金猫銀孤


金猫銀孤


 ブリタニアの夏も盛りを過ぎようとしている8月の暮れ、戦時中の基地とは思えないほどに端正な佇まいを誇る魔女たちの館は、いつものように朝食時から騒々しかった。

「きょッ、今日という今日は許しませんわよっ」

「ふふん、ワタシがやったという証拠でも?」

ペリーヌはこめかみを引きつらせながら、洋風の装丁の中で異彩を放つご飯茶碗を指差す。
炊き立ての白米の上に、なんとも形容し難い大豆の醗酵食品がどろりと鎮座していた。

「わたくしが席を外したほんの僅かな時間で、こんなマネができるのは席の近い人間だけですわ! それに相手に地味で狡猾にダメージを与えるこの趣向はまさに貴女そのものじゃない!」

「随分な言われようダナ。デモそれだけでワタシが犯人とは決められないだろ。それに扶桑ではこういう風にしてご飯を食べるのが「ツウ」なんだよな、坂本少佐?」

相変わらずのニヤニヤ笑いのまま銀髪の狐は上官に話を振る。

「ハハハ、エイラは博識だな! ま、通かどうかはともかく納豆を美味く食べるひとつの方法ではある」

まさかそんな野蛮な! いいえ、これはまだ未熟な私には理解できない高尚な食事法なのでは!? ていうかなにげに坂本少佐に誉められてるじゃない! 許せませんわ!
と、信号機のように青から赤へ顔色を変えているペリーヌを横目に、今日も勝利を確信したエイラはゆっくりと食事を再開する。が、いよいよ堪忍袋の緒が切れたらしい
誇り高きガリア貴族の末裔は、これ以上ないほどにエイラに顔を近づけ、叫んだ。

「エイラ・イルマタル・ユーティライネン! あなたにけっと……ではなくて一対一の模擬戦を申し込みますわッ!」

「フーン。いいな、ソレ。そろそろドッチが上か決めておきたいしな」

売り言葉に買い言葉、突然の提案にもエイラは一つ、にやりと笑って受諾した。あまりにあっさりしていたのでテーブルの上座から慌てて声がかかる。

「ちょ、ちょっとエイラさん?あなた、今夜の哨戒任務のことを忘れてないでしょうね?」

「大丈夫、少佐の国の言葉で"アサメシマエ"ってやつだからな」

「はっはっは、エイラ、今食ってるのが朝飯だぞ!」

どうやら、この上官のズレたツッコミがゴングになったらしく、2人は図ったように同じタイミングで立ち上がる。
居並ぶ魔女たちは、あるものは呆れ、あるものは囃し立てながら両者の戦いの行方を眺めていた。

「大体、あなたのふざけた態度は前から気に障っていたのよ!」

「は。周りに当り散らすよりはいいんじゃないか?」

好戦的な笑みを浮かべるエイラと、髪の毛を逆立てそうな勢いで眉をしかめるペリーヌは、額をくっつけんばかりに顔を近づけて威嚇しあう。
険悪なにらみ合いがいよいよピークに達しようとする食堂の喧騒のなか、もはや衝突は不回避と見て、ミーナがため息をついたその時、
椅子を引く音が、唐突なタイミングで、あらぬ方向から響いた。瞬間、部隊の騒ぎが収まる。

「エイラ、ペリーヌさん、やめて!」

普段浴びることのない注目を集めながらも、しかし、黒猫の少女はほとんど叫びに近い声量を両者にぶつけた。凛とした声が広がり、
台風の目であった2人が、しぶしぶという表情で自分の席に戻る。一瞬忘我していた部隊長は隣でポカンとしている美緒にひじで合図した。

「あ、ああ……。エイラ、さすがにやりすぎだ。ペリーヌもそんなことで簡単に怒るな。こんなところでチームの和を乱しては空で勝利するなど不可能だぞ!」

「う、スイマセン……」

「ももっ、申し訳ございませんッ!」

素直に謝る二人を見て、サーニャが胸をなでおろす。一騒ぎの後の朝食は、珍しく粛々と終わった。




夕日の痛烈な光が、夜間哨戒のために閉じられたカーテンを貫き始めたとき、サーニャはうとうととベットから起き上がった。
 
「おはようエイラ……」
「あ、サーニャ……オハヨウ」

ベッドの持ち主は手持ち無沙汰にタロットを弄びながら、気まずそうにつぶやく。

「サ、サーニャ、さっきはゴメンな……。売りコトバに買いコトバってヤツで……」

「いいのよエイラ。私もいきなり大きな声を出してごめんなさい」

サーニャはボンヤリした寝起きの頭に、寝る前にずっと考えていたことがまだ引っかかっていることに気づいた。
その事を目の前の少女に聞くのは少し勇気のいることだったが、思い切って聞いてみることにした。

「ねぇ、エイラ」

「ナ、ナンダヨ」

「どうしてエイラはペリーヌさんに、あんなに……その、イタズラしたりするの?」

一瞬言葉に詰まったエイラは、少しの間視線を左上の空間に向けていたが、すぐにサーニャの方を見て、彼女には珍しい苦笑いを見せた。

「ハハ、アイツ変なところでマジメで不器用だから、ついついからかいたくなるんだ。そうそう、そういえばスオムスにも良く似たヤツがいて……」

「エイラ」

この二人の会話で、こんな風に相手の話を遮ることは滅多にあることではなかった。サーニャの深く、鮮やかな緑をたたえる瞳に見据えられたエイラは、当惑するしかない。

「カンベンしてくれよサーニャー。イタズラにソンナ深い理由なんてないんだってば。ルッキーニ見てたらわかるだろー」

エイラを困らせてしまったことを少し後悔したが、俯き気味に、しかし確かにサーニャは呟いた。

「だって、もっと知りたいもの。エイラのことを」

瞬間、エイラの顔は、夕日に負けないほど真っ赤になった。視線はふらふらと定まらない。微妙に痙攣すらしている。

「エ、エ、エッ、ソッ、ソレハッ、ドッ、ドウイウ、イミナンダ?」

「前に宮藤さんと一緒に戦ったとき、素直に思えたの。友達になることって、とっても簡単で、だけどすごく素敵なことなんだって」

「ト、トモダチ!?」

「そう友達。ペリーヌさんも今は時々冷たいことを言ったりするけど、それはペリーヌさんが私になにかを伝えたくて、でも私はそれを理解できないだけなんじゃないかなって思うの」

「ソ、ソレデ……?」

「だから……だから、仲良くなるには相手のことをもっとよく知らなくちゃいけないでしょ。だからもっと知りたい。エイラのことを、ペリーヌさんのことを、みんなのことを。……あれ、エイラ?」

窓辺に差し込む光の中、燃え尽きたような表情を浮かべるエイラを、サーニャは不思議そうに眺めていた。

たっぷり5分ほど彼女は動けないままで、サーニャは急病ではないかとしきりに心配したが、芳佳を呼びにいこうとベットから立ち上がろうとしたところで、不意にエイラが口を開いた。





 ブリタニアに新設される国際統合戦闘団への転属。流れるような銀髪を潮風にたなびかせながら、少女はその辞令を眺めていた。
冬戦争が始まって以来、スオムスの各地を転戦してきた彼女だが、これほど距離の離れた基地に配属されるのは初めてのことだ。
生まれてこのかた自分の国を出る機会のなかったエイラにとって1週間前、エディンバラに降り立ってからは興味深い体験の連続だった。
鉄道から眺めた麦畑は今まで見たこともないほど広大だったし、ロンドンは戦時中にもかかわらず、昔なにかの本で読んだとおりの賑わいを見せていた。
なるほど、ブリタニアが世界地図の中心に来るわけだとエイラは考え、同時にここを守ることの重要性を、理屈を超えたところで理解したような気すらした。
海沿いの道を進むトラックの荷台で、髪と同じ深遠な銀色に輝く瞳を擦り切れた紙からそらし、ひっくりかえって空を眺める。スオムスの空に較べれば灰色がかかって
すっきりしない色合いだが、それでも、飛んでしまえば。

「やることは同じダロ」

小さく独白する。同時に、おんぼろなトラックが甲高い悲鳴を上げた。車体の振動が急激におさまる。すると視界に中世の城砦を思わせる建造物が飛び込んできた。

「オイ運転手サン。アタシは観光に来たわけじゃないんだけどナ」

「地図ですとこのあたりに間違いないはずなのですが……」

頭を掻く若い兵士を横目に、今まで何百回と見返した紙をもう一度精読する。……確かに、間違いではなさそうだ。

「じゃぁナンダ、さっきウトウトしてたあいだにウェルズの小説みたくタイムスリップでもしたっていうのカヨ?」

「い、いえ、あの基地は最近設営が始められたばかりだと聞きます。おそらく、準備が進めば然るべき形になるかと……」

その言葉に対する返答をせず、エイラはそのまま基地の予定地を見据えたまま黙り込んだ。それを納得と受け取った兵士は、では出します、と言って錆付いたクラッチレバーを倒した。


 満潮時には恐らく水没寸前になるであろう細長い道を、年老いたトラックは控えめにものんびりとしか形容できない速度で走る。ここが前線であることが納得できなくなりそうだった。
そんなエイラの煩悶をよそに城に到着し、荷物を降ろした兵士は堅苦しい挨拶をすると、トラックでのたくさと走り去って行く。

「……ヤレヤレ」

ここ何年か戦い詰めの生活が続いていたエイラにとってはなんともやるせない感じだが、気分転換としては悪くないかと無理矢理に考え直した。
とりあえず着任の挨拶をするために、司令室へ向かわなければならない。しかし、当然初めて来る基地なので勝手がわからず、
道を聞こうにも人の姿すら見えなかった。

(だいたい、マンネルヘイムのおっちゃんも焦りすぎなんだよ)

スオムスが500万にも満たない人口でネウロイの侵攻を押しとどめられたのは、「いらんこ中隊」をはじめとする諸外国の支援が非常に大きかったからだ。
その恩義を受けたスオムスは、今回の統合戦闘団結成の際に、暗黙のうちに最大限の戦力を供出することが求められていた。
北方戦線の沈静化もあり、トップエースであるエイラは部隊結成が決まると、すぐにブリタニアへ派遣されることになったのだ。

(これだから小国は大変だよな)

