音よ伝えて


 それは少し前の、ある冬の日の出来事から始まる。
「サーニャちゃんにお手紙が届いてたよ!」
 芳佳は相変わらずの屈託ない笑顔でそれを手渡した。
「ありがとう、芳佳ちゃん」
 サーニャの元に届いた一通の手紙。
 それは彼女もよく知っている人物からのものだった。
「……ニパ、さん……?」


   ― 音よ伝えて ―


 その日のサーニャはいつもと少し違っていた。
 夜間哨戒を終えた後、服を脱ぎ散らかしてわたしのベッドに飛び込み、そのまま眠り込んで
しまうはずのサーニャ。
「エイラ、起きて」
 そのサーニャに、わたしは揺り起こされたのだ。
「んぅ……あれ、サーニャ……?」
「おはよう、エイラ」
「おはよう……」
 わたしの視界で天使が微笑んでいる。
 いつものように彼女がベッドに倒れ込む衝撃で目覚めるはずが、とても優しい起こされ方を
したせいか、まどろみが抜けずに思考がうまく働かない。
「エイラ、今日はいい天気よ。せっかくだから、出かけましょう」
 その言葉で瞬時に意識が覚醒する。
「お、おう!……あれ? でもサーニャ、寝てなくて平気なのか? 疲れてないか?」
「わたしは平気よ。さあ、準備しましょう」
「う、うん!」
 今日のサーニャは妙に機嫌が良い。よくわからないが、彼女が嬉しそうなのは良いことだ。
 わたしもサーニャも非番だし、戦線も小康状態を保っているので、外出許可は問題なく下り
るだろう。わたしの心もサーニャの笑顔につられるかのように晴れていった。

 そんなわけで、どこに出かけようか迷っていたところ、市街地のローマまでバルクホルン大
尉とハルトマン中尉が買い出しに行くとのことだったので、同行させてもらった。
 バルクホルン大尉の運転は安全堅実なものだった。わたしは本当に安堵した。イェーガー大
尉が運転したら「すごい」ことになるのは五〇一のメンバーは誰でも知っている。そんな車に
サーニャは乗せられない……。
「集合時間は一三〇〇時、場所はここだ。昼食は各自で。私とハルトマンは基本この区画にい
るだろうから、何かあったら呼んでくれ」
「わかりました」
「それでは解散。行くぞ、ハルトマン」
「トゥルーデ、お菓子買おう! お菓子!」
「お菓子は先日あんなに買ったばかりだろうが!」
「あんなの数日分だよ、とっくになくなっちゃった~」
「まったくいつもいつもお前という奴は、カールスラント軍人としての自覚が……」
 カールスラントコンビは相変わらずの調子で店の並ぶ通りへと消えていった。
「わたしたちも行きましょう、エイラ」
「うん!」

 わたしとサーニャはのんびりとローマの喧騒を楽しんだ。
 いろんな店でサーニャが気に入りそうなかわいいもの、ミヤフジあたりが好きそうなヘンテ
コなもの、他にもいろんなものを見て回った。そして今は、小さなトラットリアで昼食を楽し
んでいる。なんて豪華な休日なのだろう!
 ……ふと思ったのだけど、もしかしてこれって、俗に言う、デ、デートってやつじゃないカ!?
「エイラ」
「んっ……ナ、ナンダ!?」
 そんなことを考えているときにサーニャが話しかけてきたものだから、パスタを噴き出しそ
うになったがなんとか堪える。
「エイラは、何か欲しいものはないの?」
「欲しいモノ?」
 確か、前にどっかで聞いた話だと、こういうときに「君が欲しい」とかそう言って……って、
そんなこと言エルワケナイダロバカー!! 何を考えてるんだワタシハー!!
「ないの?」
「エ、ア、うん、えっと」
 わたしが欲しいものを考える。もちろん、わたしの目の前の少女をねだるのは却下だ。
 それ以外で!……それ以外で……。
「……特に、ないかな」
 行き着いた答えはそれだった。
 わたしは今でも十分に満たされているのだ。衣食住も備わり、趣味の占いの道具だってある。
ミーナ中佐が便宜を図ってくれるから、窮屈な思いもほとんどしない。それに――。
 目の前の、一番大切な少女の顔を見る。
「……サーニャ?」
 その表情には落胆の陰りが見えていた。
 いけない、わたしがサーニャを悲しませてどうするんだ。
 そうだ、せっかくだし、わたしがサーニャにプレゼントを贈るのもいい。資金も十分にある。
「わたしのことはいいんだよ。サーニャは何か欲しいものはないのか?」
「わたしはいいの。エイラの欲しいものを訊いてるの」
 わたしの言葉をサーニャがどこか駄々っ子のように突っぱねる。
 遠慮する必要なんてないのに。わたしもどこか余裕を失って彼女の言葉をさらに返す。
「だから、わたしのことはいいんだって。サーニャの――」
「わたしじゃなくて、エイラの――」
 はっ、と、二人揃って言葉を切る。
 何をしているんだろう、わたしたちは。
「ふふっ」
 なんだか無性に可笑しくなって、わたしの口から笑いが漏れた。
「くすっ」
 次いでサーニャの口からも、可愛らしい笑みがこぼれた。
 何をそんなに意固地になる必要があるのだろう。
「ふたりで探そうか」
 今日はせっかくのいい天気なんだから。
「うん」
 わたしの提案にサーニャも同意し、残っていたパスタを平らげた。

