カールスラント1944 雪のように降りしきる彼女の為に


 ちらつく雪。
 零下の空。
 雪原を往く。
 新雪を掻き分け、足を引き摺り、痛む体に鞭打って、往く。
 思い返してみれば色々あった。
 ケチの付き始めは多分人のストライカーで出撃した所からだ……と思いたい。
 何日か前の出撃の際に私が無傷でユニットが全損した。
 同じ日、同じ基地に展開していた別部隊のウィッチが負傷してリタイヤ。
 そいつのストライカーの損傷は軽微だった。
 無事な方同士を組み合わせて2コ1にすればあっという間に航空歩兵の一丁上がりだ。
 かなり無理を言って借りてきたらしいこっちの部隊のサーシャは出撃前、心配そうに「壊さないでね」とか言ってた。

「いくら私だってそんなに連続で壊されたりしないさ」

 正直その時は本当にそう思っていて軽い気持ちで返事をし、整備兵の手を借りて地上で機材の調整を行った。
 調整が終わる前に奇襲があって迎撃に出て、戻ってきたら友軍地上部隊の支援の為に更に緊急出撃になって敵を追い返したところ迄はよかったんだけど、追撃中に運悪く対空砲撃の弾幕に捉われてしまった。
 その砲弾の食らい方がツイてなかった。
 高度設定を見誤ったのか炸裂する前の砲弾が偶然にもストライカーに直撃。ユニットはひしゃげてこちらも吹き飛ばされ、あっという間に高度を落とし墜落した。
 墜ちた先に常葉樹、その下には新雪もあったお陰で致命傷は免れたんだけど全身を打ったのには変わりない。
 しかも柔らかい新雪に人の字をスタンプしたせいで思うように動けず、そこから抜け出すだけでかなりの時間を擁してしまった。
 寒いのには慣れているからといって半ば雪に埋もれた状態に長時間耐えるのは正直拷問だ。
 震えながら数時間ぶりに立った雪原は既に低い太陽のオレンジに染められていた。
 夜が近かった。
 故郷のスオムス程ではなくともかなり緯度が高めのこの地では冬の季節の日の出は遅く、没するのも早い。
 今まで寝転がっている間はストライカーの支援で環境保護シールドの中にいられたけれど、帰還する為にはストライカーを捨てねばならない。
 寒気による遭難を避けるならばもう暫くストライカーの世話になって一晩明かし、日が昇って気温が上がってから移動を開始するべきなのだけれど、そのころまでにネウロイの地上部隊が来ないとの保証はない。
 それに、もうひとつ。
 どちらかと言うと個人的に気分的にはこちらの方が重要なんだけれど、早く帰らないとサーシャに怒られる。
 何せ不可抗力でストライカー壊した時だってハンガーの冷たく硬いコンクリートの上で正座させられたり一週間掃除当番やらされたり散々な目にあうわけだから、半ば無理やりストライカーを奪うようにして出撃した上に事実上全損させた今回はどんな目に合わされるかわからない。
 というか、数日前から何故かハンガーに置いてある対潜哨戒仕様のSB-2……あれが絶対に怪しい。どう考えても怪しい。
 誰に聞いてもはぐらかされたり目線をそらされたりする。イッルからよく空気読めと言われていた私だけど流石に今回はわかるぞ。
 今度ストライカー壊したら次はアレに乗れっていうサーシャからの無言のメッセージだ。
 なので少しでも心証を良くする為に早く帰りたい。
 だから、歩く。
 方向は大体あっているはず。
 前へ前へと進む事に集中する内に、いつの間にか体中の痛みが引いている事に気付いた。
 便利な体だと思う。この能力が無かったらジョゼの奴にはもっと負担をかけていただろうし、それどころかもうずっとずっと前に未帰還になっていただろう。
 痛みに配慮せずに動けるようになると、前進する速度も上がってくる。
 同時に痛みのせいで麻痺気味になっていた耐え難い寒気が頭をもたげ始める。
 忍び寄る死という現実から生命力と魔力が勝利をもぎ取り、今度は第二回戦で気力、体力の勝負になったわけだ。

