destined soul mate
一体どうしてそうなったのか、トゥルーデには全く分からなかった。
ただ、目の前には、まるで子供の遊びの如く……いや、何か無造作とも言えるべき感覚で、
あらゆる方向から別の場所へと、“それ”が張り巡らされていた。
運命の赤い糸、と扶桑などでは言うらしい。
詳しい由来は私も良く知らないのだが、と美緒からその逸話を聞いたトゥルーデは、何故私にだけ糸が見えるのかと正直な気持ちを吐露した。
「それは私にも分からないな。強いて言うならば、お前がウィッチだからではないのか?」
美緒の言葉に困惑するトゥルーデ。
「私の固有魔法ではないし、扶桑人でもない」
「まあ、確かにな」
ちらりと美緒はミーナに目をやった。
「ねえトゥルーデ。この事は、言いふらすと皆が混乱するだろうから……貴方だけの秘密にしておいて欲しいのだけど」
「それが命令とあらば」
「何処までも真面目ね、トゥルーデは」
苦笑するミーナ。
「私だって、好き好んで見たい訳じゃないぞ」
「それはそうよね。原因が分からないというのも困りものね」
ミーナは真面目に相談してきたトゥルーデを見、どうしたものかと考えを巡らす。
「軍医に診て貰うのはどうかしら」
「何処も異常は無い。至って健康だが」
「困ったわね」
ミーナはとりあえずメモ程度にトゥルーデの事を書き留めた後、はたと気付いたかの様にペンを置き、くすっと笑った。
「でも運命の赤い糸って、随分とロマンチックね、トゥルーデ」
「そうは言うがな、ミーナ。そこかしこに、まるで蜘蛛の巣みたいにぐちゃぐちゃに張り巡らされてる糸と言うのはどうも気味が悪い」
うんざりしながら言うトゥルーデ。
「それをお前が物理的に干渉したりは出来ないのか」
興味深そうに質問する美緒。
「ただ見えるだけだ、少佐。何も出来ない。……いや、大体、それに干渉してどうするつもりなんだ少佐?」
「引っ張って相手を連れてこられるなら、例えば訓練をサボる奴を……」
「美緒ってば、貴方訓練の事ばかりじゃないの」
呆れるミーナを見、冗談だと笑い飛ばす扶桑の魔女。
そう言えば……とトゥルーデは気付く。目の前の上官二人の小指にはしっかりと糸が結ばれて、互いに繋がっている。説明するまでもなかった。
これは言えないな、と目を明後日の方向に向けるトゥルーデ。少しの空白を置いて、ミーナに告げた。
「分かったミーナ。これは私と、そしてミーナと少佐だけの秘密事項だ。私が見た事は一切口外しない。約束する」
「そうして貰えると助かるわ。お願いね、バルクホルン大尉」
ミーナは満足げに頷いた。
執務室を出たトゥルーデは平静を装いながら、とりあえず朝食の為に食堂へ向かった。
嫌でも目に付く無数の糸は、まるで生き物の様にうねり、長さや張り具合を変えながら、そこかしこに張っている。
ただ見えるだけ、物理的に避ける必要は無いのだが、見えている手前、ついつい不自然な動き……避けようとしてしまう。
「どうした堅物。身体の調子でも悪いのか」
食堂に居たのはシャーリーだった。いつもと変わらずテーブルに頬杖をついて食事を待っている。
「別に何処も悪くない。至って普通だ」
身体そのものは何処も悪くない、これは事実で嘘ではないと言い聞かせるトゥルーデ。
「じゃあ今の変な動きは何だよ。カールスラントの新しい健康体操か何かか」
「何だと」
カチンと来たトゥルーデはまたも説教しようかと思ったが、ふと目に付いた“それ”を見、言葉を止める。
シャーリーの小指の先から、何処かへと糸が伸びている。
その糸はしなり、伸び縮みを繰り返している。糸と糸で結ばれた相手が近付いている証拠だ。
「オッハヨーシャーリー。ごはんまだー?」
ルッキーニだった。糸は途端に短くなり、最短距離でシャーリーと繋がっていた。
「なるほどな」
まあそうだろうな、と一人頷くトゥルーデ。
「何だよ、あたしとルッキーニ見て頷いて。気持ち悪い奴だな」
「キモキモー」
「やかましい! とりあえず食事だ。おい宮藤! 食事はまだか?」
「はい、ただいま!」
芳佳とリーネが厨房でかいがいしく料理と配膳を頑張っている。
「どれ、私も少し手伝うか」
シャーリーとルッキーニに変な目で見られているのに耐えられなくなったトゥルーデは、これ幸いとばかりに口実を作り席を離れた。
「あ、バルクホルンさん、良いですよ、私達の仕事ですから」
「いや、少しは手伝ってもいいだろ、う……」
芳佳の小指を見て、トゥルーデは絶句した。
おかしい。
リーネ小指と繋がっている強固な赤い糸。そしてもう一本、細く切れそうだが糸が小指から伸び……それは窓の外へと伸びていた。その糸の張り具合から、相当遠くの土地に……恐らく彼女の故郷辺りへ……伸びているのが分かる。
それは一体どう言う事だ?
