黒猫の端午
「あの・・・坂本少佐へのお届け物だそうです」
そう言いながら、サーニャはおずおずと手にした箱を差し出した。
「おお、すまない」箱に添付された宛名を見ると、坂本少佐は思わず顔をほころばした。
「おっ! ようやく届いたか。もう、間に合わないかと思ったが」
「あの・・・なんなんですか箱の中身は?」
箱は横に平べったく、一見すると皿でも入っているように見える。
「んっ? そうだなぁ、じゃあ後30分ぐらい経ったら中庭に来てくれないか?」
「えっ? ・・・はい」
「じゃあ後でな」
サーニャはそう言って立ち去る坂本少佐の背中を見つめながら、先送りにされた答えの正体に首をかしげた。
30分後、中庭に訪れたサーニャを一陣の風が出迎えた。風はサーニャの柔らかな髪をた
なびかせる。だが、その風は少々強く、サーニャは片目をつむりながら、髪を押さえた。
その時、どこからかカラカラという音が聞こえた。サーニャは、何だろうかと音のした方
向に視線を移し、自分の視界に飛び込んできた不可思議な光景に目を見張った。大きな何
かが風に揺られてたなびいていた。よく見るとそれは、魚を模した大きな布であり、黒い
大きな魚を一番上にし、その下には赤い小さめなものが二匹長い棒に取り付けられていた。
カラカラという音の正体は、棒のてっぺんに付けられた風車状の飾りによるものであった。
サーニャがその見慣れない光景をまじまじと見つめていると、自分を呼ぶ坂本少佐の声が聞こえた。視線をそちらに移すと、サーニャは慌てて坂本少佐の方に駆けていった。
「あのこれは?」
「鯉のぼりというものだ」
「コイノボリ?」
「扶桑では、5月5日の端午の節句の時にこれを揚げるんだ」
「タンゴノセック? ・・・踊りを踊ったりするんですか?」
「んっ!? いや・・・そっちのタンゴじゃないんだが」
「あっ・・・すみません、変なこと言って」
サーニャは顔を紅潮させ、恥ずかしそうにうつ向く。
「まぁ、端午の節句というのは、簡単に言えばこどもの日だ」
「こどもの日?」サーニャは横目に、坂本少佐を見る。
「こどもが立派に成長しますようにと祈る日だ。この鯉のぼりも、それを祈って揚げるんだ」
「さっきの荷物の中身はこれですか?」
「あぁ、内心ヒヤヒヤしてたんだ。今日中に揚げられないんじゃないかと。うちの部隊に
は、まだまだ成長して欲しいものばかりだからな」そう言いながら、いつものようにハッ
ハッハッと高笑いをあげる。
「でも、親子仲良く気持ち良さそうに泳いでいるだろ」
「・・・あれは親子なんですか?」
「そうだ、大きいのが父親でその下のが子ども達だ」言い終わってから、坂本少佐はサー
ニャの悲しげな横顔に気付いた。
「そうだ、良かったら食堂に行かないか?扶桑の菓子があるんだが」坂本少佐からの提案にサ
ーニャは、ハッと顔を上げると「・・・はい」と首を縦に振った。
「ほら、柏餅というものだ」
食堂の座席に座ったサーニャの前に、葉っぱで包まれた平べったい餅が出された。
「カシワモチ?」
「ああ」
「これもタンゴノセックに食べるものなんですか?」
「ああ、柏の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、家族の繁栄を意味してい
るんだ、ほら、早く食べてみろ」
「あっ、いただきます。・・・あの」
「ん? ・・・ハッハッハッ、すまないすまない、柏の葉は食べなくていいんだぞ」
サーニャの戸惑いの表情の意味を読み取った坂本は少佐、そう伝える。サーニャは、柏の
葉を丁寧に取り、白い餅を頬張った。
「・・・美味しい」
「そうか?」
「これも坂本少佐が?」
「いや・・・作ったのは宮藤なんだ」
「やっぱり・・・あぁ!」サーニャは失礼な事を言ってしまったと思い、慌てて口に手をあてた。
しかし、坂本少佐は気にするような素ぶりを見せないまま、話を続ける。
「本当は自分で作ろうとしたんだが・・・形を上手く作れなくてなぁ。団子なら作れたんだが」そう言って坂本少佐はため息をついた。
「そうだったんですか」
「あぁ、端午の節句ならぬ団子の節句というところだな」
「・・・」
「・・・」
「えっと・・・」
「そうだ、今夜は一緒に風呂に入らないか?」
「お風呂ですか?」
「あぁ、今夜は菖蒲湯にしようと思ってな」
「ショウブユ・・・どんなお風呂ですか?」
「菖蒲というを風呂に浮かべるんだ、菖蒲は邪気を払うと言われていて、武運も向上する
とされている・・・その・・・なんだ、必ず倒そう」
「え?」
「ネウロイを・・・必ず」
そう言ったきり、坂本少佐は口をつぐんだ。そして、二人の間には沈黙が流れる。ただ、
その沈黙はどこか暖かで、静けさが心地好かった。坂本少佐が何を想ってそんな言葉を発
したか、サーニャにはその意味が心の中に流れ込んでくるように感じた。
「・・・はい」小さく、だが力強くサーニャはそうつぶやいた。
「そうだ、チャンバラでもやらないか?」
坂本少佐はそう快活に提案をし、沈黙に幕を閉じた。
「チャンバラ?」
「扶桑では、新聞紙で剣や兜を作って戦って遊ぶんだ。菖蒲風呂に入る前に一汗かこうじゃないか・・・ハッハッハッ、手加減をするに決まっているだろ」
「あっ・・・そっ、そうですか」坂本少佐の言葉にサーニャの不安は拭い去られた。
「そうだ、折角だ、宮藤やルッキーニたちも呼んで皆でやろう」
その後坂本少佐の提案に数名が集まり、新聞紙で作った剣や兜でチャンバラに講じた。
その最中、基地の片隅でミーナは探し物をしていた。
「おかしいわね、今日の新聞はどこかしら?」
END