ブリタニア1944 早咲きの桜の下で
『如月は十七日、
村外れの丘、
桜の下にて待つ。』
おもむろにそんな文面の手紙が届いた。
どう見ても果たし状なのだが……、ブリタニアまで扶桑の言葉で手紙を送りつけた人物には興味がある。
ミーナは不審に思っていろいろ出所を探っているようではあるが、私は結果を待たずにその待ち合わせの場へと赴く事にした。
辿り着いた丘の一角。
驚いた事にそこは春に彩られていた。
記憶にある物よりも少し濃い目の色をした桜が今まさに満開となり、私にここがブリタニアだという事を暫し忘れさせる。
幻想的な光景にしばし目を奪われ立ち尽くし、不覚にも郷愁の念に囚われ、扶桑の日々を思い出して目頭が熱くなる。
そんな私の背後から若い女性の声がかかった。
「どうだ、なかなかのもんだろう」
声の方を見ると、ござを敷き胡坐をかいて杯を煽る見知った顔があった。
「黒江大尉」
「久しぶりだな、坂本」
杯を掲げ、片目を瞑って挨拶してくる。
「一体いつブリタニアに?」
「ここの桜はむかーしに同盟結んだ時あたりに植えられたらしいな。ちょっと種類が違うんで扶桑のとは時期もずれるし色も違う。でも、こういうのも中々乙なもんだろ?」
私の質問を無視して桜の解説を始める。全くマイペースな御仁だが不思議と憎めない。
「こっちへきなよ。折角だから扶桑撫子のお酌がほしい」
「はっはっは、それならば手酌でも条件は満たすんじゃありませんか?」
「あっはっは、私は撫子って柄じゃないさ。陸はがさつでいかん。お前とか竹井みたいなのじゃないとダメだろう」
「はぁ、あんまり変わらないと思いますが、私でよろしければ」
言いながら近付いて傍らに腰を下ろす。
数本用意してある日本酒の一升瓶のうちふたの開いているものを手に取り、黒江大尉の杯へと注ぐ。
「いつ、こちらへ?」
改めての質問。
「一週間ほど前だな。本当は武子と一緒にここに来るはずだったんだが、あいつの方の予定が合わなくなって、ね」
「そういう事ですか。でも、何故あんな招待状を? あれではまるで果たし状ですよ」
「桜を愛でるなら扶桑人同士にしたくてね。それから他にもある……」
黒江大尉が一度言葉を切り、ただでさえ近かった顔の距離を詰めてくる。
「一つは今年で上がりを迎える後輩の顔を見に来た、って言うのはどうだ?」
「黒江大尉……」
「知り合いに世話焼きが多くてな。ま、私もその一人ではあるんだが……どうなんだ? 坂本」
「私は……」
まだ実感がわかなかった。
確かに魔力の衰えは感じている。
リバウで飛んでいた時よりも明らかに今の私の魔力は落ちているだろうと思う。
だが、衰えた魔力は気力と技術によって補完され、振るう刃の冴えは今こそが絶頂期だと感じてもいる。
何よりも私に勇気を与えてくれたのは上がりを迎えても飛び続けるこの黒江大尉やアフリカで活躍する加東少佐の存在だ。
だから、私も飛び続ける、そう言いおうとした。
直接言葉で感謝と決意とを伝えたかった。
しかし、その言葉を最後まで紡ぐ事は出来なかった。
不意の殺気を感じ取り、魔力シールドを展開。
そこに重い斬撃が来た。
勢いを殺すためにそのまま後方へと飛びずさる。
「流石坂本、よく受けた」
「一体何のつもりです!?」
「現役のシールドは流石だな、ストライカーの強化なしで私の刃を止めるか……ふふっ、ならば遠慮なく行かせて貰うぞ」
「くっ!」
こちらの問い質しを無視して次の一撃が来た。
間合いを取る事で薙ぎ払いの斬撃を回避し、自身の刀を抜き、構える。
「よし、抜いたか。それでいい」
錯乱している様子も、酔っている様子もなかった。
だが、振るう刃に本物の殺気が込められているのも確かだった。
「やめてください!」
叫びながら刀で攻撃を受け流し、受けきれないものはシールドで止める。
「私はお前が『やる気』だって聞いたぞ。だったら上がりのウィッチの攻撃程度でシールドに頼るな!」
「ぬぅ……」
言っていることは尤もだ。
目の前のウィッチがそれを実践しているのだ。
ならば、応えるしかあるまい。
「ッ!」
安易にシールドに頼らず、体捌きに集中する。