思索を巡らせながら、もういくつ目になるかわからない角を曲がる。すると、中庭のような場所に突き当たった。

「うわ……すごいナ」

そこはすっかり朽ち果てており、石畳の隙間からは雑草が伸び放題、壁という壁にツタが絡み付き、
まさに廃墟のようだったが、上から差し込んでくる陽光に照らし出されるこの旧庭園は、なかなか趣きの深いものだった。
エイラは感心したように眺めていたが、不意に、光のなかでその目を細めた。この廃園にはふさわしくない、いや、
あるいはそれに最も見合ったものを見つけたかのように。

「誰かいるのカ?」

光の中のその影は小動物のように、今まで地面に向けていた視線を勢いよくこちらに向けた。
そして、エイラと同じように大きな瞳を細めながらその姿を見極めようとする。
エイラはその様子が少しおかしくて、ふっ、と口の端だけで笑った。

「ああ、幽霊じゃないんだな。ヨカッタヨカッタ」

「だ、誰なの!?」

影にむかって歩き出すと、少しづつその容貌が明らかになっていく。最初に印象付けられたのは彼女がまとっていた軍服の青だった。
スオムスのそれが空の青なら、彼女のものは海の青が近いといえるだろう。

「なにしてるんだ?」

「え、な、何って……」

彼女に近づくにつれて、その質問も意味を成さなくなった。少しクセのある金髪に銀縁の眼鏡をかけているらしい少女は、
片手に古びた真鍮の如雨露を持っていた。足元には小さな麻袋も見える。

「へぇ、種まきか。おもしろそうだな」

無作為に近づいてくる銀髪の少女に、金髪の少女は少しあとずさりをしながらも、確かに相手の目を見据えて、甲高い声で叫んだ。

「あ、あなたこそ幽霊じゃなくって!?」

「ワタシが? ……フフ」

眼鏡の少女が息を飲む音が聞こえたような気がした。

「ソノトオリ。ワタシコソガカツテコノシロヲオサメタヴァイキングノオウノサンバンメノソクシツデ……ん?」

訛り全開で設定を話し終える前に、神経質な猫を思わせる少女の意識は、見事に失われていた。

「スゲー、立ったまま気絶してる……」




「……お、目、覚めたカ」

日が傾いて中庭に鋭い夕日が降り注ぎ始めたころ、金髪の少女はようやくその金色の瞳を開けた。

「ッ……あなたは、誰?」

覚えてないのか、顔が良く見えなかったのかはわからないが、少女はエイラの膝からはね起きた。
きょとんとした顔でエイラは自己紹介をする。

「エイラ・イルマタル・ユーティライネン。スオムス空軍少尉」

エイラの説明は本当に必要最低限だったが、少女はとりあえずは混乱から脱出したらしく、大きく咳払いをした。

「ペリーヌ・クロステルマン。自由ガリア空軍の中尉ですわ」

ウェーブのかかった金髪をかき上げながら、ペリーヌと名乗った少女は軍服の埃をはらう。

「ガリア空軍……。随分と早い到着じゃないか」

「自由ガリア空軍の現在の任務はブリタニアの防空。地理的に早く到着するのは当たり前ですわ」

なるほど、とエイラは納得してかすかにうなずき、期待される質問に対する返答をしようとしたところ、ペリーヌはそれを片手を挙げて静止した。

「あなたがスオムス出身にも関わらずこれほど早く到着したということに関する説明なら結構ですわ。わたくし時間の無駄遣いがなにより嫌いなの」

「……そうかい」

少々カチンと来たが、まぁそこは流しておくことにしよう。異国人との交流はお互いの価値観に対する寛容さが重要なファクターだ。

「しかしまったく、近さでいうならブリタニアはそれこそ一番というのに、まだなんの準備もしていないなんて!本当にこの戦争に勝つつもりがあるのかしら!」

高慢ちきなヤツの意見に同意するのは少しの抵抗があるが、確かにそれは言える。

「まぁ、ブリタニア空軍の上層部はウィッチをあまりよく思っていない連中が多いって言うからな…………お、どうやら野宿はしないで済みそうだな」

ペリーヌには聞こえないボリュームでつぶやくエイラ。

「は?」

夕焼けのコントラストが急速に黒に傾いていき、すっかり暗くなった中庭に、すこしずつ、足音が近づいてくる。
理解できないという様子のペリーヌに、エイラは悪戯っぽく笑った。

「おーおー、幽霊サンのおでましかな?」
「ひィッ」

トラウマになっていたのか、あっという間に真っ青になったペリーヌを見てエイラは満足げだ。

「ここだけの話、実はこの城には言い伝えがあるらしいんだ。かつてこの城に身分を偽って仕えていた女騎士が……」

「ななな、なにをいうのユーティライネン少尉! 人類の最先端科学の結晶であるストライカーユニットを駆って戦うわたくしたちが、そんな非現実的な」
「お、光も一緒に近づいてきたな。人魂もセットでお付けしますってかー?」

ペリーヌの顔は青色を通り越してすでに白い。

「なななななな、ない、ありえません!ありえませんわ!そんなことこのわたくしが、みみみみ、認めるものですかーッ!!!」
「イヤイヤ、現実を見据えないのはまずいって。ほれ、もうすぐ中庭に入って……」

瞬間、空気が弾けたように感じた。目が潰れそうな光の奔流、さらにほんの僅か遅れて轟音が古びた庭園に響き渡る。続いてこの世のものとは思えない悲鳴。
そして焦げ臭い匂いが鼻に届いた時、エイラは中庭の入り口に向かって走り出していた。

「ちょっ、やばいだろ!」

立ち尽くして、毛を逆立てた猫のようになっている少女の固有魔法が電撃であることはわかった。ただ、そのすぐわかりそうな情報の代償はちょっと高くつきそうである。

「オイ、しっかりしろよ!」

中庭に差し掛かる寸前の廊下で、案の定この基地の設営要員と思われる老兵士が、炭化した姿であお向けに倒れていた。
あせって脈をとると、どうにか心臓は止まっていなかった。彼の頑丈さに感謝するしかない。
わずかに息をついたのもつかの間、さっきの雷鳴のせいか悲鳴のせいかはわからないが、ものすごい勢いでであっちこっちから荒々しい足音が近づいてくる。

「ぱ、パネェ……」

さすがにここまでの状況は、スオムスの悪戯王としてならしたエイラにとっても手に余る。とにかく、この騒ぎの発端者(?)をなんとかしようとエイラは振り向いた。

「……マジカヨ」

一日に二回も立ったまま気絶した人間を見た者は、たぶん、世界でも自分くらいしかいないだろう。




薄暗い日が続いていたドーバーにとって、今日は1週間ぶりの快晴であった。
そんな貴重な日にも関わらず、エイラはたった一個の裸電球しかない格納庫予定地でストライカーユニットの整備を行っていた。
シンプルな外見を持つストライカーは、その実、これ以上ないほどの先端技術の塊である。
海が近いこの場所で、屋外整備をすることは少々ためらわれた。
普通は、専門の技術を持つ整備員がその保守管理を行うのだが、この未完成極まりない基地には未だ一人の整備員も到着していない。
しかしこのような状況はスオムスでは珍しいことではなく、エイラの手は流れるように淀みなく動いている。
実際、エイラはこの作業が嫌いではなかった。静かに機械と向き合っていると、なんというか、内省的な気持ちになるのだ。

「よし、と」

輸送中にどこかおかしくなっていないかと心配していたが、愛機であるMe109のG型に問題は見当たらない。
そろそろ昼食時だし、ここいらで切り上げるかとエイラが腰をあげようとする。
それとほぼ同時に、この基地でエイラが今一番会いたくない人物が格納庫に現れた。

「……ヨォ」

「…………」

柔らかそうな金髪の少女は、ストレートの銀髪を持つ少女のなおざりな挨拶にキツイ視線を返すことで答えた。
そしてエイラの近くに来ると、そこにあった未開封の木箱の蓋をおもむろに外す。
エイラが首を伸ばして覗き込むと、その中には彼女のものと思われるストライカーが鈍い輝きを放っていた。
見たことのないストライカーだったが、液冷であることや彼女の国籍から考えると、おそらく前にスオムスで見たことのある、
MS406と同系統の機体だろう。ガリア製らしい、芸術品じみた流麗なシルエットが印象的だ。
と、エイラがぼんやりと眺めていると、ペリーヌは木箱からストライカーをおもむろに取り出した。
それは相当な重量があったが、魔力を持つものならそんなに大変というほどのものではない。

「……ちょっと、どいてくださる?整備ができませんわ」

相変わらずひっかかる言い方の好きなヤツだ、と思って少し場所を移そうとしたエイラは、ふと、彼女の言葉の違和感に気づいた。

「セイビ? アンタが?」

「……他に誰がいまして?」

「いや、アンタの雰囲気からして、『爺や、整備は終わりまして?』とかいうタイプかと思った」

「じ、爺やって……」

「もしくは『整備? 格納庫にクッキーとホットミルクを置いておくと、寝ている間に妖精さんがやってくださるのよ。ご存知ないのかしら』」

「……あなたがどんな目でわたくしを見ているかわかるような気がしますけど、わたくしはそういうの信じていませんの。妖精とか爺やとか」

爺やが実際にいるかどうかはともかく、魔導エンジンを扱う彼女の手つきは確かに正確であった。そして意外にもそれは、優しい。
流れる髪からは、戦場にいる者とは思えないほど芳しい香りが漂ってくる。

「……フーン」

「な、なんですの、じっと見つめたりして……」

「そういう風にしてる分には、昨日人を黒コゲにした魔女には見えないな、と」

「あれはあなたが驚かしたりするからじゃない! あんまり馬鹿にしないでくださる!?」

「イヤイヤ、始末書くらいで済んでよかったじゃないか」

実際あの後ひどい騒ぎになったが、まだ上官が到着していなかったり、
黒コゲになったベテランの兵士がなかなか鷹揚で「いやー、うら若い魔女殿の魔力をこれだけ浴びれば若返れそうですわい!」という感じの笑い話の方向に
持って行ってくれたおかげで、二人の少女は数枚の始末書を書くだけでほぼ無罪放免となったのだ。

「まったく! 今後一切あんなくだらないことはやめてもらいますからね!」

「エー」

「えーじゃありませんわ、もう!」

昨日から思っていたが、すばらしい反応だ。エイラ謹製の『いじりがいのあるウイッチ』ランキングでどこぞのついてない曹長と同率の首位にランクアップ。
自然とエイラの口元に浮かんだ悪狐じみた微笑みに、ペリーヌの肌が一斉に泡立った。

