夢のかたち


 この広い広い蒼穹に抱かれて、年頃の乙女に似つかわしくない重い重い鉄の塊を抱いて、
 彼女は、酷く独りだった――。



   『夢のかたち』



 第501統合戦闘航空団、通称ストライクウィッチーズ。
 欧州における対ネウロイ戦が激化の一途を辿る中で、全人類の希望として設立された連合国軍統合戦闘航空団。ネウロイへの反攻作戦を視野に入れた文字通りの少数精鋭部隊にして各国の誇る英雄たちの掃き溜め。その第一番目の数字を冠する部隊、ストライクウィッチーズは、同じ蒼空を駆る魔女たちならば知らない者はいないほどのエースの中のエース、その名を地平線の彼方までも轟かせる七人の魔女たちによって構成されていた。
 彼女たちの華々しいまでの活躍はまさに人類最後の砦。露と消えた欧州奪還の日も遠い未来ではないようにさえ思える。
 そのような大勢の中で、対ネウロイという旗の下、連合軍の、引いては全人類の結束を目指して各国は欧州各地に展開する統合戦闘航空団への惜しみない支援を行った。
 その一環として第501統合戦闘航空団、通称ストライクウィッチーズへの戦力拡充が決まったのだ。
 さて、名立たる英雄たちに連なる八人目の魔女は一体誰であるか。ダイヤのエースと同郷の極北のマルセイユか、はたまた侍、魔王と並び称されるリバウの貴婦人か、あるいは空飛ぶ要塞ワンマン・エアフォースか……。熱狂的な人々は日夜予想を並べ立て、ゴシップもまた様々な空論をでっち上げた。
 遥か海を隔てた異国の地の情勢など外の世界の出来事でしかなかった彼女、シャーロット・E・イェーガー少尉にブリタニア行きの辞令が下ったのは、そんな折のことであった。



「ストライクウィッチーズ?」
 最初にその命を聞いたときには俄には信じ難かった。
 ストライクウィッチーズの名を知らなかったわけではない。むしろその有名すぎるほどの部隊名が出て来たことに実感が湧かなかったのだ。それは、蒼空の守り神として歴戦の英雄たちと肩を並べられることへの歓喜や、欧州奪還の要となるであろう部隊へ配属されることへの不安や、人類の明日はこの手で救ってみせるといった意気込み、からなどではなかった。
「なんで、あたしなんかが?」
 それは率直な感想であり疑問であり、諦観であった。
 各国のエースが集うストライクウィッチーズへの転属。それはリベリオンを背負って立つという名誉であり、実質的な昇進の話でもある。だがシャーリーにとってはそんなことはどうでもいい話であった。501への配属、それは良くも悪くも、原隊からの追放という風にしかシャーリーには感じられなかったのだ。度重なるストライカーの無断改造と軍規違反。自由奔放な性格の彼女にとって、軍隊という世界は少々窮屈過ぎたきらいがあった。
 確かに、ストライカーを駆る魔女たちの姿に心を魅かれ入隊を志願したのは他でもない彼女自身である。ただ、このままでは彼女はその目標を達成することが出来ない、かもしれない。そういった焦燥と自らの選択に対する疑問がシャーリーを苛み悪循環の思考へと貶めていた。
 上層部のお偉方にどんな利害関係が築かれているのか。考えても仕方ないと決め込んだシャーリーは、それでもこの昇進は事実上の左遷に他ならないと結論した。
 それならもっとあたしのやりたいようにやらせてくれたらいいのに。
 と内心で悪態をついても今更だと気付き、その意識を遥か海の彼方へと投じた。

 少尉任官後、欧州戦域を転々とした経緯を持っているシャーリーであったが、まだまだ軍に入って日は浅い。
 撃墜数も両の手で数えられるほどでしかなく、目立った戦果もあげられていない。
 何より欧州での悲惨な現状を目の当たりにし、戦場においての根本的な存在理由を模索するようになっていた。

