Nacht vergangener Seelen
「騒がしいものだな、サトゥルヌス祭というものは」
「はい」
金と銀。好対象の髪を持つ二人は、窓の外の喧騒に目を遣る。
表では数人のウィッチが来たるサトゥルヌス祭のために色とりどりの飾り付けをしていた。
「街のほうでは、もっと賑やかみたいですよ」カップを持った両手を膝に揃えるようにしながら、
ハイデマリー・W・シュナウファーは右に視線を送る。
「まぁ、1年に1度の楽しみであるからな」
ムダの無い、スラリとした足を組み直しながら、ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・
ザイン・ウィトゲンシュタインはカップの中の黒い液体を身体に流し込んだ。
「楽しい・・・んでしょうね」
「ん? まるでサトゥルヌス祭を楽しんだことの無いような口振りではないか?」
ハイデマリーがボソリとつぶやいた言葉を、ハインリーケは聞き逃さなかった。
「いえ・・・楽しかった思い出はあります。でも・・・それは・・・」
「それは?」
ハインリーケはカップを傾けながらも視線だけは、ハイデマリーを見据えていた。
「その・・・幽霊とサトゥルヌス祭を過ごしたんです」
何度かお話ししたことがあると思いますけど、私は小さい頃は魔力を上手く制御できなく
て、家からは一歩も出られなかったんです。部屋には暗幕が垂らされて、光源は小さな豆電球が一つ。
ただ、それっぽっちの光でも私には十分過ぎる光でした。
いつも部屋は白っぽい光で満たされていましたけど、私の心はそれ以上に暗く沈んでいました。
誰とも会えない部屋で、いつ終わるかわからない時間を過ごす。
楽しみといえば本を読むことばかり。
ただ・・・物語の主人公のイキイキとした姿を見る度に、私は・・・こんなところで何をしているんだろう。と自分の境遇が怨めしくなりました。
そして、囚われのお姫様が救い出される度に、誰かが私をここから連れ出してくれるのでは、と淡い希望を抱きました。
でも、外の世界では私は生きられない、外の世界の光が・・・私から光を奪う。
どうしようもない現実の壁はちっぽけな私の希望を閉じ込めました。
現実の世界にも虚構の世界にも私の行くあてなんか無かったんです。
私には、本当に何も無かった。
何もせず。ただ時間が過ぎるのを待つ日々が増えていきました。
・・・でも、両親は健在でした。カーテンを閉め、僅かなロウソクを立てての夕食。
これが私にとって唯一世界と繋がる方法で、生きている喜びを感じられる瞬間でした。
その日は、七面鳥やケーキが並べられていました。サトゥルヌス祭のお祝いでした。
当然、きらびやかな飾りなんかはありませんでしたけど。
夕食を終えて、プレゼントの本を抱えながら部屋に戻りました。
そしたら・・・無性に寂しくなりました。
サトゥルヌス祭のお祝いをしてくれたのは嬉しかったけど・・・楽しくはなかったんです。
本当は本に描かれたきらびやかなパーティーをしてみたかった。
たくさんの友達を招いて、皆でおしゃべりをして、歌を歌いたかった。
友達なんて一人もいはしなかったんですけど。
私は、ベッドにもぐりながら窓をじっと見つめていました。
もしかしたら、サトゥルヌス神が窓を叩いて私を連れ出してくれるんじゃないかなって。でも、いつまでたってもサトゥルヌス神は現れませんでした。
そんなことはわかりきっていたことですけど、それでも私は窓辺に近づき、普段開くことのない暗幕を開きました。
その時でした。
私の目の前には、窓の外の世界には、淡い月の光を受け、白く輝く幽霊たちがいたんです。彼らは無言でした。
でも、ゆらゆらと楽しげに空を舞う姿を見ながら、私は気がつくと涙を流していました。
そこにある世界が、夜の闇の中でしか生きられず、そこでしか輝くことのできない彼らの世界こそ、私が生きるべき世界なんだ。
私はそう思いました。
そして、彼らがいなくなるまで私は、その時間、空間を幸せな気分で過ごしていたんです。
「で、それで終わりか?」
「は・・・はい」
「だらだらと長い話の終わりがそれか、下らぬ」
ハインリーケは酷く長いため息をつく。
ハイデマリーはこうなることを予期してか、表情を変えることなく俯く。
いや、そもそも表情のバリエーションが少ないのかもしれない。その心情を表情から察することは出来ない。
「幽霊たちと過ごしたと言うから何事かと思えば、そんなものはただの雪であろう。雲間
からの月の光が雪に反射したものを、当時のそなたの目の夜間視能力によってその淡い光を
多く取り込み過ぎた。それが幽霊のように見えた。ただそれだけであろう」
「はい、恐らく」
「長い時間を費やしてこれだけか」
ふぅ、と再びため息をつきながらはハインリーケ立ち上がった。
「わらわは部屋に戻る」そう言いながら立ち去ろうとしたがふと向き直ると、
ハイデマリーを指差し「そうだ、そんなに友人が欲しいのなら、靴下に入れておいてもら
えるようにサトゥルヌス神にでも頼んでおいたらどうだ」
言い終わると、皮肉めいた微笑を残して、スラリとした肢体を反転させさ、その場を去った。
ハイデマリーはその姿を見ながら、ハインリーケの言った通りにすべきなのかもしれないと、またも俯いてしまった。
サトゥルヌス祭当日の夜。
ハイデマリーはシフト関係で夜間哨戒の任務は無く、早々に床に入った。
いつ頃だろうか。
ハイデマリーは自分を呼ぶ声が聞こえるような気がした。
しかし、どうせ気のせいだとハイデマリーは目を閉じたままだ。
だが、おい! わらわの声が聞こえぬのか! ハイデマリー・W・シュナファー!
