無題
今でも夢に見ることがある。
暖炉で燃えるステージ衣装
それを見つめるクルトの悲しそうな顔
二人で暮らした幸せな思い出に染みを落とす、たった一つの悲しい記憶
あれから随分時間が経った。
それでも、涙の染みは今も消えずに私の胸に残っている。
「君が夢を諦めるなら僕も軍隊に入るよ」
最後の夜にクルトは言った。
もし私がウィッチにならなかったら、彼がカレー基地で命を落とすこともなかったかも知れない。
カールスラントを守るためにウィッチになった筈なのに、恋人を守ることが出来なかった。
勿論、私一人の力でダイナモ作戦の趨勢を変えることが出来たなどと思ってはいない。
けれど、撤退が間に合わずにカレー基地に取り残され、ネウロイの襲撃を待つばかりとなったクルトの最期の絶望を思うと、
今でも胸が張り裂けそうになる。
「もし私がウィッチになっていなかったら…」
クルトの夢を見ると、いつも辛い気持ちになる。
涙に滲んだ視界に自然と二人で暮らしたあの家が浮かび上がってきて、その度に心の傷が癒えることはないと思っていた。
そんな私がもう一度心の底から笑えるようになったのは、美緒がいてくれたから。
美緒と初めて会ったのは、私の原隊であるカールスラント空軍第三戦闘航空団が
東方防衛の任務を果たしきれずにバラバラになってしまった後で、
中隊長として部隊を率いていた経歴を買われて501統合戦闘航空団の指令になった時のことだ。
白い扶桑の軍服に身を包んだ凛々しい姿を、今でもはっきりと覚えている。
あの頃から今もずっと変わらず、彼女は人生の殆どの時間をネウロイとの戦いに捧げる根っからの軍人だ。
戦闘では指揮官として、基地では優秀な補佐役として、美緒はすぐに私にとって他にかえがたい存在になった。
経験豊富な彼女がいてくれたおかげで私は指令の仕事に専念出来たし、彼女には階級に拘らず個人的な話を出来た。
でも、最初はどうしてそこまで強くいられるのか不思議でならなかった。
その頃の私はまだクルトの死の傷が癒えず空っぽになっていたし、
一緒に夢を追う筈の彼がいないために、ウィーンの音楽学校に通うことも歌手になることも諦めていたから、
人生の殆どの時間をネウロイとの戦いに捧げ、尚も最前線に立ち続ける彼女がわからなかった。
ただ、いつも変わらずに前を向いていられるその姿がわけもなく眩しかった。
いつしか彼女が強くいられる理由を知りたくなっていた。
やがて居ても経ってもいらなくなって尋ねた私に向って、美緒は言った。
「世界の平和が夢なんだ。
子供を戦場に出さなくてもいいような世界。
それをわれわれが作れたらどれだけいいだろうと思わないか、ミーナ?」
その言葉が私を救ってくれた。
ほんの少しだけ、ウィッチになった自分を許すことが出来た。
ダイナモ作戦に散ったクルトを思い出して涙を流していると、美緒がそっと肩を抱いてくれ、
彼女の温もりに包まれながら、私はクルトの死が無意味でなかったと励まされた気がした。
美緒が黙って寄り添ってくれたその日から、彼女は私の中で特別な存在になった。
戦闘に出れば、いつの間にか彼女が空に舞う姿を目で追っている。
ネウロイに接近し、時に扶桑の刀で切りつける猪突猛進ぶりにハラハラさせられ、
もっとそばについていてくれればいいのにと思って、そんな自分にハッとした。
美緒に恋していることに気付いたから。
クルトの夢を見て、それまでと違う痛みを覚えるようになったのは何故だろう。
もし私がウィッチにならなければ、クルトは死なずにすんだのだろうか?
もしウィッチにならなければ、美緒に会わずにすんだのだろうか?