「基地は、遠いな……」

 程なくして日没を迎え、気温は急激に低下していく。

 独り言を呟いた分だけ歯の隙間から暖気が逃げていく気がして口を噤んだ。
 歯の根が合わなくなり、雪に触れ続けた手と足の先の感覚が失われていく。
 曇天、雪のちらつく闇は深く、零下の大気は容赦なく浸透し続け、心を絶望感が塗りつぶしていく。
 諦めるなニッカ! 帰ったらきっと何だかんだで怒りながらも隊員のケアを欠かさないサーシャが暖かいボルシチでも用意してくれてるさ。
 心に点る僅かな灯火に縋り、ただただ歩を進める。
 雪を掻き分ける腕は重く、膝から下の感覚も無くなって、それでも前のめりに、新雪に体をねじ込むようにして小刻みな行軍を続けていく。
 故郷スオムスや502の仲間たちのことを考えるうち、体が熱を持った気がした。
 暑い。
 服を脱ぎ捨てて雪原に身を埋め、火照った体を冷ましたかった。
 でも、その欲求には従えない。
 それは悪魔の誘惑だ。
 心の中のどこか冷静な部分が現実を受け止め、戒める。
 この感覚は錯覚だ。服を脱いだら凍死する。
 歯を食いしばって幻の熱に耐える。
 そうしているうちに自分が横たわっている事に初めて気付いた。
 いつから倒れていたんだろう。
 いや、そんな事はどうだっていい。
 立ち上がって、進まなきゃ。
 みんなのところへ帰らなきゃ。
 でも、思いは空回りするばかりで下半身の感覚はほとんど無くて、腕も肘まで動かすのがやっとの状態だった。
 無理、しすぎたかな……。
 でも、ちゃんと帰らなきゃ、サーシャにどれだけ怒られるかわかんないよな。
 サーシャの貌を心に思い描く。
 いつもいつも怒られてるにもかかわらず、心に浮かぶ彼女の表情は笑顔ばかりだった。
 そうだ、ずっと笑顔。
 笑顔のままでいて欲しいもんな。

 意志力と体力を総動員して這い続けたけれど、自分でもいつそうなったか分からないほど自然に、そうなるのが当たり前だったかの様に……意識は、失われた。


――――――――


 なんだか、ひんやりとあったかい。
 変な表現かも知んないけど本当にそうなんだ。ひんやりあったか。
 そんなひんやりあったかな柔らかいものを抱いてる。
 背中側から包み込むようなぽかぽかな暖かさが届いてくる。
 ちょっと熱いかなって思えるくらいの熱が心地いい。
 あと柔らかい。
 ふにふにというかぷにぷにというか、そんな感触が体の前後にあって、足先の方も同じ感触に包まれている。
 目を閉じたまま、抱いているひんやりあったかいそれに手を這わせると、柔らかくすべすべとした感触が返ってきた。
 触っていてとっても気持ちが良いのでそのまま思いのまま、なめらかな感触を楽しみながら手を滑らせていく。 

「……っ!」

 なんだか私のものじゃない音が聞こえた気がした。
 続いて胸元にからあご辺りにかなり熱い吐息が吹き付けられる。
 あれ? だれか目の前に居るのか?
 ん……? そういえば……そもそも私は何で目を閉じてるんだ……って、ああ、寝てたのか?
 そこまで考えてから目を開けた。

「えっ!?」

 そこには顔を真っ赤にして目に涙を溜めた怒り顔のサーシャの顔が合った。
 え? 何でサーシャが? とか疑問を口にするよりも早くサーシャの唇が動いた。

「手……」

 手?
 何が手なんだろう? 私の手だったら今なんだかさわり心地のいい柔らかいものに触れていたな。
 あまりにも触り心地が良いのでそのままむにむにと揉み込んでみる。
 うん、すべすべしてぽにょぽにょして気持ちいいぞ。

「お、おし……」

 ん? 
 おし? 何だろう……?

「おしり……」

 おしり?

 ってぇえええ!?
 今まで触ってたのはサーシャのお尻だったようだ。しかも、感触からして素肌……ズボンはいてない? 
 やっと気がついた私はあわててサーシャのそこから手を引っ込める。

「ニパさん!」
「は、はい!」

 そして改めて目の前数インチの距離にサーシャの怒り顔。
 更によくよく見てみるとサーシャは服を着ていない。っていうか私も裸だし。
 えっと、正直どういうシチュエーションだか分からないんだが、誰か説明……してくれそうな雰囲気ではない気がするな。

