願いのかたち


 その日の昼間の流星は、赤と青の螺旋を描き、願い事が閃くよりも速く、ウラルの向こう側へと消えていった――。



   『願いのかたち』



「高度33333メートル?」
 最初にそれを聞いたときは、なんてキリのいい数字だろう、くらいにしか思わなかった。
「うん。そんなノッポなネウロイが出たんだって」
 ノッポなネウロイってどんなんだよ……。
 とりあえず私は、そのことを語った目の前のノッポな人を巨大化させて想像に置き換えた。
 そして不覚にも吹き出してしまった。
「あ、ニパくん。今、ボクで変な想像したでしょ。やだなぁ、想像だけじゃなくて目の前にいるんだから。さぁ……」
 ボクの胸に飛び込んでおいで! と、腕を広げて飛び込んで来た伯爵を、紙一重のところで躱した。
「飛び込んでおいでって言いながら飛び込んで来る人、初めて見たよ。それとあなたはエスパーか何かですか……」
 そう言っておいて気付く。エスパーじゃなくて、ただの変態だったな、と。
 頭の中はいつでも桃色。そんな人の前で隙を見せてしまった私も迂闊だったなと反省する。
 そして気になる例の数字の話題に戻そうと、伯爵の方に向き直り、盛大に溜息を吐いた。
「ジョゼちゃん、あったかいよ、ジョゼちゃん」
「ちょ、ちょっと。一体、なんなんですかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
 私が躱した伯爵は、飛び込みの勢いはそのままに、たまたま通りかかったジョーゼットさんに抱きついていた。
(ごめん、ジョーゼットさん。半分、私のせい)
 心の中で手を合わせて、伯爵を引き剥がしにかかった。
「伯爵! ジョーゼットさんも困ってるじゃんか!」
「お、ニパくん。ようやくボクに飛び込まれる気になったのかい?」
「なってないし! そんな変な質問されたの初めてだよ!」
 まったく、この人は、サーシャさんでも連れてこようか。
 いや、そんなことしたらスーパー正座タイムが始まってしまう。
 むしろ見つかる前に話を戻そう。
「そんなことより、伯爵、さっきの話ってなんだったの?」
「あぁ、ノッポなネウロイのことかい? なんてことはない、文字通りのことさ。細長い棒状のネウロイで、そいつのコアの位置が……」
「高度33333メートル……」
 二度目にその数字を口にして、その途方もなさにようやく気付いた。
「そんなネウロイなんて、どうやって撃墜すれば……」
「聞いたところによると、ロマーニャ空軍が頑張ってたみたいだけど結局ダメで、501が引き継いだらしいよ」
 第501統合戦闘航空団。
 その名前が出た瞬間、どういうわけかアイツの顔が浮かんだ。
「いくら私たちウィッチでも、高度三万メートルなんて飛べるわけないじゃんか」
 ストライカーでの限界高度は精々高度一万メートル。その三倍もの高さなど、前代未聞、前人未踏の領域だ。
「それが、501は墜とす気満々らしい。あそこの戦闘隊長の座右の銘の通り、不可能はない、ってね」
 バカバカしい話だ。正直にそう思った。
 いくら魔法力があるとは言え、生きて帰れるとは思えない。特攻でもするつもりだろうか。
「この基地からでも、そのノッポさんは見えていたらしいけど。南下してるみたいで、今はもう見えないかな。あ、でもちょっと空に上がれば、見えるかもしれない」
 それほどの巨大なネウロイ。最早、全てが規格外だ。
 そんな奴が相手だと、確かに真正面から挑むのが、一番なのかもしれない。
それでも……。
「それでも、無茶だと思うけどなぁ」
 史上初の試みであろう任務に就かされる誰かに、少しの同情を抱いた。
 それと、何故かアイツのことが頭から離れなかった。
 アイツなら、こんな無茶もやりかねない。
 そう思えてならなかったのだ。
「ねぇ、伯爵。その、任務に就くウィッチって、もう決まってるの?」
 気付けば、伯爵にそんなことを訊いていた。それを知ったって、どうにもならないのに。
「あぁ。確か、リトヴャク中尉、っていうナイトウィッチだったかな」
 アイツじゃ、なかったんだ。
 そのことで少し安堵した自分に、酷い嫌悪を覚えた。
(私ってば、嫌なヤツだな。同じウィッチが危険な任務に就いてるってのに……)
 そこまで回想した私は、とても重要なことを思い出した。
「リトヴャク中尉……、ナイトウィッチ……。それって……」
 そうだ、私はその娘を知っている。
 アイツの手紙の中で。
 それだけじゃない。
 一度スオムスに帰ってきたアイツと一緒にいた……。