クルトよりも美緒の存在が大きくなっていく。
美緒に惹かれている事実が、私の胸にそれまでと違う痛みをもたらしている。
ミーナこそウィッチ隊の要だ。
隊員への心配りや上層部への対応など、部隊長として必要な要素を全て備えている。
その上空での戦闘にも優れた素晴らしい軍人だ。
もしそれだけだったら、これほどまでに彼女が気になったりはしなかっただろう。
出会ったばかりの頃、ミーナは恋人を失った痛みを引き摺っていた。
瞳に悲しみの色を宿しながら、それでも指令官として気丈に振舞う彼女を、私はいつしか愛おしく思うようになっていった。
少しでも力になりたくて、だからミーナのそばにいた。
戦闘では指揮官として、基地では優秀な補佐役として、時に個人的な話をする友として、
私はその時々で役割を変えてミーナに寄り添った。
彼女の瞳から少しずつ悲しみの色が薄れ、代わりに生来の優しさが濃くなっていくのを間近に見ながら、
愛しさが募っていくのを感じた。
彼女に対して自分が抱いている感情が何なのか、最初はわからなかった。
単に年下の上官を守りたいだけだと思っていた。
乗りかかった船に情が移るように、彼女を気にかけているんだと。
だが、宮藤が501統合戦闘航空団にやって来たことでそれは違うと思い知らされた。
ウィッチとしての寿命がもう短いことを、私は知っていた。
だから、巨大な魔法力を秘める宮藤を見ていると
「後を任せられるような優秀な部下を育てたい」
という思いが胸に沸いた。
宮藤になら自分の後を任せられるだろうと。
けれど、力を失っていく自分に言い聞かせる度に、言いようのない寂しさが押し寄せてきた。
そんな時に頭に浮かぶのは決まってミーナのことだった。
ミーナを置いてストライカーユニットを脱ぐなど、考えられなかった。
他の誰かに後を任せるのではなく、自分が彼女を守りたかった。
いや、ただそばにいたかったのだ。
自分がミーナに対して抱いている感情の正体に気付いたのは、その時だった。
私はいつの間にかミーナに恋をしていた。
あるいは自覚しない方がよかったのかもしれない。
ミーナには恋人がおり、亡くなってしまったとはいえ、今もその人は彼女の胸に生きている。
私の想いが届くことはないだろう。
それでも私はミーナが好きだった。
だから、衰えていく魔力を自覚しつつ戦闘では指揮官として、基地では優秀な補佐役として、
時に個人的な話をする友として、一番近くで彼女を見守っていた。
あの時はまさかミーナに銃口を突きつけられるとは思っていなかった。
<ミーナ隊長視点>
美緒の魔力が失われつつあるとわかった時、私の胸に去来したのは深い悲しみと少しの安堵だった。
美緒と並んで飛ぶことが出来なくなる代わりに、彼女のことが忘れられる。
そうすればクルトを思い出した時に感じる痛みもやわらぐような気がした。
勿論、501から美緒がいなくなることは想像しただけで身を切られるように辛い。
それでも、彼女を忘れることでしか、私は自分の気持ちに折り合いをつけることが出来なかった。
かつてクルトを愛した思い出を、私は美緒を忘れることで守ろうとした。
たとえどんなに彼女を愛していても…。
私の思いをよそに美緒はストライカーを脱がなかった。
シールドをまともに張れない、ウィッチとしては致命的な状況にあってなお、彼女は空を目指した。
そんな風にどこまでも私の気持ちをかき回してやまない美緒が、私はやはり好きだった。
それでも…
「約束してもうストライカーははかないって」
「それは命令か? そんな格好で命令されても、説得力がないな」
「私は本気よ。今度戦いに出たら、きっとあなたは帰って来ない」
「だったらいっそ自分の手で、というわけか? 矛盾だらけだな。お前らしくもない」
「違う。違うわ」
あなたを愛しているからよ、
その一言だけはどうしても言えなかった。
言えば大切な思い出が壊れてしまう気がして。
引き金を引くことが出来ない私に背を向けて、美緒は去って行った。
「私はまだ飛ばねばならないんだ」
その言葉を残して。
一人部屋に取り残されながら、冷たいドレスの感触を思った。
そのドレスはクルトが手ずから私にくれる筈だったもの。
けれど、クルトはもういない。
唯一残された彼の名残には血が通わず、こんなにも冷たく無機質だ。
まるで一緒に暮らした温かい日々の思い出が嘘だったかのように。
私は美緒を永遠の存在にしたくはなかった。
クルトのように、止まった時間を生きる存在にはしたくなかった。
たとえ離れ離れになったとしても、生きていてさえいてくれればそれでいいと思っていた。
それが嘘だと気付いたのは、皮肉なことに、美緒に銃を向けていた銃を下ろした時だった。
「私はまだ飛ばねばならないんだ」
空を目指す彼女はいつもと変わらず凛々しく、眩しかった。
後姿を目で追いながら、自由に大空を舞う姿が好きだと改めて思った。
ネウロイに接近し、時に扶桑の刀で切りつける猪突猛進ぶりにハラハラさせられ、
もっとそばについていてくれればいいのにと思って、そんな自分にハッとする。
…………そう。私はただ、そばにいてほしかったのだ。
離れ離れになることなど出来ないと痛感させられた。
それが隊員の命を預かる立場にふさわしくない感情だとしても。
もし私がウィッチにならなければ、クルトは死なずにすんだのだろうか?
