魔女の肖像画


サーニャが夜間哨戒から帰って来た時、滑走路の隅から青年が飛び出してきて声を掛けた。
そこに人がいると思ってなかったサーニャは、心臓が止まるほど驚いて一瞬悲鳴をあげた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。そんなつもりじゃなかったんだけど、その…まいったな…」
胸の動悸を手で押さえながら、サーニャはふーっと軽い溜め息をついた。
「こちらこそ御免なさい。まさか人がいると思わなかったから驚いちゃって…」
どぎまぎしながら対応したサーニャは、それでも少し落ち着きを取り戻した。
まだ薄暗い滑走路のなかで改めて青年に目をやると、見慣れない軍服を着ていることに気がついた。
サーニャはまじまじと青年の顔を眺めた。痩せ形で背が高く優しい目をしている。
「501支援部隊のかたですか? 珍しい軍服ですね?」
「僕は最近オラーシャから配属されたんです。徴兵された途端に何も知らない異国の地に島流しです」
青年はおどけた調子で言うとケラケラと笑い出した。
オラーシャという言葉に興味を抱きながらも、サーニャは素知らぬ顔で尋ねた。
「…それで、私に何かご用ですか?」
「あぁ失礼しました。じつは先日もこちらで中尉殿を目にしました。優雅に空から舞い降りてくる姿に感動しちゃって…」
「はぁ…」
「僕は徴兵される前は絵描きを目指してたんです。それで…もし良かったらモデルになって欲しと思いまして…」
「もでるぅう!? そんなの無理です! 絶対無理!」
「迷惑はかけませんから。夜間哨戒から帰ってきた所を毎日10分程で構わないんです。お願いします!」
青年は深々と頭を下げて頼み込んだ。


「それで…素性も分からない不審な男の言葉を真に受けて、モデルの仕事を引き受けちゃたのかー?」
「うん…」
「お人好しにもほどがあるぞ、サーニャ!」
「そんなに怒ることないでしょエイラ。支援部隊の人だし素性はハッキリしてるわ。それに…悪い人には見えなかった」
「モデルなんて私は絶対に反対だな。だいだいサーニャは甘すぎるんだ」
サーニャは顔をしかめてベェーと舌を出して見せたがエイラは気がついていない。
「だいだい男の絵描きにろくな人間はいないんだ。扶桑の絵描きを見ろ。
股間ばかり描く変態だらけじゃないか。そんな変態の目でサーニャの事を見られるかと思うと私は私は…」
「エイラの馬鹿!」サーニャは枕を投げつけると部屋を出て行った。
一人残された部屋の中で寂しそうにエイラが呟く。
「私はサーニャの事が心配なだけなんだ。それなのに…サーニャの分からず屋!」


「お疲れ様ですサーニャ中尉。今日もご無事で何よりです。早速ですが始めましょうか?」
サーニャが夜間哨戒から戻ってくると、青年は既にキャンパスを広げて絵を描く準備をしていた。
「毎朝早いんですね。そんなに無理して任務に支障はないんですか?」
絵を描き始めてから既に一週間になる。
もうだいぶ絵は仕上がっていると思うが、青年は頑として絵を見せてくれなかった。
そんな青年にサーニャは軽い苛立ちを感じる。いったいどんな絵を描いてるのか気になって仕方がなかった。
「僕のことは気にしないで下さい。大丈夫ですから…」
青年は一心不乱に筆を動かしながら時おり真面目な瞳でサーニャを見つめた。
そのたびにサーニャは顔が赤く火照るのを感じた。
「絵が出来たら絶対に見せて下さいね」
「もちろんです…ってゆーか、絵は中尉殿に差し上げるつもりです」
「いいんですか?」
この青年は何の為に絵を描いてるんだろ。本当に絵の勉強のためだろうか?
サーニャは首を傾げて青年を眺めた。


「サーニャ。大切な話があるんだ…」
昼食が終わってリビングでくつろいでいる時にエイラがそっと耳打ちした。
「話ってなーに?」
他の隊員は部屋の中央で先日撮影した写真の話題で盛り上がっている。こちらに注目している者は誰もいなかった。

「例の青年のことだけど…少し調べてみたんだ」
エイラは少し躊躇いながら真顔で続けた。
「支援部隊にはオラーシャ出身の人間はいないんだ…何の目的か知らないけど、あいつは嘘をついてる!」
「…」
「ちゃんと聞いてるのか、サーニャ?」
「ごめん。今はその話はしたくないの。もうすぐ絵が完成するわ。そしたら…」
「そしたら…?」
「そしたら全てがはっきりすると思うの」
「そんな…! 私はサーニャのことが心配なんだ! あんな奴にこれ以上付き合うことなんてない!」
「私は平気だから。だから…もう少しだけ待って。エイラ」
サーニャは席を立つと足早に食堂を後にした。
「ちょ、ちょっと待って。話はまだ終わって…」
「ごめん。わたし今日も夜勤なの。だから先に寝るね」
「サーニャ…」


「エイラ中尉と喧嘩してるそうですね? もしかして僕のせいですか?」
申し訳なさそうな顔で青年が尋ねた。
「あなたが気にする事じゃないわ」
「絵は完成しました…けど、僕にはエイラ中尉の誤解を解けそうにありません」
「…」
「約束通り絵は差し上げます。僕の願いは叶いました。僕はここから消える事にします」

