private eyes
部屋の片付けを終え、廊下に出た定子はサーシャから声を掛けられた。
「下原さん」
「はい、サーシャ大尉、何でしょう?」
「ちょっと……」
「?」
訳も分からぬまま、サーシャに手を引かれた。
厨房の隅に腰掛け、定子はサーシャから話を聞いた。
「管野さんの事ですか」
「ええ」
「また何か問題起こして正座とか」
「そ、それはいつもの事……」
言い淀むサーシャ。
定子はそんな彼女を見て、ぽんと手を叩いた。
「じゃあ、サーシャ大尉は、管野さんの……」
「ちちち、違います! ただ私は管野少尉の好物について、その、あの……」
躍起になって否定するサーシャを前にぽかんとした表情を作る定子。
「違うって……管野さんの好きなものとかを知りたいんですよね?」
「そ、そうですよ? あくまでも“人心掌握”と言うか、彼女の扱いをどうするかと言う意味でですね……」
サーシャのちぐはぐな答えを聞いてくすっと笑う定子。それを見たサーシャはどきりとした。
「な、何か変な事でも?」
「いえ。サーシャ大尉は優しい方ですね。そう思っただけです」
真っ赤な顔をしてうつむいてしまうサーシャ。その可愛げな姿に見とれ、おもわずぎゅっと抱きしめたくなるも
ぐっとこらえる定子。
「扶桑料理が良いと思います」
「料理? 扶桑の?」
「聞けば502(ここ)ではあんまり扶桑の食事が出ないと言う事ですし」
「確かに、今までは……。なる程。故郷の料理を食べて、ホームシックを解消する、と」
ちょっと違う、と定子は思いつつも、受け答えを続ける。
「確か管野さんのお姉さん、得意料理は……」
「下原さん、何で管野少尉の家庭事情まで詳しいんですか?」
「同郷と言う事で、この前少し話が弾んでしまって。それで色々と……」
定子の言葉を聞いて複雑な表情をつくるサーシャ。ぐっと拳を握りしめ、定子に言った。
「あの……扶桑料理、私にも作れますか?」
サーシャの問いに、びっくりする定子。
「え? ええ、料理にもよりますけど、基本はそんなに難しいものではないから、材料さえ有れば……」
「なら今夜は扶桑料理にしましょう。ラル少佐にも許可を取ってきます。私にも手伝わせて下さい」
「え? は、はい……」
厨房では、手際よく料理する定子の手元を、メモ片手に凝視するサーシャの姿があった。
「なるほど。これが以前食べた『肉じゃが』と言う料理ですか。そちらは味噌汁……スープですね」
「ええ……」
ほんの一動作も見逃さない、そんな「狩り」にも似た目つき・態度に、定子は少々の脅威を感じた。
よく見ると、サーシャの頭から可愛い熊の耳が出ている。
「あの、サーシャ大尉?」
「どうかしましたか?」
「別に魔力解放してまでやる事ではないですよ、扶桑料理って」
「え、ち、ちが……ッ!」
思いっきり見られている事に今更気付き、耳を押さえて慌てふためくサーシャ。
固有魔法を使って「料理の手順」を“記録”していた事は内緒だったのだが。
「大丈夫です、一緒に作りましょう? 教えますから」
定子は抱きしめたい衝動を抑えながらサーシャの手を取った。
「え、ええ……」
「今日は扶桑料理だって? 下原、期待してるぞ!」
夕食のメニューを聞いた途端上機嫌になった直枝は、食堂の扉を開け放って言った。
その後ろからニパとクルピンスキーが付いて来る。
「カンノは本当、扶桑料理となると……」
「ナオちゃんは完全に餌付けされちゃったねぇ。ま、ボクともなると扶桑でも何でも食べられるけどね」
「伯爵の『食べる』は意味も対象も違うだろ……」
席に着くなり、いただきますの声もそこそこに箸を握り、配膳された食事に手を付ける直枝。
