IF you say... II
とたとたと早足で近付く靴音。そして開けるのももどかしいと言わんばかりの鍵の開け方。
そんな音を出すのは、お姉ちゃんだけ。クリスには分かっていた。
勢い良くドアが開く。
「お帰り、お姉ちゃん」
「今帰った。遅くなってすまない」
「また何かもめ事?」
「いや、いつもの事と言えばいつもの事なんだが……地上勤務は骨が折れるな。面倒臭い仕事ばかりで。
空を飛んでいた方がまだマシだ。ミーナの苦労が今更分かった気がするよ」
「そう言えばミーナさん、お元気なの?」
「彼女はいつだって元気さ」
「良かった」
「さあ、待たせて済まなかったな。今すぐ食事を作ろう」
トゥルーデとクリスは、基地から程近い場所に住まいを借り、そこで暮らしていた。
地上勤務とは言え、まだ軍人であるトゥルーデは、すぐさま基地に行ける様、構えて居た。
しかし病状が快方に向かうクリスの世話もしなければならないトゥルーデは……
今はむしろ、比重がクリスの方に傾きつつあった。
手早く食事を作り、食卓を囲む。琥珀色に周りを照らすランプの横で、つつましくも楽しい団欒のひととき。
「はほへ、ほへえひゃん……」
「こら、口の中にモノを入れたまま喋るんじゃない。何を言っているか分からないだろう。落ち着けクリス」
「ごめんお姉ちゃん。伝えたい事があって」
ごくりと飲み込むと、クリスはトゥルーデに向き直った。
「どうしたんだ。改まって。……言ってごらん」
微笑むトゥルーデに、クリスは言った。
「好きな人が出来たんだけ……」
カシャーン、とスプーンが食器に当たる音。
カタカタカタと、小刻みにトゥルーデの手が震える。
「……な、な、な。なんだってぇー!?」
絶叫いや悲鳴に近い問いを発する姉。妹の答えを待たず、がたんと席を立ち、壁に頭を付けぶつぶつと呟く。
「い、いつかこう言う日が来る、とは覚悟はしていた……だがしかし、早すぎないか?」
トゥルーデは振り返ると、ずいとクリスに詰め寄った。
「何処の誰だ? どんな奴だ? 名前は? 何処の国の人だ? ええい面倒だ、今すぐここに連れて来い!」
どん、とテーブルを叩く姉の手に、そっと自分の手を重ねる。
「落ち着いてお姉ちゃん」
クリスは笑うと、続きを話した。
「病院で知り合った子の話だから。私じゃないよ」
それを聞いたトゥルーデは、ふらふらと席に戻ると、どっかと腰を落ち着け、やや乱れた髪を整え、こほんと咳をした。
「ふむ……。まあ、そう言う事だろうとは思っていた」
「またまた~。お姉ちゃん、うろたえすぎ」
「そ、そんな事は無いぞ!」
「でも、それだけ私を心配してくれてるって事だよね」
「そっそれは当たり前だろう! たった一人の妹をだな……」
クリスはくすくす笑う。
「で、その子に好きな人が出来たから、クリスに相談して、クリスが私に相談、と言う訳か」
「そうそう。お姉ちゃんなら何でも知ってるかと思って」
「任せろ」
頬に一筋の汗が流れるが、これは錯覚だと言い聞かせるトゥルーデ。
「若いうちは、まずハメを外しすぎない事が大事だぞ。お互い節制と節度を持って……」
「お姉ちゃん、教会の厳しい神父さんみたい」
クリスは笑った。
「いや、当然だろう。何か間違いが有ったら困る」
「間違いって?」
「それは……」
「お姉ちゃん達を見てたら、もっと具体的な事を聞けるかと思ったんだけどな」
「私達?」
クリスは、ほら、と、後ろを指差した。
ばたーんと家の扉が開かれる。
「二人共ただいま! あれ、私の食事は?」
エーリカだった。顔に少々疲労の色が出ているが、いつもと変わらない笑顔。