「あたしはなんのために戦っているのだろう……」

 海の向こうで見た空は、かつての輝かしい青さを失い、灰色に閉ざされていた。どんなに快晴な空であっても、何処か濁っているように感じられてならなかった。
 人の気持ちがそうさせるのだろう。
 国を追われた人々。
 大切な誰かを失くした人々。
 欧州の空に上がる乙女たちの多くもまた、それぞれ心の何処かに同じ傷を負った者たちであり、同じ標を追う者たちであった。
 501に集う魔女たちもまた然り。
 祖国奪還を悲願とする者、戦いに全身全霊を捧げる者、家族との再開を夢見る者。
 ストライクウィッチーズの乙女たちが抱える傷の深さは、シャーリーが未だかつて触れたことのない、もちろん身を以て体験したこともない、ものであることは容易に想像出来た。
 その想像が故に、シャーリーは悩んだ。
 自らにストライクウィッチーズの仲間に入る資格があるのだろうか、と。
 規律に厳しいカールスラント人と生真面目と評される扶桑人が仕切る部隊だ。
 自身と馬が合うかも分からない。
 むしろ自分の望む環境とは程遠いかもしれない。
 戦う理由など特に考えもしなかった自分は、受け入れられないかもしれない……。
 良くない想像の螺旋を断ち切るように頭を振ったシャーリーは、それ以上深く思い悩むことを止めてブリタニアへと発つ日を待つことにした。



 それからの日々は音速で過ぎていった。
 リベリオンでの残された時間を戦う理由など小難しく考えるのではなく、シャーリーはそれまで以上に自分自身であろうと務めた。相変わらず人の目を盗んでのストライカーの改造は継続した。自らの目標が何であるかを再確認するかのように。それを上官に見つかることもあったがもう咎められることはなかった。そのことはより一層シャーリーに疎外感を与えたが、実際にリベリオンを出るのだからと深く考えないようにした。
 そして現在シャーリーは欧州へと向かう艦に揺られている。シャーリーの原隊は陸軍だが、今まさに乗っている艦は海軍の軍艦だ。
「見送りすらなしかよ」
 我が身一つと相棒であるストライカーのみで乗り込んだ艦は、こんなにも大きいのにとても狭苦しく感じられた。



 一週間の航海の後に辿り着いたブリタニアの空は、生憎の雨模様であった。
「ツイてないね、まったく……」
 ロンドンの古風な街並みを彩る雨も、戦時中とあってはより深い陰を落としている。
 シャーリーは諸々の手続きのため、まずはロンドンの連合軍総司令部へ赴き、その後単身でストライクウィッチーズ基地へ向かう手筈となっていた。だが予定以上にロンドンで時間を浪費してしまったシャーリーが基地へ辿り着いたのは、その日の夜遅くになってからであった。
「まさか、ロンドンで迷子になってて遅れました、なんてとても言えたもんじゃないなぁ」
 本来なら今日の午後には基地に着いて着任の挨拶を済ませることになっていたのだが、まさかの大遅刻である。
「心象は最悪だね……」
 どう言い繕ったものか、と考えながら基地に入ったシャーリーはまず司令室に通された。
「あなたが、シャーロット・E・イェーガー少尉ね。こちらに配属されてからは中尉に、ってことだったかしら」
 司令室には長い赤髪と温和な笑みが印象的な女性と、黒髪に眼帯の一見怖そうな女性が待ち構えていた。
(この二人が、かの有名な女公爵とサムライか……。確かに風格が違うな)
「私が、第501統合戦闘航空団、ストライクウィッチーズ司令のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐です。こちらは副司令で戦闘隊長の坂本美緒少佐よ」
 二人分の軽い紹介を終えたミーナに対して、シャーリーは若干の拍子抜けしたような感じを覚えた。
(もっとこう、お堅い雰囲気を想像していたんだけど……)
「報告では、今日の午後には到着するとなっていたから、随分と心配したのよ。不測の事態にでも巻き込まれたんじゃないかって。でも無事に辿り着いてよかったわ。長旅、お疲れ様」
 遅れたことに対してお叱りを受けるだろうと身構えていたシャーリーであったが、杞憂に終わったようだ。それだけでなく労いの言葉まで掛けられてしまった。
 想像以上にここはやりやすいところなのかもしれない。
 ここに来るまでの悩みの全てが杞憂に終わればいいと期待を抱いてシャーリーは司令室を辞した。
 
