If.<イフ> -ジ・アナザー・ストーリーズ- CASE 06:"OASIS"
なぜかは分からない。理由は分からないけれど、この部隊へ転属になった。前もそうだ。理由も知らされずに転属させられて、目的も
知らされないままでその部隊の仕事に従事する。初めは戸惑いもしたし苦労もしたが、今となってはもう慣れっこだ。適当に挨拶を済ませ、
まずは自分の部屋へ引きこもる。まずは環境に体を馴染ませることからだ、そうでないと体を壊してしまう。ここにいればきっと、程よく
焼けた肌は元に戻る。それだけ気候の差があるということなのだから、下手に動くよりはまず慣れることから始めるべきだ。以前の転属の
時、それを痛感させられた。
そのせいで少し人との繋がりが浅くなりがちになってしまうが、それでも体の健康には代えられない。今はここが、自分の居場所なんだ。
体さえ馴染めば、人間関係なんていくらでも修正できる。だから――今はこの、ブリタニアの気候に慣れることを最優先にしよう。あの
時とは、違うんだから。
――到着した次の日。自己紹介と基地の案内の任務を仰せつかり、渋々ブリーフィングルームへ向かう。これが終わったら、また自室で
休むことにしよう。
「エイラ・イルマタル・ユーティライネン。スオムス空軍少尉だ、よろしくな」
「荷物は部屋に運び込んであるので、そうね……ハルトマン中尉、案内をお願いできるかしら?」
「りょうかーい」
指名されたエーリカが、片手を挙げて軽く返事をする。第一印象は、なんというかつかみ所のないヤツ。それが自分に当てはまるとも思わず、
エイラはぼうっとウルトラエースを見つめた。こんなのが、世界で一番のウルトラエースだなんて。世界はやっぱり、あの黒い悪魔のせいで
狂ってる。自分と同い年ぐらいで、綺麗な金髪で、活発でボーイッシュな雰囲気の少女が、世界一多くネウロイを撃墜しているだなんて。
まあ、そんなことを考えてるだなんて、何があっても表には出さないが。それを表に出すときは、きっとこの部隊に最後まで居座り続けると
決めたときだ。今はとりあえず、何を考えてるか分からない不思議なヤツを演じておこう。それでなくとも、日ごろは何も考えてないことも
多いのだし。
「それでは、解散」
「改めて自己紹介ー……って、いる?」
「いや、いいよ。有名人じゃんか」
「あっはは、有名人だって、トゥルーデ。なんだか照れくさいね」
「……まったく、新入りは新入りで規律のきの字もない奴だな」
こっちも有名だが、噂通り筋金入りの堅物のようだ。まあ、じき慣れるだろう。エイラはよろしく、と右手を差し出した。だがそれには
ゲルトルートも快く答え、笑みを浮かべて手を取った。意外な態度に一瞬たじろいだエイラだったが、話がまったくできないわけでは
なさそうな様子に一安心する。
それ以外の人との挨拶は、今は控えることにした。まずはエーリカに付き従って、この基地を案内してもらおう。馴れ合いや交流を深める
のは、もっとずっと後だ。
さて。この基地では、どんな生活が待っているかな。
CASE 06:"Oasis"
――――空に理由を求める少女。未だ多くを経験しない少女にとって、心のオアシスはどこにあろうか。
「これで全部かなー」
「……あのさ、ひとつ訊いていいか?」
「んあー? いいけど、どったの?」
「お前さ、エースとしての誇りとかそーゆーの、ないの?」
「そんなの空の上だけで十分だよ」
ヘラヘラと笑うエーリカ。インタビューでは誠実そうに答えていたのでそんなイメージがあったのだが、それがガラガラと音を立てて
崩れ始める。これはエイラをも上回る強烈キャラだ。部屋は散らかしっぱなし、普段やることといえば寝ることだけ。一体こんな生活を
していてどこにエースになれる要因があるのか、さっぱりなぐらいである。戦歴だけ見るとこの世の狂気をまざまざと見せ付けられて
しまうが、その実態は平和な暮らしを営む女子学生のソレをも遥かに凌駕するボケっぷりであった。もうなんというか、ここまで来ると
逆に洗濯する余裕もないような悲惨な生活を見ているかのような錯覚にさえ陥る。それほどまでにエーリカの私生活は堕落していて、
かつ気楽であった。
「……まあ、ハルトマンほどじゃないけど、そういうタイプの奴は原隊にいたけどな」
「あれ、そーなの?」
「おー。すんごいエースの癖にさ、悪戯はするし酒は飲むしで態度がひどいったらないんだ。ま、そいつの場合見た目は風格あったけどな」
原隊の光景を思い浮かべて、なんとなく懐かしむ。まだ離れてそう何日も経っていないが、これからは何ヶ月も顔を見ることはできない。
そう思うと、ただそれだけでも原隊が懐かしくなるのだった。
「へー、んじゃその風格を全部ぶち壊しちゃうわけだ」
「そーゆーこった。あいつはあいつで随分破天荒だったなあ、まあ私には言われたくないんだろーけど」
「私エイラにそんなこといわれたらちょっとへこむなー、だいぶ本気で」
「それ地味に傷つくぞー」
エイラがジト目でエーリカを見やると、きゃっきゃと楽しそうに笑い出す。これはこれで悪くないかな、とぼうっとエイラは空を見上げた。
そして思い浮かんだ顔が今どうしているかな、なんて柄にもないことを考えてしまう。
「……ティナ、元気にしてっかな……なんて、空路で来たからまだ一週間も経ってないけどな」
「え、ティナっていった? それってマルセイユのこと?」
「ん? そーだけど? ってああ、そっか、カールスラント仲間だから知ってんのか」
一瞬戸惑って、しかしすぐに納得する。それからエーリカがぱあっとさらに顔を明るくさせて、面白い話を見つけたと言わんばかりに
いろいろと訊ねてくる。そのたびに、エイラは原隊での思い出をいろいろと語ってやった。日が暮れることにさえ気がつかず、二人はずっと
エイラの自室で笑いあっていた。
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あの日も、何の前触れもなく転属させられてしまった。しかも酷いことに、気候がまったく正反対ときたものだ。
「……うー、連合軍は私を殺す気かー!」
「まあそう嘆くな。じき慣れるさ」
「こっちでバリバリのあんたに言われても説得力ないよ!」
「いや、私も来た時は苦労したもんだぞ」
常に真冬、と言っても過言ではないスオムス。その辺境の基地にいたはずが、未来予知の故かなぜかこんな場所に送り込まれて
しまった。本当に小さな基地で、唯一名前の知れたウィッチといえばドジっ娘な上官ぐらいのものだった。おかげで出世街道やら
なにやらからは程遠く、自由気ままに空を飛んでいられればいいな、程度にしか考えていなかったのだが……。あれやこれやで
じゃれたり遊んだりしているうちに、被弾が全くないことから素質があると見られてしまったらしい。そのためにこうして、
世界に名を馳せるエースの傍らに連れてこられたわけで……。今回の転属の本質はそんなところなのだろうが、それにしても素直に
そう説明すればいいものを。特にこれといった説明もないまま、あ、転属なので向かってくださいねー、でおしまいだ。多分恐らく
きっと、大半の責任は直属のドジっ娘な上官にあるのだろう。
「よし、みんな集まったな。それじゃ、軽く自己紹介を頼む」
「んんっ、えーっと、スオムス空軍から来た、エイラ・イルマタル・ユーティライネンだ。よろしくなー」
