技量をすでに持っているはず。元々
憧れていたこともあり、そそのかされて今日はついに外のレースへ参加することになったのだ。晴れ舞台にシャーロットは柄にもなく緊張を
見せているが、それと同時に止めることの出来ない高揚感も感じていた。

「うーっし! それじゃあいくぞ、ゴール地点はいつもと同じだ! つけられんじゃねえぞ!」
『おうよ!』

 ――いつも通り、一人の女性がトーチを持って現れる。四台の正面に立ち、そしてその両手を高く掲げる。

 ついに、初めての公道レース。シャーロットの胸に、若干の戸惑いが生まれた。

 ――『いい加減人に迷惑をかけるのはやめたらどうだ』
 ――『公道はマズいんじゃないかな』

 ……今ならば、まだやめられる。意気地なしと周りから罵られても、まだ私有地で遊んでいただけで犯罪者にはならなくて済む。

 だが。

 ――ま、バレなきゃいっか

 二人には、内緒にしておけばいい。シャーロットは気持ちを切り替えて、初参加でいきなりトップになりあがろうと決心する。この世界で、
頂点に立ってやるんだ。ウィッチーズ隊でも、速度は誰にも負けなかった。
 ―――勝ってやる!

 そしてついに、トーチが勢い良く―――振り下ろされる!!

「行け、突っ込――」
「よっし……」

 一斉に湧き上がるギャラリー。だがそれは一瞬で収まり、顔面は蒼白に変わっていた。……それは、シャーロットが最もそうだったかもしれない。

「なああああああああああ!!!???」

 スタート直後。駐車場から飛び出したその瞬間、目の前に突如車が現れた。……急ブレーキで間に合う距離かどうか、わからない。勢い良く
テールをスライドさせてドリフトし、その抵抗で一気に減速させる。現れたほうの車もシャーロットの車から離れるようにハンドルを切り、そして
同じ方向へドリフトをかました。同方向へ回転すれば、衝突の危険はぐっと下げられる。
 ――何とかぶつからずに、二台は停車。他の三台は既に公道に繰り出しており、シャーロットはリタイア扱いとなった。

「おいテメェ、なんのつもり――」

 ……そこに停まっていたのは、あのいつもシャーロットを打ち負かし続けていたエボリューションⅧ。そして今日は、そのドライバーが初めて
顔を見せていた。服装はいつものままだったが、珍しくフルフェイスのヘルメットを嵌めていなかった。
 当然といえば、当然だった。

「やめておけと忠告はしておいたはずだがな」
「やーっぱりやっちゃうんだ。シャーリーってば目先の欲求に対して抵抗ないねー」

 ――そこから降りてきたのは、二人の少女。見紛う事なき、ゲルトルートとエーリカだった。

「な……なんでお前らがその車に乗ってんだよ!?」
「なんでもどうもこうも、ずっと私はここに来ていたぞ? いやあ、スピード狂と散々言われていたお前をブチ抜くのはなかなか気持ちよかった」
「それがここの中だけの話ならいいんだけどねぇー……」

 二人の目は険しい。シャーロットはそれに圧され、そして自分の立ち場を悟る。……ゲルトルートは車の運転なんてできっこなかったし、
機械オンチでたとえ運転は出来てもレースなんて器用なこと出来ないはずだった。そんな不器用なはずのこの女が、気づけば自分を打ち負かす
ほどに腕を上げている。そこまでの苦労がどれほどのものであったか、それを推し量ることは出来ない。なにせゲルトルート・バルクホルンという
この女性は、そういった自分の努力をひた隠しにしようとするのだ。それは、相手に心配をかけさせたくないという優しさ。エーリカと二人で、
この人はいつも自分を止めようとしてくれていた。それだけの辛かったであろう練習を経て、常に自分を見守ってくれていた。……それを
振り切って、危険な場所に首を突っ込もうとしていたのだ。
 一番迷惑をかけていたのは、駐車場の周りに住む住人でもない、警察でもない、公道を走る一般人でもない。基地でずっと一緒にすごしていた、
一番の親友だった。

