相合傘
「あ~ついに降りだしたか」
私は愚痴を吐きながら、空からの水滴の弾丸を避けるため、「CLOSED」そう書かれた板が
吊り下げられているパブの軒先に避難した。
ツイてた。
私の目の前に広がる世界は、一面が水のカーテンに覆われ、水滴が地面を叩く音だけが耳
に響いた。あと、10秒遅かったら、雨宿りをする必要はなくなってた。
多分あいつなら、もうずぶ濡れだろう。
簡単に思い浮かぶその情景に、私はクスクスと笑いをもらした。
「ツイてないなぁ」
そうあいつの声が頭の中に聞こえると、
「まぁ・・・私も似たようなものか」
そうポツリとつぶやいた私の声は、雨音の中に溶け込んだ。
ぐつついた空だとは気づいていた。でも、こんなに早く泣き出すとは思わなかった。
「どうしようかな・・・」あやす術のない私は、泣き続ける空をぼぅっと見ていることし
かできなかった。視界にはいつしか、太い縦縞が現れていた。軒先から勢い良く水が垂れ
ている。まるで水の牢獄だ。
「じゃあ私は、囚われの姫君?」自分でそうつぶやいておいて―らしくないなぁ―と苦笑
いをした。でもどうしようかな。このまま雨が止むのを待つのもなんだし・・・走るか。
基地に戻ったらサウナに入ればいいや。
そう思った矢先に見覚えのある人影に気がついた。あれは―。
「お~い隊長!」私の呼び掛けに人影はだんだんと輪郭を帯びてきた。
「どうかしたの、エイラさん?」
「どうかしたも何も、雨宿りしてるんじゃないか。なぁ、基地まで入れてってくれよ」
「ごめんなさい、私これから用事があって」
そうだ、隊長は基地の方角から歩いて来ていた。
「いいよ、用事の間私待ってるからさ」
「ごめんなさい、私急いでいるから」
「いや、えっ?」私を置き去りにしたまま、隊長は駆けていった。
何だよ一体? 人に見せられない秘密の用事なのか? ・・・このまま、追いかけてみようかな。
そう思った時、ぼんやりとした人影が見えた。輪郭をなしていないそれは、雨のカーテンに浮き出た
黒っぽい染みにしか見えなかった。でも、私には一目でその影が誰なのかがわかった。
「サーニャ!」
調子いいことにサーニャの名前を呼んだ瞬間、隊長のことなんか綺麗に忘れてしまった。
「サーニャ、む、迎えに来てくれたのか?」
「うん、エイラ、出掛けるとき傘持っていなかったから」
どうしよう、これだけで舞い上がりそうだ。
「あっ、ありがとな・・・で、傘は?」
「・・・あっ!」
忘れ物に気づいたサーニャは目を丸くする。サーニャは見た限り何も持っていなかった。
「なんだよ~忘れたのか~、サーニャも意外と抜けてるな~」
そう言いそうだったけど、せっかく来てくれたのに、そんな言い方をするのは不味いと思った。
でも、慰めるのも変だしなぁ。お互いに何も言わずにモジモジしていると、
「一緒に入って帰る?」
・・・喜んで!!
「そ、そうだな。しょうがないよな~、か、傘は一本しかないんだし・・・ほら、傘は私
が持つよ、私の方が背が高いから」
「うん」
サーニャから手渡された傘の握り手は少し温かく、その温度は私の右手を通して、心臓に
まで届いたような気がした。
一本の傘の小さな面積を分けながら2人で歩いた。大したことない話がいつもよりちょっ
とだけ盛り上がる。でも、一分前の話の内容も覚えていない。
それどころじゃなかった。
顔では何でもない振りをしてたけど、どうしよう、ドキドキする。
世界が2人だけのものになったみたいだ。
2人が一緒に足を踏み出したところだけが、私達の世界になる。
サーニャの歩調に合わせて歩く。それはいつものことなのに、「傘」と「雨」の二つが、
なんだかそれを特別なものにしている。
「エイラ、だいぶ濡れたの?」
「へっ?・・・いや、そんなに。どうしてだ?」
「顔が赤いから、もしかして濡れて風邪でも引いたんじゃないのかなって」
―サーニャ、顔が赤いのは。
「大丈夫だよ。雨にもほとんど当たってないし。風邪なんか引いてない。でも、もし引い
てたらどうしたんだ? こんなに近いと、うつるかもしれないから傘から出そうとしたと
か? ひどいじゃないか~」
私はわざとサーニャをからかうようにしてニヤけた顔をサーニャに向ける。
本心を見られたくないから。
「ううん、逆。もしエイラが風邪を引いてたら、私は傘はいらないと思ったから・・・どうしたのエイラ?
