getting muddy
朝食を前に、自室前の廊下の壁にもたれ、横の窓から外を見るウィッチが一人。
おさげの髪が、窓から入り込むそよ風にゆらりゆらりと揺られ、毛先が乱される。
外は雨上がりの清々しい晴れ……しかし彼女の顔は曇ったまま。
偶然通り掛かったシャーリーは、その陰鬱な雰囲気を背負ったままのカールスラントの大尉を見つけ、よっ、と声を掛けてみた。
「どうした堅物。何か外に面白いモンでも有るのか?」
「……」
無言でちらりとシャーリーを見、またぷいと外を見るトゥルーデ。
「何だ、瞑想でもしてるのか? まあとりあえず朝飯位食えよ」
シャーリーはこれ以上は付き合いきれないとばかりに、早々に見切りを付け手を振りその場を離れようとした。
「お前は」
「ん?」
思わず立ち止まるシャーリーに、同僚の大尉は重い口調で問い掛けた。
「泥をすすった事は有るか?」
「はあ? 泥? 何言ってんだバルクホルン」
「私は……」
輝きが失せ、澱んだ目で言いかけたトゥルーデ。
どん、と背中を叩かれ、うっ、と呻く。
衝撃を与えたのはエーリカ。
「まーた、何一人で暗くなってるの。シャーリー困ってるじゃん」
慣れた手つきでぐい、と首根っこを掴む。
「いや、あたしは別に構わないよ。割といつもの事だしさ」
軽く笑って済ますシャーリー。エーリカも日常茶飯事とばかりにぐいぐいとトゥルーデを掴む。
「ま、そうだけど悪いし~」
「こら、ハルトマ……」
エーリカに何か言いかけたトゥルーデは、エーリカにぐいと手を引かれた。軽く触れ合う唇。
「と言う訳で、悪いねシャーリー」
不機嫌そうな大尉を無理矢理黙らせたエーリカは、笑顔を作ってにやけてみせる。
二人の様子を見せつけられたシャーリーは、やれやれと苦笑すると、今度こそ手を振って別れ、食堂に向かった。
「今朝は親子丼ですよー。しっかり食べて元気つけて下さいね」
芳佳が腕を振るって、朝から丼物を作る。真っ先に席についたシャーリーに、熱々の丼をひとつ渡した。
その食べ物を見たシャーリーは仰天した。
「お、おい、これ!」
芳佳はええ、と頷くと得意げに説明した。
「親子丼ですよ。今日は朝から訓練って聞いたので、皆さんに元気つけて貰いたくて、リーネちゃんと二人で頑張りました!」
「い、いや、その気持ちは嬉しいんだけどさ」
シャーリーは困惑しながら丼の中身を指差して言葉を続けた。
「卵に火通ってないぞ? これ半生じゃないのか? 食えるのか?」
「あれ、シャーリーさん、半熟はお嫌いですか?」
「いや……そもそも生の卵って食えないだろ」
「扶桑じゃ生卵食べますけど」
「いやいや、ここのは大丈夫なのか? てか生の白身、感触がなんかドロっとしてハナミ……」
「シャーリー、食べる気無くす様な事いわないでー」
焦るリベリアンの隣に座ったロマーニャ娘がぶーたれる。
「ああゴメンなルッキーニ」
「じゃあ、火の通ってる卵のものに換えますね。はいどうぞ」
芳佳は丼をひとつ取り替えてシャーリーに渡すと、自分の席に「半熟」の丼を置いた。
「悪いね」
「宮藤、食事当番であるからには、皆の好みや食の習慣もきちんと把握しないといけないぞ。余り無理強いは良くない」
ミーナと揃って座る美緒が、芳佳に諭してみせる。
「すいません、気を付けます坂本さん。あ、坂本さんは半熟でも……」
「いや、私も火を通した方が」
「はあ」
「宮藤さん、私は何でもいいわよ」
「え、いや、ちゃんと火を通しますから」
笑うミーナに、少し戸惑う芳佳。
結局、改めてしっかりと卵に火を通し、皆に振る舞う事となった。
「うん。まあ、ソイソースの甘辛い感じは良いね」
シャーリーはもぐもぐと食べながら感想を言った。
「卵、次は気を付けますから」
「うん、まあ宜しくな」
「シャーリー、おにくちょーだい!」
言うなりぱくりとシャーリーの丼から鶏肉をかっさらうルッキーニ。
「おい、あたしの肉」
「あたーしぃ、もっとたーくさん食べてぇ、シャーリーみたいなナイスなバディになるの。で、このタマネギ要らないからあげるね」
「そっか。ならもっと食べないとな。でも好き嫌いはダメだぞー」
シャーリーは笑いつつ、ルッキーニと丼の具を分け合う。
隊員達があらかた食事を終え席を立った頃、遅れてトゥルーデとエーリカがやって来た。
お二人が遅いって珍しいですね、何か用事でも? と芳佳は聞いたが特に返事らしい返事はなく、首を傾げつつ二人に丼を渡す。
「扶桑の食べ物だね」
「親子丼です」
「ふーん、面白そうだね。ありがとミヤフジ。さ、食べようトゥルーデ」
