無題


隣で起こったボフンという音で、エイラは目を覚ます。
「んん…?」
眠たげに、気だるげに身体を起こして、隣を見やった。
そこには、見慣れた少女の姿があった。下着姿で、小さな寝息を立てている。
あまりにも自然にそこにいるので、怒る気も失せるというものだ。
「サーニャ…また部屋を間違えタのカぁ?」
眠っているのだから、聞こえるはずはないと思いつつも、声をかけてしまう。
「今日ダケダカンナ…」
そう言ったのが何回目か、彼女には分からない。数えるということを放棄したからだ。
サーニャがエイラの寝室に訪れるのは、それほど珍しいことでもない。むしろ、しょっちゅうのことだった。
サーニャが隣に横たわる度、エイラはいつも言う。「今日ダケダカンナ」。
寝ぼけ眼を擦りながら、エイラはテーブルに置いたタロットに手を伸ばした。
札を利用して、運勢を見定める。いわゆる占いだ。これも日課と言えば日課である。
数瞬先の未来を見通すことのできるエイラ。
その彼女のタロットなのだから、的中率もさぞ高いと思われがちだが、実のところそうでもない。
所詮、占いは占いだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。
あくまで一日のアドバイス程度に思っておけばよい。彼女のタロットに対する考え方は、専らそのようなものだった。
シャッフルしたカードを、決められた順番にベッドの上に並べた。そのうちの一枚を、めくる。
「ふぅん…そッカ」
結果に、エイラは軽く鼻を鳴らした。カードが告げるには「何か大切なものを失くしてしまうかも」ということだ。
そうならないよう、せいぜい気をつけるとしよう。そうだ。占いとはこういうものだ。
結局のところ、人のモチベーションを向上させるための口上なのかもしれない。
む、つまらない洒落を言ってしまったな、と思った。
しかし、と考える。
大切なものとは何だろうか。
エイラは、タロット以外にも、占いに用いる道具を数種類持っている。テーブルに載っている水晶玉も、その一つだ。
確かに、大事といえば大事だが、無くなったからといって大きく落胆するものでもない。
ふと、隣のサーニャに目が行った。
白く細い四肢。僅かにウェーブのかかった、短めの銀髪。柔らかそうなその髪に手をやって、優しく撫でた。
サーニャが起きていたらできない所業だ。きっと、決意までに数時間を要し、頭に手を置くまでにまた数時間を必要とするのだろう。
そしてその都度、原因不明の胸の高鳴りがエイラを襲うのだ。顔も何故か熱くなる。
実際、こうしてサーニャを撫でている今だって、強い動悸に苛まれている。
こんな感情、他の誰にも抱いたことがない。
「ナンなんだヨ…コレ」
胸に手を当てて、自問自答した。
しかし結局、答えは出なかったのだが。

ネウロイ発見の報告がなされたのは、それから少ししてからだ。基地内が、一気にあわただしくなる。
一方、エイラは自室に戻り、未だに眠り続けているサーニャの横に腰を下ろした。エイラと他数名は、待機命令が出されたのだ。
最前線だというのに、エイラは落ち着いたものだった。
バルクホルン、エーリカの撃墜双王。優秀な指揮官である美緒。その美緒にメロメロのペリーヌも、なんだかんだでウィッチとしての腕は立つ。
シャーリー、ルッキーニのコンビとて、ネウロイに遅れを取るとは思えない。
あのメンバーで抑えられない敵など、見たことがなかった。
「今回も、きっと大丈夫ダ。だから、ゆっくり休むんダゾ」
彼女の小さな指先に、そっと触れる。柔らかい。思い切り握ったら、壊れてしまうのではないか、と本気で考えてしまう。
そしてまた、胸がドキドキする。一体、どうなっているのだ、自分の身体は。
虚を突くように高い警報音が響き、いっそう強く、エイラの心臓を跳ね上がらせた。
「な、ナンだ…? ビックリさせるなヨ、まったく…」
だが、このやかましい警報の中でも、サーニャは起きる様子はない。エイラは苦笑まじりに、彼女の頭をぽんぽんと撫でてから、立ち上がる。
「じゃ、行ってくるナ、サーニャ」
サーニャを残して、自室を去った。
ふと、今朝のタロットのことを思い出す。
大切なものを失くしてしまうかも。
ベッドに横になるサーニャを、チラリと見た。
「まさか、ナ」
ドアを閉じながら、エイラは自嘲気味に笑った。