心をよぎるのは死ぬかもしれないという恐怖と、その恐怖を凌駕する高揚感。
黒江大尉は私の憧れであり、目標の一つだった。
初めて顔を合わせたのはウィッチの養成校に入って間も無くの剣道の稽古だ。
出稽古に来ていた黒江大尉との竹刀を合わせ、以来一度も試合での勝ち星が無い。
お互い10代で3年の開きがあれば、その実力の差は歴然となる。
年下の側が才に秀でるのであれば逆転はありえるかもしれない。
だが、年上の側が才に恵まれた上に努力、研鑽を積み重ね続ける限り、その差は永遠に越えられない山脈となって二人の間に横たわる。
しかし、今この瞬間、魔力、気力、体力ともに充実した私ならば、黒江大尉を超えられる気がした。
細かい理由など要らない。ただ、目の前に偉大な先輩を超えるチャンスが訪れたとそう思えばいい。
間合いを取り、暫しの瞑目の後に覚悟を決め、眼帯を外し、正面に刀を構える。
見据えた視線の先、黒江大尉がにやりと笑う。
それが応の証。
二人の間に絶対的に強固な信頼関係が構築された事を感じ取り、踏み込む。
呼吸、足の運び、指先の緊張、瞬き、発汗、鼓動……今まで僅かな誤差を持って刻まれていた動きが一つの物へと成っていく。
お互いの手には真剣。
一瞬の過ちが互いの命を刈り取るであろう剣舞を舞い散る桜が祝福する。
黒江大尉の動きは速く、その一撃は重い。
魔眼を以ってその動きの始点を見切り、機先を制することで優位を確保。
次第に黒江大尉の打ち込みの手が減り始める。
だが、同時に違和感を覚え始める。
おかしい。
私の切っ先は確実に黒江大尉の出足を殺していて、攻め手の主導権はこちらにある。
あるがしかし、この場の空気とも言うべきものを出会った時から相変わらず黒江大尉が支配している気がした。
不意に黒江大尉が構えを解いて目を閉じ、私の刃をその刀で受ける事を放棄した。
違和感は確信に変わる。
打たされている。
私は初めと変わらずに刃を打ち込み続けているというのに、両手をだらりと下げて瞑目する黒江大尉の身体に触れることすら出来ない。
理解した。
攻撃の気配と殺気、僅かな動きの視点を私の魔眼が見切る事を見越した黒江大尉は、それを積極的に見せる事に依ってこちらの攻撃を誘発し、操り、支配する。
既に術中に嵌り、私は徒に体力と魔力の消費を強いられていた。
それでも攻め手を緩める事は出来なかった。
構えなど無しにも何時何処からの一撃でも「お前を殺すぞ」という気配の起点が生まれては消え、私はそこから襲い来る恐怖を払う為、必死に踏み込んで斬り、突き、払った。
「情けない。そして浅はかだ。魔力にさえ頼めば私を凌駕できるとでも思ったか?」
「くっ……」
黒江大尉の突き放すような声に、尚早と疲労から苦悶が漏れる。
それが一瞬の隙になった。
無造作な動きで踏み込んだ黒江大尉の左手が私の首を掴んで、思い切り振りぬかれた。
「かはっ」
数メートルを投げられ、したたかに桜の幹へと背を打ちつけ、咳き込む。
「どうした? 終わるか?」
「もう一本!」
「そうでなくちゃな、立て!」
痛みを堪えて立ち上がり、刀を構え直す。
その切っ先の迎撃範囲に対し、再び殺気も無しに無造作に踏み込んで来る黒江大尉。
慌てて刃を払って追い払おうとするも既にその左手は私の右手と鍔を掴み込み、私の剣を殺していた。
そのまま上半身を押し込まれ、再び桜の木へと背中を押し付けられる。
押さえ込まれた上に互いの身体に挟まれたせいで腕は動かせず、上半身同士が密着した状態で睨み合う。
いや、既に気負けしていた私は睨むと言えるほどの眼力をこの眼に宿らせる事ができず、ただ、その瞳を覗き込むことしか出来ていない。
「……」
黒江大尉が息を吐いて視線をずらし、一度私の肩にあごを乗せるようにする。
「なぁ、お前もう下りろ。がちがちになりすぎて滑稽なだけだぞ。でなきゃ……」
下りろという言葉、私には重い言葉。
「黒江大尉……私、わひゃっ」
反論しようとした私の耳にペチャっというえも言えぬ感触。
「くくくっ、扶桑撫子の耳たぶはいい味がするな」
「な、何をっ!?」
「耳たぶを噛んだんだ。唇でな」