もしウィッチにならなければ、美緒に会わずにすんだのだろうか?
もし美緒に会わなければ………
そんな仮定が無意味なほど、私は美緒を愛している。
魔力を失った彼女を止めることが出来ないくらい、深く。
もしも彼女が落ちたとしたら、その時私は………。
<もっさん視点>
ウィッチとしての寿命はもうつきかけている。
それでも私は飛びたかった。
誰よりも近くで、ミーナを見ていたかったから。
「約束してもうストライカーははかないって」
「それは命令か? そんな格好で命令されても、説得力がないな」
「私は本気よ。今度戦いに出たら、きっとあなたは帰って来ない」
「だったらいっそ自分の手で、というわけか? 矛盾だらけだな。お前らしくもない」
「違う。違うわ」
「私はまだ飛ばねばならないんだ」
それが我がままだと言うことは自覚していた。
私にもう彼女の隣を飛ぶ資格がないということも。
軍人として出会った私達の仲を軍人としての命令が引き裂くのは当然のことなのかも知れない。
背を向けたのは一人の人間としての私の意志だ。
「私はまだ飛ばねばならないんだ」
その言葉の先には、ミーナ、君がいる。
君の隣にいたいんだ。
もう私にウィッチとしての時間が残されていないとしても、
それでも一人の人間として君に寄り添うことは出来ないだろうか?
私の思いを、彼女が着ていた赤いドレスの残像が、冷たく抑えつける。
それはかつての恋人が渡す筈だったもの。
私ではない別の誰かが、彼女を愛した証。
そして私ではない別の誰かを、彼女が愛した証……。
ありもしない話を夢想するなど、今を生きられない人間のすることだと思っていた。
絵に描いた餅を見つめるのだったら、現状を変えるために動いた方がよっぽどマシだと、
少しでも高く飛ぶために、少しでも長く飛ぶために、訓練に明け暮れることこそ軍人としてのあるべき姿だと、信じていた。
それなのに、私は今、ありもしないことを想わずにいられない。
「ウィッチとして生きられる時間に終わりが無ければ……」
祈りにも似た気持ちに駆られる度に、ミーナのことが頭に浮かんだ。
隊員への心配りに満ちた優しい言葉。
無理な要求を突きつける上層部に対しても一歩も引かない強い決意。
大空を舞う美しい姿と、そして失う痛みを知る寂しげな瞳。
たとえ彼女の気持ちが私になくても、隣にいたかった。
いつまでも、見守っていたかった。
けれどそれは夢物語でしかないことはわかっていた。
私に残されたウィッチとしての時間は願いも虚しく減り続け、そして私は落ちた。
「見たのよ。この前の戦いの時あなたのシールドは機能していなかった」
「自分でも気付いている。私ももう二十歳だ。魔法力のピークはとっくに過ぎた。
日ごろの訓練もウィッチとしての宿命からは逃れられなかったようだ」
「だったらなぜ?」
「私の戦士としての寿命は限界を迎えている。それでも私は飛ばなくてはならないんだ」
ミーナの不安げな顔に笑いかけて飛び出した空で、シールドを貫通したネウロイの攻撃を銃に被弾した。
後の記憶は抜けている。
自分がどのように落ちたのかも、どのように助けられたのかも覚えていない。
ただ一つ確かなのは、目を覚ました時にミーナがいたこと。
目が合って私に安心したように微笑み、その後ですぐに上官としての厳しい顔を覗かせたのが、いかにも彼女らしかった。