トゥルーデは解釈に苦しんだ。これはいわゆる……いや、宮藤に限ってそんな不埒な事をする筈が無い、と納得させる。
「宮藤お前……いや、何でもない」
「? どうしたんですかバルクホルンさん。私の顔に何か付いてますか?」
きょとんとした表情でトゥルーデを見る芳佳。つられてリーネも顔を上げた。
「な、何でもない。何でもないんだ。すまなかった。本当にすまない」
配膳を手伝う事も忘れ、トゥルーデは顔を真っ赤にして食堂から脱出した。勿論食事をも忘れていた。
廊下で、眠そうなサーニャの手を引いて食堂に向かうエイラとすれ違う。
「あれ? 大尉どうしタ? 朝食もう済ませたのカ?」
反射的に二人の小指を見る。
“糸”と言うより既に縄に近い太さの赤い糸でがんじがらめに結ばれた二人の手を見る。
ぽん、とエイラの肩に手をやり頷くトゥルーデ。
「お前達はそうだろうと思っていたよ。安心した」
「な、何だヨいきなり。意味わかんねーヨ」
「まあ、見なかったことにしてくれ」
それだけ言うと、トゥルーデは早足で立ち去った。
「見なかったって、大尉の奇行をカ? 訳ワカンネ」
「エイラ、行こう?」
サーニャに促され、エイラは食堂へと向かった。
エイラとサーニャに遅れることワンテンポ、ペリーヌとすれ違う。
「あら大尉、朝食はもうお済みで?」
「いや、今日はちょっとな」
「? どうかなさったのですか? お身体の調子が悪いとか?」
心配そうに聞いてくるガリア娘を見て、気付く。
ああそう言えば、最近のペリーヌはカドも取れて少し優しくなって本来の彼女に戻りつつあるんだと改めて思うトゥルーデ。
そして条件反射の様に小指を見る。
無い。
糸がない。
そんな馬鹿な、とペリーヌの手を取り、目を凝らしてじーっと見る。
「なっ! いきなり……ど、どうされたのですか大尉?」
突然の行為に思わず赤面するペリーヌ。
実は見えない訳ではなかった。うっすらと、見える。その糸はどうやらこの基地の誰かと繋がっているのではない様で、窓の外、
何処か遠くへと伸びていた。
「強く生きろ」
トゥルーデはペリーヌに告げると強く頷き、駆け足で去った。
「ちょ、ちょっと大尉! 一体どう言う事ですの!? 意味が分かりませんわ!」
部屋に戻り、後ろ手に扉を閉めると、そのまま寄りかかり、呼吸を整える。
見たくないものまで、見えてしまう。見てもどうしようもない事が、見えてしまう。
こんなに「傍観者」というものが辛いのか、と天井を仰ぐトゥルーデ。
……いや、ある意味大体想像通りではあったが、実際に視覚で判明してしまうと如何ともし難い。
そしてこれは機密事項に等しい。口外は無用。と言うよりミーナの約束、いや命令とあっては、何も出来やしない。
苦悩するトゥルーデをよそに、ジークフリード線の向こう側のベッドの端が、もそもそと動いた。
「まだ寝ていたのかハルトマン! 起きろ! 朝食の時間だ!」
「あと三十分……」
「こら!」
ずかずかとガラクタの山を分け入り、エーリカの毛布を剥ぐ。
!?