「……」
「さあ、帰るぞ。なんなら一レースやってやっても構わん」

 ゲルトルートが、手を差し出す。その手を握れば、もう二度と外へ繰り出すことは出来ないだろう。……いっそ、そうしてしまいたかった。
だが、自分の中に芽生えた欲求を振り切ることは、そう簡単には出来ない。エバが蛇の誘惑を断ち切って、神に食べてはならないと言われた
果実を食べてしまったように。その誘いを安易に受け入れ、共に罪を犯したアダムのように。人は、自分自身の力で誘惑に打ち勝つことなど
出来やしなかった。

「……なら、私と走ってくれ。さっきの三人が走ってる、あのコースで」

 シャーロットが、鋭い目つきで道路を見やった。その先では、三人の馬鹿が壮絶なデッドヒートを繰り広げているはずだ。……本来はそこに
いるはずだったのに、優しい友人たちのおかげで足止めを食らった。だったら、その友人たちに走ってもらいたい。競争相手が居なくなったなら、
新しく用意すればいい。
 ……ゲルトルートは判りきっていたかのように苦笑する。そして数秒後、その顔は――ネウロイを相手にしたときの、『エース』の顔になった。

「一度きりだ。お前が勝ったら、あとは好きにしろ。但し私が勝ったら二度と走るな」
「えー、駐車場もだめ?」
「百歩譲って許してやるよ。飲むか?」
「ああ」

 シャーロットとゲルトルート、二人が握手を交わす。それぞれが自身の持てる最高の力を持って相手の手を握り締める。それは握り締めると
言うより、相手の手を潰そうとしていると言った方が正しいほどだ。

「――あたしあんたのこと大っ嫌いだったんだ」
「奇遇だな。私も嫌いだった」
「いい勝負になりそうだ」
「馬鹿言え。いつも通り大差つけてやるよ」

 やがて二人の真っ赤になった手は離れていき、そして自分の愛車へ乗り込んでいく。エーリカはゴール地点に向かおうとしたものの、今から
レースをしようという二人の先行をすることなど出来るわけがない。その為駐車場三階のモニタールームに待機し、二人の状況を見ることに
した。
 ――シャーロットの車が悪魔なら、ゲルトルートの車は悪魔狩人。対比の取れたバイナルは、果たして結果をもたらすかどうか。一世一代の
レースが、ついに幕を開ける。

 - - - - -

 二人の間に、先ほどと同じくトーチを持った女性が立つ。周りのギャラリーは、先ほどより台数は減ったはずなのに、それでも先ほどよりも
更にテンションをヒートアップさせていた。

「フオオオオォォォォウ!! 姉ちゃんやっちまいなぁ!」
「こんな大喰らい、ぶっ飛ばしちまえ!!」
「オラ大喰い、このお調子モンからも喰らうんだろうなァ!」
「んなトコで負けましたなんて言わせねえぞ!」

 シャーロットのZが、後輪から激しい白煙を上げる。
 ゲルトルートのエボリューションⅧが、パージバルブから煙を噴出す。
 二台のマフラーから、ナイトロによるアフターファイアが吹き上げる。

「負けねえからな」
「ふん、随分とネガティブな物の言い方だな。私は勝つぞ」

 ――二人は互いをきっと睨み、そして――トーチが高く掲げられる。

『Foooooooooooooooooooooooooooooooo!!!』

 周囲が一斉に歓声を上げる。二台がドラッグレースのごとく、テールがぶれる程に激しくバーンアウトする。

 ―――二人が三度、瞬きをした後。

  トーチは、戦いの火蓋と共に振り下ろされた!!

「Yeeeeeeeeeeaaaaaaaaaaaaahhhhh!!!」
「ブッ飛ばせェ!!!!」

 歓声が一段と大きくなる。―――夜の東京の大空に、二つの爆音が木霊する!




 まずは路地から大通りに出なくてはならない。大通りの交通量は異常なほどだ、そこへいかに繰り出すかが問題だが――

「……そこだッ!」
「まだだ――」

 シャーロットのZが先に動いた。一瞬車の量が減った瞬間を見計らい、大通りへとハンドルを切る! 次の瞬間、通りからは無数の
クラクションが鳴り響き、そして路地を疾走するゲルトルートが横を見れば、同じ速度で通りを吹き飛ばす漆黒の姿があった。
 ……まだだ、もっと先にスムーズに入れるポイントがある!