「サーニャさん……」

 全身を、嫌な予感が駆け巡った。
 それだけならまだしも、それ以上に恐ろしい暗い暗い真っ黒な感情の発露に、全力で頭を振った。
(何を考えているんだ、私。嫌だ……。違う、そんなの違う……!)
「……くん、……パく……、ニパくん!」
 伯爵に肩を揺さぶられていることにようやく気付いた私は、正気を取り戻した。
「どうしたんだい? いきなり顔を真っ青にして」
 真面目な顔で心配してくれる伯爵。
 珍しいものが見れたなぁ。
 と、そういう思考が出来たことで、もう大丈夫だろうと思った私は、その場は適当に言い繕って自室へと向かった。


 いつからだろう、アイツのことを追い掛けるようになっていたのは……。


 柄にもなく在りし日のことを思い出していた私は、ベッドの上で幾度目かの溜息を吐き出した。

 アイツは憧憬の的であり、羨望の的でもあり、嫉妬の的だった。
 正反対の二人。
 周囲にはそう映っていただろう。
 かたや戦闘における被弾率ゼロパーセントの、無傷のダイヤモンド。
 かたやユニット壊しの、ツイてない私。
 それでも、何度となく撃墜されても必ず生還する私に対して、いつかのアイツはこう言った。

「私と、おんなじダロ」

 絶対に被弾しない無傷のアイツと、どんな傷を負ってもたちどころに治って、無傷になる私。
 嫌味でも皮肉でも気休めでもなく、曇りなき瞳でそう語ったアイツの言葉は、私の心に魔法でも癒せない、傷を残した。

 (イッルと、同じ……。)

 それからというもの、なにげないやり取りが、さりげない悪戯が、私の心を惑わせた。
 夜も眠れないくらいの狂おしい気持ちが私を支配し、一向に傷を回復させない。
 今までと同じはずなのに、何処か違った感覚。
 赤面することが多くなった私を、アイツは、変なやつだ、と言った。
 どうしてもいつも通りだったはずの距離感が保てない。
 思い悩む私を、良くも悪くも救ったのは、より一層茫漠とした『距離』だった。
 エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉の、ストライクウィッチーズへの転属。
 アイツは、ブリタニアへと旅立った。
 その旅立ちの日、私はボロボロで帰還して医務室のベッドの上にいた。
 アイツを見送ることが出来なかったのは少し寂しかったが、それ以上に冷静になっていく私がいた。
 もう、アイツと顔を合わせるたびに、胸を締め付けられる思いをしなくて済む。
 これでこの傷も癒えるかもしれない。
 それがどれだけ浅慮な考えだったか、すぐに気付くことになる。

 アイツがいなくなってから、私の傷は更に深くなった。


 それからの日々は、ただ我武者羅に大空を駆けた。
 撃墜数も順調に伸びて、エースと呼ばれるに相応しいだけの、戦果もあげた。
 私は、自分自身の空を飛んでいるつもりだった。
 でも気付けば、いつもアイツの背中を追っていた。
 アイツの幻を追っていた。
 それは、どんな障害でもヒラヒラと避けて飛び続けるのに、私は途中でついていけずに墜ちていく。
 どれだけ手を伸ばしても、決して届くことは叶わない。
 触れることも叶わない。
 墜ちていく私はアイツの名を呼ぶ。
 チラッとだけ振り向いたアイツは、私なんて見えていないとでも言うかのように飛び去った。
 その手を、私が掴むはずだった、その手を、黒い魔女と繋いで――。