「そ、その気持ち悪い笑い方をおやめなさい」

「気持ち悪い?心外だな、まったく」

いままでの穏やかな手つきはどこへいったのか、ペリーヌはほとんど叩きつけるようにしてストライカーのエンジンカバーを閉めてしまった。
ラックに機体を立てかけると、肩を怒らせて出口へ。

「おーい、どこ行くんだよ?」

「あなたのいないところならどこでも!」

盛大な足音がハンガーに響き渡るなか、部隊の本格始動までのよい暇つぶしを見つけたことに喜びを隠せないエイラは
しばらく見るものの背筋が寒くなるような笑顔を止められなかった。




1日の中に四季があるといわれるほど、移り気なイングランドの空にしては珍しく上機嫌な空模様が続いていた。
目いっぱいペリーヌで遊び、整備を終わらせたところで、エイラは時計がそろそろ3時になりそうなことに気づいた。

「アー、そういえば昼飯マダだっタ。ハラヘッタナー」

薄暗いハンガーを抜けて、食堂へ向かう。いまだ仮設段階だが、とりあえずそこに行けばなにかあるだろう。
少し迷ったが、さすがにもう基地にも慣れてきたので、あまり時間もかからずに移動することができた。

随所に赤錆の浮いたドアを押し開けると、広々した空間が広がっていた。そこかしらに無造作に置かれた木箱が準備中、という空気をかもし出している。
適当に木箱を見繕って開けてみる。『Earl grey』と記された麻袋がいくつか入っていた。紅茶は嫌いではないが、空腹の時にカフェインを取るのは
あまり体によくないだろう。蓋をしておく。続いてとなりにある箱に手をかけた――――『Ceylon』。
ため息とともに木箱へ戻す。そのあと手当たり次第に開封作業を続けたが、『Assam』やら『Orange Pekoe』などの芳しい麻袋以外の、食用に耐えうるものを
発見できなかった。ブリタニア人は紅茶さえあれば戦える、という噂はどうやら本当らしい。さてどうしたものか、とあたりを見回してみると、妙な匂いがエイラの
鼻腔をついた。なんというか、生臭い。一瞬、昔食べたどうしようもない缶詰の発酵食品を想起してしまった。なにか腐っているんだろうか。
その禍々しい気配の根源をエイラが察知したとき、なんともいえない脱力と諦観が彼女を包んだ。
ホントにもー、わかりやすいヤツダナー。

「……ナニヤッテンダ、オマエ」

「ひゃっ!」

厨房の中で不器用そのもの、という手つきで忙しそうに調理をしていた少女は、びくりと反応する。
挙動不審なペリーヌにエイラは無造作かつ無慈悲な足取りで近づいた。

「こっ、これは……」

エイラの視線から必死に"なにか"を守ろうとペリーヌは両手を広げて守ろうとしている。
昔興行でやってきたリベリオンのバスケットボールチームを彷彿とさせるディフェンス。

「コレは?なんなんだよ?なんかスゲー臭いんだけど」

先刻ペリーヌを慄かせたスマイルでエイラが威嚇する。
ペリーヌも赤面しながら己の生み出したソレを死守。

「これは……そう、くすり、薬ですわ!わ、わたくしの実家から薬草が送られてきたからっ」

「ああ、そうだったのか。それは悪いことをしたな。それじゃ、頑張ってくれよ」

「そ、そうですわ、もうしばらく煎じたら完成しますからしばらく我慢し……え?」

なぜかあっさりと諦めたエイラを見て、ペリーヌが呆気に取られる。
やはり、というか当然というか即座に取って返したエイラは、気の抜けたペリーヌの頭越しに、
身長差を活かしてあっさりと"ソレ"を視認した。同時に押し寄せる後悔。

「え……、なに、これ」

エイラの語彙で可能な限り上品に表現して、"星雲状態"というところだろうか。
とにかく、その混沌から意味を見出すことは難しい。
まさに魔女の釜。

「……まさか本当に薬を作ってるとは思わなかったな……」

「……え」

「だって、コレ、アレだろ。下剤」

「違いますわっ!」

あきれながらも、エイラが尋ねる。

「しかし、なんか普通に食えるモノはないのかよ」

「……わたくしが持ってきたものはそれで全部ですわ。あなたこそなにか持っていませんの?」

「ワタシだってなんも持ってねーよ」

ちらり、と無秩序という言葉を体言している鍋を見やった。すえた臭いが鼻を突く。
これは多分食えないぞ、と理性が訴えかけてくるが、午後3時の空腹という衝動が強烈に背中を押した。
咳払いをひとつ。

「し、仕方ねーな、食い物を粗末にするのはよくないし、ここはワタシが……」

異世界人の理解不能な言語を聞いたような顔をするペリーヌを尻目に、
エイラはおそるおそる、近くにあった容器に、そのカオスを移した。

「おおおおおおお……」

近くで観察するとなおさらその凄みが伝わってくる。
可食物とは思えぬその威容が、エイラを威嚇する。
が、いつまでも睨めっこをしているわけにはいかない。
ぐぅぅ。
可憐な乙女に似つかわしくない、間抜けな腹の音が引き金になった。
意を決し、スプーンで掬い上げると、ひと思いに飲み込む。
同時に、ペリーヌとエイラの目が見開かれた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………だ、大丈夫ですの?」

とっくにそれを嚥下しているにも関わらず、エイラの面持ちは緊迫したままだ。
ペリーヌの顔色がみるみる青くなる。

「お、お水をとってきますわ!」

唐突にエイラが口を開く。ペリーヌは息を呑んだ。

「びッ……!」

「び!?」

「ッ……みょうな味……」

「はぁ!?」

「なんつーかさ、普通にマズい」

「マ、マズいって……」

そういいながらもエイラの手は淡々と進んでいる。

「な、ならなんで食べるんですかッ」

「いや、ただマズいだけで、食えるから」

「……もう知りませんわ!」

そっぽを向くペリーヌに、至極つまらなそうにエイラはつぶやいた。

「……食えるのに」

ぴくり、とペリーヌの後頭部が動くのがわかった。空腹が解消されていつもの余裕が戻ったエイラには、
彼女の心の揺れ動きが手に取るようにわかる。
食べられる!?冗談じゃありませんわ、こんなひどいもの食べられるわけが……
い、いえ、そもそもこのわたくしが作ったものなのよ?多少見た目がアレでも味はきっと悪くないはず!

「……ソレニモウ、オナカガペコペコデスワー」

「人の心を読まないでくださる!?」

とかくペリーヌも意を固めた様子で、白磁の皿を陵辱しているようにしか見えないソレを見つめている。
手を動かしたまま、その様子をくだんのスマイルで眺めるエイラを尻目に、彼女は小さなスプーンに
さらにほんの少しだけそれを乗せると、一気に口元に運んだ。

「う……」

一瞬でえずいた。おそらく吐き出したいのをプライドで堪えているのだろう。
途端に真っ青になり、小刻みに震えるペリーヌはおもむろに立ち上がると、そのまま駆け出した。
おそらく手洗いだろうか。しばらくして、エイラが自分の皿に入っていたソレをおおむね片付けたころに、
怒気をはらんだ早足、かつ涙目でペリーヌが食堂に戻ってきた。

「どっ、どういうことですの!」

「どういうことなのって……オマエが作ったんだろ」

「なんで平気であんな、あんなっ……あんなものを食べられるのかしら!」

思わず悪しき記憶を反芻してしまい世にも気持ち悪げな表情をするペリーヌに、エイラはことも無げにつぶやいた

「まぁ、スオムスじゃ結構ひどいものも食ってたからナ。砂が混ざったポリッジとか」

「え?」

淡々と、エイラは話し始める。

「いつもがいつもこんな風じゃなかったんだけどナ。ネウロイの侵攻が進んで補給が滞ったときは酷かったんダ。
 一度、夏のあいだ中、電話しかないテントを待機所にして、戦ってた時期カナ、あれは。敵の攻撃で
 満足に補給物資が受け取れなくて……」

エイラは別に話し好きなほうではなく、むしろ年頃の少女の中では沈黙を好むほうだったが、
それでも、戦場での唯一の楽しみである食事については黙っていられない、という様子でだんだん語りにも熱が入ってきた。

あの時、エイラの所属していた、たった4人のチームは敵の野放図な進撃に掣肘を加えるべく、相当な前線まで
進出していた。なにせ飛行場となる凍った湖はいくらでもあるのだ。ゲリラ戦には事欠かない。
しかし、いかにスオムスの精鋭ウイッチと言えどもそれだけで優勢な敵を抑えられるほどの能力を持つわけではない。
彼女たちは数的不利をものともせず善戦したが、陸戦では、数の要素というものはほぼ絶対的なものであった。
堅牢な異形の軍を前に、戦線はじりじりと内陸部にむけて後退していく。
その結果、孤軍として敵中に取り残されるかたちとなった彼女たちは、深刻な補給難に悩まされることとなった。
幸いストライカーユニットなど、精密部品は予めスペアを用意していたので戦闘能力を失うことはなかったが、
基本的な軍需物資、中でも弾薬と食糧に関してはかなり厳しい状態で、撤退命令が出たころには
すでに食べられるものはほとんどなかった。

「だから、そのポリッジはほとんど最後の食糧だったんだけど、調理中の煙で敵の戦闘機に見つかって、
 まぁワタシも空腹で意識が朦朧としてたからな。敵の攻撃に気がつかなかったんだ。
 で、ワタシたちの部隊は奇跡的に負傷者はでなかったんだけど、飯盒が派手に被弾してひっくり
 返ったんだ。もう、敵から逃げることよりも飛び散った中身を集めるほうに必死だった。」

その時の部隊の嘆きようときたら、多分この中の誰が戦死してもこんな風にはならないだろう、というものだった。
珍しく感情をあらわにして語っていると、堪えきれない様子でペリーヌがふきだした。

「ナンダヨ、笑い事じゃないんだぞ、全く」

「あはは、話の内容よりもあなたがそんなに真面目に話すのがおかしくて……」

「それはそれで余計にムカつくな……」

その時、ふとエイラはなにかに気づいた。
ナンダロウ、なんか、大事なことのような、どうでもいいことのような。
あ、そうか。こいつの素の顔を見るのは今が初めてなんだ。
派手な金髪してるクセに、その笑いにはそこはかとなく気品を感じる。
一瞬可愛いと思ってしまった自分が憎い。