間違いなく自分を呼んでいる声にハイデマリーは何事かと目を開いた。
眼前にはハインリーケがいた。
「・・・あの、なんでしょう? 緊急の召集でしょうか?」
「まさか、本当に友人が欲しいと書いてはおらぬだろうな?」
「え? ・・・いえ、書いていませんが」どうも会話がちぐはぐだ。
「そうか・・・ならば耄碌したサトゥルヌス神が何か勘違いをしたのだろう。まったく。
突然連れ去られたときには、営利目的の誘拐事件か何らかの策謀かとも思ったが、まさかここに行き着くとは」
ハインリーケは両腕を組み、憮然とした調子でそう呟く。
ハイデマリーは何となく自分の置かれた状況を理解したが、それでも不思議そうにハインリーケを見詰める。
ふと、足元に目がいく。
ハインリーケはブーツを履いたまま、片足だけが靴下に突っ込まれている状態だった。
その靴下にハイデマリーは見覚えがなかった。
「しかし、目が冴えてしまったな。ハイデマリー!」
「は、はい」
「わらわの身体に適度な疲れをもたらすために夜間飛行としゃれこもうではないか」
「え?」
「既にストライカーユニットは用意してある」
「・・・既に?」
「たまたま用意されていた」
小首を傾げながらのハイデマリーの言葉を言下に遮り、ハインリーケは窓に近寄りそれを開いた。
肌を刺す風が流れ込む。窓の下には確かにストライカーユニットが設えてあった。
「さぁ。参いろうか」
「あ・・・あのまだ準備が」
ハイデマリーは薄手の寝間着姿のままだ、これでは外に出ては寒い。
「上着はこれを着れば良い」ハインリーケは、足元にあった何かをハイデマリーに向かっ
て放り投げた。ハイデマリーはそれを受け取ると、手のひらに滑らかな感触と暖かみを感
じた。渡されたのは上品に仕立てられたベルベット地のコートであった。
これもハイデマリーには覚えが無い代物だった。
ハイデマリーがコートに腕を通していると、「これも使うが良い」そう言うと、
自分のブーツといつの間にか一揃えになった靴下を手渡された。
ハイデマリーは慌ててそれらを着込むと、窓辺に近づく。
ハインリーケは、既にストライカーユニットを装着し、身体を部屋に向けながら中空に浮遊していた。
「あ・・・あの、私はどうすれば」
「飛び込めば良い」
「え?」
ハインリーケはにわかに腕を広げた。
「怖がるで無い。下手な地面より余程盤石だ」
ハインリーケは自信に満ちた目でハイデマリーを見つめた。
ハイデマリーはその瞳に応えるように、窓枠に足をかけると夜の闇に身体を踊らせた。
「誰かを抱いての夜の飛行は初めてだな。ハイデマリー、誰かに抱かれて空を飛ぶのは初めてか?」
「はい」
身長差のある2人であり、ハイデマリーは出来る限り身を縮めての腕の中に収まろうとしていた。
ハインリーケの腕の中は暖かく柔らかくて、とても良い匂いがした。香水のようでもあるが、
ハイデマリーには匂いの元は判然とせず、ハインリーケが生まれながらにこの匂いを纏っているようにも思えた。
「星も月も今夜は見えぬな」
ハイデマリーは顔を上にあげる。空は厚い雲に覆われていた。ふと、頬に冷たさを感じる。
「雪か。白きサトゥルヌス祭というわけだな」
天空に向けた2人の視界には、ちらちらと雪が舞い降りてきていた。
「寒くはないか?」
ハインリーケの腕の力が強まる。
「いえ、大丈夫です」ハイデマリーも自然とハインリーケの首に回していた腕の環を縮め、
ハインリーケに身体を密着させた。
「・・・柔らかいな」
「え? 何ですか?」
「何でもない」
ハインリーケはどこかムスッとした顔つきとなる。
「あっ」
「ん? どうした?」
「月が」
天空の暗幕に切れ目が入る。そこから、夜の女神が顔をのぞかせた。
舞い落ちてくる雪は、女神の祝福を浴びるようにして夜の闇の中でその存在を一層強調した。
「ハイデマリー」
「はい?」
「今も幽霊に見えるか?」
「いえ、流石に今は」
ハイデマリーは雪を見ながら自嘲気味な表情を浮かべた。
あの時あんなに憧れた存在にも関わらず、それはただの自然現象にしか見ることはできなかった。
「もう一緒にいる必要もあるまい。・・・今はわらわがいるであろう。わらわはあの亡霊どもに負けるのか?」
「いえ・・・そんなことは」
ハイデマリーはハッとしてハインリーケを見つめる。
「そうであろう」ハインリーケは、勝ち誇った満足気な笑みを浮かべた。
「それに・・・こんなぬくもりは、あのものどもでは味わえぬぞ」
ハイデマリーは幽かに口元を緩める。本当に、本当に心地の良い空間だった。
・・・うん。
Fin