同期


『そこは原代名詞の世界。それが彼女に、彼女が彼らに、彼らが私に、そして私が謎へと化していく』

「サーニャ! ネウロイをこっちに近づけるなー!」
リーネを後ろから抱き締めてエイラが叫ぶ。
サーニャは小さく頷いて、おもむろにフリガーハマーを撃ち放った。
雷鳴を思わせる轟音と共にオレンジ色の火球が広がり、爆発の衝撃波が大気を揺るがす。
ネウロイは爆発を回避して、既にリーネとエイラの真下に潜り込んでいた。
「動きが早過ぎる・・・」リーネが小さく呟いた。ボーイズMK.Ⅰを握る手が汗ばんでいる。

卵形の小型ネウロイは、尋常でないスピードでグザグに動きまわっていた。
一瞬の停止と急激な加速をランダムに繰り返し、変則的な動きで間合いを詰める。
常軌を逸したネウロイの動きに、リーネの狙撃は付いて行くことが出来ない。
唯一対応出来そうなエイラは右腕を負傷している。リーネを守る為に払った代償。
先読みと正確な射撃がなければ、超高速で変則的に動くネウロイを倒すことは無理だ。
エイラとリーネは何度も複合魔法を試みるが、上手く呼吸か合わない。
只でさえ高度な技術が求められるのに、この状況下では無理もない。

ネウロイが赤色のビームを放ちながら間合い詰め、おもむろにリーネに体当たりした。
シールドが鈍い音をあげて、エイラとリーネが後ろに突き飛ばされる。
割り込むようにサーニャが慌てて飛び込み、ネウロイを自分の方に引きつけた。
その間にエイラが後ろからリーネを支えて体勢を立て直す。
「大丈夫か?」
頬を赤く染めながらリーネが小さく頷く。
「よし。それじゃーもう1度やるぞ。呼吸を合わせて魔法力を同調させるんだ!」
「はい!」
2人の顔に焦りの色が浮かんでいた。

焦燥しているのは2人だけではない。サーニャの顔にも焦りの色が浮かんでいた。
何とかしてネウロイを遠くに引き離さないと2人が危ない。
真下にいるネウロイに、上から覗き込むような姿勢でフリガーハマーを撃ち込むと、
そのまま急降下して躊躇いもなく爆炎の中に突っ込む。
爆発の炎の中でも全方位広域探知は確実にネウロイの姿を捉えていた。
急降下しながら体を捻り込み、右腕を真横に伸ばすと再びフリガーハマーを撃つ。
片手でフリガーハマーを自在に操る姿は驚異的だ。しかも撃つ方向を一瞥すらしない。
独特のリズム感があるその力技は、あるいはバルクホルンを上回るのかも知れない。

サーニャは再び体を捻って急上昇すると、左手のブローニングM2重機関銃を撃ちながら
ネウロイの前に回り込む。
だがネウロイの速度は尋常ではない。変則的な動きでフェイントをかけて回避した。
サーニャは前方左上空にフリーガーハマーを連射すると同時に、右に急旋回する。
魔法力で弾頭の爆発するタイミングを操作して、ネウロイを右方向に追いやる。
同時に重機関銃を正面に散らすように連射し、ネウロイの動きを封じようとした。
しかしネウロイは簡単に弾幕を掻い潜って、サーニャの脇を猛スピードで掠め抜ける。
「…!」サーニャは思わず目を閉じて体を丸めた。強烈な衝撃波が体を揺さぶる。

サーニャの後ろに回り込んだネウロイを透かさずリーネが狙撃する。
銃弾はネウロイの装甲を僅かに掠めてはじかれた。
「惜しい!」エイラが舌打ちして悔しがる。
サーニャは振り向きざまにフリーガーハマーを撃ち込んで急上昇した。

まるでイタチごっこだ。攻めては逃げて、逃げては攻める。その繰り返しだ。
ても…やるしかない。右へ左へと体を捻りながら必死でネウロイを追う。
その間隙を突いてリーネが狙撃するが当たらない。
まだ複合魔法が有効に働いていないのだろうか?
咄嗟に残りの弾数を計算してみる。この消耗戦は分が悪い。

体力的にも弾薬的にも、複合魔法の成功を待っている余裕はない。
熾烈な空中戦を展開しながら、サーニャは打開策を思案する。きっと何か手があるはずだ。
サーニャはネウロイの攻撃に奇妙な違和感がある事に気付いていた。