「いきなり変な所を触るのはよくないと思います!」

 ぐっと乗り出して更に顔を近づけて来るサーシャ。
 いや、あの、胸の先端が触れてるんだけど……流石にこっちにツンツンと当たるのはどうかと思うんだけどむしろこれは私が怒るべきなんだろうか?
 そもそも裸で抱き合っていると言うのは一般論で定義するところの『変な所を触る』よりも段階的には上なんじゃないかと思ったり思わなかったり。

「え、いや、まぁそれは言わんとするところは分かるんだけれどさ……無意識だったんだ。故意じゃない……そう、私のストライカーが壊れるのと一緒だよ。そ、それに先っぽが……」
「そういう問題じゃありません!!」

 状況が掴みきれない私のしどろもどろな答弁に対し、サーシャはぴしゃりと言い放つと、更に乗り出す。
 ぐぐっと互いの顔の距離が詰まった。
 さ、さすがに距離感を気にして欲しいと思いつつも今の私に主張できる余地は全く無いように思える。
 むしろこれはイッルや伯爵なら鼻息荒くしてうはうはなシチュエーションなのかもしれないけれど、私の場合は……なんというかその……困る。

「あなたまで伯爵みたいな真似はしないで下さい!」
「いや、だから……あのさ……」
「大体! だいたい……その、冷たいあなたの姿を発見した時、もう駄目かと思ったんです。いつもいつもストライカーを壊して、いつか帰ってこれなくなる日が来るんじゃないかと思って、ずっと怖かったんですよ」

 涙声。
 なんだか話が変わった。
 あ、うー……まずいな。こういうのは苦手だ。状況はよく分からなくて裸で抱き合ってる理由も不明なままだけど、サーシャの涙が本気だって言うのはひしひしと伝わってくる。
 宥めようにも下手な事言ったら余計に怒られそうだし……。
 そもそも私はサーシャを怒らせたくないから無茶を……そうか、私、無理に帰還しようとして雪原で意識を喪って……みんなに、助けられたのか?
 でも、何で裸なんだ?

「私……本当に心配して……」

 深い色をした青の水面が決壊して、涙声が嗚咽に変わる。
 お互い服を着てないのが恥ずかしいとか、無意識とはいえ狼藉に近い事を働いてしまったとかいう負い目や罪悪感を、死にかけて心配をかけたっていうより大きな感情が塗りつぶしていく。
 だから、私は素肌を合わせたまま泣き続けるサーシャをそっと抱きしめ、呟いた。

「ごめんな。サーシャ」

 彼女を悲しませたくない。
 本当はずっと君の笑顔を見ていたい。
 万感の思いを込めて、雪のように降りしきる彼女の為に。


――――――――


「あ、あのう……私はもうお暇して大丈夫なんでしょうか?」
「へっ!?」

 唐突に背後から上がった声に驚いて、ぎゅっとサーシャを抱きしめながら首だけ振り返る。

「あの、感動的ではありますし、ニパさんの意識が戻ったのはとても喜ばしいんです。でも、その……暑いですしおなかも空きましたし、なによりもその……何となく目のやり場に困るというか……」
「ジョゼ?」

 そこには至近距離で頬を赤らめて呟くジョゼの顔があった。
 そういえば背中側もぽかぽかして暖かかったんだった。そうか、ジョゼか。
 ってことは足の方の感触は?

「おはよう、カタヤイネン曹長。どうやらすっかり回復したようだな。大分よさそうだからジョゼも離れてくれて良い」

 頭を持ち上げて足元を見るとそこには足先を胸で挟むようにして抱き込んだラル隊長が居た。
 そりゃあ足先が柔らかくて暖かい訳だ。っていうかイッルだったらどんな反応をしてたんだろうと心の中のどこか冷静な部分が平板な表情で想像する。

「あ、はい。ありがとうございます、隊長。じゃあ、その……離れますね」

 そう一言断ってから背中からぬくもりが離れる。
 同時にラル隊長も立ち上がったらしく足先をひんやりした空気が包んだ。

「あら、目を覚ましたのね。無事で何よりだったわ」
「ははっ、オレ達の出番は無かったか。さすがニパだな」

 そういって部屋に入ってきたのは素肌にシーツだけをまとったロスマン曹長とナオだ。

「フフ、残念だよニパ君。もう少しそのままでいてくれれば合法的に、部隊公認で生まれたままの君を抱けたって言うのにね」

 二人の後からは伯爵が入ってきた。
 洒落にならない事をわざわざポーズをつけて髪をかき上げながら呟くのはまぁいつもの通りではあるんだけど、全裸でシーツを纏ってすらいないのは流石にどうかと思うぞ、伯爵。