それぞれが思い思いの返事を返してくれた。ここは随分とアットホームで、こんないい加減な挨拶でも寛大に受け止めてくれる。
階級は何だとか、歳はどれぐらいだとか、いろいろと細かいことも訊ねられた。いや、正確に言うならば本来自分から言うべき
ところを自分から言わなかったから向こうが聞いてきた、といったところだろう。一つ一つ答えていくと、向こうもだいぶ好感を
持ってくれたらしい。
「それにしても暑いぞー……なんとかなんないのかよー!」
「ま、ここに転属になった以上は諦めることね。私はここ、『ストームウィッチーズ』の部隊長をやらせてもらってる、加東圭子大尉。
よろしくね」
「おー、よろしくー」
軽く握手を交わして、互いに微笑する。ここの人たちとなら、うまくやっていけそうだ。いや、別にスオムスの方でイザコザが
あったとか、そんなことは一切ないけれども。
「私はまあ今更だが、一応形式的にな。ハンナ・ユスティーナ・マルセイユだ、よろしく頼む」
「一緒に飛べるなんて光栄だよ。よろしくなー」
「っはは、私と一緒に飛ぶか! お前、なかなかいいセンスしてるな。きっと伸びるぞ、お前」
にやりと笑みを浮かべるマルセイユ。エイラが少しうれしそうに本当かと尋ねれば、マルセイユも更に不気味な笑みを浮かべてそれを
肯定した。お前はきっと、自分が正しくないと思ったら上官だろうとぶっ飛ばせるようになるぞ。……エイラは両肩を落とし、そっちかよ
と小さくつぶやく。一緒に飛べるというのは単に同じ部隊に所属するものとして、という意味でしかなかった。だがどうやらこの女には、
横に並んで飛ぶことと判断されてしまったらしい。加えて、エースに対してそこまで図々しいことが言えるんだから、と歪曲した理解を
されてしまう。なんだか悲しくなってきて遠い目で空を見上げると、マルセイユが笑いながら肩を叩いた。まあよろしく頼むさ。今度は
ごく自然な仲間を想う笑みを浮かべていて、それには心底安心した。どうやらさっきのは軽いジョークだったらしい。……ジョークと
本気の区別がつきにくい人間は好きじゃない。これから大変そうだ、と内心ため息をついた。
マルセイユは面白い玩具を手に入れた、とでもいわんばかりに笑いながら去っていく。今度は実際に深いため息をつきつつ
振り返ると、もう一人の扶桑の魔女が立っていた。
「えと、稲垣真美、階級は軍曹です。よろしくお願いします」
「お、軍曹なら私と似たり寄ったりだな」
「あれ、そうなんですか?」
「人の話聞いてないのかお前ー? 私の階級だってまだ曹長だってのー」
当時はまだ尉官にもなっていなかった。お互い仲良くやっていこう、と礼儀正しい真美に見習って礼儀正しく右手を差し出す。真美も
笑ってその手を取り、少しだけ話に花を咲かせた。
その後も数人と挨拶を交わして、そして早速キャラ確立のための行動に打って出た。どんなところでも悪戯せずにはいられない
性格のエイラにとって、新しい場所は警戒されない分格好の狩場なのだ。
まず真っ先に目をつけたのは三六〇度全方位隙だらけの真美だったが、あいにくこのときは早くに訓練飛行に出てしまっていた。仕方なく
ほかのターゲットを見つけようと探しているうち、ふと目に圭子の姿が留まった。双眼鏡で外を眺めており、そちらをよくよく見てみると
マルセイユが真美に空戦技術を教えているようだ。あのマルセイユが戦技教導とは噂に聞いた限りではそうそう似合いそうもないものだが、
隊長の圭子が満足げにしているところを見るとそうでもないらしい。そして集中力が空にしか向いていない今の圭子であれば、いろいろと
悪戯の手段も増えるというもの。
にひひ、と気色の悪い笑みを浮かべたエイラはそろりそろりと後ろから近づき、気づかれないうちに真後ろまで忍び寄る。いまだに圭子は
大空の二人に夢中で、背後のエイラの気配になど気づくそぶりも見せない。
――いただきだ。エイラは思い切り手を開くと、それを圭子の脇の下に滑り込ませた。
だが、扶桑の服をいまいちよく理解していなかったのがいけなかった。
「ひいいあああああ!?」
『ぬわっ!? な、なん……どうした?』
『うう、耳が裂けるかと思った……』
「うお、この大きさと弾力はなかなかだぞ……って、んー? なんか妙に生地が薄くないかー?」
もみもみ、むにむに。
圭子の胸をふにふにと揉みしだくエイラだったが、妙な違和感に首をかしげる。思い切りやったせいで手がクロスしてしまったのは
まあ自覚しているからいいとして、片手だけ生地が異常に薄い。左手、つまり右の胸を揉んでいる手には分厚い感触があるのだが、
右手はどうも布というより包帯系の何かのような感触が――。
「んー?」
流石に違和感が強すぎるので揉むのをやめ、手を離してみる。すると左手はすぐに離れるのに、右手は別の分厚い布に引っかかって
取れない。
……まさか。
「……あ、あなた……なな、なんてこと……」
ふるふると震え、耳の先まで真っ赤。そんな圭子の肩越しに自分の手を見て、これは下手をしたら命がないなとぼんやり思った。
顔から血の気が引いていく。一発目でこれは少々やりすぎというか、もはやそんな次元を超越している気がしないでもない。
……服の中に手が滑り込んでおり、左手は服越しに揉んでいたものの、右手はサラシの上――下着越しになっていたわけで。
服の上からなら、流石の圭子ならここまでのリアクションは返さなかった気がする。何せこのクソ暑い中でありとあらゆる人種の
人間をまとめている位なのだから、多少のことには動じないだろう。しかし一方に集中していて警戒が皆無だった上に直接下着を
責められれば、流石に嬌声のひとつでも出るというもので……。
「……ちょーっと、オイタが過ぎたわねー? あはははははははははハハ」
「ご、ごめ、ごめんなさ……こっちくんなあああああああああああ!!!!」
『おいおい、何があったんだ?』
圭子が本気で怒りながら人を追いかける場面など、そうそう滅多にない。特に新人が相手となれば、何か粗相があってもおかしくは
ないだろう。仕方なくマルセイユは一旦訓練を中断すると、テントの方へと戻っていく。その実は少し面白そうだなんて思っていたのは、
本人はほかにはバレていないつもりだったのかもしれないが周りの人間には明らかであった。
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「あ゙あ゙ぁ゙……」
「もう、だから走るなって言ったのに」
「だってケイが追ってくるから逃げるしかないだろー」
「最初からそんなことしなければいいだろうが、まったくこいつは……」
気候に慣れていない人をいきなり追い掛け回すのは体に多大な影響を及ぼすと判断し、圭子は歩いてエイラを追い詰めようとした。
しかし焦ったエイラは走って逃げ出し、流石にマズいと手を伸べながら走るなと注意。しかし当然悪さをした相手に走るななんて言っても
効果はあるはずもなく。結果たった数分で完全にダウンしてしまい、現在エイラは自分のテントの中で横たえられていた。頭には氷水の
入った袋が当てられている。ため息をつく圭子とマルセイユ、流石に今回はエイラも頭が上がらない。
「うー……悪かったよー」
「ま、これに懲りたらこんな場所では暴れないことだ」