肉じゃがを頬張る。
一瞬「?」と言う顔をするも、まあいいか、とばかりに再びがっついた。
「おかわり!」
「はい、すぐに!」
厨房から定子の声が飛ぶ。
「今日もナオちゃんは平常運転だ」
「伯爵、見てないで食べろよ」
「ニパ君もね」
「やっぱ扶桑食は良いな!」
肉じゃがをおかわりし、笑顔の直枝。ふと、厨房の奥から誰かの視線を感じる。
今まで気付かなかったが、ずっと見られていたらしい。
視線の方を向くと、その人影はぱっと引っ込んでしまった。
「?」
直枝の様子に気付いたのか、クルピンスキーが声を掛ける。
「どうしたんだい、ナオちゃん。おかわり欲しいならボクのを……」
「いや違う。厨房に誰か居る様な」
ニパも直枝を見、厨房の方を見て言った。
「シモハラ少尉が食事係で居るじゃないか。ほら、あそこ……」
「違う。他に誰か……」
「ナオちゃんは気にしすぎだよ。食事が冷めたら君も悲しむし定子ちゃんも悲しむし、ボクも悲しむな」
「何でそこで伯爵が出てくるんだ」
“ブレイクウィッチーズ”はわいわい言いながら、結局視線の事は忘れていつも通り、食事を進め、おかわりをした。
定子は厨房の陰からこっそりと食堂を見る……と言うより「狙いを定めている」かの様なサーシャの行動に疑問を持った。
「あの……」
「静かに。貴方は普通にしていて下さい」
まるで探偵ばりの隠密行動、そして雰囲気だ。
「やっぱり初めから言った方が良かったんじゃ……」
「いえ、これも私の料理の腕がどれ位か確認する為に必要なんです」
陰に隠れて囁くサーシャを見て、定子は気付いた。
サーシャの頭から、耳が出ている。そして彼女の視線の先に居るのは、何も知らず呑気にご飯を食べる直枝。
食堂の方を見ていると、クルピンスキーが時折ちらちらっと厨房の方を見ている事に気付く。
「クルピンスキー中尉、こっち見てます……今、ウインクしましたよ? やっぱり気付いてるんじゃ……」
「あの馬鹿……後で正座させます」
「ええっ」
食後、ひとり食堂に残り、ずずずとお茶を飲む直枝。とりあえず、たらふく食べて満足した顔だ。
お茶を飲み終わると、湯飲みを持って厨房に向かい、片付けをしている定子に問い掛けた。
「下原」
「管野さん、どうしました? お茶おかわり要ります?」
「いや、茶は良い。ご馳走様」
湯飲みを定子に渡す。慣れた手つきで定子は湯飲みを洗う。直枝は、定子に言った。
「で、今夜食った肉じゃがだけど」
「ええ」
「少し、味付け変えたか? 前と……」
「ええっと……」
咄嗟にどう答えて良いか悩む定子の前に立ち塞がったのはサーシャ。いつから厨房に居たのかと、ぎくりとする直枝。
「た、大尉? ど、どうした? 何で厨房に?」
そこで改めて、先程の視線の“主”の事を思い出す。
「ま、まさか、さっきからオレの事見てたのか?」
「少し、様子を」
「す、少し? なんで見てるんだよ!?」
「……今日の料理はどうでしたか?」
逆にサーシャから問われ……しかも凄みのある声で……、逆に答えに困る直枝。
「え? いや、どうって……。美味かったよ。ちょっと、前と味変わったかなって思ったけど。普通にうま……」
それを聞いたサーシャはぐすっと涙ぐんだ。顔を手で覆う。
何故泣かれたのか訳が分からず、おろおろする直枝。
「管野さん、今日の料理ですけど」
定子が助け船とばかりにサーシャの肩を持ち、言葉を続けた。
「今日はサーシャ大尉が手伝ってくれたんですよ? と言うか殆ど大尉の……」
「えーっ!?」
定子の言葉を全部聞く暇も無く、思わず大声を上げる直枝。
「し、下原! そう言う事は食う前に言えよ! てかサーシャも何で黙って見てるんだよ!」
