ブリタニア1944 魔王の鬼退治
「やほー坂本」
8月26日、夏のブリタニア。
ドーバーに突き出した501基地。
その廊下にて、気の抜けた声と共に背後から殺気が迫る。
死角である右からの一撃。
左から振り返ったら間に合わない。
気配を頼りに右から身体を回しつつ仰け反る様な姿勢で腰の入った正拳をやり過ごす。
「いきなり何を……お、西沢じゃないか」
「ワハハハハ、久しぶりだな、坂本」
「はっはっは、本当に久しぶりだ。元気してたか? こんな所にどうした?」
久しぶりに会ったその顔は合いかわらずの様子で、軍務で来たのではないのか上着は制服のセーラー服ではなく、黒字に白で大きく『鬼殺し』と描かれたシャツを着ていた。
いろいろな意味で相変わらずな奴だ。
「どうしたも何も、アレだ。あたしが一番自由だったんだよ」
「自由?」
「お前ハタチだろ? 悩んでんじゃないかって竹井とか横川サンとか他何人かと……そうだ、陸軍の連中も心配してたぞ」
「それは……私は……」
そうだ、もう私の魔力は限界を迎えている。
ストライクウィッチとして飛び続けるのは難しい。
潮時だろうというのは分かっているのだ。
「ワハハハハ、なにを会った早々辛気臭い顔してんだよ。気にすんな気にすんな。今日は魔王と一緒に鬼退治しようぜ!」
「え?」
そんな私の表情を読み取ったのか西沢は高笑いで全てを吹き飛ばし、更に言葉を繋ぐ。
「なんか難しい話もあったけど忘れた」
「お、おい……」
「でもアレだ。あたしに頼むって事がどういう事かって位は頼む方もわかってんだろ。ワハハハハハハ」
幾らなんでも適当すぎる……とは思うがそもそもこいつは昔からこういう奴だ。
「西沢……」
何も考えていないような――いや、実際考えていないのかもしれないが――彼女の高笑いに色々と救われたような気がした。
確かに悩んでいても仕方ないものはある。
私は最善を尽くして日々を過ごしてきたつもりだ。
それが報われないのなら、報われぬ事実は天命として受け入れるとして、後はどう足掻くか……。
……って!
「お、おいっ! いきなり何をする!」
「え? 脱がしてんだけど」
瞑目して自らを省みるうちにいきなり士官服の上着を脱がされかけていた。
「そ、そのくらいは分かる。何故いきなり脱がす?」
「だから今日は鬼退治しようって言ったじゃんか」
「それとこれとが……」
「ほらコレ」
と言いながら西沢が得意げに取り出したのは彼女と色違いでおそろいのシャツ。それは私を意識したのか青地に白抜きで『鬼殺し』と描かれている。
「竹井用の赤いのも作ったんだけどなかなか3人揃えないんだよなー、残念」
いや、醇子は流石にそれは着ないだろう。
私もかなり抵抗があるのだが……。
「これは着なきゃいかんのか?」
「え、着ないの?」
そんなまさかしんじられないといった表情で言う。
彼女の中では既に決定事項らしい。
「いや……なんというかその、そもそもこの鬼殺しというのは?」
「え? 今日お前誕生日だろ」
「ああ、いかにも8/26は私の誕生日だが」
「じゃあ一緒に鬼殺しだ」
え、ちょっとなんだか言葉が通じていない気がするんだが。
これはどうなんだろうか?