「そういうあなたも、最初のうちは似たり寄ったりだったじゃない?」
「暴れて寝込むほど馬鹿じゃなかったよ」
「馬鹿……馬鹿って言われた……」
割と切実にヘコむエイラ。だが本当のことなので否定もできなかった。
その後、マルセイユは真美との訓練に戻った。しばらくは圭子が話し相手になったり氷水の交換をしてくれたりと世話をしてくれたが、
それも数時間経ったら無くなった。別にエイラに愛想を尽かしたとかそういうわけではなく、単に仕事があるからというそれだけの理由。
だがそのときは妙にそれが寂しくて、この環境に馴染むまでは下手なことはしないようにしようと心に誓った。
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それからも一月の間、何度か体調を崩すことがあった。特に正式に訓練が始まってからは、教官がマルセイユと圭子ということもあって
ダウンすることもしばしば。その度に圭子やマルセイユは良くしてくれていたが、当然ずっと付きっ切りで看病してくれるわけではない。
何度か寂しい思いも繰り返し、それでも子供みたいなところは隠したいと子供なりに強がっていた。
そんな日々の中、ちょっとした事件が起こる。当時はまだ圭子も現役で、圭子も教導に参加していた。
「うう、くそおっ……」
「オラ、ボーッとしない!」
「なっ、まだ続けんのかよー!?」
「どうやら勘違いしているようだがここは戦場だぞ、休んでる暇などないんだからな!」
「ちくしょー……っ!」
『ほらほら、未来予知がまったく生きてないわよ』
「つかってねーよ! そんな余裕あるか!」
上空から見守りつつ言葉を飛ばす圭子と、エイラをひたすら追い回すマルセイユ。エイラの訓練用スポーツウェアはすでにペイント弾の
カラーで黄色に染まっており、それでもなおマルセイユはエイラを追い続けた。ようやく体も馴染んできたかと思えば、どんどん激化していく
訓練メニュー。正直、エイラにとっては精神的にも身体的にも辛いものがあった。それでも、言われたことをこなさなければ訓練は
終わらない。必死に逃げ回り、一定時間被弾しないという目的を達成しようと全力で飛んだ。
『被弾確認、やり直し!』
「お前はもっとできるはずだ、手を抜くな」
「手なんか抜いてねーよ!」
「それだけ元気があれば、まだいけるな!」
『カウント、スタート!』
「くそ……!」
息つく間もなく再開される訓練。投げ出したいのを我慢して、エイラは再びマルセイユから逃げ始めた。――多少疲労度は増すが、仕方ない。
このまま続けてクタクタになるよりは、まだそれで一度でクリアしてしまったほうが楽だろう。ついにエイラは未来予知に魔力をまわし、
その代わりにこの戦闘で訓練を終えると決意する。その途端、動きが今までと一気に変わった。キレのある機動、的確な回避。ブラインドから
仕掛けた次の一手を、確実に間違いなく避ける動き。マルセイユの持つ重機関砲を以ってしても、エイラの動きを捉えることはできない。
『おぉー? やればできるじゃない』
「話かけんな……体力かなり食ってんだ……!」
「なら体力勝負ということか」
「くそ、いい加減に……」
これで終わらせたい。まだ固有魔法の使い方には慣れていないので、消費が非常に激しいのだ。この上また撃墜なんてことになったら、
きっと次の戦闘中に気を失って墜落する。なんとしてもこの時間を乗り切らなくては、訓練中止になってしまう。それは、何故だかプライドが
許さなかった。
無我夢中で避け続けるエイラ。端から見ればまるで、マルセイユがエイラを避けて撃っているかのように見えるほどの完璧な機動。だが
それにも徐々にタイムラグが生まれ始め、エイラの体力が限界に近づきつつあることを知らせていた。このときエイラにはほかにモノを考える
余裕など一切無く、ただなんとしても時間が経つのを待ちながら必死に手足を動かしていただけ。……そして。
『―――ファウル。エイラの体力が危なそうだから、訓練はこれで終了ね』
「え? ちょ、ちょっと待てよ、ファウルって――」
「惜しかったなあ。私とお前のちょうど中間、そこが戦闘空域の境目だ」
つまり逃げるのに必死になっているのをいいことに、マルセイユはひたすら一方へとエイラを追いやっていた。エイラは未来予知で
見えた部分のうち、見ていたのは銃弾の軌道のみ。確かにエリアオーバーで訓練が中止になるのは見えていたはずだが、視野が狭かった
せいでそこに気づかなかったのだ。
……折角。せっかく、ここまで来たのに。訓練中止なんて。
「……ちくしょう」
「そう嘆くな。お前は良く頑張ったよ」
肩をやさしく叩いてくれるマルセイユ。だが、ここまでエイラをズタボロにしたのもマルセイユだ。エイラは心の中で折り合いをつける
ことができず、複雑な思いを抱いて地上へ降り立った。それから夕食を終えて一時間ほど経過するまで、エイラの姿を見た者はいなかった。
「うう……なんでだよ……」
――納得なんて、できるわけ無い。一定時間逃げ続けろと言われて、自分としては大真面目にやってるつもりなのに教官からは軽く
あしらわれる。仕方なしに最後に一発決めてやろうと、戦闘時間から考えてたった一度しか使うことのできない切り札を出した。すると
今度は戦闘空域から追い出されてゲームオーバー。確かに戦闘エリアは事前に言われていたから、エリアオーバーに関してはエイラの
ミスだ。だがまだ魔法の使い方もなっていない新人に、それだけの情報を全部見渡せなんて。エイラからしてみれば、理不尽極まりない
注文だった。途中からは何のためにやっているのかも分からなくなって、ただこの時間を終わらせたい一心で飛んで。確かにその時間は
終わりを迎えたが、こんな形で終わらせる気なんてまったく無かったのに。
「……ちくしょう……マルセイユの、ケイのばか……」
鼻をすすり、ぐすぐすと情けなく涙をこぼす。今エイラは、基地の明かりが遠く見える砂漠の中に座り込んでいた。帰れなくなると
まずいので基地の場所が分かるようにはしたが、基地には背を向けている。正直、もうこんな場所からは逃げ出してしまいたい。どうして
こんなことになってしまったんだろうか、自問自答するが答えは出ない。
着陸してから人目を盗んで敷地から逃げ出し、それから何時間経っただろうか。日は暮れ、身を寒さが襲う。寒さをしのげる場所と、
そして食事を取れる場所が恋しくなる。……気だるげに立ち上がると、俯きつつもようやく踵を返した。この世界は、一人で生きていける
ほど甘い場所ではない。どれほど嫌であっても、そこに戻らなければ生きていけない。エイラは未だに零れ落ちる涙を、何度も何度も、
涙のこぼれるたびに拭いながら、それでも狭い歩幅でゆっくりと基地へと歩いていった。
- - - - -
「――お帰り。待ってたわよ」
基地に帰ってエイラを迎えたのは、苦笑気味の圭子。――そして自分のテントの中に置かれた、山のように詰まれた洗濯物。無断外出は
脱走と同義であり、簡単に済ませられる問題ではない。幸い圭子がうまく処理してくれたおかげで特に問題にも騒ぎにもなっていないが、
だが『やってはいけないこと』に対する罰があるのは当然のことだった。相変わらず鼻をすすりながら、圭子の横を無言ですり抜けて自分の