焦りまくる直枝に、言い訳をする定子。
「言う前に食べ始めちゃったから……でも、サーシャ大尉のご飯、美味しかったでしょ?」
「そ、そりゃ……さっきも言っただろ、美味かったって」
「ですって、サーシャ大尉。良かったですね」
言われて、こくりと頷くサーシャ。
「ああもう、下原もサーシャもまどろっこしいなあ! ちょっと」
直枝はサーシャの手を取ると、厨房から連れ出した。
定子はそんな二人をのんびりと見送っていたが、ふと気付いた。
「管野さん、サーシャ大尉を呼び捨てにしてた……」
厨房の床に視線を落とす。
「サーシャ大尉って、やっぱり……」
それ以上は言わず、定子は後片付けの続きに取り掛かった。曇りがちな表情は何を意味するのか、定子本人ですら分からなかった。
「サーシャ、一体どう言う事だ? どうして肉じゃがをサーシャが? 食事当番でもないのに」
サーシャの部屋で、まだ少し涙目のサーシャに問い詰める直枝。
「貴方に……」
ぽつりと言葉を発するサーシャ。
「お、オレに? 何?」
「もっと……笑顔で居て欲しかったから」
「な、何だよその理由! サーシャの前ならオレはいつだって」
「馬鹿」
その一言で直枝の動きが止まる。硬直した直枝を、あっという間にベッドの上に組み伏せるサーシャ。
「ちょっとサーシャ? 前にもこんな事が有った様な……」
「私がどう言う思いで、扶桑の食事を作ったか、どう言う思いで下原さんに頼んで……」
ぐぐぐ、と直枝の首を絞める。
ギブアップとばかりにばんばんとサーシャの腕を叩く直枝。
息切れしてぜえぜえ言う直枝を強引に抱きしめると、唇を奪う。
無理矢理なキスを暫く続け……まるで限界までの潜水を終えた海女の如く、ぷはあっと直枝は荒く息をついた。
「本当、馬鹿」
サーシャはそれだけ言うと、直枝に絡み付く様に抱きついた。そして意地悪に言った。
「私の事、気付かないなんて……それでも扶桑のエース?」
乱れた呼吸を整えながらも直枝はサーシャの涙の理由を知り、彼女の少し乱れた髪を撫でた。
「だってサーシャ隠れてたし、その……。ゴメン」
「……」
直枝はそっと自分の手を彼女の手と重ねる。うつむいたサーシャに、頬を重ねる。
「オレ、自分で言うのも何だけど……、そう言うの、鈍いから」
「知ってる」
「でも、サーシャを想う気持ちは誰にも負けないし。その……、あ、あ、愛してるから……」
「うん」
顔を真っ赤にして言葉を続ける直枝、彼女の言葉ひとつひとつをかみしめ頷くサーシャ。
「サーシャの作ってくれた料理、美味しかった」
「有り難う」
「礼を言うのはオレだって」
少し、表情が和らぐサーシャ。直枝は言葉を続けた。
「今度は、サーシャ手作りのオラーシャ料理食べたい。出来れば、その、オレだけに……」
「本当?」
「嘘言ってどうする? サーシャがオレの事知りたいのと一緒で、オレもサーシャの事、もっと知りたい」
「嬉しい。今度頑張って作る。貴方だけの為に」
「有り難う」
微笑む二人。ちらっと目が合う。直枝は言葉を詰まらせながら、サーシャに言った。
「できれば……その。ずっと、オレと一緒に……」
直枝の言葉は続かなかった。唇を塞がれる。ゆっくりと繰り返されるキス。
「私も、貴方と一緒に居たい」
「オレも、サーシャとなら」
抱き合い、じゃれ合う様に口吻を繰り返す。
「私もナオの事、愛してるから」
そっと呟くサーシャの控えめな笑顔が、たまらなく愛しい。
直枝を抱き寄せ、小柄な彼女をその大きな想いと共に受け容れる。
今夜も長くなりそう、とサーシャが囁く。直枝はこくりと頷き、キスを求めた。
end