「でも、羨ましいなぁニパ君。クマちゃんをそんなにしっかり抱きしめちゃってさ。僕もちょっとその辺で体冷やしてこようかな?」

 言われてから思い出して腕の中へと視線を落とすと、そこには真っ赤になったサーシャが居た。
 っていうか、なにげにこれは恥ずかしいシチュエーションなんじゃないのか?
 と、言うところまで思考が届くが早いかサーシャが口を開く。

「二、ニパさん、いつまでこうしてるんですか?」
「え?」
「決まってるさ、くまちゃんがその気になるまでだよね、ニパ君」
「ちょ、伯爵! 何言って……」
「ニパさんまでそんな……伯爵時空に引き摺り込まれてるなんてっ! もう知りませんっ!」
「えっ、あのっ、サーシャ……?」

 言い放つと勢い良く私の腕の中から立ち上がってベッドの上で全裸仁王立ちするサーシャ。

「ニパさんはここで正座! あと伯爵はそこで正座っ……ってぇ!」
「ふふふ、ぼくは温めてもらえる体を造りに言ってくるよ」
「あっ、こ、こらっ! 何を言ってっ! まちなさーい!!」

 相変わらず全裸のまま軽やかなステップを踏んで部屋から出て行く伯爵と、シーツをひっつかんで身に纏いつつ彼女を追いかけるサーシャ。
 あー……いっちゃった。
 正座って言われても、なぁ……。
 正直状況を掴みきれてないんだが。

「あの、とりあえず、私はどうしたら?」
「君達のことはポクルイーシキン大尉に一任してある。なので彼女の指示に従ってくれればいい」

 状況の説明を求めてラル隊長の方に顔を向けると隊長は優雅に微笑みつつベッドの横で制服を身につけながらそんなことを言う。

「え、ええと……」
「ま、とりあえずそこで正座してればいいんじゃないかしら?」

 逡巡しているとシーツをまとっただけの姿のロスマン曹長がそう言った。

「ここで?」
「そう、冷たく固いコンクリートじゃなくて、この柔らかくてあの娘の温もりの残ってる、このベッドの上で」

 曹長はベッドに腰掛けるとそのぬくもりを確かめるようにベッドを撫でる。

「ニパ、羨ましいな。ストライカーぶっ壊した罰がヌルめでさ。オレはいつもの通り暫くハンガーだったぞ」
「大尉はニパさんが戻らないことに気づいてすぐに近隣の部隊にも手を回して捜索隊を編成してくれたんです。それで……」

 ロスマン曹長と同じ姿のナオが心底羨ましそうに呟き、ジョゼが服を着ながら事情の説明を始めてくれた。
 みんなは冷え切って意識を失った私を人肌で温めてくれて、それを率先して行ったのもサーシャだったらしい。
 そうか……そうだったな。
 私は無理をして死に掛けたんだ。
 なんでそんな無茶をした?
 無防備な状態でネウロイに襲われる事への恐怖?
 それとも、自分に対しての過信?
 やっぱりサーシャに怒られるのが怖かった?
 私は……。

「『選りすぐりのエースを貸してくれたスオムスに申し訳が立たない』って言ってましたけど、それだけでラル隊長よりも迅速な対応ってできるものなんでしょうかね? って、聞いてます? ニパさん」
「サーシャ……」

 なんだか自分の中でまだ凄くもやもやしてるけど、多分……きっと、私は一番にはサーシャに心配かけずに帰りたかったのかなって思う。
 だからといってそれは今回の一件の責任をサーシャに求めるわけじゃない。
 死に掛けたのは自分の未熟さのせいだ。
 だから改めてきちっと謝って、そのあとちゃんとありがとうって言おう。

「さ、理解したのなら呆けていないで与えられた命令を復唱なさい」

 制服の襟を直しながらのラル隊長の凛とした声が響く。

「え、っと……ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン、命令あるまでここで正座します」
「よろしい。では、私は補給品の折衝に向かう。ロスマン、後は頼む」
「了解よマム。はい、ニパ」

 ロスマン曹長がセーターを渡してくれた。
 私は手早くそれを着込んでその場に正座し、足元からほんのりと伝わってくる体温を感じながら、サーシャのことを想った。


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