ある夜のエイラ


 眠れない夜があった。というより、今現在進行形で眠れないのだった。
 時計の針はすでに深夜をまわっている。
 エイラはベッドの中で何度か寝返りを打ち、目をつぶるがそう簡単には眠れず、ふとのどの渇きを感じてのそのそ起きだした。
(とりあえず、冷たい水)
 エイラは部屋から出ると、台所に歩を進めた。


 寝付けないことは、軍人ならよくあることだ。
 たぶん、戦場に生きる人間だったら誰でも抱くであろう不安感。
『自分は死んでしまうんじゃないだろうか』
 それは唐突に訪れて、そして一度心にとどめるとなかなか過ぎ去ってはくれない。
 台所についても、その思考のかたまりは、頭にこびりついてはなれてはくれなかった。
 だからそれを払拭するように、コップにたくさん氷を入れて、キンキンに冷やした水を数口飲む。
 のどの渇きが癒えて、少し楽になる。
 全部飲み干してから、もう一度水を半分くらいまで注ぎ、エイラは席についた。
 一息つきながら、この心のざわめきがすぎることを待つしかない。
 窓の外からこぼれる月の光に目を細める。
 今、サーニャはどこらあたりを飛んでいるだろう。
 自分がこんな思いを抱いている同じ時間に、一方では戦いの空を飛んでいる。
 不思議な気分だった。それとともに、少し申し訳なくもあった。

「あれ、エイラさん?」
 呼ばれて、エイラは顔をあげる。
 台所へと入ってきたのは、この隊で一番の新人だった。
「どうしたんだ、宮藤」
「いえ、あの、お腹がすいちゃったんで、少し……」
「なんだー、冷蔵庫あさりカー?」
「えっと、あの、はい」
「まったく、宮藤もルッキーニじゃないんだから」
 呆れた口調で揶揄すると、芳佳はムッとしたように少し頬を膨らませた。
「じゃあ、エイラさんはどうして今台所なんかにいるんですか?」
「私? 私は……」
 答えようとして、エイラは少し口ごもった。

 いつもはスラスラと出てくる詭弁、嘘八百も今日は冴えを見せなかった。
 芳佳はそんなエイラを怪訝そうに見つめていた。少し、察してはくれているのだろう。冷蔵庫に向かっていた足を両足そろえてこちらに向けている。
 エイラはそんな芳佳のまっすぐさに、好感を持っている。ちょっと、サーニャと距離が近いけど。
 この前、自分と同い年になったばかりの少女。そしてそのちょっと前に軍に入ってきた新人。
 エイラの後輩にあたり、部下にもあたる、大切な仲間。
 少し、聞きたくなった。今の気持ちを、軍に入って後悔していないかを。
「なあ、宮藤」
「はい?」
「お前さー。明日突然自分が死んじゃうって思ったことないカ?」
 適当なことを言って、場をはぐらかしてもよかったはずなのに、正直者のエイラにはできなかった。
 あくまで直球に。それはエイラのスタンスには合わないけれど、いつももっと直球な、芳佳に対する礼儀みたいなものだった。
 芳佳ははっとしたような顔をして、すぐに顔をうつむけて一生懸命考えはじめた。
 芳佳は投げかけたボールを正面で受け止めてくれる。あのリベリアンのようにはぐらかしたり、隊長のようにやんわりと受け止めたりはしない。
 だからすごく良い音がする。投げた手ごたえが感じられるような、そういう受け止め方をしてくれる。
(同じ扶桑のサムライなんて、たぶん一刀両断にされちゃうもんナ)
 もちろん、みんな大切な仲間だし。悩みを話せば誰だって、解決のために動いてくれる。はぐらかされた後で励ますようなサプライズをしてくれたり、やんわり受け止めて包み込んでくれたり、一刀両断にされたらされたで、むしろ気分がスカッとすることもある。
(でも、今してほしいのは……)
 そういうことじゃなくて。

「私はまだそんな気持ちにはなったことはありません」
 芯の通った、まっすぐな声。心をうつ、きっぱりとした覚悟。
「でも、死んじゃうの怖いって思ってます。ネウロイは怖いし。戦うのは怖い」
 そう。だれだってそんな思いを抱いている。でも自分が相談できる年上の先輩たちは、その思いに蓋をするのがうまい。
 こうやって芳佳のように、まっすぐに怖いといってくれる人は、自分の相談できる人の中にはいないのだ。
 同じ隊の仲間が、こういう風に同じ思いを抱いてくれていることに、エイラは少し安心する。
 そして芳佳が、ただ怖いだけで話を終えるようなヤツじゃないことも知っている。
「それでも、何もせずにいるのは嫌なんです」
 無知は罪だが、知っているのにやらないことはもっと罪。
 守りたくて、芳佳は飛んでいる。
 そしてこの隊全員、なにかを守りながら空を飛んでいる。それは自分も含め。
 たぶん、芳佳は目指す場所が違ったから、そういう意味ではあの二番目の新人よりはもっと不安のかたまりなのだろう。
 それでも戦場を飛んで、一生懸命戦っている。
 ――今も、エイラを慰めようと、一生懸命言葉を選んでいる。
「何をすればいいか分からないから、何もしなくていいわけじゃないんだって、私はこの前気付きました」
 それに何かをしようとすれば、かならず道は開ける。
 自分の望む方向とは違うかもしれないけど、こうやって前に進める。
「だから私たちは、こうやって戦ってるんだと思います」
 真剣な顔で語り終えた芳佳を、少し羨ましい思いでエイラは見つめた。
 自分にもこんなまっすぐな時期、あったっけな。
「ありがとな、宮藤」
 いえ、お役に立てたか分かりませんが。芳佳はそういって頭をかいていた。
(役に立ててないわけないだろー)
 口にはださなかったが。
「じゃあ、私はもう寝るよ」
 おやすみ。そう一言言うと、おやすみなさい。また一言返ってきた。

 部屋に戻ってからも心のもやもやと少し格闘して、そしてそれに疲れてしまったのか、知らないうちに眠っていた。
 エイラの寝顔は苦痛に歪んではおらず、ちょっぴり満足げであった。



 朝日が窓一杯に降りそそいでいるのだろう。眩しさで徐々に意識を取り戻していく。
 半覚醒のままで、少しまどろみに埋没しながら、エイラは背中にぬくもりがあることを感じ取っていた。
(そういえば、もう一人いたっけ)
 心配をかけたくなくて、あまり悩みを打ち明けないけど。
 その代わり、いつも一緒にいて安心させてくれる存在。
 あなたはここにいるよ。
 背中のぬくもりは生きている証拠だと。それを感じ取れるのは、相手が生きていて、そしてなにより自分が生きているからだということを教えてくれているような気がした。
 キョウダケダカンナー。
 いつも通りを呟いて、また目を閉じた。
 もう、寝付けないなんてことはなかった。


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