「ああ」
二人並んで座り、親子丼を口に運ぶ。
「扶桑の味だね。ちょっと甘めのソースっぽい」
エーリカはそう言うと、美味しいんじゃない? と芳佳に笑ってみせた。良かった、と喜ぶ扶桑の娘。
トゥルーデは無言、無表情のまま、淡々と食事を口に運ぶ。
「どう、トゥルーデ?」
「ああ」
「また、さっきの話?」
「いや……」
「どうしたんですかバルクホルンさん? なんか顔色良くないですけど……別の食事……お雑炊とか作ります?」
「あー、大丈夫だよミヤフジ。ちょっとネガティブ入ってるだけだから」
「は、はあ」
何の事かいまいち分からない芳佳は、無理矢理作り笑いをして見せた。
「宮藤は、泥を……」
「トゥルーデ、もうやめなって」
「え、泥、ですか? 泥がどうしたんです?」
「気にしないで」
「宮藤、お前は泥をすすった事は有るか」
「それは『食べた』って事ですか?」
いきなりの問い掛けに、芳佳は戸惑ったが、一秒きっかりで、きっぱりと答えた。
「それは無いです」
「だよね」
苦笑するエーリカ。
「バルクホルンさんは、有るんですか?」
逆に聞かれたトゥルーデは、何かを言いかけたが、
「口の周り汚れてるよー」
とエーリカに無理矢理ハンカチで口の周りをこしょこしょとくすぐられ、思わずふふっと笑ってしまう。
「扶桑では、とある地方で昔、大飢饉の時に泥の団子を作って食べたって噂話が有ります……あまり良い話ではないですけど」
芳佳はそう説明すると、少し悲しそうな顔をした。
「そもそも泥って、食べ物じゃないですよね。食べたらお腹壊しますし」
冷静に言う芳佳に相槌をうつエーリカ。
「だよね。流石、医者の娘ミヤフジ」
「いえいえ」
「……だが」
それでも何か言いかけたトゥルーデ。
エーリカはちょっとゴメン、と芳佳に目くばせすると、おもむろにトゥルーデを抱きしめ、頬に唇を這わせた。
「ちょっ、ちょっと、止め……」
「止めて欲しいなら、トゥルーデももう止める?」
「わかっ……分かったから……」
「じゃあ約束ね」
エーリカはそっとトゥルーデから離れると、にこっと笑う。
根負けしたのか、暗い表情だったトゥルーデも、苦笑した。少し表情が和らぐ。改めて芳佳に向き直り、口を開く。
「すまなかったな、宮藤。変な事を聞いて」
「いえ、良いんです。なんか私も変な事言ってしまったみたいで」
「気にしないでミヤフジ。あ、リーネが呼んでるよ」
「あ、はい! どうしたのリーネちゃん?」
芳佳はリーネが居る厨房へと、とたとたと早足で戻った。
食卓に二人きりになる。
「トゥルーデの、馬鹿」
「……すまない」
エーリカに言われ、ぼそりと謝るトゥルーデ。
「他の皆にあんな事聞いて、どうにかなるとでも? それで昔の事が変わるなんて事は無いよ?」
「確かに、そうだ」
さっきまでの「過去を引きずるトゥルーデ」ではない、今を生きるその人の瞳。輝きが戻って来る。
たたみかける様に、エーリカは肘でつんつんと脇をつつきながら言った。
「なら、前を向いて進むしかないよね」
「ああ」
お前の言う通りだ、と呟くと、気分転換とばかりにトゥルーデはひとつ伸びをした。
「食べなよ。しっかり味わって。少なくとも泥の味じゃないよ。これは甘めでおいしい、扶桑の食べ物だよ」
既に半分程食べているエーリカがトゥルーデに促す。
「分かっているさ」
「なら食べなきゃ。ミヤフジにも悪いでしょ?」
目の前には、先程と変わらぬ、ほかほかと温かい丼が有る。
冷めないうちにと、再び、二人して親子丼を口にする。
「悪くない、な」
「でしょ? って私が作った訳じゃないけど」
「確かに、扶桑の味だ。何て表現したら良いのか」
「美味しければ美味しい、で良いと思うよ。難しい事は抜きにしようよ」
「そうだな」
そうして再び、食事に戻る。
不意にエーリカがトゥルーデの顔を見て言った。
「トゥルーデ、口元、ご飯粒付いてる」
エーリカはそう言うと、愛しの人の頬に、唇を再度重ねる。
「こっこら! ご飯粒ってさっきお前が付けたんだろうに!」
「ばれた?」
笑うエーリカ。屈託のない笑顔につられ、思わず口元が緩む。そしてしばし黙った所で、口を開く。
「馬鹿だな、エーリカも。どうして、私にそこまで」
即答するエーリカ。
「好きだから。トゥルーデもそうでしょ?」
「ああ」
顔を赤らめてこくりと頷くと、食事を続ける。
厨房の奥からちらちらと視線を感じるが、カールスラントの二人はいつもの事と気にしない。
いつもとさして変わらぬ、食事の風景がそこにある。
end