wildrose
「ねえトゥルーデ、知ってる?」
昼食の後リーネから受け取ったお茶をのんびり飲んでいると、エーリカが唐突に聞いてきた。
「知ってるって、何を?」
「その顔じゃ知らなそうだね。ここの基地、とある場所に綺麗な花が咲いてるんだってさ」
「ほう」
「見に行こうよ」
余り興味なさげなトゥルーデはうーんと首を捻ったが、エーリカに襟を掴まれ、そのままずるずると引きずられていった。
「確か、この辺りなんだけどなー」
二人は基地の宿舎(代わりの建物)を出て、滑走路や周辺の小道を探していた。
普段は基地とハンガーを往復し、必要とあらば基地の外へと出て行く事もあるが、基地の中を本格的に巡った事は無かった。
いや、とある切欠から基地の地下で「冒険ごっこ」をした事は有ったが……あれは散々だったと思い返す。
「ねえ見てトゥルーデ」
エーリカが指さす先には、草が群れを成して生育していた。
名前は知らない。だが、確かにその花はそこに生え、可憐な花を幾つもつけ、風にゆれていた。
「こんな所に。健気だな」
トゥルーデはそう言うと、立ち止まり花を愛でた。
名も無き花。
そこはちょうどアドリア海を一望出来る場所にあり、古代の遺跡の片隅、日陰と日向の境界に花はあった。
「なるほど。日当たりの問題と言う訳か?」
トゥルーデは首を捻ったが、植物学的な事まではよく分からなかった。
「トゥルーデ、違うよ。これじゃなくて」
「違うのか」
「これも綺麗だけど、違うよ。聞いたのはもっと凄いの」
「凄い、と言われてもな」
エーリカの無邪気さにどう返して良いか分からず、思わずふっと笑ってしまう。
「詳しい場所は聞いたんじゃなかったのか?」
「こっちの方、としか聞いてないから」
「その言い方だと、さしずめルッキーニ辺りから聞いたんだな?」
「よく分かったね」
「大体分かる」
見つけたのも、恐らくルッキーニだろう。皆に花の事を話すも、正確な場所までは伝えきれなかったらしい。
辺りを見れば、宿舎代わりの建物からだいぶ遠くに来ていた。昼下がり、戻るのも億劫になったトゥルーデは言った。
「仕方無い。もう少し探してみようか」
「いいね」
トゥルーデは先頭をきって、草むらの中を分け入り、獣道に近い細道を歩いたり、遺跡の上をほいっと飛び越えたりしながら
……さながら「探検ごっこ」をする子供の様に、無邪気に先を進む。
「どうして道から外れるのさ?」
「良いかエーリカ。見たと言うのはルッキーニだろう?」
「そうだけど」
「ならあいつが行きそうな、道無き道をあえて進むのが正解だ。ルッキーニになりきった気分でな」
「トゥルーデ、真面目に分析するのは良いけど、やってる事が滅茶苦茶だよ」
言いながら、なおも進む二人。
垣根を潜り抜ける時、何かの草か枝に引っかかったのか、トゥルーデのシャツの端がびっと切れた。腕にも何か当たっていたらしく、
僅かな切り傷が出来る。
「おっと」
「大丈夫?」
「これ位平気だ」
トゥルーデは自分で傷口を一舐めする。
「ばい菌が入ったら大変な事になるよ。消毒しないと」
「救急キットも無いしな」
「とりあえず」
エーリカはトゥルーデの腕を取り、ぺろぺろと子犬の様に傷口を舐める。
「こ、こら……くすぐったい」
そして上から自分のハンカチを一枚ぎゅっとあてがい、トゥルーデの持っているハンカチで固く縛る。
「これ位しないとね」
「大袈裟過ぎないか」
「これだけやれば、安心するっしょ?」
「ま、まあ……有難う」
「ふふ。良いって」
二人は道を更に奥へと進む。
やがて、開けた場所へと出た。
そこは、かつての闘技場の跡地。以前、基地の本格設営の前に来た事が有る。
海に面した遺跡の壁側に、目指すそれは有った。
垣根の様に群生するその植物。
淡紅色に染まったその小さな花びらは五枚、それが房の様に無数にしだれ、吹き付ける海風にも負けず健気に咲き誇る。
「これだよ、トゥルーデ」
「なるほど。綺麗だな、エーリカ」
「だねー。これは気付かなかったよ」
近くに腰掛け、海風に髪をなびかせ、その花をじっくりと観賞する。
何の花だろう、と呟くトゥルーデに、エーリカが言った。
「野バラ、らしいよ」
「野生のバラか。花屋や庭園で見かけるバラとは全然違うな」
「野生だからね」
「なるほど……」
野バラの群生地がまさか基地の中に有ったとは、と驚き、そして案外と簡素で、かつ爽やかなものだと感じる。
庭先で丁寧に、丹念に育てられたそれとは違い……飾り気の無い野バラはたくましく、そして美しい。
「ミーナに聞いたんだけど」
ぽつりとエーリカが呟いた。
「? 何を」
何気になしに聞いたトゥルーデに、エーリカは悪戯っぽく笑って答えた。
「花言葉。野バラはね、色々花言葉が有るらしいけど」
「色々有るのか」
「『素朴な愛』らしいよ。ミーナが好きなのは」
「ミーナが好きって事は、彼女もこれを見たのか」
「ルッキーニが摘んできた花を一輪だけね」
「なるほど」
トゥルーデは辺りを見回した。ちょうど宿舎の建物からも、僅かに見える位置にある。
「今度、この場所を皆に教えよう。良い気晴らしになるだろう」
そう言うと、トゥルーデはカメラを持ってくれば良かったなと呟く。
「来るの大変だけどね」
「場所が分かれば、最短の道を造れば良い」
「言うと思った」
「ダメか?」
「途中の苦労がないと、この感激も半減しちゃうよ」
「けど、一応ここは基地の中だぞ。少し位……」
言いかけたトゥルーデの唇を、そっと塞ぐエーリカ。ゆっくりお互いを確かめ合ったところで、そっと離す。
「トゥルーデ、花言葉、さっき教えたよね」
「ああ」
「じゃ、そう言う事で」
「何がそう言う事なんだ。外でこう言う事は……」
「何かこう、イケナイ感じがして良いよね」
「待て待て。誰かに見られてたりしたらどうするつもりだ」
「その時はその時。ね、トゥルーデ」
「まったく……お前という奴は。エーリカ、お前には振り回されっぱなしだ」
「でも、本当に嫌がってる顔じゃないよ」
「それは……エーリカだから」
真っ赤な顔で、愛しの人をそっと抱きしめる。
「嬉しい」
二人はもう一度、口吻を交わした。
「あら、あそこにいるのは、トゥルーデとエーリカじゃない」
基地の執務室。ミーナは凝った肩をごきっと鳴らすと、しばしの気晴らしにと窓から外を見る。遺跡の隅で動く人影を見つける。
美緒も何事かと魔眼を解放して様子を見る。二秒もしないうちに眼帯を元に戻し、呆れ返る。
「あいつら、何をやっているんだ、あんな所で」
「良いじゃない。好きにさせれば。でも、あの子達、見つけたみたいね」
「? 何をだ」
ミーナは内緒、と笑って机の上に置いてあった本を閉じた。
そこに挟まれていた押し花は、あの二人が見ている、そして見られている野生のバラ。
end