Relay Station


それは朝食を終えた私が、自室に戻ろうと長い廊下を歩いている途中のことだった。
「……ーヌさん、ペリーヌさん」
どこかから何かが聞こえる。
その声があまりにも透き通っていてはかなげだったから、
まさかそれが私を呼び止めようとしている声だなんて思いもよらなかった。
「ペリーヌさん」
その人が少し――それでも消え入りそうなのにはかわりがないけれど――
語気を強めて呼び止めてくれたおかげで、ようやく私も自分が
とても意外な人から呼び止められていることに気がついた。
「……サーニャさん?」
「あの……」
「何か御用?」

なぜだか、思わず身構えてしまう。
自分が幽霊のようだと言ってしまった相手だからということもあるが、
実のところ、私はこのオラーシャの魔女が苦手なのだ。
本物の幽霊のように、いるのかいないのか、何を考えているのかよくわからないところが。
そんな私の気配に押されてか、相手の声はますます小さくなる。
「……あの……今夜の……」
「話があるのなら、はっきりと言ってくださらない?そんな声じゃよく聞こえませんわ」
我ながらなんともとげのある言い方だ。
例の北欧人に「ツンツンメガネ」と不名誉な呼ばれ方をしても仕方がない。
「あの……」
「何?」
「シフトが変更になって、今夜一緒に夜間哨戒をすることになったので、それで……」
「今夜?」
そんな話はミーナ中佐からも坂本少佐からも聞いていないのだけど。
「昼間の任務はなくなったので、それだけお伝えしておかないと……」
「わかりました。それにしてもずいぶん急な話ね」
「……忙しいから……」
「え?」
「いえ、なんでもありません……。じゃあ、今晩……」
それだけ伝えるとサーニャさんは足早にその場を立ち去った。
何やらよくわからないけれど、詳しい話はミーナ中佐から後で伝達があるのだろう。
あまり細かいことは気にせず、自室に戻ることにした。
……それに、いつかの一件以来、夜の空というのも案外気に入っているのだ。


その晩。私は暖かい格好をして夜の滑走路に立っていた。
もう春だとはいえ、夜はまだ冷える。
冷たい夜の海風を頬に感じながら漆黒の闇を飛ぶハイディを思った。
あの子はこんなに寒くて暗い夜を毎日飛んでいるのか。
風邪をひいてはいないだろうか。無理をしていなければいいのだけど。
「……ペリーヌさん、そろそろ行きましょうか」
「ええ。準備は出来ていますわ」
サーニャさんに続いて私もゆっくりとスロットルを開く。

「きれいな夜ね……」
思わずそんな言葉がもれるほどにその夜はいい夜だった。
雲は少なく、空気はずっと澄み渡っていて、ほんの小さな星の光さえも見えそうなほどだった。
魔導エンジンの航跡ともあいまって、まるで星の海の中を漂っているかのような気分だ。
「こんな夜は、電波も遠くまで届くんです」
「本当、地平線の向こう側の音まで聞こえてきそうですわね」
空はしんと静まりかえって、聞こえてくるのは自分たちのエンジン音だけ。
周囲に敵の気配はなく、非常を知らせる通信もない。
そんな静けさが心地いいような、居心地が悪いような。
こんなときにどういって声をかけるべきなのだろう。
ちらりとサーニャさんのほうを見ると、嬉しそうな、
それでいてどこか緊張したような顔をしていた。
私と一緒にいることが嫌なのか、そうでないのか。
やはり、私にはこの子の考えていることがよくわからない。

サーニャさんがちらりと時計を確認する。
そして一つ息を吸うと、恥ずかしそうに私に声をかけた。
「ペリーヌさん……耳をすましてみてください」
「え?」
サーニャさんの魔導針がわずかに光を増した。
「こちらビェルイェ・リーリア。ゲアファルケ、感度ありますか?」
しばしのザザッというノイズの後、はっきりと人の声が聞こえる。
「……らはゲアファルケ。感度良好です」
「これって……」
電波に乗って聞こえてきたのは確かにハイディの声。
ついこの間あったばかりだというのにひどく懐かしい声。
「ねぇ、ブループルミエ。そこにいるんでしょ?」
向こうからコールサインを呼ばれてどきっとする。
今日急にシフトが変更になったのに、ハイディが知っているということは。
「ペリーヌさん、こちらの声は私が中継してますから……」
私は小さく頷くと水平線の向こうの相手に話しかけた。

