baby sister


「エイラの、馬鹿」

 その呟きに至るまでのプロセス、そして始発点は、小一時間程遡る事になる。

 基地の庭の片隅には、海を見渡せる木陰が有る。隊員達がそれとなく訪れてはのんびりしたり
愛を語り合ったり、ひとり瞑想に耽ってみたり。
 今日その場所にぽつんと陣取り、海を“睨んで”いるのはトゥルーデだった。
 時折ふう、と深く息を吸い、吐く。そして唯々海に目を向ける。
 穏やかに揺れる水面は太陽の光をきらきらと反射させ、優しい海風がトゥルーデを包む。
 だが険しい表情は緩む事は無く、ゆったりとした時間だけが流れて行く。
 足音が近付いて来る。振り向くと、そこにはエイラの姿があった。いつになく幻滅した顔をしている。
「何だ、エイラか」
 突き放された物言いに、エイラは口を尖らせた。
「『何だ』とは随分酷いじゃないカ、大尉」
 トゥルーデはその姿を見て、不意におかしくなった。
 くすっと笑うと、エイラは苛ついたのか、トゥルーデの元に詰め寄った。
「何だヨー! 私が来ちゃダメなのかヨ!?」
「いや、何でもない、気にするな」
「気にするヨ」
「どうした、何か用事か?」
「大尉に用事って訳じゃネーヨ」
「そうか」
 トゥルーデは不機嫌なエイラを見、追い払おうと一瞬思いもしたが、彼女の目を見てその思考を払い除けた。
 悲しげな瞳の色。今にも涙が溢れそう。うつむき気味の顔。
 エイラらしくもない。
 トゥルーデは自分の事を忘れ、エイラの腕をそっと取った。
「少しゆっくりしていけ」
「いつからここ大尉の場所になったんダヨ」
「良いじゃないか」
 二人して、腰を下ろす。抵抗するかと思ったエイラも案外すんなりとトゥルーデを受け容れた。
「海が綺麗だな」
「アァ」
 少し風が強くなった。肩を寄せ合い、海と水平線の方を見やる。
 風の強さとは裏腹に、水面は穏やかなまま、陽射しも変わる事なく二人を照らす。
 エイラは何か言いたそうで、だけど何も言えない雰囲気で。
「どうした」
 トゥルーデは短く端的に聞いた。
 少しの間を置いて、エイラはぼそぼそと呟いた。
「サーニャと、喧嘩、した」
「なるほど」
「あ、今笑ったダロ? 私の事笑ったナ?」
「私は人の不幸を愉快に思う様な人間ではないぞ、エイラ」
「うう……じゃあ何で」
「同じさ。私も」
「?」
 物憂げな表情で、そっと、薬指に輝く指輪を撫でるトゥルーデ。
「大尉は、中尉と喧嘩したのカ」
 エイラの問いに頷き、答える。
「ああ、したさ」
「随分開き直ってるんだナ」
「してしまったものは仕方ない……今更悔やんだところで」
「……」

 風になびく前髪をさっとかきあげ、トゥルーデは言った。
「なあエイラ。物事が起きるには、必ず何か原因もしくは理由が有る筈だ。そうは思わないか」
「哲学カヨ? 私にはよく分かんねーヨ」
「その原因さえ分かれば、後は対策のやりようが有ると言う事だ」
「なんかカールスラント軍人らしい考え方ダナ」
「私はそのカールスラント軍人なんだが」
「そうだっタ」
「で、エイラは原因分かったのか?」
「それが分かれば苦労なんてしねーヨ……」
「そうか。まあ、世の中には分からない事も多いからな」
「大尉、さっきと言ってる事違うゾ」
「私にだって、分からない事くらい、有る」
「そりゃそうダロ」
 呆れるエイラ。
「まあ、同じ境遇だし、少し考えてみるのも良いんじゃないか?」
「何だか反省会みたいダゾ……」
「一人で惨めな気分になるな、エイラ」
「なるヨ! だっテ、サーニャが私の事『嫌い』なんて言うから! サーニャが、サーニャが……」
「サーニャに嫌われるとは、何をしたんだ?」
「何もしてネーヨ! ……何も」
「それだろう、原因は」
「へっ?」
「何もしない事に、サーニャは怒ったんじゃないのか」
「なにその頓知みたいな理由」
「発想の転換と言って貰いたいな。大体エイラは……」
「今度は説教カヨ!」
「待てエイラ」
 ぐいと手を伸ばし、立ち上がりかけたエイラを掴む。よろけ、バランスを崩したエイラをしっかりと抱き止めた。
 偶然にもお姫様抱っこの状態になったエイラは、かあっと顔を赤くした。
「な、何すんだ大尉」
「落ち着け」
「わ、私はそんな気無いからナ? 私は……」
 いつになく真面目な顔をしたトゥルーデを見て、口ごもるエイラ。
「エイラ」
 トゥルーデの腕の中で、小さく震えるスオムスの娘。
「お前が心配なんだ」
 真顔で言われ、困惑する。
 何て言い返せば良いか分からない。茶化しても通じないであろう表情。
「は……離して」
 途切れ途切れに拒絶の言葉を口にするのが精一杯。でも身体は動かず、動けず。
 馬鹿真面目なカールスラント軍人も、じっと腕の中の娘を見つめている。
「私には分からないな。何故に彼女はお前を拒絶するのか」
「えっ」
「こんなにも、美しくひたむきなのにな」
「な、何イッテンダ!? 私を口説いてるのかヨ?」
 再びじっと見られ、それ以上何も言えなくなるエイラ。
「私は……大尉の妹じゃないゾ」
 辛うじて放った言葉にも、まるで動じない。
「妹、か。隊の皆は家族。そうじゃないか?」
「つまり皆『いもうと』って事カヨ?」
「ミーナもそう言ってた」
「ミーナ中佐まで……」
 それっきり何も話さず、お互いに、抱かれ、抱いたままの状態が続く。
 風に流されるエイラの髪は陽に当たり美しく輝く。トゥルーデのおさげも風に揺れる。
 経験した事の無い状況に陥り、エイラは激しく動揺する。
 ……目の前の大尉から、逃げられない。

