からまわり
「なんじゃと? シュナウファーの様子がおかしい?」
食堂を出てすぐのこと。
子飼いの一人にそう耳打ちされ、足を止めた。
シュナウファーの異変は逐一わらわに報告せよと厳命してある。あやつときたら何でもかんでも内に秘めるゆえ、こういった周辺情報が欠かせない。
「はい。いつも困ってらっしゃる感じですが、今日はそれに輪をかけて」
「…そうか。大儀であった」
懐からスタンプを取り出し、カードの空欄にポンポンポン。
功ある者には惜しみない労いを――――これがわらわの覇王道だ。
高評価に喜んだ彼奴は小躍り。これからも精進せいと言い捨てて、わらわはその場を後にする。
「会敵とかトラブルの報告はなかった。すると哨戒後か……」
腕組みして、廊下の真ん中を歩く。
この基地でわらわに道を譲らぬ者はない。驕りではなく、それが当然なのだ。
人には生まれついての定めがある。果たすべき義務がある。
ウィトゲンシュタイン家に生まれたわらわは、それに則した威厳ある振る舞いをせねばならない。
「ノーブレス・オブリージュとは面倒なものよのぅ」
ふふんと笑い、肩にかかる髪を払う。
これは貴族の務めなのだ。シュナウファーが心配だからとか、そんな俗な感情ではない。
通路の角を曲がると視界がふっと暗くなる。ここから先は夜間戦闘員の個室が並ぶ。最小限に照明が絞られているのは、暗い状態に目を慣らすための
措置だった。
突き当たりにある皇帝像を左に行けばわらわの第5夜間戦闘航空団、右に行けばシュナウファーの第1夜間戦闘航空団がある。
「食堂では見なんだがまだ部屋におるのか? ウィッチたるもの、食事もとらずぶをああああっ?!」
ドォン、ガシャシャンッ!
突き当たりを右に曲がったところ、ボリュームのある何かと衝突して吹っ飛ぶ。そのはずみに陛下の銅像で側頭部を強打し、未知の感覚に廊下を転げ
まわった。
「だ、大丈夫ですか?」
「くうぅ~~~おのれ。父上にもぶたれたことのないわらわに、なにやつ?! 相応の報いを受けさせてくれる!」
ずきんずきんする側頭部を抱えて身を起こす。
目の前に星が散って前がよく見えない。
「そ、その声はもしかしてハインリーケさんですか? すみません!」
「なっなに?! シュナウファーか?」
「はい。ちょっとよそ見をしていて………本当にすみませんでした」
「―――そなた、誰に謝っておるのじゃ?」
ようやく視界が晴れてのち、口元をぴくぴく。
王女の称号を与えられたこのわらわを前に、いい度胸だ。
「誰ってもちろんハインリーケさんに」
「たわけ! わらわを陛下の銅像と見間違えるなど言語道断、無礼も甚だしいわ!」
銅像に向けて深々と頭を下げているシュナウファーにかみつく。
わらわをあのような中年と間違えるとは。手袋を持っていたら即刻投げつけてやったのに。
「え?! あ―――し、失礼しました! 申し訳ございません、陛下」
「こ、この~~~っ」
怒りに両手をぶるぶる。
こうまでコケにされたことは生まれて一度もない。
この狼藉の始末をどうしてくれよう。咎ある者には容赦ない責めを――――これもわらわの覇王道だ。
あれやこれやと考えて、ふと、違和感に眉を寄せる。
「…シュナウファー」
「は、はい! なんでしょう?」
「わらわはこっちじゃと言うておろう! そなた、目が……」
またもや違う方を向くシュナウファーの両肩をつかみ、正面からその瞳を覗き込む。
分厚いレンズの奥、紅玉のように薄っすらと光るそれが、焦点を合わせるのに苦慮したふうに揺らぐ。その様子を見たわらわの頭から音を立てて血が
引く。
「なぜそれを先に言わんのか! 医務室へゆくぞ!」
「きゃっ?! まっ、待ってください」
「ええい、大人しゅうしておれ! 体裁を気にしておる場合か!」
じたばたするシュナウファーを叱りとばす。
それでなくてもメロン大の膨らみが邪魔をして抱えづらいというのに。