ネウロイの異常なまでのスピードなら、私はとっくに捕捉されている筈だ。
なのに私は未だに無事で此処にいる。何故?
さっきの攻撃も、本当ならば体当たりを喰らっても不思議はなかった。
なのにネウロイは私の後ろに回り込んだだけ。何故?
イタチごっこ…
フリーガーハマーを左右に撃ち分けながら、猫のような敏捷さでサーニャが空中を舞う。
「まさか…」

「サーニャさん凄い…!」
ボーイズMK.Ⅰを構えたリーネが思わず感嘆の声を上げる。
「どこ見てんだー? 感心してる場合じゃないだろー!
早くネウロイを撃ち落とさないと…」
苛立ちを隠せずにエイラが咎めた。確かにサーニャの動きは凄いとエイラも思う。
サーニャは最近急激に強くなった。怖いくらいに。
世界のトップクラスに囲まれている現在の環境がサーニャの成長を促して
いるのかも知れない。
「それより、少しだけ先の未来はちゃんと見えてんのか?」
「はい、でも敵の動きが速すぎて…」
「くそー、わたしの先読みでも追い付けないのか。なんて奴だ!」
複合魔法は働いている。ネウロイがサーニャに気を取られている今がチャンスだ。
しかし…未来予知が追い付かない。銃弾が到達する前にネウロイは更に先に進む。
こんな敵は初めてだ。私がもっと先を読まなければ!
でも…どうすればいい?

もし遊んでるのなら…
サーニャの思考が目まぐるしく展開していく。
それを逆手に取って、ネウロイを撹乱できるかも知れない。
サーニャの脳裏を以前遭遇した歌うネウロイがよぎる。
わずかに逡巡した後、サーニャはおもむろに魔導針の送信出力を上げた。

「音楽が聴こえる」エイラが不思議そうに周りを見渡す。
「サーニャか…?」
リーネも耳を澄ましてみる。
「この曲は…? Come falda di neve…?」
サーニャは熾烈な空中戦を繰り広げながら、悠長な雰囲気でハミングしていた。
曲の旋律に合わせて、踊るようにネウロイの攻撃を回避しながら反撃している。

次々に周波数を変えながら、サーニャは観察する。確実にネウロイに曲を聴かせる為に。
ネウロイの攻撃は極端に減少している。サーニャの曲に反応している証拠だろう。
もう少しだ…。サーニャは周波数を微調整して限界まで魔導針の出力を上げた。
魔法力が一挙に高まり、奔流となってネウロイに放たれる。
その魔法力に呼応するかの様にネウロイが小さな咆哮を上げて一瞬跳ね上がると、
鯨のような低周波でサーニャを模倣しながらハミングした。
「…!」
その共鳴音を聴きながら、サーニャは不思議な感覚にとらわれていく。
現実感を喪失していくような得体の知れない感覚。
サーニャの意識が乖離して共鳴音の中に吸い込まれた…

目の前のネウロイは音楽を楽しんでいる。
まるで無垢な子供のように。

子供…? 何を馬鹿なことを!
ネウロイは街を破壊して沢山の人を殺した!
でも…
夢中で遊んでいる子供?
目の前の矛盾。

音楽への関心?
破壊の為の強力な武器?
それは私だ。
戦場で戦う私の姿。
ネウロイ…
それは鏡に映った私。違う!

サーニャは強い吐き気と目眩を感じていた。
魔法力とコアの共鳴?
放出した魔法力の逆流?
いや…違う…
たぶん別の何か。
わからない…。

幼い頃に父が弾いてくれたピアノの音が聞こえる。
窓の外は雨が降っていた。
私は窓の外から部屋の中を覗き込む。
部屋の中には、ピアノの音に耳を傾けるネウロイがいた。
それは私だ。違う!

ネウロイってなに…?
私の現し身。
私の本当の姿。違う!