 でも、エイラは抱っこされて気付いた事もあった。
 トゥルーデの身体はとても温かく、何だか居心地が良い。
 彼女の香りは、サーニャのそれとはまた違った良さが有って、不思議な気分。
 何故だか自分の事を本気で心配してくれている、であろう事も。
 それを感じた瞬間、ほんの少しだけ安堵した自分が居る。その事実を突きつけられ、心の中で悶える。
 大尉こそひたむきじゃないか、浮気じゃないのかと思ったけど、何故か言えない。
 そんな空気じゃない。
 いやむしろここは空気を読まずに動くべきなのだが、動けない。
 エイラは抱っこされたままの自分を呪った。
 どうしてこんな目に。
 どうしてこんな目に見つめられているのか。自分が映り込む程に近い瞳の色は、宝石にも似て綺麗で。
 何故離れられないのか。
 気付いていなかったが、ふたりの距離は相当近い。
 エイラは自然と、トゥルーデの服の袖を掴んだ。更にじわりと接近する。
 ごくりと唾を飲み込む。袖を掴む腕が震える。目を閉じる。
 間も無く交錯する……。その時。

 突然にふたつの手が伸び、二人の距離を引き離した。
「何やってんのトゥルーデ」
「……エイラ?」
 エーリカとサーニャだった。二人とも怒った顔をしている。
 一足早く我に返ったエイラは、あたふたと両手を振って弁解した。
「さ、サーニャ! こ、これは違うンダ」
「違うって、何が? バルクホルンさんが、いいの」
「違ウ! これは事故ダ!」
「説明、してくれる?」
「も、もちろん! だからサーニャ、怒らないで話を聞いて……」
 答える暇も無くずるずると引きずられていくエイラ。
 サーニャは獲物を逃がさぬ猫科の動物宜しく、愛しのひとを引きずったまま何処かへと消えた。
「へえ。一応は一歩前進した……、って事で良いのかな」
 エーリカがその様子を見て頷いた。
「何の事だ?」
 トゥルーデの問いに、エーリカは呆れ気味に答えた。
「あの二人だよ。サーニャ、今日エイラと口聞いてないって言ってたから」
「そう言えば、喧嘩したんだってな。酷く落ち込んでた」
「だからって、トゥルーデがエイラをお姫様抱っこしてキスして良いって事にはならないからね」
「待て! 私はそんな事……」
「そう見えたんだもん。違うとは言わせないよ。例え未遂でもね」
「いや、それでも……」
「言わせない」
 エーリカは自分の唇でトゥルーデの唇を塞いだ。そして腕を回すと、トゥルーデに全身を預けた。
思わぬ行動を取られ、よろけ気味にエーリカをお姫様抱っこするトゥルーデ。
「さ、私達も行こう、トゥルーデ。それで、私にもさっきの理由、聞かせてよ」
「……」
「答えによっては……」
「よっては、何だ?」
「どうしようかな~。前の喧嘩の事もあるしね」
 苛立ち半分、にやけ半分と言った感じのエーリカ。多分きつい「お仕置き」を考えているに違いない。
(どうしてこうなった……)
 トゥルーデは思わず、呟いた。

「エイラの、馬鹿」

 その言葉は図らずも、サーニャ、エーリカも内心思い、口にしていた。
 言われた当の本人は、そんな事も知らずに、ただただ目の前の愛しの人に、許しを乞うていた。
 愛に囚われた人の、情けなくもひたむきな姿。
 だからこそ、隊の皆からそっと見守られ愛されている事を、彼女は未だ知らない。

end



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