何を当たり前のことを聞いているんだ?とでも言うような表情で顔を正面に持ってきてからいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「そ、そんな事はっ」
「まぁ、分かってるだろうな。ホラッ」
遮ってそう言いながら軽く拳を作った手の甲で私の胸の中心を叩き、そのままバックステップして距離をとる。
「恐れんなよ。それと、難しく考えんな。力抜いてもっとのびのびと打ち込んで来い」
「黒江大尉……」
確かに初めから、ずっと緊張しっぱなしだった気がする。
自分が手にしている黒江大尉に対してただ一点の優位を魔力の強さだと思い込んで戦っていた。
しかし、優位などは……そんなものは無かった。
二人の関係は初めて会ったあの日から変わらず絶対的な力の差があり、彼女の存在そのものが聳え立つ巨峰そのものだった。
大きく深呼吸してからその山を見上げれば、なんと登り甲斐があるのだろうと感嘆する。
「来いよ坂本。稽古をつけてやる」
改めて構えを取る黒江大尉。
もう一度深呼吸、自然体として大地に立つ。
この身を包む大気は冷たいが、それ以上に開放感を欲して上着を脱ぎ、靴を放り出し、髪を解いた。
更に意識して魔眼を閉じる。
余計なものを削ぎ落とした等身大の坂本美緒として、剣士黒江綾香の前に立つ。
「いい空気だ」
その一言と共に魔のクロエが神速の踏み込みを見せる。
動きが視えた私はだらりと落としていた右手を引き寄せ、首を刈り取ろうとした真剣の一撃を受け止めてそのまま鍔迫り合いへと持ち込む。
「よく受けた。受けてくれなきゃ色んな奴にわたしが殺される所だったぞ」
「冗談がきついですな」
「冗談じゃないさ。この交わりの中でどちらが死んでも後悔はしない。しないがしかし、この意思を周りに理解してもらうのが面倒だとは思わんか?」
「違いない」
自然に笑みがこぼれ、そこから先は無邪気なチャンバラだった。
無論一瞬のミスが死に繋がる事は変わらない。
それでも互いの剣閃の交錯が楽しくてたまらなかった。
いつしかお互い疲れ切って大地を背に頭の天辺を向け合って大の字になっていた。
見上げるのは青空と桜。
「坂本」
「はい」
「何でもない」
「ははっ」
「ふ……」
風が吹いて桜が舞う。
もう一度黒江大尉が口を開いた。
「坂本」
「はい」
「酒を」
「お酌ですか?」
「ああ」
「はっはっは、仕方の無い御仁だ」
適度な心地よい疲労感を抱えた身体で立ち上がり、酒瓶をとりにいく。
「ほんとはな、凹まして諦めさせようと思ったんだ。でも惜しくてな。発破をかけた」
「黒江大尉」
「そしたら見る見る動きが良くなるじゃないか。そうなるとこっちも楽しくってな」
「……」
「お前を繋ぎとめるつもりが気が変わったんだ……お前は自分の信じる道を行け。回りの雑音なんぞ気にするな……って、私がこんな事言ったのは秘密で頼むぞ。色々心配性な連中に半殺しにされかねん」
「はっはっは。ご心配なく」
笑いながら酌をする。
黒江大尉はその酒を豪快に飲み干す。
「そーだ坂本、お前ちょっと『おめでとう』って言ってみろ」
「え? ……おめでとう、ございます……」
きょとんとして言った私の祝福の言葉に満足したのか、黒江大尉はニカッと笑って抱きついてくると背へと回した腕で私を引き寄せつつ「お前も飲め」と頬を寄せて囁く。
「私は酒は……」
正直、私は下戸で酒は飲めない。
「知ってる。お前用にサイダーの瓶も持ってきてる」
「用意がいいですね」
好意を受け取らない理由はなかった。
酒とサイダーで乾杯。
程よく身体が冷えて二月の冷気が浸透してきた所に、酔いで発熱した人肌が作り出す温もりが心地良い。
後は二人で盃と瓶を傾けあって騒いで楽しんで、そんな酒宴は日が傾く頃にミーナと加藤の両中佐の登場によって幕を閉じた。
「半年後でも一年後でも、またやろうぜ」
黒江大尉はそういって茶目っ気たっぷりに笑って片目を瞑り、扶桑刀一本だけ持って加藤中佐の車に乗った。
半年、か……。
先輩の明るい姿を見て、自分の半年後が少しだけ気楽に迎えられるようになった気がした。