「お帰りエーリカ。遅かったな」
「お帰りなさい、エーリカお姉ちゃん」
「いい子にしてたクリス? ねえお腹空いたトゥルーデ」
「分かった分かった。用意してあるから、まずはその汚れた手を洗ってこい」
「すぐ食べたーい」
「駄目だ。清潔な手で食事をしないと、巡り巡って腹を壊す」
「全く、オヨメさんだよねトゥルーデは」
「なっ!」
顔を真っ赤にするトゥルーデ。にやにやしながらエーリカは洗面所に向かった。くすくすと笑うクリス。
戻って来た頃には、食器は全て並べられ、シチュー、パンに肉料理と、エーリカの分が用意されていた。
「お腹すいたーいただきます」
スプーンとフォークを手に、もくもくと食べるエーリカ。
「どうだ? 隊の任務には慣れたか?」
「トゥルーデ、昨日もそれ聞いてたよ」
「私と違って、お前は不慣れだろうから……」
「つまり心配してくれてるって事だよね」
クリスに言われた事をエーリカにも言われ、頬を赤らめるトゥルーデ。
大丈夫、とエーリカは言うと、シチューのジャガイモを頬張りながら続けた。
「毎日が面白い事の発見でね。トゥルーデやミーナもこんな事してたんだ、とかね。色々」
「大変だろう」
「まあね。でも苦痛じゃないよ」
「本当か? 強がりじゃないだろうな」
問い詰められたエーリカは苦笑いした。
「まあ少しはあるけど、大丈夫だって。それがトゥルーデとの約束でもある訳だし」
「私はいつでも戻……」
「大丈夫」
エーリカは繰り返すと、笑顔を作った。
「トゥルーデが皆を守った様に、今度は私が守るからね」
「ばっ馬鹿……」
そんな姉達のやり取りをみていたクリスは、ぽんと手を叩いた。
「そう、それだよ、お姉ちゃん」
「? 何の事だ?」
「どうして二人はそんなに仲が良いの?」
「聞きたいクリス? 話すと長~くなるよ?」
にやつくエーリカ。興味津々のクリス。
「こらこら二人共やめないか。ところでクリス、その子の話だけど、詳しい事情が分からないと何とも言えないぞ」
「トゥルーデ、話誤魔化そうとしてない?」
「いや違う。クリスにさっき相談されたんだ」
「私も聞きたい」
「聞いてよエーリカお姉ちゃん。お姉ちゃんったらね、私の友達の相談なのに、私に好きな人が出来たって勘違いして……」
「それは見たかったなー。大体想像付くけど」
「あれはクリスの言い方が悪い。誤解を招く」
「トゥルーデも早とちりするからね」
「それで二人に聞きたいんだけど……」
「何でも良いよ?」
パンを頬張りながら笑うエーリカ。「ともだち」の話を始めるクリス。
トゥルーデはそんな二人を目の前に、手にしていたスプーンを持ち直す。ぼんやりと映り込む、歪んだ自分の顔。
つい昨日までの激闘。生きるか死ぬかの戦いの中に居た筈の自分。
それが今はどうだ。大切な二人を前に、腑抜けて間抜けな笑顔を作っている。
こんな事で良いのか?
「いいんじゃない?」
トゥルーデは、エーリカの言葉を聞いて我に返った。愛しの人の顔を見る。
「トゥルーデ、考えすぎだよ」
苦笑するエーリカ。何の事だとはぐらかすも、じーっと見つめられ、逆に答えに窮する。
「良いなあ、お姉ちゃん達。私も早く……」
「わあっ、クリスにはまだ早い!」
焦るトゥルーデの手を引き、エーリカが言う。
「いや、良いんじゃない? その時は色々と教えてあげるよ」
「本当? ありがとうエーリカお姉ちゃん」
「お前が教えるのはろくでもない事ばかりだからな」
「まあまあトゥルーデ」
ほのかに照らされる灯りの下、平和で幸せなひとときが続く。
それは“死線”を潜り抜けた者に与えられる、最高の幸福。
end