「イッル……!!!」
 自分の声が浸透していく中空を見つめて、いつの間にか眠ってしまっていたと気付いた。
 変な夢を見てしまった。
 じっとりとした汗を握った手は、小刻みに震えている。
 夢の中での私は何を思ったか。
 私が掴むはずだったその手をとった、あの娘のことを。

(■チレバイイ……)

 夢の記憶なんて、いつもはすぐに忘れるものなのに、どうしても頭から離れない。
 まるで、それが自分の願いであると囁かれているようで、恐ろしくて、悲しくて、気付けば涙を流していた。

 超高々度でのネウロイ殲滅作戦。
 サーニャさんにその責が任されるとなると、当然アイツもついていくと言い出すだろう。
 アイツはそういうヤツだし、それだけサーニャさんに惚れ込んでいる。
 命の保証などない危険な作戦であることは明白だ。
 それでもアイツは、例え命令違反を犯してでも、飛ぶのだろう。
 それが容易に想像出来たからこそ、怖くなった。
(何を心配しているんだ……)
 アイツは無傷のエースだ。
 それは私が一番よく知っている。
 それに、アイツ自身が言ったことだ。
 私と、同じだって。
 それは、どんなことがあっても、必ず生還するということ。
 そう、大丈夫。
 きっと、大丈夫。
 自分に言い聞かせるように、任務の成功と無事の帰還を祈った……。


 数日後、私は任務の空にいた。
 あれから件のノッポなネウロイがどうなったのか、私は何も訊かなかったし、考えないようにしていた。
 サーニャさんもアイツも、ずっと一流のウィッチだ。
 ツイてない私なんかがあれこれ考えたら、むしろ良くないことが起きるような気さえした。
 そのことを無理やりにでも忘れようと、ここ数日は危な気な戦闘が続いていたかもしれない。
 出現したネウロイを全て墜とし、今日は私も墜ちることなく、空の中にいた。
 作戦終了の報せにホッとした私は、なんとなく天を仰ぎ、目を細めた。
 そして大きく目を見開き、それが何であるか気付いた瞬間、私は隊列を離れ飛び出していた。
 空より高いその場所を流れる、一条の光を目指して。
 それでも私には決して届かない。
 限界高度より遥か上で描かれる赤と青の螺旋は、私の知らない世界の色を見せ、ウラルの彼方へと消えていった気がした……。


「おーい! ニパくん! 急に飛び出してどうしたんだい? 早く帰らないと、またクマさんに怒られちゃうよ」
 追ってきた伯爵の声に、それでも私は天を眺め続けた。
「ねぇ、伯爵。伯爵は、流れ星を見つけたら、何を願う?」
 唐突なその問いに、キョトンとした伯爵は、しかしいつもの笑顔で応えた。
「流れ星? こんな昼間にかい? まぁ、ボクが流れ星を見つけたらもちろん、世界中のかわいい女の子がボクのものになりますように、って願うさ」
 この人に訊いた私がバカだった。
 そして私は呆れるでもなく、溜息を吐くでもなく、少しだけ微笑んだ。
「なんか意味ありげな微笑だね。そんなニパくんもまた、なかなか……」
 一層紳士的な笑みを深めた伯爵が詰め寄ってくるが、私はヒラリと躱して基地へと急いだ。
「お、ニパくん。今の機動、いい線いってたよ。ホントに、どうして今日は絶好調じゃないか」
 少しだけ、アイツに近づけた気がした。
 気がしただけで、いつもの私なら、そろそろお約束のエンジントラブルに襲われそうだけど。
 今日の私なら、たぶん大丈夫。
「そう言えば、ニパくん。ニパくんは流れ星を見つけたら、何を願うんだい?」
 今はまだ届かないその光。
 それでも、いつか必ず。

「私の、願いは――」


   fin...


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