テントへと向かう。……腹は減ったが、やれと言われたことはやらなくてはならない。それが世の常で、働かないものは食わせては
もらえないのだ。
「ご飯ちゃんととってあるわよ? 先に食べても構わないわ」
「……いい。あとで自分で勝手に食べる」
「そう……。まあ、無理はしないで」
別に同情してほしいわけじゃない。そういう意味で、圭子の一歩引いた立ち位置は少しだけ有難かった。下手に同情されても鬱陶しい
だけで、邪魔くさい。それよりは、自分がこうしたいんだと言ったことを受け取ってもらえるほうが良かった。
――でも。自分が、この上なく大人気ない……むしろガキなのは、痛いほど分かっていた。辛いからと逃げ出して、戻ってきたら我侭で
周りを困らせる。圭子やマルセイユに関しては、最初に下手な悪戯で散々迷惑をかけたというのに、更に迷惑をかけてしまっているのが
現状だった。それでも。……たとえガキっぽくても、それでも、マルセイユと圭子に素直に謝る気には、到底なれなかった。
洗濯物を持ち上げ、近くの井戸まで持っていく。夕食も終わって静かになった基地は、たとえ人が多くいる場所であってもエイラに
孤独感をもたらす。加えて、夜の砂漠の寒さに晒された水は極度に冷たい。その中に手を突っ込んで、一つ一つ洗濯物を洗わなければ
いけない。惨めで、格好悪くて、とても人には見せたくない姿。だが砂漠において水は貴重品で、誰もがいつでも取れる位置に無くては
困るものだ。生活用水と飲用水は別に分けられているとはいえ、いずれも重要な役割を果たすのは同じ。どちらも目立つ位置に置かれて
いる上、照明も井戸を明るく照らしている。こんなにも情けない姿を、基地の全員に晒さなくてはならないのだ。
再び視界がゆがみ、ぽつぽつと雫が垂れる。エイラの目からこぼれる涙は、先ほどと同じく大粒だった。どうしてこんなことになって
しまったのか、よく分からない。泣きながら、鼻をすすりながら。一つ一つ丁寧に洗って、時折目を拭いながら、それでも黙々と何も
喋ることなく作業を続けた。誰かが通る足音がすると、その度に心が痛む。誰かが通るたびに、涙の数が増えていく。ウィッチという
存在は、本来華々しく輝かしいものであるはずなのに。それがどうして、上官に散々弄ばれ、挙句こんな情けない姿を見せなくては
ならないのか。エイラのプライドはズタズタに切り裂かれて、何をどうすればいいかさっぱり分からなくなってしまっていた。
……一度、マルセイユがエイラの後ろを通った。エイラにはそれがマルセイユだとは当然分からなかったが、エイラを見下ろす
マルセイユの目は笑っていない。
――これは、少々難しいかもしれないな。
素質はあれど、精神も体も全然あるべきところへたどり着いていない。それに気づいてやれず、分不相応な訓練内容にしてしまった
ことはマルセイユ自身も反省している点だ。だが、いつまでも甘やかしてやるわけにもいかない。もしずっとこんな状態が続くようで
あれば―――、その時は。
――なるほど。スオミがここに送り込むわけだ。
きっと、エイラの元の所属の上官は人を見る目が相当良いのだろう。そんなことを考えながら、マルセイユは再び歩を進めた。その
上官が、気が弱くすぐ泣き出す上にドジや物忘ればかりの残念な子だなんて、よもや思いもしなかっただろう。
去り際、マルセイユは聞こえないぐらいの小さな声でつぶやいた。―――ごめんな。その顔は純粋に部下を想う慈愛に満ちたものだった。
自分の教え子が飯も食わずに黙々とノルマをこなす姿を見て、何も思わないわけは無い。目に浮かぶ水気が、少しだけ増しているように
見えた。
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結局その日、エイラは食事を摂らなかった。翌日の朝食も摂ることはなく、午前の訓練に出る。マルセイユや圭子が心配したものの、
沈みきった心では食欲はそう芽生えないらしい。本人が要らないというものを強制的に押し付けるわけにも行かないので、心配しつつも
その日の訓練を開始。前日が前日だっただけにあまり厳しい訓練は行わず、その日は模擬戦もすることなくスキルの上達をメインに訓練を
続けた。単純な射撃の腕は見事なもので、その日圭子とマルセイユが用意したダミーターゲットはすべて撃破に成功。最後にクレー射撃の
要領で空中の動く物体に対する射撃訓練も行ったが、こちらも一発も外すことがなかった。それで少しは気分を良くしたのか、訓練を
終えて着陸するときには幾分か顔にも明るさが戻っていた。だが圭子とマルセイユが昼食に行こうとしても、エイラだけは行こうと
しなかった。まだ食事を摂る気にはなっていないのかと心配したが、後で聞いたところ二人とはタイミングをずらしてきちんと食べたらしい。
前日の夕食と朝食と食べなかっただけに空腹だったらしく、普段より多く食べたという話だった。何とか一安心した二人は、午後は高機動
時訓練を行った。高機動時に体にかかる負荷に耐えるための訓練で、少しずつ負荷に慣れていくことで徐々に高機動に体を順応させるものだ。
といってもこれは一朝一夕でできるものではないので、日々少しずつ負荷を強めていくほか無い。昨日のこともありあまり無理をさせる
わけには行かないので、エイラの反応を見ながら少しずつ進めていった。少し気を配ってやるとうまく行くらしく、今日は二人の予想より
良い成績で訓練を終えたのだった。当初のメニューよりランクを下げてメニューを作り直したことで、エイラの技量に丁度良くなったらしい。
それからはエイラの成績も徐々に伸び始め、数日後には何事も無かったかのように和解したのだった。
とはいえ、やはり調子がいいと過度に期待してしまうのが人間の性。エイラが子供であると同時に、圭子とマルセイユも大人ではなかった。
それは、エイラが脱走してから数週間後の出来事。
「もう一度やってみようか。大丈夫、あなたならできるわ」
「えー、まだやるのかよー……もういいじゃんか」
『そう諦めるな。もう少しやってみよう』
「……しょうがないなー。でも結果は変わんないと思うけど」
エイラが訓練用のMG42を構え、そして――目に見えないほど遠くにあるターゲットを狙う。微かに点ぐらいに見えるそれは、圭子も
双眼鏡を使わなければ見えないほどであった。遠距離狙撃の訓練――ここのところ中距離や偏差射撃の調子がよく、少しずつ距離を離しても
命中率が極端には落ちなかったことから踏み切った。だが十発撃って結果は全滅、近くにさえ当たらない。さすがにいきなりアウトレンジは
無理がありすぎたか。加えてMG42という狙撃には向かない軽くない機関銃、マルセイユならともかくまだまだようやくルーキー卒業ぐらいの
エイラには厳しい課題だった。
―――狙いを絞って、静かに引き金を引き――だが、それはわずかな風にあおられて見当違いの方向へ飛んでいく。
「二十メートルずれたわね」
「だから無理だって言ったじゃないか」
『もうちょっと風を読んでみろ。弾が放たれて着弾するまでの間でそう一気には変わらないから、今吹いてる風にあわせて修正してみろ』
「……はあ、それはつまりもう一度やれってことなんだな」
仕方なしにエイラはもう一度構え、マルセイユに言われたとおり少しだけ狙いをあえて逸らしてみた。……だが今度は狙いをそらしすぎて