 
 結果から言えば、シャーリーの考えは甘かった。 しかし、着任早々の衝突が彼女たちの前進に大きく寄与するものとなったこともまた事実であった。


 ブリタニアに来てからのシャーリーの日々は、原隊にいた頃と大きく変わるものにはならなかった。
 ストライクウィッチーズ基地は、これだけの大きな基地であるにも関わらず詰めている人間はかなり少ない。ほとんど八人だけで使っていると言っても、過言ではない状況だった。そういった開放感からか、この基地には割と自由な風が吹いている気がした。
 ストライカーの改造も再開していた。こればかりは誰かに認められてはまずいと人目を憚ってではあったが。
 他の隊員との顔合わせも何事もなく終わり、やはり自らの勝手な想像と現実は違うものであると確認出来た。
 しかし、なかなかシャーリーが気楽に話しかけられる相手が居らず、まだまだ隊員個人のことはよく判らないのが現状である。
 そんな風にして二、三日が過ぎ、未だに出撃もなく束の間の平和な時間が基地を包み込んでいた、とある日の午後のこと。
 この日もまた、シャーリーはハンガーの片隅で隠れるようにしてストライカーいじりに精を出していた。
 そこを一人のカールスラント軍人が訪れたのだ。
「貴様が、シャーロット・E・イェーガー中尉か」
 威圧感を隠さないその人の言葉に一瞬ギクリとしながらも、シャーリーも毅然として応じた。
「ああ、それでそういうあんたは?」
 そう言って相手を視界に据えたところで、シャーリーは思い出した。
 全体での紹介が一日遅れた関係で、一人、まだ顔を合わせていない隊員がいたことを。
「横柄な物言いだな、リベリアン。一応、私は貴様の上官にあたる。ゲルトルート・バルクホルン大尉だ」
 不機嫌を貼り付けたような表情で自己紹介をするバルクホルン。
 シャーリーは直感的に、相容れない存在であろう、と思った。
「ミーナから聞いてはいたが……。一体何をしているんだ、リベリアン?」
(やっぱり、あたしが無断改造の常習犯だって抜けてるよな)
 ここへ配属されて以来、そのことについてはミーナからは何も言われなかったし、もちろん自分からも言い出すつもりもなかった。しかし、自身の前科は当然報告されているだろうから、シャーリーは見咎められるまで様子を見ることにしたのだ。
「ストライカーの改造です、大尉殿」
(知ってるくせに言わせるとは、感じ悪い奴だな)
 心の中で愚痴を吐きつつ、言い訳をするつもりもなかったシャーリーは正直に答えた。
「貴様、ここが何処だか分かって言っているのか? そんな身勝手なことが許されるわけがなかろう。だいたいミーナもミーナだ。分かっていたのなら何故咎めない」
 それからクドクドと小言を並べるバルクホルンにシャーリーは、想像していた通りの奴がここにいた、と溜息と吐いた。
「いいか! ここは最前線だぞ! 私たちは遊びでストライカーを履いているわけじゃ……」
 そこまで言われたところで基地内を警報の爆音が走り抜けた。
 それと同時に、敵襲! と叫ぶ大音声。
 ようやく初出撃か、とシャーリーは徐に腰を上げた。
「まさか、その機体で出るわけじゃないだろうな?」
 内蔵が剥き出しの戦闘脚を指してバルクホルンが呟いた。
「まさか、替えの機体がありますよ」
 本当は相棒たるP-51Dで出撃したいシャーリーであったが、さすがにこの状態からの復元は間に合わないので、不測の事態に備えて持ち込まれたもう一台のストライカーを履くことにした。
「グリッド東07地域、高度一万七千、大型ネウロイが一機出現。バルクホルン大尉の後衛にハルトマン中尉、イェーガー中尉はユーティライネン少尉の後衛に入ってちょうだい。いけるわね、シャーリーさん」
「もちろんです、中佐!」
「ふむ、お手並み拝見といこうか、リベリアン!」
 話の続きはこの戦闘が終わってからだ、と余計な一言を付け加えて空に上がったバルクホルンに軽く舌打ちをして、シャーリーも蒼空へと舞い上がった。