「で、ですから待ってください! 目の不調ではないんです。いつもの眼鏡を壊してしまって」
いざゆかん、と踏み出しかけた足を止める。
射殺さんばかりに眼力をこめ、腕の中にある紅玉を見下ろした。
「……眼鏡、だと?」
「はい。えっとその……すみません」
「すみませんで済むと思うか! このわらわをたばかったあげく、あまつさえ途方もない心配をかけるとはっ!!」
縮こまる様子にかまわず怒号をうつ。
引いた血が一気に戻ってきた。まったく腹立たしいったらない。
「え……心配?」
「うっ―――こ、言葉の綾じゃ! それだけわらわが徒労を感じたという意味で……本当じゃぞ? わらわはそなたのことなど、これっぽっちも」
「ありがとう、ございます」
「~~~~~っ」
ぐぬぬっと押し黙る。
こやつはなにを勘違いしておるのか。
物事を都合よく解釈するのは凡人のなせるわざ。わらわのライバルがそのような体たらくでは困る。
「ふん、まあよい。ときにシュナウファー。そなた、食事はとったのか?」
「い、いえ。食堂には今から行こうと」
「じゃが、その眼鏡は度が合っておらんのだろう?」
「はい。でも、これしか替えがなくて……。夕方には新しいものが届くのですけど」
視線を感じてか、シュナウファーは眼鏡のふちを触ってもじもじ。
ドクンと、胸の奥で音が鳴る。
「その状態で行ってもさっきのようになるだけじゃ。給仕に申し付けて食事を運ばせるゆえ、自室で待っておれ」
「…わかりました。下ろしていただけますか」
聞き分け良くうなづいたその紅玉に翳りがさす。
ドクンと、ふたたび胸の奥で音が鳴る。
何をやっておるのだ、わらわは。早く下ろさんとまたシュナウファーがおかしな勘違いをするではないか。
そのとき、通路の先に見回りだろう衛兵の姿が見えた。
「おい、そこの!」
「はい! なんでございましょうか、姫」
呼べば即座に駆けてくる。
ほほう、なかなか見所のあるやつじゃ。
「今すぐ食堂へおもむき、シュナウファーの部屋まで食事をもて」
「は! 承知いたしました」
「そ、そんな、見回りの方を用立てるなんて」
慌てた様子のシュナウファーが止めようとしてくる。
だが、その程度は予想済み。わらわはシュナウファーの頭越しに指示を出す。
「よいな? 二人分だぞ」
「ですから私用でそのような命令は………え?」
首をかしげて目をぱちぱち。
普段は深刻げな顔ばかりしているが、こういう表情を浮かべると存外幼い。
「シュナウファー。そなた、今日が誕生日であろう? そのような日にひとり食事をとるのも味気ないものだ」
「ハインリーケさん……」
「ふん! 他意ならないぞ。これはノーブレス・オブリージュ、貴族としての務めじゃ」
頬に感じる熱を無視して言い放つ。
わらわには生まれついての責務がある。守るべきことわりがある。
「それに、わらわもまだ昼食をとっておらぬゆえな」
「は? 姫様は先ほど昼食をとられたのでは」
「お、おまえはさっきの奴かっ?! ――――余計な事を言うでないわ、この愚か者が! さっさとゆけい!」
大いに焦り、その尻を蹴っ飛ばす。
つんのめるように走り出した彼奴の背が遠ざかっていく。
「ま、まったく、このわらわを誰かと間違うなど無礼千万じゃ。あやつは後で折檻してくれる」
「あの……」
「なんじゃ――!」
「ありがとう、ございます」
「~~~~~っ」
ぐぬぬっと押し黙る。
またしてもこやつは都合の良い勘違いを。
「もうよい! ゆくぞ!」
正面に顔を戻し、風を切って歩き出す。
シュナウファーの部屋は第1夜間戦闘航空団の最奥だったな。
「あっ?! 自分で歩きますので下ろしてください」
「聞こえぬ。黙ってそこで大人しゅうしておれ」
じたばたする荷物にかまわず突き進む。
この基地にわらわの行く手を阻もうとする者はない。
ただひとり例外がいるとしたら――――それはシュナウファー、そなたのみじゃ。