しまったらしく、逆方向に大きく外れてしまった。もっと細かく修正するように言われ、あたらないことが未来予知を使わずとも分かりきって
いるにも関わらずもう一発撃つ。やはりそう近くない場所に着弾し、うまく当てることができない。
そんな調子で、ああしろこうしろと指示を飛ばされるうち、マガジンをひとつ丸々食いつぶしてしまった。はあとため息をつき、しかし
もうこれで終わりになると少し解放感もあった。当てられなかったのは悔しいが、もう少し段階を踏まないといけないのは火を見るより
明らか。ぐっと両腕を伸ばして、あまり深く考えないようにした。
……ところが。
『ちゃんと取れよ』
「ん? って、お、おいっ、まま、待ッ!」
いきなり上空から降ってきた黒い物体。エイラは慌てながら急いで未来予知を発動させ、落下地点を予測。なんとかそこに移動し、
ふらふらながらもキャッチに成功し――その手に握られた物体に、愕然とした。
『筋は悪くない。磨けば良くなるぞ』
「あのさあ……もう無理だよ」
『なんでもすぐに諦めるのはよくない』
「それ何度目だよ」
先ほどとは比べ物にならない盛大なため息を吐いて、やむなくマガジンを入れ替える。そして先ほどの射撃位置に戻って、再び目に
見えない標的に狙いを定め―――。
それから数十回撃って、魔力も腕もかなりヘタりつつあった。時間にすればそう長くは経っていないはずだが、なにしろ異常に遠い
ものを狙わなければならないのだ。目も疲れるし、ずっと飛び続けているだけでも魔力を消費する。その上銃を握り続けている以上
腕も疲労し、大分それらが蓄積してきていた。
だが、マルセイユはそんなことになど構っていない。
『んー、着弾位置からして悪くはないんだがな……』
「うう、疲れてきたぞ……」
『弱音を吐くな、情けない』
「ちょっとティナ、それは言いすぎ」
『おおっと、すまん』
時折圭子が注意しながら、それでも圭子からも止めようという意思は感じられない。あくまで、気は使ってやってるんだから少しは
努力しろ、という姿勢を崩すつもりは無いようだ。エイラは内心、何度目になるか分からない深いため息を吐いて、仕方なしに銃を
構えた。それからは腕の疲労も祟り、更に集中力も皆無に近いほど低下してきていることから随分と狙いが甘くなってしまう。そうして
撃っても撃たなくても変わらないような射撃ばかりを繰り返していると、上空から少し厳しい言葉が飛んできた。
『エイラ、肩の力を抜くな。集中して前を見据えろ』
「……あのなあ。私にも体力ってもんがあるんだ、集中も何も無茶だろ」
『自分で限界を作るな、もっといけるはずだ』
「んー、そうねえ……無理をするなとは言わないけど、人間って意外と耐えられるモンよ?」
またこのノリか。エイラは数週間前の事件を思い出し、まさかと思いながら見た目だけ真面目にやることにした。割と本気で疲労が
溜まり始めており、じっとターゲットを見つめるように目を開くのも辛くなりつつある。腕もふらふらだし、足もだいぶ安定性を欠く
ようになってきた。撃てても、せいぜいあと十回が限度か。
……一発目を撃って、全然関係ないところへ飛んでいく弾を見る。流石にこのまま続行されてはきついからと、エイラは申告した。
「なあ、そろそろ体力が限界なんだ。あと九発撃ったら終わりにしてくれないか」
「そう? まあ、無理はできないわね……とりあえず撃つだけ撃ってみましょう」
『それから考えよう』
あくまで終わる気は無いらしい。くそ、とエイラが小さくこぼす。
『―――何か言ったか?』
「いーや、なんにもー」
『……そうか』
「ティナ」
『……すまん、つい』
圭子に諭され、マルセイユが小さくなる。エイラだって、好き好んで外しているわけではないのだ。それからは残り九発と自分で
宣言したこともあり、やはり気持ちを入れ替えて真面目に狙うことにする。風を読み、自重で落下する軌道を考え――ここを狙えば
あたるんじゃないかというところへ銃口を向け、引き金を引く。――先ほどよりも若干近づいた着弾点に、圭子とマルセイユが
喜んだ。ようやく見れた教官の喜ぶ顔に、エイラも少しだけ頬が緩む。再びサイトを覗き込み、狙いをつけ――。
――そして気づけば、二十発目を撃ち終わっていた。
「なあ……もう終わろうよ……」
『さっきお前が「あと九発」と言った次の弾が一番良かった』
「諦めなければ大丈夫よ」
……ふざけたことを。少しずつエイラの心の中に苛立ちが募り、それでも何とか当てようと銃を構えた。果たして、この訓練の為に
どれだけの弾を消費したことか。朝から始め、昼の休憩を挟んで、既に空は紅に染まっていた。
- - - - -
――結局。変わらないんだ。
「私が何をしたっていうんだ」
気がつけば、エイラは前と同じ基地から遠くはなれた場所に座っていた。地面に人差し指で絵を描きながら、しかしその地面は点々と
ところどころ湿っている。
……結局、手足がガクガクになってもまだ続けさせられ、日が暮れる直前まで撃たせ続けられた。なのに一発も命中させることはできず、
どれだけ真剣にやってどれだけ精密に狙っても、十五メートルを切ることはできなかった。だが教官たちは納得が行っていないようで、
エイラを責めることこそしなかったものの、満足はしていない様子だった。
当てれなくて、当然だった。いきなりキロメートル単位で距離を離されて、あっけなく当てられる人間がどこにいるものか。しかも
ライフルならともかく、エイラが扱っているのは機関銃だ。本来狙撃をするような銃ではないのに、それで狙撃をしろというほうが
無理がある。それでも、マルセイユは自分ができるからとそれを推し進めたのだ。人には個人差があって、できるできないは個々で
違うというのに。
……当てたくても当てられなくて、体力の限界が来てもまだ飛ばされて、挙句の果てには不満を露にされる。少なくとも真面目には
やっていたはずなのに、それで文句を言われたら誰だって嫌になるのは当たり前の話だ。エイラが基地から出て行こうとしたとき、
タイミングの悪いことに一瞬だけ圭子の目に映ってしまったらしい。そのためすぐに逃げ出すとばれると踏んでしばらく物陰に隠れて
いたのだが、会話を聞いていると圭子が珍しくマルセイユと口喧嘩を繰り広げていたようだった。時折聞こえた単語から察するに、
何故途中で訓練を止めなかったのかで喧嘩していたらしい。……結局、喧嘩をするだけで自分を探しに来てはくれないようだ。エイラは
ここに自分の居場所はないと判断して、基地から飛び出した。それが数分前の話。
「……私が、何をしたっていうんだ」
しゃがみながら指先をこねくり回していたが、やがてそれは体育座りに変わっていた。左腕は脚に回って、右手で絵を描く。だが
だんだん虚空が心を支配していき、どうやっても上手く行かず、教官からは見捨てられ、何故こんなところにいるのかと疑問を抱く
ようになってしまう。圭子もマルセイユもエイラを見捨てたつもりなど一切なく、それどころかエイラのことを心配して仕方がないのが
本当のところだった。だが当のエイラに、それが届くわけもない。
孤独がエイラを満たし、やがてそれは大粒の涙になって姿を現す。
「……私が、私が、何をしたっていうんだよ……なんかしたかよ……」
いつの間にか地面をほじくっていた右手は、左手とともに膝を抱え込んでいた。砂漠の夜はひどく冷え込み、体を冷たくする。そして