「――――今ッ!」

 ゲルトルートが一気に右ハンドルを切り、通りへと繰り出す! シャーロットが飛び込んだ道よりも、更に浅い角度で通りへ
抜ける道。そしてその先はバスの車庫、つまり出入り口付近はガラ空きだ!

「まったく、こんなところを好き好んで走る連中の気が知れん――っと、赤信号か!」
「この中飛ばせって? ――ハッ、楽勝だね!」

 二台の車は信号待ちの車のほんのわずかな隙間をぎりぎりですり抜け、前へ前へと繰り出していく。その速度は先ほどと比べれば
多少は落ちているものの、それでも百キロを下ることはない!!
 そしてついに横断歩道を突き抜け、左右から車の押し寄せる赤信号へと突入する―――構うものか!

「どけえええぇぇぇ!!!」
「すまないが通らせてもらうぞ!!」

 突如襲い掛かってくる百キロ超の二つの物体に交差点はパニックになり、急ブレーキとそれをよけようとする車とで大混乱が生じる。
だがおかげで、車一台分のわずかなスペースが出来上がった。―――どちらが先行するか、今はどちらも左右きれいに一列だ!

「私がいく!」
「抜かせ!」

 シャーロットが先に切り込み、ゲルトルートが――ナイトロをふかして、シャーロットの前に繰り出す!!

 ほんの一台分のスペースに、二台の車が連なって一瞬で駆け抜ける! その先は赤信号の向こうというだけあってがら空き、最高速度の
競い場だ!

「お前なんざに負けるほどヤワじゃないさ!」
「よく言うぜ! 速度はあたしのほうが上だっつーの!」
「そういうのは今の速度を見てから言うんだな!」

 インカム越しに飛ばしあう、罵声と呼ぶにはまだ大人しい暴言。ゲルトルートはシャーロットの前へ踊り出る時から、ナイトロを通常の
三分の一の出力でふかし続けている。対してシャーロットはその真後ろにつき、スリップストリームで何とか距離を稼ぐ――だが、徐々に
引き離される!

「こっちはまだ満タンなんだぜ!」
「ふん、よく言う!」

 次の瞬間、シャーロットのZのマフラーからも炎が噴出す! それと同時、ゲルトルートがナイトロを切り―――今度はシャーロットが
前へ躍り出た!
 ゲルトルートは即座にシャーロットの真後ろにつき、スリップストリームへ入る。だがストレートはもう終わる、再び赤信号が待ち受ける!

「ふんッ!」
「はッ!!」

 二人は再び赤信号へ、迷うことなく突入!! クラクションとスキット音が連続する交差点で、急ブレーキをかける車と必死でよけようとして
スリップする車との、わずかな隙間を狙って車をねじ込む!

 ――再び二人は切り抜け、更に加速! だが左車線は別の道路からの合流で埋まり始めている、ならば――隙間のあるほうへ逃げたほうが、
速度は出る!
 二つの疾風は、ついに走るべき車線を逸れ――逆側の車線へと突っ込んでいく!! 正面より迫りくる無数のライト、相対速度は二百キロ以上に
及ぶ! 二人はそれらをギリギリで、しかし余裕で交わしながら吹き飛んでいく―――次の交差点、右へ曲がる!

「お前はこんな言葉を知っているか? ―――『アウト・イン・アウト』ってな!」
「常識だな、それよりお前は『スローイン・ファーストアウト』を忘れてるんじゃないか?」
「よく言うよ、コーナリングってのは―――こうするモンなんだよ!!」

 二台が交差点へ飛び込む!! ゲルトルートの車は軽く減速してから的確にインをつき、グリップ走行でコーナリングを決める! 対して
シャーロットは盛大にドリフトをかまし、減速しかけた車をナイトロで無理矢理押し出す――駐車場でのコーナリング特性がそのまま路上に出る!

 二台は再び並走、目を細めながら向かい来る車を次々に避けていく!