「……すごい」
 集合場所に戻ると、サーニャは大量のお菓子が詰まった袋を見て呆けたように言った。
「流石に私も、ハルトマンを抑えるタイミングを誤ったかもしれん」
 バルクホルン大尉がこめかみを押さえている。確かにハルトマン中尉の買い物に付き合って
いると、そのあたりの感覚が麻痺しそうだ。
「だいじょーぶ! これぐらいならあっという間だよ!」
 相変わらずハルトマン中尉に反省の色は見えない。
「大尉はなんだかんだで中尉に甘いんだよなー」
「……ハルトマン、明日からはこのお菓子のカロリー分、しっかりと訓練するからな」
「えぇー……寝てれば勝手に消費されると思うよ」
「本当にお前という奴は……!!」
「あの、そろそろ基地に戻った方が……」
 長くなりそうだと察したのか、サーニャがおずおずと進言した。
「っと、そうだな。ハルトマン、続きはまた後でだ」
 そう言い残し、バルクホルン大尉は運転席に乗り込む。
「ほーい。ありがと、さーにゃん♪」
 こちらにウインクを残して、ハルトマン中尉も助手席に軽やかに乗り込んだ。
 わたしとサーニャも物資の積んである荷台に腰を下ろすと、車が動き始めた。
 しばらく遠ざかっていくローマを眺めていると、ふと肩に重みを感じた。
 見ると、サーニャがわたしの肩に寄りかかって寝息を立てていた。よく考えてみれば彼女は
夜間哨戒を終えた後わたしを起こしてそのまま出かけたわけだから、一睡もしていない。
 その時、今日という日の意味をようやく思い出した。
 今日は二月二十一日。
 車から伝わる揺れと彼女の温もりが心地よく、わたしの意識を包んでいった。
 ……自惚れるつもりはないけれど、そうだったらいいな、と思った。

     ◇

 基地に戻り、サーニャとふたり、おぼつかない足取りで部屋に戻り、少しだけ仮眠を取った。
 目覚めてサウナでリフレッシュした頃には日も暮れて、夕食を摂るために食堂へ向かおうと
すると、
「エイラ、今日はこっちよ」
 サーニャに言われるまま、食堂とは別の場所へ向かう。
「ミーティングルーム? なんで?」
「いいから」
 扉を開けると、五〇一メンバーが全員揃っていて、
「お誕生日おめでとうございます、エイラさん!」
「おめでとうございます!」
「みんな……」
 持ち込んだテーブルの上には、ミヤフジとリーネが用意したであろう料理や飲み物がずらり
と並んで、パーティーの準備は万全のようだった。

 飲み物を渡され、ミーナ中佐の音頭で乾杯。わたしの誕生日パーティーが始まった。
 の、だけれど。
「さあさ、お菓子もたくさんあるよ!」
「うにゃーっ! おっかし! おっかし!」
 昼にハルトマン中尉が買い漁ってきたお菓子にルッキーニが目を輝かせていたり、
「まったく、リベリアンもそうだが、こういう時に羽目を外しすぎるから苦労する」
「相変わらず堅物だなぁ、せっかくの祝いの席で野暮なことを言うなよな」
 バルクホルン大尉とイェーガー大尉が仲良く(?)言い合いながらイモをつまんでいたり、
「わぁっ、これおいしい! 流石リーネちゃんだなぁ」
「そんなことないよ、芳佳ちゃんの作ったこの煮物だってすっごくおいしいよ!」
 ミヤフジとリーネが互いの料理の味を見て褒め合っていたり。
「いつもとあまり変わらないじゃないか……」
 まぁ、それも悪くない。というか、いつも通りでも良かったのにな。
「エイラ」
 隣にいたサーニャがわたしを呼んだ。
 何か言いたげな顔をしていたが、その言葉が出る前に別の方向から言葉が飛んできた。
「お誕生日おめでとう、エイラさん」
「ミーナ中佐」
「ごめんなさい、みんな好き勝手やってるみたいだけど、怒らないであげてね」
 このパーティーには、わたしの誕生日を祝うというだけでなく、普段の任務の慰労という側
面もあるのだろう。
「いや、そういうのを気にしてるわけじゃないんだけどさ」
 少しだけ、昔のことを思い出す。
「こんなに派手に誕生日を祝うなんて、あんまりなかったから」

