無題
作戦前夜、先生の部屋にて
「上手く行けば、私たちは故郷に帰れる」
そう呟いた。
「そうね、だから皆、戦えるのよ」
ロスマンも呟くように返した。
「先生は、生まれはどこだっけ」
「ゲーラよ」
「あの工場の街か」
「あら、来たことがあるの」
「うんにゃ。そこの出身だった子と知り合って」
しまった。
「知り合いねえ」
視線が刺さる。
「ただの知り合いだよ」
「別にいいけど、程々にね」
「へいへい」
「あなたはデナムウだったかしら」
「生まれはね、育ちはブラウンスベルグ」
「港町ね、うらやましい」
「ゲーラは内陸の方だっけ」
「そうよ、魚なんて滅多に手に入らないんだから!」
わざとらしく、大げさに言う。
「あの街にはいい店があったんだ、魚料理の」
他愛のない会話が楽しい。このままでも・・・いや。
「それは是非行ってみたいわ」
少し考えて、言おう、と決めた。
「ロスマン」
努めて真面目に聞こえるように呼んだ。やや間があった。
「何かしら」
こう呼ぶのは初めてか。自分の鼓動が早くなったのが分かった。
ロスマンは鋭い綺麗な顔をしている。
「全部終わったら」
少し怖い。だが言うと決めた。
「ディナーにでも誘いたいんだけど、どうかな」
本当に言いたいのはもっと別の言葉。
「こんな時まで、冗談ばっかりね、あなたって」
呆れたような顔でそう言う。違う。思わず手を取り、引き寄せた。
「今のは本気だよ」
おそらく数秒。沈黙。ロスマンは微笑んで、
「遠慮しておくわ、着ていくドレスもないもの」
そっと距離を置かれた。
「仕立てるよ、とびきりの奴だ」
「私は、」
言いながら、また少し離れようとする。嫌だ。
離れる相手に逆らうように手を引く。ひゃ、という声が聞こえたが構わず背に残った左腕を回す。
そのまま思い切り抱きしめた。
「私じゃあ、ダメかな」
鼓動が早い。きっとバレている。恥ずかしいな。
「本気にするわよ」
「していいよ」
泣きそうだ。どうしよう。
「他の子と」
「君だけだ、約束する」
「信用できない」
「証明しようか」
顔を見据える。そのまま奪おう。
「待って、もう一つだけ約束して」
「なに」
「明日」
ロスマンの瞳が潤んだ。
「明日絶対、生きて帰って」
床に滴る。
「死なないで」
私の涙はいつの間にか引いていた。はっきりとした視界で、ロスマンを見つめる。
「作戦が失敗して、故郷に行けなくても、ディナーならいつだって、何度だって、どこへだって行ってあげる」
「だから死なないって、生きるって約束して。ヴァルトルート・クルピンスキー」
ポロポロと溢れる。あらゆる表情を攫い、灰色の瞳には愛おしさしか残らない。
「約束する」
ロスマンを見る。愛しい人。
「必ず生きて帰る。そして君をもう一度ディナーに誘う」
「その時は受けてくれ。エディータ・ロスマン」
「この、カッコつけ」
笑いながらそう言う。軽くすねを蹴られた。
「参ったね」
私も笑う。
「じゃあ続きを」
そう言って再び抱き寄せようとすると、今度はヒョイ、と逃げられた。あれ。
「キスしてくれないの」
「それは明日帰ってきてからね」
「今したっていいじゃない」
「信用できないって言ったでしょ、日頃の行いを悔いなさい」
そう言って自分のベッドへ向かった。
「ひどいな、結構勇気だしたのに」
「明日帰ってきたら、いっぱいしてあげるわよ」
可愛いことを言われた。
「参ったね、こりゃ」
仕方がない。部屋に戻ろう。
「じゃあまた明日」
そう言ってドアを閉めようとすると、
「待って」
呼び止められた。
「忘れ物よ」
振り向くとロスマンが目の前にいた。
ロスマンは私の返事を待たずに私の肩に手を置き、ピョン、と跳ねると、一瞬だけ頬に触れた。
「おやすみなさい」
呆気に取られていると、そのままドアを閉められた。
「約束は守りなさいよ」
ロスマンはドアの向こうで呟いた。聞こえてはいない。
「約束は守るよ」
同じように呟く。誰にも聞こえない声。
とびきりのお守り。明日を勝利で飾ろう。
誰よりも小さな、少しだけ心配性な、世界で最も愛しい人の為に。