 戦闘に関してはある程度の自信があるつもりだった。
 501へ配属されたのも、厄介払い的な要素が強いとはいえリベリオンだって恥をかくわけにはいかない、本当に使えない奴を最前線に送り込むわけがない。
 シャーリーには比類なき才能があり、それは他人も大いに認めるところであった。
 新人と呼ばれる期間もとうに過ぎ去り、欧州戦域の地獄も掻い潜ってきたシャーリーであったが、ここでの戦闘は余りにも次元が違い過ぎた。
 人類史上最高のウルトラエースのロッテに、北欧が誇る無被弾のダイヤモンド。
 その天才的な空戦技術の前に、シャーリーは何も出来なかった。
 相対したネウロイが、これまでに見てきたものとは比べ物にならないくらいの巨大さと、戦闘力を誇るものであったこともまたシャーリーの動きを縛り付けた。
 この日の戦闘はエイラの機転によってなんとかネウロイを撃墜して終了した。
 だが、激しい戦闘を繰り広げていた三人よりも疲労困憊を隠せないシャーリーの姿が、そこにはあった。
 這々の体で基地に帰還したシャーリーは、ハンガー内に倒れ込んだ。
「その程度でくたばっているようじゃ、ここでは使いもんにならんぞ、リベリアン」
 実力の差を、その圧倒的なまでの戦力の違いを、思い知らされた戦闘だった。
 ここでなら上手くやっていけるかもしれない。
 そう思ったシャーリーの淡い期待は粉々に砕け散り、またリベリオンを発つ前の後ろ暗い幻想が鎌首をもたげてきた。
「何度でも言おう、ここは最前線だ。ストライカーの改造などというお遊びに精を出しているようじゃ、この先の戦闘の邪魔にしかならん。使えない奴はここにはいらない。今すぐ国へ帰るがいい」
 言いたい放題言われたシャーリーだが、その全てが紛れもない事実であった。
 いや、一つだけ認めるわけにはいかないことがある。
 シャーリーはよろよろと立ち上がると、嫌味な上官に向かってその心を吐露した。
「遊びなんかじゃないさ……。ストライカーをいじるのは遊びでなんかじゃない。あいつはあたしの夢なんだ! あたしはそのためにここに居るんだ! いつかあいつで音速を超えてやる。そのためにウィッチになったんだ! お前にあたしの何がわかるってんだ!!!」
 戦う理由なんて分からない。だがシャーリーにはシャーリーなりの、戦う理由が確かに最初からあったのだ。
 その想いをこんなに感情的に吐き出すことは恐らく初めてのことであろう。
 それはスピードを求めるが故にウィッチになるという本来のウィッチとはかけ離れた理由に、少しの後ろめたさを抱いていたからに違いない。
 熱くなり過ぎたシャーリーの想いは、バルクホルンを爆発させるに充分であった。
「お前に何がわかるか、だと……。それはこちらの台詞だリベリアン! ここには夢を追われた少女たちも多く居る。それなのに夢を語るなど、貴様は軍隊をなんだと思っているんだ! ここはお前のためにある場所じゃないんだぞ!!!」
「トゥルーデ!」
 ハルトマンの一喝でその場に沈黙が立ち込める。
 お互いにどれだけ悲痛な叫びをあげたのか、シャーリーもバルクホルンも、今にも壊れそうな表情をしていた。
 それきりバルクホルンは何も言わずにその場を立ち去り、シャーリーは膝からその場に崩れ落ちた。
 バルクホルンの言ったことは、余りにも正しかった。
 ウィッチになってまで夢を追う。
 それは確かにシャーリーのエゴでしかないのかもしれない。
 軍隊はそのためにあるわけがなく、ストライクウィッチーズもまた然り。
 恐れていたことをそのまま告げられたシャーリーは、茫然自失の様相で自室へと向かった。


 この空は広い。
 一人じゃ泣きそうなほどの、広い広い空。
 シャーリーもまたその魅力に囚われ、空へと墜ちていった一人であったのかもしれない。
 しかし、何処までも突き抜けるその青さは、ときに人を狂わせる。
 翼を授かった乙女たちは、決して独りでは飛べないのだ。