 ――次はこのまま道なりにいき、ガソリンスタンドのある交差点を左折。その先高速道路へ入ってトンネルへ突入した後、二つ目のインターを
降りる。

 ガソリンスタンドのある交差点は―――二つ交差点を越えた先!

 反対車線が混み始め、更に左側の車線も混み始める。どちらの道も満タンになりつつあり、二人はかろうじて速度を維持しているもののこのまま
では――――まだだ、まだあまっているスペースがある!!

「失礼するぞ!」
「お邪魔ッ!」

 二台の車はあろうことか――歩道へと乗り上げ、クラクションを鳴らしながら歩道を爆走する!! あちこちから轟く悲鳴、歩行者たちは
命からがらで飛びのいていく! だが、無邪気にサッカーボールで遊ぶ子供がそこに――先行したゲルトルートの真正面、左はガードレール、
右は店舗、正面は子供――しかしゲルトルートの口は、不敵に笑う!

「シャーロット! 子供だ、轢くんじゃないぞ!!」
「ってえええ!? どう避けろっていうんだよ!!」
「―――空軍の、腕の見せ所だ!!」

 ゲルトルートは傍らにあった作業車のほうへと突っ込んでいく―――そこには、『作業中』の巨大な金属製の看板!!

「ゲルトルート・バルクホルン、出撃だ!」
「なぁッ!?」

 ―――エボリューションⅧはそのまま看板を正面へなぎ倒し、看板は作業車へ倒れこみ―――車体は看板の上を爆走し、そして大空へと
飛び上がる!!

「イイイイィィィヤハアァァァァァ!!!!」
「お前キャラ変わってるよッ!!」
「知ったことか!」

 エボⅧが天高く空を舞い、そして――反対車線、交差点をひとつ越えたがら空きの場所へと飛び込んでいく!! 着地の瞬間火花が散り、
激しい衝撃、振動が車とゲルトルートを襲う!

「なかなか激しいランディングだったな!」
「くっそぉおお!!」

 シャーロットは同じく作業中の場所へと突っ込んだが、それがガードレール補償修理中だったのを利用――作りかけのガードレールの
隙間を狙い、無理矢理車体をねじ込んだ!! 反対車線の一番歩道側に車が居なかったのが幸いし、何とかゲルトルートを追走する!

 しかし正面からやってくるのは白銀の大群―――再び、全車線を埋め尽くす一般車の数々! ゲルトルートは再び不敵な笑みを浮かべると、
今度は中央分離帯へと斜めに突っ込んでいく!!

「嘘だろッ!?」

 シャーロットは再び歩道へ乗り上げ、ゲルトルートは左車線、シャーロットは右の歩道、それぞれのコースへと飛び込む!

「四駆の走破性をナメるな」
「そういう問題じゃないだろ!」

 再びランディングを決め、しかしかなりのスピードロス。ゲルトルートは再びナイトロをふかし、一気に加速する!! 前方の交差点は
青信号、まっすぐに突っ込める! そのまま一直線に交差点を駆け抜けると、視界の右端より黒い物体が急接近する―――シャーロットも、
交差点でこちらの車線に飛び込んできた!

「何とか合流ぅ!」
「私を抜けなければ意味がないんだがな!」

 ふかし続けていたナイトロを停止させ、しかしアクセルを全開で踏み続ける! 車はとどまることなく加速していき、そして―――ついに
正面に、ガソリンスタンドの看板が見え始める! 信号は、まもなく黄色へ変わる――今なら絶妙のタイミングで飛び込める!!

「はッ! このコーナー、頂きだ!」
「そうはさせんよ!!」

 臆することなく交差点へ飛び込むシャーロット、しかしゲルトルートは突如道を外れていく!

「なに―――なああああ!?」
「走れる場所は有効活用しなくてはな!!」

 ゲルトルートの車はガソリンスタンドへ突入、その広いスペースを悠々と駆け抜ける!! 結果的にコーナーを大きく膨らんで曲がる
形となったシャーロットはゲルトルートに大きな遅れを取り、そしてゲルトルートは高速道路のインターチェンジへと飛び込む! だが
ここで引き下がるシャーロットでもない、今度はシャーロットが笑みを浮かべると、シャーロットもインターへ入る――反対車線、
料金ゲートまでの距離の近いほうへと飛び込む!!