トゥルーデは目を疑った。エーリカの小指には、糸が無い。
そして気付く。
トゥルーデ自身も、糸がない。誰とも繋がっていない事に。周りのことばかりに気を取られ、自分の事に今更気付いたと言う
そんな自分の愚かしさにも、愕然とした。
「そんな、馬鹿な」
ショックの余り、がくりと膝から崩れ落ちる。
「……どうしたのさトゥルーデ。貧血?」
エーリカの心配も余所に、トゥルーデはどうしてこうなったのか意味を解釈しようと試みた。
だがそれは出口のない迷路と同じで……答えが見えない。
息が荒い。深呼吸しようとしても、浅い呼吸がまるで気の抜けたふいごの様に繰り返されるだけ。
「ちょっとトゥルーデ。大丈夫?」
心配になったのか、エーリカがもそりと起き上がってトゥルーデの顔を見た。
「顔色、悪いよ」
「だ大丈夫だ、ももっ問題無い」
「ろれつも回ってないし。どうしたのさトゥルーデ」
「ちょっと、体調が……」
「トゥルーデらしくないよ。ほら、ベッドに」
エーリカはよいしょと起きると、トゥルーデの肩を持ち、ゆっくりと彼女のベッドに寝かしつけた。
「ねえトゥルーデ、私を見るなりなんかおかしくなったよね? たまたま?」
「そうだと信じたい」
らしくないトゥルーデの弱気ぶり。
「もう、ちゃんとしてよ。今、水持ってくるから」
「ま、待ってくれ」
トゥルーデはエーリカの手を取った。
そこでもうひとつの事に気付く。
トゥルーデもエーリカも、指輪を付けていない。
「エーリカ、私達の」
「どうかした?」
「指輪は」
「ああ。トゥルーデが昨日、綺麗にするからって、拭いてくれたじゃない。仕舞ったままだよ。はめる?」
エーリカは指輪ケースから指輪を取り出すと、はい、とゆっくりはめた。そして自分の指にもはめた。
……そう言えばそうだったな。糸などなくとも、せめて。
ぼんやりとそんな考えをしていると、傍らに座るエーリカは指輪を見て、ふふっと笑った。
「どうした、エーリカ?」
「私とトゥルーデ、やっぱりこれが無いとね」
「エーリカ」
「なーんてね。ちょっと感傷的になっちゃった」
頬を染めるエーリカ。トゥルーデの頬に手をやり、そっと唇を重ねた。
刹那。
物凄い勢いで……空気を裂くかの様に、二人の間に、太い、赤い糸が現れ、結ばれる。
ぎゅっときつくかたく二人を繋ぐ糸は、他の誰よりも、強く、美しく。
……やはりそう言う事か。そう、それでいい。トゥルーデは内心思う。
そして、糸を見届けたトゥルーデは満足そうな表情を浮かべた。
エーリカが何か言っているが、最後まで聞く事はなかった。
薄目を開ける。
「あ、起きた」
エーリカの声。
いつの間にか、トゥルーデのベッドの周りには501の隊員達が揃っていた。
心配そうに、皆トゥルーデの顔を見ている。
「あ、あれ? 私は一体……」
ふと思い出し、皆の手を、指を見る。しかし今はもう何も見えず……あれは幻覚だったのかと訳が分からなくなる。
「トゥルーデ大丈夫? 貴方疲れていたんでしょう」
ミーナが言う。
「いや、大丈夫だが」
「顔色が悪いぞバルクホルン。暫く休んだ方が良いな」
美緒も頷く。
「無理すんなって。お前が欠けたらどうするんだよ」
シャーリーも気遣う。
「トゥルーデ、良いわね?」
ミーナの声に圧されて、トゥルーデは了解、と応えるしかなかった。
「それでトゥルーデ倒れたの? だらしないなー」
トゥルーデから事の顛末……僅かな部分のみだが……を聞いたエーリカは、苦笑いしておかゆをスプーンですくうと
トゥルーデにあーんと口を開けさせて食べさせた。
「ん。美味い」
「元気になってよ」
「もう元気なんだけどな」
「ちゃんと百パーセント元に戻るまで、ダメだからね。ミーナも言ってた」
「分かった」
トゥルーデは約束した。
「で、トゥルーデ、もう糸とか何も見えないんだよね、今は」
エーリカの質問。
「ああ」
「結局、何だったんだろうね」
「それは私が知りたい。……エーリカ、まさかお前」
「私は何もしてないよ……って、疑うフツー?」
「いや、そう言う訳では」
「ま、いっか」
にしし、と意味ありげな笑みを浮かべたエーリカはおかゆをもう一口食べさせると、新たな質問。
「で、他の人のは見れたの? どんな感じだった?」
「それはミーナの命令で絶対に言えないな」
「ケチだなー。私はこう見えても口固いよ?」
「ミーナの命令だからな。隊員の結束を乱す訳にはいかない」
「何それトゥルーデ、糸に絡めたギャグのつもり? 微妙だね」
「そう言う意味じゃない! ともかく、言えないものは言えない」
「残念。……じゃあ、私とトゥルーデは?」
「それは言うまでもないな」
トゥルーデは微笑んだ。彼女の穏やかな表情から全てを察したエーリカは、にこりと笑うとトゥルーデを抱きしめ、
そっと口吻した。
end