「……ゴチソーサマ。あとは自分で片付けろよ」

「言われなくてもそれくらい……」

「あんな話聞いた後なんだ。当然全部食べるよな?」

「たっ、食べられるわけないでしょ!?あなたの野蛮な胃袋と一緒にしないで下さる!?」

やいのやいのと他愛のない言い合いをしながらエイラは、
とりあえずコイツとしばらくやっていくのも悪くないかな、とかすかに思い始めていた。
とにかく、遊びがいのありそうなヤツだし。

「オマエは子供のときになんでも好き嫌いせずに食べなさいって習わなかったのかよ。それにアレだ、製造物責任を守れ」

「それとこれとこれとは話が違いますわ!だいたい……」

ペリーヌの必死の答弁に返す詭弁を半ダースほど思いついたところで、エイラの思考は遮断された。
戦場で戦い続けたふたりにとってはうんざりするほどお馴染みの、戦の到来を告げる鐘の音。
甲高いサイレンが基地中を刹那のうちに駆け巡った。

反射的に廊下に飛び出した二人に、伝令兵が走りよってきた。
緊迫した面持ちでペリーヌが叫んだ。

「敵は!?」

「ドーバー上空、当基地から南東32キロを進行中!複数機です!ですが……」

仮設ハンガーに飛び込まんばかりの勢いで駆け出した2人を追いかけるように、若い伝令兵が慌てた声を上げる。

「待ってください!司令部からは待機命令が出ています!」

「なっ……なにを悠長な!」

火がついたままのペリーヌとは対照的にエイラはすでに普段の調子に戻っていた。
故郷では数的に劣勢が過ぎるときはあえて空に上がらず、戦わないこともあった。
だからこんなときにすべきこともわかっていた。ペリーヌの肩を軽くたたく。

「まぁ、そんなカッカすんなよ。期待の多国籍部隊が結成前に壊滅なんてことになったら、ブリタニアの面目も丸潰れだろー」

それでも、ペリーヌはエイラに背を向けたまま、肩を震えさせている。

「…・・・あなたには」

「な、ナンダヨ」

彼女が纏う怒気をはらんだ空気が、少しづつ薄れていくのを、エイラは感じ取った。

「あなたにはわからないでしょうね」

ペリーヌが振り向く。その眼はあまりにも透徹すぎた。なにも見ていないも同然の空虚な瞳。
その底知れぬ虚ろさは、歴戦のエースの息すら詰まらせるものだった。

「戦場では見敵必殺が至上の戒律ですわ。僻地の国の戦いはそうでないのかもしれませんけれど」

立ち尽くすエイラのすぐ脇を、淡々と早足で駆けていく。まるで世界中に自分とその敵しか、存在しないかのような足取りで。
しばらく呆然としていたエイラに最初にこみ上げてきた感情は、母国や自分の戦いを侮辱された怒りではなく、
途方もない恐れだった。きっとあいつは、この世界になんの期待もしていないのだ。そんな、いいようのない確信が胸のうちに去来した。
我に返ると、すぐさまエイラは、制止する伝令兵を振り切って彼女を追いかけた。
あんなに機嫌のよかった空を、いつのまにか黒い雲が覆っていた。




こつ、こつ、こつ。人気のない基地の廊下にエイラの靴の音だけが響く。空では真昼だというのに、黒々とした雲がドーバーを覆いつくそうとしていた。
それと同じような疲労感が、昨日からエイラの胸の底に、ずしりと沈殿している。
結果から言うと、ペリーヌの独断による出撃は、ギリギリのところで成功した。

(あんな無茶苦茶やるやつだとはナ)

おそらく敵は威力偵察のつもりだったのだろう。数機が編隊を組み、低空から進入していた。
そこにペリーヌは、機体が分解せんばかりの急降下をかけて攻撃、海面わずか数メートルのところで引き起こすという、
見ているほうの心臓が止まりそうな曲芸じみた機動で殴り込みをかけた。さらにそれだけにとどまらず、
続いて高度は墜落間近、速度は失速寸前という状態での格闘戦を敢行したのである。
幸いペリーヌの根本的な技量は確かであり、エイラも必死でフォローしたため大事に至ることはなかった。
ともあれ、敵よりも味方の挙動の方が恐ろしいというロクでもない戦いは、僚機を失った偵察機型ネウロイの撤退という形で終焉した。
しかしそんなことよりも、戦闘終了と同時に食って掛かったエイラに対して向けた、あのペリーヌの冷淡な表情が忘れられない。

『あのな、オマエのそれは勇敢じゃなくて無謀っていうんだよ!』

すると、嘲るようにペリーヌは吐き捨てたのだ。

『それならば、あなたのそれは怯懦ではなくて?』



特に目的もなく、基地を徘徊する。一箇所に留まっていると気が滅入ってしまいそうだ。
かつん、かつん、かつん。下がりがちのテンションを無理矢理あげるためにわざと踵を鳴らして歩く。
が、それくらいでは気休めにすらならないということは、自分が一番よくわかっていた。
思わずため息が出る。

「やれやれ、どうすんだよこれから・・・・・・」

所在なさげに骨董品のような風格を持つ石畳を踏みしめ、視線を右往左往させる。
なにか気を紛らわすことを求めて歩く姿は、さながら歩猟中の狐のようだ。
すると、廊下に居並ぶ趣味のよい木製のドアの中で、ふと眼に留まるものがあった。
真新しい張り紙。“司令室(設営中)”
・・・・・・ナカナカ面白そうじゃないカ。


いまだ過疎状態の続く基地で誰が見ているわけでもなかったが、なんとなく音を立てないようにこっそりとドアを開ける。
こういうものは気分が大切だ。さすがにスオムスでも司令室に忍び込んだことはなかったので、微妙に緊張する。
当たり前といえば当たり前だが、ドアの隙間から覗き込んだこの部屋には誰もいなかった。遠慮なく入らせてもらうことにする。

「…・・・へー、ナルホド」

中はかなり広めで、今エイラが使っている部屋の3倍から4倍くらいはあるだろうか。しかし、その広々とした部屋も、
すでに木箱やなにかの郵便物で半分近く埋まっていた。これにはまだ見ぬ新隊長も難儀させられるだろう。
そして一通り部屋中を見て回ったエイラは、荷物がどっさりと積もってはいるが、かなり立派な作りの机と、
いかにも座りごごちのよさそうな黒革の椅子を見つけた。

「おぉー、スゴイな。本革じゃん」

思いっきりリラックスして椅子に身を投げる。あー、なんて楽なんだ。
目の前に積み上げられた書類も、これに毎日座れるならそんなにたいしたものではないのかもしれない。

「・・・・・・ふぁ」

あまりの心地よさに少し眠気に襲われてしまい、思わずあくびが出た。少し伸びをする。
と、エイラの脚が机の脚の一本に当たってしまい、書類の山が唐突に土石流を起こした。

「あ・・・・・・やべ」

ばさばさばさと、景気のよい音を立てながら雪崩を打って紙片や封筒があたりに散乱する。
思わず苦い顔になるエイラ。うぇ、めんどくせー。
ちゃんと整えておかないとあとで詮索されたときに面倒なことになりそうなので、
一応片付けておくか、と、ぐしゃぐしゃになった書類を拾い上げる。

"重点補給物資の選定について"
"基地完成後の運行予定"
"ベントナーのレーダーサイトからの通信異常について"
 ・
 ・ 
 ・

机に並べてなおすだけで眩暈がしてきた。少々椅子が立派なくらいでは多分これにはつりあわないだろう。
昇進なんてしないほうがいいな、と改めて認識。空を飛んでいるほうが百倍は楽だ。
と、詮のないことを考えながら、整理を続けるエイラ。

"アイリッシュ海における船団護衛の要請"
"浴室の扶桑式への改装願い"
 ・
 ・
 ・
"隊員名簿"

ふと、エイラの眼に興味の光が浮かんだ。その大判のファイルの中身を確認したとき、
さしものエイラも興奮せざるをえなかった。

あの"フュルスティン"ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケに始まり、
"黒い悪魔"のエーリカ・ハルトマン、そして歴戦の大エース、ゲルトルート・バルクホルン。
さらに地球の裏側から"サムライ"坂本美緒まで参加しているではないか。
緊急指令でブリタニアに向かったエイラには部隊の詳細までは知らされておらず、
各国のエースを集結させ、ブリタニアの防空にあたる部隊、という程度の認識しかなかった。
エイラは思わず身震いをした。これはかなり凄いことになりそうだ、とひとり盛り上がり、
もどかしげな手つきでページを手繰った。不意に手が止まる。

"ペリーヌ・クロステルマン"

・・・・・・なんとなく、気が咎めた。だが、アイツのよくわからない性格の原因がはっきりすれば、お互い付き合う上での妥協点も見出せるだろう。
自分に言い訳をしたエイラは好奇心にまかせて読み進めていった。




入ったときと同じように、エイラはドアの隙間からあたりを見回し、誰もいないのを確認した上で廊下に出た。
ぎぃ、と音を立ててドアを閉める。窓の外の暗天を見て、憂鬱そうに少し息を吐いた。

「・・・・・・アイツの経歴なんて知っても気晴らしにもなんねーよ」

つぶやいた刹那、ガラスを震わせてサイレンの耳障りな金切り声が基地中に響き渡った。
ハンガーに向かって走りながら、先日の出撃でエイラの機体は整備中である事実を思い出した。
不意に去来する不吉な予感に、背筋がびりりとわななく。




すでに荒天は、嵐と呼んでも差し支えのないレベルまで到達していた。ペリーヌは、流れるような金髪が無残に濡れることも全く意に介さない様子で、
中高度を維持しながら旋回を続けていた。その双眸はドーバーの向こう側に向けられている。
魔力を索敵に集中。使い魔が主人の命令に機敏に答え、ペリーヌの五感は急速に冴え渡る。
今は亡き故郷が、強化された彼女の視力によって捉えられる。暗雲に遮られはっきりとはわからないが、晴れ渡ればその姿も見えるのだろう。
ただ、母国の空には、どんな好天でも消えることのない黒雲が、ペリーヌの無力さを嘲笑うかのように浮かんでいる。
その凶相が脳裏を掠めた瞬間、荒々しく、鋭利な魔力が体から湧き出るのを感じた。
そう鋭く、もっと鋭くならなければならない。己の手にあるレイピアのように、貫く以外の全てを捨てた姿にならなければ。
そうでなければ、仇敵を討つことはできない。