「ほう、やるじゃないか!」
「これでイーブンだ!」
「面白い、やってやる!」

 ゲルトルートがカーブを曲がり終え、料金所へと飛び込む。シャーロットもまったく同じタイミングで料金所へ―――二つの車はETCを
無事潜り抜け、そしてナイトロで急加速する!!
 弾けるように吹っ飛ぶ二台の車、ぎりぎりの速度で坂を上り詰め、そして――

「うおおぉー! 反対車線スゲェー!!」
「こっちはこっちですごいぞ、高速道路の癖に周りが停まって見える!」

 ――二人はクレイジーな歓声をあげ、本線へ合流する! 停まって見える車の間をすり抜け、対向する車の隙間を潜り抜ける。二人は
速度を殺すことなく疾走、風のように高速道路を突き抜ける!!

「おい、前に見えるの、あれって」
「なんでここで追いつくの!?」
「律儀に信号待ちでもしてたんじゃないか?」
「てか、私たちが飛ばしすぎなだけって感じ?」
「どっちにしろブチ抜けばいいだけの話だ!!」

 前方に、三つのテールランプ。正確に言えば六つ―――二人より先に走り出したはずの三台が、前方へ迫る!! しかし圧倒的速度差、
追い抜くにも一瞬……ゲルトルートは窓を開け、右手を大きく挙げながらそのすぐ脇を超高速ですり抜けていく!!

「フォォォオオウ!! 最高だ!」
「これで完全二人っきりだ!」
「ああ、泣いて歯軋りすることだな!!」

 二人の車はなおも爆走を続け、そして前方に迫る黄色い横穴――トンネルの中へと、この速度で突っ込む!! 閉塞感があるだけに、
体感速度は倍近くへと跳ね上がる!
 相変わらず交通量の多い間をすり抜け、疾風のごとく駆ける! ゲルトルートのエボリューションⅧは相対速度百キロ程の障害物を、
シャーロットは相対速度二百キロ超の物体を、華麗に避け続ける――ネウロイの攻撃を避けられるスキルが、こんなところで活きた。

 ―――本来十分は走り続けるこのトンネルを、五分未満で駆け抜ける! 再び大空の下に戻ってきた二人、そして一つ目のインターを
通り抜ける!

「くっそ、目の前で車線変更するんじゃねえ!!」
「オイオイ、それ言ったらこっちはどうなるんだよ!!」

 車線変更の多いインターを何とか数秒で駆け抜け、そしてここから先は次のインターまで一直線――二人はナイトロをかまし、更に
加速する!! シャーロットの車が若干前へリードし、しかし対向車を避けるためのハンドル操作の多さで速度をロスし、ゲルトルートが
前へ出る――抜きつ抜かれつ、互いの距離は離れていてもそれはまさしくデッドヒート!

 たった数十秒。長いはずの直線はすぐに終わりを迎え、二つ目のインターに突入する! さあ、ここで高速を降りる!

 ゲルトルートが盛大なドリフトでランプウェイを駆け抜け、減速分をナイトロで補う! 同じ走法でシャーロットも駆け抜けるが、ここの
料金所は高速道路の左側――ゲルトルートのほうが近い!

「フォウ! このままぶっちぎってやろうか!」
「馬鹿言え!」

 ETC専用ゲートを、制限速度ギリギリで駆け抜け、ナイトロで急加速するエボⅧ――その後方から、ETCゲートをぶち壊してZが迫りくる!!

「イィィィイイイヤッホォォォォウ!!!」
「貴様ッ、器物破損だぞ!!!」
「それ言ったらお前だって看板ぶっ飛ばしたじゃねえか!!」
「ハハ、そういえばそうだったな!」

 二台は再び並び、そして公道を駆け抜ける。―――次の交差点を右に曲がり、道なりに大きく左カーブを曲がり――最後に曲がり終わった
直後の交差点を右折でフィニッシュだ!
 眼前に迫り来る一つ目の交差点、左車線のギリギリからゲルトルートがアプローチする!!