今のエイラにとっては、心さえもその冷気で冷やされつつあるように思えた。結局、訓練という名目の下自己満足の為に使われ、自分の
主張を行動にしてみても、それを顧みてくれる人は誰もいない。
本当は、ここに居ることを知ってほしかった。誰も居ないこの場所で、孤独に震えていることに気づいてほしかった。人は居ても、
誰も自分のことを考えてくれてないと、悲観的になっていることを分かってほしかった。誰かに、迎えに来てほしかった。けれど、誰も
知らないこの場所で膝を抱えていることなんて、誰にも分かるわけがない。それが今のエイラにとっては、誰も探してくれていないように
思えて仕方がなかった。その思いが、更に孤独を加速させる。
「なんで……なんで私はこんな目に遭わなきゃいけないんだよ……」
……自分はただ、ウィッチとして―――ウィッチとして――。
――ウィッチとして、何がしたかったんだろうか。ウィッチになって、どうしたかったのだろうか。スオムスで訓練を受けて、この地で
訓練を受けて、その結果何がしたいのか。……自分にも、答えが分からない。
「くそ……くそおっ……」
エイラの目から、大粒の涙がこぼれる。苦しくて、悲しくて、寂しくて、辛くて。あの日のように、ひたすら一人で泣き続けた。
……マルセイユと圭子が、二人して双眼鏡を手に必死に砂漠の中を走り回っていることなんて、エイラには想像もできなかったから。
- - - - -
エイラが基地に戻ってきたのは、就寝時間を過ぎてからだった。比較的人の少ないところから、こっそりと敷地に戻る。だが未だに
明るく灯る光は、基地がまだ活動状態にあることを知らせている。どうしてだろう、なんでこんな夜遅くまで。……その答えは、井戸を
目にしたときに分かった。
「あっ……」
思わず、声がこぼれる。しまったと思って口を両手で塞いでも、もう手遅れだった。
「……エイラっ!」
――本来エイラの部屋に置かれるはずであっただろう洗濯物。それを一人で黙々と洗っていたマルセイユが、エイラの姿を視界に
認めるなり血相を変えて駆け寄ってきた。
「寒くなかったか? 大丈夫だったか?」
「……なんで」
手近にあったタオルで手を拭いてから、近くのテントの中に丁寧に畳まれていた毛布を持ってきてエイラにかける。そこまでされるとは
思っていなくて、エイラは目を丸くした。それからマルセイユはエイラを食堂へ連れて行き、圭子たちに連絡を入れるとエイラの夕食を
用意した。
……なんで、こんなことをしてくれるんだろう。出て行く前は、ひどく冷たかったのに。
「すまなかったな。前も同じことをやったというのに、どうも学習能力がないみたいだ」
「……」
「ほら、ホットミルク。あったまるぞ」
「……大尉にそれは似合わない」
思ったことをつい口にする。マルセイユははっとして、少し悲しそうな顔を一瞬だけ浮かべた。どうしてだろうと考えて、あ、と思い
至った。
「……本当にすまなかったよ。お前を強くしてやりたいのは本当なんだが……集中してしまうと、周りに目が向かなくなる」
エイラがホットミルクを受け取って、ちびちびと口へ運ぶ。その間もマルセイユは立ったままで、エイラは座ればいいのになんて
少し場違いなことを考えていた。
――『大尉』。その呼び名がマルセイユに与えたショックは、そう小さくなかったらしい。
「昔の悪い癖がまた出てきてしまったみたいだ……いかんな」
「……昔はそんなにひどかったのか」
「ん? ああ、かなりな」
マルセイユの顔が少し明るくなって、過去の自分について語りだす。……聞けば聞くほどやんちゃ小娘で、今のエイラよりよほど
酷かったことが伺い知れた。それは最初の十秒でなんとなく気づき、三十秒で確信に変わっていた。しばらくマルセイユの身の上話が
続いて、その間に食事が冷めるといけないからと手をつけ始めた。だがそれでもマルセイユのトークは止まらず、意外と熱い面も
持ち合わせてるんだなあ、なんてズレたことを考えていた。……しかし、あまりに長いので少々聞き飽きる。
「……大尉」
「ん?」
「……反省、してんのか?」
『集中してしまうと、周りに目が向かなくなる』。ぼそ、とつぶやくと、マルセイユの顔がゆがんだ。しまった、と口には出して
いないものの、心の中では叫んだことだろう。
「冗談だよ」
「すまん……」
「うん、冗談。……冗談だけど、さ」
エイラはそれまでカレーを掬っていた手を止め、スプーンを皿に置いた。エイラの顔に影が落ち、瞳が水気を増す。
「……なんで、気づいてくれないんだよ」
少なくとも、今まで訓練で手を抜いたことはなかった。今まで訓練の中で、辛くないときに辛いと言ったことはなかった。今まで
助けてほしくないときに、助けてと言ったことは一度もなかった。……なのに、エイラの言葉を本気として受け取ってくれる人は
誰一人としていない。圭子もマルセイユも、エイラが辛いと主張しても『もう少し大丈夫』と無理矢理引っ張ろうとする。それが
できないから辛いと主張しているのに、できると言って強制的に流させられる。それで出来ているように見えるのは、エイラが
強がって無理をしているからだ。決して体力に余裕があるからではなくて、ない体力を搾り出してなんとか頑張っているだけ。
前の模擬戦の時もそうだ。エイラは未来予知を実戦で生かせるほどの技量にはまだ至っていない。だから使おうと思っても使えないし、
飛び続けるのには体力が限界だからもう止めてくれと主張した。それなのに、まだ飛べているから大丈夫と無理矢理続行させられ、
そのために訓練でさえ使ったことのなかった未来予知を使わされた。あれは体力にあまりがあったから使ったのではなくて、体力の
限界を超えて無理をして飛んでいたから、それ一本で終わらせるために使ったのだ。なんとしてもあの一回だけで終わらせたかった。
逆に言えば、無理して未来予知を使ってまで、きちんと訓練をクリアしたかった。それだけの主張を口や行動で示しておきながら、
マルセイユはエイラをエリアオーバーで撃墜判定にするという方法をとった。エイラは本気でやっていたのに、マルセイユはエイラと
真正面からぶつかることを避けたのだ。そして圭子はマルセイユのほうを認めた。
――どれだけ本気であることを訴えても、誰もエイラが本気だと気づいてくれる人は居なかった。
「私だって、ケイやティナの喜んでる顔みたいよ。でも肝心の二人が気づいてくれないんじゃ、どうしようもないじゃんか」
エイラの目から、再び涙がこぼれる。
本気でやって駄目なら、どうすればいいんだ。これだけ全力でやっているのに、それを受け取ってもらえないなら、ほかにどんな
手段を使えばいい。エイラが孤独を感じる一番の要因は、そこにあった。
……それからエイラの言葉は続かず、ただ咽び泣くだけだった。少しの間そうしていると、不意に背後から手が伸びてくる。びくんと
肩を震わせて、しかしそれには構わず、両肩の外側から伸びてきた手は、ゆっくりとエイラを抱え込んだ。……光を照らし返す黒い
ジャケットが、目の前で鮮やかに写る。マルセイユの軍服をこんなに間近に見たのは初めてだった。
「ごめんな。気づいてやれなくて、ごめんな」
「……」
「私たちも、どれだけエースともてはやされたところで、所詮人間だからな……私達が正しいなんてこと、なかったんだよな」