「違わないわ…」鏡の中の私が静かに微笑む。

人間と何も変わらない。
ネウロイは人間の象徴。
人間の獣性の具現。
姿を変えただけの、何処にでも居るごく普通の人。
ネウロイは人間そのもの。
目の前の矛盾は人間の矛盾。
平和の為に殺戮する矛盾。
それは人間。

違う!違う! 絶対に違う!
鏡が砕け散った。
私は鏡に向かって銃を乱射していた。
怒りのままに。
怯えるままに。
いつまでも銃を撃ち続けた。

「エイラさん…」リーネが囁いて、ボーイズMK.Ⅰ対装甲ライフルを構え直した。
エイラも黙って頷く。ネウロイの様子が変だ。
猛スピードでランダムに動きまわる姿に変化はないものの、
攻撃を仕掛けてくる気配がまるでない。
サーニャが少し離れた場所で静観し、その周りをネウロイが飛び交っているだけだ。
一寸前の激しい空中戦がまるで嘘のようだ。「いったい何が起きてるんだ?」
おそらく、サーニャのハミングが何か関係しているのだろうと思う。
当のサーニャはまだハミングを続けており、ネウロイは耳障りな共鳴音を響かせている。
しかし…
大人しくなったとは言えネウロイが未だに脅威であることに変わりはない。
急激な状況の変化。その状況は更に変わりつつある。
「ネウロイが止まる…」
エイラはリーネの肩に顔を擦り寄せて耳元でそっと囁く。リーネが小さく頷いた。

少しだけ先の未来。今はまだ何も無い空っぽの空間。その場所をリーネが見つめる。
引き金を引こうとして呼吸を止めた瞬間…リーネは驚愕の表情を浮かべて絶句した。
ネウロイじゃない…? 人間だ! 人間がいる! まさかそんな馬鹿な…!
激しい動悸が胸を締め付け、額に脂汗が滲む。
瞳を閉じてゆっくりと息を整え、再び照準を覗いてみた。
そこには鋼鉄の装甲に覆われたネウロイの姿があった。
いまのは一体…? 幻覚? そう…ただの幻覚だ。そうに決まってる!
リーネの背中を冷たい汗が流れ、引き金におかれた指が微かに震えた。
銃口で少しだけ未来のネウロイを追いながら、リーネは口の中で神に祈っていた。

「主よ、我らの罪をお許し下さい。
我らを地獄の火からお守り下さい。
全ての霊魂、
特に主の憐れみを最も必要とする霊魂を
天国にお導き下さい」

リーネの指がゆっくりと引き金を引いた。

唐突にサーニャはハミングを止めた。何故やめたのか自分でも分からなかった。
意識がはっきりしない。誰かと会話していた気もする。
ハミングを止めると同時にネウロイもゆっくりと停止し、その場に留まった。
停止したネウロイ?
ハッと気がついてサーニャが叫ぶ。
「…リーネさん待って!」
その瞬間、リーネの放った銃弾がネウロイの装甲に黒い穴を穿った。続いて2発目。
そして3発目の銃弾がコアを直撃した。
コアが砕けた瞬間、サーニャはネウロイの悲鳴を聞いたような気かした。
もしかしたら、それはサーニャ自身の悲鳴だったのかも知れない。…わからない。
サーニャは目を見開いたまま呼吸することさえ忘れている。
何故? 何故わたしは動揺してるんだろう?
ネウロイの装甲が連鎖的に崩壊し、細かな結晶になって周囲に散らばる。
煌めく結晶は音もなく風の中に消えていき、
ネウロイが存在していた痕跡を跡形もなく消し去った。
サーニャは寂寞とした空の中に独り佇みながら、どうしようもない虚無感を感じていた。

わたしはネウロイの中に私自身の姿を見た。
わたしは私自身の中にネウロイの姿を見た。
戦争が人を獣に変えてしまうのなら、戦場にいる私もまた獣なのだろうか?
私とネウロイの何が違うと言うのだろう?
何も違わない。
あれは…人間だった。

「サーニャぁ大丈夫か? 怪我はないか?」エイラが心配そうに声をかけた。
エイラの後ろからリーネも心配そうに顔を覗かせた。
瞳に溢れんばかりの涙をたたえたリーネがはにかむ。
サーニャは横を向いたまま俯いて、そっと呟いた。
「うん大丈夫…何でもない」
「サーニャ…」
エイラは何も訊かずに優しくサーニャを抱きしめた。
その暖かい胸に包まれながら、サーニャは漠然と理解した。
わたしは独りじゃない。わたしには大切な仲間がいる…。
誰かを大切に思う気持ちがあるのなら、人は獣ではなく人間として生きて行ける。
サーニャの腕がエイラの体を抱きしめた。
後から後から止めどもなく溢れ出る涙に、エイラがそっとキスをする。

風の中を「Come falda di neve」の美しい旋律が舞っていた。


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