「邪魔だ、どけ!」
「退くわけないだろ!!」

 思い切りゲルトルートが右ハンドルを切り、インへと切り込む! 流石に衝突は免れたいシャーロットは、ナイトロで加速してゲルトルートを
回避――エボⅧの左バックミラーがZのリアウィングスポイラーに掠るかどうか、ギリギリのラインを駆け抜ける! アクセルベタ踏みのままで
ゲルトルートはコーナーをクリアし、反対車線を対向車を避けながら暴走する! シャーロットも今までと同じくドリフトをナイトロで補って
コーナリングし、ゲルトルートより一歩遅れをとって立ち上がる!
 だがこの後の左カーブはそう緩くない、アクセル全開でも曲がれないことはないがハンドルは限界近くになる。つまり、イン側のラインを
とっているシャーロットのほうが断然有利だ!
 どちらもナイトロはあと僅か、最後の交差点の立ち上がりに使って終わりぐらいしか残っていないはず。ならば、ここで決める!

「ハッハァ! ライン取りはどうしたバルクホルン!」
「強がりはそれだけか!」

 ゲルトルートは徐々に徐々にイン側へと詰めていくが、対向車のせいで思うように車線を変更できない。その間にシャーロットは爆走し、
徐々に徐々にゲルトルートとの間を詰め―――カーブを半分曲がったところで、ゲルトルートよりも頭が少し前に出た!! それに口端を
吊り上げ、更にアクセルを踏み込むと同時にハンドルを切る! タイヤのグリップの限界、少しずつタイヤが鳴り始める、だが構うものか、
シャーロットの加速は止まらない! ゲルトルートは少しずつおいていかれ、しかし―――カーブは、ついに終わりを見せる!

「あんたの負けだよ! さっきのあんたのラインなら
「―――そういうのは、勝負が終わってから言わないと『フラグ』って言うんだぞ」

 ゲルトルートは不敵に笑って、インに切り込もうとするシャーロットに言った。しかしそれでも勝った気満々のシャーロットは、きれいに
コーナーのインへ飛び込み――――

「―――終わりだ」

 ゲルトルートの車が、弾けるように加速する!! コーナー直前でナイトロ、こんなところでふかしたら立ち上がりの分がなくなるハズ、
なのに躊躇いなく全開でふかし続ける!

「馬鹿じゃないのかお前、そのスピードじゃ
「曲がれるんだよ、これが」

 ゲルトルートはインギリギリから右へハンドルを切り、そして大きくアウトへ膨らみ―――中央分離帯のない少し細い道の、外側ギリギリ
ボディが若干こするラインできれいにコーナリングを決める! インから入るためアウトには大きく膨らんでしまうが、これがラストコーナー、
その後のラインなんて関係ない。――ファーストイン・ファーストアウトさえ出来れば、絶対に勝てる!
 シャーロットが一個前の交差点でゲルトルートが決めたラインの通り走り、立ち上がりでナイトロをふかす――最後の最後、残りすべてを
使い切る――だが、ゲルトルートとの差が見る見る開いていく!!

「そんな……馬鹿な……!」
「ナイトロの吹きつける配分だよ。良く覚えておくことだ」

 ―――ゲルトルートの車体が、歩道で手を挙げる女性のすぐ脇を駆け抜ける。……フィニッシュの合図だった。少々傷の入ったエボⅧが
ゆっくりと減速し、少しの間を空けてZがフィニッシュ。二台は制限速度までスピードを落とすと、路地の奥へと消えていった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

『お疲れ、トゥルーデ』
「もう二度とやりたくないな、正直冷や冷やして強がりを言っていなければ失神するところだったぞ」
『にゃははは、でもトゥルーデなら大丈夫でしょ』
「なんだそれは……やっぱりこういうのは他の車が居ない場所でやるのに限る」

 連絡を取り合っていたゲルトルートとエーリカの横で、シャーロットが項垂れている。まさか、本当に負けるとは思っていなかったらしい。
……仲間を守るという強い決意で走ったゲルトルートと、ただ己の欲求のために走ったシャーロット。その意思の差が、この結果を生んだ。