エイラを抱えていた手のうち片方が、エイラの頭へと伸びる。そしてその手が、エイラの綺麗な白髪をゆっくりと撫ぜる。それは
とても柔らかくて、とても暖かくて、この基地に来てから今までずっとエイラが求めていた温もりだった。
「……次からは、気をつけるよ。ごめんな」
「うう……っ」
見れば、マルセイユの目にも涙が浮かんでいた。
……やっと。やっと、エイラの本気が届いた。やっと受け取ってもらえた。ずっと気づいてほしくて、ずっと頑張ってきて、でも
ずっと受け取ってもらえなかったもの。それがようやく届いて、通じ合えた。……それ以上、エイラの口から言葉は出てこなかった。
代わりに出てきたのは、前に基地を抜け出したときも、今回も、この基地に来てからずっと溜め込んできた、辛さや悲しみ。それら
ずっと我慢してきた寂しさ。……それらが、声と涙の形をとって――。
「うわあああああああああああああっ――!」
「ごめんな……ごめんな、エイラ。もう一人にはしないからな」
「ううっ、ティナのばか! ティナのばか! ううう!」
マルセイユに抱きついて、大声で泣き叫ぶ。もう、我慢なんてしたくない。我慢なんて、しなくていい。しばらくエイラは、そうして
マルセイユに泣きついていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「あー、恥ずかしい」
「いや、見ものだったぞ、それなりに」
「……お前、反省してないだろー」
「してる、してるって。すまなかったよ、ほらこのとおり」
「だからもういいってば」
エイラは冷め切ったカレーを完食して、冷たくなった『ホットミルク』を飲み干した。物理的には冷たかったが、だがそれをエイラの
為にとっておいてくれたマルセイユや圭子の温もりは、十二分に伝わった。今はマルセイユが入れなおしてくれたホットミルクを、両手で
抱えてちびちびと飲んでいるところだ。もう二人は完全に打ち解けて、軽口を飛ばしあっていた。
「……ところで、いきなりなんだが」
「うん?」
「お前はどうしてウィッチになろうと思ったんだ?」
マルセイユが、エイラに尋ねる。それは素朴な疑問だったが、常々気になっていたことだった。前にエイラが逃げ出したとき、いつか
もし同じことになってしまったらそれで励まそうと思っていた言葉だ。マルセイユが見ている限り、エイラには戦う理由が無いように
思えて仕方が無かった。
「……周りが、必要としてたから」
少し顔に影を落として、エイラがつぶやく。あまり触れてほしくない過去らしく、進んで答えようとはしなかった。だが、それでも
マルセイユは問う。――もっとちゃんと、エイラのことを分かってやりたいから。気づいてやりたいから。
「じゃあ、お前はなんでそれを受け入れたんだ?」
「他の人の力になりたかったから……なのかな」
「空に楽しみは?」
一番聞きたかったことを尋ねる。……エイラの先ほどの言い分を聞いていても、やらなきゃいけないからやっているという印象しか
受けなかった。マルセイユや圭子は空を飛ぶことが楽しくて仕方が無いのだが、エイラからはそういった感情が感じられない。それは
訓練しているときもそうだし、地上でもそうだった。
「……あるわけ、ないだろ」
ぼそ。エイラが、小声ながらも力強く返事をした。本当は、飛びたくなんて無いんじゃないか。実は嫌々やらされてるんじゃないか。
そんなことを考えて、マルセイユはふっと息を吐いた。――だったら、教えてやらねばならんな。教官として……親友として。それまで
真剣に話を聞いていたマルセイユだったが、いきなり声のトーンを変えて軽口を飛ばす感覚で言い放った。
「なんだ、つまらん奴だ」
「おい、ちょっとどういう
「もっと空を楽しめよ。別に私たちは、戦うためだけにしか飛んではならないわけでもあるまい?」
にやり。意味深な笑みを浮かべるマルセイユ。エイラはその真意を掴み損ね、怪訝そうにマルセイユの顔を窺っていた。すると
マルセイユは有無を言わさずいきなりエイラの手を掴み、空になったマグカップをテーブルに放置して食堂から引っ張り出した。
「な、なにすんだよー!」
「いいから来い」
「い、いて、ちょ、ちょっと引っ張るなって!」
マルセイユは楽しそうにエイラを引っ張り、砂漠の基地を走り抜ける。エイラが見つかったことですっかり静まり返っていた基地は、
今や目を覚ましているのは二人だけであった。その中でマルセイユがようやく立ち止まると、そこにはBf109F-4とBf109G-2が停まっている。
マルセイユがエイラを引っ張ってきたのは、駐機場であった。
「なにすんだよ」
「いいから、ほれ」
親指で指差すは、ストライカーユニット。……つまりは履けということだ。
「それ、脱走じゃすまないぞ」
「いいから乗れって。私が居るから問題ないさ」
「だったら責任取ってくれよ」
言いながら、渋々ストライカーを履くエイラ。ふふん、と面白そうに笑うマルセイユ。そして滑走することなくそのまま大空へ舞い上がると、
マルセイユが高らかに宣言した。
「それは保証できないな!」
「んなっ!?」
無理矢理飛ばせておいて、罪を問われても責任は保証できないと言い出した。まるで今日の訓練のままで、エイラも思わずマルセイユを
怒鳴りつけた。反省してんのかおまえ。
「ふざけんなよ、それどういうことだー!」
「さあな!」
「おいこら、ちょっと待て、逃げるんじゃねええー!!」
「捕まえられるものなら捕まえてみろ、ほれほれ!」
自由に大空を飛び回るマルセイユに対し、まだ高機動には慣れていないエイラ。マルセイユのほうが有利なのは火を見るより明らかで、
どれだけ接近しようとどれだけ速度をつけようと、まるで意に介さないかのようにひょいひょいと軽々しく避けられてしまう。だがそれでも
諦めることなく、エイラは果敢にアタックする。その動きは今まででもっとも鋭く、そしてもっとも自由で、何かから解き放たれたように
しなやかだった。
そしてしばらく二人で鬼ごっこをしていると、もうひとつのエンジン音が聞こえてきた。何かと振り向いた途端、インカムからは耳を
破壊して余りある声量が飛び込んでくる。
『くおおおおおおおおおおらああああああああああ!!!! あんたたち、二人してなにをやっとるかああああああああああ!!!!』
「うわっ、ケイが来た、逃げろ」
「え、ちょ、ちょっと待て、逃げろっておま
『待ちなさああああああああい!!!!』
「う、うわあ!! こここっちくんなあぁぁぁ!!」
咄嗟に加速し、圭子のリーチのほんのぎりぎりのところをかわす。圭子が舌打ちし、ふうと一息つく間もなく急旋回で再び迫ってくる。
冷や汗をたらしつつ、なんとかギリギリを避け続ける。そこでぴんと閃き、エイラはいっそのこと、と高をくくって魔力を行使し始めた。
―――未来予知で、圭子の来る先を読む。
それからというもの、先ほどまでは素でギリギリだった避け方が大きく変わった。圭子が迫るギリギリまで避けず、これで終わりだと
思った瞬間にひらりとかわす。完全に圭子を弄ぶ飛び方で、疲労を覚えるよりも先にだんだん楽しくなってきてしまった。
「ほらほらこっちだ、捕まえてみろー!」
『こんのおぉぉぉ、散々人を心配させておいて!!』
「そ、それはそっちの自業自得の面もあるだろー!」