「まあまず気付に一杯だ。お前が非番だってことくらいちゃんと調べてるぜ」
廊下のど真ん中だと言うのにいきなり胡坐を書いて座り込み、背負っていたかなり大き目のリュックの中から一升瓶を取り出し、枡へとなみなみと注ぐ。
「ホラ、いっとけ」
「全く仕方のない奴だ。乗ってやろう」
枡を受け取り、煽る。
かなり強めの酒精が舌を、口腔を、喉を炙りながら胃へと流れ落ちていく。
辛口の効いた、それでいて口当たり、喉越しの悪くない日本酒。
訓練後の乾いた身体には多少強すぎる嫌いはあるが、これはこれでまた心地よいものだ。
しかし、こちらのシフトの調べが付いているとはな。
何故かこういうところだけは無駄に用意がいいのは、この件――西沢の来訪――のバックにはさっき名前が出た通り竹井達の何らかの思惑でもあるんだろうか。
酒精に思考を揺られながらそう考えていると、いつの間にか上着のボタンが全て外されて目の前に青の鬼殺しシャツが突き出された。
青いシャツの向こうには西沢の無邪気な笑顔。
どうやら着る以外の選択肢はないように思えた。
「よしっ! 準備は出来たなっ!」
「あ、ああ……しかし……」
「いくぞっ! 鬼退治じゃああああ!」
結局これは何をするつもりなんだ?と尋ねる余裕などこの小さな魔王は与えてくれなかった。
手を引かれて廊下を駆ける。
駆ける間に枡を傾けて鬼殺しを補充、毀れた酒をシャツで拭う。
適当な扉を開いては「鬼退治じゃー」と叫び非番の人間を見つけては鬼殺しを流し込む。
全く酷いいたずらだ。
こんな事は許されていいはずも無い。
無いがしかし、楽しい。
すきっ腹に走りながら酒の枡を煽るものだから、強い酒精が全身に行き渡って更に楽しさを加速する。
そして気が付くと二人は尖塔にいた。
絶好の見晴らしに背を向けてその壁へと寄りかかり、二人で酌をし、枡を傾けあう。
「はっはっは、これは後で懲罰ものだな」
「ワハハ、いいんじゃね? 坂本お前誕生日だから無礼講だろ」
「はっはっは、それでごまかしきれればいいがな」
「ワハハハハ」
「はっはっはっはっは」
ひとしきり笑ってから立ち上がり、風に当たる。
直立するとくらくらして座っているよりも気分がいい。
「おおっ、こりゃあイイ感じだな」
西沢も立ち上がり、海風に身を晒す。
「なー坂本。今日は色んな鬼を退治できたと思うんだけどさ」
「うん?」
「お前のはどうなった?」
ぐっと拳を突き出し、私の鳩尾の辺りに当てる。
「私の?」
「ああ、お前の中の鬼だよ。そいつはどうしてる? 暴れてるのか? 退治したのか? それとも仲良く暮らしてるか? 何にせよ、お前の中にはまだいるんだろ、鬼が」
「西沢」
「ワハハ、魔王様にはサムライの悩みなんぞ全てお見通しだぜ」
「お見通しって……お前そもそも難しい話は忘れてとか……」
「ワハハハハ、気にすんなって。とにかく元気は出たろ。元気出たなら前向きにいけるぜ。魔力なんて切れたって飛べるんなら飛んじゃえよ。悩んでる方がもったいないんだから」
「に、西沢……そんなことを言われたら、私は本当にそうしてしまうぞ」
お前の背後にいる連中は、無理しそうな私を止めようとしてるんじゃなかったのか?
「いいんじゃね?お前飛んでる方がカッコイイし、剣使わせたら悔しいけどあたしより上だし。だからお前がもういいやってところまではやり続けちゃえよ」
西沢は、鋭い。
普段から直感だけで生きているように見えて、意外と頭も使っている。
少なくとも自分が今興味を持っていることに関して、それが例えどんなものであろうと真摯に向き合い、真面目に考える。
それが逆に彼女を思慮の浅い人間だと見せてしまう事は大いにありえていると思うのだが、この際それは関係ない。
彼女が鬼と呼んだもの。
それは自分の中に、人の中にある何か。
自分の魔眼でも見通せない存在。
酒で一時的に退治する事が出来ても、本当の意味でそいつを何とかするにはそんなものの力を借りずに自分で何とかするしかない気がした。
そして、彼女は今、そんな私の内の鬼の所在を問い、問うておきながらさっさと自分で答を出して進んでいってしまった。
「西沢、私は……」
「うぷっ、やべぇ、飲みすぎたかも。気分悪くなってきた」
「なっ!? お、おい西沢っ、しっかりしろっ!」
いきなり顔色を悪くしてうずくまる西沢。
さっきまで真面目な話をしたと思ったらこれか……あまりにもマイペース過ぎるぞ。
「さ、さかもと~……」
「少し我慢しろ、すぐにトイレに連れて行ってやる」
情けない声を上げる小柄な彼女を背負い、大きく振動させないようにして階段を降り始める。
が、背中の西沢は既に手遅れのようだった。
「む……り……」
「ちょ、まてっ! おまえそれはっ!!!!」
…………。
まぁ、なんというか結果的に奴の持ってきたシャツに着替えておいて良かったと、そういう事になったと言う事だけは言っておこう。
風呂で肩まで浴槽につかりつつ一日を振り返る。
今日と言う日、私の誕生日はリバウの魔王の来訪によって散々な一日になった。
しかし、同時に覚悟を決める一助になったと言えなくも無い。
彼女が鬼と呼んだもの。
私の中に棲んでいる悩み、恐れ、不安、そういった負の思考たち。
今はきっとそいつらは暴れているのだと、そう思う。
迎え酒と称し、風呂に盆を浮かべて相変わらず鬼殺しを煽っている古い相棒の能天気な横顔を見つめながら、「まぁ、なんとかなるさ」と呟いた。
広い基地の風呂には、上機嫌の西沢の調子外れで景気のいい鼻歌が響いていた。