「……もうふざけた鬼ごっこは終わりだ、リベリアン」
「なんで……なんであたしが負けるんだ……」
「お前はまだ心が弱い。大事なものを失っていないし、死ぬほど怖い経験もしていない。……ただそれだけのことさ」

 むしろこのレースで勝てないほど心に傷を負っていないのは、幸せというべきなのだろう。ゲルトルートがそれだけ強い心で立ち向かえたのは、
かつて大事な仲間や家族を失い、国も守れず、深い傷を負っているからだ。もう二度とそんな経験はしたくない、だから仲間をなんとしても
守ってやりたい。その為に、たった一度だけ。諦めさせるために、身の危険も顧みず走れた。だがシャーロットは、ただあそこを速く走りたい、
その欲求のためだけに走った。それは極端な話、最初に赤信号を超えた時の長い直線で満たされるほどの欲求だ。確かにゲルトルートに勝ちたい
という思いはあったが、己のために走っても速く走ることはできない。自分の身を守るために戦っても、大した力が発揮できないのと同じだ。

「この幸せ者。大事なものは失ってから気づくんだぞ」
「……」
「――お前は、気づく必要なんてない。だから、そんな危険なことに首を突っ込むな」

 ゲルトルートが、優しくシャーロットの肩に手を置く。シャーロットは俯いたままだった。
 『気づく必要なんてない』。即ち、それは失う必要はないということ。

「それともお前は、私たちを泣かせたいのか」
「……え?」
「やっと反応したな、この馬鹿」

 苦笑いを浮かべるゲルトルート。
 ――大切な戦友を、大事な親友を、守りたい家族を失って、悲しまない者がいようか。ゲルトルートはそんな意味を込めてシャーロットに
言ってやったのだが、それを理解しているのかしていないのか良く分からなかった。だが、シャーロットの目に浮かぶ涙が、少なからずそれを
証明しているようにも思う。

「……さあ、帰るぞ。いつまでもここに居たら捕まってしまう」
「……なあ」
「ん?」

 車に戻ろうとして、呼び止められて振り向く。ようやく立ち上がったシャーロットが、涙をぬぐいながらゲルトルートに声をかけた。

「……あたしはあんたにとって、そこまでして守らなきゃ行けない相手なのか?」

 ――どうも、口で説明してやらなきゃ分からないらしい。あるいは、決定的な確証がほしいのか。いずれにしても、口に出して言うことに
変わりはない。ゲルトルートは一度咳払いをして、それからまっすぐに向き合って言った。

「大好きな家族を守ることに、何の躊躇いがある」
「……っ」
「勘違いするなよ。単に家族の一員と思ってるだけだ、お前のことが好きなんて人間をやめるほうがマシな考えはない」

 要らない軽口をひとつ飛ばして、ゲルトルートは飄々と立ち去る。まさかこの思い込みの激しい女に、自分が好いているなんて思われたく
なかった。あくまで一つの部隊で共に毎日を送る家族であって、それより上へ行くことはない。
 すると数秒の間を置いて、シャーロットが顔を真っ赤にして抗議し始める。

「だっ、誰がそんな勘違いするか! つーか、私を好きになるなら人間やめるほうがマシって、どんな例えだよッ!」
「あれ? 違ったか?」
「なにが『違ったか』だよ! ふざけんな!」

 ギャアギャアと騒ぐシャーロット。やっといつもの調子が戻って一安心したゲルトルートは、さっさとシャーロットをなだめて帰路に
ついた。何とかその日は警察に捕まることなく、その後も穏やかに過ごすことができたのだった。

 それから五○一に戻るまでの数日間、シャーロットは何度か駐車場のレースには出たものの、その回数は著しく減っていた。ゲルトルートも
二度とレースに顔を出すことはなく、愛車は時々街中をエーリカとドライブして遊ぶための道具に成り下がっていた。

 そして五○一に帰る日。二人は『中継役』に頼み込んで、車も一緒に持って五○一へ帰った。時折、滑走路でレースをする二人の姿が見られる
ようになったが、それはまた別の話。


――Fin.


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