 一瞬、張り巡らせた魔力の網に、ノイズが生じた。すぐにペリーヌはその方向を見据える。不敵といってもいい、全く予想通りの方角からの強襲。
相手の高度に合わせ、上昇を始めるペリーヌは、同時に自らの感覚に違和感を覚えた。ノイズが増加している。2,3,4、増殖し続けるそれは、
明らかに最初に感知したものよりも小型だった。そこから得られる結論は必然的に一つ。

「―――――護衛戦闘機」

 今までブリテン島に攻撃を仕掛けてくるネウロイは、例外を除いて大型、高速、かつ少数という特徴を持っていた。この敵機はパターンから
外れたものだといえる。少数機でなら、ブリテン島南岸のレーダー網をかい潜るために海面を這うように飛ぶ敵機は、多数の友軍を得た今、
中高度を悠々と飛んでいる。いままでとは勝手の違う相手であることを認識しながら、愛機VG39の出力を上げ、ペリーヌは雷鳴をものともせず
高度を上げていく。多数の敵機に対して単機でとりうる戦術というものは、当然ながら少ない。

(一撃離脱なんて、趣味じゃありませんけど)

 優位な高度からダイブし、至近距離からの一撃で敵機を撃破し、ダイブで得た速力を利用して追撃を振り切る。
オーソドックスだが穴のない、王道ともいえる戦術だ。問題点は攻撃に費やせる時間が少ないことだが、おそらく爆撃機タイプは一機。
それさえ落としてしまえば残りは大した脅威にはならない。おまけに、敵は視界不良のせいかこちらに気づいた様子はない。

(いくら護衛をつけても、そんなことでは無意味ね)

 彼我の距離が急速に狭まっていく。 たった一機の爆撃機タイプに対して戦闘機タイプがやけに多いのが気になったが、位置取り、速度ともにこちらが優勢。
相手がこちらに気づくであろうその一瞬前に、ペリーヌはカワセミを思わせる急降下に入った。エンジンの出力を絞り、ストライカーの限界速度ギリギリでの強襲をかける。
敵大型ネウロイの黒い、無機質そのものの機体がはっきり見える距離まで、一気に肉薄した。後背位を占め、ブレンガンを構える。

(とった!)

 典型的な撃墜パターン。あとはほんのわずか近づき、引き金を引いて、爆撃機タイプの砕け散った光のなかで急速離脱。それで終わり、のはずだった。

「―――ッ!」

 その一瞬の躊躇をもたらしたのは魔女としての空戦経験か、それとも生物としての生存本能か。そのどちらかがきわどいところでペリーヌを救った。
次の瞬間、護衛戦闘機のほぼ全火力がわずかに手前、ペリーヌの最適射点に襲い掛かったからだ。とっさにシールドを展開し、流れ弾を防御する。
しかし、息をつく間もなく戦闘機タイプはペリーヌの背後を捉えようと急旋回をかける。

「くっ!」

 なんとか機体を捻り、格闘戦に応じる。本当はこれほどの数的不利で戦い続けることなどしたくはなかったが、先ほどの急停止で運動エネルギーは失われている。
強引に離脱を図れるほど速度差があるようにも思えなかった。戦闘機型は狡猾に攻撃位置を占めようと機動を変え続ける。
もはやこうなる攻撃どころではない。隙を与えないようにふるまうだけで精一杯だった。2機が背後につく。このタイプの旋回半径はVG39よりも大きいので
旋回を続ける。が、旋回によって速度が低下した瞬間を狙って上方から3機が襲い掛かった。上昇すれば速度が下がったところを狙い撃ち、かといって
ダイブをかけても急降下してくる相手の速力に勝ることは難しい。

(こんな無茶は、したくないのですけど!)

 失速寸前まで速度を落として旋回、ダイブをかわし、旋回してきた敵機は勢いあまってペリーヌを追い越した。すかさずブレンガンの狙いをつける。しかし、
新たな敵機が再びダイブを始めたのを視界の端に捉え、回避に専念する。

(これは……)

 先ほどの違和感の答えが戦いの中で具体的な形を見せつつあることに、ペリーヌは気づいた。

(連携が、上手すぎる)

 かつて見た、カールスラント空軍の精鋭たちを彷彿とさせるシステマチックな空戦機動が目の前に展開されていた。
味方ならこの上なく頼もしい合理的な攻撃も、いざ自分に向けられるとこれほど恐ろしいことはない。
防戦に徹する以外の選択肢はすでに失われていた。



 戦いが始まってから実際にはわずか数分しか経過していないにも関わらず、ペリーヌはすでに極度の疲労に苛まれていた。
自分より圧倒的多数の敵機の動き全てをフォローするために集中力を、平常時は決してしないような急激な回避機動により体力を、
そして、かわせない直撃弾を防ぐシールドのために魔力を失った。命中弾こそないものの、もはや限界が間近であることは明らかだった。
それでも、今日何度目かになるかわからない敵機のダイブに合わせて、ほとんど気力だけで機体に回避を命じる。
格闘戦では相手に分があることを理解したらしく、敵は一撃離脱に戦術を切り替えていた。
最初に自分がしかけようとしていたことを思えば、ひどい皮肉である。

「はぁ……はぁっ……いい加減にッ……、しなさいよ……!」

 唐突に口の中に錆びた鉄の味が広がった。無意識のうちに唇をかみ締めていたようだった。拭った手のひらに、赤黒い色がついた。
怒り。全身を支配する怒りが、戦いを望んでいる。肉体がすでに限界を迎えていようとも、それは萎縮するどころが、
胸中を焦がさんばかりに煮え滾っていた。祖国と家族を奪った憎き敵への怒り。理不尽なまでの残酷さで自分を翻弄するこの世界への怒り。
なによりそんなものに手も足も出ずにいる自分への怒り。濁流のような感情が自分を突き動かしてやまなかった。

 無機質な影が眼前を掠めた。攻撃をかわした回数はもう数え切れない。ペリーヌは、なんとか体勢を立て直そうとした。

「……!」

 上空に敵機がいない。違和感と同時に走る悪寒。振り返った後方にも確認できない。それがどういうことか、理解に数瞬かかった。

「下ッ!?」

 敵のダイブを警戒して、頭上に多くの警戒を割いていたのを見事に逆手に取られた。そして接触せんばかりに密集したその陣形を見て、
ペリーヌは敵の狙いの全てを理解した。同時に、自分がチェックをかけられたということも。目を見開いたペリーヌにとって
永遠にも思える一瞬のあと、赤色の奔流が彼女を襲った。 
 

 ひたすら、戦い続けてきた。物心ついたころにはすでにネウロイの軍勢はヨーロッパを席巻しつつあり、一族はみな忙しく家を出入りしていた。
治癒魔法の使い手である母や祖母はもちろん、ノブリス・オブリージュの尊守を最大の行動原理とする父もまた、際限のない戦火の中に
身を投じていった。故にペリーヌはいつもひとりだった。そのことが原因だったのか、今となってはよくわからないが、幼い彼女は一度だけ、
自らの力を濫用したことがある。彼女が一人、閑静な家で魔術の勉強に励んでいるとき、近所の子供達が外で大声を出して遊びまわっていたのだ。
最初のうちは我慢をしていたペリーヌだが、そのうちに耐えられなくなったのか、金切り声とともに外の子供達に向かって電撃魔法を放ってしまった。
幸い、コントロールに欠けた未熟な魔法は、古ぼけた街灯を一つ粉々に砕いただけで済んだが、当然ペリーヌは母に大目玉を食らった。
泣きじゃくるペリーヌに、一ヶ月半ぶりに家に戻っていた父は静かに諭した。

「お前の力は、一族の誰にも負けないほど素晴らしいものだ。だからこそ、決して一人で使ってはならない」

 鼻をすすりながら呻いていた自分がなんと答えたかは覚えていない。ただ、その言葉と頭を優しくなでる父のごつごつした手のひらの感触だけが記憶にある。
父の言うことは良く聞く子供だったように思うが、考えてみれば、その言葉にだけは徹底的に逆らい続けて生きてきた。ガリアで、そしてこのブリタニアに
戦いの舞台を移してからも、ひたすら馴れ合いを嫌い、一人で戦い抜いた。それはプライド、意地、もしかすると自分のただひとつの拠り所だったのかもしれない。
 だから、こうなったことは全て――――――



「オイ、いい加減目ェ覚ませ!」

 穏やかな走馬灯から、激しい現実に。普段の平坦な口調からは想像できないような切迫した声が、覚醒を促した。

「……ッ、ユーティライネン、少尉!?」

 とりあえず無事そうな様子を見て、エイラは幾分かほっとした様子を見せた。

「ッタク、間に合ったからいいものの……ほら、飛べるんなら自力で飛べよ」

「わ、わかってますわよ!べ、別に助けて貰わなくたって……」

「あぁ?死にかけてたのはどこのどいつだよ!?……ウワ、危ね!」

「ちょっ、ちょっと、ひゃっ」

 口論が始まろうとしたその時、護衛戦闘機群による2度目の集中砲火が虚空を切り裂いた。エイラはペリーヌを抱きかかえるようにして無理やり回避する。
 すぐさま振り向いてレーザーの飛んできた方向を睨み付ける。紅潮した顔を隠すようにペリーヌが不意に声を上げる。

「さっきの攻撃、見えていたの!?」

「私は未来予知の魔法が使えるんだ。ま、ホンのちょっとの先だけどな。っと、来るぞ!」

 敵機は再び分散し、頭を抑えるように上昇する。だが、しかし2人の魔女はそれを許すほど未熟でもお人よしでもなかった。
ここで一機でも多く叩き落しておかなければたちまちのうちに劣勢に追い込まれてしまう。エイラとペリーヌは
上昇を続ける敵機にそれぞれの火器で狙いをつけた。

「オマエは右手から上がってくるヤツを狙え!私は左のをやる!」

「いわれなくてもわかっていますわ!」

 上がってくる2つの敵影は2人から見て左手の機体が少し先行し、右手の機体はそれに引き続く隊形をとっている。ペリーヌは小さく息を吐き、ブレンガンを構え直した。
わずかな沈黙の後、エイラのMG42が断続的に火を噴いた。魔力で予測した未来位置に向けて放たれた攻撃は、吸い込まれるように敵機に命中した。
たちまち煙を噴出した戦闘機型を横目に、ペリーヌも自分の獲物に狙いを定める。最大限の打撃を与えるためにギリギリまでひきつけ、トリガーを引いた。