「こちらブループルミエ。あなたね、哨戒シフトを無理に変えさせたのは」
「仕方ないじゃない。こんなに電波状況のいい夜はめったにないんだから」
大して悪びれもせず、ハイディが答える。
「だからって仮にも大尉がこんな公私混同をするのはどうかしらね?」
「ペリーヌのためだもの」
はるか遠い空の向こうでハイディが笑う。
私も自分の頬がだらしないくらいに緩んでいるのがわかる。
そんな私たちの声がサーニャさんを通じてやり取りされているというのがなんとも恥ずかしい。
「それで?わざわざこんなところまで呼び出して一体何の用ですの?」
「うん。お礼がしたかったの」
「お礼?」
「そう。誕生日のときのお礼を」
誕生日って……あのラジオのことだろうか。
私がサーニャさんに無理をいって伝えてもらった、ハイディへのバースデーメッセージ。
「……私の誕生日なら先日、直接祝ってくれたじゃない」
「でも、伝え足りなかったからね」
「そんなの……」
この間あった時に十分すぎるくらいにもらったじゃない。
それに、本当に必要なら手紙を贈るなり何なりの手段だってある。
あえてこんなに面倒な手段をとる必要なんて……。
「あら。空でのお礼は空で返すのがウィッチの習わしでしょ?それに……」
嬉しそうに笑うハイディの様子が伝わってくる。
「ペリーヌにも知って欲しかったの。
 電波に乗って一番大切な人からメッセージが届く奇跡っていうのをね」
「ちょ、ちょっとハイディ!?」
ハイディの思わぬ告白に顔が真っ赤になる。
まるで二人っきりのときのように甘く話しかけてくるハイディ。
「遠く遠く離れていても、確かに心は繋がっている。そういうのって素敵じゃない?」
「もう。いい加減にしないと、サーニャさんがゆでダコになってしまいますわ」
私たちの会話を中継していたサーニャさんはもう耳まで真っ赤だ。
「あら。ごめんなさい、サーニャさん」
「いえ……大丈夫です」
口ではそういいながら今にも顔から火を出しそうなサーニャさん。
「あまり大丈夫ではなさそうよ、ハイディ」
「そうね。名残惜しいけど、今夜はこれで。じゃあまたね、ペリーヌ」
「えぇ。また遊びにいらしてくださいね」
「ペリーヌこそ。とっておきのワインを用意して待ってるわ」
やがて再びノイズの向こうにハイディの声が消えていった。
サーニャさんが赤い顔のまま、魔導針をしまった。

交信が終わってしまうとまた二人きりの時間が訪れる。
でも今度はちっとも嫌じゃない。
「こういうことでしたのね。急に夜間哨戒と言い出したのは」
「ごめんなさい……」
さっきまで笑顔だったサーニャさんが急に小さくなる。
「ちっ、違いますわ!べっ、別に怒ってなどいませんから……」
慌ててサーニャさんの誤解を否定する。
「ただ……ありがとう。私たちのわがままに付き合ってくださって」
「いえ。私も嬉しいんです……こうやって大切な人に何かを伝える
 お手伝いができることが」
そういってサーニャさんが笑いかける。
そんな顔をされるとなぜだがひどく気恥ずかしくなって、
サーニャさんの顔をまともに見られなくなる。
「サッ、サーニャさん」
横を向いたまま続ける。
「わがままついでにお願いしますけど、今度ハイディと交信することがあったら
 伝えてくださらないかしら。びっくりしたけど、嬉しかったと」
ここで一つ深:呼吸。こんなこと恥ずかしくて普段なら言えるわけないのに。
「それと……、私の大切な、501の仲間をよろしくって」
「……はい」
サーニャさんがそっと伸ばした手が私の左手に触れる。
かすかに、電気のような熱のようなものが流れるのを感じた。
「さあ!早く基地に帰りましょう。ミーナ中佐に一言謝っておかないといけませんわ」
すうっと大きな弧を描いて基地へと進路をとる。

まったく、ナイトウィッチという種族の考えることはやっぱりよく分からない。
でも、なかなか洒落たことをするじゃないの。
私も何か、ハイディに洒落たお返しを考えないといけない。
……それにサーニャさんへのお礼も。

そんなことを考えながら飛んでいるとなんだが頬が熱くなってくる。
水平線の向こうからはもう、うっすらと光が差し始めていた。

Fin.


元ネタ:1263

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