『ひ、否定はしないけど!』
「マルセイユには謝ってもらったけどケイはまだ謝ってないだろ!」
『それとこれとは別よ!』
挑発しながらあちらこちらと飛び回っているうち、ふと地上のほうでマルセイユが手招きしているのが見えた。よし、とエイラは
ひとつ笑みを浮かべると、先ほどまでと同じくギリギリで圭子をかわす。そしてかわした瞬間エンジンを切り、エンジン音を無くして
圭子の策敵手段を減らし――そのまま地上へ自由落下し、最後にシールドで自重を受け止める。うまく圭子の死角を突いて、圭子から
逃げた形だ。そして目の前にはマルセイユ――手招きされた地点に、狙ってきちんと降下できた。
『あれ、ど、どこいったのよ!』
「ふっふーん」
『こんの、馬鹿娘どもー!!』
ギャアギャアと騒ぐ圭子。あまりに五月蝿いからとエイラとマルセイユはインカムを外し、その場に座り込んだ。二人は言葉を
交し合う。
「はー、参った参った」
「こっちの台詞だろ! 一人で先に逃げやがって!」
「まあまあ。お陰でこうして隠れれただろう」
「ていうか、元々ティナが無理矢理連れ出さなければこんなことにはなんなかったんだよっ! なにがしたかったんだ!」
詰め寄るエイラに、マルセイユが小さく笑う。なんだよ、と怪訝そうな顔を浮かべるエイラに、今度は微笑を浮かべてマルセイユが
空を見上げた。……その雰囲気の変貌振りに、エイラも戸惑う。
「――なあ、エイラ。さっきのお前、随分と楽しそうだったな」
「え? あ、ああー……まあ、そうだなー。結構楽しかったかも」
「もしお前からストライカーユニットを奪ったら、それは二度と出来なくなる」
マルセイユが放った言葉に、エイラがはっとした。先ほど、空に楽しみがあるのかと問うたマルセイユに対し、そんなものあるわけ
ないと返したエイラ。だが実際、訓練から解放されて自由に飛んでみればどうだ。まるで大空を散歩しているかのように、とても
気持ちよくて、楽しくて。加えて悪戯好きのエイラからすれば、追い掛け回されるのもまた一興。ひらりひらりと交わすのは、この上なく
気持ちのいいことだった。
……そうか。マルセイユが伝えたかったことに、ようやく気づく。
「空を自由に飛ぶことに、理由とか強さとか、そんなものは必要なのか?」
エイラが顔を上げる。マルセイユは、満足そうに笑っていた。
「分かったなら好きなようにしろ。もし分からないなら、帰ったほうが身のためだ」
――今度はエイラも、満足げに笑った。再び立ち上がってストライカーを起動させると、大空へと再び飛び上がった。マルセイユも
後を追って離陸する。
「ああ、帰るよ。私の居場所にな」
「ほう、そうか」
ふと見れば、圭子がこちらに気づいて振り向いていた。……さあ、鬼ごっこの再開だ。
「ここは私の家だー、誰よりも良く知ってるんだからなー! 捕まえれるモンなら、捕まえてみろー!」
ようやく、満面の笑みを浮かべるようになったエイラ。圭子もそれを見て満足したらしく、マルセイユのほうを見て苦笑する。どうやら
今回は、圭子も一杯やられたことを認めたらしい。だが規則違反は規則違反、なおも圭子は食い下がる。今度こそとっつかまえてやると
襲い掛かろうとする圭子、こっちへ逃げろと手招きするマルセイユ。――エイラは未来予知を発動させて、ほくそ笑んだ。
「悪いけど、どっちにも行く気はしないね」
突如、基地に向かって急加速するエイラ。流石にそれは圭子もマルセイユも予想外だったらしく、驚いてエイラを見やる。かのエイラは
駐機場へ飛び込むと、自分のストライカー駐機台から自らの得物を掻っ攫って再び上空へ戻ってくる。――一体何をしでかすつもりか、
二人にはさっぱり分からない。
「私は二人に従うより、英雄になって凱旋するんだ」
ニンマリと笑って、二人をあっけなく追い越して更なる上空を目指すエイラ。なんだろうと圭子が双眼鏡で後を追うと―――エイラの
その向こうに、五機の小型ネウロイの姿!
「な、ちょ、ちょっと―――」
圭子が思わず叫び、エイラを止めようとする。素人が一人で先行するな、危険だ。そう言って止めようとしたが、だが時は既に遅かった。
エイラのMG42が火を噴き、五つの機影を捉える。各機は散開して直ちにエイラを追おうとするが、未来予知を発動させているエイラには
意味の無い行動だった。ターゲットの場所を先読みして、的確にその位置に弾を撃ち込む。無駄弾はまだまだ多いけれど、それでも
圧倒的優位のままに、一分足らずで五機すべてを殲滅した。――マルセイユも圭子も、半分あいた口がふさがらない状態だ。今日の今日まで
新人だったはずのエイラが、たった一人で機動性に優れる小型ネウロイを一瞬で撃墜したのだから当然だろう。しかも五機撃墜ということは、
一日でエースになったことになる。
「――おいおい、ふざけた話だ」
「まったくね」
呆れ顔の二人。そこにエイラが降りてきて、満面の笑みで叫んだ。
「なあティナ、空って楽しいな!」
「そうだろ。空ってのはいいもんだ」
「そうね。これだけ大きな空を自由に飛べるのは、やっぱり気持ちのいいものだわ」
「ケイもそう思うよな!」
「ええ」
はしゃぐエイラに、笑みを返すマルセイユと圭子。加えて圭子は、マルセイユにも笑みを返した。……意図がつかめず首をかしげる
マルセイユだったが、何かに気づいたように目を丸くする。だが、既に時は遅かった。
「捕まえた」
エイラの右手と、マルセイユの左手を掴む圭子。
「あ」
「あ」
……チェックメイト、であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「へえー、ティナがそんなこと」
「まーなー」
興味津々といった風で、身を乗り出して話を聞いていたエーリカ。エイラは少し恥ずかしい過去を語っていたため、適当に返事を返す。
この部隊に来てから既にいくつか悪戯をしでかした気がするが、それもこれも全部。かつての教官がそう教えたせいだ。文句を言うなら、
マルセイユに言え。エイラはそんなようなことをこぼして、にひひと笑みを浮かべる。そのままどこかへ立ち去って、エーリカはひとつ
息を吐く。
「そーゆーのはミーナに言ってよねー。私はエイラの同志だってば」
笑いながら、一人つぶやく。――だが次の瞬間、慌しくドタドタと駆け込んだ人に目を丸くした。
「ど、どったのトゥルーデ? そんなにあせって」
「あ、あの新人はどこへ行った!?」
「いや落ち着いて、何があったのさ」
「あの馬鹿! 私のコーヒーに肝油なんぞ入れやがった! カールスラント軍人を侮辱するなど、一発殴って根性を叩きなおしてくれる!」
「あー、はいはい。問題は起こさないようにねー」
「も、問題なんて起こすわけが無かろう! で、あいつはどこだ!」
「エイラならハンガーだよ」
「わかった、ありがとう!」
―――再び騒々しく走り去っていくゲルトルート。その背を見届けた瞬間、エーリカは思い切り噴出していた。エイラって意外と
したたかなんだな。地味にそんな悪戯するなんて。そんなことを考えつつ、窓の外を眺める。
――前言撤回。私よりさ。ミーナもだけど、トゥルーデに言ってやってよね。私は文句なんてひとつも無いけど、トゥルーデは文句の
塊みたいなモンだから。
昼食前の数十分。大空では、二人のウィッチが鬼ごっこに興じていた。
―――fin.