「―――……ナッ!?」

 未来すら見通す瞳を持つエイラがその異常を最初に察知する。コンマ数秒後に、ペリーヌの銃口から放たれた鉄弾の軌道を、先ほど被弾していた機体が強引に遮った。
金属が爆ぜる音が断続的に響き、盾になったネウロイが四散する。呆気にとられた2人の間を、無傷のもう一機が悠々と上昇していく。
ふたりは思わず顔を見合わせた。エイラもペリーヌも、苦々しさと驚きとを足して2で割ったような微妙な表情だ。

「なんなんだよアイツら?あんな動きするネウロイなんて聞いたコトすらないぞ!」

「わたくしだってありませんわ!さっきも完全に先手をとったと思ったら……」

 そうだ、あの大型爆撃機に奇襲をかけようとした時からこの戦いの不可解さは始まっていたのだ。……爆撃機?
おもわずペリーヌは周囲を見渡すが、それらしい機影は全く見当たらない。戦闘機群に先駆けてブリタニアへの爆撃コースに入ってしまったのだろうか?
爆散した敵機を怪訝な顔でわずかなあいだ見つめていたエイラは、僚機がしきりに上空を気にしているのに気づいた。

「オイ、そんなおっかねー顔を振り回すんじゃねーよ」

「う、うるさいですわね!それよりあなた、爆撃機を見なかった?」

「バクゲキキ?見てないぞ、そんなの?」

 空を仰いだペリーヌの目が、雲のわずかな切れ間に微少な黒点を捉えた。

「あっ……!」

「なんだよ、アレか?」

 逃げ去ったと思われた大型機は、高高度で、魔女たちを見下ろすように旋回を続けていた。意図のわからない行動に困惑する2人に、護衛戦闘機の
統制の取れた攻撃が再開される。

「くっ、コイツらほんと上手いな……!」

「……つッ!」

閃光が右肩をかすめる。シールドもさすがに限界に近かった。エイラはと見れば、何事か思いつめた顔で頭上の爆撃機に眼を向けている。
そんな状態でも、例の未来予知能力のおかげか、敵機の激しい攻撃のなか最小限の動きで平然と回避機動を続けていた。
まるで彼女だけ台風の目の中にいるようだ。不意に、通信が入る。エイラの声はすでに平静なものに戻っていた。

「おい。アイツを撃墜するぞ」

「はぁ?」

突然の提案に思わずエイラの方を見やったが、その視線も全く気にすることなく、エイラは、はるか上空の敵機を睨み付けていた。

「議論してるヒマはない。さっさと行くぞ」

「な、何を考えて・・・・・・、それに上官はこのわたくしですわ!あなたが命令するのは筋違いというものでなくて!?」

「空の上でそういうのは関係ねーよ。それに、アイツだけでも落とせば少なくともブリタニアが爆撃を食らうことはないだろ。それにあのネウロイ、ひょっとすると……」

覆いかぶせるように、ペリーヌが叫ぶ。

「2機でならこのまま戦い続けてもそう簡単にやられることはありませんわ!」

「確かにな。けど、ワタシらの任務はブリタニアを守ることだ。戦闘機をみんな叩き落しても、ブリタニアが攻撃されたんじゃ仕様がない」

「……」

嘆息しながら、ペリーヌは相手に従うことを決めた。不本意だが、エイラの言うとおり口論が許される状況ではない。助けてもらった恩もある。

「・・・・・・では、あなたがあの爆撃機を撃墜して。わたくしが戦闘機を引き受けますわ」

自分としては当然の提案に、あきれたような声が返ってきた。

「なに考えてんだ。そんなザマで残りの戦闘機全部なんて相手できるわけないだろ」

「それならわたくしが爆撃機を?」

「それはもっとねーよ。第一オマエのストライカーの馬力じゃあそこまで上がれないし」

こんな肝心なときにまでもったいぶって・・・・・・!苛立ちをあらわにして文句をつけてやろうとしたその時に
エイラ独特の、なんの感慨も持ち合わせないかのような声が聞こえてきた。

「だからふたりで撃墜するんだよ」

驚いて声がでないペリーヌに、エイラは敵機の繰り出す弾幕を神がかり的な機動で回避しながら近づいてくる。
口元にほのかな微笑すら浮かべながら、実に自然にペリーヌの左手をとった。

「・・・・・・ぁ」

自分でもびっくりするほど素直に、その手を握り返す。一瞬振り返ったエイラは一度だけ小さくうなずくと、一直線に天空を目指して
飛翔した。つられてペリーヌの機体も上昇を始める。つないだ手からは穏やかな魔力が体内に流れ込むのが感じられた。
気持ちが少しづつ落ち着いていく。エイラの冷静さが伝播するようだった。

こちらの意図を素早く汲み取った敵機は、隊形も作らず遮二無二追撃してくる。それは、2人の予想外の動きに動揺しているようにも見えた。

「しつこいですわよッ!」

甲高い音を立て、片手でブレンガンを斉射。普段は火力不足に陥りやすい軽機関銃も、こんな状況では取り回しのよさが活きてくる。
数機が被弾して脱落していく。命中しなかった機体も、片手撃ちとは思えない正確な火線を前に直進できず、体勢を崩している。

「よし!」

ぐい、と左手が力強く引き上げられる。機を見て取ったエイラがエンジンに魔力を集中したらしく、
追いすがる敵機の群れがみるみる小さくなっていく。
間髪いれずにエイラの短い叫び声。

「9時方向同高度、距離150!」

美しいまでの条件反射でペリーヌは銃口を指示された方向に向ける。それとほとんど同時に雲中から敵機が現れた。
驚きと同時に引き金を握る指に力を込めると、鉄が爆ぜる音があたり一面に響き渡る。
黒煙を引きながら降下していく機体を眺めながら、ペリーヌはあまりの呆気なさに吃驚した。
思った矢先、はすっぱな口笛が頭上から聞こえてくる。

「ひゅぅ。やるじゃん」

「あ、あなたは前を向いていなさい」

普段なら怒鳴り返しても不思議でないのに。
なぜか動揺してしまった自分に戸惑いを感じながらも、左手から送られてくるエイラの魔力を受け取る。
ベルメールの人形を思わせるほどに、エイラの手は病的に白い。けれど。

「・・・・・・あたたかい」

「ん、なんかいったか?」

「ま、前を向いて飛びなさいといっているでしょう!」

鋼鉄の守護天使の攻撃を躱しながら、嵐雨を切り裂いて2人は飛ぶ。
どうしようもなく追い詰められた鉄火場にありながら、ペリーヌの心は不思議なほど穏やかだった。
まるで子供の頃、夢の中で空を飛んだときのように、体中から無駄な力が抜けてゆくのがわかる。
瞬間、ふたりの体が分厚い雲を突き抜けた。夕焼けの空が澄んだコバルトブルーと鮮烈な赤とのコントラストを映し出す。

「いましたわ!」

少女の咆哮。太陽を照り返しながら、巨鯨を思わせる機影が頭上にはっきりと現れる。
ここまではこれまいと高をくくっていたのか、近くに護衛機の姿はない。
慌ててこちらに攻撃を放ってくるが、精度があまりよくないらしく、近弾すらない。
ここは一気に畳みかけるべきだ。白磁の右手をぎゅっと握りしめる。

「わたくしの魔力も上昇用に使いなさいっ!」

返答がない。そして、固くつないでいたはずの右手にも力が入っていないことに気づいた。
一瞬で体中から嫌な汗が這い出てくるのがわかる。何百という回数の空戦を経てきたペリーヌにはこの状態に心当たりがあった。
なるべく力を込めて右手を引く。

「しっかりしてッ!」

「う・・・・・・」

呻くような声。間違いない、酸欠だ。ウイッチとて人間に過ぎず、高々度飛行による酸素の減少からは逃れられない。
ましてや彼女はペリーヌに魔力を供給しながら未来視を使い、そのうえ人を一人この高度まで引っ張り上げたのだ。
体力、魔力ともにかなり消耗していることには違いない。

「だ、大丈夫。これくらいなんともねーよ」

いつもの調子はどこにもないような弱々しさで、しかし、彼女はなおもペリーヌの左手を離そうとしない。

「でも!」

「まだ・・・・・・もう少しだから・・・・・・」

後ろからでは彼女の表情は伺えない。だが、彼女が苦悶の表情を浮かべているということははっきりとわかる。

「なんで、なんでそこまで・・・・・・」

「・・・・・・なんで、か」

エイラが苦笑する気配を感じる。まるで清流のように、静やかに感じられた魔力はいまや、途切れ途切れの苦しいものに変わっていた。
それでも、彼女は続けようとする。

「なんでって・・・・・・、だって、オマエさ・・・・・・」

そのとき、乱れがちだった敵弾が、不意にこちらを捉えようとしていることにペリーヌは気づいた。直撃コース。自分も軽い酸欠にかかっていたらしく、
集中力が散漫になっていた。これではシールドも間に合わない。まぶたを固く閉じ、汗ばんだ彼女の右手を握りしめた。

わずかな刹那、爆音が高空に響き渡った。不思議と、痛みはない。
おそるおそる目を開けたペリーヌには、それがどういうことであるかが一瞬でわかった。
天を裂くような絶叫。

「エイラぁーッ!!」

魔力と揚力を失い、重力にまかせて自由落下していくエイラと一瞬目が合う。なんて、なんて穏やかな瞳。
放心していたペリーヌは、その細い手をつかもうとあがく。
しかしエイラの口元には、今まで見たことのないような美しい微笑が浮かんでいた。

「・・・・・・そのまま行けよ、ペリーヌ」

確かに、しかしそれだけをつぶやいて、彼女の身体は暗雲の中に消えていく。

「・・・・・・」

声が、出せなかった。ありとあらゆる感情が、身体の内側で暴れているのに、それを表現する術がわからない。
怒りなんて単純なものではない。哀しみ、憎しみ、無力感、そして彼女から受け取った魔女としての矜恃。

「ああ・・・・・・」

小さく息を吐く。
鋭く襲いかかる敵弾に身を躱しながら、ペリーヌはほとんど無意識のまま敵機に向かっていく。
ネウロイはいまさらのように巨体をよじって退避を始めるが、もう遅い。
素早く弾倉を交換すると、巨鯨の背中に斉射を浴びせる。その引き金を引く手には、気負いも迷いも消えていた。
リズミカルに放たれる機銃弾は正確に敵機の一点を穿っていく。ぐらり、と傾いた敵機は急降下での退避という非常手段に出た。
当然、絶対に逃がすつもりはなかった。敵機に引き続いて、再び雲間に飛び込んでいく。