 果たして、シャーリーは独りであった。

 ストライカーを改造するときも、欧州戦域を転々としたときも、そしてブリタニアへ来てからも。
 何のために戦うのか。 その意識の違いを判然と自覚してしまった今となっては、シャーリーの翼はもう羽ばたけないだろう。
「シャーリー、いる?」
 不意に控え目なノックの音が木霊する。
 もう一度ノックが繰り返され、それでも返事をしないシャーリーであったが、部屋の扉は開かれた。
 今は誰にも会いたくない。
 そう思いつつも、鍵をかけたかどうかも定かではないほど憔悴しきったシャーリーは、ほんの僅かばかりの視線を扉の方へやることが精一杯だった。
 そこには、酷く寂しそうな表情をしたハルトマンが立っていた。
 何も言わないシャーリーに倣って、ハルトマンもまた何も言わずにシャーリーの隣に腰を下ろす。
 暫くの沈黙の後、シャーリーは自らが涙を流していることにようやく気付き、口を開いた。
「変なとこを、見せちゃったな……」
 消え入りそうな声音で呟かれた言葉は、それでも確かにハルトマンの心に届き少しの安堵をもたらした。
「私は、私たちはさ。シャーリーのこと、何も知らない」
 そう切り出した金髪の少女は努めて穏やかな口調で、それでいて胸に突き刺さる想いを語った。
(あたしはさ、皆とは違うんだ)
 戦う理由。
 空を飛ぶ理由。
 国を追われたわけでもなく、ネウロイの毒牙の届かないリベリオンは平和そのものだ、戦いの中で大切な仲間を失ったこともない。
 まともな戦果だってあげられない。
 あたしはここにいてはいけないんだ。
 そうとさえ思えてならなかった。
「私はね、この戦いが終わったら医者になるんだ。いつ終わるか分からない戦いだけどね。私たちの故郷はネウロイに占領されちゃってるし、奪還できても復興にどれだけ時間がかかるか分からない。もし戦争がなかったら、なんて無意味なことを言うのは好きじゃないけどさ、それでもそれが私の夢だから。だから、飛ぶんだ」
 夢のために飛ぶ。シャーリーと何が違うんだい?
 同い年の少女とは思えないほどの達観した表情で語るハルトマンに、シャーリーはそう言われた気がした。
「私の家族は無事だよ。父様も母様も。私には双子の妹がいてね、あいつは今も、何処かの空で戦っているんだ。妹は頭は良いんだけど、運動はからっきしでね。私はすごく心配なんだ。姉として、妹を守ってやらなきゃって。そのためにも、私は飛ぶんだ」
 誰かを守るために。
 しかしそれはシャーリーには、理解の及ばない範囲であった。
 守りたいものなんてあっただろうか。
 そんなシャーリーのことなど意に介さず、ハルトマンはこれまでの自分のこと、そして共に空を駆る戦友のこと、知らないのなら教えればいいと多くのことを話した。
 いつしかそこにシャーリー自身のことが加わり出す。
 自らが話さねば解り合えない。
 そういった無意識は、ハルトマンに促されるように、シャーリーの心をゆっくりと溶かした。
「ボンネビル・フラッツって知ってるかい?」
 そう切り出したシャーリーの表情にはもう涙はなく、夢を語るその瞳の蒼さは、彼女たちが目指した空の輝きを取り戻していた。


「戦う理由なんてあるのかな」
 一通り語り終えたところで、ハルトマンはそう言った。
 シャーリーの心の雲量は随分と少なくなっていたが、それでも深く陰を落としている、最後の問題でもあった。
「誰かを守るためにとか、国を取り戻すためにとか、夢を追いかけるためにとか。そんなもの人の数だけ存在するし、同じようで違うもの。だからね、シャーリーは皆となんにも違わないよ。皆それぞれの理由を抱いて、探して、苦しんで、悩んで、戦っているんだ。共感できる出来事がないからって、自分は仲間になれないなんて大間違い。私は、私たちは、同情から背中を守り合っているわけじゃないんだよ」
 誰もが夢を抱えている。
 そこに降りかかる痛みは違えど、それはきっと同じ空の中に。
「だから、シャーリーだって全力で自分の夢を守ってあげなよ。大丈夫、私たちがついてるよ。シャーリーは独りじゃない。私たち八人は家族なんだから。家族が家族を想うのは当たり前でしょ?」
 
 ようこそ、ストライクウィッチーズへ!
 