 スオムスにいた時もニパたちは祝ってくれたけど、こんな風に派手に祝ってくれる余裕なん
てなかった。熱いカハヴィを酌み交わし、ささやかな祝いの言葉をくれるだけの小さく幸せな
誕生日に慣れてしまっていて。
「盛大に祝ってもらっちゃっていいのかな、って、申し訳なくなってくるんだよ」
 こういう誕生日もちょっと夢見ていた気もするのだけど、実際やってみるとなんだか肩身が
狭く感じてしまう。
「気にすることはないぞ、エイラ」
 坂本少佐がミーナ中佐の隣に並んで、穏やかで力強い口調で言った。
「お前はその戦果で我々五〇一、お前の祖国スオムス、そして人類に大いに貢献しているんだ。
何も恥じる必要はない。胸を張れ」
「坂本少佐の言う通りですわ。今日はあなたが主役なのですから」
 そしてそのまた隣に立って続けるペリーヌ。
 どこまで腰巾着なんだよ、お前は。
「……ツンツンメガネ」
「その呼び方はやめてくださらないと何度言ったら!」
 うん、そうだな。
 せっかくの祝いの席で野暮なことは言いっこなし、だ。
「ありがとな」
「えっ?」
 わたしが感謝の言葉を口にすると、ペリーヌは混乱したように動きを止めた。
 素直にありがとうと言えるかわからなかったけど、意外とすんなりと口から出た。
「ま、まぁ、わかって頂ければよろしいのですわ! おめでとうございますわ、エイラさん」
 本当にペリーヌはからかうと面白いやつだ。これ以上言うと怒るから、言わないけれど。
「さぁて、今日のスペシャルゲストだ!」
 イェーガー大尉がそれを机に置いた。
「レコード? なんでまた」
「それは聞いてからのお楽しみさ」
 サーニャに手を引かれ、ソファに腰を下ろす。他のメンバーも各々の話題を打ち切り、静か
にレコードを注視する。
 大尉が慣れた手つきでレコードプレイヤーに一枚のレコードをセットして針を乗せた。

〈……ニパさん、もう始まってるみたいですよ〉
〈え、あ、もういいの?〉
 そこから聞こえてきたのは、かつて共に空を翔けた同僚――ニッカ・エドワーディン・カタ
ヤイネンの素っ頓狂な声だった。
「ニパ!?」
〈こほん……えっと、イッル、聞こえるか?〉
「お、おう、聞こえてるぞ」
〈念のため言っておくけど、これは録音したものだから、返事してもこっちには聞こえないか
らな?〉
「う……」
 ミヤフジたちがくすくすと笑いを漏らす。あとでおぼえてろ。
〈本当は手紙だけで済ますつもりだったんだけど、こっちの、五〇二のみんなに目をつけられ
ちゃって……せっかくだからもっと面白くやろうってなってさ。正直私も、ちょっと楽しそう
だから、提案に乗ってみた、ってわけ〉
「バカだろ、あいつ……」
〈あの『ダイヤのエース』と名高いエイラ・イルマタル・ユーティライネン中尉だね、話はニ
パ君からよく聞いているよ。ボクはヴァルトルート・クルピンスキー中尉だ。もし今度五〇二
を訪れる機会があったら、是非ともボクにエスコートさせて頂きたいな〉
〈こら、伯爵! あんた、他人の手紙の相手にまで手を出すつもり!?〉
〈堅いことを言わないでくれ、エディータ。ニパ君の戦友はボクにとっても大切な仲間さ〉
〈そんなこと言って、また変なこと考えてるんでしょう?〉
〈そういえばそっちにはエーリカ達もいるんだったね。元気にしてるかい? また機会があっ
たら親睦を深めようじゃないか〉
〈人の話を聞きなさい!〉
〈あ、あの、これも全部その、イッルさん? に聞こえるんですよね?〉
〈……まぁ、こんな所だけどなんとかやってるよ〉
「ニパ……」
 以前送ってきた手紙でも、いろいろと賑やかなところだ、と書いていたが、実際に音声を聞
くと本当に大丈夫なのか少し心配になってきた。
 どうやらこのクルピンスキー中尉というのは、話題にしていた〈ブレイクウィッチーズ〉の
お仲間らしい。
 でも、ニパが生まれつきの不運で損害を出してきたのは昔からのことだが、そんな面での同
士が出来たのは、あいつにとってはいいことなのかもしれない。
 ……いや、隊の運営面から見れば全くいいことではないのだけど。
 レコードからは送り主のニパを差し置いて、五〇二のメンバーの賑やかな音声(主に痴話喧
嘩)が流れ続けている。
「なんだか楽しそうなところですね、五〇二って」
「あはは、クルピンスキーもロスマン曹長も元気そうだね」
「クルピンスキー中尉か、あの享楽主義者め……ロスマン曹長も苦労しているようだな」
 ミヤフジは相変わらず能天気だ。ハルトマン中尉とバルクホルン大尉はどうやら痴話喧嘩の
主の顔見知りのようで、それぞれの反応を見せた。
 カールスラントにもあんな奴がいるんだな……それを言ったらハルトマン中尉もだけど。
〈皆さんお静かに! 今はニパさんのお話の途中です!〉
「サーシャさん……」
 騒がしい場を取り仕切る声を聞いて、隣のサーニャが小さくつぶやいた。確か、同じオラー
シャのウィッチで、ポクルイーシキン大尉、とかいう名前だったっけ。