まとわりつく雲を吹き飛ばしてネウロイが降下し、そしてそのあとをペリーヌが追いかける。
あまりの降下速度にVG39のフレームが悲鳴を上げ始めた。それでも、機体分解ぎりぎりのところでブレンガンの射程に敵機をとらえる。
急降下による照準のブレなどものともせず、その弾丸は正確に、先ほど攻撃した部分に吸い寄せられるように命中する。
5点射の最後の一撃が、ついにネウロイの頑強な装甲を削りきり、その赤い、宝石のようなコアが露出させた。
素早く、もう一度引き金を引く。手応えがない。もう一度。しかし機銃は以前、沈黙を守っている。

おもむろに、ブレンガンを肩のストラップから外すと、虚空に投げ捨てた。残弾切れだ。すでに予備のマガジンも使い切っている。
それでも、彼女の双眸に宿る闘志を鈍らせるにはいたらない。左の腰に手を当てる。その冷たく、確かな感触が伝わってくる。まだ、手は残されている。

さらに速度を上げて敵機との距離を詰めると、機体の振動は、いままで見たこともないほど強烈なものとなった。
もはや限界が近づいているのか、それともすでに超えてしまっているのかはわからない。
だが、それでも。
手を伸ばせば触れられそうななほどの距離に敵機の姿はある。だがもう少し、もう少し詰めなければ届かない。
ほとんど躊躇なく、ペリーヌは機速を上げた。大丈夫だという、不思議な確信があった。
同時に、べきり、となにかのパーツがはじけ飛び、凄まじい速度で後落していくのがわかった。
とたんに機体の安定度が下がり、スピードも相まって操縦不能に近い状態になる。
それでも、左腰からほの青く輝くレイピアの刀身を引き抜いた。

「はああぁぁぁっ!!」

硬質なルビーのような核を、抉るようにして突き刺す。同時に、いまや墜落寸前のネウロイの身体から強烈な振動がペリーヌの身体に
伝わり、振り落とさんばかりに揺さぶられる。だが、それでもこの手を離すわけにはいかない。

(この手は・・・・・・この一撃は・・・・・・っ、私一人だけのものじゃないから・・・・・・!)

がくん。急にネウロイの身体が傾く。荒天の生み出した複雑な気流が、轟音とともに両者を揺さぶった。
吹き飛ばされそうになり、懸命にレイピアにしがみつく。激痛とぬるりとした感触が同時に右の手に襲いかかってきた。
魔力の欠乏によって防備がなくなり、そのレースのように華奢な手のひらからの出血がはじまったのだ。
流れ出た血液が、暴風を受けた花びらのように天空に散華する。

「くっ・・・・・・!」

これ以上レイピアを握り続けることを身体が拒絶しているようだった。意識が、不意にゆがむ。
エイラから供給され多少回復していた魔力もなくなりかけていた。
それでもペリーヌは妖しげに輝くネウロイのコアから目を離すことはしない。
かなりのダメージを受けているように見えるネウロイは、それでも必死に遁走を続けようとしていた。
そして突如、彼女の機体の制御が完全に失われた。無慈悲なまでに暴力的な突風が彼女の細身をとらえたのだ。
右手が、血で滑った。同時に、雷雲を裂くような絶叫が戦空に響き渡る。

「トネールッッ!!」

閃く魔力の雷撃が、レイピアが刺さったままの、ネウロイの巨体を貫いた。
わずかな間静止していたネウロイは、ぐらりと傾くと力を失ったようにその残滓を振りまきながら落下していく。
真夜中に降る雪のように、それはさながら夢幻だった。
その中を、すべての魔力をかけた一撃を放ったペリーヌは、重力に引かれ落ちていく。
今度こそ根こそぎの力を使い切り、相当の深手を負った機体もすでに飛行に耐えられる状態ではなかった。
みるみる空が遠くなっていくのがわかる。それでも、心は少しも慌ててはいなかった。
それは、戦い終わった後の虚無などではなく。

「・・・・・・ホント、危なっかしいよな、オマエ」

ほとんど海面に近いところで、銀色の機影がペリーヌの身体をとらえた。
あきれたような微笑が暗黒の空の中で白く輝いていた。

「敵の・・・・・・戦闘機は・・・・・・?」

エイラは黙って、視線の向きで答えた。目をやると、護衛機が光をともないながら海中に没していく姿が見える。

「ワタシが全部落とした」

「えぇ?」

あの状態からどうやって?という疑問の込められた瞳に、悪戯っぽく笑って答える。

「ウソだよ。オマエがあの機体を落としたら、勝手に墜落していった。多分、あのでっかいのが親玉だったんじゃねーの?」

彼女のあまりにいい加減な態度に、今度はペリーヌが呆れた顔をする番だった。

「……こんな奇跡みたいな都合のいいことをあてにしてあの作戦を立てたの?」

疲労を隠せない苦笑いをエイラは返す。

「ま、実は奇跡ってほどでもないんだけどな。最初に戦闘機型を倒した時に、動きだけじゃなくてもう一つ変な感じがしたんだ」

「変な感じ?」

「いままでワタシが見てきたネウロイは、どんな小型のヤツでもコアがあった。でも、あの時撃墜したネウロイは、どういうわけかコアがなかった」

「……!?」

「だからひょっとしたら、オマエの言う爆撃機と戦闘機は1セットなんじゃないか、って考えたんだ。」

確かに、そう考えればあの異様に熟練した連携機動も、自己犠牲じみた動きも説明がつく。しかし、それはひとつの可能性であり、
コアのない新型のネウロイである可能性もあったし、またペリーヌが爆撃機、エイラの推測によるところの母機を撃墜し切れない可能性も
あった。そのことを渋い顔で彼女に告げると、エイラはさらりと笑った。

「ま、可能性可能性言ってても始まらないし、あのままじゃジリ貧だったからな。それに、オマエのあの目つきなら、誰だって噛みついてでも撃墜してくれるって思うさ」

相変わらず一言多いエイラに、嫌みの一つでも言ってやろうかと向き直ったが、
すっかり帳の落ちた空に、最期の輝きを放ちながら流星のように次々と落ち行く戦闘機の群れを眺めるその横顔は
まるでなにかの絵画のようで、刺々しい言葉は喉元で止まってしまった。
しばらくして、最後の一機が燃え尽き、あたりが真っ暗になった時、ペリーヌはその淡い唇を開いた。

「あのとき・・・・・・」

「ん?」

「あのとき、わたくしを連れて高々度まであがったとき、なんて言おうとしたのかしら?」

「ああ・・・・・・アレか・・・・・・」

いままでまっすぐにペリーヌを見続けてきた両の瞳を、エイラは少しだけそらした。

「アレは・・・・・・えっと、あれだ。フラフラしてるからほっとけないなって・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

エイラのような千里を見抜く目を持たずとも、その回答に偽りがあることはわかった。
ペリーヌはエイラの腕に抱かれながら、彼女の瞳をじっと見つめ、そのさまよう視線をあっさりと捕まえた。
動揺しているのが手に取るようにわかる。もしかしたら照れているのかもしれない。

「・・・・・・わかった、わかったよ」

すねたような調子でにエイラがつぶやく。

「最初に謝っとく。さっき司令室でオマエの経歴書を見ちゃったんだ」

急に、心臓が締め付けられるような痛みが起きた。いままで自分とは思えないほど穏やかだった心境も急に毛羽立っていくのがわかる。
眉間にしわをよせながら、尖った口調で言う。

「わたくしを助けたのも全て同情から、ということですの?」

しかしエイラは、その回答も予知していた、という風に何回か首を振った。

「そんなわけない。たった一人で戦ってきたヤツにそんな失礼なことするくらいなら、最初からなにもしないよ」

「それでは・・・・・・」

不審そうな視線を向けているペリーヌに、エイラははじめ、言葉にならないような唸りを上げていたが、ついに観念したようにペリーヌの瞳をまっすぐみつめた。

「・・・・・・すごいと思ったんだ。オマエがなんもかんもなくして、それでも甘えたり諦めたり、誰かにすがったりもせずに戦い続けたことを」

訥々と、自らの言葉を噛みしめるように、エイラは話し続ける。

「ワタシらスオムス空軍だって、強い強い言われてるけど、他の国に助けてもらわなかったらロクに戦えなかったんだ。一人で戦うっていうのはホントに、とんでもなく、すごいことだと思う」

唐突な言葉に、声が詰まった。からかっているのかとも思ったが、エイラの顔は戦闘中のそれよりも真剣だった。

「だけど・・・・・・これからワタシたちが所属するのは世界中のエースが集まる部隊なんだ。オマエ一人で戦わなきゃいけない理由はどこにもない。だから、だからもっと、仲間に頼っていいんだ」

エイラは白い頬をかすかに赤くさせながら、ペリーヌに訴えかけた。みっともないことに、何を言えばいいか、考えても皆目わからなかった。けれど。





「・・・・・・お、おい。なんとか言えよ」

急に恥ずかしくなったのか、エイラが腕の中のペリーヌを見ると、静かに寝息を立てているのがわかった。
極限の疲労からか、意識を手放してしまったようだ。やれやれ、とエイラは無造作に頭を掻く。

「ホントにもー、よく気絶するやつダナ」

苦笑いでため息をつき、ペリーヌの身体をしっかりと抱える。2人分なので魔力が心配だが、基地が近いのでなんとかなるだろう。
なるべく消費量を抑えるために、巡航速度で低い空を飛ぶ。空を覆っていた雲はいつの間にか、ほとんど見えないほど少なくなっていた。
月明かりがしずやかに降り注ぎ、ペリーヌの寝顔を照らす。安らかなそれは、間違いなく年頃の少女のそれだった。
少し見とれてしまったエイラは、照れ隠しのようにペリーヌを少し乱暴に自分の身に引き寄せた。
同時に、ペリーヌがなにか呻いたような気がした。

「・・・・・・ぅ」

「ん?」

ほんの少し、消えそうな声で。エイラは、まず自分の耳を疑い、次にその消え入りそうな言葉の意味を反芻していよいよ赤面しなければならなかった。
きっと寝言だ、とかぶりを振った彼女に、その声はもう一度届いた。