 そう言って手を差し出したハルトマンの笑顔は、一陣の疾風となって、シャーリーの心にかかった最後の雲を吹き飛ばした。
 その手を躊躇いなく受け取ったシャーリーの瞳に、一雫の涙を残して……。



 翌日は雲一つない快晴だった。
 昨日の戦闘の痛みがまだ残った気怠い身体を起こして仰いだ蒼空は、晴々としたシャーリーの心を映しているかのようだった。
 朝食を終えた後でシャーリーはミーナに呼び出されていた。
 司令室に出頭したシャーリーは、ストライカーの改造のこと、上官に対して声を荒らげたこと、どんな懲罰が降ってくるやらと気が気でなかったが、覚悟を決めて向き合った。
 ミーナに対して完璧な敬礼を見せたシャーリーは、驚いた表情のミーナに不意を打たれ立ち尽くした。
「あらあら、そんなに畏まらなくていいのよ。別にあなたを叱るために呼んだわけじゃないのだから。それで、何から話せばいいのかしら。そうね。まずは、ストライカーの改造の件かしら」
 やっぱりそれか、と思わず苦笑いを浮かべたシャーリーであったが、続けたミーナの言葉には驚愕を声にせざるを得なかった。
「ストライカーは貴重なものよ。素人が簡単に扱える代物でもないわ。でも、報告によると、あなたは自らで改造したストライカーでそれなりの実績をあげていたみたいね。きちんと整備にも出して、問題がないことが確認されたら、改造したストライカーを履くことを許可します」
「えっと、それはつまり……」
「ストライカーの改造に関しては、ここではうるさく言うつもりはないということよ」
 それを聞いた瞬間、喜びを爆発させ今すぐにでも相棒のもとへ向かわんとするシャーリーを、引き留めるようにミーナは続けた。
「それから、昨日は随分とトゥルーデ……バルクホルン大尉と随分と揉めたみたいね。彼女のことも分かってあげて、なんてまだ来たばかりで何も知らないあなたに、言えたことじゃないのかもしれないけれど。私たちは家族だから。これから上手くやっていってほしいの」
 少し俯き、何処か悲愴な表情を浮かべるミーナに、シャーリーは言葉に出来ない何かを受け取った。
(その傷はきっと、今のあたしにはわからない、でも……)
 優しく微笑むことで答えたシャーリーに、ミーナもようやく穏やかな笑みを浮かべた。
「私にも夢があったわ。いえ、夢がある。それを諦めるのは本当に辛いことよ。だから、あなたにも諦めて欲しくないの。家族として、あなたの夢を応援したいのよ」
 その言葉に何も言えなくなって、シャーリーは揺らいだ瞳を隠すように、大きく頭を下げ感謝を伝えた。


 司令室を辞したシャーリーを待ち構えていたのは、何処か落ち着きのない堅物大尉であった。
 シャーリーもいきなりの邂逅に不意に気不味く視線を落としてしまったが、すぐに持ち直してしっかりと向き合った。
「その……、昨日は、すまなかった。私もつい熱くなって、酷いことを口走ったと、思う。言い訳になるかもしれんが、真っ直ぐに夢を追いかけるお前の姿が眩しくて、辛いことをいろいろと思い出してしまったのだ。お前のことを、羨ましくも思う。私にはもう……」
 そこで言葉を切ったバルクホルンに対して、シャーリーは何も言わなかった。
 何も、言えるはずがなかった。
「正式な許可が下りたのなら、ストライカーの改造の件は何も言うまい。お前はお前の戦いをすればいいさ」
 そこで踵を返そうとするバルクホルンを、シャーリーは片手でもって制した。
「あたしはあたしのやりたいことをする。でも、あたしも大尉の戦いの中に入れてくれてもいいだろ? 独りじゃないって。あたしたちは家族、だろ?」
 羞恥に顔を赤らめたバルクホルンは、それでもその手を邪険にすることなく、静かに握り返した。
「あぁ、そうだな……」
 少しだけ、ほんの少しだけ、バルクホルンのその顔に、微笑みが宿ったように見えた。
 それを認めたシャーリーは屈託ない笑顔を見せるが、バルクホルンはそれきりで背を向けた。
 今はまだ解り合えないことも多いだろう。
 それぞれに抱えた痛みは深く、大きな隔たりは簡単には消えない。
 それでも一歩ずつ、歩幅を合わせて歩けるようになればいいと、シャーリーにもまた一つ、空へと帰る理由が増えた。
 その夢の果てを目指して――。


 シャーリーとバルクホルンが、肩を並べて笑い合える日が来るのは、もう少し先の話になる。



   fin...


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