〈気を取り直して。……誕生日おめでとう、イッル〉
 ニパのやつめ。
 素直に嬉しいと思った。今年は幸せな誕生日だな、とも。
 夢見ていた盛大な誕生日と、以前と変わらないささやかな誕生日、その両方が一緒にやって
きたのだから……。
〈それでなイッル、せっかくこうしてレコードで音声を送るわけだから……〉
 なんだかニパが急に恥ずかしそうに声を出した。
 姿が見えなくても、もじもじとした所作が浮かんでくるようだ。
〈その、私の歌で、よかったら、聞いてやってくれないかな、って〉
「歌……」
 ニパが、歌。
 まさかの展開に驚きを隠せない。
〈実は、サーニャさんにいろいろ相談したりしてたんだ〉
「えっ、そうなのか?」
「うん」
 隣のサーニャに確かめると、素直に肯定した。
〈それでレコードの話をしたら、せっかくだから歌を録音したらどうかって……〉
 なるほど、サーニャの入れ知恵だったのか。
 確かにニパひとりだったら歌を入れようなんて思いもしないだろう。っていうか、レコード
ってそのためのものだろうに。
〈ニパ君はずいぶん前から今日のために練習していたからね。祝ってもらえる彼女は幸せ者だ〉
〈ちゅ、中尉!〉
〈いいから伯爵は黙ってなさい〉
「ニパ……」
 サーニャが立ち上がり、ピアノの前の椅子に座る。
 そして私の前のテーブルに置かれる、蝋燭の灯ったバースデーケーキ。
〈それじゃあ、みなさん、せーのっ〉
 レコードから流れてくるのは誕生日につきもののあの曲の前奏。どうやら五〇二のメンバー
のアカペラのようだ。ちょっと調子はずれな声がなんともユニークだ。
 そして、その前奏に上手く合わせてピアノで伴奏をこなすサーニャ。
 五〇一・五○二メンバーによる大合唱を、わたしはただ静かに聴いていた。
 そして曲の終わりと同時に、蝋燭を吹き消す。全ての炎が消え、拍手が起こった。
 正直言って、泣きそうだった。
 サーニャとニパがこんなことを企んでいたなんて、思いもしなかった。
 ていうか、ニパのやつ、何やってるんだよ。
 ただの「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」をわざわざ練習したのかよ。しかも他のメン
バーに圧されてちょっとずれてるじゃないか。
 ――本当にバカだな、ニパは。

〈最後に〉
 拍手が収まり、レコードも締めに入ったようだ。
〈私もイッルも、いわば対ネウロイの最前線にいるわけだから、なかなか持ち場を離れるわけ
にはいかないけど〉

〈また会える日を楽しみにしているよ〉

「うん」
 届かないとわかっていたけど、それでも言わずにはいられなかった。
「私も、楽しみだぞ」
〈それじゃイッル、良い誕生日を。サーニャさんもありがとう〉
〈……ところで、そのサーニャさんっていう子も、ニパ君の友達なのかい? もしよかったら
ボクにも紹介を――〉
〈クルピンスキー中尉! あなたという人は――〉
 ポクルイーシキン大尉がクルピンスキー大尉を咎める声でそのレコードは終わっていた。
「いい仲間を持ったな、エイラ」
 坂本少佐が嬉しそうに話しかけてくる。
 本当にそう思う。あいつは不運でバカで、それでもひたむきで明るくて、大したやつだよ。
「まったくニパのやつ、なーにやってんだか」
 ありがとう、ニパ。
 今年の誕生日は、一生忘れられないものになりそうだ。


                                         もう少しだけ、つづく


続き:1538

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