「もとの世界…いえ未来の世界に帰るのね?」
青年は驚いた顔でサーニャを見詰めた。
「驚いたな…いつから気がついてたんですか?」
「初めて会った時から。あなたエイラの面影があるわ」
サーニャは悪戯っぽく笑ってみせた。
「…なんてね。確信したのは写真を拾ってから。あなたエイラの写真を落としたでしょ? 色褪せた古い写真。
あの写真ね、4日前に撮られた写真なの。写真を見比べた時は本当に驚いたわ」
「やっぱり、おばあちゃんが拾ってたのか…あの写真」
「まさかと思ったけど、やっぱりそうなのね?
でも"おばあちゃん"はよして。私は"おばあちゃん"なんかじゃないわ」
青年は少し躊躇いがちに目を伏せた。
「…サーニャさんは僕の父親の母。エイラさんは僕の母親の母なんです。
つまり両方とも僕のおばあちゃんって訳です。今まで隠していてごめんなさい。
でも余計な混乱は避けたかったんです」
「おばあちゃん…? まさか…」サーニャは目を丸めて絶句する。
「本当に…本当に私があなたの"おばあちゃん"なの?」
「僕はサーニャおばあちゃんに似てるって、よく言われてましたよ。
見た目だけじゃなく芸術家としても、ね」
サーニャは困惑の表情を浮かべた。


「私が"おばあちゃん"だという事は認めたくないけど、とりあえず認めるわ。
でも、あなたはどんな方法でこの世界に来たの?」
問い掛けて直ぐにサーニャは気がついた。
「魔女の力を受け継いだのね。男の子なのに? 時間を跳躍する固有魔法?
そんな途方もない魔法力があるなんて信じられないわ」
「僕は伝説の魔女2人の血をひいてるんですよ。
それより、未来の世界がどうなってるのか興味はないんですか?」
サーニャは首を横に振った。
「あなたを見てれば分かるわ。とても幸せそうだもの。
それに…あなたの存在そのものが証明してる。私達の戦いが無駄ではないことを」
青年は照れたように頷いた。
「501部隊にいた頃の若いサーニャ"おばあちゃん"にどうしても会ってみたかった。
やっぱり来て良かった」
「このままエイラに会わないで帰るの?」
「エイラおばあちゃんは、僕が絵描きになることに反対してて…なんか苦手なんです」
青年は少し苦笑いをしながら答えた。
「だけど…、その絵はエイラおばあちゃんに渡してくれると嬉しいかな。
サーニャおばあちゃんからの贈り物なら、エイラおばあちゃんも喜びそうだし」
「なるほどね。分かったわ。エイラおばあちゃんの事は私に任せなさい。
あなたが産まれるまでに、絵描きに対する偏見を直してみせるから」
「ありがとう。僕はそろそろ帰ります。僕の能力じゃ上手いこと条件が揃わないと時間を跳躍できないから」
青年は明るみ始めた滑走路をゆっくりと歩き出した。
「ちょっと待って…」
サーニャが慌てて青年を引き止める。
「もう一度…もう一度だけ顔をちゃんと見せて」
サーニャは青年に近づくと両腕で青年を抱きしめた。知らぬ間に涙が溢れでていた。
この不思議な感情をどう表現すれば良いのだるう? サーニャには分からなかった。
「むこうに帰っても無理をしないで…体には気をつけて…」
青年はクスクスと笑った。
「やっぱりサーニャおばあちゃんだ。未来でも同じことを言ってる」
「年寄りの言うことは聞くものよ。元気でね…さよなら」
「またすぐに会えます。おばあちゃん」


サーニャは青年の描いた絵を壁に立てかけて眺めていた。
サーニャとエイラが寄り添うように並んでいる絵。凛々しくも優しい表情をしたサーニャとエイラ。
繊細なタッチで描かれたその絵からは、まぎれもない画家の愛情が溢れ出ている。
絵を眺めているだけでサーニャは幸せな気分になった。
「あいつ…何でエイラの写真を持ってるのかと思ってたら、こういう事だったのね。
…素直じゃないところはエイラに似ちゃったのかしら?」
腕組みしたサーニャは自分の考えが可笑しくてクスクスと笑い出した。

「サーニャ? これが例の不審人物が描いた絵か?」
いつの間にかエイラが横に並んで絵を覗き込んだ。
「うわっ! これって私じゃないか? な、なんでだ? 私はモデルになった覚えはないぞ」
「素敵な絵だと思わない? エイラ」
エイラは無言のまま絵を眺めていたが、暫くしてからポツリと呟いた。
「うん…いい絵だな…」
内心でガッツポーズをとりながら、サーニャは涼しげな顔をしている。
「気にいった?」
「うん。なんて言うか…サーニャが綺麗だな…」
「この画家さんね、この絵をエイラに貰って欲しいんだって言ってたわ」
エイラが必死の形相で振り向いた。
「えっ! いいの? これを本当に私が貰ってもいいの?」
「私もエイラに貰ってもらうのが一番良いと思う」
「そうか、この絵は家宝として孫の代まで大切にする」
「うん。きっと私達の孫も喜ぶと思うわ」
「えっ?」

「戦争もいつかは終わる。いつの日か私も年老いて、この手に孫を抱くことになるのね」
サーニャは感慨深い気持ちでいつまでも絵を眺めていた。


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