顔が本当に真っ赤よ」
「あっ、いや、これは・・・その・・・あっ、歩くのに疲れちゃて、それで」
「ごめん、私歩くの速かった?」
「い、いや違う、な、なんでもない!」
私は心配そうに私の顔をのぞきこむサーニャの瞳をまともに見られなくなった。
人の照れ隠しを優しさで返すなんてずるいぞ―。
私は恥ずかしさでサーニャの顔を見られなくなり、それ以外の部分をチラチラと見ていた。
ふと、私はサーニャの小さな肩が目につく。視線をそのまま上に向ける、この傘は2人で
差すには少し小さい。サーニャの肩は、傘から落ちる水滴にジッと濡れていた。
・・・このままじゃ、風邪をひくのはサーニャかもしれない。―どうしよう。
私の頭の中に天使と悪魔が現れた。
天使「このままじゃ、サーニャさんが風邪をひいてしまうわ。小さな傘を有効に利用するために
―サーニャさんを抱き締めなさい!」
悪魔「こいつは良いチャンスだ、風邪を引かせないためだって言い訳しながら
―サーニャを抱き締めちまいな!」
・・・私の中の天使と悪魔の意見は完全に一致してしまった。・・・役立たずだな。
私はサーニャの肩をもう一度じっと見つめる。
私は、ただサーニャが風邪を引くのを防ぐためで・・・。
私はそっと左手をサーニャの肩に近づける。
「どうかした?」
「ひぃやぁうわぁ」
突然サーニャは私の方を振り向き、出しかけた手は勢い良く引っ込めた。
「い、いや別に・・・」
「そう」サーニャは首を少し傾ける。
このまま、手を引っ込めたままにしようとした。
でも、でも・・・。
私はもう一度左手を出して、勢い良くサーニャの肩を掴んだ。
その肩は細く、やっぱり冷たかった。
そしてそのまま、サーニャの身体を私の方にグッと近づけた。
サーニャは目を丸くして私を見つめる。
「エイラ?」
「いや・・・こ、これは・・・サーニャの肩に水滴が落ちてるだろ。折角迎えに来てもら
ったのに、風邪を引かせちゃあ・・・あれだって、そう思ったから」
「・・・そう」
「へっ! うわぁ!」
サーニャは突然私の胸元に身体を寄せてきた。
「でも、こんなに温かいなら・・・風邪を引きたくても引けなそう」
胸にそんなに顔を近づけるなよ・・・。鼓動が、心臓の音が聞こえるかもしれないだろ。
ただ、私のドギマギなんてどこふく顔で、サーニャは口で旋律を紡ぎだしている。サーニ
ャのお父さんのように雨の音メロディーに変えているのかもしれない。
人の気もしらないでさ・・・。
「あのさ」
「ん?」
「サーニャはどうやって私を見つけたんだ? 魔導針で?」
「そうだけど。どうして?」
「いや、もしサーニャがどこかで雨に降られて、雨宿りしてたら・・・私もきっと迎えにいくから。
サーニャみたく魔導針はないけど、きっと迎えにいくから」
「・・・うん。待ってる」
そうしたらまたこのドキドキを味わえるかもしれない。
心の片隅でそんな風に思う。それは・・・いけないことじゃないよな?。
Fin