自分が落ちたということも忘れるほど、そんなミーナが愛おしかった。
やがて彼女は何かを振り切るように一度視線を背け、再び私に顔を向けた時に
「それでも飛ぶのね?」
黙って私の意志を尊重してくれた。
それが何にも増して嬉しかった。
いつまでも彼女の隣にいるなど、夢物語でしかないと思っていたから。
<ミーナ隊長視点>
もしも彼女が落ちたとしたら、その時私は………。
美緒の背中を見送ったあの晩、覚悟はしたはずだったのに…。
いざ彼女が落ちたという知らせを聞いて、やはり涙が止まらなかった。
人生の殆どをネウロイとの戦いに捧げ、それでもなお前線に立ち続ける美緒が、
「世界の平和が夢なんだ。
子供を戦場に出さなくてもいいような世界。
それをわれわれが作れたらどれだけいいだろうと思わないか、ミーナ?」
いつか夢を語ってくれた美緒が好きだった。
クルトを失った痛みを知った上で全てを受け入れたつもりでいたけれど、失うことが恐くてたまらなかった。
やがて傷を負った美緒が基地に運ばれ、血の気の引いたその顔を見た時に、彼女を飛ばせた自分の決断を激しく後悔した。
胸元に残る生々しい血の色が、涙で滲んだ。
もしウィッチにならなければ、美緒に会わずにすんだのだろうか?
もし美緒に会わなければ
もしあの時美緒を止めていれば
自責の念が夥しい数の仮定となって頭に浮かぶ。
青ざめた美緒の顔を前に、その一つ一つが胸に深々と突き刺さる。
心が引き裂かれるように痛んだ。
でも、いくら思ったところでそんな仮定はやはり無意味だった。
やがて目を覚ました美緒の真っ直ぐな瞳が、眩しかった。
飛ぶことを諦めない彼女を私は改めて愛おしく思った。
「それでも飛ぶのね」
頷く美緒の瞳に私が映っていた。
今にも泣きそうなくせに、嬉しくて仕方がない顔をした私が。
<もっさん視点>
501統合戦闘航空団は解散し、私は扶桑へと戻った。
離れ離れになっても、頭に浮かぶのはミーナのことだった。
むしろ、会えない分だけ想いは純化していくようだった。
ミーナを愛している
私は自分の気持ちをはっきりと自覚した。
そしてどうしたいのかも。
ミーナの隣に寄りそうことが、私の願いだった。
恋人を失った痛みを引き摺り、それでも気丈に笑う年下の彼女を守りたいと、苦しいくらい切実に思った。
だから、私はもう一度空を目指した。
シールドが無くても戦うために魔法式を刀に打ち込むことを決め、槌の一振りごとに彼女を思った。
刀身が出来上がっていくにつれて、ミーナに対する思いも確かなものになっていった。
<ミーナ隊長視点>
501統合戦闘航空団は解散し、私は戦場に残った。
美緒は扶桑に戻り、私達は離れ離れになってしまったけれど、頭に浮かぶのはやっぱり美緒のことだった。
彼女の真っ直ぐな瞳はきっと空を見ているはず。
私が飛び続けていれば、またきっと巡り合える。
降り積もる日々の記憶に風化されることなく、大空を舞う美緒は記憶の中で輝いていた。
美緒を愛している。
いつしかはっきりとそう認められるようになった頃、私は再びめぐり合った。
いつかと同じ青い空で。
彼女の瞳に私が映る。
「それでも飛ぶのね」
「飛びたいんだ。いつまでもミーナの隣にいたいから」
愛する人にそう言われて泣き笑いしている私の顔が。