ネウロイは、こちらへ向かって一直線に突っ走っているということだった。
当初出撃する予定だったミーナ、エイラに加えて急遽、芳佳とリーネが参戦することになり、総勢四人でネウロイを迎撃することになった。
戦闘経験の少ない二人を後方支援に回し、エイラとミーナはネウロイに接近、攻撃する作戦である。
「いた…!」
ミーナが、静かに告げる。その視線の先に目をやると、瞠目した。
黒く巨大な、弾頭だった。いや、よく見ればネウロイであると分かったが、それ以外はまさに、弾頭としか言いようがない。
それだけならよかった。ただ、その速度が脅威だったのだ。海面ぎりぎりを滑るように駆け抜け、水しぶきを立ち上がらせて。
今までのネウロイから一線を画する速度で、直進してくる。
もし、こんなものを人間が造れるようになってしまったらと考えると、寒気がした。
「速い…」
思わず、本音が零れてしまう。だが、それはミーナも同じのようである。
「今までより圧倒的に速いわ…一撃離脱じゃ無理ね。速度を合わせて!」
了解のサインをし、ネウロイの後方にピタリと付き、速度を上げていった。ネウロイと同じ速度に達するや、銃を構え、撃つ。
だが、掠りもしない。銃弾が無駄に消費されていく。
ふと、ミーナの放った弾が、ネウロイの尾の部分を捉えた。
よし、とエイラの顔に希望が浮かぶ。捉えられない敵ではない。勝てる。
ふと、ネウロイの腹部に切れ目が入った。かと思うと、そこから後ろが、取れた。
まるで、連結されていた荷台を切り離す、機関車のように。
余計な部分を取り除いた弾頭は、さらに速度を上げる。
「加速した…!」
その切り離された部分が、二人に向かって突っ込んできた。身を翻してそれを避け、再びネウロイを見たときには、それはすでに黒い点になるほど遠くへ行っている。
「速すぎる! …まずいわね」
速いなんてものではない。スピード狂のシャーリーが、ストライカーをいじって速度を上げているのを度々目にするが、彼女ほどの速さが無ければ、まず追いつけない。
「…え?」
待て。
追いつけないって、どういうことだ。
攻撃ができない。倒せない。ネウロイの行く先には何がある?
基地。基地の中には…?
「サーニャ…?」
不思議と、冷や汗は出なかった。その代わり、尋常ではない恐怖がやってくる。
全ての温度が失われたかのように感じられた。全ての色も失われ、目の前が暗闇に包まれていくようだった。
足の詰めから頭のてっぺんまで、凍り付いていくようだった。
上下左右も分からない。そんな空間の中で、響くものがあった。
大切なものを失くしてしまうかも。
まさか、ナ。
そう言って、部屋を後にしたときのことを思い出す。
嘘だ。
サーニャの姿を思い出す。
嘘だ。
サーニャの笑顔を、思い出す。
自分を捕らえて離さない。百合が微笑んだような、柔らかい笑み。
あんまりだ。サーニャはあまりに、大切すぎるじゃないか。
「リーネさん、宮藤さん! 敵がそちらに向かってるわ! あなたたちだけが頼りなの! お願い!」
ミーナの必死の叫びで、エイラは元の世界に戻った。
感じる風も、見える色も、聞こえる音も、何もかもが空々しい。
そんな中で、エイラは下唇を強く噛み閉めた。
「リーネぇ! 宮藤ぃ!」
聞こえるはずがないと、分かっているのに。口が黙っていられなかった。
「お願いダ! お願いダカラ…! そいつを、そいつを止めてクレぇ!」

数瞬の後、凄まじい閃光とともに、巨大な爆発が起こった。

ハンガーでストライカーを脱ぐと、エイラはなりふり構わず自室へと駆けた。
「サーニャ!」
ドアを殴るように開けて、叫んだ。
「んん…えい…ら…?」
ベッドで眠っていたサーニャが、瞼を擦って身体を起こした。ぼんやりとした目で、こちらを見つめてくる。
「サーニャ…」
彼女に近づいて、次の瞬間、抱きついた。
サーニャの顔が、心なしか赤くなっているように見えたが、エイラは気づかない。
嗚咽を洩らして、胸に顔をうずめてくるのへ、サーニャも戸惑いながら、訊ねる。
「ど、どうしたの…? エイラ…?」
「サーニャが、いなくなっちゃうんじゃナイカって…怖くて、どうしようもなくて…でも、無事でよかっタ…!」
「なんで…?」
当然の反応だ。彼女は、エイラが何故、こんなに顔をくしゃくしゃにしているのか、分からない。
なので。
「…大丈夫だよ。エイラ。私、ずっとエイラと一緒にいるよ…?」
エイラの頭を、優しく撫でた。
泣き止ませるつもりだったのだが、エイラはいっそう強く泣いてしまったので、サーニャはしばらく、困ったような笑って、エイラを撫で続けることになる。

おわり


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