「・・・・・・ありがとう」









「・・・・・・そういうことがあって、でもあいつも坂本少佐が来てからだいぶ丸くなったんだぞ。まぁ、ガンコというか、偏屈なのは変わってないけどなー」

そういってエイラは少し息をついた。ふと窓の外を見ると、太陽はすでに沈みかけ、夜空との複雑な対比を見せている。少し話しすぎたようだ。

「あー、しまったなー。サーニャ、そろそろサウナに入らないか?」

寝具を片付けながら、サーニャの方を振り返る。エイラが絶句したのはそれと同時だった。

「うっ・・・・・・ぐすっ・・・・・・」

起きている事態を把握した途端、エイラの白面が青ざめた。あろうことか、サーニャは、押し殺すように身を伏せて、泣いている。

「サっ、サーニャ!どうしたんだ!どっか痛いのか!?い、いますぐミヤフジを呼んで・・・・・・」

「ひぅ・・・・・・、だ、だいじょうぶ。とっても、すてきなお話だったから・・・・・・それと」

呆気にとられるエイラに、極小のガラス細工のようにきらめく涙をぬぐって、サーニャは続けた。
途切れがちな言葉が苦しそうに紡がれる様子を見て、思わずエイラは声を上げそうになったが、サーニャの必死さをたたえる双眸にそれを押しとどめらた。

「あっ、あのね・・・・・・それと、・・・・・・悔しいの」

「悔しい?」

「そ、そう。ペリーヌさんの気持ちがわからなくて、今までずっと、ひっ、ひどいことを言われてると思ってた」

「いや、アイツは昔からあんな調子のヤツだから・・・・・・」

「でもっ、でも違ったの。ペリーヌさんはわたしのことを思ってあんな風に・・・・・・」

サーニャは再びうずくまって嗚咽をこらえている。まるで、路傍に打ち捨てられた子猫のようだ。
どうすればいいかわからなくなっているエイラは、所在なさげにおろおろとしているだけだった。
数秒間の気まずい沈黙の末、突如としてサーニャは立ち上がった。目じりにたまった涙をぬぐうと、はっきりとした意思を感じさせる瞳で、エイラを見つめた。
心臓がはねる音が聞こえてきそうだった。

「な、なんだよサーニャ・・・・・・」

サーニャは問いには答えず、ぐい、とエイラの左手をつかんでひっぱった。サーニャの手は小さくて冷たいけれど、不意に触れられると体温がものすごい勢いで上がっていく。
くらくらしているエイラを傍目に、サーニャは自分に言い聞かせるように、力強く言った。

「エイラ、ペリーヌさんに会いに行こう」

「・・・・・・エ?」




サーニャにいわれるがままにペリーヌを探していたエイラだったが、なかなか彼女を見つけることができなかった。なんせ食堂にも、ハンガーにも、浴場にもいないのだ。
いつものように魔法を使って探せないのかと聞くと、こんなに障害物の多い場所ではむりだわ、と苦笑いとともに返された。
そう言われても心当たりのある場所はもう残っていないのだけれど・・・・・・いや、ひとつだけ残っていた。


古びた真鍮の如雨露から振りまかれる水が、太陽の最期の光を浴びて微かにきらめいていた。
彼女の横顔は、いつかのように、いや、以前よりも格段にたおやかに見える。
あのころの廃園は、今では豊かな緑で溢れていた。

「ペリーヌさんっ」

ゆるやかなウェーブのかかった金髪が、びくっとなるのがこの薄暗がりでもよくわかる。動揺しすぎだ。
息を切らせてサーニャが走る。ペリーヌは咳払いをし、如雨露を後ろ手に隠した。

「どっ、どうしましたのサーニャさん」

「えっと、あの、こんばんわ。綺麗なお花ね」

ペリーヌの肩ががくっと下がる。エイラも思わず同じような動きをしてしまった。
少し顔を赤らめながら、サーニャははっきりとペリーヌの眼を見据えて話し出す。

「あ、あのね、今日はペリーヌさんに、お礼を言いに来たの!」

「お礼?」

怪訝な表情を隠さないペリーヌだが、黙って聞くつもりはあるようだ。こいつはツンツンしてるが、基本的にお人よしなので相手のペースに巻き込まれやすいのだ。
サーニャはなおも懸命に続ける。

「あの、今まで色んなことを私に言ってくれていたでしょう?」

「・・・・・・」

ああ、サーニャ。その言い方だと因縁つけてるみたいだぞ。やっぱり少し口下手だ。ペリーヌも何を言われるのかと身構えてしまっている。
が、サーニャはそんなことに怯まず、話を止める気配はない。

「今日、エイラからペリーヌさんのお話を聞いて、その意味がやっとわかったの」

「・・・・・・」

すっ、と自然な所作でサーニャは花壇の方に向き直った。

「このお花、マリーゴールドっていうんだよね」

「そ、そうですけど?」

突然の方向転換についていけないペリーヌ。もっとも、いつも一緒にいるはずのエイラにもこの話がどこに着地するのかわからなかったが。

「これはハルトマンさんから教えてもらったお話なんだけど・・・・・・。ペリーヌさんの実家から届いた種を育ててるのよね」

「っ・・・・・・」

少し赤くなるペリーヌ。エイラは初めて聞く話にちょっと興味を抱いた。

「それから、エイラの話を聞いてわかった。ペリーヌさんは、本当に、誰よりも故郷や家族の人たちを大切に、命を賭けても守りたいと思っているって!」

「えっ・・・・・・」

「だから、謝らなきゃいけないの。・・・・・・今まで意地悪を言われていると思っていてごめんなさい。それから、ありがとう」

「・・・・・・」

サーニャは自分の言葉を確認するように繰り返す。

「ありがとう。わたしにいつも言ってくれて。自分の国や家族を守りたければ、もっとがんばれ、って」

「・・・・・・べ、別に謝られる筋合いなんてありませんわ」

面と向かって感謝されて、ペリーヌはすでに真っ赤になっている。

「ううん、あるの。何度でも言うわ。ありがとう」

「し、知りませんわ、もう」


紅潮した顔を隠そうとペリーヌがそっぽを向いたとき、今まで傍観していたエイラに、サーニャはちらと視線をくれた。
なんのことかと意図を測りかねたが、ちょっと咎めるような口元を見てわかった。
仕方なさげにエイラはため息をつく。サーニャの言うことには逆らえないよな、反則だよ、ほんと。

「あー、ペリーヌ・・・・・・?」

「・・・・・・まったく、昔の話をむやみに口外しないでくださる?」

「・・・・・・悪かったって。それから今朝のことも、まとめて謝るよ。・・・・・・ゴメンナ」

エイラとサーニャが二人して頭を下げてくるという前代未聞の状況に、ペリーヌもまた気圧されたのか、
口の中で、なんでこんなことに、などとぶつぶつつぶやきながら、エイラに向かって口を開いた。

「・・・・・・わ、わたくしも、朝食のことについて謝罪するのに、やぶさかではありませんわ」

珍しいものを見たような表情をする二人。ペリーヌは心外そうに口を尖らせた。

「なんですか、その顔は!?」

「いやなんでって・・・・・・なぁ?」

サーニャに話を振ろうとしたエイラは、まだサーニャの瞳がキラキラと輝いていることにぎくりとした。

「ねぇ!仲直りの記念に、そう、握手しない?」

「「はぁ?」」

図らずも二人の声が重なった。

「握手ってサーニャ・・・・・・ここには3人いるぞ・・・・・・あ」

「まさか・・・・・」

満面の笑みを浮かべるサーニャは、両手を扇状に広げて、言った。

「ええ、こうやって、3人で握手しましょう!」

「さすがにそれはどうなんだサーニャ・・・・・・」

「わ、わたくしにそんなことできるわけ・・・・・・」

ごにょごにょとつぶやくふたりも、物凄くいい表情をしているサーニャになぜか異議をとなえられず。

「ま、まぁ、仕方ないかな。なぁ、ペリーヌ」

「う、あ、あなたがそこまでいうのなら、やってあげないこともありませんわ・・・・・・ふ、不本意ですけど」

「よかった。じゃぁ、エイラ、ペリーヌさん」

お互いをちらりと見やったあと、いかにも渋々という感じで、エイラとペリーヌはそれぞれの左手と右手をつないだ。
それを見てサーニャは両の手をそれぞれの空いた手とつなぐ。とてもうれしそうだが、正直、恥ずかしい。

(いつまで続ければいいんだ、そもそもこれは握手といえるのか?)

ぐるぐると頭が混乱してくる。あー、でもサーニャと手をつないでるのか。いいことなのかもしれない。
サーニャも喜んでるし、いっか。あれ、でもなにか、違和感が。
・・・・・・それは、ペリーヌとつないでいる左手の方から感じる魔力だということに気がつくのに、少し時間がかかった。
彼女特有の魔力の波の、刺々しいまでの鋭さが半減しているのだ。驚くと同時にペリーヌがぱっとその手を離した。

「もうこれくらいで十分でしょう?」

サーニャが大きくうなずき、ペリーヌがそっぽを向く。エイラは左手をじっと見つめていた。
そして、湧き上がるなにかを無視するように、少し大きな声を上げた。

「サーニャ、そろそろ行こう。夜間哨戒まであんまり時間がない」

「うん、それじゃあ、また。ペリーヌさん」

「・・・・・・まったく、付き合いきれませんわ」

歩き出したエイラの後ろをサーニャがゆっくりとついて行く。
少しして不意に、サーニャが中庭のほうを振り返った。そこでは、ペリーヌが未だ赤い顔のまま、水やりを再開していた。
その様子を見て、またうれしそうな顔になったサーニャは大きな声で叫んだ。



「ペリーヌさん!今度水やり、お手伝いしてもいい?」

照れるような怒るような、多分本人もよくわかっていないであろう、複雑な怒声が返ってくる。

「勝手になさい!」

その声に心底おかしそうに、楽しそうに笑って、サーニャは月明かりの下で走り出す。エイラはあっという間に追い越されてしまった。
サーニャもだいぶ変わったなぁ。ミヤフジの影響なのか?なんていうか、すごく元気になった。
そしてエイラは、もう一度自分の左手をじっと見つめた。

―――変わっているんだ、サーニャも、アイツだって。じゃぁワタシは?

気づくと、サーニャの背中が随分遠くにあった。

・・・・・・もう少しワタシもがんばってみるかな。サーニャに置いていかれたくないし、それにアイツが成長しているのをただ見てるだけってのもシャクだ。

よし、と息を吐いたエイラは短く叫ぶ。

「待てよサーニャー!」

そぞろに星が輝き始めた空の下、エイラは、少し離れてしまったサーニャに向かって駆け出した。


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