シュレディンガーの猫


『暗箱の中の猫だって夢を見る。猫にとって私たちは、重ね合わせた確率の存在でしかない』

夜明け前の教会は、凛と張り詰めた空気の中に厳かな静寂を響かせていた。
一人で教会の中に居ると、まるで世界は此処だけしかない錯覚に捕らわれる
本当にそうなら、どれほど楽だろう? 窓の外には現実感のない暗闇が広がるだけだ。
私は世界に一人きり。冷たい床にひざまづき、ひたすら神に祈り続ける。
─神さまお願いです。どうかサーニャをお守り下さい
私の命と引き換えでも構いません。どうかサーニャを助けて下さい。神さま─

教会の扉が開いてミーナ隊長が飛び込んできた。
薄暗い教会を見渡して、私を見つけて息を飲む。
「エイラさん! サーニャが、サーニャが…」それだけ言うと、床に倒れるようにして泣き崩れてしまった。
私の心臓は一瞬で凍りつく。全身の肌が粟立ち、背中を冷たい感触が走る。
私は知っていた。ミーナの言葉の意味を。
私は何度も何度も繰り返し、この場面を見てきた。遠い過去から何度も繰り返し…。
私は震える足取りで医務室に走った。後ろでミーナが呼び止める声が微かに聞こえる。
サーニャは医務室のベッドに横たわったまま動かない。まるで眠っているように見えた。
「…サーニャ?」
震える手でサーニャの頬に触れてみる。冷たい感触が指先から全身に広がって行った。
「サーニャ…」
もう一度呼び掛けて私は、サーニャの上に泣き崩れた。とめどもなく涙が溢れ出た。
「サーニャ…」

教会の扉が開いて坂本少佐が飛び込んできた。
「こんな所で何をしている! 緊急出撃の警報が聞こえないのか?」
基地の中をサイレンが鳴り響いていた。
「ネウロイだ! いまサーニャが足止めしている。サーニャが危ない!急げ!」
私は格納庫に走った。ストライカーユニットに脚を突っ込み、重機関銃を手に取る。
私は薄暗い夜空に向かって飛び立った
「サーニャ待ってろ! いま助けに行く!」
ネウロイに対する怒りが全身を駆けめぐった。

教会の扉が静かに開いた。扉の前にはサーニャが立っていた。
「サーニャ…?」
サーニャは不思議そうな顔をして静かに佇んでいた。
「驚いた顔して、どうしたのエイラ…?」
彼女の暖かな手が私の肩に優しく置かれる。
「な、なんでもない!」
「エイラの目…赤い。もしかして、一晩中教会でお祈りしてたの?」
少し可笑しそうな顔でサーニャが尋ねた。
「わたしは…夢を見たんだ。サーニャの夢を…だから私は…」
「夢?」
「そうだ。わたしの見る夢は只の夢じゃない。予知魔法が見せる夢なんダ…でも…」
「…でも?」
「たまには外れることだってあるってことだナ」
サーニャはクスクスと笑いながら私の手をとった。彼女の手の温もりにが心地よかった。
サーニャが悪戯っぽい眼差しで私の顔を覗き込む。
「サ、サーニャがネウロイに撃たれた夢だったんだぞ。笑いことじゃないんだ。
もし本当にサーニャが私の前から消えてしまったら、私はどうすればいい?
サーニャのいない世界で生きて行くなんて、わたしには無理だ…」
サーニャはクスクスと笑うと、祭壇の上の十字架を見ながらこたえた。
「もし私が死んでも悲しまないでエイラ。
私は神様の前で胸を張ってこう言うわ。
─私は私に出来る事を全てやった。私はネウロイからも、そして私自身の弱い心からも
決して逃げることはなかった。本当に怖くて震えるような夜間哨戒だって、最後までやり抜いた。
私はみんなを守るために最後まで堂々と戦った─って。
だからエイラ、私が死んでも悲しまないで。
─サーニャ凄いぞ。よく頑張ったな─って言って私のことを誇りに思って。
私はみんなを守るために自分の意志で戦ってるのだから。
約束してエイラ…」

「サーニャ…」私は彼女の目を見ることが出来なかった
何だかひどく自分が恥ずかしく思えた。

教会の扉がゆっくりと開いて、目の前にサーニャが横たわっていた。
寝台を彩る花に囲まれたサーニャは、静かに眠っているように見える。
私はサーニャにすがりついて涙を流していた。
「サーニャ…」嗚咽で言葉にならない。
「何でだ。何でサーニャか死ななければならない?
まだ14才の小さな女の子じゃないか?
何でこんな小さな女の子が戦場で戦わないといけないんだ?
戦うのは大人たちがやればいいんだ。
魔女だから戦う?
魔法力があるってだけで普通の女の子と何も変わらないじゃないか…。
世界の運命なんて関係ない。
こんな、こんな小さな女の子の命を犠牲にしなければ守れないような世界なんて
一体何の意味があるんだ?
何故サーニャが世界の運命を背負わないといけない?
他の人たちは私達に戦うことを押し付けて普通の生活を楽しんでいる。
サーニャだって本当なら音楽の勉強をして友達と遊んで誰かと恋をしてたはずなんだ。
何でサーニャが死なないといけないんだ?
私はサーニャを守れなかった…守ると誓ったのに…
サーニャ目を開けてくれ!
サーニャ…」
私は泣いていた。いつまでも、いつまでも泣いていた。
『エイラ…私が死んでも悲しまないでね』
わたしには無理だ…

外は明るみはじめ、教会の窓から朝日が差し込んでいた。
もう夜は明けたようだ。どこからか小鳥のさえずり声が聞こえてくる。
私は冷たい床にひざまづいたまま、一晩中神様に祈りを捧げ続けていた。
疲れ果てて頭がふらふらしている。聖母マリアの像を見つめながら立ち上がる。
そして、私はゆっくりと教会の扉を開け、眩しい光に包まれた外に足を踏み出した。
「エイラ? 何してるのこんなところで…?」
夜間哨戒から帰ってきたサーニャが眠たげに尋ねた。
ストライカーユニットを付けた彼女はフリーガーハマーを片手に持ったまま、
朝日の中をゆっくりと舞い降りてくる。
「どうしたのエイラ?」
「サーニャ…」
私は目の前に着陸したサーニャをギュッと抱き締めて泣いていた。
「お帰りサーニャ。無事で良かった。本当に良かった…」
サーニャは頬を赤らめて戸惑っていたが、私の唇に優しく唇を重ねて囁いた。

「ただいま…エイラ」


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